カガミ

第一章
家に帰って部屋の明かりを付けると真っ先にノートパソコンを開く。待機状態だった電子計算機はすぐに画面を反転させとあるサイトを映し出す。めぼしいものはないかとマウスを操作していると、画面の右下からオンライン電話のポップアップが表示される。画面の更に右下のデジタル時計を確認すると十時丁度だった。ヘッドセットを準備してから通話ボタンを押すとボソボソとした声が聞こえてくる。
「もしもし……連絡して大丈夫だったかな」
画面には金髪の男が映し出されていた。髪は肩の近くまで伸びており、根本は既に黒髪が見えていた。
「大丈夫、バイトも九時には上がれたし」
「居酒屋だっけ」
「違う、違う。居酒屋ならむしろこれからが本番だって。本屋だよ」
「司ってなんとなく居酒屋で働いているイメージあるから、つい」
「どんなイメージだよ」
画面越しの男は右手側から五百ミリリットルのロング缶を取り出すとストローを差して飲み始める。度数は十パーセント近いはずだ。
「それ飲めるなら和のほうが居酒屋で働けるだろ」
「別に働いているからって飲まないでしょ」
「それはそうか」
相変わらず和はボソボソと話すが不思議と声は聞き取りやすい。
「司は明日から夏休み?」
「そう」
「実は来週からそっちに行くんだ」
「東京に?旅行か」
「それもあるけど、今のうちに下見しておこうって事になって」
首を傾げると和は話を続ける。
「ほら、来年から就活じゃない。こっちにもいい会社は沢山あるけど、やっぱ東京の方が更に選択肢があるから」
「ああそうか」
彼の発言には一理ある。年々早くなる就職活動は売り手市場と言われていても人気の就職先は集中する。
「もうそんな事考えているんだな」
「親の受け売り」
「そっか、どれくらいいる予定?」
「二週間かな」
「長くない?どこのホテル泊まるんだよ」
「ウィークリーマンションを借りる。そっちのほうが安いんだ」
「それでも高いだろ」
「そこはまあなんとか」
そういえば彼の家は転勤族だった事を思い出す。
「へえ、もしかして久しぶりに会える感じ?」
「……会ってくれるの?」
「会おうよ。小学生ぶりだろ」
 和はストローでアルコールを吸い上げる。早くも底をつく音がしてもう一本新しい缶を開けようとしていた。
「ペース早すぎだろう」
「……つい」
「お前と飲み会したら先に潰されそう」
「飲めないの?」
「さあな」
 本当は三パーセントの酒すら飲みきれないがなんとなく誤魔化す。
「そういえばこの前の『ココアサ』聞いたか。酒の話だったんだけど」
 ココアサとは「古今東西アサガオさん」の略だ。自称除霊師のアサガオがあらゆる観点からオカルトについて語る異色のポッドキャスト番組である。しかし必ずしも胡散臭い話ばかりではなくトークが軽快で豆知識も得られる事から一定の人気がある。
「ごめん、聞いてない」
「謝るなって。最初はどうしたら霊が見えるようになるかって話だったんだよ。それでリスナーから酒を飲むと見えるようになるかって質問があってさ」
「もしかして見えるようになるの」
「いいや、結局そうは言わなかった。ただ『霊というか怪現象は思い込みの力が強いからそう思えば見えるかもしれない』と言っていたな」
「アバウトだね」
「まあそんなもんだろ。映画みたいに呪いの家があって襲ってくるとかよりは信頼度あるし」
「司ってやっぱりホラー好きなんだね」
「めっちゃ好き。夏だけじゃなくて冬もホラー番組放送してほしいし」
「そうかなぁ……」
 和はホラーが全部得意ではないらしい。特に驚かせるジャンプスケアやスプラッタ系が苦手なようだ。
「でも趣味があるのは良いことだよ。推し活っていうんだっけ」
「さすがにホラーで推し活はないだろう」
 わずかに空気が漏れる音が聞こえる。久しぶりに和が笑った声を聞いた。
「ところでさ、少し就活の話に戻していいか。あれってどの会社でも自己PRしろって書いてあって困るんだよな」
「自己分析本当無理……。でも司ならすぐ書けるんじゃない」
「何を根拠に」
 かつての自分なら迷いなく人事受けのよさそうな言葉を並べられただろう。だが今は躊躇する。
「実はこんなもの見つけたんだ」
 通話アプリの背面で起動していたサイトを画面共有する。文字だらけの掲示板で何個かスレッドが並んでいた。その中の一つをクリックすると「カガミ」というタイトルが表示される。
「急に就活の話に戻したかと思えば……これが目的だったんだね」
「悪いな、二人じゃないとできないんだ」
 画面に共有されていたのはいわゆる都市伝説だった。手順通りに儀式を行い成功するとなりたい自分になれるというどこかで聞いた事があるような代物だ。
「えーと長いから簡潔にまとめるぞ。『その一、なるべく大きい鏡を用意する事。その二、その鏡を自分の見える位置に置く事。その三、互いに正面に向き合う事。その四、カガミさんを呼んでから一人ずつなりたい自分を相手に聞こえるよう告げる事。その五、必ず二人きりで行う事』か。簡単だな」
「初めて聞いた」
「新しい都市伝説なんじゃない。更新日も半年前だし」
「そんなのでいいの?歴史ある方が司もいいんじゃないかな」
「ひとりかくれんぼみたいなやつ?王道はもうやりつくしたよ。それに王道も必ず最初があるはずだろう。これを試して第一人者になれたらすごいと思わないか?」
「なりたい自分になれるのはすごいけど、リスクはないのかな。つきものでしょう」
「一応書いてあるな。『儀式に失敗した場合、カガミさんにとりつかれる』ってさ」
「あー……ありそう」
「あと『今のところ成功例はない』……って誰が成功してなりたい自分になっているんだよ……和?」
 和はいつの間にか酒を飲むことをやめており何かを探し始めている。席を立ちあがって画面には誰も映らなくなるがしばらくすると戻ってきた。
「どうした」
「大きな鏡なんてないよ」
 そう話す彼の手には片手に収まる小さなコンパクトミラーが握られていた。
「本当に大きいのは玄関にあるけど埋め込み式だから持ち運べない」
「あれ、乗り気?」
「司がやりたいって言ったんじゃない」
「へへ、そうだった」
 彼は話が早くて助かる。こちらも鏡——といっても百均で売っていた手鏡で和と大差ない大きさのものを机の上に置く。
「二人とも大きな鏡じゃないけどいいのかな」
「なるべく大きいだからいいんじゃないのか」
「今更なんだけど二人きりって、同じ部屋でやらなくてもいいのかな。通話だと何か違わないかな」
「気が付いてなかった訳じゃないが……大丈夫だと思う。同じ部屋って条件はないし、二人きりという方に意味があると思う」
「そっか……」
 和は頭を揺らす。横に揺れているので酔っているんじゃないかとも思ったが、今のところ本当に酔ったところを見たことはない。
「分かった、やろう」
「ありがとう」
 儀式の準備は鏡だけなのでもうすぐに始めることが出来る。しかし念のため間違いがないように念入りに書き込みを見直した。
「呼ぶときは『カガミさん、カガミさん』って必ず二回呼ぶらしいぞ」
「そのあとに『なりたい自分にしてください』と言って、具体的になりたい姿を話すんだよね。……あれ、これ恥ずかしくない?」
「そうか?」
「一人でやるならいいけど、司に聞かれるってことだよね」
「なになに、恥ずかしい事願おうとしてんの」
「……別に」
 揶揄いたくなるが、機嫌を損ねて儀式を中断されても困る。それ以上言及せず改めて儀式の準備を整えた。
「もう流石に読み込まなくて大丈夫だろう。最後に礼を言うことを忘れずにな」
 ふと鏡を見る。何の変哲もない、対象物を左右反転して映し出す物体。なにかと怪談で出てきて見えないものが見えたり異界に繋がったりする不思議なものだ。そこに映し出されていたのは、期待で盛り上がる自分ではなく——眉を下げ戸惑った表情を浮かべる自分だった。
「——え」
「どうしたの……?」
「いや、悪い。気のせいだ。それじゃあ始めるぞ」
「……やっぱりやるんだ」
「今更尻込みか?」
「ううん、司って本当に好きなんだなって思っただけ」
「まあな」
 ホラーにのめりこんだのは中学生終盤からか。そう思うと五年以上になる。たかが五年、されど五年か。
「じゃあいくぞ。『カガミさん、カガミさん、いらっしゃいますか。いたらお返事ください』」
「『カガミさん、カガミさん、いらっしゃいますか。いたらお返事ください』」
 和も同じようにこちらの言葉を繰り返す。当然だが呼びかけに対する返事はない。しばらく沈黙の時間が続き、自分と和の呼吸音だけが聞こえる。彼の声は妙に湿っていた。ヘッドセット越しのはずなのに、やけに近い感じがする。耳元で息をかけられているみたいで、思わず耳に触れる。
「……」
こんなふうに感じること自体がおかしい。ただの通話だ。音質が悪いだけかもしれない。そう考えるが、一度気になった感覚は消えなかった。しかし指摘すれば儀式から外れてしまう。
「『カガミさん、カガミさん、なりたい自分にならせてください』」
「『カガミさん、カガミさん、なりたい自分にならせてください』」
 ホラーにはまってなかったら何をやっていただろう。なりたい自分ってなんだよ。
「『カガミさん、カガミさん、お金持ちにしてください』」
 こんなのが俺の夢なのだろうか。
「『カガミさん、カガミさん、……司みたいにしてください』」
「え?」
「『カガミさん、カガミさん、ありがとうございました』」
 和は礼を言って儀式を終了する。そして無表情でこちらを見つめた。
「どうしたの、急に……?具合が悪そうだけど」
「いや、それよりなんだよ。俺みたいになりたいって。びっくりしたわ」
 わざと明るく話すと和はカメラに近づく。その圧に思わず一歩引いてしまった。そして彼が何か話そうとした瞬間、わずかに画面と音声がずれる。
「……司ってそういうところあるよね。空気読んで明るい雰囲気作って」
 何を見ているのだろうか。目玉は反射しているのにビー玉のように見える。
「何言っているんだよ」
「気分を悪くしたらごめんね。無理しないでってこと」
「さっきの言葉は本当だよ。僕は司みたいになりたいんだ。……ごめん、明日荷造りがあるからそろそろ寝るね。おやすみ」
「……ああ、おやすみ」
 挨拶をした後、通話を切る。ヘッドセットを外そうとした時、何故か息を吹きかけるような音が聞こえた。慌てて外すが耳に当てるクッションから音が漏れ出ることはない。隣に置かれている鏡を見ると肩を揺らし、目を見開く自身の姿が映っていた。
「……ビビっているのかよ」
気分を変えるようにパソコンの方へ視線を移すと画面には先ほどの都市伝説が残されていた。その短い手順を読み直しながら先ほどの儀式を反芻していた時、あることに気が付く。
「お礼言って無くないか……?」
 失敗したのか。ぐだぐだ迷っているから。……いや、そんな訳ない。だがカガミの儀式を行ったことは事実だ。後世のためにも記録だけは残しておこう。掲示板に個人情報がバレない程度に詳細を記入してから画面を閉じる。そしてスマートフォンを開きSNSにも「カガミを呼んでみた。詳細は例のスレに書いておいた」とだけ書き込んだ。翌日、日課のように掲示板を開く。そこには新しい投稿が一件追加されていた。
『カガミの件、詳しく聞かせてください』