ゆうれい

「ユウ!! ユウッ!!!」

 ガタンガタンと、電車が目の前を通り過ぎていく。
 パニックになった俺は、踏切が上がり切る前に再び線路の中に入り、地面に這いつくばってユウの骨の残骸を探した。
 
「嫌だ!! 何で、何でだよユウ!! なんで置いてくの!? 一人にしないでよユウ!! やだやだやだやだ!!」
「君、何してるんだ!」
「危ないよ!」
「離して、離して!! ユウが、ユウがぁ!! 嫌だ、ユウ!! ユウ!! あああああ!!」

 地面の砂をかき集めながら泣き喚いて暴れる俺の身体を通行人が慌てて起こして移動させる。
 誰かが呼んだのか、俺の視界に入った頃には萌さんは警察官に取り押さえられていた。

 ずっとパニックがおさまらなかった俺は救急車で搬送され、落ち着いた頃に父さんが病院に迎えに来て一緒に帰った。
 ユウを失ったショックで、死んだように何も考えられず、身体に力が入らない俺を背負い、父さんは俺の部屋のベッドまで連れて行ってくれた。

 立ち上がる時、ずっと冷静だった父さんが酷く震えた声で言った。

「ごめんな、澪」

 いつも大きいその背中も、小刻みに震えていた。

「本当にごめん」

 父さんの言葉に、何も答える元気が無かった。
 壁側に寝返りを打つ。ユウがいない、もう、どこにも。
 到底受け止められなくて、再び溢れた大量の涙が枕を濡らした。
 目を閉じて何度も思い出した。ユウの冷たさと、頭を撫でるときの手の動き。唇の触れ方。

 何度も何度も、絶対に忘れないように、記憶をなぞった。

 それからどれくらい経っただろう。生きる気力をなくした俺は何もできなくて、食事も父さんに手伝ってもらわないとままならない状態だった。
 萌さんや義兄弟たちは、あの日以来家に帰って来ていない。恐らく全てを知った父さんが追い出したのだろう。

「……ユウ……」

 父さんに見守られながらベッドに横たわり、呟くと、父さんは優しく笑った。

「……澪を守ってくれた人のことだね」
「……ん………」
「元気になったら聞かせて。その人のこと」

 父さんは俺の頭を撫でて「また来るよ、何かあったら言って」と言い、静かに部屋を出て行った。

 それからまた時間が経った。たぶん年は明けたと思う。

 少しずつ身体が動けるように、食べられるようになっていく自分のことが憎かった。
 ユウを忘れていく自分を受け入れたくなかった。
 次に眠ったとき、死んでいればいいのに。
 毎日そんなことを思っていた。
 この苦しみが永遠に続くなら、死んでしまいたいと本気で考えていた。


 そんな鬱屈とした日々を過ごしていた、ある夜のことだった。

 ドン、ドンと、外から窓が叩かれた。
 いつものように横たわってボーッとしていた俺は、飛び起きて窓の方に向かう。

「……ユウッ……!」

 ユウが帰って来てくれたんだと期待した。いや、本当は夢で、全部悪い夢で、いつものように寝かし付けに来てくれた。きっとそうだ。
 そう思ってカーテンを開けると、肩が震える。そこには怖い顔の男の霊──ではなく、怖い顔をした響がいた。

「テメェ開けろボケコラ!」

 窓越しにそう怒鳴っている。何で、ここ、二階なんだけど。
 どこから上ってきたのか知らないが、ガッカリしながらも、落ちたら怪我をするので窓を開ける。
 開けた窓から入って来た響は窓枠に座って靴を脱いだ。外の冷えた空気が、部屋に入り込む。

「二ヶ月以上も連絡無視しやがって、さすがいい度胸だな?」
「…………ごめん」

 俯いて呟くと、下からバタバタと父さんが走って来る音が聞こえた。
 バンッ!と、勢いよくドアが開く。

「澪、何か変な音したけど大じ……!? だ、誰だ君は!」

 父さんが響を見て、俺を守るように手を引いて後ろに隠す。

「ちーっす」
「何なんだ、窓から入ったのか!? 警察を呼ぶぞ!」
「父さん、大丈夫、大丈夫だから」
「……? 澪の知り合いなのか?」

 “……もう、他人だから”。ユウに言った言葉を思い出して、口をつぐむ。

「友だちッスよ」

 そんな俺とは違って、響はハッキリと言い放った。

「……そうか、不審者だと思って、悪かったね。ただ、今の澪は人と話せる状態じゃないんだ、改めてくれるかな?」
「改めねーよ。つかオッサン、こいつの親父か。家のことは少ししか聞いてねーけど、今まで放ったらかしにしといて今更偉そうなこと言ってんなよ」

 響が父さんを威圧する。見たことないくらい怒っていた。ずっと友だちだったのに、怖いとすら感じる。

「コイツはジッと守られてないとダメな弱虫じゃねーんだよ、友だちになって期間は短いけど、俺はアンタよりこいつのこと知ってる自信あんだわ」

 響は、真っ直ぐに俺たちを見てそう言った。
 父さんは戸惑って、俺を見る。
 俺は、緩く首を振った。

「……大丈夫だから、少しだけ、二人にしてもらえる?」

 そう言うと、父さんは俺の様子を気にしながら部屋を出て行った。

「……何で学校も来ねーで連絡も無視すんだよ」

 響の真っ直ぐな目を見れなくて、俯く。

「……小高のこととか、色んなこと……他にも、色々思い出して、もう何もかも嫌で、全部どうでも良くなってた」
「じゃあ何でそう言わねーんだよ、俺らに。しんどかったならしんどいって、“今は構うな”って言えば良かっただろ」

 簡単に言う響に腹が立って、顔を上げてキッと睨み付ける。

「……うるさい、そんな精神状態じゃなかったんだよ、響には何も分からないだろ!」
「分かんねーよ! ただあんなことがあってすぐに連絡付かなくなったら心配するだろうが!」
「そんなのいらない! 心配なんてしてもらわなくていい! いいだろもう、そんな薄情な俺の事なんか、期待外れで弱虫な俺のことなんかそのまま忘れたら良かったのに! 何で家まで来たりするんだよ! 迷惑なんだよ!」
「うるせえボケ! 俺はエスパーでも聖人君子でも何でもねえんだよ、迷惑だろうがなんだろうがテメェの気持ち全部察して黙って引っ込んでられるわけねえだろ!」

 響の声が頭に響く。涙が滲む。

「俺は自分勝手だからな! お前が……ッ、お前が死んじまうくらいなら、嫌われようが、迷惑だろうが何だろうが窓蹴破ってでも会いに来るんだよ!」

 なんで、なんで。

「……なんで……俺なんかに構うの……」

 他人だって言った、俺なんかを。

「俺と関わったら、みんなが“呪われる”って孤立するだろ!? そんなの俺が嫌なんだよ! だからもう関わりたくないって、関わっちゃダメなんだって……!!」
「はあ?! 誰がお前にそんなこと頼んだよ!」
「……そんな言い方……!」

 響が俺の服を掴む。

「そんなこと、勝手に決める前にちゃんと聞けよ俺らの言葉を!! 呪い!? 孤立!? 知らねーよそんなもん! 俺も、葵も力も!」

 近くで見た響の目には初めて見る涙が滲んでいた。

「お前の方が大事に決まってんだろうが!!」

 響の言葉に、ガツンと頭を殴られた感覚がした。

 次に涙が溢れた。それ以上は何も言えなかった。
 その場に崩れて泣く俺の背中を、響は黙って、力強く撫でてくれた。

 ずっと何も考えられなくて、考えることを拒絶して、視界が狭くなっていた。
 だって考えると、正面から向き合うと心が壊れてしまうから。自分の身に降りかかっている不幸の大きさに押し潰されてしまうから。

 もう他人だなんて、どうでもいいなんて、酷いことを言った。目を逸らした。離れて行ってしまうなら自分から先に、みたいな自己防衛でもあったと思う。勝手に離れた方がいいなんて思い込んで、心配するみんなの気持ちを考えずに。
 もしも逆の立場だったら、絶対に悲しかったはずなのに。

 俺には、ユウ以外にも、響たちや父さんみたいに、本気で俺を思ってくれている人たちがいたのに。
 その人たちの存在を、ずっと無いもののように扱っていた。酷いことだと思った。

 泣きながら響に全部話した。思い出した記憶のことと、義家族との今までと、そして、ユウが消えてしまったこと、全部。

 響は、一晩中ただ聞いて、そして一緒に泣いて、抱き締めてくれた。

 朝方、俺と一緒に目を腫らした響を玄関で見送る。

「澪、またな」

 朝日に照らされながらそう言って笑う響を見ていると、ずっとずっと頭にかかっていた靄が、静かに晴れていく感覚がした。

 部屋に戻ると、響に“葵と力にちゃんと連絡しとけ”と釘を刺されたので、ユウがいなくなった日から放置していたスマホの電源を入れる。

 たくさんの通知の中に、ユウのアカウントから一つメッセージがあった。
 時間はあの日の、ユウが消えていったあの時間だった。
 震えた指で開いて、メッセージを読んだ。

“ネエ レイ
 ツライ オモイ ヲ サセテ ゴメンネ
 ボク ハ キミ ニ シアワセ ニ ナッテ ホシイ
 キミ ノ エガオ ガ エイエン ニ ツヅイテ ホシイ
 ボク ノ ユメ ヲ タクサン カナエテ クレテ アリガトウ
 ボク ヲ アイシテ クレテ アリガトウ
 モウ キエテシマウ ボク デハ ナク レイ ヲ アイシテ クレル ヒト タチ ト シアワセ ニ ナッテ ホシイ
 キミ ガ ココロ カラ ノ エガオ デ
 イトシイ ヒト ト シアワセ ニ オジイチャン ニ ナッテモ テ ヲ ツナイデ アルイテ イル ミライ ヲ
 ボク ハ エイエン ニ ネガッテ イマス
 ボク ノ サイゴ ノ ユメ ヲ ドウカ レイ ガ カナエテ ネ“

 ぽたぽたと、画面に涙が落ちる。
 ユウは、俺に最後の夢を託して、俺の幸せを願って、俺のために消えていった。
 何度も、何度も読みながら嗚咽する。

 ユウ、そんなの俺には無理だよ。叶えられないよ。

 “心からの笑顔で、愛しい人と幸せに、お爺ちゃんになっても手を繋いで歩いている未来”なんて、そんなの、ユウがいてくれなきゃ、ユウが相手じゃなきゃ、永遠に叶わないんだよ。

 声を上げて泣く。
 俺はこれからユウの気持ちに、ユウのくれた大きな愛に、応えることができるだろうか。
 これから先、ユウが願った生き方を、ユウ無しで、叶えることができるだろうか。

 ひたすら泣いた。泣き続けた。
 もう身体の中がカラカラなるまで、泣いて、泣いて、泣いて。

 鼻を啜りながら、無理やり、上を向いた。


***

「……父さん」
「! 澪、体調大丈夫か?」
「うん」

 次の日の昼。リビングに下りると、驚いた父さんはテーブルに多くの書類を広げていた。
 その中には、離婚届の文字もあった。
 父さんは慌ててテーブルの上の書類を片付ける。

「ねえ父さん、お昼ご飯、つくね食べたい。父さんと一緒に」

 真っ直ぐ目を見てそう言うと、父さんは瞬きをして嬉しそうな、どこか悲しそうな力無い笑みを浮かべる。

「もちろん、すぐ作るよ。少し待ってて」

 父さんはすぐにエプロンをつけてキッチンに向かう。俺に背を向けると、微かに鼻を啜る音が聞こえて、一度目元を拭ったのが見えた。
 椅子に座って、ジッと料理中の父さんの後ろ姿を眺める。二人で住んでいた時も、この時間が大好きだったことを思い出す。

 小さい頃から好きだった、父さんが作ったつくねの照り焼きと味噌汁がテーブルに並ぶ。
 ずいぶん久しぶりに、食欲が湧いてくる。

「……いただきます」
「いただきます」

 二人で箸を取って、静かに食事をする。
 会話は少ないけれど、穏やかで、優しい時間が流れる。とても、幸せな時間だと思った。
 そうだ、俺はもっと早く、もっとちゃんと、この時間を取り戻す努力をしなきゃいけなかったんだ。自分の手で、取り戻さなきゃいけなかった。

「ごちそうさまでした」

 完食して、手を合わせる。
 父さんの顔を見ると、何かを察したように俺の言葉を待っていた。ゆっくりと、口を開く。

「……あのね、父さん」

 それから俺は、今まであったことを全て父さんに話した。母さんが出て行く前の二人会話を聞いていたこと。義兄弟や萌さんにされていたこと。母さんと内緒で連絡を取って会っていたことや、夏休みにあったこと。学校での村岡や柳、委員長とのこと。そして友だちのこと。

 俺を守ってくれていた、幽霊のこと。

 父さんはずっと涙を流しながら聞いてくれた。驚きで言葉を失いながら、辛そうに顔を顰めながら、それでも全部、受け止めてくれた。そして何度も何度も、俺に謝った。

「──今まであった出来事は、今話した通りだけどね、父さん。俺が父さんに本当に話さなきゃいけなかったのは、ここからだと思うんだ」

 声が震える。それでも、父さんから目を逸らさない。もう二度と逸らさない。

「……母さんのこと、すごく、すごく悲しかった。夏休みにあったことはずっとトラウマになると思う、それくらい怖かった。兄さんたちにされたこと、すごく怖くて痛かったし、萌さんと話すのは、本当に辛かった。本当は俺も、同じように家族として一緒に暮らしたかった、一緒に住む前みたいに接して欲しかった、あの人たちとちゃんと家族になりたかった。学校でも嫌なことや辛いことたくさんあった、柳の視線も、村岡の暴力も全部怖かった、委員長や小高先生に裏切られたとき、もう何も信じられなくなった」

 溢れる涙を拭う。本当の気持ちを話す度、胸が痛い。でも、そうじゃなきゃいけない。

「今さらこんな事言っても遅いけど、分かってるんだけど……俺は、父さんと二人でいる時の方が幸せだった。父さんが楽になると思って、俺が卒業まで我慢してたらいいって、でもそんなのはちゃんと話して向き合うことから逃げる口実だったんだ。……父さん、俺は、父さんにもっとそばにいて欲しかった」

 父さんは頷く。俺の言葉を聞きながら、何度も。

「ずっと寂しかった。これからは、父さんとずっと、二人で暮らしたいよ」

 父さんは、もちろんだと言ったあと、また何度も俺に謝った。

 俺は首を振る。
 俺だって、向き合うことから逃げていた。父さんや友だちとも、自分の心とも。
 何かあっても“大したことじゃない”と、苦しいと叫ぶ自分の心に嘘をついた。
 父さんに楽になって欲しいとか、俺が離れたら全部解決するとか、それを言い訳にして自分に降りかかる不幸から抜け出す努力をしなかった。
 向き合わなくても逃げられるところを、甘えられるところばかりを探していたから悪い人たちにつけ込まれた。

 そして“もうどうでもいい”とか、“他に何も要らない”とか、そんな言葉を使ってユウに俺のすべてを背負わせた。

 俺はいつも、自分の不幸も、幸せも、自分以外の誰かの手に委ねていた。
 誰かのことをいつも考えているようで、勝手に相手の気持ちを決め付けていた。自分のことしか考えていなかったんだ。

 人生で一番愛した人に向かって、愛情表現を履き違えて酷い言葉をたくさん吐いた。後悔で胸が張り裂けそうになる。

“…………このまま死んじゃえば、ユウと一緒になれるのかな”
“同じになって、ずっと一緒にいよう、ユウ”


 酷い言葉だ。だってユウは、本当はお爺ちゃんになるまで生きたかった人なのに。


 父さんは「ごめんな、今までずっとごめんな」と言いながら、俺のことを強く抱き締めた。そして。

「生きててくれてありがとう、本当にありがとう、澪」

 父さんのその言葉を聞いたとき。

 今までずっと心の奥に詰まっていた重い泥のようなものが溶けて消えていくような感覚がした。
 父さんの温かい腕の中で、目を閉じる。
 見えない何かから解放されたように、心も身体も、軽くなっていった。

***

「もう、寂しいからって拗ねないでよ響ちゃん」
「は? 別に拗ねてねえし」

 一月下旬のとある日曜日、ファミレスで向かいに座った葵が、自分の隣の響の顔を見て呆れる。

「もう一回一緒に文化祭やりたかったなー」
「うん、寂しいけど、また写真で送ってよ。力の力作」
「もちろんだぜ!」
「なかなか会えなくなっちゃうし、今日は色んなことしたいよね」

 休日の賑わう店内で、久しぶりに三人とくだらない話で笑い合う。

 あれから、父さんはすぐに会社を辞めた。
 母親や萌さんたち家族、そして小高の件は、絶対に何がなんでも罪を償わせると言っていた。俺も、葵が小高の家から持って来てくれた記憶媒体を、被害届と一緒に警察に渡した。

 そして俺は、この町を離れることになった。

 父さんにずっと声をかけてくれていた大学時代の先輩の会社が北海道にあるらしく、俺も一緒にこの町を離れないかと言われ、俺は父さんの言葉に頷いた。
 引っ越しのスケジュールは結構タイトで、この三人とゆっくり会える時間は今日を除くともう無さそうだったから、わがままを言って一日中付き合ってもらうことにした。

 初めて入るアミューズメント施設で遊んだ。クレーンゲームが得意な葵はお菓子やぬいぐるみをたくさん取って俺にくれた。俺もやってみたくて挑戦したけれど、何度もやって結局取れたのは小さなマスコットだけで、それでもと葵にあげると、すごく喜んでくれた。
 ストラックアウトでは賞品が取れて、力には「意外すぎる才能」って興奮した様子で褒められた。バッティングセンターでも割と打てて、運動は平均値だったけど、もしも野球をやってたら結構楽しめていたのかも、なんて思った。
 あまり良い思い出は無いけど、だからこそ書き換えるためにカラオケにも入った。響はとても歌が上手くてビックリした。曲は全然知らなかったけど、響の歌を聴いて気になったので歌手の名前を聞いて、他にもおすすめの曲を教えてもらった。葵は、なんか頭を振り乱す曲を歌っているのか叫んでいるのか分からなかったが、見ていると楽しかった。力は歌うっていうよりずっと踊っていて、近くにいたから巻き込まれたけど、俺は上手く踊れなくて、でも、響や葵がそれを見て楽しそうに笑ってくれた。

 ずっとお腹が疲れていた。たくさん、人生で一番と言ってもいいほど、笑った一日になった。

 暗くなった帰り道を歩く。三人は同じ団地だからって、遠回りして俺の家の近所まで送ってくれることになった。

「……あのね澪くん、今更なんだけど、僕最初に話したときに澪くんに嘘ついてたことがあって……」

 立ち止まって、気まずそうに話を切り出した葵に、首を傾げる。

「嘘?」
「ほら僕、“ユウくんが怖くて目を離せなかった”って、“だから柳くんにバレて力くんを殺すって脅されて怖くて”って言ったと思うんだけど」
「うん、言ってた」
「僕ね、本当はただ……ただ……死ぬほど好きだっただけなんだ、ユウくんの“顔”が……!」

 葵が躊躇いながら言った言葉に、拍子抜けする。

「始めて見た時から澪くんの顔も好きだったんだけど、話すのは緊張するし眺めてるだけでいいと思ってたんだ。でもユウくんの顔が美しくて、あまりにも好きすぎて、そんなユウくんが澪くんと仲良くなっていく姿は死んでも近くで見ていたくって……! 本当は二人と友だちになる機会をずっと探してたんだ、あと力くんが柳くんに負けるわけないし」
「ほんとなー、こいつ何“怖くてぇ”とかぶりっ子してんだろうと思ったわ、あの時はノッてやったけど!」
「そうだったんだ……」
「柳くんのことはめっちゃキモいなって思ったから黙って椅子変えてたのとかは本当だし、響ちゃんが澪くんと先に仲良くなったのも、本当にたまたまなんだけどね。……澪くん、僕もね」

 葵が白い息を吐いて微笑む。その顔は、どこか大人っぽかった。

「昔、幽霊の女の子に恋したことがあるんだ。彼女はいつの間にか消えてしまったけれど、しばらくずっと忘れられなかった」

 葵の瞳が、優しく細められる。

「だから、どうしても二人には幸せになって欲しかったんだ。たとえ幽霊と人だったとしても」

 優しい声に、鼻の奥が痛くなった。

「……ありがとう、葵」
「ううん、結局僕は何もできなかったよ」
「そんなことないよ」
「あ、そーだ澪! ちゃんと持って来たぞ!」

 今度は力が、上着のポケットから封筒を取り出し、俺に渡す。

「開けてみて」
「? うん」

 言われた通り開けてみると、そこには林間学校で撮った写真があった。
 じわりと涙が滲む。
 力の肩には、青い白い手が乗せられていた。

「ユウ、ちゃんと写ってたな!」

 太陽のような明るい笑顔に、頷く。
 この写真は、俺の宝物だ。

「ありがとう力、ありがとう、三人とも」

 俺は深く深く、頭を下げる。

「この町に良い思い出は少なかったけど、でも、三人と出会えたことは、友だちになれたことは、俺の一生の宝物だ」

 顔を上げると、三人は優しい目で俺を見ていた。
 今なら言える。この三人には遠慮なしの、素直でわがままな、本当の気持ちを。

「……だから離れても、ずっと友だちでいて。俺のこと、絶対忘れないでね」

 笑いかけると、葵と力はもちろんだと笑顔を返してくれた。
 響の手が俺の肩を、力強く叩く。

「ちゃんと、立ち直ったな。色んなことあったのに」

 響も、静かに笑う。
 一番最初に俺を認めてくれたのも、初めて思いっきり喧嘩したのも、全部響だった。
 一番最初の、俺の“友だち”。

「やっぱり、お前根性あるよ。俺の期待通りの、自慢の友だちだ」

 胸の奥が熱くなる。滲んだ涙を拭って、鼻を啜りながら一緒に歩き出す。
 ずっと一緒にいられないのは寂しいけれど、この繋がりは一生ものなんだ。俺が、自分でそうしていくんだ。

 どこにいたって、もう、自分から手放すようなことはしない。

 そう思いながら、別れ際、大切な三人の背中が見えなくなるまで見送った。

 ふと見上げた空は澄み渡っていて、星がきらきらと、鮮やかに光っていた。

***

 半月後。引越しの準備や諸々の手続きが終わり、次の日には発つことになった。

 俺は最後に会っておきたい人を呼び出した。
 小さい頃、いつも遊んでいた近所の公園に。

「……よー、見ない間に顔つき変わったね」

 俺が着くと、既に安達はブランコに座っていた。

「何それ良い方? 悪い方?」
「良い方ってことにしといてやるよ!」
「そりゃあどうも」

 安達は相変わらず、ケラケラと明るく笑う。

「……あのさ、いい……真中さんだけど。この前、今まで盗んだもの全部返しに来てくれたんだ」
「……」
「玄関に紙袋が置いてあってさ、あの時は気にする余裕無かったけど……坂部と小金井が、病院であったこと話してくれてたから」
「……そうだったんだ」
「安達、すごくしんどかったよな。真中さんとかなり仲良かったから」

 返しに来てくれたとき、まだ背中が見えたから言った。“俺は物盗まれてたの怖かったし嫌だった、響や安達にしたことは友だちとして許せないし、もう会うことはないと思う”と。
 その後、伝えた。“それでも、君が好きだと言ってくれたことは本当に嬉しかった”と。

 すると彼女は、遠くから深々と頭を下げた。

「……まあね、確かに結構喰らったわ」

 キィ、キィ、と、古いブランコが小さく軋む。

「まあでも、私は大丈夫。その時いっぱい泣いたから」
「……そっか、なら良かった。俺のせいで辛い思いさせてごめん」
「お前昔から私のこと舐めすぎな! 藍沢さ、もう行っちゃうんでしょ?」
「うん、明日」

 安達がブランコの上に立って、ゆらゆらと漕ぐ。

「もうさ、あんまり何でも“自分のせい”って思うのやめなよ? 優香がダメなことしたのはさ、優香の問題なんだから」

 その姿を横から見ていると思い出す。
 いつも元気で、運動が出来て活発で明るかった安達の後ろを、“はるちゃん、はるちゃん”って、俺はいつも着いて歩いていた。

「私が、アンタのこと怖がらせる幽霊から守ろうとして、見えないくせにぶっ飛ばそうとして、怒らせて怪我してからさ、アンタ私と遊ばなくなったじゃん」
「……うん」
「私、あの時寂しかったよ。私がやったことなのに、アンタがずっと“自分のせい”って思って一人になったの、寂しくて、悲しかった」

 蘇る。小一のとき、俺が悪霊に襲われていた時に安達が駆けつけて、守ろうとして頭を怪我したときのこと。それを見て、怖くてたまらなくなって、次の日も変わらず遊ぼうと誘ってくれた安達に、“もうはるちゃんとは遊ばない、はるちゃんは女の子といた方がいい”って遠ざけたこと。

 そんな俺の背中に、“なんでぇ!! れい!! なんでそんなこというの!! れいー!!”と泣き叫んでいた安達のこと。
 思い出すと、胸が痛む。

「……私は今でも“澪”のこと、大切に思ってるよ。引っ越していくのが寂しいって思うくらいにはさ」

 ブランコを漕ぐのをやめて、安達が優しい目で俺を見下ろす。
 俺は笑って頷いた。

「俺も、本当はずっと救われてたし、感謝してたよ。拒絶しても、何だかんだでずっと気にかけてくれてたこと」

 俺もブランコの上に立ち上がる。はるちゃんの真似ばかりしていた、あの頃のように。

「今までありがとう、“はる”。元気でね」

 そう言うと、安達はバシッと勢い良く俺の肩を叩いた。

「いった……」
「“これからもよろしく”だろ、ばーか!」
「……ははは」

 その後は、子どもの頃みたいに二人で走り回って遊んだ。
 いつの間にか近所の子どもたちも一緒になって、時間を忘れて笑っていた。

 泥だらけになりながら眩しく笑う安達を見ていると、胸の奥が温かくなった。
 あの日、泣いている安達のことを、涙を堪えて拒絶した幼い頃の自分が、救われたような気がした。

***

 次の日、早めに着いた空港の屋上で、飛び立っていく飛行機を見ながら深呼吸をした。冷たい空気が頬に触れて、心地良い。

「澪、はい」
「ありがとう」

 父さんが買ってきてくれたコーヒーを飲む。苦いけど、好きな味だった。
 ユウが飲んだらどんな顔するだろうと想像しただけで、頬が緩む。

「これも買ってきたよ」
「……シュウクリーム」
「好きなんだろ?」
「……ふふ、うん、まあね」

 ユウのことは全部話したから、知っている父さんは少しだけ揶揄うように言って、俺にシュウクリームを手渡す。
 袋を開けて、かじると、口の中に甘いカスタードと生クリームが流れ込む。

 もぐもぐと味わっていると、涙が溢れてきた。

 初めて会った日、逆さまの顔に恐怖した。

 ひとつ思い出すと、ユウのことが脳内に溢れていく。
 甘いものを頬張って食べていた。響にはヤキモチばかり妬いて、俺のことを自分の子どものように可愛がって、深い愛で包み込んで、いつも優しくて、わがままを言っても、不貞腐れた態度をとっても、ずっとずっと優しく微笑んで。
 そして、様々な恐怖から守ってくれた。

 ガツガツとシュウクリームを食べながら泣きじゃくる俺を、父さんは黙って見守ってくれた。

 あの町には良い思い出なんてほんの僅かしかない。辛いことの方が多かった。
 でも、ユウと出会えた、ユウと生きていた頃の、宝物のような思い出が散りばめられている。

 最後の一口を飲み込んで、コーヒーを飲む。
 涙を拭う。

 それでも、手放すんだ。
 俺が、俺自身を幸せにするために。
 不幸も、幸せも、もう誰かの手に委ねることのないように。

「そろそろ行こうか」
「……うん」

 父さんの後ろに着いて、歩き出す。
 吐いた白い息が、空へと登っていく。

 歩きながら、記憶の中のユウの笑顔に語りかける。
 まだまだ弱い俺だから、自信はないけれど。

──ねえ、ユウ。
 俺はこれから、たくさん笑って、泣いて、そして。
 お爺ちゃんになるまで、頑張って生きるよ。
 君がそう望んでくれたから。
 君が守ってくれた命だから。

 大切にして、生きていくよ。

 だからまた、いつか、気が向いたら会いに来て。

 俺の愛した、優しい幽霊。


***

 二十年後。

 俺は今、関東に戻ってきてとある地方都市の病院で心療内科医として勤めている。

 たくさんの事件を経てユウと別れ、引っ越したあとも全部が順調とはいかなかったが、高校や大学でも何だかんだ人間関係に恵まれ、地元の友人たちとも今でも会える関係を築けていた。
 父さんはそのまま北海道で暮らしていて、料理好きが高じて定年後は小さな店を開き、それに加え近所の子ども食堂の手伝いをしたりしている。たまに子どもたちと写った写真を送ってくれるが、とても生き生きしていて安心する。

 今の仕事は正直辛いこともたくさんあるけれど、その分やりがいも感じていて、この仕事を選んだことに後悔はなかった。

 後悔は、無いが。

「……はあ……」

 ため息が白く染まる。
 退勤後、既に暗くなった道を歩きながら、近くのバス停に向かう。
 雪が降り始めた中で、スマホに指を滑らせる。

 開いたメッセージ画面には、“澪は仕事だけしてればいいんだ、私は必要ないんだと思ったから”の文字。

 三十後半、二年付き合った彼女に、一週間前に浮気されて振られた。今家には、一ヶ月後の彼女の誕生日にプロポーズしようと思って買っておいた指輪が箱に入ったまま虚しく転がっている。

 正直、仕事や患者さんの方を大事にしすぎていたところはあったと思う。寂しい思いをさせていたんだろう。彼女を責める気はない。
 でもなんというか、恋愛に関しては若い頃から同じようなことばかりだった。
 あまりにも恋愛下手すぎて、響や晴奈には相談する度に大笑いされる。

「…………やっぱり叶えられそうにないかもなぁ……」

 大きくため息を吐いて呟きながら、スマホをポケットにしまう。
 バス停に着くと、見たことのない先客がいた。
 傘をさしているが、背筋がピンと伸びて姿勢の良い、上品なコートを着た背の高い男性だった。

 横に並んで、バスを待つ。
 ネガティブにならず、婚活やお見合いもしてみないとなと、はらはら落ちてくる雪を眺めながら考えていると。

「……寒くないですか?」

 突然、横の男性に優しく声をかけられた。

「……え?」
「お兄さん、結構薄着なので」
「……ああ、寒いけど、冷たいの好きなんです」
「冷たいの?」
「はい、肌に冷たい空気が触れるの、気持ち良くて結構好きで」
「……そうなんですね」

 傘の中で、男性の声が楽しそうに揺れた。
 若い声だった。冬の空気のような、澄んだ綺麗な声。

「じゃあ、雪も好きですか?」
「そうですね、好きですね」
「僕も好きです。積もったら遊びますか」
「ふふ、いや、さすがにこの年になったら遊びませんね」

 大人っぽい雰囲気なのに可愛らしいことを言う人だなと、笑みが漏れる。
 動いた隣の傘から、雫が落ちる。

「どうして? 約束したのに」

 その言葉に、目を見開く。

“今日寒いなあ……雪降りそう”
“雪好きなの?”
“じゃあ、雪降って積もったら外で遊ぼっか”

 猛スピードで、記憶が巡る。
 まさか、と、目に涙が滲んだ時にはもう、冷えた指先が、頬に残った俺の傷跡に触れていた。

「やっと見つけた、澪」

 傘が地面に落ちる。
 はらはらと落ちてくる雪が、俺たちの肩に積もっていく。

 強く抱き締められたその背中に、震えた手を回す。

 その手は、しっかりと、確かに、触れた。
 
 かつて触れたいと切望した、その背中に。

 雪が、俺の涙に触れて溶けていく。
 それを見て、やっとはっきりと顔を見せた男は、優しく目を細めた。

「泣いてる澪、可愛い」
「…………うるさい、ばか」


ゆうれい【完】