いい加減スキンシップに慣れて



 入学式の翌々日、初めて前の席に座る人が登校していた。前髪を中央で束ねたヘアスタイルで、ヘッドホンを首にかけたまま机に突っ伏していた。
 まだほかのクラスメイトは登校していなくて、静かな教室には僕と彼の二人だけだった。同じクラスに友だちがいなくて、今日こそは自分から話しかけようと決めていた。
 意を決して、前の席に座る彼の肩を叩く。彼は体を捻って後ろを向く。眠たそうに目をこする彼は、彫りの深い容貌で日本人離れした中性的なイケメンだった。きっとハーフかクォーターだろう。
「えっと、雛形(ひながた)だよね?」
「そうだけど……」
「僕は掘平劉斗(ほりひらりゅうと)。部活はどこに入るか決めてる?」
 両親は高校時代の部活動を通じて親交を深めた。
 最も同じ部活ならば仲良くなるチャンスだ。部活は当たり障りのない話題だから話を広げやすい。
「帰宅部」
 不意に体の力が抜けて机上の肘が滑り落ちる。
 どうしよう。どこかに所属するものだと想定していた。
 会話を途絶えさせないように頭をフル回転させる。
「そうなんだ。僕はダンス部と家庭部に入部しようかなって。その髪型、似合ってる」
 僕は自分の前髪に指を近づける。
 前髪を上げていると、親しみやすい雰囲気がある。それにこんなこと言ったら怒られそうだけどあどけない可愛さがある。
「ん?」
 雛形は額を触り、慌てて前髪を結っていたヘアゴムを外す。
「なんで外しちゃうの?」
「外し忘れ。言ってくれてありがと。こんなんで登校してたとか恥っず」
 雛形は手首にヘアゴムをつけて、くしゃくしゃになった前髪をささっと整える。
 抜けているところがあるのだと笑みがこぼれる。
 先生が来るまで話していようとすると、雛形は登校してきた女子に囲まれてしまう。イケメンがいたら思わず話しかけたくなる女子の気持ちもわかる。
 女子と話している会話が聞くつもりはなくても耳に入ってくる。雛形は帰国子女ならしくクォーターなんだそうだ。女子は家族関係まで聞いていて、義弟と義妹がいるらしい。雛形の義弟と義妹は可愛いらしく写真を見た女子が騒いでいた。
 雛形は眠たそうに受け答えしていて、本心ではそっとしておいてほしそうだった。
 僕と同じで複雑な家庭環境なのかもしれない。
 似たような家庭環境で育つ雛形と仲良くなれたらいいな。


 月曜日と水曜日と金曜日はダンス部。木曜日は家庭部。部活は掛け持ちをしていて、結構慌ただしい毎日を送っていた。
 木曜日なので、家庭部が活動する調理実習室に向かう。
「待って。部室まで一緒に行こ」
 同じ家庭部の上富雪奈(うえとみゆきな)が小走りで追いかけてくる。
 最初からお菓子作りを中心に活動する家庭部に入部するつもりでいた。でも、家庭部は女子だけで和気あいあいとしていて引き返そうとしたとき、上富が「私も家庭部に入部したいんだけど、ひとりだと入りづらいから一緒に行こ」と話しかけてくれた。
 たったひとりの男子部員が入部して、先輩に大歓迎され今に至る。一年生は僕と上富だけで自然と仲良くなる。
 四人で班を作り、春の季節にぴったりな桜クッキーを作る。絞り出して桜の形にするのが難しそうだったけど、いざやってみるとすんなり桜らしい形になる。
「めっちゃ手際良いね」
 先輩のひとりが話しかけてきてすごく感心される。
「そうかな。先輩に比べたら僕なんてまだまだです」
「謙遜すな」
「そうそう、謙遜しない」
 もうひとりの先輩が同調して、調理実習室に笑顔が溢れる。


 部活が終わり下校していると、橋の下から子供の楽しそうな話し声と音楽が聞こえてきて河川敷に降りる。
 普段のマイペースな雛形からは想像できないキレッキレのダンスを踊っている姿が目に飛び込む。雛形の後ろで小学生の男女が雛形のダンスに必死についていく。おそらく雛形の義弟と義妹だろう。邪魔をしないように河川敷の階段に腰掛けダンスを見物する。
 踊り終えたところで拍手して三人に近づくと、三人が一斉に振り向く。
「すごく上手いね」
(すぐる)義兄(にい)ちゃんと同じ制服!」
 雛形の義妹は雛形と同じ制服を着ている僕に笑いかける。僕もにっこり笑いかける。
 人懐っこくて可愛らしい。雛形とは顔は似ていないけど、色白でぱっちりした目と丸みのある輪郭が特徴的でお人形さんみたいな顔立ちだった。
「優お義兄のクラスメイト?」
 雛形の義弟は雛形の背後にさっと隠れる。
 そして雛形の服を掴み隠れたまま小声でそう話す。
「……そうだけど」
「ダンス上手いなんて知らなかった」
「優お義兄ちゃんはすごいんだよ」
 雛形の義妹は我が事のように胸を張って誇らしげだ。
 よほど雛形に懐いているみたい。
「うん、二人も僕より上手いよ」
 褒められて雛形の義妹は嬉しさのあまり飛び跳ねる。
「優お義兄、お腹減った。家帰ろう」
 雛形の義弟は雛形の腕をぐいぐい引っ張る。
「帰りにスーパー寄って帰ろう」
「あっ、もし良かったらこれあげる」
 バッグから家庭部で作った桜クッキーが入ったラッピング袋を取り出し雛形に差し出す。
 クッキーなら帰り道につまみ食いできそう。あんな激しいダンスをした後はお腹が減るだろうから、三人で仲良く食べてくれるといいな。
「やったー! ありがとう、お兄ちゃん!」
 雛形の義妹がラッピング袋を受け取り、目をキラキラ輝かせる。
「もらってよかったの?」
「うん、どうぞ」
「ありがと」
 橋を渡るまで帰り道を一緒に歩く。
 雛形の義弟は僕を睨むようにじっと見て警戒する。きっと人見知りが激しいのだろう。
 橋を渡って行く手が逆方向へと分かれる。
「それじゃ」
「バイバーイ」
 雛形の義妹は雛形の手を掴み、何度も振り返って手をブンブン振る。
 一方で、雛形の義弟は雛形の腕にしがみついて引っ張り、早く立ち去りたそうにしていた。
「うん、バイバイ」
 応えるように何度も手を振り返す。
 歩き出して振り返り寂しさが込み上げる。街灯に照らされ楽しそうにしながら帰路につく雛形たちの遠ざかる後ろ姿を寂しげに見つめる。血は繋がっていなくても本当の兄弟みたい。
 帰っても誰もいない家。もう『おかえり』と出迎えて、温かい食事を作って待っていてくれる母親はいない。孤独感に押し潰される夜は、気を紛らわすようにフォローしているダンサーの新着投稿を観る。


 雛形は毎日学校に寝に来ているんじゃないかってほど、ほとんど午前の授業中は寝ている。でも、行動はゆっくりながらも、体育の授業のときは真面目に受けている。
 先生はわざわざ居眠りしている生徒を起こそうとしない。毎回そんな生徒を注意していると授業が進まないからだろう。
 数学の授業で先生が「ここテストに出ますよ」と教えてくれた問題に星マークをつける。授業が終わってようやく起き出した雛形はノートを取ろうとする。でも、黒板係はすでに板書の半分を消している。
「ノート写す?」
 慌ててノートを写す雛形の背中に向かって聞く。
「ありがと」
 僕は雛形にノートを手渡す。
「夜、眠れてないの?」
「夜型だから朝は弱い」
 そういうことだったんだとすっと腑に落ちる。
 授業が退屈だからじゃないんだ。
「それなら、夜間学校とかは考えなかったの?」
 今の時代はすごく便利で選択肢が多くある。夜間学校だけでなく例えば通信制学校とか。
「考えはしたけど理汰(りた)要凪(いな)に留守番はさせられないから」
「可愛い名前だね。個人的なこと聞いちゃうけどいい?」
「いいよ」
 プライベートな話はしたがらない僕と違って、かなりオープンでこっちが戸惑う。
「留守番って、家にお母さんとかはいないの?」
「おばさんは頻繁に出張があってほとんど家にいない。離婚してから前にも増して仕事に打ち込んでるし、理汰と要凪に寂しい思いはさせたくない」
「雛形はどうなの? 寂しくならない?」
「俺は別に。むしろ好き勝手できて楽」
 振り向いた雛形は笑みを覗かせて、僕は微笑み返す。
 僕とは全然違った。いまだに喪失感から立ち直れていなくて、強く生きていく約束は果たせてない。
「何かあった?」
 雛形が僕をじっと見つめる。子供に注ぐ優しい視線だった。
「何かって何……?」
「寂しそう」
「……そんな顔してる?」
 雛形はこくっと頷く。
 隠せているはずだったのに見透かされてしまった。僕的にはうまく笑えていたはずなのに、実際は力なく笑っていたのかもしれない。
 雛形はノートを写し終えて僕の机にノートを置く。
「クッキー、今度また作ってくれない?」
「それはもちろんいいよ。口に合った?」
「わかんない。理汰と要凪に全部食べられて味見さえできなかった」
 気に入られたのが嬉しくて自然と口角が上がる。
「気に入ってくれたんだ。良かった。食べたいものあったら教えて」
「聞いとく」


 ダンスの部活が終わった帰り道、もしかしたら雛形に会えるかもしれないと期待して河川敷の階段を降りる。雛形はイヤホンをつけてダンスを踊っていて、雛形の義弟と義妹は来ていなかった。
 前に見物していた力強くパワフルなダンスとは違って、しなやかでセクシーな振りだった。
 色気がすごい……。
 緩急をつけた魅力的なパフォーマンスに目が離せないでいた。
 ダンスができたらカッコいいなって単純な動機で入部した。でも、雛形みたいなダンサーを目の前にすると雲泥の差を突きつけられる。僕の踊りはまだ素人っぽい。
 水を飲んで休憩しようとしていた雛形と視線がぶつかる。
「見てた?」
 雛形が河川敷の階段に座る僕のほうへ近づく。
「好きだな……」
 まだ余韻に浸るようにうっとりする。
「えっ」
「ああっと、違くて……、雛形のダンスが好きだなって」
 告白したって誤解されるような言い方を慌てて訂正する。
「それはどうも」
 雛形は僕の隣に座り水をごくごくと一気飲みする。
「理汰くんと要凪ちゃんは家?」
「明日遠足だから置いてきた」
「遠足かあ。そうだ。昨日作ったのだけどお菓子いる?」
 入れっぱなしだったのを思い出して、バッグの中にあるラッピング袋を探す。
「いる」
 ラッピング袋は少ししわくちゃになっていたけど、お菓子は割れていなくて胸を撫で下ろす。
「ビスコッティだ……。おばさんが好きなんだよな」
「そうなの!?」
「持ち帰ったら食べられそうだから、今食べていい?」
「いいよ。良かったら紅茶に浸してみて」
 気を利かせて雛形に温かい紅茶が入った水筒を差し出す。
 そのままだと歯が欠けそうなくらい硬い。だから紅茶に浸して食べると食感がちょうどよくなる。
「用意周到じゃね?」
 雛形はビスコッティを紅茶にさっと潜らせて一口食べる。
「どう?」
 雛形の義弟と義妹は気に入ってくれたけど、少し不安で雛形の顔色を窺う。
「美味しい」
 雛形は美味しそうに頬張りあっという間に平らげる。
 それからしばらくは雛形のダンスを見物していた。
「俺そろそろ帰るけどまだここにいる?」
「んー、そうだよね。僕も帰るよ。また明日」
 まだ帰りたくなくて肩を落として河川敷の階段をとぼとぼ上がる。
「待って。何があったか話してみ」
「んーっと……」
 両親がいる家族が普通で父親と暮らす僕はあまり片親育ちなんて言いたくなかった。似たような家庭環境の雛形になら話してもいいかなと悩む。
「話したくなかった? 何か寂しそうだから気になるんだけど」
 まるで小さい子供に話しかけるみたいな雛形の優しい口調に流される。
 母親が病気だとわかってからは、母親から一通り家事を教わった話。父親は夜勤だからほとんど夜はひとりで過ごしていて、真っ暗で静かな家に帰るのは重い足取りになる話。そんな重い話を雛形に打ち明けた。
「今時、片親育ちは珍しくないよ。俺なんて両親との思い出はあんまない。というか全然覚えてない」
「そうなの……?」
「物心つく前に両親は海難事故で亡くなったんだ。俺は母さんの友人に引き取られて、それが今のおばさん」
 そう淡々と話す。
「そうだったんだ……」
 普通なら親戚の家に預けられるのに。きっと特別な事情があるんだろう。
 苦労人なんだ、僕なんかよりずっと。そんな生い立ちを感じさせない。
 僕もしっかりしないと、天国にいる母親が安らかに眠れないだろうな。
 なぜか雛形は「家まで送る」と言ってくれて、雛形と僕の住む団地へ向かう。
「男二人だから掃除とか適当で、お客さんが来たら家には上げられないかな。ついつい怠けちゃうから、母親には今更すごく感謝してる」
「掃除なら俺得意。お菓子をもらったお返しに掃除してあげよっか?」
「それは助かるけど、すごい汚いよ?」
「掃除し甲斐があっていいじゃん。明日の午前中は用があって無理だけど午後からならいいよ」
「奇遇だね。僕も明日の午前中は用があるんだ」
 ずっと胸の内に秘めていた気持ちを雛形に話して心が軽くなる。いつもより軽い足取りで帰路についた。