遺響綴録:銀幕に巣食うもの

無言のまま、二人並んで廊下を歩く。
「あれは、怨霊だ」
日永の言葉に、思わず周囲に誰もいないか確認する。
「人を殺す怪異が怨霊……だったよね。この前みたいな鎮魂の儀式じゃ、ダメ……なんだよね?」
「効かない」
「じゃあ、どうするの?」
「神にする」
その言葉と同時に、歩みが止まった。日永がこちらに体を向ける。
「檻の中に入れるんだ」
どういう意味だ。日永の静かな瞳がすっとそれて、また何事もなかったかのように歩き出した。僕は大股で近づき、隣に並ぶ。
「昔から、日本では強い恨みを持って死んだ人の祟りを鎮めるために、神として祀ってきた。有名なのは、日本三大怨霊とか。知ってる?」
「……いや、分からない」
「平将門とか」
「あぁ、それは知ってる」
「この世に残った恨みは、そう簡単には消えない。特に怨霊レベルになると、千年経ってもびくともしないなんて、ザラにある。ひょっとしたら、数千年、数万年……数千万年経っても消えないかもしれない」
話のスケールが大きすぎて、ついていけるか少し不安になる。
「……なんか、使用済みの核燃料みたいだな」
そう呟くと、
「ああ、それはいい例え」
日永はわずかに眉を上げた。
「使用済みの核燃料は、どうやって処分する?」
「えっと……容器に入れて、厳重に保管?」
「怨霊も同じ。消せないなら、人に危害を及ぼさない場所に隔離して、管理するしかない」
「……なるほど」
妙に納得してしまう。
「その“隔離”って、どうやるの?」
「形見とかを依代にして封じて、祠で祀る」
「もしかして、神社のあちこちにあった祠って……」
山中で見た多数の祠が頭に浮かぶ。あれ全部に怨霊が入っている、そう考えると背筋が寒くなった。日永が降ろしている神も、もしかしたら――そんなことを考えながら、事務所の外に出る。
世界は、煮えたぎる溶岩のような色に染まっていた。
「封じるためには、願いを当てる必要がある」
「願い?」
「人間だった頃の、目標とか、夢とか……その根っこにある純粋な願い。それを言葉にして伝えると、怨念が少しの間だけ途切れる。その隙に、封じる」
「……もしさ、封じ損ねたらどうなるの?」
日永は少しだけ考えてから、口を開いた。
「目の前にある、欲しくてたまらないものは決して手に入らないと気づく。だから当然、それをちらつかせたやつに向かってくる。さっきの動画みたいに……いや、もっと悲惨なかたちで死ぬことになるかもしれない」
平静な口調で、そう言った。
「……なんでそんなに普通に言えるの」
心の中の言葉が、そのままこぼれた。
「怖くないの?」
「分からない。その時にならないと」
「……僕は怖いよ」
自分でも驚くくらい、素直に言葉が出る。
「日永が……死ぬんじゃないかって思うと」
一歩先を歩いていた日永が、くるりと振り返る。沈みかけの夕日が、日永の髪も、肌も、すべてを赤く染めていた。その光景に、一瞬息を呑んで――気づけば、僕は日永の手首を掴んでいた。
「……なに?」
そう聞かれて、ハッとする。
「……いや、その……」
口ごもった末に、苦し紛れに出た言葉は、
「お腹、空いてない?」
という、なんとも間の抜けたものだった。その瞬間、ぐるるるるるる、と、見事なタイミングで腹が鳴る。最悪だ。この壮絶な夕焼けに、心の底から感謝した。顔が赤くなっていても、きっと気づかれない。一拍の沈黙のあと、
「あはは」
日永が、声を出して笑った。目が緩やかな弧を描き、白く小さな歯が整然と並ぶのが見える。さっきまで怨霊の話をしていた人間と同じとは思えない、年相応の、普通の高校生の笑顔だった。
「……何か、食べたいものある?」
気を取り直してそう聞くと、日永は少し考えてから、ハンバーグ、と答えた。
ホテル近くの洋食屋を検索すると、半個室のある店がヒットした。早速向かうと、想像以上に落ち着いた雰囲気の店で、男子高校生二人が行くには、少し背伸びした感が否めなかった。案内された席に、向かい合って座る。日永はデミグラスソースのハンバーグ、僕はトマトソースのオムライスを注文した。
「いただきます」
日永がハンバーグにナイフを入れると、肉汁がぶわりとあふれ出した。小さく切り分けて、そのまま口へ運ぶ。もぐっと咀嚼した瞬間、目がきらりと輝いた。
「……うまい?」
そう聞くと、もぐもぐと口を動かしながら、こくりと頷く。その反応に安心して、僕もオムライスにスプーンを入れた。ふわとろの卵を割ると、中からバターの香りがふわっと立ちのぼる。トマトソースと絡めて一口。
「うん、うまい」
そう呟いて、次の一口のためにスプーンをオムライスへ近づけたところで、前から視線を感じた。顔を上げると、日永の視線が僕のオムライスにロックオンされていた。
「……ちょい食べる?」
「うん」
僕はくすっと笑いながら、カトラリーケースからスプーンを取り出し、オムライスの真ん中より少し横、トマトソースとの境目に差し込む。ここが一番おいしいところだ。そのままスプーンごと渡そうとした瞬間、日永が、あ、と口を開けた。
一瞬、腕が止まる。これは、ナイフとフォークを置くのが面倒なだけだろう。そう自分に言い聞かせて、僕はそのままスプーンを日永の口元へ運んだ。
「こっちも、うまい」
「よかった」
そこからは、僕が主に話した。学校でのこと、最近流行っているもの、よく聴く音楽。日永はときどき短く返してくれた。ふと時計を見ると、ちょうど一時間ほど経っていた。
「……そろそろ行くか」
伝票を手に立ち上がる。
「これは必要経費ってことで。明日からのエネルギーチャージ」
レジで支払いを済ませると、店を出た。
「おいしかったな」
そう日永に笑いかけると、うんと頷いた。
「今度来るときは、特大エビフライ食べてみようかな。日永は?」
「ハンバーグオムライス」
「あはは、それいいな」
思わず声を上げて笑った。ホテルまで送り、入口の前で立ち止まる。
「明日はどうする?」
「八時」
「……がんばります」
軽く笑いながら言うと、日永がじっと僕の顔を見た。
少しドキッとする。
「大口開けて笑ってるお前の方が、いいよ」
さらっとそう言って、日永は僕に背を向けた。エレベーターに乗るのを見届けてから、僕はそっと自分の頬をつねった。じん、とした感覚がむずがゆい。
暗がりが、顔の熱をごまかしてくれますように、そう願いながら、僕は駅の方へゆっくりと歩き出した。