いい加減スキンシップに慣れて



 初バイトの日でちょっと緊張気味になりながら、指定された住所へ向かう。高級住宅街の一角にある豪邸に着いて、インターホンを押す。食材の買い出しをして、後は作り置きするという料理代行。
 金持ちの人は超豪華な料理を食べているイメージがあるけど、本当に普段通りの質素な料理でいいのだろうか。でも、そういう要望なのだからその通りにしよう。
 インターホンを押してそんな経たずにドアが開く。
「理汰くん!?」
 ドアから顔を覗かせたのは、じっとこちらを睨みつける雛形の義弟で食材の入ったエコバッグが肩から落ちる。
 雛形って金持ちの家で育ったんだ……。
 雛形の義弟は家の案内をせずに、ドアをバタンと閉めて引っ込んでしまう。
「えっ!? ちょっ……」
 閉め出された……。バイト初日でこれはまずい。
 雛形の豪邸前を右往左往して考えあぐねる。
 雛形は朝が弱いからまだ寝てるはず。休日はゆっくり寝てそうだけど電話したら出てくれるかな。でも、連絡は気分次第な雛形だから電話しても出ない確率のほうが高い。
 そこでドアが勢いよく開く。
「お兄ちゃん、入って!!」
 雛形の義妹が玄関で手招きする。
 家に上がらせてもらったけどとにかく広い。雛形の義妹が案内してくれるけど、迷路みたいで目が回る。
 光と風を取り込む開放感溢れる高天井リビングに通されて、言われるままソファに行儀良く座る。
「どうぞ」
 雛形の義妹がお茶とお茶菓子を出してくれる。
「本当にしっかりしてるね。ところで雛形は?」
「優お義兄ちゃんは寝てる。寝坊したら代わりに案内しといてって言われたの」
 やっぱり寝てるんだ。電話しなくてよかった。
「そうなんだ。料理するから早速だけどキッチン使っていいかな?」
 雛形の義妹はうんうんと頷く。
 料理をしながら、ダンスを踊る雛形の義妹を見る。
「ダンス好きなんだ」
「うん、アイドルになりたいの。理汰お兄ちゃんもアイドルになるのが夢」
「アイドルかあ。夢が叶うように応援してる」
 雛形もアイドルになりたいのだろうか。ダンスが上手くてビジュアルだって申し分ないし、事務所から声が掛かったりしてそう。
 作り置きの料理を作り終えて冷蔵庫と冷凍庫にしまう。バイトは終わったしそろそろお(いとま)しようとしたら、雛形の義妹に雛形を起こしてきてほしいと頼まれる。
「優お義兄ちゃんの部屋は廊下の突き当たりにある」
 足音を忍ばせて階段を上がり廊下を進む。
 そして、突き当たりにある部屋のドアをノックする。
「雛形、入るよ?」
 静かに開けたドアから顔だけ出すと、雛形はまだベッドで寝ていた。広い部屋の真ん中に立ち、部屋の中を見渡す。さすが掃除が得意と言うだけあって、整理整頓され掃除が行き届いた清潔な部屋だった。
 本棚にはサイン入りのCDが飾られていて、新人賞を受賞したアイドルや誰でも知る有名なアイドルのものまである。やっぱり雛形もアイドル志望なのかもしれない。
 隣の扉付き収納棚には、数々のメダルやら表彰状やらが飾られていて目が点になる。ダンスがものすごく上手なのはわかってたけど、まさかここまで実績があったとは知らなかった。ブレイクダンスの世界大会やヒップホップの世界大会で優勝したりと実績を挙げたらキリがない。
 雛形が寝返りを打ってごそごそする音が聞こえて、驚きのあまり体が跳ねる。
 起きたんじゃないのか。さすがに起こさないと。
「雛形、起きて」
 雛形の体を優しく揺するが中々起きない。
 学校がある日はどうやって起きているんだろう。
 布団から手が伸びてきてやっと起きたと安堵したのも束の間、腕を引っ張られて雛形の隣に倒れ込む。
「要凪……? まだ早いから寝てよ……」
 雛形に抱きしめられて身動きが取れなくなる。
 これは寝ぼけてるな……。
 まだ早いってもう昼前なのに。いつも雛形の義妹が起こしに来てくれるのかな。末っ子は本当にしっかり者だ。
 雛形の温かい息が頬を撫で、彫刻のような整った顔が至近距離にある。
 こういうスキンシップは本当に困る。
 起きる気配はなく何とか身動きして雛形に背を向ける。
 ベッドサイドテーブルの引き出しから紙が少しはみ出ていて、好奇心に勝てず引き出しを開ける。何とそこには大量の名刺が入っていた。大手芸能事務所から中小芸能事務所に至るまで、多くの事務所からスカウトされている。
「何してるの……?」
 雛形の低音でかすれた声が耳に響く。寝ぼけている雛形は僕が手に持つ名刺を取り上げて引き出しに入れる。
「やっと起きた?」
 寝起きのせいか視点が定まっていなかった。雛形は目をこすりながら、やっとこさ上体を起こし部屋を出ていく。
僕がここにいることに驚かれるかと思ったけど、寝起きで頭が回っていないのだろう。
 そろそろお邪魔しようとすると父親から連絡が来て、雛形が掃除しに来てくれる日をずらせないか聞きに洗面所へ行く。鬱陶しそうに前髪をゴムでまとめた髪型の雛形は顔を洗っていた。
「雛形、ちょっといい?」
 開いた洗面所のドアを遠慮がちにノックして話しかける。
「……!?」
 タオルで顔を拭く雛形は、顔を上げて鏡に映る僕を見て目を瞬かせる。
「父親からキャンプに行かないかって誘われて久しぶりに行こうかなって。だから掃除は今度にできない?」
「……いいけど」
 雛形は小首を傾げて不思議そうにする。
 それもそのはず。連絡なしに朝起きたらクラスメイトが家にいたら驚くのは無理もない。
「どうして僕がいるかって? 料理代行で来たんだ。まさか雛形の家が訪問先なんて思わなかったけど」
 雛形はようやく状況を理解したようで表情を緩める。
「キャンプ楽しんできて」
 ドタキャンされたら誰だって嫌な顔をするはずなのに、雛形は違った。まさか快く応じられるとは思わなかった。
「うん、ありがとう。それじゃあ、また」


 後日団地前で待っていると、向こうから雛形が歩いてきているのを見つけて手を振る。
 掃除しに来てくれた雛形を男二人で暮らす狭い家に上げる。
 どこもかしこも広い雛形の家とは正反対で僕の家は何から何まで狭い。特に狭いキッチンスペースで料理するのは大変。
「すごい汚いって言うから、ゴミで溢れかえってる部屋を想像してたんだけど……」
「そこまでじゃないから」
 雛形は床に物があちこちに散乱して、歩くスペースのない雑然とした部屋を想像したのかもしれない。さすがにそこまでではない。
「すごい汚いは誇張してる」
 そうかもしれない。
 食卓に収納せず放置された日用品。リビングの隅に山積みになっている雑誌。ソファの背もたれにちょい置きされた服。それら以外は至って普通。でも、浴槽と洗面台とトイレが同じ空間にまとめられたバスルームを見たら考えが変わるはず。
 本当は見せるのも(はばか)られるけど、雛形をバスルームに案内する。鏡には頑固なウロコ汚れ、お風呂の蓋と浴槽の縁にあるカビ、洗面台下に生えた黒カビなどなど。
「あー、そういうこと……」
 雛形は引き気味で苦笑いする。
「うん、そういうこと。カビがこびりついて取れないんだよね」
 雛形の清潔感のある立派な家とは異なり、衛生的ではない家で肩身が狭い。
「わかった。やっとく」
「手伝うよ。何したらいい?」
「手伝いはいい。それより昼飯を作ってほしい。堀平の料理、好きなんだよね」
「そう? キッチンにいるから何かあったら呼んで」
 雛形が掃除してくれている間、ダンス動画を視聴しながら昼ご飯の支度をする。父親が釣ってきて余っていた穴子とキスをここぞとばかりに消費する。
 穴子とキスの天ぷらをサクサクに揚げながら、ダンスの振り付けを必死に覚える。ダンス部のメンバーで流行りのダンスを踊ってSNSに投稿しようと決まってから、振り付けを覚えている。でも、振り付けを覚えるのがかなり遅くて参っている。
「何してるの?」
 雛形は僕の背後に立ち、スマホの画面を覗き込む。
「振り付けを覚えてたとこ。もうすぐでできる。揚げ立て食べる?」
「食べる!」
「天つゆと抹茶塩、どっちでも好きなほうをつけて」
 雛形はキスの天ぷらを熱そうに味見する。
 美味しそうに食べてくれると本当に作り甲斐がある。母親も同じ気分だったのかな。今となっては確かめようがない。
「掃除終わった」
「見に行ってきていいかな?」
「堀平の家なんだから許可を求めなくていいよ」
 それもそうか。
 バスルームを見に行くと、見違えるほど綺麗になっていて思わず二度見する。新築のような輝きを取り戻していて、掃除のプロに依頼した腕前に感心する。
「雛形は本当にすごいよ。僕がやってもこんなにピカピカにはならなかった。本当にありがとう」
 ソファに座って雑誌を見ていた雛形にありったけの感謝を伝えると、視線を逸らされてしまう。
「俺は特に何も。カビ取り剤がなかったらああはならない」
「確かに。開発してくれた人に感謝だね。疲れたよね。ご飯にしよう」
 僕と雛形は食卓を挟んで座る。狭い家の食卓で雛形といると懐かしい光景が脳裏に浮かぶ。
 昔はその席に母親がいて、今は雛形がいる。
「お父さんは?」
「釣りに行った。先週も魚料理だったのに今週もそうなりそう。さすがに肉料理が食べたいかも」
 無性に肉が食べたい。体が欲していた。
 飽き性ではないけど連日魚だと誰でも飽きるはずだ。
「ははっ」
 雛形は屈託なく笑う。
 雛形の義弟と義妹にあげようと、使い捨て紙容器に天ぷらと穴子ときゅうりの酢の物を盛り付ける。
「理汰くんと要凪ちゃんにも、魚料理の消費を手助けしてもらえないかな。良かったら持って帰って」
「おばさんは揚げ物を作らないから絶対喜ぶ」
「普段ってどんな料理を作ってもらってるの?」
「おばさんなら焼くと蒸すだけ。手の込んだ料理は食卓に並ばない。献立はマンネリ化してるけど文句は言わず食べてる」
「それは偉いね」
「そうだろ? 文句を言いたくなるけど俺だって料理はできないし言える立場じゃない。堀平の料理を毎日食べてたい」
「そんな風に言われると感無量だよ。母親直伝のレシピに感謝しないとだね。明後日には出張から帰ってくるんだったよね?」
 雛形のおばさんは長期出張があって、子供には健康的な食生活を送ってほしいから料理代行を依頼したみたい。
「あー、うん」
 久しぶりに会えるというのに、さほど嬉しそうではない。当然の反応といえば当然の反応かもしれない。
 もう高校生なのだから親離れしているよね。雛形たちは留守番を密かに楽しんでるっぽい。