愛しい君は、生き霊になっても俺を離さない。

「……っ」

 頭が割れるような痛みに耐えながら、目を開けた。あの時の光景が、感覚が、まざまざと蘇る。
 地面を見れば、黒ずんだシミがある。
 これは雨のシミなのだろうか。
 座り込んだまま、電柱の前の花を見た。
 飲み物。お菓子。
 誰が供えてくれたんだろう。よく見れば、俺が好きな物ばかりだ。

「……そっか」

 声が出た。
 自分の声なのに、なんだかどこか遠いところから発した声のように感じた。
 しばらく、そこから動くことができなかった。
 夜が、少しずつ明けていく。鳥が鳴き始めた。
 どこかで車のエンジン音がした。
 世界が、動き始めていく。
 俺だけが、取り残されたまま。
 
 一体どれくらいそこにいたのだろう。もはや時間感覚も曖昧だ。
 ふと、足音が聞こえた。
 顔を上げる。
 いつもより乱れた金髪が、交差点の向こうから歩いてくる。
 手にはコンビニの袋を持っている。
 
(……佐藤)

 佐藤は、まっすぐにこちらに向かってきて、電柱の前で立ち止まった。
 声をかけようとは思わなかった。視線が一度も合わない時点で、答えは分かりきっているから。
 佐藤はコンビニの袋から、オレンジ色のグミを取り出した。俺が1番お気に入りのグミだ。
 しゃがみ込み、電柱の前にグミを置いてから、手を合わせた。
 柄にもなく真剣な表情で、しばらく目を閉じていた。
 それから、顔を上げた。
 その顔を見て、息を呑む。

「……ばかやろう」

 佐藤の瞳から、とめどなく涙が溢れていく。こんなに綺麗に泣くこともできるのか。こんな状況なのに、少しだけ感心してしまう。

「渚も、まだ目ぇ覚まさないし。おまえら2人ともばかだよ……」

 搾り出すような、苦しそうな声で続ける。

「……最後まで2人で完結しようとしてんじゃねぇよ。……そんなの……そんなの絶対許さないからな」

 どきりとした。
 その言葉の意味を、正しく理解しなければならないと思った。

「……俺じゃ無理だったのかな。もっと踏み込めばよかったのかな……」
「さ、さとう……」

 思わず言葉が溢れた。震える肩に触れようとして、虚しく空を切る。
 現実を突きつけられていく。
 自分の死。自分の過ち。

「……ほんと、お前たちらしいよ。お互いを守ろうとして……。でも俺は……お前に生きててほしかったよ、燈……」

 それだけ言って、佐藤は立ち上がった。再びないはずの心臓が、握りつぶされているかのように痛んだ。いつの日かの、佐藤との会話を思い出す。

『お前と渚ってさ、なんか見てると怖いんだよな』
『は?』
『危なっかしいっていうかさ。お前らあんまり2人だけで変なこと考えんなよ』
『変なことってなんだよ』
『まぁいいや。俺も渚と仲良くなれるように頑張るし』
『まためんどくさそうに、あしらわれんじゃねぇの』
『めげないところが、俺の強みなんですー!』
『まぁ、嬉しいよ。渚と仲良くしようとしてくれてんのは』
『はっ、どうだか。まぁとりあえず、お前ら2人だけで色々決めんなよ。新しい風入れないと、いつか腐ってじめじめになるぜ。ほら、この前解散したアイドルグループみたいに』
『ふっ! なんだよそれ』

 あの時の何気ない会話が、今はとても重く心にのしかかる。
 死んでるはずなのに、どうしてこんな感情は残っているんだと、誰に向けていいかわからない怒りとやるせなさが湧く。
 佐藤は、よれた服の袖で顔を乱暴に拭いてから、もう一度、電柱を見た。

「また来るわ、燈。渚のことは俺に任せとけ。絶対そっちには行かせないから」

 笑顔でそう言ってから、佐藤は歩いていった。背中がどんどん小さくなっていく。

「ははっ……! かっこよ……」

 そう言って、笑いが溢れた。
 こんなに身近にいたのだ。ちゃんと俺たちを大切に思ってくれて、頼り甲斐のある奴が。
 今になって、ようやくわかった。
 冷たい風が、少しだけ暖かくなった気がした。

「俺も、渚と向き合わなきゃな」

 見上げれば空は明るくなりかけていた。もうすぐ朝が来る。
 不思議ともう、怖くはなかった。