次の日、約束通り八時きっかりに部屋の扉をノックすると、間を置かずにドアが開いた。
「おはよう」
現れた日永は、すでにTシャツとズボンに着替えていた。まだ頭が半分起ききっていない自分とは違い、普段とまったく変わらない様子の日永に、内心感心する。
「今日の予定は?」
ボディバッグを壁にかけながら聞く。
「怨霊の正体をつかむ」
日永はベッドに腰かけた。
「蛇の夢についてだけど、以前に似たような夢を見たことは?」
「××郡での車中が最初だった」
「車で眠る前、何を考えてた?」
少し考えてから答える。
「役のことかな。久しぶりの映画出演で、どういう風に役を演じようかなって。不安と期待が混ざったような感じだった」
日永は小さく頷き、続ける。
「夢の内容を、もう一度」
僕は、夢の詳細について再び語った。日永は口元に手を当て、考え込む。
「監督は、手を喉に突っ込んで死んでた」
考えるときの癖なのだろうかと思いながら、僕はゆっくりと椅子に腰かけた。
「お前の夢では、最後に蛇が喉に入ってきた」
「えっと……監督も、喉に蛇が入ってきたと錯覚して、それを取ろうとした……とか?」
必死に頭を回転させて、仮説をひねり出してみた。
「お前が悪夢を見たとき、怨霊はまだ“澱み”だった。その段階では、こっち側は負の感情の一端を感じる程度だ。怪異は、癇癪を起こしているというのが近い。そして怨霊になると、生前受けた苦痛をそのまま周囲に与えようとする。死に至らしめるほどのレベルで。その矛先は無差別の場合もあるし、“子ども”とか“怒っている人”みたいに、一定の条件を持つ相手に向くこともある」
つまり、と日永は続ける。
「お前は生前の苦痛を一部共有しただけ。長田は怨霊の攻撃対象になったってことだ。たぶん、操られて、突っ込まされた」
全身に震えが走った。思わず、自分の腕をぎゅっとつかむ。
「次、撮影中の出来事をもう一度。お前がそのときどう感じたのかも詳しく」
「分かった」
一通り話し終えると、日永はまた口元に手を当てた。
「現象が起こるタイミングは、いつも撮影中だな」
「あ、確かに……いつもカメラが回ってる……カラオケバーでのことも、撮られてる最中だった!」
なぜかと考えてみるが、それらしい考えは浮かばない。
「肝心の怨霊の生前については――」
日永の言葉に、僕はスマホを取り出した。Xを開いて例の投稿を見る。
「……一万いいね超えてる」
ぼそっと呟くと、日永が少し首をかしげた。
「えっとね、あの動画がたくさんの人に見られてるってこと」
コメント欄を見ると、三木原の過去作のカットと、動画に映っている女の顔が並べられている投稿が目に入った。その投稿を日永に見せる。日永は受け取ったスマホの画面をじっと見てから、口を開いた。
「お前は、最初に女の顔を見たときどう思った?」
「えっ? あ、えっと……祭壇のときの話だよね」
急いで記憶を巻き戻す。
「正直、三木原さんだとは分からなかったな……」
でも、と続ける。
「あらためて動画を見ると、三木原さんの顔だって思う」
「そう」
日永は小さく呟いた。
「自殺の理由で思い当たることはゼロ?」
「う~ん……強いて言うなら……映画の撮影中、雰囲気はずっとピリピリしてたな。監督がかなりストイックな人だったから……」
自然と眉間に力が入る。
「でもさ……それが原因で自殺するなら、タイミングが遅くない?」
「三木原に最後に会ったのはいつ?」
「……撮影現場が最後だった……はず」
記憶をたどりながら、呟く。
「葬式には行った?」
「いや、三木原さんが亡くなったことを知ったのは後になってからだった。人づてに偶然聞いて、めちゃくちゃ驚いた。当時はニュースにもなってなかったと思う」
「じゃあ、生きてたころにマーキングされてたんだろうな」
「マ、マーキング?」
「生霊は分かる?」
「なんとなくは……」
「生霊は、恨みや執着みたいな、生者の強い感情が体から離れたもの。他人に影響を及ぼすことで“生霊”と認識されるけど、認識まで至るケースは少ない」
「それって――」
「知らないうちに、三木原の生霊に憑りつかれてたんだろうな。お前は引き寄せる体質だから」
「三木原さんが僕を恨んでた、とかそういうことではないってことだよね?」
「心当たりでも?」
「ない……と思いたいけど」
思わず苦笑が漏れる。
「そういう体質かどうかって……見たら分かるものなの?」
「大体は」
「へえ……」
思わず自分の手を見つめる。
「見た目じゃない。雰囲気。言語化は難しいけど、分かる」
そういうものなのか、と曖昧に納得するしかなかった。
「とりあえず、昨日三木原について検索してみたけど、あまり情報は見つからなかった」
僕もスマホで「三木原真子」と検索してみた。まともな情報が載っていそうなのは、Wikipediaくらいだ。リンクをタップする。黒髪のセミロングに色白の肌。にっこりと笑っている宣材写真が表示された。下にスクロールする。
三木原真子(みきはら まこ、1999年〈平成11年〉4月21日 - 2020年〈令和2年〉12月21日)は、日本の女優。兵庫県出身。所属はネクストエンターテイメント。
上から順に、目で追っていく。めぼしい出演作は『楽園のネズミ』くらいで、あとは名前もついていないような端役が二作ほど並んでいるだけだった。
「ネットに載ってないことで、知ってることは?」
「えっと……」
少し考えてから口を開く。
「たぶん“三木原”って本名だと思う」
「理由は?」
「名前が三木原だから、子どものころのあだ名が“ミッキー”だったって言ってた」
日永は黙って聞いている。
「あとは……これは関係ないだろうけど……パン屋でバイトしてた。一度、くまの形をしたパンをくれたことがあってさ。“これ、バイト先の人気商品なんだけど、今日はラッキーで一個だけ余ってたから特別にあげる”って……ごめん、大した情報なくて」
「そのパン屋の名前は?」
「え?いや、それは覚えてないけど……なんで?」
「自分が属する業界の外にいるときのほうが、本音を話せることが多いって師匠が言ってた。俺にはよく分からないけど」
「流石師匠だな。僕もそう思うよ」
少し笑いながら、僕はスマホで「くまのパン 東京」と検索した。スクロールしながら、記憶をたぐっていく。
「あ」
指が止まる。
「これ……たぶんここだ」
そのまま地図アプリでルートを検索する。
「ここから……二十分くらいだな」
顔を上げると、日永はすでにキャップをかぶり、リュックを背負っていた。そのまま何も言わず、ドアの方へ歩き出す。
「ちょっ、早いって!」
慌ててボディバッグを引っつかみ、後を追った。
「おはよう」
現れた日永は、すでにTシャツとズボンに着替えていた。まだ頭が半分起ききっていない自分とは違い、普段とまったく変わらない様子の日永に、内心感心する。
「今日の予定は?」
ボディバッグを壁にかけながら聞く。
「怨霊の正体をつかむ」
日永はベッドに腰かけた。
「蛇の夢についてだけど、以前に似たような夢を見たことは?」
「××郡での車中が最初だった」
「車で眠る前、何を考えてた?」
少し考えてから答える。
「役のことかな。久しぶりの映画出演で、どういう風に役を演じようかなって。不安と期待が混ざったような感じだった」
日永は小さく頷き、続ける。
「夢の内容を、もう一度」
僕は、夢の詳細について再び語った。日永は口元に手を当て、考え込む。
「監督は、手を喉に突っ込んで死んでた」
考えるときの癖なのだろうかと思いながら、僕はゆっくりと椅子に腰かけた。
「お前の夢では、最後に蛇が喉に入ってきた」
「えっと……監督も、喉に蛇が入ってきたと錯覚して、それを取ろうとした……とか?」
必死に頭を回転させて、仮説をひねり出してみた。
「お前が悪夢を見たとき、怨霊はまだ“澱み”だった。その段階では、こっち側は負の感情の一端を感じる程度だ。怪異は、癇癪を起こしているというのが近い。そして怨霊になると、生前受けた苦痛をそのまま周囲に与えようとする。死に至らしめるほどのレベルで。その矛先は無差別の場合もあるし、“子ども”とか“怒っている人”みたいに、一定の条件を持つ相手に向くこともある」
つまり、と日永は続ける。
「お前は生前の苦痛を一部共有しただけ。長田は怨霊の攻撃対象になったってことだ。たぶん、操られて、突っ込まされた」
全身に震えが走った。思わず、自分の腕をぎゅっとつかむ。
「次、撮影中の出来事をもう一度。お前がそのときどう感じたのかも詳しく」
「分かった」
一通り話し終えると、日永はまた口元に手を当てた。
「現象が起こるタイミングは、いつも撮影中だな」
「あ、確かに……いつもカメラが回ってる……カラオケバーでのことも、撮られてる最中だった!」
なぜかと考えてみるが、それらしい考えは浮かばない。
「肝心の怨霊の生前については――」
日永の言葉に、僕はスマホを取り出した。Xを開いて例の投稿を見る。
「……一万いいね超えてる」
ぼそっと呟くと、日永が少し首をかしげた。
「えっとね、あの動画がたくさんの人に見られてるってこと」
コメント欄を見ると、三木原の過去作のカットと、動画に映っている女の顔が並べられている投稿が目に入った。その投稿を日永に見せる。日永は受け取ったスマホの画面をじっと見てから、口を開いた。
「お前は、最初に女の顔を見たときどう思った?」
「えっ? あ、えっと……祭壇のときの話だよね」
急いで記憶を巻き戻す。
「正直、三木原さんだとは分からなかったな……」
でも、と続ける。
「あらためて動画を見ると、三木原さんの顔だって思う」
「そう」
日永は小さく呟いた。
「自殺の理由で思い当たることはゼロ?」
「う~ん……強いて言うなら……映画の撮影中、雰囲気はずっとピリピリしてたな。監督がかなりストイックな人だったから……」
自然と眉間に力が入る。
「でもさ……それが原因で自殺するなら、タイミングが遅くない?」
「三木原に最後に会ったのはいつ?」
「……撮影現場が最後だった……はず」
記憶をたどりながら、呟く。
「葬式には行った?」
「いや、三木原さんが亡くなったことを知ったのは後になってからだった。人づてに偶然聞いて、めちゃくちゃ驚いた。当時はニュースにもなってなかったと思う」
「じゃあ、生きてたころにマーキングされてたんだろうな」
「マ、マーキング?」
「生霊は分かる?」
「なんとなくは……」
「生霊は、恨みや執着みたいな、生者の強い感情が体から離れたもの。他人に影響を及ぼすことで“生霊”と認識されるけど、認識まで至るケースは少ない」
「それって――」
「知らないうちに、三木原の生霊に憑りつかれてたんだろうな。お前は引き寄せる体質だから」
「三木原さんが僕を恨んでた、とかそういうことではないってことだよね?」
「心当たりでも?」
「ない……と思いたいけど」
思わず苦笑が漏れる。
「そういう体質かどうかって……見たら分かるものなの?」
「大体は」
「へえ……」
思わず自分の手を見つめる。
「見た目じゃない。雰囲気。言語化は難しいけど、分かる」
そういうものなのか、と曖昧に納得するしかなかった。
「とりあえず、昨日三木原について検索してみたけど、あまり情報は見つからなかった」
僕もスマホで「三木原真子」と検索してみた。まともな情報が載っていそうなのは、Wikipediaくらいだ。リンクをタップする。黒髪のセミロングに色白の肌。にっこりと笑っている宣材写真が表示された。下にスクロールする。
三木原真子(みきはら まこ、1999年〈平成11年〉4月21日 - 2020年〈令和2年〉12月21日)は、日本の女優。兵庫県出身。所属はネクストエンターテイメント。
上から順に、目で追っていく。めぼしい出演作は『楽園のネズミ』くらいで、あとは名前もついていないような端役が二作ほど並んでいるだけだった。
「ネットに載ってないことで、知ってることは?」
「えっと……」
少し考えてから口を開く。
「たぶん“三木原”って本名だと思う」
「理由は?」
「名前が三木原だから、子どものころのあだ名が“ミッキー”だったって言ってた」
日永は黙って聞いている。
「あとは……これは関係ないだろうけど……パン屋でバイトしてた。一度、くまの形をしたパンをくれたことがあってさ。“これ、バイト先の人気商品なんだけど、今日はラッキーで一個だけ余ってたから特別にあげる”って……ごめん、大した情報なくて」
「そのパン屋の名前は?」
「え?いや、それは覚えてないけど……なんで?」
「自分が属する業界の外にいるときのほうが、本音を話せることが多いって師匠が言ってた。俺にはよく分からないけど」
「流石師匠だな。僕もそう思うよ」
少し笑いながら、僕はスマホで「くまのパン 東京」と検索した。スクロールしながら、記憶をたぐっていく。
「あ」
指が止まる。
「これ……たぶんここだ」
そのまま地図アプリでルートを検索する。
「ここから……二十分くらいだな」
顔を上げると、日永はすでにキャップをかぶり、リュックを背負っていた。そのまま何も言わず、ドアの方へ歩き出す。
「ちょっ、早いって!」
慌ててボディバッグを引っつかみ、後を追った。
