小高の件があった次の日も、変わらず学校に行った。相変わらず頭がボーッとして、身体はダルかったけど、休んでしまうとそのまま動けなくなりそうで怖かった。
教室に入る前、坂部と小金井が神妙な顔付きで俺を呼んだ。場所を変えて話したいことがあると言われた。
三人で人気のない場所に移動すると、ぼんやりする頭で、坂部たちが昨日委員長のお見舞いに行った時の話をされた。
坂部は話しながら涙ぐんでいたが、俺は自分の中に何かを受け止める余裕がもう残っていなかったのか、全部聞いても心は不思議と冷静だった。
ただ。
“藍沢くんはとっても素敵な人だよ”
ああ、あの笑顔も嘘だったのかと、思っただけだった。
ずっとぼんやりしている俺を、二人は心配した。
一緒に教室の前まで戻ると、中から力の大声が聞こえた。
「え、なに」
「八木?」
立ち止まった俺の横を通り過ぎ、坂部と小金井が慌てて教室の中に入っていく。
開いた隙間から中を見ると、力が村岡の胸ぐらを掴んで机の上に押し倒していた。
「八木!! やめなって!!」
「テメェ適当なこと言ってんじゃねえぞコラァ!!」
「力くん落ち着いて!!」
「離せやボケ!! 事実だろうが!!」
安達と葵が力を止めようと駆け寄るが、見向きもしない力は相当怒っている様子だった。
村岡が顔を顰めながら、息を吸い込む。
「藍沢のこと気に入ってた真中も小高も、俺だって、藍沢と関わったから呪われたんだ!! 聞いたぞ、アイツ霊感あるんだろ?! アイツに憑いてる何かにみんな呪われたんだよ!!」
大きな声が、頭に響く。
「お前も、美馬も伊崎も!! 安達も!! みんな呪われるぞ!! もしかしたらお前らからも伝染するかもな!!」
笑い出した村岡に、力が拳を振り上げた。女子の悲鳴が上がる。
俺も咄嗟に中に入ろうとして、やめた。
頭の靄が、ずっと晴れない。
今、俺が行ってどうなる? 力や葵や安達が余計に孤立する。響も含め、みんなあることないこと言われてしまうかもしれない。
じゃあ、俺はどうしたらいい?
大事な友だちに迷惑をかけないためには、どうしたらいい。
────そうだ、俺が離れたら、全部解決する。
俺は身体を反転させて、昇降口に向かう。
登校してくる生徒たちの楽しそうな声を遠くに聞きながら、俺は一人フラフラと歩きながら、家に帰った。
案の定、内鍵も閉めずに一度ベッドに倒れ込むと、そのまま動けなかった。
部屋は綺麗になっていた。たぶん父さんが帰ってくるからだろう。俺が毎日食べているコンビニ弁当のゴミが見付かったら都合が悪いからだ。
寝転んだままベッドの下を探って確認すると、ユウの骨はまだここにあった。
それ以外はもう、どうでもよかった。
寝返りを打って壁の方を向く。
いつも眠る時は、こっち側にユウがいた。
ユウに抱き締めてほしい。ユウに頭を撫でて欲しい。ユウと眠りたい。傷付けたことを謝りたい。
ユウに会いたい、寂しい。
涙が溢れる。
他のことはもうどうでもよくて、何もかもどうでもよくて。
ただ、夢の中でいいからユウに会いたくて。
それだけを思って、目を閉じた。
数時間は眠った。深い眠りだった。夢の中にユウは出てこなかったけど、優しく頭を撫でられる感覚に、パッと目を開いた。
「……ユウ……ッ!?」
「ああ澪、起こしちゃったか。ごめんな」
「……父さん……」
少しガッカリする。目覚めた先には、ユウじゃなくて優しい笑みを浮かべる父さんがいた。
「ずっと寂しくさせてごめんな、澪……母さんのニュース見たか?」
「ああ…………うん……」
「そうか……ショックだったろう、顔色も悪いし……しばらくはあまりニュースやネットは見ないで、学校は休んでいいから、無理しないようにな」
「うん……ありがとう……」
「父さんもしばらく家にいるから。何も心配するな」
父さんが微笑みながら、もう一度頭を撫でる。立ち上がり、リビングに向かおうと背中を向けた時。
「……? 澪、この内鍵、自分で付けたのか?」
父さんが静かに聞いてきた。
「ああ、うん」
「……どうして? 萌さん、入る時ノックしてくれない?」
「んー……そんなんじゃないよ」
頭が上手く回らない。言い訳が思い浮かばない。
「……義理のお母さんだしさ、見られたくないものとかあるじゃん。ほら、思春期だから、ただ念の為にだよ」
適当にそう言って笑いかけると、父さんも少し間を置いて「まあ、そうか」と笑った。
そのまま父さんは俺を気遣いながら静かに部屋を出て、リビングに下りて行った。
簡単に誤魔化せる。さすが俺の父さんだなと思った。
***
それから二日間、俺はずっと部屋から出なかった。父さんはよく部屋に来てくれて、萌さんや義兄たちも、父さんが家にいるおかげで普通の家族として接してきた。
でも正直そんなことよりも、俺の頭はユウのことでいっぱいだった。
三日目も学校を休んで、最小限の食事と水分補給以外は、眠ったり起きたりを繰り返していた。
そして夕方になり、ユウの大好きなシュウクリームやプリンを買って来よう、待ってたら戻って来てくれるかもしれないと、ふと思い立った。
財布を手に持って、部屋着のままこっそりと部屋を出た。階段を下りてリビングの扉の前を通ると、父さんや萌さん、長男の理人が談笑する声が漏れ聞こえてきた。
一瞥し、いつものように静かに音を立てず、玄関を出た。
いつも寄っていたコンビニで、飲み物と、シュウクリームとプリンを大量に購入する。
入る前にガラスに映った自分はくたびれた服にボサボサの頭と、やつれた姿だった。
ビニール袋を持って、片手でスマホを操作する。
“ユウの好きな甘いものたくさん買ったよ”
“謝りたいから帰ってきて”
“ユウがいないと寂しい”
ユウが使っていたアカウントにメッセージを送る。
帰ってきて欲しい、ユウにずっとそばにいて欲しい。
そんなことばかり考えていたから、気付かなかった。
後ろから、密かに人影が近付いていたことに。
「おい」
背後から低い声がした。
俺以外に人はいないから、振り返る。
不登校だった柳が、血走った目で俺にナイフを突き付けていた。
「……柳……?」
危機的状況なのに、俺の頭はやっぱりどこかぼんやりとしていた。
「ひひ久しぶりに学校に行ったら、聞いたぞ、真中も、小高も、お前にのの、呪われて、酷い目にあったって」
柳が興奮を抑えるように大きく息をしながら、早口に喋る。
「どどど、どうせ、お前から近付いたんだろ! おま、お前が、誘惑したんだろ、俺の時みたいに、毎日わざわざ振り向いてプリント回したり、おも、思わせぶりに笑いかけたりして……!」
突き付けられたナイフをじっと見つめる。
俺は殺されるのだろうか、このまま。
心臓がドクドク早くなっているから、怖いのだろう。怖い、怖い気がするけど、心があまり何も感じない。
まあ、死ぬなら死ねばいい、俺の人生になんてなんの価値もない。
死んだら……そうだな。死んだら。
「ひひ、人のこと!! 弄んだ罰だ!!」
俺からユウに、触れるのかな。
そう思いながら、振り上げられたナイフをぼんやりと見つめていた。
でもその刃は、俺の元には届かなかった。
見覚えのある黒い霧が、柳の身体を抑えて首を絞め、柳の耳や口から身体の中へと入っていく。
それを見て、俺の心はやっと反応する。
見開いた目に、じわじわと涙が滲む。
「……ユウ!! ユウ!! どこ!?」
叫んで、気絶して倒れた柳を気にも留めずに辺りを見渡す。
「ユウ!! 酷いこと言ってごめん!! 大嫌いなんて言ってごめん!! ほんとはそんなこと思ってないよ!! 戻ってきてユウ!! もう俺ユウのことしか信じないから!! ユウがいないと、俺もう無理だよ……っ!!」
泣き喚きながら、膝の力が抜けてその場に座り込む。
そんな俺の正面に、ユウは、スッと姿を現した。その表情は、なんだか切なそうに見えた。
久しぶりに姿を見せてくれたユウに、俺は必死に手を伸ばす。地面に座ったまま、熱くなった瞼から大粒の涙を流し、縋るように。
「ユウ、ユウ……ッ!! ユウぅ!!」
ユウは、青白い手で俺の手を優しく握って、俺の身体を自分の方へと引き寄せる。
その冷たい身体で、俺を力強く抱き締めた。
いつもよりずっと、ずっと強く抱き締めてくれた。
ユウの腕の中で泣き続けた。人目も気にせずに。
ぼやけた視界で、ユウの肩越しに見た空は紫色に染まっていて。
星が、静かに瞬き始めていた。
散々泣いて落ち着いたあと、バタバタと走って家に帰り、一旦部屋に戻って、クーラーボックスを持って躊躇なくリビングの扉を開ける。
家族の視線を無視して冷凍庫からビニール袋に氷をたくさん入れて、その袋をクーラーボックスに詰める。
「……? 澪、さっき玄関から音したけど、どこか行ってたのか? クーラーボックス何に使うんだ?」
何も言わずにそのままリビングを出ようとした俺に、ダイニングにいた父さんが不思議そうに聞いてきた。
「……コンビニでいっぱい飲み物と甘いの買ってきた。好きな時に食べたいけど、一階と二階行き来するの今は少ししんどいから、上で冷やしておこうと思って」
「……そっか。何か他に欲しいものがあったらスマホ使ってもいいから言うんだぞ、父さん部屋まで持ってくから」
「……うん、ありがとう」
リビングを出る前にちらりと萌さんの顔を見ると、父さんにバレないように俺を睨んでいた。さっさと出て行けとでも言いたげな顔だった。
二階の部屋に戻ると、ユウが楽しそうに俺のベッドでゴロゴロしていた。
それを見て、嬉しくてたまらなくなる。
内鍵を閉め、買ってきたシュウクリームやプリンをクーラーボックスに詰めると、ユウの隣に寝そべる。
「ねえユウ、キスして」
ジッと見つめると、ユウは両手を頬に当ててクネクネして照れた。久しぶりに見た。可愛い。
目を閉じると、おでこにキスをされる感覚。
「……口にしてよ」
拗ねて口を尖らせると、ユウはニコニコしながら首を振って、俺の瞼や頬に何度も唇を落とす。
「……ふふ、くすぐったい」
ユウにされるがまま、身を捩る。
ずっとこの時間が戻ってきて欲しかった。嬉しい、嬉しい。
もう一度強請るように見つめてから目を閉じても、ユウは唇にはキスをしてくれなくて、俺は拗ねて今度はベッドの下からユウの骨を取り出した。
わざと見せ付けるように、骨をぎゅっと抱きしめる。
「もういいばか、こっちのユウとキスする」
そう言うと、ユウはハッとして慌てて俺からそっと自分の骨を取り上げ、枕の横に丁寧に置く。前から思ってたけど、自分の頭蓋骨めっちゃ気に入ってるよなコイツ。
そんな姿を見るのも楽しくて、ユウの様子をジッと見つめていると、ふとユウが俺の上に覆いかぶさり、手の感触を確かめるように握って、指を絡める。そして耳朶を甘噛みしたり、首筋にキスをする。
「……んっ………」
小さく息が漏れる。身体の奥が熱くなって、心臓が心地よくドキドキする。握られている手に力が入る。すると、首の触れられている部分に冷たい舌が触れた。
「ッ……んんっ」
ビクッと身体が震えたその時、不意をついたようにユウが俺の唇にキスをする。
堪能するように、角度を変えたり薄く口を開いて唇を挟んだりして、離すと額をくっつけてぐりぐりと優しく押してきた。
ユウが俺を見下ろしながら優しく頭を撫でる。驚くほど優しい顔をしていて、その目は今まで見せたことのない熱を秘めていた。
じわりと静かに涙が溢れる。
「…………ユウ、好き……」
まっすぐ目を見て伝える。
前は微笑むだけだったユウは、今度はしっかりと頷いて、口を開く。
“す、き”
声を出さずに、確かにそう言った。
もう一度唇を重ねて、そのままいつものようにユウにぎゅっと抱き締められて甘やかされる。
幸せな気持ちに浸っていると、机に置いたスマホが着信音を鳴らす。ユウが反応して、顔を上げる。
「気にしなくていいよ」
そう言うと、ユウは首を傾げた。身振り手振りで、自分の唇の端を指さしたり、両手で輪を作って目に当てたり、力こぶを作って指をさしたりする。“響たちからの連絡じゃないのか”と言っているのだろうと、すぐに分かった。
分かったうえで、首を振る。
「いいんだ」
村岡の声が、頭の奥に蘇る。
“お前も、美馬も伊崎も!! 安達も!! みんな呪われるぞ!! もしかしたらお前らからも伝染するかもな!!”
もう、みんなのそばに、俺はいない方がいいんだ。
「……もう、他人だから」
ユウがとても悲しそうな表情を浮かべた。
その頬に手を伸ばす。触れられなくてもいい。
「もう、何も要らない」
友だちも、優しい家族も、信頼できる大人も。
笑って欲しくて、笑いかける。
ユウがほんの少しだけ驚いたように目を見開く。
その黒い瞳に映った自分は酷く虚ろな目をしていて、まるで生気を感じない。
「ユウ以外、何も要らない」
そう言って笑う俺は、今まで見てきた幽霊によく似た顔をしていた。
着信音は何度かに分けて長い時間ずっと部屋の中に響き渡り、やがて、プツリと止まった。
***
それから約一ヶ月、俺は学校に行かず、たまにこっそり買い出しに行くくらいであとは部屋に引きこもった。
父さんは俺を見守るために会社に無理を言ってか、仕事には行くようになったものの毎日早く帰って来るようになった。そのおかげで義兄たちは大人しく、萌さんは表面上優しい。
ユウと、二人っきりの幸せな時間に浸りきっていた。
「ねえ、ユウ」
嬉しそうにシュウクリームを頬張りながら、テレビを見ているユウにベッドから声をかける。振り返ると、俺の姿を見てギョッとして、慌ててベッドに上がってくる。
ユウにいっぱい触って欲しくて、父さんの部屋からこっそり持ってきた大きいTシャツとパンツだけを履いた状態でTシャツの裾をくわえて上半身をユウに見せつけ、見つめて誘う。
慌てたユウにゆっくり優しく押し倒され、一瞬、今日こそもっと深いところまで触ってもらえると希望が湧いたが、ユウは俺の足を持ち上げていそいそとズボンを履かせた。
なんで。
虚無感が俺を襲う。Tシャツも下ろされ、お腹をポンポンと優しく撫でて一安心といったように息を吐くユウにゲンナリする。
拗ねて、ベッドの上でゴロリと転がり横向きになる。
「……ユウは俺がどうやって誘っても欲情しないんだ、ひとりでこんな恥ずかしい格好してバカみたい」
「!」
「俺ってそんな魅力無いんだ……」
「……! ……!」
ショックで子どもみたいにグズグズしていると、ユウが慌てて首を振って、俺の目尻にキスをする。
枕元のスマホの通知が鳴る。溜まった未読メッセージの数字を無視して、ユウのアカウントを開く。
“レイ ハ カワイイ”
“ウチュウ デ イチバン カワイイ ヨ”
“トテモ ガンプク デシタ”
「……うそだ」
“ウソ ジャ ナイ”
「じゃあなんでもっと触ってくれないの」
ユウは、見上げる俺の頭を優しく撫でる。
“レイ ハ イマ ココロ ガ フカク キズ ツイテイル カラ”
“キズ ヲ ナオス ホウ ガ サキ”
撫でられて、気持ち良くて目を細める。
ユウの優しさが嬉しくて、でもどこかもどかしくて。
最近は、こんなときに自分から触れられないことがより切なく感じた。
ユウになら何をされてもいいのに。関係ないのに。
心から身体の中まで全部、ユウでいっぱいになりたいのに。
理由もなく涙が滲んだ。勝手に涙が出ることはよくあるが、いつもユウが優しく拭ってくれる。安心感からか眠くなってきて、ユウの腕の中で目を閉じる。
ユウと一緒にいたら安心して、いつまででも眠れるような気がした。
部屋のドアの前をバタバタと走る音と、突然ドアを強く蹴る音で肩が震えて目が覚める。
「……? 何……」
「おい澪、ちょっと出て来いよ」
「………」
ドアの向こうからしたのは、義兄たちの声だった。
ああもう、最悪の目覚めだ。
ゆっくりと身体を起こし、内鍵を開け、少しだけ隙間を開けて覗く。その瞬間、次男の維人(いと)にガッ!と素早く手でドアを押さえられて、ため息を吐く。
二人とも大学サボったのか。萌さんは買い出しかな。
もうユウとの接触以外、全てがどうでも良くて面倒だった。
「……なに?」
「よう引きこもり、今から金渡すかサンドバックかどっちがいい? 選ばせてやるよ」
「…………」
「あれ、聞こえてる? 病んじゃって何も聞こえないか?」
義兄たちが薄ら笑いを浮かべる。
ああもう、めんどくさい。
「……どっちもやらないから、早くどっか行って」
「は? 随分生意気な口きくようになったじゃん」
「何、親父帰って来て調子乗ってる?」
「うるさい。ユウとの時間の邪魔しないでくれる」
「ゆう? は? 何言ってんのこいつ。怖っ」
理人が笑って、俺の髪を乱暴に掴む。
「サンドバック決定〜」
俺が痛みに顔を顰めたとき、ふわりと背中に冷たさが乗る。ユウが、後ろから俺に抱き着いて手を回していた。
俺の髪を掴む理人の手を弾くように、バチッ!と黒い火花のようなものが散る。
「痛ってぇッ! ……は? 何だ今の」
動揺する理人と維人の身体に、ユウが放つ黒い霧がまとわりつく。
何の感情も抱くこともなく、俺はただその様子をジッと見ていた。
黒い霧が体内に入っていくと、二人は一瞬気を失い、身体の力が抜ける。
そして次に顔を上げた時は、二人とも我を失ったようにどこか虚ろでだらしない笑みを浮かべながら、お互いを殴り合った。
二人で笑って取っ組み合いながら、階段を転げ落ちて行く。下でも暴れる音が続いていたけれど、どうでもよくてそのままドアを閉める。
ユウが、心配そうに俺の髪を撫でた。
「……ふふ、大丈夫だよ。守ってくれてありがとう」
そうして微笑むユウに手を引かれ、また二人でベッドに向かう。
ちょうど帰って来たらしい萌さんの悲鳴が、ほんの微かに聞こえて来た。
気に留めることなくユウにまたキスをしてとせがんで、焦らしてからかわれる。そして子どもを扱うように甘やかされる。
ユウとイチャイチャしていると、しばらくして窓の外から救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
ちょうど家の近くで止まったみたいだった。
恐らく義兄たちが運ばれていったのだろう。
罪悪感も、嬉しさも特になかった。
ユウといるときにだけ心が動き、自分の心臓の音が聞こえてくる。
「…………このまま死んじゃえば、ユウと“一緒”になれるのかな」
呟くと、ユウがピタッと手を止め、悲しそうな表情を浮かべた。
胸が痛くなるのも、こんな瞬間だけだった。
「冗談だよ、そんな顔しないで」
ユウが安心するように、微笑む。
ジッと見つめて、目を閉じる。
唇に落とされる冷たくて優しいキスに、暗い現実を忘れて夢中になった。
続
教室に入る前、坂部と小金井が神妙な顔付きで俺を呼んだ。場所を変えて話したいことがあると言われた。
三人で人気のない場所に移動すると、ぼんやりする頭で、坂部たちが昨日委員長のお見舞いに行った時の話をされた。
坂部は話しながら涙ぐんでいたが、俺は自分の中に何かを受け止める余裕がもう残っていなかったのか、全部聞いても心は不思議と冷静だった。
ただ。
“藍沢くんはとっても素敵な人だよ”
ああ、あの笑顔も嘘だったのかと、思っただけだった。
ずっとぼんやりしている俺を、二人は心配した。
一緒に教室の前まで戻ると、中から力の大声が聞こえた。
「え、なに」
「八木?」
立ち止まった俺の横を通り過ぎ、坂部と小金井が慌てて教室の中に入っていく。
開いた隙間から中を見ると、力が村岡の胸ぐらを掴んで机の上に押し倒していた。
「八木!! やめなって!!」
「テメェ適当なこと言ってんじゃねえぞコラァ!!」
「力くん落ち着いて!!」
「離せやボケ!! 事実だろうが!!」
安達と葵が力を止めようと駆け寄るが、見向きもしない力は相当怒っている様子だった。
村岡が顔を顰めながら、息を吸い込む。
「藍沢のこと気に入ってた真中も小高も、俺だって、藍沢と関わったから呪われたんだ!! 聞いたぞ、アイツ霊感あるんだろ?! アイツに憑いてる何かにみんな呪われたんだよ!!」
大きな声が、頭に響く。
「お前も、美馬も伊崎も!! 安達も!! みんな呪われるぞ!! もしかしたらお前らからも伝染するかもな!!」
笑い出した村岡に、力が拳を振り上げた。女子の悲鳴が上がる。
俺も咄嗟に中に入ろうとして、やめた。
頭の靄が、ずっと晴れない。
今、俺が行ってどうなる? 力や葵や安達が余計に孤立する。響も含め、みんなあることないこと言われてしまうかもしれない。
じゃあ、俺はどうしたらいい?
大事な友だちに迷惑をかけないためには、どうしたらいい。
────そうだ、俺が離れたら、全部解決する。
俺は身体を反転させて、昇降口に向かう。
登校してくる生徒たちの楽しそうな声を遠くに聞きながら、俺は一人フラフラと歩きながら、家に帰った。
案の定、内鍵も閉めずに一度ベッドに倒れ込むと、そのまま動けなかった。
部屋は綺麗になっていた。たぶん父さんが帰ってくるからだろう。俺が毎日食べているコンビニ弁当のゴミが見付かったら都合が悪いからだ。
寝転んだままベッドの下を探って確認すると、ユウの骨はまだここにあった。
それ以外はもう、どうでもよかった。
寝返りを打って壁の方を向く。
いつも眠る時は、こっち側にユウがいた。
ユウに抱き締めてほしい。ユウに頭を撫でて欲しい。ユウと眠りたい。傷付けたことを謝りたい。
ユウに会いたい、寂しい。
涙が溢れる。
他のことはもうどうでもよくて、何もかもどうでもよくて。
ただ、夢の中でいいからユウに会いたくて。
それだけを思って、目を閉じた。
数時間は眠った。深い眠りだった。夢の中にユウは出てこなかったけど、優しく頭を撫でられる感覚に、パッと目を開いた。
「……ユウ……ッ!?」
「ああ澪、起こしちゃったか。ごめんな」
「……父さん……」
少しガッカリする。目覚めた先には、ユウじゃなくて優しい笑みを浮かべる父さんがいた。
「ずっと寂しくさせてごめんな、澪……母さんのニュース見たか?」
「ああ…………うん……」
「そうか……ショックだったろう、顔色も悪いし……しばらくはあまりニュースやネットは見ないで、学校は休んでいいから、無理しないようにな」
「うん……ありがとう……」
「父さんもしばらく家にいるから。何も心配するな」
父さんが微笑みながら、もう一度頭を撫でる。立ち上がり、リビングに向かおうと背中を向けた時。
「……? 澪、この内鍵、自分で付けたのか?」
父さんが静かに聞いてきた。
「ああ、うん」
「……どうして? 萌さん、入る時ノックしてくれない?」
「んー……そんなんじゃないよ」
頭が上手く回らない。言い訳が思い浮かばない。
「……義理のお母さんだしさ、見られたくないものとかあるじゃん。ほら、思春期だから、ただ念の為にだよ」
適当にそう言って笑いかけると、父さんも少し間を置いて「まあ、そうか」と笑った。
そのまま父さんは俺を気遣いながら静かに部屋を出て、リビングに下りて行った。
簡単に誤魔化せる。さすが俺の父さんだなと思った。
***
それから二日間、俺はずっと部屋から出なかった。父さんはよく部屋に来てくれて、萌さんや義兄たちも、父さんが家にいるおかげで普通の家族として接してきた。
でも正直そんなことよりも、俺の頭はユウのことでいっぱいだった。
三日目も学校を休んで、最小限の食事と水分補給以外は、眠ったり起きたりを繰り返していた。
そして夕方になり、ユウの大好きなシュウクリームやプリンを買って来よう、待ってたら戻って来てくれるかもしれないと、ふと思い立った。
財布を手に持って、部屋着のままこっそりと部屋を出た。階段を下りてリビングの扉の前を通ると、父さんや萌さん、長男の理人が談笑する声が漏れ聞こえてきた。
一瞥し、いつものように静かに音を立てず、玄関を出た。
いつも寄っていたコンビニで、飲み物と、シュウクリームとプリンを大量に購入する。
入る前にガラスに映った自分はくたびれた服にボサボサの頭と、やつれた姿だった。
ビニール袋を持って、片手でスマホを操作する。
“ユウの好きな甘いものたくさん買ったよ”
“謝りたいから帰ってきて”
“ユウがいないと寂しい”
ユウが使っていたアカウントにメッセージを送る。
帰ってきて欲しい、ユウにずっとそばにいて欲しい。
そんなことばかり考えていたから、気付かなかった。
後ろから、密かに人影が近付いていたことに。
「おい」
背後から低い声がした。
俺以外に人はいないから、振り返る。
不登校だった柳が、血走った目で俺にナイフを突き付けていた。
「……柳……?」
危機的状況なのに、俺の頭はやっぱりどこかぼんやりとしていた。
「ひひ久しぶりに学校に行ったら、聞いたぞ、真中も、小高も、お前にのの、呪われて、酷い目にあったって」
柳が興奮を抑えるように大きく息をしながら、早口に喋る。
「どどど、どうせ、お前から近付いたんだろ! おま、お前が、誘惑したんだろ、俺の時みたいに、毎日わざわざ振り向いてプリント回したり、おも、思わせぶりに笑いかけたりして……!」
突き付けられたナイフをじっと見つめる。
俺は殺されるのだろうか、このまま。
心臓がドクドク早くなっているから、怖いのだろう。怖い、怖い気がするけど、心があまり何も感じない。
まあ、死ぬなら死ねばいい、俺の人生になんてなんの価値もない。
死んだら……そうだな。死んだら。
「ひひ、人のこと!! 弄んだ罰だ!!」
俺からユウに、触れるのかな。
そう思いながら、振り上げられたナイフをぼんやりと見つめていた。
でもその刃は、俺の元には届かなかった。
見覚えのある黒い霧が、柳の身体を抑えて首を絞め、柳の耳や口から身体の中へと入っていく。
それを見て、俺の心はやっと反応する。
見開いた目に、じわじわと涙が滲む。
「……ユウ!! ユウ!! どこ!?」
叫んで、気絶して倒れた柳を気にも留めずに辺りを見渡す。
「ユウ!! 酷いこと言ってごめん!! 大嫌いなんて言ってごめん!! ほんとはそんなこと思ってないよ!! 戻ってきてユウ!! もう俺ユウのことしか信じないから!! ユウがいないと、俺もう無理だよ……っ!!」
泣き喚きながら、膝の力が抜けてその場に座り込む。
そんな俺の正面に、ユウは、スッと姿を現した。その表情は、なんだか切なそうに見えた。
久しぶりに姿を見せてくれたユウに、俺は必死に手を伸ばす。地面に座ったまま、熱くなった瞼から大粒の涙を流し、縋るように。
「ユウ、ユウ……ッ!! ユウぅ!!」
ユウは、青白い手で俺の手を優しく握って、俺の身体を自分の方へと引き寄せる。
その冷たい身体で、俺を力強く抱き締めた。
いつもよりずっと、ずっと強く抱き締めてくれた。
ユウの腕の中で泣き続けた。人目も気にせずに。
ぼやけた視界で、ユウの肩越しに見た空は紫色に染まっていて。
星が、静かに瞬き始めていた。
散々泣いて落ち着いたあと、バタバタと走って家に帰り、一旦部屋に戻って、クーラーボックスを持って躊躇なくリビングの扉を開ける。
家族の視線を無視して冷凍庫からビニール袋に氷をたくさん入れて、その袋をクーラーボックスに詰める。
「……? 澪、さっき玄関から音したけど、どこか行ってたのか? クーラーボックス何に使うんだ?」
何も言わずにそのままリビングを出ようとした俺に、ダイニングにいた父さんが不思議そうに聞いてきた。
「……コンビニでいっぱい飲み物と甘いの買ってきた。好きな時に食べたいけど、一階と二階行き来するの今は少ししんどいから、上で冷やしておこうと思って」
「……そっか。何か他に欲しいものがあったらスマホ使ってもいいから言うんだぞ、父さん部屋まで持ってくから」
「……うん、ありがとう」
リビングを出る前にちらりと萌さんの顔を見ると、父さんにバレないように俺を睨んでいた。さっさと出て行けとでも言いたげな顔だった。
二階の部屋に戻ると、ユウが楽しそうに俺のベッドでゴロゴロしていた。
それを見て、嬉しくてたまらなくなる。
内鍵を閉め、買ってきたシュウクリームやプリンをクーラーボックスに詰めると、ユウの隣に寝そべる。
「ねえユウ、キスして」
ジッと見つめると、ユウは両手を頬に当ててクネクネして照れた。久しぶりに見た。可愛い。
目を閉じると、おでこにキスをされる感覚。
「……口にしてよ」
拗ねて口を尖らせると、ユウはニコニコしながら首を振って、俺の瞼や頬に何度も唇を落とす。
「……ふふ、くすぐったい」
ユウにされるがまま、身を捩る。
ずっとこの時間が戻ってきて欲しかった。嬉しい、嬉しい。
もう一度強請るように見つめてから目を閉じても、ユウは唇にはキスをしてくれなくて、俺は拗ねて今度はベッドの下からユウの骨を取り出した。
わざと見せ付けるように、骨をぎゅっと抱きしめる。
「もういいばか、こっちのユウとキスする」
そう言うと、ユウはハッとして慌てて俺からそっと自分の骨を取り上げ、枕の横に丁寧に置く。前から思ってたけど、自分の頭蓋骨めっちゃ気に入ってるよなコイツ。
そんな姿を見るのも楽しくて、ユウの様子をジッと見つめていると、ふとユウが俺の上に覆いかぶさり、手の感触を確かめるように握って、指を絡める。そして耳朶を甘噛みしたり、首筋にキスをする。
「……んっ………」
小さく息が漏れる。身体の奥が熱くなって、心臓が心地よくドキドキする。握られている手に力が入る。すると、首の触れられている部分に冷たい舌が触れた。
「ッ……んんっ」
ビクッと身体が震えたその時、不意をついたようにユウが俺の唇にキスをする。
堪能するように、角度を変えたり薄く口を開いて唇を挟んだりして、離すと額をくっつけてぐりぐりと優しく押してきた。
ユウが俺を見下ろしながら優しく頭を撫でる。驚くほど優しい顔をしていて、その目は今まで見せたことのない熱を秘めていた。
じわりと静かに涙が溢れる。
「…………ユウ、好き……」
まっすぐ目を見て伝える。
前は微笑むだけだったユウは、今度はしっかりと頷いて、口を開く。
“す、き”
声を出さずに、確かにそう言った。
もう一度唇を重ねて、そのままいつものようにユウにぎゅっと抱き締められて甘やかされる。
幸せな気持ちに浸っていると、机に置いたスマホが着信音を鳴らす。ユウが反応して、顔を上げる。
「気にしなくていいよ」
そう言うと、ユウは首を傾げた。身振り手振りで、自分の唇の端を指さしたり、両手で輪を作って目に当てたり、力こぶを作って指をさしたりする。“響たちからの連絡じゃないのか”と言っているのだろうと、すぐに分かった。
分かったうえで、首を振る。
「いいんだ」
村岡の声が、頭の奥に蘇る。
“お前も、美馬も伊崎も!! 安達も!! みんな呪われるぞ!! もしかしたらお前らからも伝染するかもな!!”
もう、みんなのそばに、俺はいない方がいいんだ。
「……もう、他人だから」
ユウがとても悲しそうな表情を浮かべた。
その頬に手を伸ばす。触れられなくてもいい。
「もう、何も要らない」
友だちも、優しい家族も、信頼できる大人も。
笑って欲しくて、笑いかける。
ユウがほんの少しだけ驚いたように目を見開く。
その黒い瞳に映った自分は酷く虚ろな目をしていて、まるで生気を感じない。
「ユウ以外、何も要らない」
そう言って笑う俺は、今まで見てきた幽霊によく似た顔をしていた。
着信音は何度かに分けて長い時間ずっと部屋の中に響き渡り、やがて、プツリと止まった。
***
それから約一ヶ月、俺は学校に行かず、たまにこっそり買い出しに行くくらいであとは部屋に引きこもった。
父さんは俺を見守るために会社に無理を言ってか、仕事には行くようになったものの毎日早く帰って来るようになった。そのおかげで義兄たちは大人しく、萌さんは表面上優しい。
ユウと、二人っきりの幸せな時間に浸りきっていた。
「ねえ、ユウ」
嬉しそうにシュウクリームを頬張りながら、テレビを見ているユウにベッドから声をかける。振り返ると、俺の姿を見てギョッとして、慌ててベッドに上がってくる。
ユウにいっぱい触って欲しくて、父さんの部屋からこっそり持ってきた大きいTシャツとパンツだけを履いた状態でTシャツの裾をくわえて上半身をユウに見せつけ、見つめて誘う。
慌てたユウにゆっくり優しく押し倒され、一瞬、今日こそもっと深いところまで触ってもらえると希望が湧いたが、ユウは俺の足を持ち上げていそいそとズボンを履かせた。
なんで。
虚無感が俺を襲う。Tシャツも下ろされ、お腹をポンポンと優しく撫でて一安心といったように息を吐くユウにゲンナリする。
拗ねて、ベッドの上でゴロリと転がり横向きになる。
「……ユウは俺がどうやって誘っても欲情しないんだ、ひとりでこんな恥ずかしい格好してバカみたい」
「!」
「俺ってそんな魅力無いんだ……」
「……! ……!」
ショックで子どもみたいにグズグズしていると、ユウが慌てて首を振って、俺の目尻にキスをする。
枕元のスマホの通知が鳴る。溜まった未読メッセージの数字を無視して、ユウのアカウントを開く。
“レイ ハ カワイイ”
“ウチュウ デ イチバン カワイイ ヨ”
“トテモ ガンプク デシタ”
「……うそだ」
“ウソ ジャ ナイ”
「じゃあなんでもっと触ってくれないの」
ユウは、見上げる俺の頭を優しく撫でる。
“レイ ハ イマ ココロ ガ フカク キズ ツイテイル カラ”
“キズ ヲ ナオス ホウ ガ サキ”
撫でられて、気持ち良くて目を細める。
ユウの優しさが嬉しくて、でもどこかもどかしくて。
最近は、こんなときに自分から触れられないことがより切なく感じた。
ユウになら何をされてもいいのに。関係ないのに。
心から身体の中まで全部、ユウでいっぱいになりたいのに。
理由もなく涙が滲んだ。勝手に涙が出ることはよくあるが、いつもユウが優しく拭ってくれる。安心感からか眠くなってきて、ユウの腕の中で目を閉じる。
ユウと一緒にいたら安心して、いつまででも眠れるような気がした。
部屋のドアの前をバタバタと走る音と、突然ドアを強く蹴る音で肩が震えて目が覚める。
「……? 何……」
「おい澪、ちょっと出て来いよ」
「………」
ドアの向こうからしたのは、義兄たちの声だった。
ああもう、最悪の目覚めだ。
ゆっくりと身体を起こし、内鍵を開け、少しだけ隙間を開けて覗く。その瞬間、次男の維人(いと)にガッ!と素早く手でドアを押さえられて、ため息を吐く。
二人とも大学サボったのか。萌さんは買い出しかな。
もうユウとの接触以外、全てがどうでも良くて面倒だった。
「……なに?」
「よう引きこもり、今から金渡すかサンドバックかどっちがいい? 選ばせてやるよ」
「…………」
「あれ、聞こえてる? 病んじゃって何も聞こえないか?」
義兄たちが薄ら笑いを浮かべる。
ああもう、めんどくさい。
「……どっちもやらないから、早くどっか行って」
「は? 随分生意気な口きくようになったじゃん」
「何、親父帰って来て調子乗ってる?」
「うるさい。ユウとの時間の邪魔しないでくれる」
「ゆう? は? 何言ってんのこいつ。怖っ」
理人が笑って、俺の髪を乱暴に掴む。
「サンドバック決定〜」
俺が痛みに顔を顰めたとき、ふわりと背中に冷たさが乗る。ユウが、後ろから俺に抱き着いて手を回していた。
俺の髪を掴む理人の手を弾くように、バチッ!と黒い火花のようなものが散る。
「痛ってぇッ! ……は? 何だ今の」
動揺する理人と維人の身体に、ユウが放つ黒い霧がまとわりつく。
何の感情も抱くこともなく、俺はただその様子をジッと見ていた。
黒い霧が体内に入っていくと、二人は一瞬気を失い、身体の力が抜ける。
そして次に顔を上げた時は、二人とも我を失ったようにどこか虚ろでだらしない笑みを浮かべながら、お互いを殴り合った。
二人で笑って取っ組み合いながら、階段を転げ落ちて行く。下でも暴れる音が続いていたけれど、どうでもよくてそのままドアを閉める。
ユウが、心配そうに俺の髪を撫でた。
「……ふふ、大丈夫だよ。守ってくれてありがとう」
そうして微笑むユウに手を引かれ、また二人でベッドに向かう。
ちょうど帰って来たらしい萌さんの悲鳴が、ほんの微かに聞こえて来た。
気に留めることなくユウにまたキスをしてとせがんで、焦らしてからかわれる。そして子どもを扱うように甘やかされる。
ユウとイチャイチャしていると、しばらくして窓の外から救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
ちょうど家の近くで止まったみたいだった。
恐らく義兄たちが運ばれていったのだろう。
罪悪感も、嬉しさも特になかった。
ユウといるときにだけ心が動き、自分の心臓の音が聞こえてくる。
「…………このまま死んじゃえば、ユウと“一緒”になれるのかな」
呟くと、ユウがピタッと手を止め、悲しそうな表情を浮かべた。
胸が痛くなるのも、こんな瞬間だけだった。
「冗談だよ、そんな顔しないで」
ユウが安心するように、微笑む。
ジッと見つめて、目を閉じる。
唇に落とされる冷たくて優しいキスに、暗い現実を忘れて夢中になった。
続
