ありがとう、ごめんね、だいすきだよ

強い風が吹いて目を覚ます。閉めていたはずの窓が開いていて、ゴウゴウと音を立てて風が入り込んでいる。よく見ると神社で買ってきた、部屋の四隅にあったお札が破れていた。
 僕が寝ている間に、何かあった?
 一枚の紙が風に舞って、ヒラヒラと僕の前に落ちてくる。汚い文字で「だいすきだよ」と書かれていた。ユウちゃんが書いたんだろう。
 ――ユウちゃん?
 見渡すと、いつもそこにいたユウちゃんがいない。
「ユウちゃん」
 ベッドから起き上がって、部屋中の隅々までユウちゃんを探す。いない、あっちにも、こっちにも、いない。部屋を飛び出して家中を探し回るけれど、どこにもいなかった。
「ユウちゃん!どこ?」
 いつもは「なあに?」ってなんてことないように返してくれるのに、何も返ってこなかった。

 ぜい、はあ、と息を切らしながら、何度もチャイムを押す。普段ならこんな事しないけれど、今はそう言ってられない。苛立ったように家主が出てきた。
「はい、はい、どちらさまですか」
「ユウちゃん!」
「……紬凪?」
 僕は夕陽くんの腕を掴んで体を揺らしながら「ユウちゃん来てない!?」と聞いた。
「来てない、けど、どうしたんだよ」
「分かった、ありがとう」
 すぐにそこから立ち去ろうとした僕の手を、夕陽くんは慌てて掴む。
「待った、落ち着けって何があったか話せよ」
「ユウちゃんが、いなくて、探さないと」
 また走り出そうとする僕の手を掴んだまま、夕陽くんは家の中へ引きずり込んだ。
「夕陽くん、僕ユウちゃんを探さないと」
 彼は僕をリビングの椅子に座らせる。コップに麦茶を入れると、僕に渡した。
「分かってる。まずは落ち着いて話を聞かせてくれ。こういうのは一人より、二人で探した方が早いだろ」
「一緒に、探してくれるの」
「当たり前だろう」
 夕陽くんが呆れたように言うので、僕も少し落ち着いて目の前に置かれた麦茶を一気に飲んだ。ポケットから四つ折りにした紙を出して机の上に置く。汚い文字で「だいすきだよ」と書かれたユウちゃんからの手紙だった。
「朝起きたらユウちゃんがいなくて、窓も開いて、お札も破れてた。このメッセージだけがあって、何かあったのかも」
「これは……、ちょっと待ってろ」
 夕陽くんは二階へ上がって行く。しばらくすると戻ってきてぐしゃぐしゃの紙を僕に見せてくれた。そこには汚い文字で「もういいよ」と書かれていた。
「俺のカバンの中に入ってた。ユウちゃんだと思う。「もういいよ」の意味が分からなくて、聞こうと思ってたんだ」
「ユウちゃん、昨日なんか様子がおかしかったんだ。何かあったのかも」
「紬凪の家にも、俺の家にもいないとしたら、……学校か?」
「すぐに行こう!」

 こうして僕らは学校へ向かう。さっきは必死に走っていたから気付かなかったけれど、今日はなんだか悪霊が多い気がする。しまった、目が合ってしまった。
「夕陽くん、前から悪霊が来る!」
 ドロっとした塊が、まるで水泳のクロールをしているように地面を這いずり僕目掛けて追ってくる。逃げるように走り出すが、行く手を阻むように別の悪霊が現れて立ち止まる。
「おい、どうした」
「前にも後ろにも囲まれた」
「ふざけん、……そうだ」
 夕陽くんはポケットから、いつかの和紙に包まれてお清めの塩を取り出すと「どこだ!」と叫ぶように聞く。
「上!飛びかかってきた!」
 上に向かって塩を撒くと、悪霊はジュッと音を立てて地面へ吸い込まれるように溶けていく。
「また来る!今度は後ろ!」
「たっく、しつけぇな!」
 別の悪霊へ塩を撒くと、同じようにジュッと音を立てて溶けて行った。二人ではあはあと息を荒くする。暑さと、相まって最悪だ。
「ありがとう、夕陽くん。」
「とりあえず、キリねぇから、急ぐぞ」
 僕らは再び走り出して、学校へ向かった。

 学校に着いたものの、僕らはまた悪霊に追いかけ回されていた。
「なんで、今日はこんなに会うの!?」
「塩もあと少ししかねぇぞ!」
「と、とにかく、音楽室に行こう!」
 上履きは昨日持って帰ってしまったから、僕達は靴を脱ぐと手に持って、そのまま学校に入り、全速力で掛けて行く。夏休み初日から補習をしているらしい教室の前を通ると、先生が顔を出して「廊下は走るな〜」と注意した。「す、すみませーん」と僕は言うが、足は止める事なく走って行く。窓越しに茶津目くんと目が合った。って、茶津目くん、まさかの補修組だったの!?
 いつの間にか、僕たちに追いついて窓にへばりついていた悪霊が、こっちに向かって飛びかかって来る。
「夕陽くん、左ぃ!」
 僕の声に合わせて、夕陽くんは左に向かって塩をかける。ジュッと溶けて行く音が聞こえても、僕らは悪霊が溶けて行くのを確認する余裕はなく、そのまま走って行く。またコポ、コポと音を立てながら、床から悪霊が湧き出てくる。
「もう、キリないよぉぉお!」
「また出てきたのか、いい加減にしろよ!」
 僕らは速度を上げて更に走ると片付けをしているらしい美術部の前を通って、音楽室まで崩れこむように入って行った。悪霊はどうやら音楽室には入れないらしく、扉を堺に顔をへばりくっつけている。どうやら見えない結界があるらしい。よく見ると、お札が貼ってあった。ユウちゃんが付けてくれたんだろう。
「ゆ、ユウちゃん……、ありがとう」
「なに、悪霊、ここには、入ってこない、かんじ?」
「うん。ユウちゃん、が、お札、貼ってくれてたみたいで、って、そうだ、ユウちゃん!」
 荒い息を整えながら、教室中を探すがやっぱりユウちゃんはここにもいないようだった。
「ここにも、いないみたい」
 ユウちゃん、いったいどこに行ったんだろう。
「暗い顔すんなよ、でもさすがに心配だな、家、俺ん家、学校……思い当たるところは全部行ったか」
「うん、僕らは出会ってからずっと一緒にいたから、思い当たるところは大体行ったんだけど……。一緒にいなかったのは、ユウちゃんが夕陽くんの家に手紙届けたときと、僕が神社に行って二人で先に帰った時くらいかな」
 夕陽くんは顎に手を当てて、しばらく考え込んだ。
「俺に「ありがとう」って手紙を届けてくれた時、紬凪はどこにいたんだ」
「神社だよ」
 また夕陽くんが考え込むと、うーんと唸りながら言う。
「どこにいるか、じゃねぇんだけどさ、もしかしたらユウちゃんが行かない場所なら分かった気がする。神社だ」
「神社なら僕たち昔から二人でよく行ってたよ。あそこは悪霊は入れなくて、危ない時は二人でよく逃げ込んでたんだ……でも、あれ……確かに、最近ユウちゃんと神社に行ったことはなかったな」
 どうして、ユウちゃんは神社に行かなくなったんだろう。二人で首を傾げる。
「おい、そこの不良生徒二人!」
「来ちゃった」
 入り口の近くに仁王立ちの藤次くんと、ゆるく手を振っている茶津目くんがいた。
「二人はどうして学校に来たの?慌ててたみたいだし」
 茶津目くんはゆったりとした口調で聞く。
「ユウちゃんが、いなくなっちゃって探してるんだ」
 二人はキョトンとした様子で僕を見てくる。思い返せば、ちゃんとユウちゃんの事を話したことはなかったかもしれない。昔の気持ち悪いと言われた記憶が蘇る。嫌われるは怖いけれど、でも、大切な友達だから知って欲しい。
「僕、噂通り幽霊が見えて、悪霊にも襲われやすいんだ。そんな時に出会ったのがユウちゃんで、いつも一緒にいてくれて、僕を助けてくれる、友達でヒーローみたいな子なんだ。朝起きたら、彼がいなくなってて、心当たりのある場所を探し回ってるんだ」
「そうか、俺も探そう」
「俺も」
 今度は僕が目を丸くして、彼らを見る。
「改まってそんな話をして、今更ユウちゃんのことを疑うかと思ったのか?そんなわけないだろ」
「そうだよ。昨日の花火だって普通に浮いてたし、今更何も思わないよ。紬凪くんのこと変な子なんて思わないし、可愛いと思うよ」
「さりげなく口説くな」
 目に涙が溜まって行くのが分かる。嘘だって思わずに、気味が悪いとも言われないことが、嬉しかった。何よりも、こんな風に友達が出来たことが嬉しい。
「ありがとう、みんな」
 みんなで顔を見合わせて笑い合うと、「それで、どこを探せばいい」と藤次くんが言った。そう言われると、困ってしまう。
「心当たりがある場所は探したんだ。僕の家、夕陽くんの家、そして学校の音楽室。分かるのは、行かない場所の神社」
「神社?学校の隣の?」
「うん、ユウちゃんは最近行こうとしなかったんだ」
「じゃ、とりあえずそこに行けば良いんじゃないのか。何か手掛かりがあるかもしれない。」
 僕らは頷き合った。

 音楽室のドアをの前に四人で並ぶ。どうやら本当に狙いは僕だけのようで、僕が近くに来ると悪霊達が結界に頬をピッタリとくっつけて、入って来ようとしている。
「やっぱりまだいる。やっぱり、さっきよりも多い」
「なんでこんなに、出てくんだよ」
「とにかく、作戦通りやるぞ」
 夕陽くんが塩を片手に、僕たちの前に一歩ずつ、歩いて行く。そして、お清めの塩を幽霊達に思いっきりぶつけた。
「神社まで、走れ!」
 ジュッと音を立てて溶けて行く悪霊を避けながら、僕は真っ直ぐ神社へと向かう。途中、気が付いた先生にまた注意されたが、僕らはそれでも突っ切って行く。
「すごいな、こんなに悪霊っているものなのか」
「ちょ、俺、体力、な、や、やば、い」
 藤次くんは美術部だけれど鍛えているようで、息切れもほとんどしていなかった。対して茶津目くんは僕よりも息切れしている。やっと昇降口だ。僕らは手に持った靴を急いで履くと、そのまま隣の神社へ向かって走って行く。二人はきちんと自分の下駄箱へ行き、履き替えていた。
「すぐ、追いつく!」
 そう声を掛けてくれる二人に手を振ると、ひと足先に僕らは学校を出て神社へと向かった。

 色んな所から次から次へと出て来る悪霊を追い払いながら、勢いよく飛び込むように神社の鳥居へ入っていく。後ろを振り向くと、僕らを追っていた悪霊達は鳥居の結界にぶつかっていって、次々に溶けていった。ようやく落ち着けて息を整える。
「お清めの塩、無くなったわ」
 それから暫く経つと、二人も神社に着いた。藤次くんは少しの息切れで、茶津目くんは、かなりぜいはあ言いながら神社の中へ入って来て、僕の隣に座り込むと「し、しぬかと、おもった」と言った。
「この程度で、息切れとは、もっと鍛えた方がいいんじゃないか。音楽たのしもう同好会は、毎朝朝練として筋トレをしよう」
「運動部じゃねぇーんだぞ」
 あははと苦笑いで返した。
 その時、サァァと風が吹く。さっきまで誰もいなかった場所に、あの神社のおじさんが現れた。
「待ってましたよ。さあ、こちらへ話をしましょうか」
 僕らは大人しく彼の後を着いて行った。さっきまでの雰囲気は消えて、緊張感が増していく。

 案内されたのは神社の中にある一室だった。お茶も出してくれたけれど、僕は手をつける事なく、すぐに切り出した。
「あなたは……何者なのでしょうか」
「私は天の番人。貴方達にも分かりやすいように説明をすると、天国を管理している人とでも言っておきましょうか。我々の仕事は、天に昇った魂を再び転生させること。そうやって生を回していくことが仕事です」
 おじさんは穏やかな笑顔を崩さずにそう言う。天国を管理しているなら、なんでこの神社にいるんだろうか。同じことを思ったのか、夕陽くんが言う。
「なんでわざわざ、神社なんかやってんスか?」
「……責任を、感じているのですよ。小さな子供を酷い目に遭わせてしまった、責任を……」
 僕を真っ直ぐと見て言った。
「私のような仕事をする者は他にも何人かいますが、えぇと、貴方達にも分かりやすいように言うと地獄ですかね、それを管理する奴は一人だけだった。ソイツは冷酷な男で、罪を犯した魂にはそれはもう酷い仕打ちをしていた。そこで私は、彼が変わるキッカケになればと、一人の罪人を彼の補佐として使わせた。それが君の魂だ」
「僕の?」
 皆んなが僕の方を見ている。おじさんは申し訳なさそうな顔をして、話を続けた。
「前世の君は、親よりも先に亡くなるという罪を犯しました。あぁこちらで伝わっているような石を積ませたりはしませんよ。簡単な奉公をさせるのです。しかし私は通常の罰ではなく、彼の元で補佐として働く罰を与えた。償いの期間が終われば、君を手放すと思っていた。しかし彼は、あの手この手でその期間を伸ばし、君を手離そうとはしなかった」
 つまりは僕は、前世で両親よりも早く亡くなってしまったから、罰として、その地獄で働いている冷酷な人の元で働いていたってこと?そして、辞めさせてもらえなかったのか。
「痺れを切らした君は、ある日、彼の元から逃げ出した。そうして君は紬凪くんとして、この世に生まれて来た。彼はそれが許せなくて、ずっと君を悪霊を使って取り戻そうとしている。それを阻止してきたのが、君の友達のユウちゃんだよ」
「ユウちゃんが……僕をずっと守ってくれていた」
「そのユウちゃんがいなくなったんだ。何か知らないか。俺たちが分かってるのは、ここには近寄ろうとしなかったことだ」
 おじさんは静かに目をつぶると、意を決したように言う。
「この神社は強い結界で守られている。力の弱っている霊だと入ることは出来ないし、悪霊は消えてしまう。君もユウちゃんから聞いたことがあるはずだ。魂の姿、つまり幽霊のままではこの世に留まることは出来ない。次第に悪霊となっていく。彼は長く留まり過ぎたんだよ」
「それって、つまり、ユウちゃんは悪霊になったという事ですか!?」
 おじさんは返事をしない代わりに俯いた。それが答えのようだった。僕のせいじゃないだろうか。僕が弱いから、ユウちゃんを頼りにし過ぎてしまったから、成仏できなくて、今まで会った幽霊と同じように、未練を残してしまったのじゃないだろうか。
「紬凪、お前のせいじゃない。ユウちゃんはお前と一緒にいたかったからいたんだ」
 夕陽くんが強く、僕に声を掛ける。
「幽霊は、この世に未練があるとこの世に居続けるんだよな」
「あぁ」
「じゃごちゃごちゃ考える前に、俺たちのやることは一つだ。未練をなくして、……ユウちゃんを、空へ返そう、ちゃんと、お別れをしよう」
 お別れ。その言葉は僕の中に重くのしかかる。ずっと一緒にいたユウちゃん。これからもずっとそうだと思っていた。僕の目からは涙がどんどん溢れて止まらなくなっていた。嫌だ、お別れなんてしたくない、ずっと、一緒に居たい。一緒に遊んで、悲しいことも、楽しいことも、全部共有していきたかった。
――でも。ユウちゃんが苦しんだままなんて、もっと嫌だ。僕は涙を拭う。
「うん、絶対に僕はユウちゃんを助けて、空に返すよ」
 待っててね、ユウちゃん。今まで助けてくれたヒーロー。今度は僕が君のヒーローとなって助ける。
「ふむ。難しい話だったが、要するにユウちゃんの未練を無くして成仏させれば良いんだな」
「ついでに、紬凪くんが前世からヤバい奴にストーカーされているから、それも守りながらってことだよね」
 ずっと黙って僕らの話を聞いていた藤次くん、茶津目くんが言う。

「未練ね。例えば桜介先輩だったら、音楽室。絵画の奴なら学校。幼い子供の幽霊は文化祭。みんなそれぞれ、自分の未練に関係がある場所に行くと思うんだけどな」
「ねぇユウちゃんとは、どんな風に出会ったの?」
 茶津目くんが聞いて来る。ユウちゃんとの出会い……。
「ユウちゃんは水溜りに顔を突っ込んでいたんだ。家に帰る途中だと言っていたよ」



 僕が初めてユウちゃんと出会ったのは中学一年生の頃だった。ちょうど誕生日の前日だったから、ものすごく覚えている。その頃は悪霊達は大人しくて、僕を脅かしてくることはしていたけれど、襲って来ることはなかった。代わりに「アト、スコシ」「アト、チョット」と僕の方を見てブツブツ呟いていた。思い返せば次の日、誕生日を迎えてから襲われるようになったから、襲う時を待っていたのかもしれない。なるべく悪霊達と目を合わせないように、下を向いて僕は帰っていた。すると、水溜りに顔を突っ込んで、苦しそうにしている子を見つけたんだ。
 僕が見えたのは、白い布をひっくり返して、かぼちゃパンツに白い足がのびていた小さな男の子。膝には絆創膏を付けていて、彼は苦しそうに足をバタつかせていたから、僕は急いで、昔話のカブを引っこ抜くように、彼の体を引っ張ったんだ。スポンっ!と音を立てて、水溜りからその子が出て来ると、彼はフワッと地面に足をつけずに浮いていた。しまった、幽霊だったのか!って僕は逃げようと思ったけれど、その子は嬉しそうに「ありがとう!」と笑ってくれたから、僕は思わず「どういたしまして」と返事をしたんだ。
 「ずっと苦しかったんだ、助けてくれて、ありがとう!ねぇ、ここ、どこだろう。お家に帰りたいんだけど、どこか分かる?」
 おでこに手を当てて、キョロキョロと顔しながら言う。ここは、えぇと。
「おうちの住所わかる?僕が家まで送り届けるよ」
「いいの?」
「うん!」
「最近引っ越したばかりでね、住所は分からないんだけれど、多分こっちかな」
「え?」
 彼は僕の手を引いて歩き始めた。僕の家とは逆方向を歩いていくから不安になるけれど、それでもこんな小さな子を放っておけないって、責任感みたいなのがあった。でも、僕らは彼の家に辿り着くことは出来なかった。
「兄ちゃんの学校まで行ったら、家まで連れて行ってくれるかも」
「学校?」
「うん、もうすぐ中学生になるんだ。グレーの制服」
 グレー。少し離れた場所にある、中学かもしれない。
「分かった。今日はもう遅いし、明日でも良い?僕のお母さん心配性で、少しでも遅くなったら泣いちゃうんだ」
「うん、分かった!」
 その日、彼は僕の家に泊まった。お母さんに内緒でコッソリとご飯を分けて、お風呂も一緒に入って、お喋りをしながら眠った。こんなに楽しいのは初めてだった。
 ところが翌朝。
 ベチャッ、と顔に何かが落ちてくる感覚で目が覚めた。そこには大きな目で僕の顔をグッと近づけて見て来る悪霊がいた。ソイツは僕と目が合うとニヤリと笑っていた。
「マッテタ、アノカタ、マッテタ。キョウヲ。マッテタ!」
 悪霊が手を伸ばして僕の体を掴む。その力が強くて、体が軋む音もしてきた。そんな、何で。今まで何もして来なかったのに……!呻き声しかあげることすら出来ず、僕の意識が遠のいて行きそうになった、その時。
「ユーウちゃん、キーック!」
 一緒にいた、あの猫の耳をつけたオバケが助けてくれた。
「ユーウーちゃん、パーンチ!」
 更に彼は攻撃を続けると、目の前にいた悪霊はドロッとした液体に変わり床に溶けていった。助かったんだ。目の前にいる、このオバケが助けてくれた。
「ありが……うわっ!」彼は僕の胸の中に飛び込んできた。
「ごめんね、オレ、こわくて一回逃げちゃった」
 布で顔が隠れているから分からないけれど、多分、彼は泣いていた。体も震えていて、どんなに勇気を出して戦ってくれたのかが分かった。僕も、安心したら涙が出て来た。
「でも、助けてくれたんだね。ありがとう、僕、君がいなかったら、ダメだったかもしれない。ありがとう、君は僕のヒーローだよ」
「ヒーロー……」
「うん」
 彼は僕から離れると、僕の顔をまっすぐ見た。
「オレの名前は、ユウ……ユウちゃんって呼んで」
「ユウちゃん……。僕の名前は紬凪、好きなように呼んで」
「紬凪、オレと友達になってよ。それでね、君のヒーローになりたい」
「いいの。嬉しい、ありがとう。僕と友達になってください」
 こうして、僕らは友達になった。ユウちゃんは家に帰るのはもう良いと言って、代わりに僕の隣にずっと一緒にいてくれた。この日から、ユウちゃんは僕のヒーローとして、僕を守ってくれた。

これが、僕とユウちゃんの出会いの話。



 僕が話終わると、最初に口を開いたのは夕陽くんだった。ずっと下を向いて僕の話を聞いていたけれど、その目からポロポロと涙がこぼれ落ちていて、畳に染みを作っていた。
「そうか、ありがとう、紬凪、陽太を助けてくれて……苦しかっただろうな、ずっと、水に顔を付けたまんまで、……それに、……帰ろうと、してたんだな、……迎えに行って、やれなくてごめんな」
 そうか、夕陽くんは、もう、とっくに気付いてたんだ。僕も目から涙が溢れていった。
「ユウちゃんは、俺の弟なんだ」
 夕陽くんが、皆んなに向かって言うと二人は驚いたような顔をしたが、すぐに真剣な表情に変わった。
「弟、俺の家族は事故で亡くなったんだ。弟ともう会えないことは、辛すぎてたまらない。……でも姿は見えなかったけれど、また会えて一緒に過ごせた。あんな小さな弟が、一人の子を守り通そうとしたことを誇らしく思うんだ。……俺は今度こそ陽太を迎えに行って、ちゃんと送り届けたい」
 夕陽くんの手に、自分の手を添えると、藤次くん、茶津目くんも、一緒に手を重ねてくれる。
「みんなで、二人の大切な人を送り届けよう」
「協力するぞ。任せてくれ」
 ユウちゃん、絶対に助けるからね。僕はそう誓った。

「でも、彼はどこに行ったんだ」
「最初に行こうと思っていた家には、もうとっくに行ってるんだよね?そのうえで紬凪くんの隣にいることを選んだんでしょ」
「どこか行きたいって言うのは……あ」
 きっと、僕と夕陽くんには同じ光景が浮かんでいる。あの日、あの学校の絵を見て、ユウちゃんが行きたいと言っていた場所。
「プラネタリウム」僕たちは同時に言った。
「答えは出たようですね」
 神社のおじさんはそう言うと、畳の上に和紙に包んだお清めの塩を三つ並べた。夕陽くん、藤次くん、茶津目くん、三人の前に。
「これさえあれば悪霊は払えるでしょう。しかし、気を付けてください。あの坊やは彼に憎まれる事をたくさんしました。悪霊にやられ彼に捕まってしまえば、魂は消し去られて、もう二度と生をめぐることはないでしょう」
「そんな……あの、僕にもその塩をくれませんか」
「貴方はダメです。今の貴方には、これは毒です」
 どういう、そう聞く前に、おじさんは僕のおでこを、扇子で突っつく。すると幽霊の姿に変わった。
「えぇ!?」
 事情を知らない二人が驚いている。
「貴方は今、あの坊やに呪いを掛けられています。半分、幽霊となっている貴方は、それに触れてしまえば酷く苦しむことになるでしょう」
「はあああ!?」
 夕陽くんが驚いたように声をあげる。つまり、あの時も、この時も、うっかりかかっていたら危なかったってこと!?
「早く言えよ!」
「ちょ、ちょっと待った。そんなことより呪いってなに、ユウちゃんは、どうして呪いなんてかけたの」
 心配そうに茶津目くんが言う。おじさんはニコと笑うと「彼は賢い子でねぇ」と呑気に言った。
「幽霊となってしまえば、弱い悪霊は同族と思って彼を狙わないんですよ。さすがに力の強いものは、そうはいきませんが、自分の力が弱って来た彼は、全ての悪霊と戦わなくて良いように、君を幽霊にしたのかもしれません」
 時計をチラリと見ると、僕らに出て行くように促した。
「さあ!早く急いで!日が落ちてしまえば、もう彼は救えません。さあ、早く!」
 僕たちは急いで神社の階段を下って行った。



 ちょうど来てたバスに「乗ります!乗ります!」と必死に声を掛けて、なんとか乗ったのだった。
 そのとき、ドンっ!とバスに衝撃が走る。
 「なんだ!?」
 藤次くんが言うと、窓にへばりつくように悪霊がやって来て、このバスを揺らしている。
「バスの外にいる!」
 僕が指を指して言うと、その悪霊は窓の外で四つ足を素早く移動させながらバスの前へ移動した。運転手が急ブレーキをかける。
 またバスが大きく揺れた。このままじゃ危ない!この悪霊の狙いは僕なんだ。だったら。
「みんなお願い、僕バスの中におびき寄せるから、倒して!夕陽くんはバスの窓を開けて!」
 幽霊の僕は、そのまま車からすり抜けて外へ出て行く。僕の姿を見ると、悪霊はすぐに食いついてくるかのように、跡を追って来た。バスの周りをぐるっと一周して、何度も飛びかかくる悪霊を避けながら、少しだけ空いている窓に向かって一気に飛び込んだ。
「みんなお願い!」
 僕の掛け声に合わせて一斉にみんなが、悪霊に向かって塩をかける。飛んでいる最中の悪霊に、見事に命中すると、悪霊はジュッと音を立てて地面に吸い込まれるように溶けて行った。
「よ、よかったー。悪霊消えたよ」
「俺たちは悪霊が見えてないから、完全に手探りだったな」
 それから、更にバスは進んで行く。プラネタリウムに近付くにつれて、悪霊は僕たちには襲い掛かってくる数が減っているようだった。どうしてだろう。バスはうねった道を抜けて、どんどん坂を登って行く。そうすると、木々の間からプラネタリウムのてっぺんが少しだけ見ることができた。絵画の中で見た丸いドーム型の建物ではなく、ドロっとした何かが見えた。
「ユウちゃん……?」

 ふと彼が窓の方を見た。ちょうど曲がりうねった道を抜けて、あの売店の前を通る所だった。彼はそこから目を逸らすように俯いて、静かになっていた。
「夕陽くん……」
 僕が名前を呼んで、彼の背中に手を回すと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして「幽霊だから、何も感じないのな、温かさも」と言った。
「日色、しんどかったら抱きついてもいいよ、俺じゃなくて藤次くんにね」
「あぁ、いいぞ」
藤次くんが両手を広げて、真顔で言う。ちょっと嫉妬しちゃうかも。
「ふざけんな!誰が野郎なんかに抱きつくか」
そう言い返している姿を見て、ホッ息をついた。良かった。抱きつかなくて。
「紬凪も野郎じゃないか」
「うるせぇな。紬凪はいいんだよ」
「でも、付き合ってないんだよね」
「……」
「うん、僕の片想い」
 勢いよく夕陽くんは、何かを言いたそうに僕の顔を見て来た。
「あはは、誰かに取られないように気を付けてね〜」
「……本当に、やめてくれ」
 夕陽くんは、力無くまた俯いて言う。茶津目くんと、藤次くんは驚いたように顔を見合わせると、ゲラゲラと声を上げて笑い始めた。
「余裕がないなー、日色」
「まあでも、前よりもずっと」
「あぁ」
「いいよ」「いいぞ」
 
 そんなことを話している間に、バスが終点に停まった。話している間に事故があった場所は通り過ぎたのだろう。降りると、夕陽くんが考え込むように止まった。
「夕陽くん?」
「……俺、一度も行ってないんだ、あれ以来、事故の場所に。花とか供えたこともないんだ」
「今度、一緒に行こうよ。すぐにでも良いし、何年先でも、いつか一緒に行こうよ」
 僕がそう言うと、夕陽くんは切なそうに笑っていた。

 バス停から少し歩いたところに、プラネタリウムがある。ちょうど門のあたりまで来ると、飛び込んできた光景に、皆んな驚いて固まってしまった。そこには、プラネタリウムを覆い尽くす程、巨大でドロドロとした泥のような塊で、頭に二つ、猫の耳のような突起がある、――悪霊が、そこにいた。
「ユウ、ちゃん、」
「陽太!」
「あれが、陽太、くん?」
 早く助けないと!
 僕たちは走ってプラネタリウムまで向かうと、施錠がされてあって中に入れなかった。施設の張り紙に「設備不具合のため臨時休業いたします。」と書かれていた。
「クソっ!」
「どうした」
「今日、休みらしい。どうすれば……」
 悩んでいると、藤代くんが入り口とは逆方向へ走って行った。着いて行くと、ぐるっと回り込んだ何もない塀の前で立ち止まった。
「こんな所で立ち止まってどうしたの」
 藤次くんは塀の溝を掴んだ。塀の窪みに足を掛けていき、側にある木を使い、塀の向こう側に行く。
「いいか、この木は塀の近くにあるし、太い枝もある。これを使ってこっちまで降りろ」
「その前に、登るのが無理でしょ!」
 なんともなさそうに言う藤代くんに対して、茶津目くんが珍しく声を荒げて言う。その横ですぐに夕陽くんが同じように登り向こう側へ行く。
「最悪……」
ボソッと茶津目くんが、愚痴をこぼした。
「茶津目くん、頑張って!僕、応援するね」
「……ありがとう」
 全く心のこもっていなかった「ありがとう」だったけれど、茶津目くんは思いっきりジャンプをすると、一気に塀の縁を掴んだ。
「あれ、なんか」
「すごい、茶津目くん!」
彼は簡単に、塀を登って向こう側へ行った。
「二人とも、よじ登って行ってたから大変そうに見えたけど、そんな事なかった。俺簡単に行けた。足長いから!」
 後ろから光が出てそうなくらい、良い笑顔で彼は言った。ちなみに僕はその後を追って壁をすり抜けた。
「茶津目くん、一番背高いもんね」
 夕陽くんはチッと舌打ちをこぼした。
「んなことより、よくこんなの知ってたな」
「あぁ、母がよくここに遊びに来てたらしくてな。聞いた」
「お母さん、ヤンチャだったんだね。意外」
「そうだ、あの絵に取り憑いていた幽霊が振る舞っていたようなお淑やかな人ではない」
「あの絵?」
「なんだ、気付いてなかったのか。「想い出の場所」古谷礼子。母の旧姓だ」
「えぇ!?」
 僕らはみんなで揃って声を上げた。全く気付かなかったよく思い返せば、玲という文字が藤次くんと一緒だ。

 こうしてプラネタリウムの敷地内に入ることが出来たけれど、簡単にユウちゃんに近付くこと出来なかった。ユウちゃんに襲いかかるように、周りに悪霊もたくさんいる。
「ユウちゃん、ユウちゃん、僕だよ、ユウちゃん!」
 僕は飛び上がっていき、ユウちゃんの前に行き声をかける。その声は全く届かず、雨に声はかき消されていく。急に足がグイッと下へ引っ張られていく。しまった、ユウちゃんに集中していたから、悪霊が迫って来ていることに気付かなかった。
「おい、紬凪どうした!」
 夕陽くんの声に応える余裕もない。ふいに、雨が止んだ気がした。いや、違う。大きな影が僕を覆ったと思ったら、ユウちゃんの大きな手が僕の真上にあって、僕を悪霊ごとはたき落とした。
「うぅっ」
 僕はそのまま木に向かって落ちて行く。木の葉にぶつかりながら、地面スレスレまで来ると、待ち構えていたように悪霊が僕の方へ手を伸ばしているから、ギリギリの所で体勢を変えて、また上へ飛んでいく。
「紬凪!?」
「大丈夫!?」
 みんなはユウちゃんの姿は見えても、周りにいる悪霊達の姿は見えないようで、何が起こっているのか分からずに戸惑っているようだった。僕の落ちた方へ走って来てくれる。
「みんな、わっ、」
 悪霊が多過ぎて、みんなに説明する時間もくれないほど、次から次へと襲いかかってくる。心の中で、説明できなくてごめん。と謝ると、また悪霊を避けながら高く駆け上った。僕にだけじゃなくて、ユウちゃんにも悪霊達も集まって攻撃をしている。
――あの坊やは彼に憎まれる事をたくさんしました。悪霊にやられ彼に捕まってしまえば、魂は消し去られて、もう二度と生をめぐることはないでしょう。
 神社のおじさんの言葉を思い出す。ユウちゃんも、狙われていて連れて行かれてしまえば、もう二度と生まれ変われない。ユウちゃんを守らないと。
「ユウちゃん、助けにきたよ、ユウちゃん、お願い話を聞かせて!」
 声は届くことなく、またユウちゃんの大きな手が僕を叩こうする。慌てて避けると、さっきまで僕がいた場所で、悪霊達がまた地面に落ちてジュッと音を立てて下へ溶けねいく。
 違う。
 悪霊達が消えて行く様子を見て、ようやく僕は分かることができた。さっきからユウちゃんは僕を攻撃しているんじゃない。
「ユウちゃん、お願い、僕の話を聞いて」
 ユウちゃんは、僕のことを、守ろうとしている。だって、ユウちゃんは僕のヒーローだから。

 もしかして、この言葉なら届くのかもしれない。僕は今にも流れそうな涙を堪えて、大きな声で叫んだ。

「ユーウーーちゃーん、助けてーー!」

 前みたいに、あの明るく「はーい」と返事をするユウちゃんの声は聞こえなかったけれど、代わりにドロドロとした大きな手が伸びて来て、ユウちゃんは僕を体の中に入れた。
「紬凪!?」
 悲鳴のように、僕を呼ぶ夕陽くんの声が聞こえた。



 温かい。コポコポと水に入った空気が天井を目指して上がっていく。目をゆっくりと開けると、丸いドーム状の空間だった。
 ここは、プラネタリウム?
 ユウちゃん。ユウちゃん。名前を何度も呼んでも、水の中にいるみたいに、音は響かず、どこかへ消えてしまう。目の前に四角い、ブラウン管テレビのような物が現れた。ジィジィと歪な音を立てながら、何度も見たユーニャ!のアニメが映し出される。
「ユーニャ!いけぇー!」 
 バタバタと走ってテレビにの前にやって来た、夕陽くんにそっくりな小さな男の子。テレビの前で飛び跳ねながら、アニメに夢中になっている。
「陽太、ユーニャ!を見るときは、ユーニャになっちゃダメだよ。ちゃんと座って」
「兄ちゃん!」
 後ろから兄ちゃんと呼ばれた、彼にそっくりな男の子もやって来ると、後ろで彼らのご両親が嬉しそうに子供達を眺めている姿が見えた。

 これはきっと、ユウちゃん記憶だ。

 パッと、スポットライトが消えるように、彼らの姿が見えなくなると、今度は少し離れた位置で、また明かりが付く。何度かお邪魔したあの家のリビングで、家族揃ってごはんを食べている。
「陽太、野菜残しちゃダメだろ」
「えぇーオレ嫌いー、兄ちゃんにあげる!」
 お皿に乗ったブロッコリーを、フォークで刺すと隣に座っている彼のお皿に乗せようとする。
「よーうーたー、ダメだって、仕方ないなあ、兄ちゃんのイチゴ、陽太に全部あげるから、ブロッコリー食べなよ」
「わーい、いいの!?」
ギュッと目をつぶって、ブロッコリーを一気に口に入れる。二、三回咀嚼すると、飲み込んだ。
「食べたよ」
「偉いじゃないか。はい、イチゴ」
くしゃくしゃに頭を撫でられている姿は、嬉しそうだった。

 次は横に明かりが移動する。と何度も行った夕陽くんの部屋が映し出された。
「いいなあ、兄ちゃん」
「何がだよ」
 彼の部屋で、オモチャを広げて遊んでいる陽太が言う。
「名前もユーニャにそっくりだし、なんでも出来るし、兄ちゃんだもん」
「なんだよそれ、陽太より早く生まれたんだから、兄ちゃんなのは当たり前だろう。俺は陽太の名前好きだし!陽太だって色んな事できるようになってるだろ?」
 優しく笑いながら言う彼に対して、陽太は不満そうに頬を膨らませていた。
「俺も、兄ちゃんになりたい」
 また嬉しそうに、頭をくしゃくしゃに撫でていた。

 また明かりが消えて暗くなると、丸いドームの一面に車の中から見たような木々が映し出された。その車はガタガタとでこぼこの道を、進んでいっている。
 きっとこれは、ユウちゃんの最期一日だ。
「ねぇ、まだ着かないの」
「もう少しで着くよ、ほら見てごらん、あそこにユーニャがいるでしょ」
 兄が指差した方を見ると、いつも見ているのとは全く違う、ボロボロの木に塗装の剥げた絵で「ようこそ」と書かれたユーニャの看板があった。さっきよりも頬を膨らませて「あんなの、ユーニャじゃない」と呟くと、兄にはきちんと聞こえていたようで、困ったように眉毛を下げていた。変わり映えのしない流れていく景色を眺めている。
「途中にお店があるから、そこに寄ってから行こう。みんなにも連絡しておいてくれないか」
「分かったわ。陽太、楽しみだね。お店でお菓子買おっか」
 両親達もそう話しかけてくる。それでも、陽太は窓の外を頬を膨らませたまま眺めていた。そのとき、ポツ、ポツと、小さな雨粒が車の窓に引っ付いてくる。
「雨降って来たね」
 兄がまた話しかけてきた。自分に話しかけて来たのに、代わりに母さんと父さんが「あら、本当。せっかくのお天気だったのに」「道に気を付けないとな」と兄と話していた。しばらく経つと、車がお店の駐車場に停まる。兄がカバンの中から、白いビニールのカッパを着せてくる。
「陽太、ほらカッパ着て」
「夕陽、陽太もう自分で着れるから平気よ」
「着れない、兄ちゃんやって」
 もう、と呆れる母さんの声が聞こえてきたが、兄はカッパのボタンを一つずつ、とめていった。車から出て少し歩くと、水たまりに滑って転んでしまった。前に倒れると、膝が擦りむけていて血が少し滲んでくる。
「陽太!?」
 兄が慌てた様子で走ってくると、慣れた手つきで、彼はカバンから消毒液と絆創膏を取り出す。消毒液が染みて痛くて、転んでしまったことにイライラして、モヤモヤした。絆創膏は何も絵柄がない、普通のやつだった。
「その絆創膏、いやだ」
 いつもの、ユーニャ!の絵が付いた絆創膏が良かった。涙がボロボロと溢れていく。
「いやだ!いやだ!いやだ!」
「陽太、いい加減にしなさい。我儘言わないの」
「陽太ごめんね、この絆創膏しか兄ちゃん持ってないんだ」
 いやだ!いやだ!と繰り返して、泣き叫ぶ。母がもう陽太、お店の人に迷惑かけちゃうでしょう。と言いながら、車の中に連れ戻した。泣き叫ぶ陽太を、母親は車に座りながら優しく背中を撫でた。次第にまぶたが重くなって、眠りについてしまった。

 ドンという衝撃と、痛みで目を覚ます。車の外に出ようとすると、また転んでしまった。兄が自分の名前を呼ぶのが聞こえてくる。返事をすることは出来なくて、また、まぶたを閉じた。

 次に目を覚ますと、コポポポとまるで水の中にいるような音が聞こえてくる。苦しさを感じるような、薄暗くて、冷たい水の中だった。
――冷たい。
――怖い。
――早く、帰りたいよ。
 突然、一気に引き上げられて、空気が入り込んでくる。目に映る景色は住宅街だった。一人の男の子が、覗き込んで「大丈夫?」と聞く。その子がキラキラと輝いて見えた。助けてくれた。この子が助けてくれた。
「ありがとう!」
 彼はギョッとした顔をしていたけれど、すぐに「どういたしまして」と返してくれた。家に帰りたいと言うと、兄ちゃんの学校を探してくれた。時間が遅くなり、日が落ちると彼は家まで連れて帰ってくれて、その日は楽しい時間を過ごした。
 その日の晩。
 一緒に寝ていると、ドロっとした何かが家の壁を越えて入り込んできた。彼の上に乗ると、目を大きく開いてじっくりと観察するように見ている。怖かった。初めて見た。あんなのもの。ユーニャ!に出てくるような敵よりも怖くて、震えが止まらなかった。彼が苦しそうに、呻き声をあげる。
「大丈夫?」
 弱々しい声だったけれど、思わず声をかけてしまった。その声に気付いた悪霊がギョロッと目を動かすと、自分の方をまじまじと見てくる。
「オマエモ、コイツ、ネラッテル」
「なんの、こと」
「コレハ、オレノ、オレノダ!」
 悪霊が自分に怒鳴ると、家の壁をすり抜けて、外まで慌てて逃げ出した。怖かった。震えが止まらない。
 走って、走って、逃げた。助けて、兄ちゃん……!地面に水溜りがあった。自分の姿が映るのが見えると、自分は真っ白な布を被っていて、猫の耳がある、まるで大好きなヒーローのような格好をしていた。

 そうだ死んじゃったんだ。
 だから、好きな、ずっと憧れていたヒーローになろうって、思ったんだった。

 まるで猫のような手のひらをギュッと握りしめて、もう一度あの場所に帰る。あの子が悪霊に苦しめられいた。震える手を精一杯握りしめながら、悪霊に攻撃していく。夢中だった。ジュッと音がして床に溶けていくと、ようやく肩の力が抜けて安心することができた。
 ヒーローなのに、あの子に泣きながら謝った。もう二度と、この子の前では泣かない。この子を助けるんだ。憧れていたヒーローになって、この子を守り通す。そう決めた。

「オレの名前は――ユウ。ユウちゃんって呼んで」

 名前はずっと成りたかった、オレのヒーロー。このキャラクターみたいに強くて、優しい、大好きな兄からもらった。

 家に帰りたいと思っていたけれど、帰らない選択をした。ずっとこの子の隣で、この子を守り続けたいと思った。怖いこともあったけれど、楽しかった。一緒に学校に行って、中学校の勉強は大変だったけれど、頑張って勉強した。体育も紬凪は運動がダメだったけれど、応援して一緒に頑張った。悪霊が来たら、一緒に逃げて、これじゃダメだと思って一生懸命鍛えた。あのキラキラした目が大好きだった。ユウちゃん、ありがとう。僕のヒーローだよと言われるとむず痒くなる気がした。
 そうやって過ごしているうちに、あっという間に高校生になった。その時には、自分の残された時間が少ないことも、分かっていた。
 あの神社にいる人から全部教えてもらった。悪霊になる前に、彼の元から去らないといけない。でも、彼は?
自分がいなくなった後、彼はどう守れば良いんだろう。
 そんな時、彼が恋をした。
 一目見て分かった。随分と大人になっているけれど、自分の兄だった。昔のように絆創膏を差し出して、彼に優しくする姿に、彼は恋に落ちたらしい。当たり前だ。兄ちゃんはなんでも出来て、かっこよくて、優しくて、オレのヒーローだった。
 でも、なぜか胸がチクリと痛くなった。
 オレに残された時間は少ない。彼を幽霊に、言い方を変えれば呪いをかければ、弱い幽霊は攻撃してこない。こんなことをするのは心が痛んだけれど、
 オレが消えた後、呪いも解けるから。少しの間だけ、彼を守るために使った。後のことは、きっと優しい兄が、彼を守ってくれる。そう信じてた。
 ところが、兄は全くの別人のようになっていた。女の子を取っ替え引っ替え、言葉遣いも乱暴で、恋人でもない彼に手を出そうとする。これがあの兄だなんて、信じられなかった。どうしよう、兄ならどうにかしてくれると思ったのに、焦りが募るなか、兄が言った。
「ユーニャ!じゃん」
 そこから兄は見えていないはずなのに、あの時と優しくて昔のようにテレビをつけてくれた。変わっていない。大好きな兄がそこにいた。お家に、帰ってきたんだ。ずっと、帰りたいと思って、あの場所から探し歩いてきた、お家に、帰ってきた。

 勝手に帰ったことを怒られてしまった。こんなに怒った兄を見たのは初めてだった。彼を安全な神社に預けて、自分は兄に会いに行った。また女の子を連れ込んでいたけれど、なんだか様子がおかしく見えた。こんな時、兄ちゃんならオレの頭を優しい言葉をかけながら撫でてくれる。真似をして頭を撫でた。言葉は、紬凪の真似をして紙とペンを持って、今までたくさんオレのためにやってくれたことも、ユーニャ!を見せてくれたことも、全部の気持ちを込めて「ありがとう」って書いた。
「陽太?……いや、ユウちゃんか、アイツはどうした」
 女の子は怖いとか言って帰って行ったけれど、全く気にしていない様子でオレに話しかけてくる。返事をしない代わりに、オレはもう一度頭を撫でて彼の元へ帰った。やっぱり兄は心配だったみたいで、学校まで来てくれた。
 そこからオレたちの毎日に、兄が加わっていった。大好きな彼との日常に兄が加わると、もっと楽しくなった。昔みたいに優しくて、一緒に大好きなアニメを見て、高校にも一緒に行って楽しかった。
 兄がはオレたちが死んじゃったから、苦しんでいることも知った。言葉じゃダメで、どうしようも出来なくて、なんでオレは死んじゃったんだろうって何度も思った。
 兄は変わらず、あの時のままオレばかり。オレにあげないで兄ちゃんが食べて欲しい。兄ちゃんの好きなものを選んで欲しい。オレはもういいから。もっと、兄ちゃん自身のことを大切にして欲しい。
 そう伝えたいのに、隣にいるのに伝えられない。もう、いいんだよ。兄ちゃん。先に死んじゃってごめんね。お願い、もうオレのことはいいから、兄ちゃんの好きだなって思うことを大切にして。
 どうして、終わりが近づいちゃうんだろう。
 時間はどんどん無くなっていって、離れたくないななんて思っているのに、最後の一秒が消えていってしまった。



 プラネタリウムが暗闇に包まれていく。
「ユウちゃん、ユウちゃん、……陽太くん!」
 水の中で、重たい足を必死に動かしながら、上へ、上へ、歩いていく。ぼんやりと影が見えて必死に手を伸ばした。
「陽太くん……!」
「やだ、みないで。オレ、紬凪の前ではカッコいいヒーローなんだもん」
「バカだなあユウちゃんは、ずっと、今も、僕のカッコいいヒーローだよ」
 やっと、ユウちゃんの前にやっと辿り着けた。
「ユウちゃん、ずっと僕を守ってくれてありがとう。ごめんね、僕もらってばかりだった。ずっと、ずっと、一緒にいてくれてありがとう。大好き、大好きだよ」
「謝らないでよ、オレ紬凪と一緒にいて楽しかった。辛いことなんて忘れちゃうくらい、毎日楽しかったんだよ。それに、紬凪がいてくれたから、オレはヒーローになれたんだ。……ごめんね、ずっと、一緒にいてあげられなくて、ずっと、隣にいて、守ってあげたかった。オレも、……オレも!大好きっ!……紬凪、ありがとう」
「ユウ、ちゃん、……ユウ、ちゃん!」
 僕はユウちゃんの元へ走って、彼を思いっきり抱きしめる。溢れた涙は上に上がっていって、水に溶けていった。名前を呼びながら泣いている僕を、彼はその小さな手で撫でると、涙を堪えて優しく言う。
「まったく、泣き虫だなあ。大丈夫だよ。……ねぇ、紬凪。最期にオレのお願い聞いて」
「なあに」
「兄ちゃんのこと、お願い。兄ちゃん、オレのことばっかで、いっつも自分のこと後回しだから、もういいよって、兄ちゃんに伝えて、もう、いいんだよって」
「ユウちゃん、その気持ちは、ユウちゃんが伝えよう」
 ユウちゃんはピタリと撫でていた手を止めて「でも」と小さく言った。
「大丈夫。僕を信じて」
 僕がそう言ったとき、プラネタリウムに光が差し込んできた。水の中をかき分けるように、大きな手が入ってくる。
「陽太!」
「兄ちゃんっ……!」
ユウちゃんがその手に向かって、手を伸ばす。僕はその背中を後ろから、そっと押した。手が届くと、たくさんの水が溢れていって、そのままユウちゃんは水の外へ出ていった。

***

 夕陽の目の前で、紬凪が陽太に掴まれて消えて行った。陽太はもう自我がないように見えた。弟がそんなことするはずないという気持ちと、紬凪が大丈夫なのかという不安が募っていく。
 誰かを失うの事が怖くてたまらない。気付けば手が震えていた。あの冷たさがフラッシュバックする。そのとき、肩を叩かれた。振り向くと茶津目だった。
「助けに行こう。紬凪くんも、弟くんも」
「助けよう。大丈夫だ、お前なら助けられる」
 二人が笑顔でそう言ってくれる。そうだ、震えていたら何も出来ない。失うことは怖い。でも、このまま黙って何もしない訳にはいかない。どんな形であれ、絶対に救ってみせる。
「あぁ、手を貸してくれ」
「当たり前だろ」
「とはいえ……、俺たちはプラネタリウムを覆い尽くしている、弟くんしか見えないしな」
「紬凪は多分、他の悪霊に襲われていた」
「うじゃうじゃ他にもいるって事だよな」
 俺たちはプラネタリウムの方を見る。見えない敵とか厄介だ。
「俺たちも紬凪と同じように、ユウちゃんの中に入れれば良いんじゃないのか」
 藤次が言うが、ドロっとした塊で入り口は見えない。
「一か八か、このまま突っ込もようよ」
 茶津目がのんきに言う。一か八か、俺はそのまま泥の塊へ突っ込んで行った。息苦しさを感じる泥の中を必死で掻き分けるようにして進んでいく。足を必死に動かして、前へ進んでいくと、泥ではなく暗い水の底に来たような感覚になった。目を開けると、まるで水面に映って歪んで見えるプラネタリウムの施設の中だった。後から遅れて、二人もやってくる。
「意外と行けるもんだね」
「もしかしたら、俺たちだから受け入れてくれたのかもしれない。無意識に」
「……そうだと、いいな。それにしても」
 言いかけてあたりを見渡す。ドアがやたらと多い。どこに行けば良いのか、紬凪や陽太はどこにいるのから全く分からない。そういえば、この施設は。
「なあ、なんでここがユーニャ!とコラボしているか知ってるか。一番人気の話「ユーニャ!のかくれんぼ」の舞台と言われているのが、ここなんだよ」
 ユーニャのかくれんぼ。オバケであるユーニャは、壁をすり抜けていける。そんなユーニャの前に現れたのが、敵であるドアツクール。建物を改造して、たくさんのドアを作って、ユーニャを惑わせる。いつものように壁をすり抜けても、一向に敵のアジトには辿り着かない。敵はおちょくるように「もういいよ」と何度も言う。その声が上から響きてくることに気付いたユーニャは上へ飛んでいき、無事に倒すことができた。という話だった。
「このプラネタリウム、古びているけれど建築が複雑なんだ。今は施設の人が案内して三階にあるプラネタリウムまでスムーズに行けるけれど、昔は迷路みたいに迷う人が多かった。だから至る所にユーニャ!のキャラの看板があって、プラネタリウムはあっちって書かれている。」
 何かを思い出したように、藤次くんが言う。
「二階の資料室は第二まで、研究室は第四まである。各階のどれかに階段があって上に行けるはずだ」
「ようするに、扉を開けまくって上を目指せってことだな」
 俺たちは手分けをして、階段がある扉を探して行くことにした。一人になって走っていると陽太の記憶のような物が壁に映し出されて行く。それは、幼い記憶のものから、陽太が紬凪と一緒に過ごしたものもあった。その中にドアだけが見えて開ける。中に入って探しても、階段は見つからなかった。
 悪霊に怯えながらも戦う陽太。
 笑顔を見せて守る陽太。
 我儘で甘えん坊な陽太からは、想像も出来ない姿だった。涙が込み上げてくる。
「あった!」
 遠くから声が聞こえてきて、その方へ走って向かう。
茶津目の声だった。後からやって来た藤次が来ると階段を駆け上る。

 中学校に通って、紬凪と一緒に勉強する姿。体育が好きなのか楽しそうに、他の生徒に混じって授業話受けている。紬凪の家に帰ると、二人で楽しそう今日あったことを話していた。
 二階に着く。俺たちはまた手分けして探すことになった。さっきよりも扉が多く、開けても、開けても、階段はなかなか見つからない。
「陽太……!」
 紬凪と一緒に高校へ通う姿。そしてついに俺と出会う。一緒に夜の学校へ忍び込んだこと。ユーニャ!を一緒に見たこと。絵の中を冒険した様子。学祭のこと。
そして最後にした花火。陽太は楽しそうに笑っていた。
 姿は見えなかったけれど、俺と陽太は、一緒に過ごしていた。それを繋いでくれたのは、紬凪だ。
「あったぞ!」
 今度は向こうから、藤次の声が聞こえてくる。走ってそこへ向かうと、二人はボロボロと涙を流していた。同じように、陽太の記憶が見えていたのだろう。
「行こう」
「あぁ」
 扉を開けて、また階段を登って行く。最後に一つだけ扉があった。
 陽太、兄ちゃんが助けるから。
 扉が重く、なかなか開かない。三人で力を合わせて開けると、水が大量に流れて来た。二人が後ろで支えてくる。必死に前へ手を伸ばす。
いた、陽太だ。
「陽太!」
「兄ちゃん……!」

 陽太は俺を見つけると、飛び込むように抱きついてきた。昔と同じ、大きさの、変わらない、懐かしい感覚だった。でも、さっきまで見て来た陽太のオバケとして過ごして来た記憶を思い出す。甘えん坊だった小さな弟は、俺が知らぬ間に大切な子を守ることが出来る子へ成長していっていたのだった。
「陽太、大きくなったな」
 俺がそう言うと、陽太は大きな声でわんわんと泣き始めた。気付けば、さっきまでそこにいた紬凪はいなかった。ひとしきり泣くと、落ち着きを取り戻した陽太は、俺に小声で「紬凪には、オレが泣いたこと秘密にして」と言った。
「オレ、紬凪の前では最後までカッコいいヒーローでいたいんだ」
 あぁ、そうか。それはきっと、本人も気付いていない小さな初恋だったのだろう。
「分かった。絶対に内緒にするよ」
「……うん、兄ちゃん」
「何、陽太」
「もういいよ」
 言われたことが、すぐに理解できなかった。そういえば紙にも同じことが書かれていた。
「もういいよ。兄ちゃん、オレじゃなくて、自分を一番にして」
「陽太?」
「もう、お菓子もオレにくれないでいいよ。オレじゃなくて、兄ちゃんが好きな物を選んで欲しい。もうたくさんもらったよ。ありがとう」
 陽太は目に涙を溜めながら、オレに笑って言う。
「ごめんね、兄ちゃんのことたくさん苦しめたね。絆創膏、買って来てくれてありがとう。嬉しかったよ、もうそれだけで充分だから。お願い、兄ちゃん。これからは、自分を大事にして。オレじゃなくて、兄ちゃんの好きなこと、好きだって言って、大切にしていってよ」
「陽太……」
 俺の目からの涙が次から次へと流れていった。
「今度はオレじゃなくて大切な人に絆創膏を貼ってあげて、もちろん、兄ちゃん自身にもだよ。傷付いた人がいたら助けてあげて。兄ちゃんはオレの憧れのヒーローだよ」
 陽太はそう言うと、光の粒に包まれていく。
「兄ちゃん、大好き」
「待って、ユウちゃん……!」
 後ろから紬凪が走ってくる。涙を流しながら、ユウちゃん、ユウちゃんと何度も名前を呼んでいた。
「そんなに泣かないでよ。大丈夫、また会えるよ。オレ、生まれ変わったら、また一緒に遊びたい」
 さっきまで、オレに向けていた笑顔とは違う、大人びたように紬凪を安心させるように笑って言った。
「うん、また、絶対、絶対、遊ぼ!」
「陽太!大好きだよ。俺の弟として生まれて来てくれてありがとう」
陽太はニコッと笑顔で笑うと、光の粒になって空まで高く消えていった。

****

 ユウちゃんが消えていった後、プラネタリウムは元の形に戻って行き、僕も幽霊から人間の姿に戻った。僕たちは言葉を交わすことなく、涙を流し続けた。落ち着いた頃に、コッソリとプラネタリウムを抜け出すと、僕たちはそのままバスに乗って帰って行く。
 藤次くん、茶津目くんと別れて、僕と夕陽くんは二人で歩いた。黙って、歩いていった。
「あのさ」
 別れ際、夕陽くんが僕に声をかける。
「今日言った、花供えるやつなんだけど」
「うん」
「明日、一緒に行ってくれないか」
「うん。行こう」
僕たちは約束をして別れた。部屋に戻ると、いつも一緒にいてくれたユウちゃんの姿がなくて、寂しさが込み上げて来た。

 翌日。僕たちは途中で花を買って、バスに乗ってあの場所を目指して行く。夕陽くんは、いつもよりもなんだかオシャレだった。
 僕たちはいつもよりも言葉数少なく、バスに揺られて、今日は売店の近くのバス停で降りると、そこから歩いてあの事故があった場所まで歩いて行った。
「陽太がさ、俺に自分のこと大切にして欲しいって言ったんだ」
 道中、夕陽くんが言う。
「元々俺は、自分よりも家族が大切だった。特に陽太は目に入れても痛くないくらい、可愛くて、自分の基準みたいなのは全部、陽太だった」
 木々が風に揺れると、僕たちに落ちる光も形を変えて揺れて行く。
「正直、自分を大切にしてとか、好きなものとか、全く分かんねえけどさ、二つ、自分の中で大切で好きなのが確実に分かるんだよ」
「二つ?」
「一つは、家族。失った物が大きすぎて、目を向けられなかったけれど、やっぱりずっと大切にしていきたい。だから今日、こうやって花を届けに来た」
 夕陽くんが立ち止まって道の端に花をそっと置く。
「父さん、母さん、陽太、……遅くなってごめんね」
 彼はそう言うと、そっと手を合わせた。僕も隣に並んで、手を合わせる。顔を上げると、光の粒が上に登って行った気がした。驚いて横を見ると、優しい顔をして夕陽くんはその方向を見て笑っていた。
「よし、行くか!プラネタリウム」
「え?プラネタリウムにも行くの」
「当たり前だろ、今日は、デ……」
「デ?」
「……陽太と約束したからな、ちゃんと好きなもの好きって言うって」
 夕陽くんは僕の手を握ると、プラネタリウムへ向かって歩き出した。僕はドキドキして顔を赤くしてしまう。
「そういえば、二つはなんだったの?」
「……後で言う」
 僕らは暑い中、歩いて行き、プラネタリウムへ着いた。今日はちゃんとやっているらしく、受付でチケットを買うと、案内の人がやって来て扉を開けて三階のプラネタリウムまでエレベーターで案内してくれた。
 夏休みだと言うのに人は少なく、プラネタリウムが始まって行く。何故かずっと手を離してくれない、夕陽くんに僕は緊張しぱなしで、内容が全く入ってこなかった。
 プラネタリウムが終わり、僕らは屋上にある来た。展望望遠鏡で街を眺めている僕に対して、何を声かけても夕陽くんは「うん」「へぇ」とか全て適当に相槌を打っていく。楽しくないのだろうか。
「……夕陽くん、もう帰ろうか」
「はあ!?なんでそうなんだよ」
 夕陽くんが楽しくないと思って提案したのだが、怒られてしまった。
「あぁ、もう!悪かった。……その、話したいことがある」
 彼はずっとソワソワしていて、それからまた、えっと、とか、あー、とか言うと、覚悟を決めたように、小さな声で何かを呟いた。
「ごめん、聞こえなかった。なんて言ったの?」
「なんで聞いてねぇんだよ!」
 まあ怒られてしまった。せっかく綺麗にセットされていた、髪をくしゃくしゃにかくと、ポケットに何か入っている事に気付いた様子でそれを取り出す。ユーニャ!の絵柄が描かれていた絆創膏だった。夕陽くんは、それをしばらく眺めると封を開けて、僕の左手の薬指に付けた。
「え?」
 僕は絆創膏と夕陽くんの顔を何度も交互に見合わせる。
「二つ目、俺の大切で、……好きなの、紬凪だ。陽太が大切な人に絆創膏貼ってあげてって言ってたんだ。だからその、す、好きだ。俺と、付き合って欲しい、ずっと俺の側にいて欲しい」
 目をこれでもかというくらい、驚かせて丸くする。
「だって、夕陽くん、こんなにかっこよくて、優しくって、モテるのに、僕でいいの?」
「紬凪じゃないと嫌だ」
 僕は嬉しくなって笑うと、夕陽くんも一緒に笑ってくれる。彼の胸に抱き付いた。
「僕も、夕陽くんが大好きです。幸せにするから、ずっと一緒にいてください」
「……なんだよ、それプロポーズみたいな、」
 彼は照れたように、そう言った。
僕たちは二人で顔を見合わせて笑い合う。彼が僕の顎を優しく上に向けさせて、顔が近付いてくると僕も自然と瞼を閉じた。僕たちは優しく唇を重ねた。



 数日経ったある日、人気のない深夜の河川敷で、小さな白い猫が産声をあげた。