どのくらい眠っていたのだろうか。ふと意識が浮上して、重い瞼を開ける。
隣にはすーすーと規則的な寝息を立て眠る渚がいた。
もう一度瞳を閉じてみる。頭をぶんぶんと横に振ってから、ゆっくりと、ゆっくりと瞳を開けた。
「おはよ」
「ぅわっ!」
目の前に彫刻のような整った顔があり、思わず大きな声が出る。
「……ふっ。何、今の声。寝ぼけてるの?」
「……いや、まぁ、うん。そうかも」
「もう少し寝れば?」
「いいよ、もう十分寝た」
ベッドで横並びになり、まだ少し重い瞼を擦りながらくだらない話をする。
あまりにも日常だ。
意識ははっきりしているし、夢特有の違和感もない。どうやら夢オチの線は薄そう、そう思いかけたところで、1つの可能性に気がついた。
「渚。昨日のこと、覚えてるか?」
「昨日? 俺が幽霊になったこと?」
「……まじかよ」
ゴール直前から、一気にスタート地点に戻されたような気分だ。夢ではないなら、現実なのか。それとも現実の中で俺が見ている妄想なのか。頭の中は、かつてないほど、こんがらがっている。
「……どうすっかな」
「何が?」
「これから、だよ」
「ご飯食べる?」
「……そういうことじゃねぇよ。てか食えんのかよ」
この予想できない返答の感じ、やっぱり普通に渚な気もしてしまう。妄想だとしたら、俺の渚への解像度が高すぎる。
「まじで俺以外とは話せないの?」
「ここ来るまでに何人かには声かけてみたけど、誰も気づかなかったよ」
「へぇ、偉いじゃん。自分から話しかけるなんて」
「……今回は仕方なく、だよ。どういう状況か把握したかっただけ」
不満気に少しむくれる渚に、思わず笑いがこぼれる。
「最初から幽霊の自覚あったんだ」
「うん。ベッドに寝てる自分、見てきたし。あー、これが幽体離脱ってやつかって、ちょっと感心しちゃった」
「お前の度胸だけは尊敬するよ……」
「ありがと。でも、燈とは話せてよかった。これなら幽霊生活も退屈しないよ。いつもと同じ」
強がっているような感じでもなく、渚はあくまで淡々と続ける。
「だからさ、そんな深刻に考えないでよ。好きなだけ話して、眠くなったら寝て。暇になったらゲームとかもしてさ。いつも通りでいいじゃん」
「渚……」
渚の瞳は少しも揺らぐことはない。まっすぐに、まっすぐに俺の瞳を射止める。
きっとこれは渚の嘘偽りのない気持ちなのだろう。気を遣ってるわけでも、自分に言い聞かせているわけでもない。まっすぐで、純粋な気持ち。
「燈は嫌? 俺のこと怖い?」
「そんなわけない!」
反射的にそう答えれば、渚は静かに口角を上げる。
「じゃあいいじゃん。せっかくだから、この時間を楽しもうよ。なかなかできる経験じゃないし」
「でも、お前このままじゃ、どこにも行けないし、他の人と話すこともできな──」
「燈がいればいい」
重くはっきりとした声に、ぴくりと肩が揺れる。少しだけ、空気が薄くなった気がした。
「ねぇ、燈」
「……なんだよ」
「ずっと俺と一緒にいてよ」
「え……?」
「ずっと、2人でいようよ」
そう言って、渚は静かに笑う。
渚から放たれた言葉が、部屋の空気に溶けずに残った気がした。渚の笑顔は相変わらず綺麗だ。
作り物のように美しい笑顔。
それなのに、視線が交わった瞬間、足がすくんだ。
真っ黒な瞳。まるで光を受けつけないような、深い深い漆黒。どこまでも闇が続いていそうな、そんな気味の悪さを感じ、ごくりと唾を飲み込んだ。
窓から隙間風が入ったのだろうか。寒気が止まらない。
怖がる必要なんてない。頭ではそうわかっている。だって、渚の言葉はいつだってまっすぐだ。
なんだかんだ寂しがり屋なやつだから、本当に俺にいてほしいだけなのだろう。そうわかっているのに、どこか違和感があった。言語化できない違和感。いつも通りのようで、やはり何かが違う感じ。この感覚はなんなのだろうか。
壁が、天井が、じわじわと迫ってくるような、そんな錯覚を覚える。
逃げたいわけじゃない。だけど、体が動かせなかった。まるで渚の笑顔に、縫い留められたみたいに。
「燈、大丈夫? また顔色悪いよ」
「……っ」
渚の手が頬に触れ、反射的に少しだけ身を引いた。冷たい。血が通っていないのではと思うほど冷たい。それでも不思議と体の中は次第に熱を持っていく。ぽかぽかと、心地の良い暖かさになっていく。優しくゆっくりと撫でる手つきは、まるで自分が何よりも大切にされているような錯覚を覚えさせ、肩の力が抜けていく。
思考が自分に都合のいい方に巡っていく。ダメなのに、このままでは絶対ダメなのに。
それでも──。
いつも俺を安心させてくれる手。ありのままの俺でいさせてくれる手。
生き霊だろうがなんだろうが……渚は俺のたった1人の親友なんだ。
「……いいよ。一緒にいよう。2人で」
気づけばそんなことを呟いていた。言霊ってあるのだろうか。あったらいいな。そんな気持ちで、呟いてしまったのだ。
渚は、途端に心底嬉しそうな笑顔を浮かべる。その笑顔に、もう違和感はない。幸せそうな渚の顔を見れば、自動的に充足感を得てしまう。俺たちはずっと、そうやって生きてきたから。
こうして、俺たちは叶うはずのない約束をしたのだ。
隣にはすーすーと規則的な寝息を立て眠る渚がいた。
もう一度瞳を閉じてみる。頭をぶんぶんと横に振ってから、ゆっくりと、ゆっくりと瞳を開けた。
「おはよ」
「ぅわっ!」
目の前に彫刻のような整った顔があり、思わず大きな声が出る。
「……ふっ。何、今の声。寝ぼけてるの?」
「……いや、まぁ、うん。そうかも」
「もう少し寝れば?」
「いいよ、もう十分寝た」
ベッドで横並びになり、まだ少し重い瞼を擦りながらくだらない話をする。
あまりにも日常だ。
意識ははっきりしているし、夢特有の違和感もない。どうやら夢オチの線は薄そう、そう思いかけたところで、1つの可能性に気がついた。
「渚。昨日のこと、覚えてるか?」
「昨日? 俺が幽霊になったこと?」
「……まじかよ」
ゴール直前から、一気にスタート地点に戻されたような気分だ。夢ではないなら、現実なのか。それとも現実の中で俺が見ている妄想なのか。頭の中は、かつてないほど、こんがらがっている。
「……どうすっかな」
「何が?」
「これから、だよ」
「ご飯食べる?」
「……そういうことじゃねぇよ。てか食えんのかよ」
この予想できない返答の感じ、やっぱり普通に渚な気もしてしまう。妄想だとしたら、俺の渚への解像度が高すぎる。
「まじで俺以外とは話せないの?」
「ここ来るまでに何人かには声かけてみたけど、誰も気づかなかったよ」
「へぇ、偉いじゃん。自分から話しかけるなんて」
「……今回は仕方なく、だよ。どういう状況か把握したかっただけ」
不満気に少しむくれる渚に、思わず笑いがこぼれる。
「最初から幽霊の自覚あったんだ」
「うん。ベッドに寝てる自分、見てきたし。あー、これが幽体離脱ってやつかって、ちょっと感心しちゃった」
「お前の度胸だけは尊敬するよ……」
「ありがと。でも、燈とは話せてよかった。これなら幽霊生活も退屈しないよ。いつもと同じ」
強がっているような感じでもなく、渚はあくまで淡々と続ける。
「だからさ、そんな深刻に考えないでよ。好きなだけ話して、眠くなったら寝て。暇になったらゲームとかもしてさ。いつも通りでいいじゃん」
「渚……」
渚の瞳は少しも揺らぐことはない。まっすぐに、まっすぐに俺の瞳を射止める。
きっとこれは渚の嘘偽りのない気持ちなのだろう。気を遣ってるわけでも、自分に言い聞かせているわけでもない。まっすぐで、純粋な気持ち。
「燈は嫌? 俺のこと怖い?」
「そんなわけない!」
反射的にそう答えれば、渚は静かに口角を上げる。
「じゃあいいじゃん。せっかくだから、この時間を楽しもうよ。なかなかできる経験じゃないし」
「でも、お前このままじゃ、どこにも行けないし、他の人と話すこともできな──」
「燈がいればいい」
重くはっきりとした声に、ぴくりと肩が揺れる。少しだけ、空気が薄くなった気がした。
「ねぇ、燈」
「……なんだよ」
「ずっと俺と一緒にいてよ」
「え……?」
「ずっと、2人でいようよ」
そう言って、渚は静かに笑う。
渚から放たれた言葉が、部屋の空気に溶けずに残った気がした。渚の笑顔は相変わらず綺麗だ。
作り物のように美しい笑顔。
それなのに、視線が交わった瞬間、足がすくんだ。
真っ黒な瞳。まるで光を受けつけないような、深い深い漆黒。どこまでも闇が続いていそうな、そんな気味の悪さを感じ、ごくりと唾を飲み込んだ。
窓から隙間風が入ったのだろうか。寒気が止まらない。
怖がる必要なんてない。頭ではそうわかっている。だって、渚の言葉はいつだってまっすぐだ。
なんだかんだ寂しがり屋なやつだから、本当に俺にいてほしいだけなのだろう。そうわかっているのに、どこか違和感があった。言語化できない違和感。いつも通りのようで、やはり何かが違う感じ。この感覚はなんなのだろうか。
壁が、天井が、じわじわと迫ってくるような、そんな錯覚を覚える。
逃げたいわけじゃない。だけど、体が動かせなかった。まるで渚の笑顔に、縫い留められたみたいに。
「燈、大丈夫? また顔色悪いよ」
「……っ」
渚の手が頬に触れ、反射的に少しだけ身を引いた。冷たい。血が通っていないのではと思うほど冷たい。それでも不思議と体の中は次第に熱を持っていく。ぽかぽかと、心地の良い暖かさになっていく。優しくゆっくりと撫でる手つきは、まるで自分が何よりも大切にされているような錯覚を覚えさせ、肩の力が抜けていく。
思考が自分に都合のいい方に巡っていく。ダメなのに、このままでは絶対ダメなのに。
それでも──。
いつも俺を安心させてくれる手。ありのままの俺でいさせてくれる手。
生き霊だろうがなんだろうが……渚は俺のたった1人の親友なんだ。
「……いいよ。一緒にいよう。2人で」
気づけばそんなことを呟いていた。言霊ってあるのだろうか。あったらいいな。そんな気持ちで、呟いてしまったのだ。
渚は、途端に心底嬉しそうな笑顔を浮かべる。その笑顔に、もう違和感はない。幸せそうな渚の顔を見れば、自動的に充足感を得てしまう。俺たちはずっと、そうやって生きてきたから。
こうして、俺たちは叶うはずのない約束をしたのだ。

