愛しい君は、生き霊になっても俺を離さない。

「おい」

 声をかけると、金髪眼鏡が振り返る。高校時代から変わらない容姿は、何か特別なこだわりがあるのだろうか。まぁ、あまり興味はないけど。

「お前な、名前くらい呼べよ。おい、で振り返った俺を褒めて欲しいわ」
「行くなら早く行こうよ。時間、もったいない」
「……ったく、相変わらずマイペースなやつ。店、こっち」

 やれやれと何やら独り言を言いながら、佐藤が前を歩く。面倒臭いが、悪い奴ではない……のだと思う、多分。
 燈が死んでから、唯一、長い付き合いの奴。
 廃人のようになった俺に、しつこく構ってきた変わり者だ。

 ──燈にお前のこと、任されてるから。お前をちゃんとさせないと、燈に怒られそうだ。

 そう言われた時、少しだけ感情が動いたのを覚えている。燈が死んでも、燈の面影を感じることができるのだと。燈はまだ俺を救ってくれるんだと。それが嬉しくて、やはり寂しくもあった。

「おーい、渚くーん。自分の世界にいくなよー」
「……別に行ってない」

 と、言いながらもトリップしていた心を現在に引き戻す。少しは良い人間になろうと努めているが、どうも佐藤の前だと高校生の時の自分に戻りがちだ。
 騒がしい小さな居酒屋で佐藤と飲むのは、もう何度目かになる。軽くグラスを突き合わせてから、佐藤が話し始める。

「最近、どうなのよ」
「何が」
「仕事とか恋愛とか、なんか色々あんだろ」
「別に何も変わってない。平日は働いて、土日は燈に会いにいってる」
「……そうかよ」

 佐藤が何か言いたげに、ビールを煽る。

「なに、なんか変?」
「変……ではないけど。変わらないなって思って。お前ら」
「ら? 俺と誰」
「ふっ、そんなの燈に決まってんだろ」

 佐藤の言葉に首を傾げた。

(俺はまだしも、燈?)

 いない人なのだから、変わりはしないだろうと思いながら、多分そういうことではないんだろうと察しがついた。とはいえ、言葉の意味を理解することはできない。
 眉根に皺を寄せれば、佐藤はどこか楽しそうに続けた。

「割って入れない感じ。お互いが特別。渚の生活に干渉できるのは、今も燈だけだ」

 なるほど、と思った。確かにそうかもしれない。今でも俺が弱みを見せられるのは、甘えたくなるのは、燈だけだ。
 でも、

「燈はどうだろう……。きっと空の上で自由にやってると思うけど」
「俺はまだお前のこと見張ってると思うけどな。お前が思ってるより、あいつは重い男だ」
「燈をわかった風に言わないで」
「……そういうとこだぞ」

 佐藤の言葉はあまりピンとはこなかった。でも、たまには俺のことを思い出してくれていたらいいなと思った。ずっとじゃなくていいから、時折思い出して、笑っていてくれればいいなと。
 
「……今だから言えるけどさ、俺お前らのことちょっと怖かったんだよ」

 佐藤は少しだけ真剣なトーンに変えて、そう切り出した。

「2人だけの世界を作り上げてる感じが。なんていうの、どっちかが犯罪起こしたら庇っちゃいそうな感じ。そんで2人で、どっかいっちゃいそうだなって」
「…………そんなこと、しないと思う……けど」
「怖いから即答してくれますか?」

 犯罪、ではないけど似たようなことをしたとはとても言えない。俺は燈と一緒にいれるなら、どんな姿でも、どんな環境でも良いと思う。今でもそれは変わらない。
 
「……まぁ、だから、心配だったよ。燈が死んだ時は。お前も追っかけるんじゃないかって」

 ざわつく店内の中、俺たちの席だけ静かな空気が流れる。
 佐藤が直接的に燈の死に触れることは珍しい。何か言いたいことがあるんだろうなと思った。

「たまに車が突っ込んできたらいいのにとか、俺にだけミサイル落ちてこないかな、とかは思ったよ」
「こえーよ」
「でも、自分から死ぬ気はなかった。燈と約束したから」

 そう言えば、佐藤は一瞬目を丸くしてから、ふっと笑いをこぼした。何がおかしいのか、けたけたと楽しそうに笑い出す。

「笑うとこじゃないんだけど」
「くっ…いや……ごめん、でも、面白くて!」
「何が?」
「あいつすごすぎだろ! こんなとこまで調教済みとは!」
「ちょっと、その言い方やめてくれる」
「ふっ、はは!」

 佐藤は耐えきれないと言った感じで、思いっきり笑い声を上げた。笑いすぎて涙目になっている。

「笑いすぎ、最悪」
「ごめん、ごめん、怒るなって!」
「痛い、肩叩くな」
「ほんと、お前らすごいわ。ここまでいくと」
「別になんもすごくないでしょ」
「いや、すごいよ。誰がどうやっても、お前たちは離せなさそうだもん。なんか当たり前に、
来世でも一緒にいそうだよ」

 今度は俺が目を丸くした。
 来世。
 その響きがおかしくて、温かくて、思わず笑みが溢れる。

「お前、良い奴だな」
「えっ、なに、怖いんだけど」

 なんとなくずっと心の奥底にあったもやが晴れた気がした。
 

 アパートの部屋に戻り、押し入れを開ける。
 奥の方にある箱を手に取った。あの日からずっと手をつけていなかった真っ黒のパズルだ。
 箱を開ければ、あの日のままの状態でパズルが置かれている。真ん中だけぽっかりと空いたまま。
 完成させるのがなんだか怖くて、ずっとそのままにしていたのだ。
 たまに眺めることはあった。燈がいなくなってからの、俺の世界そのもののように見えて。

「よし……やるか」

 腕のシャツを捲って、ピースに向き合った。1つ1つ取り、外側からはめていく。
 あんなに嫌だったのに。今日は驚くほど、指先が軽い。
 パチリ、パチリとはめていく。その度に、あの日、あの場所での燈を思い浮かべた。

(燈、めちゃくちゃこのパズル下手だったな)

 空中で手を彷徨わせたかと思えば、首を傾げ腕を下げる。それを何度か繰り返し、ほとんどはめることができない燈を見ているのは、心底楽しかった。

(今日こそ、俺が完成させるからね)

 裏返しになっているピースをひっくり返しながら、どんどんと黒い範囲を広げていった。
 残り10ピースほどになった。さらに一つひっくり返したところで、手が止まる。
 思わず、えっ、と声が出た。
 真っ黒だと思っていたそのピースの端には、ごくわずかに、鮮やかな色がプリントされていたのだ。
 不思議に思って、残りを全てひっくり返した。

「なに、これ」

 残りのピースには全て色がついていた。端だけ色がついているものもあれば、ピース全体に色がついているものもある。
 不思議に思いながらも、ピースをはめていった。
 パチリパチリとはめながら、だんだんと全貌が見えてくる。腹の底が熱くなっていくのを感じる。
 そして最後の一つ。
 震える手でピースを持ち、真ん中にはめた。

「……なんだよ、これ」

 瞳から涙が溢れた。
 真っ黒な盤面の中央には、小さな『太陽』のような丸が浮かんでいる。
 震える指でその輪郭をなぞった。
 それは、燈と別れた時の、あの朝日の色と同じだった。
 心の中の燈に、そっと話しかける。

 ──燈、寂しいよ。でもね、最近は燈に会えるのが楽しみになってきたよ。だから、俺はもう大丈夫。

 不意に、温かい風が頰を撫でた。
 窓も扉も開いていない。
 少しだけ泣きそうな、だけど幸せな気持ちで目を細める。
 もう一度、温かくて優しい風が吹いた気がした。

「……大好きだよ。またね、燈」

 誰にも聞こえない声でそう呟いて、しっかりと前を向いた。