カガミ

第三章
 和と出会ったのは小学五年生の頃だった。彼は親の都合で転校を繰り返しておりここでもう三つ目の学校になるらしい。挨拶の時も最低限しか話さずそのまま席に着いた。小学生と言うのは好奇心の塊で少しでも珍しい要素があるとすぐに食いつく。例えばどこから来たの、とか好きなものは何、とか。
 しかし和は曖昧な回答しかしなかった。生まれは神奈川県だけど引っ越し続きでほとんど覚えていない。趣味はない。あえて言うなら読書くらい。そんな回答ばかり続けて三日も経てば彼の周囲に群がる生徒はいなくなった。小学生は好奇心旺盛と同時に残酷なものである。興味のない、面白くない存在と分かればあっという間に離れ別のところに飛んでいく。
 だがそれがなんとなく嫌だった。
「長谷だっけ」
「えっと……」
 クラスメイトはざっと四十人ほどいる。まだ全員覚えているわけがないだろう。
「俺は司。よろしくな」
「……長谷和です」
「なんて呼んだらいい?あだ名ってあった?」
「ずっと名字で呼ばれていたからあだ名なんてない」
「じゃあ和って呼んでいい?」
「いいよ。あの……」
 和は目線を教室の床に向ける。なんとなく次の言葉が分かった。
「俺のことは司って呼んで」
「えっと……司くん」
「くん付けなんていいって。司でいいよ」
「……分かった、司。よろしく」
「よろしく、和」
 それが和との最初の会話だった。

 和は相変わらず孤立していた。自分から声をかけることはせず、ひたすら図書室で借りた本を読んでいた。声をかけられるのを恐れているようにも見えた。それがもしもいじめなら成敗しないといけないが、クラスでそういう雰囲気になっているようにも見えなかった。ただドッジボールをするのに一人足りない。じゃあ誰を呼ぶ。近くに長谷がいるじゃん。いいよ、誘ってもこないし他を探そう——。
 明らかに接点が減っている。このままでは彼は一人ぼっちだ。きっと悲しいに違いない。ならこちらから話しかけなければ。
「和、今日放課後空いているか」
「今日は塾なんだ」
「そうか、じゃあ明日は」
「空いているけど……塾の宿題があるからあんまり遅くまでは無理」
「分かった。じゃあ明日の放課後玄関で待ち合わせな」
 そして翌日の放課後になった。玄関近くの下駄箱には誰もいない。あの後和以外も誘ったが予定が合わないだとか、和が参加することにいい顔をしない者もいて結局自分一人になった。そして和は来ない。忘れてしまったのだろうかと中を見ると人通りが少なくなった廊下から一人の少年が歩いてきた。
 和だ。
「遅いじゃないか」
 声をかけると和はなぜか驚いた表情を浮かべる。きょろきょろと周囲を見回し、声をかけられたのが自分だと分かると口を開けるが音が出ていなかった。
「どうした、もしかして宿題忘れたのか」
 たった数日でも分かる彼の勤勉ぶりからそれはあり得ないことは分かっていた。しかし彼は何度か喉から音を漏らし、ようやく声を発する。
「本当に約束してくれていたの……?」
「約束だから当然だろう」
 彼の発言の意図を理解できなかった。しかし彼の表情を見て思わず黙ってしまう。
「嬉しい……」
 和は初めて微笑んだ。ずっと無表情で、長い前髪の後ろで何を考えているか分からず黙っていた彼にも笑顔になる瞬間はあった。それは自分含め他の小学生と変わらなかった。やっぱり声をかけてよかった。
「何言ってるんだよ。当たり前の事をしただけだ。それより公園近くのスーパー前にあるガチャガチャ知ってる?あそこパワースポットなんだぜ」
「どうして?」
「レアシールが貼ってあるんだよ。見に行ったらいいことあるって」
 初めて和と話した。思いのほか知識があり、他のクラスメイトと違って大人びて見えた。
 翌日席に座っていると珍しく和が近づいてきた。
「昨日はありがとう」
「何かしたっけ」
「いろいろ連れて行ってくれた」
「ああ、ガチャ横?あんなのここに住むんなら知ってなきゃ」
「ふへへ」
 また笑った。このままみんなと仲良くなればいいのに。その後も彼と時々話したが、和と仲良くなろうとする者は自分以外現れなかった。しかし彼はいろいろと話を合わせてくれるし新しい知見を与えてくれる。
 和は昼休みになるとよく図書室にいた。
 最初は本が好きなのだろうと思っていたし、実際そうなのだと思う。けれど、少し見ているとそれだけではないことも分かってきた。図書室は静かだ。本を読んでいれば一人でいても不自然ではない。誰かと話さなくても、何をしているのか説明しなくてもいい。そういう場所だから、和にとって都合が良かったのかもしれない。
 別にいじめられている訳ではない。誰かに悪口を言われているとか、わざと席を取られているとか、そういうことはなかった。ただ気がつくと和の周りには誰もいない。それだけだ。
 だが子供の世界ではその「それだけ」が案外重いものなのだ。
 ある日の昼休み、外で遊ぼうと教室を見回したが和の姿がなかった。どうせ図書室だろう。そう考えて向かうと、案の定窓際の席に座って本を読んでいた。
 厚めの本だった。表紙には戦う剣士の絵が描かれている。いかにも冒険が始まりそうな本だ。
「和」
 小声で呼ぶと和の肩が小さく跳ねた。図書室なので大きな声は出していないが、それでも驚いたらしい。
「……司、いたの」
「何を読んでいるんだ?」
 和は少し迷ってから、本の表紙をこちらに向けた。あまり聞き慣れない横文字の題名だった。何巻かあるシリーズらしく、近くの本棚には同じような装丁の本が並んでいる。
「面白い?」
「面白いよ」
「それシリーズ?何巻目?」
「二巻目」
「じゃあ俺も読もうかな。一巻はどれ?」
 何気なく尋ねると和は困ったように本棚を見た。つられて本棚を見るが同じ背表紙の本があるだけである。
「なるほど、これはシリーズ一巻目とか書いてない本なんだな。だからどれが一巻目か分からないんだ」
「それは違う」
和は即座に否定する。こんなに早いのは珍しい。
「一巻はもう借りられているんだ」
「人気なんだな。全部で何巻あるんだ?」
「七巻まである」
「へえ、そうなんだ……ん?」
本棚の本を数えて違和感に気がつく。一巻は借りられている。和が一冊持っている。つまり残り五冊無いといけないのに、目の前にあるのは四冊である。
「あれ、間がないじゃん」
「うん」
「貸し出し中?」
「たぶん。でもずっとないんだ」
「ずっと?」
「うん。多分タイミングが悪いんだと思う。返ってきてもすぐ誰かが借りていくのかもしれない」
 和はそう言うが、どこか諦めたような口ぶりだった。別に誰かに隠されている訳ではない。人気の本ならよくあることだ。図書室の本はみんなのものだから、読みたい時にないことだってある。まあ三巻目だけ無いのは違和感があるので誰かが紛失した可能性が濃厚だろうが。
 だが和は何度も棚を見に来てその度にないことを確認しているのだろう。そう思うと少しだけ不憫に思った。
「司書の先生に聞けば?」
「そこまでしなくてもいいよ」
「読みたいんだろ?」
「読みたいけど……迷惑だろうし」
「なんで」
「なんでも」
 和は視線を落とす。正直よく分からなかった。読みたい本があるなら読みたいと言えばいいし、ないなら探せばいい。その頃の自分は本気でそう思っていた。欲しいものを欲しいと言うことに、そこまで迷う理由が分からなかった。
 和には和の事情があるらしい。
 無理に聞いても黙り込むだけに違いない。
「ところで和はその本の何が好きなんだ?」
 和は顔を上げる。予想外の質問だったのか、長い前髪の奥で目を瞬かせていた。
「何がって……面白いから」
「どう面白い?」
「この話、知らない世界に行くんだよね」
「異世界ってやつ?」
見るからに昔からありそうな本だが、展開はゲームみたいだなと考える。
「そう。クローゼットを抜けると全然違う場所と繋がっているんだ。動物と話せるし、妖精もいるけど怖いこともある。でもどんどん冒険が進んで面白いんだ」
「へえ」
「文字だけなのにその光景が頭に浮かぶんだ。クローゼットを開ければ本当にそういう場所に行けるんだと思える。そういうところが好き」
 思ったよりしっかりした答えが返ってきて驚いた。和は普段聞かれたことに短く答えるだけだ。趣味を聞いても「読書」としか言わない。ただそこに踏み込めば言葉が少しずつ出てきた。
「あとこの話、ライオンが出てくるんだけどね」
「ライオン?」
和は言葉を続ける。
「魔法の国を治めているすごいライオンなんだけど、最初から登場する訳じゃないのにすごく格好良いんだ」
「どう格好良いんだ?」
「主人公たちが間違えた時も見ている。すぐ助けてくれる訳じゃないけど、見捨ててはいないんだ」
 全部は分からないが、和にとっては大事なことなのだろう。
「でも続きがないから読めないんだな」
和は頷く。
「じゃあ、動物が出る話は好きか?」
「え?」
「図書室にはないかもしれないけど、近くの図書館だったらあるかもしれない。だったら割り切って図書室では他の動物がたくさん出る本を読めばいいんじゃないか」
 単純な発想だった。続きがないなら別の本を読めばいい。
「動物がたくさん出る本……図鑑は好きだけど、眺めるって感じかな」
「何かあるだろ。図書室だし」
「ところで、なんで動物の出る本限定なの」
「それ動物がメインなんだろう?」
「確かに人の言葉を話す動物は出るけど、人の方が多いよ」
「ややこしいな」
 和は小さく笑った。「ふへへ」みたいな空気が漏れるような笑い方だった。図書室だから声を出さないようにしているのか、それとも元からそういう笑い方なのかは分からない。けれど楽しそうだった。
「でも俺も読んでみたいし探そう」
 和は少し考え込む。
 その顔が真剣だったので、真面目に探さなければならない気がしてきた。二人で本棚の前に立つ。背表紙だけでは内容はほとんど分からない。一冊ずつ取り出して動物が出てきそうな本を探していく。自分は表紙を見てから中身を数ページ読んで本を戻すので確認に時間がかかる。
 一方和はどこを見れば効率が良いか把握しているらしく、表紙と裏表紙を見ると手際良く本棚に戻していく。しばらくして裏側にあらすじがある事に気がつき真似していく内に効率よく調べる事が出来た。
「これはどうだ」
 自分が抜き出した本の表紙には、切り絵のようなイラストで小太りの男と動物たちが描かれていた。鳥や犬や猿らしきものもいる。少なくとも動物はたくさん出ている。
「よさそうじゃないか?」
「本当だ」
 和は本を受け取り、裏表紙のあらすじを読む。最初は無表情だったが読み進めるうちに少しずつ口元が緩んでいった。
「面白そう」
「だろう」
「司、これ読んだことあるの?」
「ない」
「ないんだ」
「でも俺が見つけたんだから面白いに違いない」
「ふへへ」
 和はまた笑った。今度は少しだけ声を漏らす。近くの席にいた図書委員がこちらを見たので慌てて二人で口を閉じた。何故か和は本で口元を隠す。肩が小さく震えている。笑いを抑えているのだ。
「借りる?」
「借りてみる」
「じゃあその次借りよう」
「でも、司が思っているのとは違うかもしれないよ」
「違ったら別のものを探せばいいだろ」
「簡単に言うんだね」
「簡単だろ。本なんていっぱいあるし」
 和は本棚を見る。何冊も本が並んでいる。読んだことのない本も、興味がない本も、途中の巻がない本も、全部そこにある。
「沢山あるね」
 和は手元の本に視線を戻した。
 その表情は、読みたいシリーズの間がないと諦めていた時とは少し違っていた。欲しかったものが手に入ったわけではない。なくなっていた一巻や途中の巻が見つかったわけでもない。代わりの本を手にしている。それが思いのほか嬉しかったらしい。
「司はすごいね」
「何が」
「ない本を探すんじゃなくて、別の本を探してくれたんだもの」
「探すのが面倒だっただけだよ」
「でも何が好きなのか聞いてくれた」
 そう言われて少しだけ言葉に詰まる。
 別に大したことはしていない。何が好きなのか聞いて、動物が出るからという単純な理由で別の本を選んだだけだ。おそらく和が本当に好きな物とは少しずれている。
 それでも和は嬉しそうな顔をしていた。
「普通だろ」
「普通じゃないと思う」
 図書室で押し問答をしていると、つい声が大きくなった。今度こそ注意される。二人で慌てて頭を下げ図書室を出た。廊下に出た瞬間、和がまた笑う。
「怒られたね」
「和のせいだ」
「司の声が大きいからだよ」
「言い返すようになったじゃん」
 そう言うと、和は少し驚いたように目を開き長い前髪を摘む。
「……司と話していると思った事を言ってもいい気がする」
「当たり前だろう」
 思った事を言わない理由はない。だがそう話す彼は妙に大人びていて返事に困った。だから代わりに借りた本を指差す。
「読み終わったら感想教えろよ」
和はまた独特な笑い方をした。
彼は借りた本を大事そうに抱えて教室へ戻った。ただ本を一冊選んだだけだ。それでも彼の背中は来た時より少しだけ軽く見えた。
その後も、和とは時々本について話すようになった。彼は相変わらず自分から誰かの輪に入ることはなかったが、本の話をしている時だけは少しだけ口数が増えた。このまま少しずつ慣れていけばいい。
「司、あのさ」
そんなある日の放課後、和が声をかけてきた。もじもじと何か言いたそうにするがそれ以上声を出さない。彼から声をかけるなんて珍しい。
「どうしたんだよ」
尋ねても視線を泳がせるだけだ。自分から話しかけた癖に何がしたいんだと思いつつ提案してみる。
「このあと時間ある?いつもの公園行こうぜ」
和は黙って頷く。誘いたいならそう言えばいいのに、一体どうしたというのだ。
下駄箱で靴に履き替え公園に向かう。和は横で歩いているが何も話さない。気のせいか幾分空気が暗い。しばらく歩いていると急に和は立ち止まった。靴紐でも緩んだのかと思い振り返ると彼は真っ直ぐこちらを見つめていた。
「転校するんだ」
「え」
それしか声を出せなかった。既に三つ目の学校であと一年しかないのにまた転校する事実に理解が追いつかなかった。
「だからもう遊べない」
「待て待て、そんな急に」
「親はいつもギリギリまで教えてくれないからこうなるんだ。ごめんね」
当たり前のように別れを告げる。それが彼なりの精一杯の防御だった事にようやく気がつく。
仲良くすると別れが辛くなるからだ。
「分かった。悲しいけどしょうがないよな。向こうに着いたら連絡してくれ」
「……いいの?」
「当たり前だろう。友達なんだから」
和は目を一度開き、そのまま細めた。当たり前の事を話しただけなのに喜んで貰えるなんてこちらも嬉しい。
しかし子供は残酷だ。あんなに連絡すると話したのにたった一度だけ手紙を送って終わってしまった。住所まで教えて貰ったのに手紙を書くより、その日の宿題だとか友人と遊ぶ事の方に夢中になっていた。和は和でそれ以上連絡が来る事もなく、いつの間にかやり取りは終わっていた。

「そこで一度連絡は途絶えたんですか」
アサガオはコーヒーを飲む。録音は止まったままだ。
「そうです……話していて気がついたけど俺って結構薄情だな。あんだけ連絡するって言ったのに」
「珍しいことではありません。それに司くんは一度でも連絡しているだけ偉いですよ」
「でも和はそうじゃなかったかもしれない」
口にしてから驚いた。今までそこまで考えたことはなかった。
「そうですね」
アサガオは否定しなかった。
「司くんにとってごく短期間の友人だった。けれど和くんから見ても同じだったでしょうか」
「……大したことしてないですよ」
「どうですかね。何気ない一言が世界を救うなんて話もありますから」
「そこまで大事じゃないですよ」
アサガオは再び「どうでしょう」とだけ呟く。そして僅かに考える素振りを見せると口を開く。
「ここからの質問は失礼に聞こえるかもしれませんが、それでも聞いていいですか」
「失礼だと思うんですか?」
「踏み込み過ぎている質問だとは思います」
「でもカガミに——和に関係あるんですか」
「無関係とは言えないくらいです。もしかしたらただ個人情報を尋ねるだけになるかもしれない。それでも良いですか」
「解決する可能性があるなら大丈夫です」
アサガオは姿勢を正す。
「では聞きますが司くんはいつから人を避けるようになったんですか」
「は」
あまりに突拍子がなくて、それしか言えなかった。そしてぐるぐると頭の中で言葉を選びようやく口を開く。
「今はカガミの話で、なんだったら和の話をしていたじゃないですか。なんで俺の話が出てくるんですか。それに人を避けるだなんて……」
「不快にさせたら謝ります。これは勘も混ざっているので全てを証明出来るわけではありません。ただ今の君と過去の君は違いが多いです」
「何を根拠に」
「司くんのSNSを来るまでに見させて貰いました。今でこそホラーやオカルト投稿が目立ちますが初期の頃は最近流行りの店に行っただとか、友人とカラオケに行っただとか付き合いが多そうな投稿が見受けられます。例えるなら人の輪の中にいるような。そんな印象です」
「だったらなんですか」
「でもある日を境にめっきりそんな投稿は無くなり、代わりにホラー投稿が増えた。そういう友人が出来たと考える事も出来ますが、交流関係を減らすには理由が乏しい」
 ライターとしての能力か除霊師としての勘かどちらが働いているのか分からない。だが彼の観察眼は鋭く逃れることはできなかった。
「……そうですよ。俺は人を避けています」
観念した。隠しているつもりは無かったが、はっきり指摘されると痛いものがある。
「理由を伺っても?」
「話したらカガミの件、解決します?」
「分かりません」
そこは嘘でも解決すると言って欲しかった。だが嘘をつかない方が後々助かる事も事実だ。
「分かりました、話します。あれは中学三年生の頃の話です……」
誰からも信頼されて話せば分かり合えると本気で思っていた甘ちゃんが消える話を始める事にした。

 和がいなくなって小学校を卒業し中学生になった。この学校は受験で外に出る者以外は小学校からそのまま進学することが多く、同級生の大半はすでに知り合いだった。だから今まで通り困っている人がいれば声をかけ、揉め事があれば解決するよう尽力した。今にして思えばヒーロー気取りだったのかもしれない。
 中学三年生の夏にその事件は起こった。
 この学校では毎年秋に文化祭があり、必ずクラスTシャツを作る習わしがあった。クラスメイトの名前が全員分書いてあって、みんなで頑張ろうみたいな文言が書いてあるあれだ。正直いいデザインになることはほぼないが、団結力が上がるとかで長年作り続けているらしい。
当然自身のクラスもTシャツを作ることになった。自身はもう一人の同級生と共にクラスTシャツ係に選出された。一応印刷会社に頼むマニュアルはあったので、期日までに入稿すれば完成するのだがデザイン案で難航した。クラス全員の名前を一枚に入れるのではなく各自の名前だけ入れたいだとか、それだと平凡なデザインすぎるからこっちのもっと派手なデザインにしたいだとか四十人いればそれなりの意見が出る。しかし大変だがこの作業は嫌いではなかった。
みんなの役に立っている。勿論採用されない意見もあるが妥協案を出す。子供ながらに大人びたことをしていると慢心していた節もあった。
 そんなある日、クラスTシャツ係の同級生から相談を持ち掛けられた。その日はTシャツの代金を払う前日で集計をして担任に渡さなければならない日だったのでてっきりその話かと思ったが様子が違う。その顔は青ざめており一目で普通ではないことが分かった。人気のない所に移り話を聞くことにする。
「どうしたんだよ」
 話しかけても返事をしないのでもう一度問いかけると覚悟を決めたように口を開く。
「……実は集めたお金が見つからないんだ」
「え」
 それしか言えなかった。Tシャツは一枚千円する。もともと出席番号順に半々で集めようという話になっていた。
「いつ、どこで、何人分」
半分はこちらが持っている。残り半分を二十人分丸々無くしたとなれば大金になる。矢継ぎ早に質問をしてしまうが相手も混乱しているはずだ。深呼吸をして冷静さを取り戻すと改めて状況確認をする。
「無くなったって気が付いたのはいつ」
「はっきり分かったのはさっき。ただ数日集金袋を見ていなかったから本当はもっと前かも……」
 信じられないが事実が目の前にあることを受け止めなければならない。
「分かった。じゃあそこにはいくら入っていた?丸々入っていたわけじゃないよな」
 クラスメイトは首を横に振る。目の前が真っ白になった。もともとそれぞれ集め、その日の放課後に一つにまとめる事になっていた。
 思わず怒鳴りたくなるがそんなことをすれば輪を乱してしまうことになる。怒りを抑え目先の問題を考えることにした。
「まずは探そう。心当たりはない?」
「バッグとか、引き出しとか全部探したけどない。盗まれたのかも……」
 それは最も危惧していることだ。あの中に、もしくはこの学校にそんな悪行をするものがいるのだろうか。認めたくない。
「もう一回探してみよう。移動中に落としたのかもしれない。それでもなかったら交番に行って……」
「でもどうしよう。明日までに払わなきゃTシャツが作れない。作れても高い料金になる」
 割増料金がかかるのは分かっている。だからこんなに焦っているのではないか。
「そうするともう一つ考えなきゃいけないのが全員になんて説明するかだ。見つかればいいけど、無かった場合、全部話さなきゃいけない」
 必要な金額は総額四万円。足りない分は二万円。正直頑張れば払えなくもない額だが中学生が肩代わりするには重い。
「でも大丈夫。一緒に探そう」
 結局集金袋は見つからなかった。
 翌朝ホームルームで事実を話すことにした。
「管理していたのは俺たち二人です。俺にも責任があります」
お金を一時的に紛失した事、必ず見つける事、すべて話せば分かってもらえると本気で考えていた。それにこの子だけに責任を負わせるのは申し訳ない。
 しかし予想は違った。
 なんだ、この空気は。冷めたような、疑うようなどんよりとした空気。
「それってうちらのクラスだけTシャツ作れないって事?」
「そういう訳じゃない。見つけたら必ず」
「見つかってないなら作れないだろ」
 一気に場が荒れる事を察知したのか担任が止めに入った。おかしい。話せば分かるはずじゃないのか。
 その日は体育の時間があった。二人一組で競技を行うため近くにいたクラスメイトに声をかけた。
「話しかけんなよ」
 彼は小学生時代からの友人で何回も放課後に遊んだ仲だ。それなのになぜここまで冷たくする?
 別のクラスメイトに声をかける。結果は同じ。結局余った者と組むことになったが不快感を露わにされた。俺はそんなに悪いことをしたのか。
「無くしたのは二人のどっちかだろ。もしくは使ったとか」
 こちらを冷遇する空気は数日続いた。
 後日Tシャツ係の子のバッグの底から集金袋が見つかった。その子の鞄は大きなスポーツバッグだった。部活の道具も教科書も詰め込んでいて、机の横に置くたびに形が崩れていたものだ。鞄の底板が偶然外れ、奥に入り込んでしまった事が原因だったようだ。
 その子は翌日から学校に来なくなった。
 ほんの少しのミス。扱ったものの重さは決して軽いものではないが、その子は自らのミスを認めた。だから迷惑をかけられたものの、思いのほか腑に落ちた。だがこいつらはどうだ。
「司がそんなことしないって分かっていたよ」
「誰だよ、あんな噂流したの」
「ひどい奴だね」
 それで謝罪したつもりか。それで友人に戻ったつもりか。自分では何もせず、不利益を被れば騒ぎ立て、排除しようとする傲慢さを棚に上げ、被害者面を続ける輩ども。
 二度と他人なんて信用するか。
 そう思ったからといってすぐに行動が変わる訳ではない。学校は普通にある。教室に入ればクラスメイトも教師もいて当たり前の日常が進んでいく。こちらがどれほど腹を立てていても、周りはこちらの怒りなんて知りもせず動き続けるのだ。
 それが何より腹立たしかった。
 クラスメイト達は時間が経つにつれ、少しずつ以前のように話しかけてくるようになった。何事もなかったように肩を叩いてくる者もいたし、こちらの機嫌を伺うように話しかけてくる者もいた。中には気まずそうに「この前はごめん」と言う者もいた。謝れるだけまだ良いのだろう。それくらいは分かる。
 理解と納得は違った。
 謝れば終わりなのか。疑って傷つけた事など水に流せと言うのか。こちらが息を詰めて過ごした事はなかったことになるのか。
 とはいえ中学三年生は忙しい。受験が近づけば、クラスの空気も少しずつ変わっていく。文化祭の熱気は冷め、放課後は塾に行く者、部活を引退して急に勉強を始める者で分かれていった。その流れに紛れるようにして中学校を卒業し、高校生になった。以前より人と話す事をやめた。
 誰かと遊ぶ約束をしなくても、勉強があると言えば済む。誘われても課題や予習があるからとか、家でやることがあるとか言えば簡単に断れた。実際勉強はしていたので嘘ではない。
 だがそうして人との関わりを減らしていくと時間が余った。勉強だけをしていればよかったのだろうが、人間はそこまで単純に出来ていない。問題集を解いていても、ふとした瞬間に体育の時間の冷たい視線を思い出す。あの心無い発言をしたのは誰だっけ。思い出すのも腹立たしい。
 思い出すたびに胸の奥がざらついた。
 そんな時、たまたま動画サイトでホラー映画の切り抜きを見た。本当に偶然である。寝る前に何となく再生しただけだ。暗い廊下の奥に人が佇んでいたり、こちらに背を向けた女が立っていたりした。
 怖いがよくある映像だった。しかし同時にすっきりした。
 暗い画面の中にある恐怖は、こちらの怒りや苛立ちを別の方向へ引っ張ってくれた。画面の中で何かが出そうになると心臓が跳ねる。急に大きな音が鳴れば反射的に肩が動く。見終わる頃には頭の中を占めていた嫌な記憶を薄くしていった。
 それからホラーを見るようになった。最初は映画に手を出した。
 有名な作品を見て本格的にハマり邦画洋画問わず鑑賞した。最初こそ心霊系と縛りを付けていたが途中からホラーと銘打っていれば何でも見るようになった。古い作品でも出来が良いものもあれば、新しいのに途中で笑ってしまうほど雑なものもあった。
 だがそれで良かった。
 ホラーを見ている間は余計な事を考えずに済んだ。怖い、気持ち悪い。何が出るのか。どう逃げるんだ。次に誰が死んでしまうのだろう。
 我ながら性格が悪いとは思ったがクラスメイトの顔を思い出さずに済むのが楽だった。人間を信用するか否かがどうでも良くなる。
 そのうち怪談にも手を出した。
 まとめサイトに載っている短い話を、寝る前に片っ端から読んだ。嘘っぽいものも多かった。というより、ほとんど嘘だと思っていた。文章が下手なものもあれば、オチが雑なものもある。それなのに次の話へ指が動く。
 嘘か本当か分からない。その曖昧さが面白かった。
 現実の人間は面倒だ。言ったことをすぐ変えて空気に流される。都合が悪くなれば自分だけは特別だと驕り高ぶる。だが怪談は違う。少なくとも画面の中に書かれた文章は、そこにあるまま動かない。嘘なら嘘でいい。読む側がどう受け取るかを決めればいいのだ。
 自分で距離を決められるのが楽だったのだろう。
 やがて心霊番組や怪談朗読、ホラーゲーム実況などホラーとついていれば節操なく手を出した。深夜にイヤホンをつけて聞く怪談朗読は朝の目覚めを悪くしたが夢中になれる事は嫌いではなかった。ゲーム実況は人が叫ぶので時々鼓膜が破れそうになったが見ていて楽しかった。
 その頃にはもう、ホラーなら大体何でも見るようになっていた。
 心霊系やゾンビ系などそれぞれ違う面白さがあった。スプラッタは痛そうだが、作り物だと思えば見られる。幽霊ものは理屈が分からないから怖い。怪物ものは逃げ道を考えるのが面白い。悪魔や呪いの話はルールが不可解で簡単に解決できない。
 しかし、最終的に一番興味を持ったのは都市伝説だった。理由はいくつかあるが身近だったのが最大の要因だろう。
 古い洋館や悪魔より学校のトイレや駅のホームの方が自分の生活圏に近い。そのすぐ横に薄皮一枚隔てて別の世界があるように思えるのが良いのだ。
 他に挙げるとすれば具体的手順が書いてある事だ。例えば何時にどこへ行って何をすると何かが起こる。これは適当だが、こういう細かい条件があるだけで、急に本物のように見える。どうせ何も起こらないと思う一方で、もしもその通りにやったら何かが起こるのではないかと考えてしまう。手順が雑なら雑で何故そうなったのか想像するのが楽しい。手順が細かければ細かいほど、誰かが実際に試したのではないかと思えてくる。
 それが面白かった。
 怪談や映画は基本的に見るだけだ。
 だが都市伝説の中には、こちらから触れられるものがある。ひとりかくれんぼやこっくりさんなど危険だと書かれていても、本当に危険なのか確かめる方法がある。
 要するに怖いもの見たさだった。本当に何かが起こるのか。起こらないなら、なぜこんな話が広がったのか。起こったと言う人間は嘘をついているのか、それとも何かを見間違えたのか。考え始めると止まらない。
 そのうち試せるものは試すようになった。
 もちろん命に関わりそうなものや、他人に迷惑をかけるものは避けた。夜中に学校へ侵入するような真似はしないし、私有地に入る気もない。だが家の中で出来るもの、例えば鏡や紙やスマートフォンで済むものは一通り試した。
 結果は何も起こらなかった。せいぜい家鳴り音をラップ音と言い張る程度である。だが何も起こらないことも含めて面白かった。
 手順通りにやっている最中は、本当に何かが起こるかもしれないと思える。呼吸が浅くなり、部屋の音に敏感になる。冷蔵庫のモーター音や窓の外でバイクが走る音など普段なら気にも留めないものが急に意味を持ち始める。
 それは恐怖であり、同時に娯楽だった。
 儀式が終われば記録を残す。
 何時に始めたか。手順はどこまで守れたか。何か変化はあったかについて記載した。もしも何も起こらなかったら何もなかったと書く。そうして記録していくと何かを検証しているような気分になった。
 それが性に合っていた。
 ホラーはストレス発散だった。
 同時に、未知を覗き込むための窓でもあった。
 人間相手に抱えた苛立ちを、怖いものにぶつける。分からないものを分からないまま観察する。何も起こらないと笑い、少しでも変なことがあれば記録する。
 そうして気がつけば、ホラーはただの暇つぶしではなくなっていた。自分の中で、世界と距離を取るための手段になっていた。
 夢中になれる趣味さえあればいい。
他人に期待しなくても、怖い話はいくらでもある。
 誰かを信用しなくても、都市伝説の手順はそこに書いてある。
 そうして徐々に人との関わりを減らしていった。

「——なるほど。それは人間不信になりますね」
 アサガオは思いのほか軽く話す。他人の不幸など気にしないタイプかと思ったがおそらく逆だ。下手に同情されることが不快であることを理解している。
「司くんはよくその状況に耐えられましたね」
「中学三年生って受験の時期なのであんまり暇をしている余裕ないんですよ。だからみんな勉強が忙しくていじめには発展しなかったですね。それが不幸中の幸いです」
「相手を傷つける者の言葉に耳を傾けなくてもいいんですよ」
 それはオカルトライターや除霊師としての言葉に聞こえなかった。大人としての助言に聞こえた。
「なんか意外です。フォローしてくれるんですね」
「冷酷無比だとでも思っていたんですか」
「そこまでは言ってないです……でも、そう聞こえたならすみません」
「こちらも司くんのプライベートに足を踏み込んでいるのでお互い様です。ところで気になるところがあるので状況を整理してもいいですか」
 アサガオはメモ帳を取り出しテーブルの上に広げる。真っ白なページにペンを走らせていた。一本の横線を引いたかと思えば左端に小五、右端に現在と記す。
「これは司くんの年表です。事件があった中学生時代は大体真ん中にしときましょう」
 男はそう話しながら線の中央に中三と記入する。我ながら嫌な年表だ。
「和くんと出会ったのは五年生の頃。しかしその期間は一年も満たない」
 左端から一センチくらいのところにマークを付け、そこから弧を描くように線を繋ぐ。
「念のため確認ですが半年前に再会するまでにどこかで和くんと会いましたか」
 首を振って答えるとアサガオはペンを置く。
「和くんの憧れている司くんってもしかして小学生時代の司くんではないですか」
「はは、まさか」
「誰にでも声をかける事ができる明るい子。人の輪の中に入ることが得意。響きだけなら憧れるにも無理はない」
「そんな訳ないですって。だって今の俺を知ってるんですよ」
「第一印象はそうそう変わりません。それに和くんに対して冷たい態度をとりましたか」
 それはしていない。する必要がないからだ。
「つまり和くんの中の司くんは小学生時代と同じなんだと考えられます」
「……だから何だって言うんですか」
「カガミの話です。和くんはとりつかれたんですよね」
「……そうだと思います」
「もしかしたら彼はカガミではなく司くん像にとりつかれたのかもしれない」
「はあ⁈」
 思わず大声を出してしまう。周囲の客の視線が一斉に集まり痛い。
「お静かに」
「……すみません。でもどういう意味ですか。俺にとりつかれた?意味が分からないです」
「今は断定できません。それに説明が難しいんですよね。面倒でなければ和くんと再会した半年前の出来事についても伺いたいのですが」
「それは関係あるんですか」
「予想通りなら」
 そう言われると拒む理由はなかった。未だ信じきれないところもあるけれど、一人で解決できるとは思わなかったからだ。

 和と再会したのはまだ冬の頃だった。もう少しで春休みかという時に一本のメッセージが入った。
『こんにちは。ホラー好きとプロフ欄に記載されていたのでフォローしました。よろしくお願いします』
 SNSでそんな丁寧に挨拶することも珍しい。詐欺アカウントではないかと疑いながら相手のプロフィールを確認すると「はじめまして。ホラー好きです。よろしくお願いします」としか書かれていなかった。本人の投稿は少なく、他のオカルトアカウントの共有がメインだった。アカウント名は「777」と表示されていた。スリーセブン、縁起がいいので適当につけただけかもしれない。今のところブロックするまでには至らなかったので最低限の返事だけすることにした。
『フォローありがとうございます。ホラー好きなんですね。どんなものがお好きなんですか』
 一時間もしないうちに返信が来た。
『実はネット都市伝説が好きです。読むのも好きだけど試せるやつが特に気になります』
 少し興味がわいた。手早くフリック操作をすると返信を入れた。
『具体的に好きなものはありますか』
『ひとりかくれんぼとか、きさらぎ駅とか。実はまだハマりたてなので王道しか知らないのですが、読んでいるとあっという間に時間が過ぎます』
『分かります。本当に近くで怪奇現象が起こっているようで面白いですよね』
『tksさんの投稿見ていました。検証系が多いですよね。淡々と作業を進めている感じでつい見ちゃいます』
 tksとは自分のアカウント名だ。Tsukasaの子音部分だけ抽出した安易な名前である。フォロワーも多い訳ではなく、特に見せるためのものでもなかったが、その発言は嬉しくなる。
『777さんは何かやったことはあるんですか』
『正直怖くてやったことはないです。ホラー好きなのにおかしいですよね』
『そんなことないです。例えばホラー映画は安全が保障されているから楽しめる訳であって、画面からゾンビが飛び出して来たら大半のファンはファンじゃなくなりますよ』
『その例え面白いですね。でもそう考えたら余計tksさんがすごい人に見えてきました』
『どうしてですか』
『危険が起こるかもしれないのに実験しているんですよ。こんなの勇気がなきゃできない』
 勇気なんて大袈裟だ。どうせ何も起こらない。でももしも起こったら面白そうぐらいの感覚で試しているだけである。
『大袈裟ですよ』
『そういえばtksさんはいつ頃からホラーファンなんですか。僕は本当に最近なので学校の怪談とか知らないんですよ。その頃からハマっていればもっと楽しめただろうに』
『俺もハマったのは数年前なのでトイレの花子さんを呼んだりはしたことないですね。そもそも学校の怪談って小学校のイメージがあります』
 あくまでも個人調査の範囲でだが。
『やっぱり詳しいですね!ホラーとは少し違うかもしれませんが昔通っていた学校で流れていた噂の話をしてもいいですか。もしかしたらtksさんのお眼鏡にかなうかもしれません』
『どんな内容ですか?』
『細かい場所は伏せさせてもらうんですけど、学校の近くにスーパーがあったんですよ。そこにパワースポットがあってそこに行くと願いが叶うみたいな内容です』
 その瞬間鼓動が早くなる。聞き馴染みのある内容だったがたまたま似ているだけかもしれない。指を動かして質問をする。
『スーパーがパワースポットだったんですか』
『ごめんなさい、説明不足でした。スーパーがパワースポットなんじゃなくてその前に置かれているガチャガチャがパワースポットだったんです』
『ただのガチャガチャですか?』
『珍しいシールが貼られていたんですよ。確か菓子のおまけについていたもので』
『それはミラーシールでしたか?』
 先手を打つ。動悸が止まらない。すぐに返事が来た。
『そうです。もしかしてご存じなんですか』
 視界が歪む。確定だ。そこまで特徴が一致する場所などそうそうない。この777はあの小学校の出身だ。あのシールは校内では有名な噂だったから同級生とは限らない。だが同級生でないとも限らない。あれほど嫌悪した相手が画面の先にいるかもしれない。
 震える指を抑えながら文字を打ち込む。その小学校の名前だけ送ると僅かに間が空いた。本当に関係者ならこちらの正体を明かしたも同然だ。続けてもう一度文字を打ち込む。
『卒業生ですか』
『学校名を当てるなんてすごいですね、tksさん。でも違います』
『どこで知ったんですか』
『tksさんは変に広めなさそうなので教えるんですけど転校しているんです。だから通っていたけど卒業はしていません』
 頭の中で対象を絞り込む。すると一人思い当たる人物が浮かぶが早とちりは危険だ。
『いつ転校したんですか』
『六年生になる直前です』
確定だ。動悸がおさまると同時に罪悪感が生まれる。
『もしかして和って名前ですか』
再び間が空く。そして答えが返ってきた。
『覚えてくれていたんだ。やっぱり司はすごいね』
あまりに自然に本名を出されたので反応が遅れる。続けてメッセージが入ってきた。
『あとごめん。騙していた訳じゃないんだけど確証が持てなくて言えなかった』
『どこで分かったんだよ』
『まずはアカウント名かな。tksって司の子音でしょ。でもタカシとかの可能性もあるからここではヒントくらい』
『他には?』
『正直なんとなくとしか言えないんだけど、なんか司っぽいなぁって』
『俺っぽいってなんだよ』
『あんまり偏見がないって言うのかな。ホラー好きなんだけど思い込みが無いっていうか』
『どういう意味』
『そのままの意味。でも良かった。久しぶりに会えて嬉しい』
彼は中学生時代の事を知らない。それがとてつもない安堵だった。久々に胸の内が軽くなる。普段なら言わないが思いきって感情を伝える。
『本当に久しぶり。俺も同じくらい嬉しい』
『ありがとう』
和はそれだけ返事した。
それから和とのやりとりが増えた。
最初は懐かしさもあって昔話ばかりしていたが、すぐに話題はホラーへ戻っていった。きっかけを作ったのがホラーだったのだから当然と言えば当然である。
『この前言っていたひとりかくれんぼ、手順を見たけど怖すぎない?』
ある夜、和からそんなメッセージが届いた。
ひとりかくれんぼはもはやネット都市伝説の古典と言ってもいい。ぬいぐるみに米を詰めたり、名前をつけたり、刃物を用意したりとやることが多い。自分も実際にやったことはあるが、正直なところ雰囲気が九割である。
『怖いけど手順がしっかりしているから検証しがいはあったよ』
『よく出来るよね。手順細かいし、失敗したら何か起こりそう』
『結構信じている感じ?』
『例えば鶏の生き血を用意して魔法陣を書いてって言われても簡単に準備出来ないからやろうとは思えないんだよね。でもぬいぐるみや米だったら簡単に用意できるでしょう。その気軽さがそのうち本当に呼べそうに思えるんだ』
その感覚は分からなくもない。
都市伝説というのは基本的に眉唾に見えるが具体的な手順が入ると途端に現実味を帯びる。丑三つ時に赤い糸や塩水など普段からあるものなのに、そういう単語が並ぶだけで何かが起こる気がしてくる。
『和は実際にやるならどこまでできる?』
『見ているだけなら』
『それはやるに入らないぞ』
『じゃあ無理だよ』
即答に思わず笑ってしまう。ホラー好きと言っておきながら儀式は無理らしい。だがそういう楽しみ方もある。映画を見るのは好きだが心霊スポットには行きたくないという人間は山ほどいる。
『スプラッタ映画とかも苦手?』
『苦手。血が多いのはだめ』
『ゾンビも?』
『腐り具合によるかな。目玉が飛び出しているのは無理だね』
『そういう基準なのか』
『あと驚かされるのも苦手。急に大きな音を出すのは駄目だよ』
つまり和は、怪談や都市伝説のように想像で怖がるものは好きだが、直接的に痛そうなものや驚かせるものは苦手らしい。
なんとなく納得した。和はいつも慎重で、強い刺激よりもじわじわ考え込む方が性に合っているように見えたからだ。
『じゃあ和は怖い話のどこが好きなんだ?』
『変かもしれないけど、怖いのに理由があるところかな』
『どんなもの?』
『例えば、この場所に行ってはいけないとか、この言葉を言ってはいけないとか。決まりを破ったから怖いことが起こるっていうのは納得できる』
『理不尽じゃない方がいいってことか』
『うん。理不尽なのは現実だけでいいかな』
その一文に少しだけ指が止まる。軽い冗談にも見えるが和が言うと重みがあった。
『現実はそんなに理不尽か?』
『転校が多いとそう思うことはあるよ。やっと慣れた頃に終わるから』
返信はすぐに来た。あまり深刻にしたくないのか、その後すぐに次の文章が続く。
『でも今はネットがあるから便利だね。こうして話せるし』
『小学生の頃にもあれば良かったな』
 送ってから少し後悔する。手紙を送らなかった人間が何を言っているんだ。
『そうだね』
 それだけ返事があった。
ホラーの話だけではなく、他の話もした。
和は今住んでいる場所のことをぽつぽつ教えてくれた。海が近い訳ではないが、風が強い日があることや駅前に大きな書店があり、そこに行くと一時間は戻れなくなることなどだ。他にも大学の食堂がオシャレ過ぎて入りづらい話もしてくれた。
こちらもバイト先の話や大学の話をした。本屋のバイトは楽だと思われがちだが、意外と力仕事が多い。雑誌の入荷日はギックリ腰になりそうになる。客に本の場所を聞かれた時、タイトルがうろ覚えだと推理ゲームになる。そんな話をすると、和は文字だけでも分かるくらい笑っていた。
『司は本屋も似合うね』
『そうか?居酒屋っぽいって言ってなかったか』
『なんとなく。今思うと本屋の方が似合う』
『理由は?』
『人に何か教えるの上手そうだから』
 意外な言葉だった。
『本の場所くらいなら教えられるけど』
『そうじゃなくて。相手が何を探しているのか聞くのが上手そう』
『そんな大層なものじゃないさ』
『でも司は昔からそうだった』
和は時々そういう言い方をした。こちらが忘れているようなことを、彼は当然のように覚えている。自分からすれば短い期間の思い出だったが和の中で重要らしい。
『司は将来何になるの?』
 突然そんな質問が来たのは、何日かやりとりが続いた後だった。寝る前にスマートフォンを見ていた時である。
『急だな』
『前に就活の話が出ていたから』
『まだ決めきれてない』
 そう打ってから、しばらく画面を見つめる。
本当に決めきれていないのか。いや、方向性だけならある。大学では教職課程を取っている。高校教師になる道も一応考えている。だが、それを言うのは少し抵抗があった。
人間不信気味の自分が教師を目指しているなんて、矛盾しているにもほどがある。そもそも人と深く関わるのが怖いくせに、人と関わる仕事を選ぼうとしている時点でおかしい。しかし別にここで話した所で将来が決まる訳でもないのも事実だ。
『一応教師とか考えている』
 結局そう送った。
『すごい、似合うよ。司ならなれる』
すぐに返信が来た。
『即答かよ』
『それはそうだよ。司は人に説明するの上手いし、相手が分からない時に馬鹿にしない』
『馬鹿にはしないけど、そんな立派じゃない』
『でも僕はそう思う』
否定すればするほど、和は肯定してくる。悪意どころか善意しかない。だからこそ受け取り方が分からないのだ。
『教師って言っても、俺はそこまで人間できてないぞ』
『人間ね。完璧とか尊敬出来るみたいな意味合いだと思うんだけど、全部できている人の方が少ないんじゃない?』
『急に辛辣だな』
『完璧な大人なんていないと思う』
 和にしては強めの言葉だ。
いや、彼だからかもしれない。転校を繰り返していれば、大人の都合で環境が変わることも多かっただろう。子供からすれば理不尽なそれを、彼はずっと受け入れてきたのだ。
『まあ迷っているよ。給料の割に大変だって聞くし』
『迷っているならまだ決めなくてもいいんじゃないかな』
『それができたら楽なんだけどな』
『でも司なら、どこに行っても司だよ』
 その言葉に、少しだけ胸がざわつく。褒め言葉なのだ。だがどこに行っても自分は自分だと言われるほど、自分に確かなものがあるとは思えなかった。
別の日には、和の方からおすすめの本を送ってきた。ホラーではなく海外の児童文学だった。小学生の頃に話したシリーズとは別のものらしい。今読むと子供向けにしては怖い場面もある、と彼は言った。
『こういうの好きだったんだな』
『知らない場所に行く話が好きなのかもしれない』
『転校多いの嫌そうだったのに?』
『だからかも』
 短い返信だった。
『知らない場所に行くのは怖いけど、本だと帰ってこられるから』
『現実は?』
『現実は、帰れる場所があるなら平気』
 和にとって帰れる場所とはどこなのだろう。
 今住んでいる家か。昔の学校か。それとも、たった一年も一緒にいなかった自分の記憶なのか。そこまで考えて、さすがに自意識過剰だとスマートフォンを伏せた。
 やりとりは日を追うごとに自然になっていった。
 朝に一言だけ送る日もあれば、夜中に都市伝説の手順について延々と話す日もあった。和はよく話した。文章は丁寧だが、時々変なところで言い切る。こちらが軽口を叩くと少し遅れて乗ってくる。
『和って結構喋るよな』
 ある日、何気なくそう送った。
『そうかな』
『そう。小学生の頃の印象だと話さないイメージがあった』
送ってからこれは失礼だったかと気がつくがすぐに既読になってしまう。
『そうだね、文字だと考えてから送れるから楽なんだと思う。話すと相手を待たせている気がするから』
特に不快に思わなかったらしい。だからと言って安心してはいけないが。
『俺相手なら待たせてもいいよ』
『ありがとう』
 その後から和の返信は少しだけ砕けた。例えば小さな冗談が増えた。ホラーの話だけでなく、昼に食べたものや、買った本や、大学の課題の愚痴も送られてくるようになった。
正直楽しかった。誰かとこんなに頻繁に連絡を取るのは久しぶりである。
相手が和だからというのもあるだろう。彼は小学生の頃の自分しか知らない。こちらが明るく振る舞っても昔と変わらないと納得してくれる。その気楽さに甘えていたのだと思う。
『あのさ、和』
『どうしたの』
『謝らなきゃいけない事がある』
 そう送ったのは、再会してから更にしばらく経った夜だった。メッセージ越しの和が首をかしげているところまで想像できた。
『手紙送るって言ったのに一回しか送らなかった。ごめん』
返信には少し時間がかかった。
『それはこっちの台詞だよ。僕だって一回しか送らなかった。でももう終わった事だし、これから話せればいいと思うんだ』
その言葉に、肩の力が抜けた。そう言ってもらえるだけで随分楽になる。
『じゃあせっかくだし通話しないか。積年の思いって言ったら大袈裟だけど、もっと話せるじゃん』
 指が勝手にそう打っていた。送ってから少しだけ緊張する。少し間を置いて返信が来た。
『通話か……』
 珍しく歯切れの悪い返事だった。
『SNSをしているってことは何かしらの通信機器は持っているはずだろう。スマホならこのままアプリを操作すればできるぞ』
『そういう事じゃなくて、じ』
 誤ってエンターを押したのか途中で文章が送信される。その後慌てた様子で次の文章が送られてきた。
『実はメッセージだからうまく会話できているけど、話すのは苦手なんだ。ぼそぼそ話して聞き取りづらいし、話すのに間が出来る』
そう話す和の言い分は分からなくはなかった。例えば英語で話せと言われた時にまず英文を作ってから話すようにしてしまう。そうすると脳内で英文を作る時間が発生するので会話にラグが生まれる訳だ。日本語でそうなる場合は文法というより相手に気を使い過ぎて言っていいか迷っている事が多い印象である。
『間がなんだって言うんだよ。話す内容は変わらないだろう?それに和は気を使えるからそうなっているだけだ。俺相手に緊張なんかしなくていいから』
 和からの返事はない。しばらく画面を見守るが変化は見られない。まあ、無理強いすることないだろう。これまで通りメッセージを送ればいいだけだ。そう考えていると着信音が鳴った。
『分かった、ヘッドセットを用意する。準備できたらすぐに通話しよう』
 それはとても前向きなメッセージだった。だが覚悟が決まりすぎだ。
『検討ありがとう。でも今日は遅いから明日にしよう』
 そして翌日になった。SNSでのやり取りはスマートフォンを使用しているが、オンライン通話の場合はパソコンを使用する。こうしておけば好きな配信を聞きながら感想をアップする事が出来る。パソコンを持たない者も増えているらしいが個人的には持っておいて損はないと考えている。
 あまり聞きなれないコール音がヘッドホンからなる。パソコンに入れているオンライン通話用アプリの着信音だ。マウスを操作して受話器アイコンを動かすと真っ黒な画面が起動する。
「……もしもし」
 ぼそぼそとした低い男の声が響く。しかし聞こえないわけではない。
「もしもし、和か」
「もしもし……ああ、ごめんようやく聞こえた。司、聞こえる?」
 大学生なら声変わりはしている。聞きなれた声ではなかったが話し方はあの頃の和のままだった。
「声は聞こえるけど画面が見えないぞ」
「あれ、おかしいな。カメラはついているはずなのに……」
 前と違うといえば状況だ。ガヤガヤとした教室の中で彼の声を拾うのは集中力が必要だったが、今は環境音に左右されず彼の声だけ拾える。
「お待たせ、見えるかな」
 不意に黒い画面から金髪の男が現れる。前髪は長く、後ろ髪も男性にしてはそこそこ長い。予想外の姿にあっけにとられてしまった。
「……やっぱり気持ち悪いよね。髪なんて染めるんじゃなかった」
「気分を悪くさせたなら謝る。でもすごいじゃないか。そこまで明るい色ならブリーチしたんだろう。痛かったんじゃないか?」
「……はげるかと思った」
「やっぱりな。俺は前に一度だけ明るくしたことあるんだけど手入れが面倒でやめたよ」
「……今は黒いからずいぶん前の話?」
「そう、入学直前くらい。要は大学デビューさ。でも勉強もバイトも忙しいし、参考書代って馬鹿にならないからお洒落は二の次になって黒髪に戻りました」
 茶目っ気たっぷりに話してみる。和は「ふへへ」みたいな独特の笑い方をしながら口角をあげた。あんまり口を開けないからそうなるのだろうと考える。
「司はどこでバイトしているの」
「本屋だよ。バイトでも社割が使えるから参考書買う時重宝するんだ」
「結構大変だって聞くけど」
「大変だよ。バイト始める前はレジを打って、適当に本を探すだけだと思っていたのに重労働でさ。入荷される段ボールで十キロ以上は当たり前だし、雨の日は床が濡れるから拭かなきゃいけないし割に合わないよ」
「でもやめないんだ」
「まあな。仕事は大変だけど環境がいいんだ」
「うらやましい」
「和はバイトしているのか」
「単発バイトなら。倉庫整理とか品出しとかあんまり人と話さないものばっかり選んでいる」
「力仕事できるのすごいじゃん」
「軽いものも多いから言うほど力仕事はないよ。それに話さなくていいと思って選んだけど、案外グループみたいなものが出来ていてちょっと辛い」
「はは、どのバイトも苦労が絶えないな」
「うん」
 長い前髪の奥から覗く瞳はまっすぐこちらを見つめている。相手を観察する癖があるのかと思った。
「それよりこの都市伝説知っているか。検証系じゃないんだけど結構面白くてさ……」
 マウスを操作してページを共有すると和は画面を凝視する。知らないと話したのでかいつまんで説明すると予想通りの驚嘆をしてくれる。
「司って説明うまいね」
「そうか?」
「怖い話のはずなのに面白いから続きが気になる」
「それは都市伝説が面白いからだよ」
「司が分かりやすく話してくれるからだと思う」
誰かに何かを教えるのは楽しい。自分が面白いと思っているものを面白いと思ってもらえることが嬉しい。そのうち和との会話は習慣になっていった。

「話は逸れるのですがミラーシールとはなんですか」
「鏡みたいに反射するシールの事です。知りませんか?」
「生憎、子供向け玩具には知見がなくて」
「おもちゃは子供向けですよね?」
「……今のは忘れてください」
 アサガオは発言を無かった事にするかのようにメモを眺める。一通り過去については話したのでそろそろ見解を聞いてもいい頃だろう。
「ところでこれで俺と和の話は終わりです。ここまでにカガミのヒントになりそうな事はありましたか」
「とりあえず分かったことは再会した当初の和くんは小学生の頃と変わっていなかったって事ですかね」
「そうなんです。だから急に明るくなってあれ?って」
「言いたい事がようやく理解できました。確かにとりつかれたと考えるのが自然ですね、しかし」
 思わせぶりに話を続ける。
「本当にとりつかれたと言って良いのでしょうか」
「どういうことですか」
「状況を整理しますね。和くんはとりつかれて明るくなった。筋は通ります。ただ何故失敗したと感じるのでしょうか。むしろ成功では?」
「俺が儀式中に礼を言わなかったから」
「明るくなったのは失敗に入るかと聞いているんです」
 やや強い口調に緊張が走る。そして気が付いたのか目を伏せて眼鏡のフレームを上げる。
「申し訳ありません。今のは言い方がきつかったですね。ただ重要な話なのではっきり答えてください。何故司くんみたいになりたいと話して、ちゃんと明るくなったのに失敗したと感じているのですか」
「……俺みたいになりたいって言って明るくなるわけないじゃないですか」
 中学生時代のどす黒い感情が蘇る。
「誰とも仲良くなろうなんて思わない。なんだったら同級生の事なんて馬鹿にしているくらいだ。そんな奴に憧れるなんてどうかしているだろう」
 敬語も忘れ内心を吐露する。そうだ、なんで和は俺なんかに憧れるんだ。
「そう考えていたんですね。今までの話だとそういう雰囲気は感じられませんでした」
「そりゃあ少しは自分をよく見せますよ」
「そういう意味ではなく、以前より他人を嫌いになっても人付き合いは普通にしているんだと思っていました」
「……どういう意味です?」
「バイトをされていると話していましたよね。その理由は環境がいいから。これって他人に気を許しているからそう感じられるのではありませんか」
「……従業員がいい人なのは本当です。シフトの調整してくれるし……ただ、だからと言って気を許すとは違うでしょう」
「いい人と感じている時点でだいぶ気を許していますよ。まあ相手は大人なので年の功もあるでしょうが……君は思っているより他人の事を嫌いになっていませんよ。現に私と話していますし」
 癖毛の男は冷めたコーヒーに口をつける。今更気が付いたがこの男、妙にデカくないだろうか。
「そうなると和くんが司くんの事をどう思っていたかが重要になります。推測ですが小学生の頃から変わっていないと判断しているのではないでしょうか」
「そんなこと分かるわけ……」
「そう、分からない。だからここはそう仮定したほうがいいと考えます。その方が彼の状況を説明しやすい」
「何か分かったんですか」
 含みのある言い方に思わず食いついてしまう。
「可能性がある、程度ですが」
「教えてください」
 姿勢を正すと男はおもむろに口を開く。
「少なくとも和くんは怪異にとりつかれている訳ではないと思います」
 予想外の回答に何も言えなかった。異変だと認めたのに何を言っているのだろうか。
「ずっとカガミを読んで考えていました。ありきたりで、いかにも何かを呼べそうな手順だ。ですが私に言わせると怪異を呼ぶには程遠い代物です」
 極論とも言える発言に思わず反論してしまう。
「そもそもアサガオさんはオカルトライターでカガミの取材がしたいからここにいるんですよね。それなのにカガミを否定するんですか」
「説明を省略してしまいましたかね。カガミで怪異は呼べないとは言いましたが、現象については否定していません」
 更に複雑な回答に頭が混乱する。
「例えばコックリさんはご存知ですか。あれは近くにいる霊を呼び寄せて行う儀式です。しかしカガミは近くにいた霊を呼び寄せるものではない。なぜなら性質が違うからです」
「……つまり?」
「カガミは自分を定義づける儀式そのものだと考えられます」
「どういう意味ですか」
「順を追って説明します。まず和くんは司くんみたいになりたいと言った。そうしたら司くんみたいに明るくなった」
「だから……」
「ポイントはここです。司くんみたいに明るいとはいつの司くんの事でしょう?」
「俺は明るくなんか……」
「今の君はそう考えているかもしれませんね。では小学生時代の司くんは明るかったですか?」
 否定できなかった。あの頃の自分はキラキラして本気で世界中の人と友達になれると思っているくらい純粋だった。
「和くんの中の司くんは小学生時代のまま変わっていない可能性がある。だから小学生のころの君の明るさが表現されているんです」
「待って、待ってください。カガミをやったら宣言通りの人物になるまではどうにか理解できました。でもなんで小学生時代の俺になるんですか。なるなら今の俺でしょう」
「和くんが想像する司くんが小学生の頃だからです。暗い一面なんてない、憧れの人物——思い込みによって出来上がった司くん像が今の和くんです」
 とんでもない結論に固まるしかなくなる。前提条件が間違っていて、和はなるべくしてあの状態になったという事か。
「じゃあ和の思い込みが凄すぎて怪奇現象とは無関係ってことですか……?」
「怪異の一部は思い込みの強さで形作られます。強すぎる想いは本物になる事もある。和くんはカガミに飲み込まれかけていると見ていいですね。君の心配は間違っていませんよ」
 はっきり言ってもらえて少し安心する。
「このカガミは儀式として失敗はしているかもしれませんが、超常現象を発生させることには成功しています。果たしてこれは誰が書いたのでしょうか」
「通りすがりの人じゃないですか。匿名の掲示板だし」
「そうだとしても似た出典が全くないのも気になります。はっきり言ってこの手順は雑にも程がある」
「手順に雑とか丁寧とかあるんですか?」
「詳細は教えられませんが、本当に霊や怪異を呼ぶ手順はあるにはあります。ただ誰にでも試されると困るので本業の者が一般人に教えることなどまずないですね」
 急に本格的なオカルト話を披露されこんな状況なのにワクワクしてしまう。場を弁えなければと顔に力を入れるが、よく考えてみれば好みの配信者と一対一で話しているなんて中々の状況じゃないだろうか。
「例えばなるべく大きな鏡を用意して——とありますが大きいの基準って人によってだいぶ変わりますからね。本気で呼ばせたいなら最低限の具体的条件は提示するべきです。諸々指摘したいところはありますが、これで現象が発生したことは事実です。つまり視点を変えなくてはなりません」
「一つ質問をしてもいいですか」
「どうぞ」
「多分俺に声をかける前からカガミが適当って事に勘付いていたとは思うんですけど、何故記事にしようと思ったんですか」
「オカルトは娯楽ですよ。本業の私が言うのもなんですけど」
「それって除霊師であるご自身の事を否定することになっていませんか。それに配信だって……」
「人ってどうしても自分が認識できないものは信じられないんですよ。だから平気で墓を踏み荒らすし、廃病院を散策する。怖いのにね」
 アサガオは話の途中で追加の飲み物を注文する。そしてこちらのグラスを確認して注文した。
「本当に怖いのは人間です。墓にも病院にも所有者、権利者がいるのにそれを無視したらどうなるか考えない。万が一肝試しを成功できたとしたらお目こぼしを貰っているだけです」
 追加の飲み物が運ばれる。なぜかオレンジジュースが二つ置かれた。
「カフェインの取りすぎは良くないので。どこまで話しましたっけ」
「お目こぼしを貰っている話です」
「そうでしたね。私からすると肝試しで即時怪奇現象が起こるのはそれっぽい偶然の事が圧倒的に多いです。本当に霊がいた場合は家に着いた頃が本番です」
 駄目だ。ワクワクしている場合じゃない。
「霊にとりつかれた、助けてといったところで除霊師の出番です。大抵は強い霊ではないのですぐに祓えます。でもそもそも霊を信じていなければ除霊しようという発想になりませんよね」
 なぜか男は口角を上げる。そこでようやくビジネスの匂いに気が付く。
「除霊師として活躍するためにオカルト情報を広めていたって事ですか」
「無許可で私有地を肝試しする者に辟易しているのは本当です。しかし結果としてはそうなりますね」
「まさかカガミもこんな状況じゃなければ、それっぽく書こうとしていたんですか……?」
「おっとその誤解は困りますね。私はあくまで正しいオカルト知識を広めようとしているだけです」
「理由はあるんですか」
「私は霊が見えますがそれを証明できない。それでもいる事を伝えて、異質ではない事を伝えたいのかもしれませんね」
 最後は自身の事なのに他人事のように話していた。
「もしもカガミを行って何もなければそのまま何もないと執筆するつもりでした。編集には叱られるでしょうけど、嘘は書けませんからね——さて、こちらの話が長くなってしまったので本題に戻りましょう」
 アサガオはオレンジジュースに口をつけながらメモ帳を取り出す。
「カガミで分かっている事は、半年前に匿名掲示板でアップされたことのみ。試した人物は調べる限り司くん達以外にいないです。それなのに成功者は誰もいないと明記されている。見れば見るほど不可解です」
 儀式を行ってもネットで公表する義務はない。だから本当に初めてカガミを行ったのは自分たちではないだろうが、こんな分かりやすい矛盾を書くだろうか。作者は一体何を考えていたのだろう。
「あ……」
 今になって気が付いたことがある。しかし偶然ではないだろうか。他にヒントはないか改めて考えるが、アサガオは見逃さなかった。
「何か気が付いたんですか」
「いや、なんか全然関係ないっていうか……」
「教えてください」
 切れ長の瞳に見つめられると凄まれていると感じ身がすくむ。
「……カガミの投稿って半年前じゃないですか。そういえば和と再会したのも半年前だったなって」
 その言葉を聞いた男はメモを見返す。そして手持ちのスマートフォンを操作し掲示板を見せてきた。
「カガミの手順はお世辞にも出来がいいとは言えない。しかしよく見るとある事を意識されていることに気が付きませんか」
「なんでしょう……タイトルがカガミだから鏡ではないですよね」
 もう一度手順を読み直すがそんなに長い文章でもない。それでも気になる文言とは何か探しているとある事に気が付く。
「もしかして二人ですか」
 アサガオは頷く。
「鏡を使う儀式はいくつもありますが二人じゃなくていいことも多いんですよ。何せ鏡の中にもう一人いますからね」
「二人である事が重要だったって事ですか」
「そしてこその状況で得をするのは誰でしょうか」
 意味が分からない。だが導き出される答えは一つだった。
「……和」
「そうです。和くんは司くんを信頼している。妄信していると言っても過言ではない。君と二人きりになれることを望んでいたのではないですか」
「待ってくださいよ。言っちゃ悪いが今のはアサガオさんの誘導だ。第一、和が俺を妄信しているとして都合よく都市伝説があるわけがないじゃないですか」
「もう一つだけヒントを出しましょうか。都市伝説があったから儀式を行ったのではなく、儀式をしたいから都市伝説があったんですよ」
 答えのようなヒントだった。しかもわざと言わないところを見ると答えを確信しているように見える。
「都市伝説を作ったのは和だって言いたいんですか」
 アサガオは否定しない。まっすぐこちらを見つめるだけだった。
「……分かりました。そもそも仮定から始まっていましたからね。そういう結論も受け止めます。しかしその場合どうなるんですか。言ってしまえばでっち上げじゃないですか」
「たとえ作り物でも参加者が本物だと思えば本物になる事もあります」
 アサガオはちらりと時計を確認する。潮時だと判断したようだ。
「情報は十分頂いたのでそろそろお開きにしましょうか。何か質問があれば受け付けますよ。一応お伝えするとこの後、和くんに会ってほしいというお願いなら別料金になります」
 ほんの少し冷たく聞こえ、すぐに返事ができなかった。そのことに気が付いたのか男は言葉を付け加える。
「冷たく聞こえるかもしれませんが何事も線引きは必要です。情にほだされて踏み込めば判断を誤ってしまいます」
 彼も仕事だ。こちらが原因であるのにここまで相談に乗ってくれたことは感謝しかない。
「……あの、和は元に戻るんですか」
「司くん次第と言ったところです」
「それはどういう意味ですか」
「ご自身で考えてみてもいいかもしれませんが、あえて言うなら和くんがなりたいのは司くん像です。それを把握しているのは私より君でしょう——原稿が完成したら送りたいので連絡先を伺ってもいいですか」
 アサガオは淡々とライターの仕事に戻る。除霊師の力を振るわなくても解決できると判断したのだろう。連絡先を伝えて喫茶店を後にした。
店を出た瞬間、熱気が身体を包み込む。それなのに妙に冷えている。クーラーで冷えすぎたか?冷たいものを飲みすぎたか?いいや、違う。
カガミを作ったのは和かもしれない。
その可能性が胸の奥に嫌な音を立てた。