遺響綴録:銀幕に巣食うもの

白に近いプラチナブロンドを短く刈った頭が、わずかに傾く。木陰の中だというのに、その輪郭が光っているかのように浮き上がって見える。身に着けている紺色の浴衣は少し着崩れていて、胸元はゆるく、立てた片脚の太ももがあらわになっていた。
視線の置きどころに迷って、逸らす。
「何しに来た」
同じ言葉が繰り返される。少し掠れていて、乾いた響きの中性的な声。
「あ、あの、いや、その……時計、取られて」
言葉がうまく出てこない。
「鳥に、さっき……咥えて飛んでっちゃって、それで、追いかけてきて」
まるでいたずらが見つかった子どもが言い訳するみたいに、しどろもどろになって話している途中で、ハッとする。
「あの、すみません、僕迷ってしまって。下の方に最近つぶれた介護施設がありますよね。そこまでの道、分かりま――」
言い終える前に、上から影が落ちた。
――ぶつかる!
後ろに下がったところでバランスを崩し、そのまま尻もちをついてしまった。来るはずの衝撃が来ないので、ぎゅっとつぶった目を恐る恐る開けると、少年が、僕を見下ろしていた。
目が合って、思わず息を呑む。すっと横に流れるような目元。瞳は夜の湖面を思わせた。光を弾くのに、底の方はひどく静か。見られているというより、心の奥まで見透かされているような感じがする。その視線が、すっと逸れた。
「こっち」
短く言って、背を向ける。ぽつ、と頬に何かが当たった。雨だ。少年はいつの間にか高い下駄を履いていた。それでも足取りは軽く、まるで平地を歩くように、山の中を進んでいく。僕は慌てて後を追う。
「ちょ、待っ……」
木の根に足を取られそうになりながら、なんとか後ろをついていく。雨足が強くなってきた。あたりが急に暗くなる。そのとき、不意に腕を掴まれた。
「遅い」
淡々とした声で言われ、そのまま手を引かれる。細いのに、力は意外と強い。僕は引かれるまま、道なき道を颯爽と歩く少年の足跡をたどりながら、半ば走る形でついていった。
やがて、木々の間が開ける。そこにあったのは、古びた神社だった。屋根は黒く沈み、木肌は深い色に変わっている。奥の方は深い影がかかっていてよく見えない。雰囲気が重たい。嫌な感じではなく、姿勢を正さなくてはと思ってしまうような荘厳な重みだ。
思わず足が止まりそうになるが、少年はぐいっと僕の手を引いて、隅の方にある小さな木造の小屋に向かった。屋根の下に滑り込んだときには、雨は完全に本降りになっていたザーザーと叩きつけるような音が響く。
「……はぁ」
ようやく息がつけた。小屋の中は外観よりも広く見えた。畳や柱はくすんだ色をしていて、置かれている数少ない家具は時代劇で見るようなデザインだ。がらんとしている分、部屋の奥に立てかけられた木の枠に掛かっている、白い着物のようなものが妙に目を引いた。神主が身に着ける衣装だろうか。
中に先に入った少年が、棚からタオルを取り出して戻ってくる。
「はい」
「ありがとう…ございます」
差し出されたタオルを受け取って、頭を拭いた。
「ここって神社……なんですか」
「そうだよ」
それ以上の説明はない。
「あの、きみ…あなたは…」
「中入りなよ」
二人の声が重なった。
「あっじゃあお邪魔します…」
かがんで靴を脱いでいると、上から声が降ってきた。
「俺はここの禰宜やってる」
「ねぎ?」
振り返って問い返す。
「食べる方のネギじゃないよ?」
口角をきゅっと上げて少年が笑った。下駄を履いていないと僕より身長が低い。体格から見て、僕と同い年くらいだろうか。
「神社のトップが宮司で、宮司を補佐するのが禰宜」
「あの、ここって――」
さらに聞こうとしたとき、「っくしゅ」という小さなくしゃみが、言葉を遮った。
少年の前髪からしずくが垂れそうになっている。僕は思わず少年が首からかけているタオルに手をのばし、頭に被せた。初対面なのになれなれし過ぎただろうかと、チラリと少年の顔をうかがう。少年は目をふせてじっとしている。タオルの上から優しく手を動かすと、そのまま、おとなしくされるがままになっている。何を考えているかは読み取りにくいが、受け入れるときはあっさりしている感じが、なんだか野生動物みたいだと思った。
拭き終えると、そっと肩にタオルを戻した。
「ありがと」
澄んだ目でまっすぐ見つめながら言われると、どうにも気恥ずかしい。
「いや、こちらこそありがとう」
少し緊張が解けたからか、どっと疲労感が襲ってきた。
足が重い。横になって休みたい。
「眠いの?」
「あ、うん……ちょっと疲れちゃって」
そう、素直に答えていた。
「ちょっと寝てけば」
「えっ……いいの?」
少年はこくりと頷く。
「……10分くらいで、起こしてもらってもいい?」
「ん」
少年は部屋の奥まで歩いていき、木の枠から白い服を外した。
「服、ここに掛けて」
「えっ」
困惑していると、少年は棚から浴衣を取り出して、僕に差し出した。
「はい」
これを着ていいということだろう。僕は湿った服を脱ぎ、木の枠にかけた。浴衣に袖を通すとヒノキの香りが鼻腔をくすぐった。いよいよ瞼が重くなる。
「適当に寝転んでいいよ」
言われるがまま、部屋の隅の方で横になった。古い畳の匂い、雨が屋根を打つ音が心地よい。そのまま、意識はあっさり沈んでいった。

まただ。薄暗い部屋の中。息が、うまくできない。無数の冷たいものが体を這い上ってくる。喉の奥に何かが詰まっているような感覚。声を出そうとしても、引っかかる。逃げたいのに、体が動かない。頭上に気配を感じる。嫌だ。あれは嫌だ。やめて。やめてやめてやめてやめてやめて――
そのとき、声がした。低く、少し掠れたような声。一定の調子で何かを言っている。聞き取れないが、なんだか歌のようにも聞こえる。頬に、冷たい感触が触れる。両側から、そっと包まれている感覚。体を這う気色悪い湿った冷たさとは全く別物だ。体の強張りがほどけていく。呼吸が、できる。

古びた木の天井が目に入った。ゆっくり体を起こす。少し離れたところに、あの少年がいた。片膝を立てて、柱にもたれかかるように座り、外を眺めている。
「……結構、寝てた?」
「20分くらい」
「……何か変な寝言とか……言ってなかった?」
「うなされてた」
少年は外を眺めたまま答えた。それ以上は何も言わない。
「……そっか」
僕は小さく息を吐く。静寂が部屋を満たした。これほどまでの静けさに身をおいたのは生まれて初めてだ。だが、不思議と気まずさはない。
「もう、止んだ」
少年は立ち上がった。
「送る」

帰り道、僕たちはほとんど言葉を交わさなかった。というか交わせなかったが正しい。僕が少年についていくのに精一杯だったからだ。やがて見覚えのある道に出て、施設の建物が視界に入ったところで、足を止める。
「あの……!」
思ったより大きな声が出てしまった。少年が、くるりとこちらを振り返る。
「名前……言ってなかったから……」
弾んだ息を整えてから、その目をまっすぐ見た。
「僕、月芝…月芝直輝」
一拍。
「日永」
それだけが返ってくる。
「また……会えますか」
口に出してから、いきなり何を言っているんだ、と思う。
「またな」
起伏のない声でそう言って、日永は僕の横をすり抜けた。思わず振り向く。日永の背中は、木々の間に、あっという間に溶けるように消えていった。しばらくその場に立ち尽くしてから、我に返って車へ向かう。木内がパニックになって、下手すれば警察沙汰になっているかもしれない。
全速力で駆け寄ってドアを開けると――木内は、爆睡していた。口を半開きにして、よだれまで垂らしている。それを見た瞬間、
「……っ、はは」
変な笑いがこみ上げてきた。さっきまでの出来事が、全部幻だったような気さえする。いや、違う。あれは、確かに現実だ。自分の体から、かすかに立ちのぼるヒノキの香りが、それをはっきりと教えていた。