モイライ来りて糸を繰る


 ただでさえ辰巳との関係で気苦労が絶えないというのに、陽向が中学二年生の時、家庭でも新たな問題が持ち上がった。

「元金と利息合わせて二百万って……あんた本当なの?」
「……」
「どうしてそんな奴の連帯保証人なんかに……」

 大学に進学した兄と両親がリビングで話し合っているところを、陽向は覗き見ることしかできない。
 兄の瀬戸(せと)悠心(ゆうしん)は、どこを取っても平凡な弟の陽向と本当に血が繋がっているのかと疑われる程には優秀だった。高校では全国模試の成績優秀者に名前が載り、生徒会副会長を務めた経験もある。都内の国立大学に現役で合格し、さらには親に負担を掛けないよう実家から電車で通学するような孝行息子だった。
 多少の遠距離通学というハンデはありながらもキャンパスライフを謳歌していたはずの兄だが、雲行きが怪しくなってきたのは大学のサークルである先輩と仲良くなってからだ。その先輩も兄と同じく現役で合格し、学生生活中にたまたまハマってしまったのか元々そういう性分だったのかは分からないが、いわゆるギャンブル中毒になってしまったらしい。最初はたまにパチンコやスロットで遊ぶ程度だったのが、気が付けば競馬に競艇にと散財するようになっていったと聞く。負けが込んでくると悠心を始めとした知り合いに金を貸してくれとしょっちゅう頼んできたそうだが、逆に勝った日には気前良く酒や食事をご馳走してくれていたらしく、それもあって兄たちもつい力になってやりたいと思ってしまっていたようだ。
 その話を持ち掛けられたのは夏季休暇に入る直前、前期試験が終わった後すぐ。サークルの部室に悠心が一人でいたところ、やって来た先輩はいつものように金の無心をするのではなく、部室に入るなり頭を床に擦り付ける勢いで土下座をした。聞けば繁華街の違法な店で賭け麻雀をやったのだが、同じ卓についていたメンバーと店側の人間がグルで、とんでもない負け方をしたそうだ。

「ウーピンだと思って遊んでたらデカウーピンだったんだよ。百二十万負けてそんなもん払えねえって言ったら、店の面倒を見てくれてるヤクザに連絡するって言われて。頼む、後生だから助けてくれ」

 その店でよほど怖い思いをしたのだろう。涙と鼻水で顔をべしょべしょに濡らしながら惨めに土下座をする先輩の姿に、さすがに見ていられなくなったと兄は言った。
 既にあちこちのカードローンから借り入れをしており、首が回らなくなっていた先輩に新たに金を融通してくれる会社はなかなか見つからず、結局あるグレー寄りの金融会社から借りてその店の支払いを済ませることにした。今回ばかりは痛い目を見た、今度こそは心を入れ替える、と言う先輩を信じることにして、悠心は連帯保証人の欄に名前を記入したのだ。
 それがどれほど愚かな行為だったのか、兄はすぐに思い知った。借金をした翌週から、先輩と一切連絡が取れなくなったのだ。大学の夏季休暇が終わる頃、金融会社から兄に連絡が来た。
 金を借りた先輩が飛んだから連帯保証人であるお前が代わりに支払え、と。
 それから毎日のように催促の電話が携帯にかかってくるようになり、半ば脅しのような言葉も吐かれるようになった。単純に暴力を示唆するような文句だけでなく、法律を盾に正当性はこちらにあると主張する言葉も言われ、兄は完全に参ってしまったのだ。
 両親と兄の会話からおおよその事情を把握した陽向は部屋に戻り、余計な口出しはすまいと大人しく過ごしていたが、真夜中に差し掛かろうかという時間に母が呼びに来た。大切な話があるからリビングに来てほしいと言うので、言われるがままに付いていく。

「陽向、ごめん。本当にごめん」

 テーブルに着くなり、悠心は泣きそうな声で謝りながら頭を下げた。どういうことかと父と母の方を見やると、二人も気まずそうにしながらおずおずと口を開く。

「陽向。悠心の借金だが、お前が大学に進学するために貯めていた分を返済に充てようと思う」
「本当にごめんなさい。でも、そうでもしないととてもじゃないけど返せないの」
「お前が大学に行くなら、それまでの間に必要な費用をまた何とかして貯めるから、今回だけ許してくれないか」

 降って湧いたような話に陽向は戸惑う。正直なところ、何故自分が会ったこともないような兄の知り合いのためにそんな目に遭わなくてはならないのかという気持ちはある。しかし父と母の辛そうな顔と、優秀だった兄が今まで見せたこともない絶望し切った表情をしているのを見てしまうと、陽向は文句を言えなかった。

「大丈夫だよ。大体、僕は大学に行きたいなんて言ったことはないよ。高校を出たら働くから、心配しないで」

 声は震えていないだろうか。笑顔は引きつっていないだろうか。
 そんな懸念を抱きつつ言うと、家族は揃って驚きに満ちた眼差しを陽向に向けた。そして皆、何か言い掛けたように口を開くのだが、結局何も言わずに黙り込んでしまう。特に悠心は、血が出るのではないかとこちらが心配になるほど力を込めて唇を噛み締めている。
 しばらくの間、重い沈黙がその場を支配し続けた。