おばさんが料理代行を依頼したときは気が重かった。理汰は人見知りで他人が家に上がるのを嫌がる。結局スーパーの総菜で食事を済ませるのは不健康だと押し切られる。
「雛形、起きて」
気持ち良く寝ていたら、誰かに体を優しく揺すられる。
要凪が起こしに来たんだろう。
布団から手を伸びして腕を引っ張る。要凪にしては腕が太いような気がする……。
「要凪……? まだ早いから寝てよ……」
隣に倒れ込んだ要凪を抱きしめる。抱きしめるとやっぱり違和感がある。華奢だけど柔らかさがないような感触。それにシャンプーの匂いが違う。
堀平が料理代行のバイトを終えて帰った後、理汰と要凪と食卓を囲む。いつもとは食いつきが違って、すっかり堀平が作る料理の虜になっていた。かくいう俺も、堀平の料理に胃袋をがっちり掴まれていた。
堀平といられたら、こんな美味しい飯に毎日ありつけるんだろうな。
スーパーの惣菜はどれも似たり寄ったりで飽き飽きしていた。それにおばさんの料理は、薄味だったり逆に砂糖の分量を間違えて甘い味だったりその日その日で違った。味付けが適当で、薄味のときは調味料を入れて何とか食べられる味にしていた。
だから、素朴で温かみのある家庭的な料理に飢えていた。堀平が作る愛情の込もった料理はすごく体に染みた。
手料理のようにちょっとしたきっかけで恋に落ちるものだと思う。
「要凪、今日も起こしてくれてありがと」
学校がある日はアラームを十個して起きる。それでも起きないときは要凪が起こしに来てくれる。
「私じゃない。今日は堀平お兄ちゃんが起こしに行ってくれたよ」
それじゃあ、違和感を感じたのは堀平だったからなんだ……。寝ぼけてたとは言え、抱きしめたりされたら怒ってもいいのに。
堀平が部活のない日、雨は降っていたけどお決まりの河川敷でダンスを踊る。
揃ったダンスになるように細かい動きだけ堀平に教える。教えている間、堀平の体に触れると肩に力が入る。変な触り方はしていない。普通に触れただけ。
踊っているときは肩の力を抜いていたのに、俺が触ると緊張してガチガチになっていて、意識しているみたいに頬が少し赤らむ。
可愛いな。
隠そうとしているつもりなんだろうけど、手汗がすごい。だけど、嫌だとは思わない。それだけ意識されているのだとしたら嬉しい。汗っかきなんだろう。そんなところも含めて愛おしい。
素性を明かした日、実は堀平が俺のアカウントをフォローしているのだと知っていた。
珍しく同じ各駅停車に乗り合わせて堀平に近づく。俺には気づいていない堀平は、同じ家庭部の上富と何やら盛り上がる話をしていた。
「千月がオーディション番組で振り付けを担当するんだって」
「うん、そうみたいだね。上富もダンス動画観るんだ」
俺の話になり足を止める。
「もちろん、フォローしてるから。好きなアイドルがいるんだけど、千月が振り付けを担当した曲、すごく好きなの」
「僕もフォローしてる。オーディション番組は見るの?」
「もちろんだよ。今回もバズりそうな予感」
「僕もそう思う。今からすごい楽しみ。早く公開されないかな。マスクをした顔しか知らないけど、ちょっとだけどんな顔なのか気になる」
「絶対イケメンだよ。めっちゃスタイルいいじゃん。程よく筋肉がついてるのがいいよね。私はバキバキに鍛えてるよりかは細マッチョな体型が好み」
「ちょっ、ここ電車」
堀平はキョロキョロして周りを気にする。目が合ってしまい、堀平は席を詰める。
気まずくて車両を移動するつもりだった。だけど、今更知らない振りはできず堀平の隣に座る。
素性を明かすつもりはなかったけど、堀平はきっと俺の秘密を言いふらしたりしないと信用していた。堀平にサインを求められたら応えるつもりだったのに、ファンだと公言せずサインを求めもしなかった。
中間テスト期間中は毎朝堀平が起こしに来てくれるようになる。そんな習慣になったのにはわけがある。
俺がオーディション番組での振り付けの仕事で夜中まで作業していて、朝は起きれる自信がなかった。それで堀平がバイトついでに起こしてくれるようになった。
堀平のお父さんはというと、長期休暇で数日家を留守にしているらしくて、堀平は寂しそうにしていた。だから、堀平を指名して朝食を作りに来てもらっている。
「雛形、起きる時間だよ」
堀平に体を優しく揺すられるけど、まだ眠くて布団に包まる。
「寝させてあげたいけどもう用意しないと遅れるよ」
堀平に布団を取られてのそのそと上半身を起こす。
「おはよう」
穏やかに笑う堀平の腕に頭をこすりつけて撫でられ待ちする。スキンシップにも許容範囲があるのだと最近になって知る。
堀平がいつも通り、前髪に触れて中央で結び額を見せるヘアスタイルにしてくれる。顔を洗うときはいつもこのヘアスタイル。
顔を洗って学校に行く支度を整えて一階に下りる。食卓には堀平が用意してくれた朝食が並ぶ。
「今日はレッドスムージーにした」
朝はお気に入りのマグカップに入ったスムージーを飲まないと一日が始まらない。堀平はそんな習慣を覚えてくれていて、毎朝スムージーを作ってくれる。
朝食を食べ終えてしなくていいと言ったのに、皿洗いをしてくれている堀平の隣に立ち手を差し出す。
「何この手……」
堀平は差し出された手に当惑して呆然としている。
「握手しよ」
「握手って……」
堪えきれずお腹を抱えて吹き出している。
「十秒だけ」
堀平の目をじっと見つめて切にお願いする。
「初対面じゃないのに握手する人なんている?」
堀平は蛇口をしっかり閉めて垂れ流れていた水を止める。じっと真剣な眼差しを向ける俺を見て堀平は笑いを引っ込める。
「スキンシップに慣れてって言ったの忘れた?」
最初からぐいぐい行くと逃げられるだろうから、最初から多くは望まない。ただ徐々に慣れてほしい。
「それは覚えてはいるけど……、本当に十秒だけだよね?」
しばらく悩んだ末、了承してくれたのはいいけどゴム手袋の上からだったのは納得がいかない。だけど、今のところはこれでもいいやと許す。
テストの最終日、堀平と下校する。堀平から「忙しくない日に遊園地行かない?」と誘われる。どうやら思い出のある遊園地が今月いっぱいで閉園するらしい。俺にとっては特に思い入れはないけど、そういえばニュースになっていた。
半日でテストが終わり、その足で遊園地に向かう。ようやくテストから解放され思いっきり遊ぶ。平日だというのも相まって待ち時間なしに乗れる。
ジェットコースターを乗って次は何に乗ろうかと話していると、カメラを手に持つ男性が話しかけてくる。服装は真っ黒でパーカーのフードをかぶり、見るからに怪しそうではある。
「すみません」
突然話しかけられて、堀平は目を細めて男性を凝視し警戒する。
身構えてるところが警戒心マックスの猫みたい。
俺はというと、見知らぬ人に話しかけられるのには慣れていた。
「今少しお時間大丈夫ですか? 僕カメラマンなんですけど、お二人ともすごく素敵だったので、良かったらお写真撮らせていただけないでしょうか?」
どうやらストリートスナップだったらしく、堀平は顔のこわばりを和らげる。
「お金は取らないですよね?」
堀平が詐欺に引っかかったら嫌なので一応聞く。
「ちょっ、雛形!」
勢いよく俺のほうを向いた堀平は動揺して口をパクパクさせる。
「いえいえ、お代は取りませんよ」
カメラマンの指示に従い、カメラに向かってポーズを取る。
堀平から俺の肩に手を置きくっついてくる。
俺からスキンシップはまだ無理そうで、手の行き場を失いポケットに手を突っ込む。
手慣れたカメラマンが何枚か撮影してくれ、その写真を二人で確認する。
「さすがカメラマンですね。すごく綺麗に撮れてます」
堀平は写真の出来栄えにため息を漏らし感嘆する。
「SNSにあげていいですか?」
「僕はいいけど、雛形は?」
「いいよ」
ちょうど小腹が空いて美味しそうな香りが漂うキッチンカーのクレープ屋に並ぶ。
クレープを手に持ち、席を取ってくれていた堀平のところに行く。
まただ。堀平は視線を下に落とし何やら物思いにふけっている。
「クレープは?」
「食べる……」
何を考えているんだろう。悩みを一番に相談してほしい。
話してくれるまでベンチに座り頬杖をついて、堀平の憂いを帯びた瞳を見つめて待つ。
「えっと、ぼんやりしてた。ごめん」
俺の熱い視線に射抜かれた堀平はふとこちらへ顔を向ける。
「思い出の場所って家族で来たの?」
「うん、最後に来たのは、小学校のときかな。もう気づいてるとは思うけど、僕は緊張すると、すごい汗をかくんだ」
堀平は俯き加減でそうぽつりぽつりと吐露する。
「なんで話す気になったの?」
前触れなく打ち明けられ目を瞬かせる。
ああ言ってたし何となく気づいてはいた。だけど隠したい秘密なんだと特に探りを入れなかった。
「雛形だってそうでしょ。千月だって正体を明かしたじゃん。雛形には話してもいいのかなって。違った?」
「違わない。もっと聞かせて」
「僕だっていつかは恋人が欲しいとは思う。でも、手汗が酷いと敬遠されるものでしょ」
堀平は遊園地で手繋ぎデートするカップルを羨ましそうに見つめる。
本当に好きな人なら手汗くらい気にしないのに。
俺からしたら何でもないけど、堀平にとったらすごく悩まされているんだろう。
「恋人が欲しいなら俺にしてよ。俺は気にしない。堀平が好きだから」
堀平は弾かれたように顔を向ける。
不意打ちの告白に視線を彷徨わせて動揺して、しばらくしてから口を開く。
「……気持ちはすごく嬉しい。でも、いつかってだけで今じゃない。母親のこともあったし、大切な人を失うとか考えたら最初から大切な人を作りたくない」
「いつかって言うけど、ずっとひとりでいるつもり? 俺は堀平から離れてって言われない限りはそばにいるよ。だってあんな美味しい飯を毎日食べられるなんて幸せすぎ」
堀平は瞳を潤ませて慌てて手の甲で拭う。
泣いている姿を見ると胸が締め付けられる。
俺なら絶対寂しい思いをさせない。
堀平にハンカチをそっと手渡す。
「ありがとう」
「返事はもう少し考えて。さっきのは聞かなかったことにする」
いつか恋をするなら相手は俺であってほしい。
お弁当を作ってきてくれる日は昼休みが楽しみになっていて、一緒に食べる時間が特別。放課後にダンスを教えて一緒に踊ってから、堀平が家庭部で作ったお菓子を食べる時間だって特別。時々、放課後に寄り道したりする普通の高校生活も特別。
何でもない日常だけど、そんな日常にはいつも隣に堀平がいたらいいな。


