揺らぐ月に君は凪ぐ

雀の声で目を覚ます。久しぶりの気持ちの良い朝だった。昨日は一時過ぎに家について、それからすぐに寝たので六時間半は睡眠時間を確保できている。ここ最近、朝起きると目がかすんで、頭がぐらぐらして最悪の気分だったのに、今日は朝日が気持ちいいなんて思う余裕もある。明人は、俺の目覚めたのに気づき、「おはよう」と天井から声をかけてきた。「おはよう、睡眠って最高だな。」「間違いなく最高だね。義務じゃない睡眠はもっと最高だから、凪も早く睡眠なしで過ごせる体になったほうがいいよ。」「ならないから。」おはよう、とリビングに降りていくと、「あら、久しぶりに眠そうじゃない顔。」とお母さんにもからかわれる。そんなに違うかな、と思いながらも、体感は確かにかなり良い気分なため、顔色もいいのだろう。準備をして歯磨きをしていると、「凪~!まだ~?」と外から声をかけられた。母が、玄関まで出て行って、「ユリちゃんごめんね、まだ歯磨き中なの。」なんて話している。高校生にもなって、恥ずかしい。歯磨きを咥えたまま玄関へ出て「さきいっていいよ」ともごもご伝えると、「凪、今日日直でしょ、先行っていいよはどちらかというと、こっちのセリフ。早くしないと遅れるよ」と叱られる。幼馴染のユリとお母さん、二人の母に「早くしなさい」と怒られると、しっぽを巻いていそいそとリュックを取りに行くことしかできなかった。

「久しぶりにちょっと顔色いいじゃない。良く寝れたの?」ユリにまで同じことを言われて、「やっぱり俺、そんな寝てませんみたいな顔してたかな」と頬に手を当てる。「まあ、明人が死んでからずっとそうだったね。」ブレザーのリボンをゆびでちょいちょいと直しながら、ユリは「まあ、みんな心配はしてると思うよ」と付け加えた。「まあ、今まで三人で歩いてた通学路が、二人っきりになると寂しいよな。」「そうね、まあ、夜になったらまた会えるからいいんだけど。」ユリの言葉に、頭の中が少し揺れたような感覚があって、立ち止まる。「どうしたの」ユリが振り返りこちらを伺う。すぐに気持ち悪さは収まって、ふう、と胸をなでおろした。「大丈夫、何でもない。」「そう?」「うん。昼間はさすがに話せないけど、今のところ夜になったら今まで通り話せるから、そこまで寂しくはないよな。」「そうね、今のところというか、まあ、そうね。」そうこうしているうちに、学校に近づいてきて、周りには同じ制服を着た生徒が増えてくる。ユリは、友達を見つけたようで、さっと手櫛で髪を整えて、「じゃあ、またあとでね」と駆け出していく。彼女の昔から変わらないさっぱりとした口調や、綺麗な瞳や、形のいい口元になぜこんなにも胸がざわめくのかはわからずじまいだった。

「本当ありがとう、助かった。」校門の前で三十秒ほど待っていたら、玄関から駆けてきたユリに参考書を手渡される。変える方向も家の位置もほぼ同じだし、ここでわざわざ別々になるのもおかしいため、二人で並んで帰る。「ほかに借りる人いなかったのかよ。」「だって同じクラスの人には借りられないし、部活の友達は聞いてみたけど持ってないって言うんだもん。」「俺に借りたことなんて今までなかったじゃん。」「そりゃあ、明人に借りてたもの。明人のほうが綺麗に使ってるし、何も言わずに貸してくれるし。」「それ貸してもらった側の言い方かよ。」「聞いてきたのはそっちじゃない。」ユリのこういう気の強い一面のせいで、教科書を借りる友達もいないのではないかと少し心配になったがそういうことではないらしい。しかしまあ、明人がいないと、プロレスのような言い合いもオチが付かないなあ、なんて考えてしみじみとしてしまった。「明人、部屋にいるの?」「うん、いるけど。」「今日も話しに行こ~っと」「そろそろ勘違いされそうなんだけど。」明人のことを知らないうちの親は、幼馴染のユリがいきなり俺の部屋に毎日来るようになって少し不思議がっているのだ。今のところは、三人で仲良くしていた幼馴染のうちの一人が死んで、その寂しさにユリが俺と話したがっている、ということにしているが、それもいつまでもつかわからない。そんな俺の家での立場を知ってか知らずか、「まあ、いいじゃない。勘違いされても」と言ってくるユリ。あと三日も続けばめんどくさいことになるぞ~と思いながら、鍵を開けた。

「ただいま。」「おかえり~」明人は、俺のベッドの上で寝っ転がって、まるで俺らを待ち構えていたかのように返事をした。「二人分の足音したから、今日もユリは一緒なんだなって思ったよ。」明人はにこっと笑いながら言う。「だって会いたいじゃん。」ユリの言葉に、「それはそれは。どうも」と明人。「なんか今日ぎこちなくね、昨日喧嘩でもした?」いつもよりも、明人がユリに対して固い気がして、思わず突っ込む。明人は俺の言葉に少し驚いたように目を見開いたが、俺の見間違いかと思うほど一瞬で元の表情に戻った。ユリは「そうかもしれない」なんてはぐらかして、明人は「別に、いつも通り、でしょ?」と返された。「そうだ、ユリ。今日、一緒に夜の学校探険しない?」明人のとんでもない提案に、置こうとしていたリュックを取り落とす。「なんで、危ないし、夜に家から簡単に出ることなんてできないからユリはいかないって、三人で決めたじゃん。」乗り気ではなかった俺たちに、ユリも「まあいいかな、怖いし、危ないし、寝れないし。面白い探険話聞かせてね」と答えていたのが記憶に新しい。ユリは「行きたい!いいの?」と明人に飛びついている。「いいよ?」きゃ~!と声を上げながら、ありがとう明人!と抱き着いているところを見ると、やっぱりユリは明人の前だと子供らしいよな、と思う。同じ幼馴染でどうしてここまで対応が違うのか、二人が戯れている様子を冷ややかな目で見ながら、はあ、と小さくため息をついた。

明人と二人で家を出ると、隣の家、明人の家の反対側からユリが出てくる。「大丈夫だった?見つからなかった?」「全然、何も問題なかった。」「お前のことだから、俺は、暗い階段で足滑らしたりしてるんじゃないかと思ったけどな。」「うるさい、仮に足を滑らしても私は軽いから音一つ立ちません~」「それはどうかな~小学校の時、組体操で俺の上に落ちてきたの、ずっと忘れないけど?」「ああ、凪がびっくりして鼻血出したやつね」「はいはい、そこまでそこまで。」明人が苦笑しながら入ってくる。「よくそんなに覚えてるもんだね。」としみじみという明人にユリが、「余計なこと言わないで」なんて叱っていた。

夜の学校はやはり薄気味悪いが、そこら辺の男どもよりもずっと度胸の据わっているユリはまるで昼間の校舎に入っていくかのように、裏門の横を通って中に入る。「セキュリティ怖くないのかよ。」俺が呟きながら、後ろから追いかけると、くるっと振り返ったユリは目を逸らして「え~っと、まあどうせ明人が調べてくれてるんでしょ。」と答える。「大胆すぎてびっくりしたけどね。バレるよそんなんじゃ。」「だから、余計なこと言わないで。」いつもはほぼ全肯定の明人が今日はユリに少し意地悪を言っている。珍しいな、なんて思いながら、「まあ、いいじゃん。セキュリティはならなかったし、ばれてないって」といつもの明人の役回りと同じようなセリフで仲裁をくわえた。「そうじゃないんだけどなあ、」となお呟く明人に、またユリが嚙みついていた、やれやれ。

祠でもユリは特に動じなかった。キツネが急に鳴き声を上げたりしたら、普通の女の子なら悲鳴でも上げると思うんだけど。「かわいくないな、お前。」祠をじっくりと観察しながら、「こんな感じなんだ~」と声を上げるユリにそう言うと、「別に凪にかわいいと思ってもらおうとしてないし。」なんて返事が返ってきた。ふん、とお狐さんのように顎をツンと上げる彼女はやっぱりかわいくない。三人で連れ立って職員室まで歩く。ユリが水槽の前でじっと立ち止まったのを見て、明人が「気づいてほしいの?」なんて後ろから声をかける。「別に~」ユリは歩きはじめ、俺は何が何だかわからないまま後ろからついていった。今日は月が出ていないからか、水槽はやけに鮮やかに、クリアに見えた。

職員室に向かうものだと思い込んでいたが、明人が向かったのは階段だった。「なんで、職員室行けばいいじゃん。」特に3Aに行きたくない理由はないが、特に3Aに行きたい理由もない分、職員室に向かわないわけはないと思っていたため、非難交じりの声が出る。「ちょっと、確認したいことがあって。」明人はすいすいと登って行ってしまったので、俺とユリはその姿を追いかけることしかできない。「職員室に向かえば良くないか?何をもって、確認なんだ。」明人と俺は同じ量の情報しか持ち得ていないと思っていたのに、何か明人のほうが知っていることがあるのか、明人だけわかっていて、俺が気づいていないことがあるのか、だとしたらたとえ確定情報でなくてもなんであいつは教えてくれないんだろうか、もやもやとしながら階段を登った。ユリは俺のことを追い越して明人に追いつく。二人でひそひそと話している、それがまた少し気に入らなかった。さっきから俺に分からないようなことばっかり二人で話して、俺たち三人で幼馴染なのに、なんて明人にあてたものかユリにあてたものか、それとももっと違う何かにあてたものなのか分からないような嫉妬心が飛び出そうになった。

明人が向かったのは三年A組、俺たちのクラスだった。昨日からこの教室に昼も夜も来ている気がする。何のためになんて小さく非難交じりに呟いたがその声はきっと二人には届いていない。三年A組に入った明人はすぐに踵を返す。「確かに、そうかそうか、これじゃ意味ないな。」とブツブツ呟いているが、その意味は理解できない。ユリと二人でそんな明人の様子を見ていたが、ユリも何もわかっていないような顔をして安心した。夜の教室はまだしゃれこうべ先生を呼んでいないので、俺たちの教室の様を保っていた。明人は何かを考え込むように黙り込みながら、天井付近をふわふわと飛び回っている。彼の思考を邪魔しないように、それを指さしてユリのほうを見た。「あれが、幽霊流の右往左往らしいよ」「探偵が何か考え込むときにうろうろするやつのことね。」ユリと二人でくすくす笑う。明人はすうっと何も言わずに教室を出て行ってしまった。「おい」声をかけると「ちょっと待ってて」と声が飛んでくる。「どうせ、声出して考えたいんでしょ、放っておきましょう」ユリの言葉にそれもそうかと思いながら、近くの席にユリと二人で座ることにした。「それにしても、明人は幽霊にならないつもりなの?」ユリが話を切り出す。「ならないだろ、どう考えても。」「そんな感じ?」ユリの黒い髪がさらりと揺れる。少し不満そうな光をたたえた目元に、少し違和感を覚えた。「なに、幽霊になって欲しいのかよ?まあ今ももう幽霊だけど。」俺の問いかけにユリは当たり前というように頷く。「だって、明人は今、生前とほぼ変わらないでしょ。」ユリは俺よりも明人よりも一回り小さい手を出して、指を折り始める。「姿も変わらない、性格も変わらない、記憶もある、少々宙に浮けて、少々体が透けてるけど、幽霊になったおかげで眠らないでも一晩中遊べるし、むしろバージョンアップしてない?」「俺らは、眠らずに一晩中遊ぶなんて付き合えないけどな」「あ、そうね。」ユリは少し目を逸らした。「でも、それもいつまでかわからない、って本人が言ってたし、俺もよくわからないけどそう思う。それに、学校から離れられないんじゃ、すぐに飽きると思うけど。」明人は学校に付きっぱなしではないが、学校から徒歩三十分県内から外に出ることはできないと言っていた。自分で試して、きっちり半径三十分圏内の円状を確認したというのだから間違いない。幽霊だから空を飛べるといったって、すぐに飽きるだろうし、幽霊だからショッピングしたり、ゲーセンに行ったりすることもできない。「いいじゃない、私たちがいるんだから。」今まで、異性の幼馴染らしく、「そっちのことはよくわからないけど、自分の良いようにやりな」というスタンスをとっていた俺たちだったから、ユリの発言には少し引っかかるものがある。「明人の人生は明人の人生、俺たちの人生は俺たちの人生、だろ?明人が自分でそう決めて、今、七不思議討伐を頑張ってんだよ、だから下手なこと言うな。」たしなめるような口調に少しむっとしたのが、月明かりを背にして逆光で少し暗くなったユリの表情からわかった。ユリは機嫌を損ねたのか、席を立つ。人生、まあ、もう終わっている人が若干一名いるが関係ない。幽霊にも人権はあるはずで、死にざまも選び取れるはずだ。つかつかと窓辺に行って、格子の隙間から外をじっと見ていたユリが振り返った。「じゃあ、いいんだ。凪は。明人、明日でサヨナラだよ?」「え?」「もう明人と話せないんだよ?」ユリの言葉に黙りこくる、その言葉の意味をそのまま飲み込んで思考を停止させそうになったが、頭を上げて睨むようにユリを見た。「明日ではないだろ。しゃれこうべ先生は四番目の怪異。五番目の百合子さんがいて、そのあと七番目の願いの鏡でお別れ。願いの鏡は夕方に行かないといけないから、少なくともあと二日だって。」ユリは俺の言葉に小さく首を振った。何も違うことはないと思うのだが、ユリがこんな簡単な日付計算を間違えるはずはない。詳しく説明しようと思ってやめた、彼女の顔がやけに寂しそうだったからだった。「何はともあれ、明人と話せなくなる日はもう、すぐ。」ユリは呟く。「でも、明人が幽霊になることさえ決めれば、ずっと一緒。七不思議なんて、何十年か後にしゃれこうべ先生と百合子さん?だっけ?をやっつければいいじゃない。そしたらそれまでずっと一緒。」ユリの言葉が頭にじんわりと染みてくるような心地がする。俺も同じことを考えたときがあった。その時は明人にそれじゃいけない理由を説明されたけれど、やっぱり幼馴染ならそういう思考回路になるよな、と少し安心する。幽霊になった明人と人間の俺らとでは、感覚が変わってきてしまっている部分があるのだ。「そう、だよな。」「そうよ、寂しいでしょ。もう、明人を失いたくないでしょ、目の前から明人が急に消えたあの日を思い出して、ねえ、怖かったよね、辛かったよね、もう、失いたくないよね」ユリは窓辺からゆっくり近づいてきた。様子がおかしかった。それと同時に、その言葉にひどく心を揺さぶられる自分もいた。再び会えたと思ったら、また離れ離れなのだ。幽霊は存在すれど、死後の世界が存在する保証はない。俺が死んだって彼に会える保証はない。「寂しい。……もう、失いたくない。」気が付いたら言葉が口をついていた。今まで明人には言えなかったことだった。ユリは気が付いたら俺の真正面に来ていた。椅子に座る俺とその真ん前に立つユリ。ユリの膝が、俺の膝にくっつく。月はゆっくり移動していて、三年A組の教室に月光が綺麗に入ってきたせいで、ユリの顔は逆行になってよくわからない。「寂しいよね。明人に六番目になってもらいたいよね」ユリの指先が頬に触れた。冷たくて痛々しい細い指先。ユリの言葉に頷こうとしたその時。

ざざっざざっ、と砂嵐のように視界が、いや、校舎が揺れたように感じた。小さな眩暈がして、それから、教室の様子が変化したのを感じた。「あ、しゃれこうべ先生の時代になってる。」小さく呟く。座っている椅子も、いつもの自分の椅子よりも少し低かった。ユリは俺からすっと離れて、何もなかった風を取り繕った、すぐに明人が入ってきた。「ただいま、作戦会議が済んだから、とりあえずしゃれこうべ先生を呼び戻しといた。」明人は何でもないことのように言う。そういうことは伝えてからやって欲しかったが、そう言ったところで止まらない男だ。「オーケーありがとう」とだけ伝えた。ユリも俺と同じように自分の席のほうに歩いて行っていた。ユリの席の位置の机は、あの白い百合の花がたくさん置かれた百合子さんの机だった。「こんなにたくさんの花があるの、知らなかったでしょう?」明人が問いかける。当たり前だった、しゃれこうべ先生の時代に来たことないのだから。「知らなかった……」ユリは小さく震えた声で呟いた。泣きそうな声に少しびっくりして、ユリの顔を覗き込んだ。「行こう、しゃれこうべ先生のところに。」明人はユリの手を取って進み始めた。なぜか小さくうなだれているユリと、その手を引いている明人の後ろから俺はついていった。

しゃれこうべ先生は昨日と一昨日と同じように仕事を一心不乱に片付けていた。明人は職員室に入り、しゃれこうべ先生の横まで歩いていく。「しゃれこうべ先生、千春です。菅原千春。」明人は、あの被害者のこの名前を呟いた。何が起こるのかわからなかった。明人は俺に何も相談せずに新しい試みを始めた。明人の隣で俯いているユリは、怖がっているんじゃないかと少し心配になった。そのとき、しゃれこうべ先生が頭を上げた。骨の擦れる音を初めて聞いた。しゃれこうべ先生は真正面から明人とユリを見た。ユリはしゃれこうべ先生に小さく会釈をした。何が起こるのか、それを見守ることしか俺にはできなかった。「菅原千春です。」明人はもう一度念押しするようにしゃれこうべ先生に伝えた。しゃれこうべ先生の顎が動いた。何かを言おうとしているようだった。表情筋も、声帯もない彼が何を言いたいのか、俺にはわからなかった。しかし、明人には聞こえたようだった、そしてユリにも。しゃれこうべ先生は、小さく俯き、そしてすうっと消えていった。あっけない消滅だった。

「よし……」明人が呟いた。「千春、じゃあ、天国でたくさん話してきな」「ありがとう」「いいえ。じゃあな。」そしてユリも消えた。





頭の中が少し揺れたような感覚があって、目を瞑る。少しすると気持ち悪い感覚も収まった。目を開くと目の前に明人がいて少し驚いた。「大丈夫?凪」「大丈夫。お前、シンプルになったな。」「そう?確かに。」こちらを覗き込んでいた明人には、もう、赤い首輪しか残っていない。気が付いたら、祠と繋がっているはずの左薬指の糸も消えていた。「あと一つだよ。」明人が首輪から伸びる糸を人差し指で手持ち無沙汰に小さくいじりながら言う。「あれ?あと一つ?百合子さんは?」明人は目を逸らした。「えーっと、心配しないで、もう消えたから。」「いつの間に?大丈夫だったのかよ」明人は頷く。「何も問題なかったよ、というか、ありがとう。」「何もしてないけどな、本当に。」消滅させられたことさえ知らなかったのだ、本当に何もしていないと思うのだが、ありがとうと言われて少し戸惑った。「まあ、まあ、七不思議なんて、ね、変なことばっかりだから、少々不可解なことがあっても気にせず、ね。」明人が取り繕うように言ってくる。それもそうか、七不思議討伐なんてしている時点で、おかしいことだらけなのだ、一体くらいなぜか消えてもいいだろう。むしろラッキーだと思うことにする。「まあそうだな」と頷いた俺に、明人はにっこり笑った。「じゃあ、帰ろう」

「ってことは、もう今日が最後の夜か。」月を見ながら言う。いつの間にか、昼間の太陽光よりも月光が、太陽を見上げるよりも、月を眺めるほうがしっくりくるようになってしまった、それもこれもすべて明人のせいだ。「そうだよ、最後。まあ、上手くいけばだけど。」明人の言葉にヒヤッとする。もし上手くいかなかったときどうなってしまうんだろう、と。その思考が顔に出ていたのだろう、「大丈夫だと思うけど、ね」と明人はこちらを安心させるように言った。最後の夜、と思うと、なんだか急にあたりが鮮やかに見えるような気がした。マツムシ、コオロギの声がうるさいほど響き渡っていることに、今初めて気が付いた。明人の声を聞くのに必死だったから。出会ったときは三日月だった月はまた、三日月に戻っていた。遠くの山から獣のような声が聞こえる。遠吠えか、それとも風の唸り声か、聞いただけではわからない。「不本意だし、絶対に成仏したいと思っているのは今も一緒なんだけどさあ。」明人がぽつぽつと話し始めた。彼の言葉に耳を傾ける。すぐに虫の音も風の音もまた聞こえなくなった。「でも、幽霊になって、凪ともう一回話せてよかったよ。」彼の言葉に涙が出そうになった。口を真一文字に引き結んで、小さくうなづく。「俺も。」声が震えてしまったがしょうがない、こいつは泣かせに来ているのだ。「急に死んじゃうもんだね、人間って、本当にびっくり。」「本当だな。」「凪、僕がいなくなったら悲しい?」悲しいよ。でも答えられなかった。そう言ったら本当に泣きわめいてしまいそうだったから、それを言って彼が成仏することを諦めたら、と思うと怖かったから。「幽霊でも、また話せてよかったよ。」明人から目を逸らすようにして答える。何の返答にもなっていないことはわかっていたが、それが精いっぱいだった。「ごめんけど、僕、凪が悲しむからって成仏諦めたりはしないから安心してよ。」明人は笑いながら言った、全てお見通しだった。自分でも気づかないうちに涙が頬を流れていたようで、シャツに雫が落ちた感覚で自分が泣いていたことに気が付いた。なんだって諦めてくれたっていいじゃないか、十年以上来の幼馴染が泣いてすがったら、成仏くらい諦めてくれてもいいじゃないか、成仏くらい……。「そうかよ。」「拗ねてる。」「俺と一緒に生きようよ」「もう死んでるってば。」初めての泣き言だった。「もう死ぬなよ。」初めてのつぶやきだった。「これであってるんだよ。」明人は困ったように微笑んで呟いた。「だから、凪?明日ちゃんと、よろしくね。」天国への最後の関門を通すのは、俺の役割だった。願いの大鏡に向かってしっかりお願いすることを求められているらしい。たった一人の俺の大切な幼馴染。最後にそいつを消滅させるのは俺の役割だった。