ここまで一気に語った三木原の母は、ふぅっとため息をついた。ずっと胸の内を誰かに吐き出したかったのかもしれない、と思った。
「ごめんなさい。真子のこと知りたいって言うてくれとったのに、最後のほうは私の話ばっかりになってしまって……」
申し訳なさそうに頭を下げる三木原の母に、僕は慌てて、
「謝らないでください。つらいことを思い出させてしまって、こちらこそ申し訳ないです」
と答えた。
「将来こうなりたい、とか、こういうことしてみたい、とか、何か具体的に言ってましたか?」
日永が尋ねる。
「そうやねぇ……中条作品に出たい、いうんは小学生のころからずっと言うとったかな。それと、谷本さんと共演して、“女優を目指したきっかけは『白露』の谷本さんの演技なんです”って話せたらええなぁ、なんてことも言うとったわ。あとは――」
言葉は次々とあふれてくる。日永は真剣な表情でそれを聞いている。
「――ってこともあったかな。今ぱっと思い出せるんはこれくらいかな。ごめんなさい、長々しゃべってしもて」
再び、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「いえ、ありがとうございます」
日永はぺこりと頭を下げたあと、
「お願いしたいことがあります」
と静かに言った。
「何やろ?」
「娘さんの形見を、何かいただけませんか」
「えっ?」
三木原の母は戸惑ったように言葉を失う。
「あの……日永は、鎮魂の儀式ができるんです。そのために、何か形見の品をいただければ、という話で……すみません、急なことで驚かれましたよね。もちろん、お断りいただいても全然大丈夫です」
「……あの、もしかして……娘の霊って、まだ成仏できてへんとか……そういうこと?」
核心に近い。でも、本当のことをそのまま伝える必要はないだろう。
「そういうわけでは――」
「あるべき場所に導きたいと考えています」
僕の言葉を遮るように、日永が言った。
「えっと……これでお金もらおうとか、そういうつもりは全然ないんです。ただ、儀式のためにはどうしても形見が必要で……どうでしょうか」
控えめな声で僕はそう付け加えた。
「……分かりました。ちょっと待っといてくださいね」
そう言って三木原の母は席を立った。背後で棚を開ける音がして、やがてクリアファイルを手に戻ってきた。
「それは……」
「試写会のチケットです」
そう言って、ファイルの中に入っていた二枚のチケットのうち、一枚を差し出した。
「こっちが娘の分です」
「ありがとうございます」
日永が両手で丁寧に受け取る。
「……遺品整理で、真子が住んどったアパートに行ったときに見つけたんです。こっちで一緒に間取り見ながら決めたとこから引っ越したとは聞いとったんですけど、風呂もついてへんボロボロのアパートで……ほんま、びっくりしました」
三木原の母は、ぽつりぽつりと続ける。
「必要最低限の家具しかない、がらんとした部屋の隅に、小さな棚があって……その一番上の引き出しに、これが入っとったんです……部屋の冷蔵庫には、ほとんど食べもん入ってへんくて。キッチンの棚見ても、私が送ったもんがちょっとあるだけで……収納に入っとる服も少ないし……ハタチ前後の女の子の部屋なのに……」
声が、徐々に震えはじめる。
「そんなとこで……深く手首切るなんて……どれだけ痛くて、苦しくて、寂しくて、つらくて、怖かったか……私は何にも気づかんと……“早く寝なさい”なんて……バカすぎるわ。シャネルのバッグも、芦屋の家も……そんなん、全然いらんかった。あの子が、笑って生きとってくれさえしたら、それでよかったのに……」
三木原の母の目から、涙があふれた。
僕はカバンからポケットティッシュを取り出して差し出す。三木原の母は、震える手でそれを受け取った。皺が深く刻まれたかさついた手は、これまでの苦労をそのまま映したようだった。僕は視線を湯呑みに落としたまま、三木原の母が落ち着くのを待った。
「ごめんなさいね……いい年した大人が、子どもの前で取り乱すなんて」
「いえ……そんな……」
さすがに、言葉が出てこない。最愛の人を失う苦しみは、きっと想像を絶するものだ。こうして話を聞いているだけでも、その喪失と悔恨が伝わってきて、鼻の奥がつんとした。
「あっもうこんな時間やね。おばさんの長話に付き合わせてしもて……」
「いえ、こちらこそお時間いただいて、ありがとうございました」
そう言って頭を下げてから、立ち上がる。
玄関で靴を履いたところで、
「娘のこと……どうか、よろしくお願いします」
三木原の母が深く頭を下げた。
日永が何か言うかと思ったが、口を開かない。
だから、はい、と僕が代わりに答えた。
そしてこちらも深くお辞儀をして、扉の外へ出た。
「どうして最後、何も言わなかったの?」
「三木原真子は、もうこの世のどこにもいないから」
「それはそうかもしれないけど――」
「取り出された内臓を見て、それを人間だと判断しないのと同じ。怨霊は偏った感情のかたまりであって、思考や人格を持っているわけじゃない」
「でもさ、言葉で怨霊の動きを止めるってことは――えっ」
日永が急に、ぐいっと僕の肩をつかんで引っ張った。正面から向き合う形になった瞬間、眉間にぺちんと手を置かれた。
「な、なに?」
「今、目をつぶっただろ」
「う、うん……」
「自分の意思とは無関係に、反射的にそうした。怨霊に対して、生前の願いをぶつけるのも同じこと。あっちはこちらの言葉を理解しているわけじゃない。言葉という“壁”に反応して止まる――そういうイメージが近い」
「そう……なんだ」
「それに、母親は“娘を成仏させてくれる”と思ってるみたいだったけど、俺にはそんなことはできない。ただ、閉じ込めるだけだ」
「……そうかもしれないけどさ。神職の日永が“任せてください”って言ったら、きっとお母さんの心も少しは軽くなったと思うんだよね」
「そういうのは、お前が得意だろ」
「俺は……何にもできないよ」
自嘲気味に、笑みがこぼれる。
「それっぽいことを言ってるだけで、中身は何もない。相手の心を揺さぶれるのは、日永の言葉だよ」
だめだ、卑屈になっている。話題を変えようと、口を開く。
「なんかさ、日永は“閉じ込める”って言うけど……“居場所を与える”って考え方もできるんじゃないかな。この世界がつらくて命を絶ったのに、死んだあともそこから離れられないって……あまりにもさ。それなら、家っていうか、安心できる――」
「月芝直輝」
いつもより低い声でフルネームを呼ばれて、思わず足が止まる。
「怨霊は災害だと思え。お前みたいなタイプは、特に侵されやすい。同情するな。命を落とすことになる」
日永の鋭い視線に、気圧される。
「……ごめん、なさい」
日永はそれ以上何も言わず、またさっさと歩き出した。僕はその半歩後ろを、ただついていくしかできなかった。
「ごめんなさい。真子のこと知りたいって言うてくれとったのに、最後のほうは私の話ばっかりになってしまって……」
申し訳なさそうに頭を下げる三木原の母に、僕は慌てて、
「謝らないでください。つらいことを思い出させてしまって、こちらこそ申し訳ないです」
と答えた。
「将来こうなりたい、とか、こういうことしてみたい、とか、何か具体的に言ってましたか?」
日永が尋ねる。
「そうやねぇ……中条作品に出たい、いうんは小学生のころからずっと言うとったかな。それと、谷本さんと共演して、“女優を目指したきっかけは『白露』の谷本さんの演技なんです”って話せたらええなぁ、なんてことも言うとったわ。あとは――」
言葉は次々とあふれてくる。日永は真剣な表情でそれを聞いている。
「――ってこともあったかな。今ぱっと思い出せるんはこれくらいかな。ごめんなさい、長々しゃべってしもて」
再び、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「いえ、ありがとうございます」
日永はぺこりと頭を下げたあと、
「お願いしたいことがあります」
と静かに言った。
「何やろ?」
「娘さんの形見を、何かいただけませんか」
「えっ?」
三木原の母は戸惑ったように言葉を失う。
「あの……日永は、鎮魂の儀式ができるんです。そのために、何か形見の品をいただければ、という話で……すみません、急なことで驚かれましたよね。もちろん、お断りいただいても全然大丈夫です」
「……あの、もしかして……娘の霊って、まだ成仏できてへんとか……そういうこと?」
核心に近い。でも、本当のことをそのまま伝える必要はないだろう。
「そういうわけでは――」
「あるべき場所に導きたいと考えています」
僕の言葉を遮るように、日永が言った。
「えっと……これでお金もらおうとか、そういうつもりは全然ないんです。ただ、儀式のためにはどうしても形見が必要で……どうでしょうか」
控えめな声で僕はそう付け加えた。
「……分かりました。ちょっと待っといてくださいね」
そう言って三木原の母は席を立った。背後で棚を開ける音がして、やがてクリアファイルを手に戻ってきた。
「それは……」
「試写会のチケットです」
そう言って、ファイルの中に入っていた二枚のチケットのうち、一枚を差し出した。
「こっちが娘の分です」
「ありがとうございます」
日永が両手で丁寧に受け取る。
「……遺品整理で、真子が住んどったアパートに行ったときに見つけたんです。こっちで一緒に間取り見ながら決めたとこから引っ越したとは聞いとったんですけど、風呂もついてへんボロボロのアパートで……ほんま、びっくりしました」
三木原の母は、ぽつりぽつりと続ける。
「必要最低限の家具しかない、がらんとした部屋の隅に、小さな棚があって……その一番上の引き出しに、これが入っとったんです……部屋の冷蔵庫には、ほとんど食べもん入ってへんくて。キッチンの棚見ても、私が送ったもんがちょっとあるだけで……収納に入っとる服も少ないし……ハタチ前後の女の子の部屋なのに……」
声が、徐々に震えはじめる。
「そんなとこで……深く手首切るなんて……どれだけ痛くて、苦しくて、寂しくて、つらくて、怖かったか……私は何にも気づかんと……“早く寝なさい”なんて……バカすぎるわ。シャネルのバッグも、芦屋の家も……そんなん、全然いらんかった。あの子が、笑って生きとってくれさえしたら、それでよかったのに……」
三木原の母の目から、涙があふれた。
僕はカバンからポケットティッシュを取り出して差し出す。三木原の母は、震える手でそれを受け取った。皺が深く刻まれたかさついた手は、これまでの苦労をそのまま映したようだった。僕は視線を湯呑みに落としたまま、三木原の母が落ち着くのを待った。
「ごめんなさいね……いい年した大人が、子どもの前で取り乱すなんて」
「いえ……そんな……」
さすがに、言葉が出てこない。最愛の人を失う苦しみは、きっと想像を絶するものだ。こうして話を聞いているだけでも、その喪失と悔恨が伝わってきて、鼻の奥がつんとした。
「あっもうこんな時間やね。おばさんの長話に付き合わせてしもて……」
「いえ、こちらこそお時間いただいて、ありがとうございました」
そう言って頭を下げてから、立ち上がる。
玄関で靴を履いたところで、
「娘のこと……どうか、よろしくお願いします」
三木原の母が深く頭を下げた。
日永が何か言うかと思ったが、口を開かない。
だから、はい、と僕が代わりに答えた。
そしてこちらも深くお辞儀をして、扉の外へ出た。
「どうして最後、何も言わなかったの?」
「三木原真子は、もうこの世のどこにもいないから」
「それはそうかもしれないけど――」
「取り出された内臓を見て、それを人間だと判断しないのと同じ。怨霊は偏った感情のかたまりであって、思考や人格を持っているわけじゃない」
「でもさ、言葉で怨霊の動きを止めるってことは――えっ」
日永が急に、ぐいっと僕の肩をつかんで引っ張った。正面から向き合う形になった瞬間、眉間にぺちんと手を置かれた。
「な、なに?」
「今、目をつぶっただろ」
「う、うん……」
「自分の意思とは無関係に、反射的にそうした。怨霊に対して、生前の願いをぶつけるのも同じこと。あっちはこちらの言葉を理解しているわけじゃない。言葉という“壁”に反応して止まる――そういうイメージが近い」
「そう……なんだ」
「それに、母親は“娘を成仏させてくれる”と思ってるみたいだったけど、俺にはそんなことはできない。ただ、閉じ込めるだけだ」
「……そうかもしれないけどさ。神職の日永が“任せてください”って言ったら、きっとお母さんの心も少しは軽くなったと思うんだよね」
「そういうのは、お前が得意だろ」
「俺は……何にもできないよ」
自嘲気味に、笑みがこぼれる。
「それっぽいことを言ってるだけで、中身は何もない。相手の心を揺さぶれるのは、日永の言葉だよ」
だめだ、卑屈になっている。話題を変えようと、口を開く。
「なんかさ、日永は“閉じ込める”って言うけど……“居場所を与える”って考え方もできるんじゃないかな。この世界がつらくて命を絶ったのに、死んだあともそこから離れられないって……あまりにもさ。それなら、家っていうか、安心できる――」
「月芝直輝」
いつもより低い声でフルネームを呼ばれて、思わず足が止まる。
「怨霊は災害だと思え。お前みたいなタイプは、特に侵されやすい。同情するな。命を落とすことになる」
日永の鋭い視線に、気圧される。
「……ごめん、なさい」
日永はそれ以上何も言わず、またさっさと歩き出した。僕はその半歩後ろを、ただついていくしかできなかった。
