すれ違いのキス

 幼馴染の高良浬(たからかいり)は「明日の入学式のために髪を黒くした」と僕の部屋にやってきた。
 金に近かった茶髪は、見事に真っ黒になっている。

「似合うか?」
「うん、似合うよ。明るい期間、短かったね」

 浬は中学を卒業してすぐに髪を染めた。春休みだけで少し勿体無いな、と思ってしまう。
 浬は目鼻立ちが整っていて、すごくかっこいい。明るい髪も似合っていた。
 僕は小さな頃から浬に恋をしている。

「入学式が終わったら、また染めるけどな」
「明るいのも似合ってたよ。でも髪の毛、大丈夫?」

 浬の髪に触れる。少し硬い。また明るくしたら、もっと傷みそうだ。

恵斗(けいと)

 名前を呼ばれて、身体を硬直させた。
 座る浬の髪に膝立ちで僕が触れている。
 僕より浬の方が背が高いからいつもと逆で、浬に見上げられて心臓が跳ねた。
 浬の目は吸い込まれそうなほど綺麗で、僕は思わず見惚れる。
 浬の顔が近付いてきて、唇が重なった。
 触れた唇は予想以上に柔らかく、一瞬時間が止まったように感じた。
 すぐに離れるけれど、僕は目を見開いて指先で唇に触れる。
 今のってキス、だよね? 僕の指先より柔らかい感触に、顔へ一気に熱が集まる。

「……どうして?」

 もしかして、浬も僕と同じ気持ちなの? 僕のことが好きなの?
 戸惑いと期待が混ざった気持ちで、浬の言葉を待つ。

「どうしてって、つい。目の前にあったから」

 つい? 目の前にあったから? 目の前にあったら、誰とでもするってこと?
 誰とでもする浬と、期待した僕に、怒りと羞恥で顔はさらに熱くなった。

「ひどい! 僕は好きな人としかしたくないのに!」

 僕は浬が好きだけど、浬は違うんだ。僕は両思いじゃなきゃキスなんてしたくない。
 奥歯を噛み締めて、浬を睨みつける。

「好きな人?」

 浬が眉間に皺を刻み、目つきが鋭くなった。少し怯んでしまったけれど、なんで僕が睨まれなきゃいけないの?

「浬なんて嫌いだ! 帰って!」

 立たせて部屋から追い出し、扉を閉めた。身体で扉を押さえる。

「恵斗、開けろ」
「うるさい! 帰れ!」

 僕はベッドに飛び乗って、布団に潜り込んだ。
 扉が開く。鍵なんて付いていないから、浬が入ってきた。足音がこんもりしているであろうベッドに近付いてくる。

「悪かった」

 悲痛な声で謝られるけど、僕は返事をしなかった。
 浬は静かに部屋を出ていく。
 浬なんて嫌いだ。そう自分に言い聞かせるのに、全然嫌いになんてなれない。

「当たり前だよ。小さな頃から好きなんだから。そう簡単に嫌いになんてなれない」

 僕はベッドから抜け出す。
 カーテンの隙間から外を覗いた。浬がお向かいの家に入るところだった。
 浬は一度こちらを振り返る。
 僕は慌ててしゃがんだ。少し待ってもう一度外を見ると、浬はいなかった。家に入ったようだ。
 明日から高校生だ。浬は同じ学校。気まずいな。
 僕からはため息しか出てこない。




 次の日、僕は早めに家を出た。浬と鉢合わせたくなくて。
 今まで毎日一緒に登校していた。高校でもそうなるだろうと思っていた。でも、もう浬とどう接すればいいかわからない。
 一年生は浬とクラスが離れ、学校で会うことは少なかった。
 浬は派手な友達がたくさんでき、休みの日は出かけているようで、遊ぶことも無くなる。
 浬と疎遠になったけれど、僕も友達ができたから、それなりに楽しい高校生活を送っていた。
 浬は心の真ん中に居座り続けているけれど。




 二年生になり、クラス替えで浬と同じクラスになった。高良浬と広沢(ひろさわ)恵斗だから、席は離れていてホッとする。
 委員会を決めるときに、僕は図書委員に立候補した。
 本は好きだし、静かだし。
 僕で決まりで、もう一人を決めようとすると浬が手を上げた。
 僕と浬に決まりそうになった時、浬とよく一緒にいる女子が僕に「変わって」と言ってきた。浬と一緒がいいのだろう。
 図書委員をやりたかったけれど、浬と一緒は気まずいし、当番のたびに浬の友達が図書室に来たら静かではなくなる。
 いいよ、と言いたかったけれど、浬が「俺と恵斗で決まりな」と前に出て、勝手に黒板に名前を書いた。
 僕が呆気に取られていると、別の委員を決める話し合いが始まった。
 なんで浬は僕の名前を書いたんだろう。友達とやればいいのに。




 水曜日の放課後が、僕と浬の図書室の当番の日だ。やっぱり浬の友達がカウンターに集まってきて、大きな声で浬に喋りかけていた。
 図書室を利用するのは、大人しい人が多いから、少し離れたところでこちらを伺っている人がいた。
 僕は立ち上がって、その人に話しかける。別のところで貸し出しの受付をした。

「お前らうるさいから出ていけよ。ここにいたいなら、大人しく本でも読んでろ」

 浬が友達に注意したことで、彼らは渋々図書室を出ていった。
 僕はホッと息をつく。
 僕もなにか本を読もう。
 本棚を物色していると、影が掛かった。
 不思議に思って振り返ると、浬が僕の真後ろに立って見下ろしている。びっくりして体が仰け反り、頭を本棚に打ち付けた。両手で頭を押さえる。

「大丈夫か?」

 浬は心配そうに眉を下げて、声をかけてくれる。
 僕は小さく頷いた。

「なに?」

 そっけない声が出てしまって口を閉ざす。浬と話すのが久しぶりすぎて、緊張してしまう。
 手のひらにジワリと汗が滲んだ。

「うるさくして悪かったな」

 僕は「うん」と頷いて、本棚に向き直った。浬はまだ僕の後ろにいて、居心地が悪い。
 本を選ぶ余裕なんてなく、僕は目の前にあった本を適当に引き抜いてカウンターに持って行く。
 なぜか浬もついてきて、僕は貸し出しの受付がない間、ずっと本に目を落としていた。
 浬は僕を見ている。視線が痛いほど突き刺さるが、気付かないフリをした。
 なんで僕を見ているんだろう。体が熱くなり、頭が茹っているような錯覚に陥る。
 こんなに近くに浬がいる。
 文章なんて頭に入ってこないけれど、読んでいるフリを続けた。




 夕暮れ時になり、図書室がオレンジ色に染まる。
 図書室に人がいないことを確認して施錠した。

「僕が鍵を返してくるから、先に帰っていいよ」

 返事を待たずに、僕は職員室に向かう。
 鍵を返して、スクールバッグを取りに教室に入ると、浬が僕の席に座っていた。

「席、間違ってるよ」
「恵斗のこと待ってた。まだあの時のこと怒ってる?」

 一年前のキスのことだろう。僕は答えずに、下唇を噛んだ。
 怒っているというより、時間が経って寂しいに変わった。僕だけが浬を好きで。浬は他の子ともしているんだろうな、と想像して。

「悪かった。もうしないから、恵斗とは普通に友達でいたい」

 やっぱり僕だけが好きなんだ。
 心に冷たい風が吹き抜け、熱を奪っていくようだった。
 僕は無理矢理口角を引き上げる。

「うん、僕も浬と友達でいたい」

 浬は顔を歪めて笑った。
 なんで傷ついたような表情になったんだろう。心が痛いのは僕の方なのに。

「帰ろうぜ」

 気のせいだったのかな? 浬は二人分のスクールバッグを持って教室を出ていく。

「待って、自分で持てるよ」

 僕は慌てて浬を追いかけた。