俺の学園生活は何かがおかしい―いや、俺もおかしいのかもしれない……―

ピピピピ。ピピピピ。ピピピピ。ピピピピ。


目覚ましの音が鳴ってるのは分かってる。
でも、(まぶた)が張り付いたみたいに重くて全く動かせない。


――ピ。


誰かが目覚ましを切った。


ん……?誰?母さん?
のわけないだろ。ここは寮なんだから。


顔のすぐ近くに人の気配。ホラーを連想させるやつ。
で、その気配から、低い声にそぐわない言葉が聞こえた。


(すい)きゅん。朝でちゅよ」


その言葉でうっすら目を開ける。
『翠きゅん』?『きゅん』て何?
目の前ほぼゼロ距離に、長いまつげのやたら整った目。

湊斗(みなと)君だ。

「お、起きた、起きた。おはよ。翠きゅん」


湊斗(みなと)君のきれいな顔が俺の視界を埋め尽くす。
顔にかかる息は……うん。スーパーミント。
で、直後いきなり唇を塞がれた。湊斗君の唇で。


――は?……え?


舌が唇を割って入ってこようとしてる。


これはつまり、ディープキスってやつで……。

待て待て待て!俺のキスヴァージンがっ!


「……っ!んっ!んんーー!」


必死で湊斗君の肩を押すと、「ははっ」という軽い笑い声と共に唇が離れた。

キスヴァージン喪失記念日。

俺は両掌(りょうてのひら)を目に当てる。


「……なんで……キスしたんですか……」

「お前が起きないから。それともおもっきしぶん殴って欲しかった?」

「いえ……キスがいいです」


キスがいい?
俺朝から何言ってんの?
まあ、おもっきし殴られるよりはいいか……。

いいのか?

何その2択。斬新。


1日の始まりに、絶望的な顔でのっそり起き上がる。
湊斗君を見ると、既にビシッと制服に着替えていた。
堂々たるイケメンっぷり。
昨日全裸でアレをオープンさせてた人物だとは到底思えない。


「おはようございます。湊斗君、朝からキスはもう……」

「敬語やめろ。不必要。あと、湊斗君てのもキモい。湊斗で」

「了解……湊斗」


朝の挨拶ズバッとスルー。
で、明らかなる不機嫌。
『翠きゅん』どこ行った。


コンコン。


ノックの音と共に、(さく)君が入って来る。


(すい)君、おはよう」

「朔君、おはよう」


朝から爽やかキューティーな朔君のキラキラ笑顔。地味に癒される……。
が、しかし、そのまま湊斗に寄り添って、2人はキス……。


はい、俺の存在感、ゼロ確。
8、9、10、11。
キスのカウントしてみました。うん。長いね。


「おい、早く着替えろ。飯食う時間なくなるぞ」


キスカウントしてる場合じゃなかった。飯、飯。


俺がスウェットを脱いだ途端、2人の視線が痛いほど俺の裸に突き刺さってくる。
2人の方をチラッと見れば、案の定俺をガン見してる。


「何で……見るの……?」


俺をじっと見つめたまま、湊斗がとんでもないことを言った。


「お前の裸、そそる。乳首きれいだな」

「うん……翠君の乳首、ピンク色だね」


朝からまさかの乳首褒め。
わーい。やったー。乳首褒められちゃったー。

……乳首か……。男として、褒められて喜ぶ場所じゃない。


ネクタイを結ぼうとすると、朔君が近づいてきてネクタイに手をかける。


「結んであげる」

「いや、自分ででき……」


俺の意思を完全無視してネクタイを結び始める朔君。断る隙を全く与えない。
なるほど。大人しそう見えて押しが強い系か。だよな。湊斗の彼氏だし、普通のわけない。


ネクタイを結びながら、朔君が俺を上目遣いでチラチラ見てくる。その目が妙に色っぽく感じる。何だその目は……。


「はい、できた」

「どうも……」

「あ……」


朔君の顔が急に近くなって、いきなり髪を撫でられた。


急だな、おい。どうした。


軽く身を引く俺の耳元に、朔君は唇を近づけて囁く。


「寝癖……ついてたよ?」


そこ、囁く必要ある?
どきどきしてる俺も何?


「ほら、早くブレザー着ろよ。飯」


湊斗の声に、はっとして急いでブレザーを着る。


――――――


ごった返す食堂を出て、校舎へと向かった。
クラス発表の掲示板の前は、人山の黒だかり。
隙間を縫って自分の名前を探す。


「一ノ瀬、一ノ瀬……あった」


俺はすぐに湊斗の名前も探す。
頼む。別クラスであってくれと、強く願う。


「お、俺と朔一緒じゃん。すげー奇跡」


……っしゃ!
別クラス~!


つかの間の自由を手に入れた。思わず小さくガッツポーズ。これでとりあえずは教室での平穏は保たれることが確定した。


「じゃ、俺教室行くんで」

「翠くん一人で大丈夫?寂しくない?」

「全っ然っ」


(むし)ろ神様サンキュッ。


湊斗達と分かれて、俺は廊下を歩いて教室へと向かう。寮よりはまだましだけど、やっぱり校舎もなかなかに古い。

教室へ入ると古めかしい黒板に席順が印刷された紙が貼ってある。
俺の席は窓際の後ろから2番目。ここでも神様が微笑んだらしい。いい滑り出しだ。

席に座ると後ろの席の生徒が話しかけてきた。


「よろしく。俺、山下凪(やました-なぎ)

「一ノ瀬翠(いちのせ-すい)。よろしくね」


後ろの席の人もいい人っぽい。完全に当たり。少なくとも、このクラスでは普通の生活送れそう。

先生から簡単な説明を受けて入学式会場の体育館へと向かった。


人多すぎだろ。うん、これは完全にただの人混みだ。
床のシミまで人に見えてくる。
今猛烈に一人になりたい。


げんなりし始めた時、司会の先生の声に耳を疑う。


「新入生代表。葉野湊斗(はの-みなと)

「はい!」


――新入生代表……葉野湊斗?


登壇したのは紛れもなく湊斗だった。


え?あいつ首席なの?
嘘でしょ?
初日に部屋でヤってた頭おかしい男だよ?
入試最高得点者?
嘘でしょ?


壇上に上がった湊斗は、さっきまで俺の乳首を品評していた男とは到底思えないほど、ずるいくらいに凛々しかった。
周りの新入生たちが、熱っぽい視線で湊斗を見上げているのが分かる。


だめだ。皆騙されるな。そいつは倫理観も社会性も完全崩壊してる男だぞ。


​「……以上。新入生代表、葉野湊斗」


​完璧な一礼。
湊斗が誇らしげに、余裕の表情で壇を降りる。
隣の生徒達が「葉野君すげーな。憧れるわ」などと小声で話してる。


憧れるな!逃げろ!
俺は逃げられないけどね!
そう……俺は逃げられないんだ……。少なくとも一年間は……。


そんな思いで頭が満たされながら、ふと壇上を見上げそこにいる男性を見た時、俺は一瞬呼吸を忘れた。


顔きれーすぎるんですけど……。声までいいってどーゆーこと?俺と同じ人類?


「あの人、誰?」


隣の生徒に小声で聞くと、「生徒会長だって。すげーイケメンだな」という返事が返ってきた。

生徒会長……。確実に全員見入ってる。絵に描いたような王子様みたいな王道生徒会長様。少女漫画の世界か?ってくらいに。ここ男子校だけど、女子いたら大変なことになってたはず。現に男子だけのこの空間でさえざわついてる。


絶対人生イージーモード。
家に『じいや』いそう。
天蓋ベッドで寝てそう。
夜8時には寝てそう。
ファミレス行かなそう。
カップラーメン食べなそう。
クジ運良さそう。
俺もあんな風に産まれたかった……。


入学式の記憶は、湊斗の嘘みたいな首席の事実と、衝撃的な美形生徒会長が全てだった。

教室に戻ってSHRを受け、親と適当に写真を撮る。その間ずっと俺の脳内は『早く一人になりたい』で埋め尽くされてた。
このまま寮に帰るのは無理。湊斗に会う前に一回リセットが欲しい。


一人になれる場所……。
保健室……カーテン越しのプライベート。却下。
図書室……本の量に気圧される。却下。
空き教室……アレの場の温床っぽい。却下。
屋上……青春始まりそう。却下。

考えられるのはあと一つだけ……トイレ。誰も来ないトイレの個室……。
うん。正解でた。


自由の身になるとすぐに、俺は絶対人が来なそうな上の階のトイレを目指した。

人気のない特別教室ばっかが並ぶ廊下を歩く。
ギシ、ギシ……小さく床が鳴る。窓の外からは生徒達の声が微かに聞こえてる。

で、お目当てのトイレ発見。
ここなら今日は絶対人が来ないはず。

トイレの中は薄暗くてひんやりしている。俺は一番奥の個室に入ると鍵を閉め、便器のフタに座った。


はぁ……すげぇ落ち着く。
やっと一人。やっと、無。
トイレで落ち着いてる自分、ちょっと悲しいけど、今の俺にはここしかない。


パタ。パタ。パタ。
足音。誰か来たみたいだ。
キィ……パタン。
その誰かは隣の個室に入った。


わざわざこんな所まで来るやつ珍しいな。
俺とお仲間か?
それとも何かもっと猥褻(わいせつ)な理由……とか。


無意識に聞き耳をたてる。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


なんだ、息荒いな。
やっぱそっち系の理由で来たやつか?
……気まず……。


カサッ。カサカサカサッ。


何かビニールみたいなのが擦れる音する。
何やってんの?
息荒くてビニールカサカサ……。何?どれ?


隣のやつの息づかいはずっと荒い。それでずっとカサカサカサカサ音がしてる。


「……はぁ……うま……」


……うま?うまって何?
あと何か、甘い匂いしないか?もしかして何か食ってる?
でも何でトイレで食うんだ?


聞き耳をたてて想像してたら、俺の興味スイッチが入っちゃった。


気になる……見たい……ちょっとだけ……。


俺は静かに便器の上に足を乗せると仕切り越しに隣の個室をゆっくり覗き込んだ。

そこには男子生徒が一人。両手にシュークリームらしき物を持って必死に食べている。
膝の上にはまだ封が切られていないシュークリームが白い箱の中で待機している。
そいつは物凄い勢いで、飲み込むようにどんどんシュークリームを消費していく。

で、謎なのは、何でトイレでそんな必死にシュークリームを食べてるのか……だ。


カタッ。


ヤバッ。音っ。


俺のたてた音に反応して、シュークリーム君がゆっくりこっちを見た。

その顔を見て、俺の脳は完全にフリーズした。
なぜなら、シュークリーム君は……。




――生徒会長様だったから。


生徒会長様は美しいお顔にカスタードクリームをベッタベタに付けて頬っぺたを膨らませたまま、俺を見上げてモゴモゴとおっしゃった。


「……見た?よね」

「見ま……した……」


いや、正確に言うと『見てます』現在進行形で思いっきりガン見してます。


シュークリームを箱に戻し、しょんぼりと下を向く生徒会長様。
ゴクン。とシュークリームを飲み込む音が、静かなトイレに響いた。

生徒会長様はハンカチで口の周りを(ぬぐ)うと、また俺を見上げて言った。


「今、どういう感情?」

「え?感情……ですか?」


まさかの、感情を聞かれた。
何て言えばいい?生徒会長が傷つかないような言葉……。


「……えーと……シュークリーム、うまそうだなって……」

「……え?そこ……?」

「……はい。それ、どこのですか?俺も今度買ってみようかな……なんて」

「え?……そっち?」


よし、いいぞ。俺。いいこと言った。
生徒会長は全く傷ついてない。むしろ戸惑ってる。


「ごめん。ちょっと一旦いいかな……外出てもらえる?」

「あ、は、はい。今降ります」


――カチャ……


生徒会長様は個室から出てくると、シュークリームの箱をズイ、と俺に差し出した。


「残りでよければ……これ食べて」

「えっ。ありがとうございます」

「その代わり……っ」


俺はすぐにその後の言葉を察する。


「安心して下さい。誰にも言いません」


生徒会長様の美しいお顔が、安堵で緩むのが分かった。


「ごめん、俺まだ仕事の途中で急いでて……その……ちゃんとあとで理由を聞いてもらえるかな?」

「……理由?そんなの気にしてないんで大丈夫ですよ?」

「いや、ちゃんと説明したい……と、いうか……ちゃんと君に聞いて欲しい。今日夕飯の後、俺の部屋に来て。101号室だから」

「あー……はい。分かりました」


生徒会長様はほっとした顔で軽く微笑むと、「じゃ、また後で」といってトイレから出て行った。


――え?何だったんだ?


俺は、手に持たされたシュークリームの箱を呆然と見つめ、とりあえず、あのキラキラした王子様がトイレでカスタードまみれになっていたという事実は、脳内の『触れてはいけないフォルダ』に、秒で格納した。


シュークリームの白い箱を開いて見た。4つ入っている。


あの人、6個一気食いする気だったのか……?
……夕飯の後……か。何の話されるんだ?まあ、とりあえずは行かないとだよな。


トイレには場違いな、甘いカスタードクリームの匂いがたちこめている。