遺響綴録:銀幕に巣食うもの

小屋の裏手には、階段状の細い山道が伸びていた。段差のある道を下り続けると、やがて少し広い山道に出る。そこに、古びた軽自動車が停まっていた。門藤が運転席に乗り込み、僕と日永も続いて後部座席に座ると、車はゆっくりと山を下り始めた。
車は山の麓にぽつんと佇む日本家屋の前で止まった。
「ここでちょっと待ってろ」
門藤はそう言って、日永とともに中へ入っていった。数分後、日永が大きなスーツケースを転がしながら、門藤と一緒に出てきた。門藤はスラックスにシャツ姿で、髪は一つ結びに変わっていた。シンプルな格好なのに、まるで雑誌から抜け出してきたみたいに様になっていた。再び二人が車内に戻ったタイミングで、ふと思い出し、僕は「あの……」と門藤に声をかけた。
「日永って、スマホ持ってないんですよね?」
「最近買ったぞ」
「え?」
思わず日永を見るが、無表情のままだ。
「ちょっと前に買ってこいって言われてな」
門藤は肩をすくめる。
「けど全然使ってねぇの。かけても繋がらねぇと思ったら、電源切れたまま放置だし。買った意味あんのかと思ってたけど」
門藤は振り返り、日永ににやりと笑いかけた。
「まあ、これでやっと使う機会ができたな」

門藤の運転はスムーズで、酔うこともなく駅に到着した。
「ありがとうございました。わざわざ送っていただいて」
僕が頭を下げると、
「じゃあ、がんばれ〜」
ひらひらと手を振りながら、さっさと車を出していった。
横を見ると、日永はすでに改札の方へ歩き出している。慌ててその後ろを追いかけた。券売機で新幹線のチケットを買い、ついでに駅弁も購入する。二人席に腰を下ろすと、間もなく窓の外の景色が高速で流れ始めた。日永は弁当を食べながら、その景色を見ている。一方の僕は、スマホとにらめっこだった。日永のホテルを予約しなくてはならないが、自分でやったことなどない。とりあえず「東京駅 ホテル おすすめ」で検索をかける。出てきた情報を片っ端から見ているうちに、あっという間に東京駅に着いた。いつものことながら人でごった返している。
「東京、初めて?」
そう聞くと、「いや、来たことはある」と返ってきた。
「でも……」
でも、なんだろう。
「ちらちら視線を感じるから、あんまり好きじゃない」
周囲をさっと見渡すと、ちょうど通りすがりの女性がこちらをちらりと見ていった。
「それ、日永がかっこいいからだよ。みんな、つい見ちゃうんだろうな」
日永は、背負っていたリュックに吊るしてあったキャップを深く被る。その隙に、僕はスーツケースの取っ手を手にした。歩き出すと、人の流れが押し寄せてきた。僕は後ろを振り返る。
「僕の後ろをついてきて。ここは僕の方が慣れてるから、エスコートするよ」
一瞬だけ間があって、日永が頷いた。僕はいつもより少し意識して歩くペースを落としながら、人の波を縫うように進んでいった。
改札を出てから、ホテルまではすぐだった。チェックインを済ませて、部屋に入り、ようやく一息つくことができた。
「とりあえず、まずは連絡先交換しよ」
スマホを取り出し、ひらっと振る。
「ちょっと日永のホーム画面見せてもらってもいい?」
差し出された端末を受け取り、サッと目を通す。やはり初期のままの基本的なアプリしか入っていない。
「メッセージとか電話が無料でできるアプリ入れてもいい?LINEってやつ」
「好きにすれば」
「じゃあ、入れるね」
ダウンロードし、アカウント設定を行う。自分の連絡先を追加してから、日永に手渡した。
「使い方なんだけど、これが日永のアカウントで――」
画面を指し示しながら、簡単な機能の説明をし、試しに、よろしくお願いしますのスタンプを送った。日永のスマホにしゅぽっと、表示される。日永はそれを見つめて、少しだけ眉をひそめる。
「……何これ」
「えっとね、スタンプって言って、友だち同士で気軽に返事を送るときに使うんだけど、僕、名字が“つくしば”だからさ、このつくしのキャラのスタンプよく使うんだよ」
「ふうん」
「そうだ。せっかくだし、記念に何かプレゼントするよ」
スタンプショップを開き、少し考えてから「猫」と検索する。スクロールしていくと、丸っこいフォルムの白猫が無表情でこちらを見ているスタンプが目に留まった。「プレゼントする」をタップする。
「……なにこれ」
「ちょっと日永っぽいなーって思って」
「……」
表情が変わらないので、気に入ったのか、気に入らなかったのか、それとも単に別のことを考えているのか、何も読み取れない。
「えっと……じゃあ、もう早速始めよっか。とりあえず何からやる?」
僕の言葉に、日永は少し考えるように視線を落としてから、
「長田の死の原因をはっきりさせる」
と言った。
「……分かった。まず木内さんに聞いてみよう」
通話ボタンを押し、スピーカーに切り替える。数コールのあと、「もしもし」という木内の声が室内に響いた。
「お疲れ様です。LINEありがとうございます。あの……そのことでなんですけど……亡くなったって……」
「私もね、まだ噂程度のことしか知らないんだけど」
木内の声が低くなる。
「昨日は監督の誕生日で、御用達の高級カラオケバーを貸し切ってパーティやってたみたいなの。監督はハイペースで飲んでたらしくて、途中でふらつきながらトイレに行ったんだって。で、少ししてから廊下の方から女性の悲鳴が聞こえて――」
スマホを握る手に自然と力がこもる。
「数人で駆けつけたら、悲鳴は個室から聞こえてて。ドアを開けたら監督が倒れてて、そのそばに春川さんがいて、悲鳴を上げてたらしいの」
木内がさらに声をひそめた。
「監督ね、自分の手を……手首まで喉に突っ込んだ状態で、目を見開いたまま、ぴくりとも動かなかったって」
言葉を失う。日永は表情一つ変えない。
「もう片方の手にはスマホを持ってて、録画中になってたらしいの。でもね、それ実は、春川さんのスマホだったの」
木内は一度息をつく。
「救急車を待ってる間、口から手を引き抜こうとしても、全然動かなかったんだって。その場にいるみんなでやっても無理で。救急車が到着したときには……もう、ね。そのあと警察も来て、大変だったって」
「……ずいぶん詳しいですね」
「実は、その部屋に駆けつけた一人がうちの事務所のタレントでさ。そのマネージャーから色々聞いたの。今日、春川さんは事務所に呼ばれてるって」
「そうなんですね……」
「パーティにはお偉いさんもいたみたいだから、大きくは報道されないと思う。映画も、延期はあってもお蔵入りはないと思うんだけど……ごめん、そこはまだはっきりしないや」
「いえ、ありがとうございます。助かります」
「気になるよね。また分かったら連絡するね」
「はい、お願いします」
通話が切れる。静かになった部屋で、僕はゆっくりと日永の方を向いた。
「……どう?」
「まだ、断定はできない」
その言い方からすると、怨霊の仕業の可能性はかなり高いようにも思えるが、どうなのだろう。
「春川には会える?」
「えっうーん……昨日の今日だしな……ちょっと待ってね」
僕は春川とのトーク画面を開き、少し考えてから指を動かした。送信。少しして既読がついた。そのまま待っていると、メッセージが送られてくる。
「よかった。今日、会えそうだよ」
そう伝えると、日永は眉をわずかに上げた。
「結構あっさり会えるんだ。仲良いの?」
「いや、今回の映画で初めて会ったし、そんなに会話もしてないかな」
ぽりぽりと頭を掻く。
「……こういう状況になったらさ、僕だったら、なんて言われたら話したくなるかなって考えて送った」
スマホの画面を日永に見せる。日永の目が文章を追う。
「ふーん……そうやって相手を籠絡するのか」
「ろ、籠絡って。全然普通のことしか言ってないじゃん」
「なおたちが悪いな」
言い返そうとして、ふと気づく。日永の口角が、ほんの少しだけ上がっている。からかわれているのだ。なんだか、少しだけ距離が縮まった気がして、こちらも口元がゆるんだ。