「あ、あぅ……」
見回り後、帰宅したアスラは自室のベッドに倒れ込んでいた。
あの後、アスラはとにかく全力で逃げた。
振り返りもしなかったし、言い訳ひとつ残していない。
剣聖とは思えないほど情けない撤退である。
「終わって草」
アスラは人生の終わりみたいな顔を浮かべていた。
そのベッドにもたれかかるレーニャの表情には、若干……いや、かなり呆れた色が滲んでいる。
「だから油断するなって言ったじゃないですかぁ。その“草”というのは分かりませんけど」
「ほんのちょっと気を抜いただけじゃん……」
「まぬけで草」
「なんで使いこなしてんの!?」
普段通りのやり取りだ。
だが、アスラにはいつもの軽さがない。
それも当然だろう。
剣聖、賢者、武神……正体不明の彼を、今まで多くの者が暴こうとした。
それでもなお、アスラは華麗にかわしてきたのだ。
そのはずが、“凡ミス”でレーニャ以外の人間に知られてしまった。
「俺のダラダラ学園ライフがあ~~~!」
学園に入学しても、アスラは今の自堕落な生活を続けたかった。
だが、正体を知られれば、それはもれなく崩壊するだろう。
うなだれるアスラを、レーニャはじっと見下ろす。
「で? バレたのはどこのどいつなんですかぁ?」
「……それを聞いてどうすんの?」
「事と次第によっては──」
一瞬浮かんだ鋭い視線と共に、スッとレーニャの袖口から細身の刃が覗く。
「それはダメー! 刀は仕舞いなさい!」
「あら、残念です」
アスラに止められると、レーニャはゆるりとした目元と口調に戻る。
訳あって今はメイドとして仕えているが、実は腕の立つ実力者だ。
アスラには及ばなくても、その辺の騎士や冒険者よりずっと強い。
相手のことも気の毒に思い、アスラは話し始める。
「学園で一緒になる子だよ。合格すれば同じ新一年生」
「お知り合いなのですか?」
「昔ちょっとね」
侯爵家のアスラは、社交の機会も多かった。
出会いは転生前の幼少期だったが、記憶の隅には存在する。
ちなみに、しっかりとちょっかいをかけて嫌われている。
だが、それだけではない。
あの少女はもっと厄介な意味を持つ存在だった。
(あの子は、『エストレア・アカデミー』のメインヒロインだ)
少女の名は、リーゼル・レインフェルト。
艶のある紫紺色のロングと、真っ直ぐな青い瞳が印象的な美少女だ。
凛としていて、いかにも優等生だが、その奥には熱い芯を持っている。
そんなリーゼルは──。
(剣聖ルートのヒロインだな)
『エストレア・アカデミー』では、選ぶルートによってヒロインが変わる。
剣聖ルートに入れば、剣士であるリーゼルと共に物語が進む。
賢者ルートでは魔法に関わるヒロインが、武神ルートでは武闘派ヒロインが前に出てくるわけだ。
鍛え方で道を選ぶもよし、ヒロインで道を選ぶもよし、という作りである。
ちなみに、その設定上、本来このゲームはハーレムものではない。
どの道を選んでも最後に結ばれる相手はひとり。
それをアスラは根本から覆しているわけだが……それはまた別の話。
アスラは引き続き思考を巡らす。
(まさか学園前にヒロインにバレるとか、想定してねえよ……)
夢に見た学園生活だった。
入学後は適度にサボり、適度に昼寝しながら、のんびりだらだら過ごすつもりだった。
そのために破滅フラグをへし折ったのだ。
そのはずが、入学前から注目を浴びるような事態になればどうなるか。
最悪、夢の自堕落学園ライフが消し飛ぶ。
「……明日、接触するか」
明日には学園の入学試験がある。
もしリーゼルが正体を漏らしていたら試験どころではない。
アスラがぼそりと呟くと、レーニャが半目になった。
「接触してどうするおつもりで?」
「知らん! でも俺の平穏な学園生活のためには、ここでやる気を出さなければならん!」
「立派なようで目的が終わってますねぇ」
そうして、アスラは明日に備えてそっこー寝た。
◆
「さあ来い……!」
翌日、王立エストリア学園の門前。
アスラは腕を組みながら仁王立ちしていた。
だが、その目立つ様は当然のように受験生の注目を集める。
「なにしてんだあいつ」
「またろくでもないこと考えてるんだろ」
「クズのくせに入試なんか来るなよ」
もちろん悪い意味で。
周囲から飛んでくるのは、入学前から完成した悪評である。
(……変なこと考えてるのは否定できねえ)
今更ながら若干後悔するが、アスラはめげない。
国王にすら正体を隠す強メンタルでどっしり構えていると──。
「……!」
門の向こうから、さらりと紫紺色の髪が揺れるのが見えた。
目標の人物、リーゼルだ。
「あ」
「!」
アスラが間抜けな声を漏らした瞬間、目が合ったリーゼルもぴたりと足を止める。
昨日の今日のことだ、忘れるはずがない。
お互いに見合ってしばしの沈黙の後、アスラは気まずそうに話しかける。
「ひ、久しぶり。急なんだけど、少しお時間をいただくことって……」
「……いいわ。私も話したいことがある」
「はは、ですよねー」
鋭い視線は相変わらずだが、断られなかっただけマシと思うことにする。
アスラはそのままリーゼルを連れ、校舎裏へと向かった。
人目がないことを確認すると、アスラが口を開く。
「えっとー、何から話そうか」
「……」
だが、幼少期の記憶が邪魔をして、切り出し方に迷う。
マモノマスターになると称したアスラは、たとえスカートの中でも探すと何度も下から覗こうとしたのだ。
結果、痛い平手打ちを食らっている。
今の自分ではないにしろ、まずは謝罪をするべきか否か……。
そう迷っている内に、リーゼルが口にした。
「私は、剣聖に憧れて剣を握った」
「!」
開口一番、それだった。
リーゼルはハッキリとした口調で話し始める。
「魔物から人々を守る姿も、誰にも名乗らず去っていくところも、ずっと格好いいと思っていた」
「ずっと?」
「何度か見たことがあるもの」
リーゼルは視線を逸らすと、迷いながらも続ける。
「その正体があなただったなんて、正直まだ信じられない。認めたくないし、戸惑ってもいる」
「は、はい……」
「──でも」
リーゼルの声が、強くなる。
「“剣聖”という存在に憧れる気持ちは変わらない」
「……!」
その言葉に、アスラは息を呑んだ。
クズ悪役貴族──アスラ・ヴァルティオ。
リーゼルの中では、その評価と“剣聖”への憧れがうまく結びつかないのだろう。
だからこそ、リーゼルは確かめたかった。
「だから、入試で私と本気で戦って」
「え?」
「実技試験は一対一の模擬戦。そこでは指名もできたはずよ。私はあなたを指名する」
リーゼルはアスラにすっと人差し指を向けた。
「昨日の事は誰にも話してない。正体を広められたくなければ、本気を出しなさい」
「……っ!」
「それで自分の気持ちを整理する。あなたが本当に、私の憧れる剣聖なのかを確かめてから」
言うだけ言って、リーゼルはくるりと背を向ける。
「じゃあ」
「ちょ待っ──」
止める間もなく、リーゼルは歩き去っていった。
あとに残されたのは、呆然と立ち尽くすアスラだけ。
否、近くの茂みがもぞりと揺れる。
「どうするんですかぁ?」
草の装飾を両手に、レーニャが草陰からぬっと顔を出した。
リーゼルは隠れていた彼女を察知できなかったようだ。
もちろんアスラは気づいていたが、その質問には迷う。
「ぐ、ぐぬぬぅ…………」
目立ちたくないのに、本気の勝負を挑まれた。
かといって本気を出せば、周囲から怪しまれる。
アスラは両手で頭を抱えたまま、空へ向かって叫ぶ。
「どうしようかねえ!!!!」
平穏を望むアスラの学園生活は、早くも窮地に立たされた。
見回り後、帰宅したアスラは自室のベッドに倒れ込んでいた。
あの後、アスラはとにかく全力で逃げた。
振り返りもしなかったし、言い訳ひとつ残していない。
剣聖とは思えないほど情けない撤退である。
「終わって草」
アスラは人生の終わりみたいな顔を浮かべていた。
そのベッドにもたれかかるレーニャの表情には、若干……いや、かなり呆れた色が滲んでいる。
「だから油断するなって言ったじゃないですかぁ。その“草”というのは分かりませんけど」
「ほんのちょっと気を抜いただけじゃん……」
「まぬけで草」
「なんで使いこなしてんの!?」
普段通りのやり取りだ。
だが、アスラにはいつもの軽さがない。
それも当然だろう。
剣聖、賢者、武神……正体不明の彼を、今まで多くの者が暴こうとした。
それでもなお、アスラは華麗にかわしてきたのだ。
そのはずが、“凡ミス”でレーニャ以外の人間に知られてしまった。
「俺のダラダラ学園ライフがあ~~~!」
学園に入学しても、アスラは今の自堕落な生活を続けたかった。
だが、正体を知られれば、それはもれなく崩壊するだろう。
うなだれるアスラを、レーニャはじっと見下ろす。
「で? バレたのはどこのどいつなんですかぁ?」
「……それを聞いてどうすんの?」
「事と次第によっては──」
一瞬浮かんだ鋭い視線と共に、スッとレーニャの袖口から細身の刃が覗く。
「それはダメー! 刀は仕舞いなさい!」
「あら、残念です」
アスラに止められると、レーニャはゆるりとした目元と口調に戻る。
訳あって今はメイドとして仕えているが、実は腕の立つ実力者だ。
アスラには及ばなくても、その辺の騎士や冒険者よりずっと強い。
相手のことも気の毒に思い、アスラは話し始める。
「学園で一緒になる子だよ。合格すれば同じ新一年生」
「お知り合いなのですか?」
「昔ちょっとね」
侯爵家のアスラは、社交の機会も多かった。
出会いは転生前の幼少期だったが、記憶の隅には存在する。
ちなみに、しっかりとちょっかいをかけて嫌われている。
だが、それだけではない。
あの少女はもっと厄介な意味を持つ存在だった。
(あの子は、『エストレア・アカデミー』のメインヒロインだ)
少女の名は、リーゼル・レインフェルト。
艶のある紫紺色のロングと、真っ直ぐな青い瞳が印象的な美少女だ。
凛としていて、いかにも優等生だが、その奥には熱い芯を持っている。
そんなリーゼルは──。
(剣聖ルートのヒロインだな)
『エストレア・アカデミー』では、選ぶルートによってヒロインが変わる。
剣聖ルートに入れば、剣士であるリーゼルと共に物語が進む。
賢者ルートでは魔法に関わるヒロインが、武神ルートでは武闘派ヒロインが前に出てくるわけだ。
鍛え方で道を選ぶもよし、ヒロインで道を選ぶもよし、という作りである。
ちなみに、その設定上、本来このゲームはハーレムものではない。
どの道を選んでも最後に結ばれる相手はひとり。
それをアスラは根本から覆しているわけだが……それはまた別の話。
アスラは引き続き思考を巡らす。
(まさか学園前にヒロインにバレるとか、想定してねえよ……)
夢に見た学園生活だった。
入学後は適度にサボり、適度に昼寝しながら、のんびりだらだら過ごすつもりだった。
そのために破滅フラグをへし折ったのだ。
そのはずが、入学前から注目を浴びるような事態になればどうなるか。
最悪、夢の自堕落学園ライフが消し飛ぶ。
「……明日、接触するか」
明日には学園の入学試験がある。
もしリーゼルが正体を漏らしていたら試験どころではない。
アスラがぼそりと呟くと、レーニャが半目になった。
「接触してどうするおつもりで?」
「知らん! でも俺の平穏な学園生活のためには、ここでやる気を出さなければならん!」
「立派なようで目的が終わってますねぇ」
そうして、アスラは明日に備えてそっこー寝た。
◆
「さあ来い……!」
翌日、王立エストリア学園の門前。
アスラは腕を組みながら仁王立ちしていた。
だが、その目立つ様は当然のように受験生の注目を集める。
「なにしてんだあいつ」
「またろくでもないこと考えてるんだろ」
「クズのくせに入試なんか来るなよ」
もちろん悪い意味で。
周囲から飛んでくるのは、入学前から完成した悪評である。
(……変なこと考えてるのは否定できねえ)
今更ながら若干後悔するが、アスラはめげない。
国王にすら正体を隠す強メンタルでどっしり構えていると──。
「……!」
門の向こうから、さらりと紫紺色の髪が揺れるのが見えた。
目標の人物、リーゼルだ。
「あ」
「!」
アスラが間抜けな声を漏らした瞬間、目が合ったリーゼルもぴたりと足を止める。
昨日の今日のことだ、忘れるはずがない。
お互いに見合ってしばしの沈黙の後、アスラは気まずそうに話しかける。
「ひ、久しぶり。急なんだけど、少しお時間をいただくことって……」
「……いいわ。私も話したいことがある」
「はは、ですよねー」
鋭い視線は相変わらずだが、断られなかっただけマシと思うことにする。
アスラはそのままリーゼルを連れ、校舎裏へと向かった。
人目がないことを確認すると、アスラが口を開く。
「えっとー、何から話そうか」
「……」
だが、幼少期の記憶が邪魔をして、切り出し方に迷う。
マモノマスターになると称したアスラは、たとえスカートの中でも探すと何度も下から覗こうとしたのだ。
結果、痛い平手打ちを食らっている。
今の自分ではないにしろ、まずは謝罪をするべきか否か……。
そう迷っている内に、リーゼルが口にした。
「私は、剣聖に憧れて剣を握った」
「!」
開口一番、それだった。
リーゼルはハッキリとした口調で話し始める。
「魔物から人々を守る姿も、誰にも名乗らず去っていくところも、ずっと格好いいと思っていた」
「ずっと?」
「何度か見たことがあるもの」
リーゼルは視線を逸らすと、迷いながらも続ける。
「その正体があなただったなんて、正直まだ信じられない。認めたくないし、戸惑ってもいる」
「は、はい……」
「──でも」
リーゼルの声が、強くなる。
「“剣聖”という存在に憧れる気持ちは変わらない」
「……!」
その言葉に、アスラは息を呑んだ。
クズ悪役貴族──アスラ・ヴァルティオ。
リーゼルの中では、その評価と“剣聖”への憧れがうまく結びつかないのだろう。
だからこそ、リーゼルは確かめたかった。
「だから、入試で私と本気で戦って」
「え?」
「実技試験は一対一の模擬戦。そこでは指名もできたはずよ。私はあなたを指名する」
リーゼルはアスラにすっと人差し指を向けた。
「昨日の事は誰にも話してない。正体を広められたくなければ、本気を出しなさい」
「……っ!」
「それで自分の気持ちを整理する。あなたが本当に、私の憧れる剣聖なのかを確かめてから」
言うだけ言って、リーゼルはくるりと背を向ける。
「じゃあ」
「ちょ待っ──」
止める間もなく、リーゼルは歩き去っていった。
あとに残されたのは、呆然と立ち尽くすアスラだけ。
否、近くの茂みがもぞりと揺れる。
「どうするんですかぁ?」
草の装飾を両手に、レーニャが草陰からぬっと顔を出した。
リーゼルは隠れていた彼女を察知できなかったようだ。
もちろんアスラは気づいていたが、その質問には迷う。
「ぐ、ぐぬぬぅ…………」
目立ちたくないのに、本気の勝負を挑まれた。
かといって本気を出せば、周囲から怪しまれる。
アスラは両手で頭を抱えたまま、空へ向かって叫ぶ。
「どうしようかねえ!!!!」
平穏を望むアスラの学園生活は、早くも窮地に立たされた。


