愛しい君は、生き霊になっても俺を離さない。

 風に揺れる木々のざわめきが、静かな霊園に響いている。
 墓石に水をかけ、買ってきたばかりの花を供え、静かに手を合わせた。

「……そっちはどう、燈」

 目を閉じると、今でもあの旧校舎の冷たい空気と、燈の笑顔が鮮明に蘇る。
 不思議な3日間。寂しくて、切なくて、少しだけ楽しくて。絶対に忘れることがない3日間。
 俺と一緒にいるために、そう言って燈が部屋を飛び出していった時のことを、今でもよく思い出す。
 愛しさからか、後悔からか。それはわからないけど。
 あんなに「行かせない」と狂ったように縋り付いたくせに、俺はあの時、開かれた扉の先へ行くことができなかった。
 本当は、自分でもわかっていたんだと思う。
 自分の体がもうすぐ消えてしまうことを。もうすぐ、燈が見えなくなってしまうことを。
 そして、心の奥底にずっとへばりついていた、ひどく冷たい罪悪感。
 俺が人間に戻って、幽霊になった燈の姿が完全に見えなくなってしまったら。
 燈は自分が死んだことも忘れたまま、あの部屋に取り残されてしまう。
 俺の声も届かず、俺の姿に触れることもできず、自分が死んだことにすら気づかないまま、ただ一人で永遠に彷徨い続けることになる。
 俺の身勝手な執着が、燈から『成仏』という最後の救いすら奪ってしまうんじゃないか。
 それならいっそ、燈自身が死を自覚して、未練なく成仏してくれた方が、幸せなんじゃないか。
 頭の片隅には、そんな考えがずっとあった。
 それでも、燈が目の前にいると、温かい声で笑いかけてくれると、どうしても無理だった。他のことなんて、全てどうでもよくなるくらい、ただ一緒にいたくて、無意識のうちに俺は燈の自由を奪おうとしていた。
 でも、俺を真っ直ぐに見た燈の瞳と、扉が開いて差し込んだ外の空気に触れた瞬間、どうしていいか分からなくなってしまった。
 燈を永遠に縛り付けたいという真っ黒な欲望と、燈を解放してやらなきゃいけないという葛藤がぐちゃぐちゃに絡み合って、俺は床に崩れ落ちたまま、どうしても立ち上がることができなかったのだ。
 
「ごめんね、燈」

 ここにくると、どうしてもあの日のことを思い出して、いつも謝ってしまう。
 燈はきっと、何に対してだよ!って怒っているだろう。
 自分でもわからない。あそこまで縛り付けてしまったことへの謝罪なのか、あの時追いかけられなかったことへの謝罪なのか。
 考え出すと、キリがなさそうなので、切り替えるように微笑んで話しかける。

「明日から仕事なんだ。連休明けは嫌になるね。でもサボらずちゃんと行くよ。褒めてほしい」

 26歳になり、多少は大人になったとは思うが、燈の前ではいつもこうだ。頼り甲斐があって、優しくて、かっこよくて、可愛い燈。
 最低な世界の中で、俺にとっての唯一の光だった。生きる意味だった。
 事故から目が覚めた時の絶望感も、今でも鮮明に覚えている。
 白い天井。消毒液の匂い。
 体中が鉛みたいに重くて、頭を動かすのも億劫で、何もしたくなかった。
 だって、燈はもういないのだから。
 ベッドの上で名前を呟くと、自然と涙が溢れた。
 当たり前に返事がないことが寂しくて、寂しくて。少しだけ恨めしかった。
 燈はいつもそうだったから。
 辛いことを笑顔で受け入れて、先に行ってしまう。置いていかれるこっちはたまったものじゃない。
 でも同時に、どこか安堵もあった。目の前にいると、手放すことができないから。成仏できたのならば、天国で幸せに暮らしてくれているのならば良いなと。そう思った。
 まぁ寂しいものは寂しいけど。
 あの日から、心にぽっかりと大きな穴が空いてしまったようだ。
 それでも、俺は生きていく。
 生きていかなければならない。
 
「じゃあ、また来るから」

 笑顔で言って立ち上がる。最近ようやく燈の前で自然に笑えるようになってきた。
 寂しさは変わらない。多分、ずっと。
 ただ、なんとなくわかってきただけだ。燈は俺に笑っていてほしいんだろうなと。
 そう考えられる程度には、成長したのだ。
 
「……行くか」

 この後会う人物を思い浮かべ、少しだけため息が出た。でも燈に報告したら喜ぶだろうなと、そう思って歩き出した。