モイライ来りて糸を繰る


 辰巳との間に存在するヒエラルキーを、はっきりと自覚したのは小学校に上がってすぐの頃だった。幼稚園の頃から聡明な性質の片鱗を見せていた辰巳は、学校で行われるテストで毎回高得点を取る。運動神経もずば抜けており、音楽や図工といった芸術的なセンスも明らかに平均を上回っていた。
 陽向の方は、成績についてはちょうど真ん中ぐらいで、体育については中の下。強いて言うなら図工の成績は少々良かったが、音楽についてはからっきしである。
 とはいえ、小学校低学年の頃はそれでも良かったのだ。陽向にとって辰巳は頼れる幼馴染で、何でもできる彼を誇らしく思っていたほどだ。陽向がたっちゃん、たっちゃんと呼びながら後ろを着いていくと、辰巳も笑いながら相手をしてくれた。
 しかし年齢を重ねて周りのことがよく見えるようになるに従って、陽向は自分と辰巳との明確な違いに気が付いていく。勉強も運動も何でもできておまけに見目も良い彼を、周囲が放っておくわけがない。いつの間にか辰巳の周りには男女問わず常にたくさんの人がいて、陽向はその中に入りにくくなってしまった。辰巳の方は相変わらず陽向に構い、他の友人に遊びに誘われれば必ず陽向も一緒にと誘ってくれたのだが、周囲の人間にはそれが面白くなかったようだ。
 梶山君はあんなに優秀なのに、何で瀬戸君なんかと仲が良いんだろう。月とすっぽんって言うか、まるで釣り合ってないよね。
 そんな内容の言葉を陰で、あるいは辰巳がその場にいない時に面と向かって言われ、陽向は自分の存在が辰巳にとって枷になっているのだと思い知った。自分がいなければ彼は己と同じぐらい優秀な人間とより深く関われるし、有意義な人脈を築くことができる。
 だが、すぐに辰巳から離れるという選択肢は取れなかった。それぐらい陽向の中で辰巳は大事な存在で、彼の隣というポジションを手放すのに大きな抵抗があったのだ。かといって、このまま周囲から冷たい目で見られ、針の筵に座るような居心地の悪さを感じ続けるのも胸が苦しい。
 そんな陽向のどっちつかずな意思を固めさせたのは、小学校も卒業間近という頃に漏れ聞いた会話だった。
 その日は卒業式の予行演習で学校が早く終わる予定だったのだが、久しぶりに一緒に帰って遊ぼうと朝から辰巳に誘われていた。帰りの会が終わり、違うクラスにいる辰巳を迎えに彼の教室を訪れると、女子生徒と二人で話しているのが見えた。陽向が教室の出入り口にいることには誰も気が付いていないようだ。

「梶山君、空手やってるってホント? 弟が極真習い始めたんだけど、上の先輩に小学生で型も組手もめっちゃ上手い人がいるって言ってて。名前聞いたら梶山君って言うから」
「ああ、もしかして駅前のとこの? あの子、松田さんの弟だったんだ。何か聞いたことある名前だと思ったけど」
「やっぱり! うちのお母さんも弟を入れる前の見学について行ったら、すごく綺麗な型やってる子がいて良かったって言ってたんだよね。上にあんな子がいるんだったらきっといい道場なんだろうって、それで入会したんだ。多分、梶山君のことだったんだと思う」
「何か恥ずかしいな。俺も四年生で始めたから、まだそこまで上手くないよ」
「でも二年は続けてるってことでしょ? すごいね。何で始めたの?」

 楽しそうに会話をしている二人の邪魔をするのは憚られて、陽向はしばらく教室の扉の近くで立ち尽くしていた。女子生徒から質問された辰巳は、少し恥ずかしそうな表情で答える。

「……強くなりたくて。守りたい奴がいるんだけど、誰かを守るには心も体も強くならなきゃって、ずっと思ってたんだ。だから」

 守りたいというその相手を思い浮かべているのか、どこか幸せそうな眼差しをする辰巳を見て、陽向は踵を返して教室から離れる。足早に昇降口へ向かい、靴を履き替え一人で外に出ると、そのままの勢いで家まで帰った。
 ランドセルを床に下ろしてベッドに突っ伏す。どれほどの間そうしていただろう。マンションのチャイムが鳴ってようやく顔を上げる。父は仕事、母は買い物に出ていて、五つ上の兄もまだ学校から帰っていない。陽向は仕方なく玄関まで行き、ドアを開けた。

「陽向、遅くなってごめん。待ち切れなくて先に帰ったんだよな? 早く遊びに行こうぜ」

 笑っていようが申し訳なさそうにしていようが、どんな表情でもキラキラした雰囲気を隠せない彼。そんな辰巳が守りたい相手とは誰なのだろう。少なくとも自分ではない。だって、彼が四年生の頃から空手を習っているなんて、今まで知らなかったのだから。

「こっちこそごめん。何か、体の調子が良くなくて。今日は遊べそうにないかも」
「え? そっか。悪い、気付けなくて。今、家に一人だろ? 大丈夫か?」
「少し休んだら大丈夫だと思う。せっかく誘ってくれたのに、ごめんね」
「いいって、気にすんな。じゃあ、ゆっくり休めよ。また今度な」

 優しく言って帰って行く辰巳の背中を見送り、陽向はそっとドアを閉めた。