遺響綴録:銀幕に巣食うもの

「何しに来た」
3か月前とまったく同じ言葉に、胸の奥が疼いた。今日は灰色の浴衣を着ている。木漏れ日が生地にまだら模様をつくっていた。
僕は喉を鳴らした。
「あの、怪異が……また出た」
日永の眉間に皺が寄った。初めて見る顔だ。どういう感情なのだろう。そして、木の枝からすべり落ちるように、ひらりと地面へ降りた。人間がこんなに軽やかに飛び降りられることが不思議だった。僕の横を通りすぎざま、日永は顎をくいっと動かして合図した。そのまま山道へ入っていく。相変わらず、人のペースをまるで考えていない速さだ。僕は慌ててカバンを抱え直し、その背中を追った。
鬱蒼とした山の中は、木の根が浮き、湿った土に落ち葉が張りついている。足を取られないよう気をつけながら進んでいると、ところどころに小さな祠があることに気づいた。膝ほどの高さしかない石造りのもの。木材で組まれた簡素なもの。苔に覆われ、形も分からなくなっているもの。大きさも造りも、ばらばらだ。この前通ったときは、日永の足元ばかり見ていて気づかなかった。
しばらく進むと、ふいに視界が開ける。山に抱かれるようにして、古い社殿が静かに佇んでいた。東京に戻ってから、神社のことについて少し調べてみたので、基本的な名称なら分かる。境内の隅にある木造の小屋――日永と雨宿りをした建物は、社務所というやつだろうか。先ほどから、この静謐な空気に似つかわしくない軽快な音楽が、社務所からかすかに聞こえる。気のせいですませられる音量ではない。
日永は気にした様子もなく、引き戸をガラッと開けた。
『――いやなんでそうなんねん!』
爆音で関西弁のツッコミが響いた。早口の掛け合いが雪崩れ込んでくる。お笑い芸人のラジオ番組のようだ。
部屋の中央には、こちらに背を向けた人が寝そべっていた。髪を雑にひとつのお団子にまとめ、だぼだぼのTシャツに柄の薄れたステテコ。長くまっすぐ伸びた脚を投げ出し、片方の足の爪で反対の脛をぼりぼり掻いている。右手に持った猫の手の形をした肩たたきで、自分の肩をバシバシと叩いていた。
一瞬、女性かと思ったが、肩幅や骨ばったラインで男性だと分かる。建物の古びた空気と、日曜の昼に部屋着でだらける会社員みたいな姿が、ひどく不似合いだった。
日永は無言でラジオに近づき、電源を切った。
「あっ!なにすんだよ!いいところだったのに」
寝そべったまま男が抗議する。日永は返事をせず、親指で僕を指した。男は面倒くさそうに、首だけこちらへ向けた。フチなし眼鏡の奥、眠たげに見えるのは、たれ目気味の目のせいだろうか。そこに乗る、線をすっと引いたような形のよい眉が、片方だけくいっと持ち上がった。
「誰」
その一言に、僕は反射的に背筋を伸ばした。
「月芝、と言います」
男は数秒、僕を見た。
「何の用?」
それだけ言って、体をこちらにごろりと転がし、左手に持ち直した肩たたきで、また肩をバシッと叩いた。
「えっと……」
僕はちらりと日永に視線をやる。すると、男がぴっと顔の前に人差し指を立てた。
「一万」
「……え?」
間の抜けた声が出る。
「相談料。プロだから」
――何のプロだ?
顔に出ていたのか、男は付け足した。
「いわゆるお祓いってやつ」
「あ、あぁ……」
納得したような、していないような声をこぼしつつ、カバンに手を突っ込む。
「いい。俺が払う」
財布を掴んだところで、横から日永が言った。男の眉がぴくりと動く。
「俺がうまく対処できなかったから、師匠に相談する。あとで払うよ」
「いや、うちの財布の紐、お前が握ってんのに意味ねーだろーが!」
僕はそのやり取りを見ながら、内心で首をかしげた。親子や兄弟には見えない。日永は男のことを師匠と呼んでいるから、住み込みで修行でもしているのだろうか。そんなことを考えていると、日永がこちらを見た。
「全部話して」
僕は頷いた。ここに来てから起きた不可思議な出来事を、時系列順に話していく。
「――そのあと、日永に……鎮魂をしてもらって……それからは何も起きなくなりました」
一度、言葉を切る。ここからが本題だ。
「でも今日、映画の予告編を見て……そこに、また映ってたんです。あのときの女の人が」
ポケットからスマホを取り出し、例の動画を見せる。
「なるほどな」
男は肩たたきを手の中でくるくると回しながら、体を起こしてあぐらをかいた。
「お前は自分で連れてきたな」
その目が、まっすぐこちらを向く。
「えっと……どういうことですか?」
「今回、怪異は大別して2種類いた」
指を二本立てる。
「一つは施設に憑いてたやつ。もう一つが、お前が連れてきたやつ。お前がこの山に来る前に悪夢を見たってんなら、施設のやつが影響を及ぼすには距離が遠すぎる」
「……僕が、連れてきた……」
「俺が最初にお前に会ったとき、複数の“澱み”がついていて、そのうちのひとつに浸食されかけてた。だから、お前が寝てる間に抑えた」
日永が淡々と言う。
「祝詞って聞いたことあるか?」
男の発した聞きなれない言葉に、首を横に振る。
「神に唱える言葉。神様○○してくださいってお願いすんの。糸臣は祝詞で神の力を借りることで、侵食を阻止した。でも正式な儀式じゃないから、 “澱み”自体はお前から落ちなかった」
「な、なるほど」
いとおみというのは、日永の下の名前だろう。
「で、照明が落ちたり、黒いモヤが映像に映ったりしたんだろ」
「はい」
「その時点で“澱み”はもう怪異になってしまっている」
男はずいっと前のめりになった。
「いいか。“澱み”が怪異になりやすい条件ってのがある。パターンその①は、“澱み”が境界にあることだ。昼と夜、夢と現実、虚構と現実、生と死――そういう“あいだ”は、怪異が生じやすい」
頷きながら、言葉を追う。
「パターンその②は、“澱み”同士の共鳴。“澱み”が複数集まると互いに共鳴して、怪異になる。パターンその③は、集団での恐怖の伝染。大したことのない“澱み”でも、『ここに何かいる気がする』とか『何かを見た』とか言い出すやつがいると、周りもなんとなく不安になる。たとえ勘違いでも、恐怖心が集団で増幅すれば、それに反応して怪異になってしまうことがある」
男はトン、と肩たたきを床につき、その上に顎を乗せる。
「パターンその④は、特定の生者との共鳴。“澱み”と相性のいい人間が近くにいる場合だ。その“澱み”と同じような感情を抱えてるやつがいると、怪異に転じやすい。生まれつき引き寄せやすい体質の人間もいるが、そっちはかなり珍しい」
「じゃあ、今回の場合は……」
「条件が全部そろってる。まず、撮影現場は現実と虚構の狭間。しかも、澱みが溜まってる施設での撮影。霊がいるかもしれないって情報も共有された。そんで――」
男は目を細めて僕を見る。
「お前は珍しいタイプだ」
「……引き寄せやすい体質ってことですか?」
「そういうこと。お前が帰ってからの機材トラブルは、お前についてた怪異と施設の“澱み”が共鳴した結果だろうな」
「演者の様子がおかしくなったのは……」
「乗っ取られた」
平然と男は言った。
「そんなに簡単に、怪異って人を乗っ取ることができるものなんですか?」
「簡単じゃないが、今回は演技中だった。いわば自我が薄い状態だ。そういうときは、普段より乗っ取られやすくなる」
男は、肩たたきをぽいっと放り出して、後ろに手をついた。
「一番ヤバいのは、春川萌乃を乗っ取ったやつだな。“澱み”や怪異ってのは、人間と同じで、強いやつのところに自然と集まる習性がある。祭壇前列の三人は、春川に入った怪異が強力で、それにほかの怪異が引き寄せられたかたちだろうな。それに、春川が祭壇から降ろされるまで、エキストラは踊り続けてた」
「それって、まさか全員が……」
「いや、そこまでじゃないはず」
男は苦笑した。
「人は同調する生き物だ。周りが全員踊ってりゃあ、自分だけやめるわけにはいかなくなる。ただ、その中には入られていたやつも何人かいたはずだ。そいつらが必死に動けば、周囲はそれに合わせる。結果として、異常に気づいていた者がいたとしても、決定的なことが起こるまで、全員が演じ続けていたんだろ」
そう言って首をぐるっと回した。パキパキと音が鳴る。
「春川に入ってたやつは、形を持つところまでいってる。相当強い」
思わず唾をのみ込む。
「しかも怪異ってのはな、認知されるほど、この世への影響力が強くなる」
「えっ、じゃあ……SNSで拡散されてるのって、相当マズいんじゃ……」
「めちゃくちゃマズい。一刻も早く対処する必要がある」
真剣な声とは裏腹に、男はいつの間にか寝転がる姿勢に戻っていた。
「問題は “女”が施設のやつか、お前についてたやつかってことだ。心当たりは?」
「……あります……SNSでも話題になってて……三木原真子っていう……元女優の人に似てるって……」
「元?」
「……自殺、したんです」
「理由は」
「そこまでは……」
「そいつとの接点は?」
「以前、共演したことがあります」
「そうか」
男は小さく呟くと、ゆっくりと体を起こした。
「話は繋がりそうだな。糸臣の祝詞とお守りで、お前の中には入れなくなったから、代わりのやつに入った。春川が怪異の核になっている感情と似たものを抱えてたか、あるいは引き寄せやすい体質なのか。まあ、両方ってこともあり得るが。お前は会ったのか?」
男は日永のほうへ首をぐでんと向けた。
「後者ではなかった」
日永の言葉に、ふうん、と男は呟き、再びこちらを見据える。
「で、お前が春川を取り押さえたとき、神力が及んで怪異が弾き出された」
女の顔を思い出し、心が波立つ。
「でも……鎮魂をやって……」
「鎮魂のとき、女の怪異はその場にいなかっただろ?」
ハッとする。言われてみれば単純な話だ。
「撮影現場にいた誰かに、また入ったんだろう。一番可能性が高いのは、春川だな。一度入られたやつは、入られやすくなる。さっきの動画で怪異が映ってたのも春川のシーンだったろ?」
「でも……その後の撮影では、何も起きなかったですよ?」
「怪異が人を乗っ取ったり、実体を取るには、それなりのエネルギーがいるんだよ。施設にいた怪異は薄い“澱み”になっててバフも効かないしな。だから誰かの中に、潜んでたんだろうな。省エネモードだ。そんでもって、今回また出てきたってわけ」
男はぱちんと手を打った。
「結論、そいつのところに行って、鎮魂をすりゃいい」
そう言って、右手をパーにして前に突き出した。
「……えっと……五万、ですか」
「んなわけねえだろ。五十万だ」
「……ご、五十」
「命の値段にしちゃ、むしろ安すぎるくらいだぞ」
男は肩たたきを拾い上げ、ひらひらと大きな肉球を振った。
「今は……手持ちがなくて。振り込みでもいいですか」
「潔いねぇ。やっぱ俳優って儲かるのか? なあ、ギャラとかって一本いくら――」
「なんで、お前が依頼してるの」
ハスキーな声が男の言葉を遮った。日永の視線が鋭くなったような気がする。
「もう、お前には憑いてないのに」
「それは……その……僕に憑いてたんだから、関係者だし……それに、現場で怪我人も出てる……原因を知ってるのはあの中で僕だけだから……と思って」
「……そう」
日永は、それ以上は何も言わなかった。
「あの……今の話、メモってもいいですか。情報が一気に来て……整理したくて」
僕は空気を変えたくて、男にそう切り出した。
「別に構わんよ」
「ありがとうございます」
バッグのポケットからスマホを取り出す。画面を開いた瞬間、通知が目に入った。木内からのLINEだ。何気なくタップする。そのまま、指が止まった。画面を見たまま、動けなくなる。
「どうかした」
日永の声がなぜか少し遠くに聞こえる気がする。
「……長田監督が……死んだ、って……」
僕は画面を見たまま、続ける。
「カラオケバーの個室で……その部屋に……春川さんも、いたらしいって……」
「あ~」
男が頭をがしがしとかく。
「こりゃ、百もらうことになるかもしれんな」
「……どういうことですか?」
「怪異はな、人を殺すレベルまでいくと――怨霊って呼んでんだ」
怨霊。その言葉に全身の毛が逆立つ感覚がした。
「まあ、今回がそこまでいってるかは、まだ確定じゃないがな。この段階になると、処理が面倒くさいんだよ」
ぼやくように言ってから、
「とりあえず前金で――」
「俺がやる」
またもや、日永が遮った。
「お前は師匠の言葉を遮る趣味でもできたのか」
「俺が勝手に手を出して、見逃した」
男と日永の視線が真正面からぶつかる。二人とも眼力があるので、バチバチと音が聞こえてきそうな気迫がある。
「いや、それは違うよ……僕が……最初から全部話してればよかったのに中途半端なことしか言ってなかったから……」
僕は遠慮がちに小さめの声で意見を述べた。男はチラリとこちらを見てから、ふっと息をついた。
「じゃあ今回は、お前一人でやってみるか」
「ん」
日永は小さく頷くと、僕に向き直った。
「俺はプロじゃないから、金はいらない」
その一言に、
「それはダメだよ」
「それはダメだ」
僕と男の声がきれいに重なった。思わず男と目を合わせる。
「危険なのにタダなんて」
「せめて十は取れ」
男と目を合わせたままで、また言葉が重なった。
「僕も手伝わせてくれない?」
「いや、やっぱ二十だな」
流石に3度目となると、もはやわざと被せているのではないかと思えてくる。
日永は、僕を見つめたままだ。
「手伝うって?」
静かに問われる。
背後で、「おい無視するな。最近師匠の扱いが雑すぎないか?おーい」と男が騒いでいるが、日永は完全に無視している。
「多分……春川さんに連絡を取る必要があるよね。僕なら、その……つなぎ役みたいなこと、できるかなって」
「分かった」
日永はあっさりと頷いた。
「でもそれだけだ。儀式の場には来なくていい」
日永の視線に射竦められる。
「怨霊レベルを相手にする儀式は、危険が大きい」
「それを……一人で?」
思わず聞き返す。
「僕は、強い神を降ろせるから」
言葉の意味が、一瞬理解できなかった。それは答えになっているのだろうか。
「そのまんまだよ」
困惑した僕を察したのか横から男が口を挟む。
「鎮魂のとき、台の上に布が置いてあっただろう。あれは依代だ。あそこに神を降ろすんだ」
あのときの光景が、頭に浮かぶ。強い風が吹き抜けたとき、神があの場に降りたのかと思うと今さらながら胃の腑がざわつく感覚がした。
「ああやって神の力を借りて、儀式を執り行う。降ろす神の力が強ければ強いほど効きも強くなるってわけだ。まぁ――」
男が肩をすくめる。
「すぐへばるけどな、こいつ」
「危ない場に、お前がいると気が散る」
日永ははっきりと言い切った。
「……分かった。僕は、できる範囲で協力するよ」
日永は、スッと僕の脇を通り抜け、そのまま外へ向かう。
「師匠、車」
言いながら、下駄に足を通す。
「師匠は車じゃありませーん」
男はだらけた声で言いつつも、転がるようにして起き上がると、僕を見下ろした。
「名乗るのがおそくなったな。俺は門藤景久。以後よろしく」