「悪いな、道ノ世。同好会設立には最低三人は必要なんだ」
僕の新規部活動申請届けに二重線を引いて上に小さく書いた「部活復帰届け」の紙は、突き返されてしまった。ショックのあまり固まっている僕の横で、「だろうな」と呆れたように夕陽くんは言う。
「桜介のときは特別に認めていたらしいが、俺の力だと難しくてな……悪いがあと二人、集めてきてくれ」
先生はそう言うと、申し訳なさそうに音楽室から出て行った。あと、二人も集めないといけないの。僕には友達が二人いるけれど、一人はオバケで、もう一人は隣の美術部に入っている。
「あのさ、なんか頼みたい事とかないの」
「夕陽くんに?」
僕のことをジッと見て言う。全く思い当たることがない。何だろう。
「健康でいてください」
「お前、本当に俺のこと好きなのかよ!?」
「好きだよ」
当たり前のことを言われて、そう返す。
「いいか、憧れと好きは違ぇからな。俺のこと好き好き言うけど、まさか憧れと勘違いしてるんじゃないだろうな」
「憧れもあるけれど、ちゃんと好きだよ。最初は一目惚れだったけど、幽霊が見えるっていう僕のことも信じてくれたし、ユウちゃんにも甘すぎる気もするけれど優しくしてくれるし、寂しがりやのところも、全部大好き」
「……ふうん」
ガラガラと勢いよく、教室のドアが開かれる。
「イチャイチャしてないで練習しないか!」
「藤次くん!」
現れたのはあの日からこうやって遊びに来てくれる藤次くんだった。ドスドスと音を立てながら僕らの方へ近寄ってくる。
「まったくお前達は、練習もせずにイチャイチャとせっかく僕が認めてやったのに、ダメじゃないか!」
「イチャイチャって、もしかして僕らの会話筒抜けだったの」
さっきの会話が聞かれていたとなると、恥ずかしくて顔を真っ赤にしてしまう。
「ピアノの音が聴こえなかったんだ!」
そう言われるとホッと肩をなでおろす。
「そうだ、同好会でも最低三人必要って言われちゃったんだ。何か良い案はないかな?」
「はあ?アイツには頼るのかよ」
「なんのこと」
藤次くんは、呆れたように溜息を吐くと「もう少し素直になったらどうなんだ」と夕陽くんに言った。「お前に言われたかねぇよ!」と怒って返事をしていた。
「宣伝すれば良いんじゃないのか」
「宣伝?」
「この部活を知ってもらい、入部希望者を募るんだ」
確かにこの部があることは、あまり知られていないだろう。それに、ここは元々怪談話も相まって人があまり近寄らない第二音楽室。知ってもらうこともなかなか難しそうだ。
「宣伝かぁ、ユウちゃんは何かアイディアある?……ってユウちゃん、また寝てるの?」
ユウちゃんは僕の膝に頭を乗せてスヤスヤと眠っていた。
「寝かせてやれよ。とりあえず今日はもう帰ろうぜ。雨、降りそうだし」
窓を見ると曇り空に変わっていたので、僕達は真っ直ぐ帰る事にした。
****
その翌日。
リリリリ……リリリリ……
夕陽は呼吸を荒く目を覚ました。夢見が悪かったのだ。ぼんやりとした様子でカーテンを少し覗くと、昨日の夜から降っている雨は止むことなかったらしく、ザーザーと降っていた。ちょうどその時、部屋のドアがノックされる。
「夕陽、今日は学校お休みするかい?」
「……ううん、行く」
声を掛けた叔父は、驚いたように目を丸くしていた。
****
今日のLHRは文化祭の出し物についての話し合いだった。僕たちの学校は、体育祭を涼しくなる秋に、文化祭は夏休み前に行う。皆の文化祭にかける熱気がすごい。
「絶対にうちのクラスは和風喫茶をやるの!」
「いーや!絶対にオバケ屋敷だ」
言い争う様子を遠巻きに見て苦笑いを浮かべる。僕の横でユウちゃんが「オバケ屋敷はダメ、ただでさえ変なの来やすいのに、もっと来る」と言った。そうなると僕が手をあげるのは必然的に和風喫茶だ。
「はいはい、決まんないから、とりあえず次決めよー。クラス対抗美女美男コンテスト、誰出るー?」
あんなに騒がしかった教室が一気に静まり返る。美女美男コンテスト……という名の、男装女装コンテストだった。男装の方は毎年気合が凄まじく、宝塚のような美男子達がたくさん現れて、女装の方は照れ臭さいからか、あえて似合わないような服を着て笑いを取りにいくのだ。
「美男の方は私が出るわ」
さっき仕切っていた文化祭委員の子が立候補する。すると女子達から拍手が送られた。
「美女の方は誰がやるの?……呆れた、さっきまでの威勢の良さはどうしたのよ」
どうやら皆んなやりたくないらしいく、俯いて下を向いている。
「別にいいじゃない。女装して、好きなことを宣伝すれば。私はSNSフォローしてくださいって言うつもりよ」
――宣伝?
去年のこと思い出してみる。確か今にも弾け飛びそうなセーラー服を着てツインテールをした三年生の先輩が野太い声で「我が空手部では常に部員を募集しています」と叫んでいた記憶がある。これだ。
僕は真っ直ぐ勢いよく手を伸ばす。クラスのみんなも、ユウちゃんも、驚いたように僕の方を一斉に見た。
「ぼ、僕、やりたい……!……です」
放課後、教室の前に夕陽くんがいて待っていた。今日はずっとこうだった。休み時間の度に僕のところに来てはピッタリとくっついて、終わればまた自分の教室に帰っていく。何を喋りかけても「あぁ」とか「うん」とか一言だけしか返事がなくて、心配で先生に今日の練習はお休みしたいとお願いした。
「お待たせ、帰ろうか」と声を掛けると「あぁ」と言って、肩が重なるくらいピッタリとくっついて歩き出す。校門を出たあたりでずっと黙っていた夕陽くんが「今日ウチ来れば」と言ったので、ユウちゃんと顔を見合わせて頷き合うと「うん」と返事をした。
僕たちはずっと無言で歩いた。夕陽くんは歩いている時も僕から離れようとしない。少し歩きにくい。もしかしたら傘も一個で良いのかもしれない。さっきから傘がぶつかってしまって、それが余計に歩きにくさを増しているのかも。
「夕陽くん、傘、閉じても良い?」
僕がそう聞くと、彼は頷いて立ち止まった。傘を閉じた瞬間。猛スピードの車が向こうから来て、水たまりを跳ねた。僕は思いっきり水を掛けられてしまい、驚いて尻餅をつく。
「び、びっくりした」
「紬凪っ!」
その声に、僕は肩を揺らしてまた驚く。顔を真っ青にした夕陽くんが、僕の身体中を怪我がないか確認していった。そのまま制服のズボンを膝の上まで捲り上げると全く怪我していないのに、カバンから消毒液を取り出して吹きかける。
「夕陽、くん?」
彼は僕に答えることなく慣れた手付きで手当をすると、最後にポップな模様が描かれた絆創膏を貼った。
「……夕陽くん、ありが」
言葉の途中で急に勢いよく抱きしめられた。
「冷たい」
僕の背中を必死に温めるように擦り上げていく。何かに怯えているようだった。夕陽くん、ありがとう。と声を掛けても彼には届かないようで、僕の腕を引っ張って、傘も置いて、そのまま彼の家まで連れて行かれた。後ろでユウちゃんが二人分の傘を持ちながら、その様子を眺めていた。
彼の家に連れて行かれると、まず、お風呂場に直行された。「温めないと」とうわごとのように言うと彼はシャワーを捻る。
「ま、まって、制服、せめて制服脱がせて!」
そう言うと彼はピタリと手を止めて、僕の制服を脱がし始めた。ヒッと小さく悲鳴を上げて「自分で脱ぐ、脱ぐから!」と叫ぶと、これだけはどうしても譲れずに自分で脱いだ。
ちゃぽーん
好きな人とお風呂に入ってしまった。ドキドキするものかと思っていたが犬のようにワシワシと洗われて、自分が普段入っているお湯よりも熱いお湯にいられていた。それにしても、熱い。
「夕陽くん。暑くて、その、もう出ても良い?」
「だめ。冷たい」
「暑いよ……ほら僕の顔こんなに暑いでしょ、のぼせて倒れちゃう、よ!?」
僕は引っ張られてお風呂から立たされた。それからまた体を拭く時や着替える時に攻防があり、ようやく解放されたと思ったら、そのまま引っ張られて珍しくリビングまで連れて来られた。ソファにそのまま突き飛ばされると彼はエアコンを着ける。リビングの向こう側をよく見ると、仏壇があって写真には優しそうな女の人と、男の人、そして、夕陽くんに目元が似ている小さな男の子の写真があった。エアコンが付いたようで風を感じる。この季節に合わない生暖かい風だった。も、もしかして、暖房!?半袖で過ごすような日なのに。夕陽くんは僕の心臓に手を当てた。……そうか。
「夕陽くん、僕、生きてるよ。心臓の音、たくさん聞いて」
彼は何も答えないまま、僕の心臓の音を聞くように耳を寄せて横になった。ドク、ドク、と心臓の鼓動をゆっくりと伝わっていく。ユウちゃんも僕たちの近くに寄ると、僕達は三人でソファに横になった。夕陽くんが抱き枕のように僕を抱きしめて、その隙間に入り込むようにユウちゃんが横になって、彼の頭を撫でていた。
どうやら僕達は眠ってしまったらしい。目を覚ましても僕の上には夕陽くんとユウちゃんがいるので身動きできない。すると玄関の方からガチャと音が聞こえてきた。
「夕陽、帰っているのかい?」
リビングのドアが開くと、部屋の暑さに驚いたように固まり、更に僕たちの姿を見て固まる、何度かお会いしたことのある夕陽くんの叔父さんが立っていた。
「お、お邪魔しています。その、夕陽くん、寝ていて、」
叔父さんは何かを察したように困ったように笑うと、エアコンの電源を落として窓を開けた。
「雨は止んだから、起きる頃には落ち着くと思うよ。ごめんね……夕飯はまだかな、なにかとろうか」
「あ、いえ、お構いなく」
そう言ったのと同時に、僕のお腹がぐぅと鳴った。恥ずかしい。
「お肉は好きかな、近くの焼肉屋さんがやっているお弁当が美味しくてね。この時間ならまだ頼めるから頼もうか」
「あ、ありがとうございます」
「お肉!」
「ユ!」
ユウちゃんが大きな声を上げて、飛び上がる。うっかり名前を呼びそうになって「ユ」まで言ってしまった。
「ユ?」
「叔父さん、帰ったの」
夕陽くんも目を覚ましたようで、叔父さんに声をかけていく。さっきよりは落ち着いたのか受け答えがはっきりとしていた。夕陽くんが体を起こしたので僕も一緒に起き上がる。
「あぁ、せっかく夕陽のお友達……かな。が、来ているのだから、焼肉の弁当を頼もうと思ってね」
「まじ、やった。じゃあさ追加でプリンも頼んで良い?」
「プリン!」
ユウちゃんが嬉しそうに言う。
「……そうだね、頼もうか。六人分頼むから、夕陽が食べなさい」
叔父さんは、僕たちに顔を見せずにそう言った。
焼肉弁当が四つ。プリンが六つ。大きなダイニングテーブルには四つ椅子があった。そこに僕たちは三人と一人のオバケで座っている。叔父さんは四つ目のお弁当を三等分にして、二つは仏壇に、もう一つはオバケが座っているの席にプリンと一緒に置いた。もしかしたらユウちゃんが見えているのかと思ったけれど、そうじゃないらしい。
「夕陽、陽太の分はこれで良いかな」
「陽太ここのプリン好きだから、俺の分もあげるよ」
「……夕陽、それは夕陽の分だよ」
夕陽くんはユウちゃんの前にプリンを置く。それは今まで何回も繰り返されてきた行動だった。ユウちゃんは黙ってその様子を見ると、首を振った。
「オレ、要らない」
ユウちゃんの言葉を叔父さんの前で伝える訳にはいかないし、そもそもこれは夕陽くんが陽太くんに渡した物だから、どうしよう。
「夕陽くん、……じゃあ夕陽くんには、僕のあげるよ」
「いや、紬凪は自分の分ちゃんと食えよ。俺は兄ちゃんだから「ぼ、僕!」
勢いよく、椅子から立ち上がる。
「文化祭で美女コンテストに出るんだ。ダイエットしないと……だからあげる!」
「……夕陽のために、ありがとう。しかし、そんなのがあるのかい?」
「はい。うちの文化祭では、女の子が美男に男の子が美女になるコンテストがあるんです。男はギャグ寄りなんですけれどね、あはは、いただきます」
僕の掛け声に合わせて、ユウちゃんも両手を合わせて「いただきます」と箸を使って食べている。その箸は浮くことなく、目の前に置かれているお弁当も減ることもないけれど、ユウちゃんは頬をいっぱいに膨らませて、美味しそうに食べている。僕も一口食べた。
「すごく美味しいです。ありがとうございます、あれ夕陽くん、食べないの?……食欲ない?」
横を見ると、夕陽くんがお弁当に手を付けずに箸を持ったまま動かなかった。やっぱり今日は食欲がないんだろうか。
「いや、いやいやいや」
「どうしたの」
「どうしたの、じゃねぇーよ。なんで美女コンテストなんて出ることになってんだよ」
今度こそ、いつもの調子に戻ったようだ。
「なんか、宣伝して良いんだって、部活の勧誘できると思って」
「部活?部員が足りないのかい?」
「はい。音楽たのしもう同好会っていうのを作ろうと思っているんです。でも最低三人必要みたいで」
「わざわざ宣伝する必要ねぇーよ。取り下げてもらってこい」
「もう決まったから無理だよ」
チラッとユウちゃんの方を見ると、お弁当に乗せてあった野菜を避けていた。今は叔父さんがいるから直接声をかけらないので、アイコンタクトで野菜も食べないとダメだよと念を送る。ユウちゃんは分かっているはずなのに、分からないふりをしてお肉ばかりを食べている。
「おい、待てユウちゃん。野菜残してんだろ、野菜もちゃんと食え」
僕がユウちゃんの方を見ていたのが分かったのか、そう夕陽くんが言った。叔父さんがいるのにアイコンタクトで話した意味がなくなっちゃう。
「ユウちゃん?あぁ、夕陽に憑いているとか言う、女の生霊か」
「なんで叔父さんまで知ってんだよ」
「担任の先生がね、心配して電話してくれたんだよ。変わったことはありませんかって」
「はあ!?そんなくだらない事で電話してくんなよ」
何はともあれ、夕陽くんが元気を取り戻してくれて良かった。ユウちゃんもケラケラと笑っていた。
夜ご飯を食べ終えると、僕たちは夕陽くんの部屋にやってきた。今日は泊まる事になったのだ。いつもの通り、ユウちゃんは「ユーニャ!」のアニメに夢中になって、夕陽くんは僕を後ろから抱きしめて心臓のあたりに手を置きながら話している。彼はさっきからずっと美女コンテストに出るなという話をしていて、あのコンテストはガタイの良い男が出るから面白いのであって、僕が出たら普通の女装だ。とか、前髪をあげたら悪霊が見えてしまうんじゃないか。とか、もっともらしい事を言って、なんとか出させないようにしていた。
「そんなことよりも、夕陽くん」
「そんなことよりも、だと」
「……聞いても、いいかな」
何を聞かれるのか分かったのだろう。先回りするように夕陽くんは言った。
「もうとっくに察していると思うけれど、家族はみんな、俺以外、事故で死んだんだ。母さんと、父さんと、弟の陽太。雨の日のことだった。今は叔父さんがウチに来てくれて一緒に住んでる」
声が震えている。僕は体を捩り、夕陽くんに向き合うと彼を抱きしめて背中に手を回した。ゆっくりと心臓のリズムに合わせるように、優しくその背中を叩く。ごめん、やっぱり無理に話さなくていいよと伝えようと思ったけれど、夕陽くんは言葉を続けた。
「……紬凪、聞いてくれないか。あの日、何があったか。俺が小学六年生の頃だった。来年から俺が中学生になるからって、ウチの家族と、ばあちゃん達とみんなでプラネタリウムに行く事になったんだ――。
あの日、雨が降ってきた。
売店の前で叔父さんに話しかける。
「陽太、大丈夫かな」
「姉さ……お母さんもついてるから大丈夫だよ。それよりも夕陽は、叔父さんとお店をみよう」
さっき陽太が転んでケガをしてしまった。擦り傷だったけれど、絆創膏の絵がいつも使っているユーニャ!の絵柄ではなかったから、陽太は大泣きしてしまって母さんに連れられて車に戻って行った。「大丈夫だよ」と叔父さんはもう一度言うと、背中を押して店の中へ連れて行った。店内に入ると、上まで積み上がった物でいっぱいで、お饅頭とかチョコレートとか、知らないキャラクターのランドグシャ以外は埃をかぶっていた。ズラッと並んであるキーホルダーを眺めてもユーニャ!の物はなく、今流行りのキャラクターが並んでいる。ぬいぐるみを見ても同じで、これでは陽太は喜ばないだろう。
「夕陽が欲しい物はあったかい?」
「んー、どれも微妙かな」
「それは陽太の話だろう。夕陽が欲しい物、叔父さんが買ってあげるよ」
「僕はいいよ。陽太が欲しい物を、……あった」
お店の端にある棚に、無理矢理詰め込まれている商品があった。箱に入った小さなオモチャの車や、十本セットのキャラクター鉛筆、まるでジェンガのように隙間なくびっしりと埋まっている中に、ユーニャ!の絆創膏があった。すっかり古びていて箱の紙が少し剥げている。
「おじさん、俺これ……」
「夕陽行くぞ。陽太泣き疲れて寝ちゃったから、今のうちに行こう」
父親が商品の間から、ひょっこりと顔を出して言う。「あ、でも……」どうしても、これが欲しかった。すると、横から叔父さんが頭に手を優しく置きながら言う。
「夕陽はウチの車に乗せて行くよ。もう少し、お店を見てから行こうと思う。すぐに追いつくから、先に行ってて」
父は何か考える素振りをした後、ありがとうと叔父さんにお礼を言って、俺には迷惑掛けないようにと言ってお店を出て行った。窓からウチの車が出て行くのを見送ると、叔父さんが手を伸ばしてあの棚からユーニャ!の絆創膏を取る。
「なんか、衛生面に不安があるな。……あ、個包装みたい、なら平気か」
「叔父さん、ありがとう!」
「どういたしまして。次は夕陽の分だね」
「俺はもういいよ。父さん達追いかけないと」
叔父さんは、夕陽の頭を優しく撫でる。
「夕陽はいつも陽太のことばかりだろ。たまには、夕陽が欲しい物を買ってもいいと思うんだ。なんでも良いんだよ。おもちゃでも、お菓子でも」
そう言われても何も思い浮かばなかった。いつだって自分の基準は弟だった。弟と半分こできるお菓子を選んで、弟も遊べるオモチャを選んできた。弟が生まれてからずっとこうだったから、好きな物を選んでも良いと言われても分からなかった。
「せっかく来たんだ。もう少しお店をみてから、行こう。まだ時間はたっぷりあるんだから」
そう言われて、お店をたくさん見て回ったけれど自分の欲しい物は見つからなくて、結局叔父さんには陽太と一緒に食べられるようにチョコレートを買ってもらった。叔父さんが運転席に座り、助手席には俺。後部座席には祖父母が乗っていた。車がゆっくり走って行く。さっきまで小降りだった雨が、大降りに変わって、道はさっきよりもデコボコで、ガタガタとお尻が痛くなるほど揺れた。
急に車のブレーキが掛かって、体が前へ飛び出しそうになる。
「どうしたのよ」
おばあちゃんが叔父さんに向かって聞くが、叔父さんは何も答えずに前を見つめたまま、顔を真っ青にして口をぱくぱく動かしていた。前に、何かあるんだろうか。叔父さんが見ている方を見ると……赤い、ウチの、赤い車の破片があっちこっちに散らばっている。よく見ると、車に突っ込まれて前の方がペチャンコに潰れていた。シートベルトを外して飛び出して行く。後ろで叔父さんが「ダメだ!戻りなさい、夕陽!」と叫んでいるのが聞こえた。
父さん、母さん、――陽太!お願い、無事で……
後部座席のドアが開いていた。そこの下から見えた小さな陽太の手。近寄ると水溜りの上に陽太はいた。
「……陽太、陽太!」
駆け寄って彼を抱きしめた。あんなに温かい陽太の体が冷たくなっている。雨にずっと打たれていたんだ。体を摩りながら、さっき買ってもらった絆創膏を取り出す。
「陽太、お願い、お願い、嫌だよ、陽太」
どこに貼れば良いのか分からない絆創膏を、陽太の体に貼っていく。さっき見つけたんだよ。陽太の好きなユーニャ!の絆創膏。お願い、お願い、陽太。もう一度、笑ってよ。もう一度、心臓の音を聞かせて。
「お願い、死なないで、陽太」
その願いは届く事なく、二度と陽太の心臓は動くことなかった。
*
「なんでお前が、泣いてんだよ」
夕陽くんは呆れたように、でも笑いながら言った。僕の涙は止まってくれない。夕陽くんの方が辛いはずなのに、彼は僕を抱きしめると背中を優しく撫でた。
「でも、そうだよな。泣いても良いよな」
彼は僕の肩を濡らして、静かに泣いた。そんな僕達をユウちゃんは優しく撫でる。
「あのね、ユウちゃんが僕達のことを撫でてくれているよ」
「……そうか、ユウちゃんもありがとうな」
ユウちゃんは何も言わずに、僕達の事を撫で続けた。
それから、僕達は少し夜更かしをして三人でユーニャ!のアニメを見ながら、おしゃべりをして過ごした。
*
次の日、僕は文化祭の話し合いで放課後残ることとなったので、部活はお休みすると先生、夕陽くんに伝えた。
ちなみにクラスの出し物は和風喫茶になった。かなりの接戦だったけれど、一票の差で和風喫茶が勝ったのだ。実は、ユウちゃんが「オレも手あげた!」と投票数がクラスの人数合ってなかったんだけれど、皆んな気付かなかったようだ。
今は美女美男コンテストでどんな風に勝負に出るのかという話し合いをしている。美女の方はすんなりと決まって、ついに議題は僕の方へとなった。
「それで、道ノ世くんは、どんな服を着たいの?」
「……なにも考えてなかった。んと、とりあえずミニスカ?履けば良いのかな」
「まあ、ミニスカが一番無難だよねぇ〜」
文化祭委員の茶津目夢人くんが、その細い目を更に細めて笑った。
「じゃあ、ミニスカで……「待った!」
教室の後ろの扉から夕陽くんが現れた。
「ちょっと、違うクラスなんだから入って来ないでよ」
「スパイだ、スパイ!」
茶津目くんと、もう一人の文化祭委員、美山さんが息ぴったりに言う。
「俺はお前達と違って、文化祭なんてものは興味ねぇーんだよ!コイツが変なコンテストに出ようとするから来てやったんだ。今すぐ出す奴を変えろ」
「夕陽くん、無理だって言ったでしょ」
「そうよ、もう申し込みは済んでるんだから」
やめさせようとする夕陽くんと、文化委員会の二人の間には火花が散っているように見える。
「夕陽くん、僕、頑張りたいんだ」
夕陽くんは何か言いたげに僕の事をジッと見てきたが、はあと溜息をついて、頭の後ろをポリポリとかくと「仕方ねぇーな」と言った。どうやら認めてくれたらしい。
「その代わり、服は俺が決める。まず、ミニスカなんて絶対却下だ。スカートの丈は膝下十センチ以上しか認めない」
「うわあ、ウチの校則よりも厳しいじゃん。ダメ。そんなんじゃ勝てない」
「ダメなもんは、ダメだ」
「よし、じゃあ間を取って網タイツのバニーにしよう!」
茶津目くんが目をニッコリ笑って細めて、人差し指を立てながらそう言った。
「どこが間なんだよ(なのよ)!」
夕陽くんと美山さんが声を揃えて言う。どうしよう、仲良さそうで嫉妬してしまいそうだ。
美山さんが黒板にアイディアをまとめて、茶津目くんは僕のことを見ながらニコッと笑っている。どうして、そんな風に見てくるのか不思議に思っていると、後ろからぐいっと引っ張られた。夕陽くんが不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら、僕の隣に椅子を持ってくるとベッタリとくっついて座った。なんだか茶津目くんを睨んでいる気がする。
夕陽くんは二人を無視し、スマホで何かを調べている。
「よし、こんな感じでロングスカートとブラウスに、カーディガンを羽織らせて露出は一切させんな。あと前髪もあげんの禁止」
そこには、清楚系の可愛い女の子の画像が表示されていた。
「うっわ、ウケる。女の趣味変わったんだね、ユウちゃんに憑かれて懲りたの」
「却下よ。そんな普通の格好じゃ優勝出来ないわ」
茶津目くんはクスッと笑うと、僕の前髪に手を伸ばしてきた。「というか、前髪って何……わあ」「……これは、」二人は僕の目を見て固まっている。
「道ノ世くん、ちょっとごめんね」
美山さんは僕のズボンを膝くらいまであげる。
「おい、お前勝手に触んな!」
夕陽くんが怒鳴るのにも耳を貸さずに、茶津目くんの方を振り返ると、わなわなと震えながら言った。
「大変。人選ミスよ。ウチだけガチになるわ。何よ、このクリンとした目!なんで私より背も高くて肩幅もあるのに、私よりも美脚なのよ!」
「なるほどー、それで側に置くわけだ」
美山さんは頭を抱え込み、茶津目くんはまじまじと僕を観察するように見ていた。
「分かったか、よし、今からでも変更……「いいじゃん、俺たちのクラスはガチで勝負しようよ」
茶津目くんが僕の髪をいじりながら言う。
「そもそも、男子はふざけるってお決まりの流れもどうかと思ってたんだよね。文化祭っていうキッカケで好きなこと出来る子がいても良いじゃんね」
ウィンクをしながら言われた。……なにか、勘違いされているような気がする。
「それもそうね。じゃあ決まり。うちはガチで勝負しましょう。」
「ダメだって言ってんだろ!てか、ベタベタ触んな!」
オーと声を合わせる二人に対して、夕陽くんは反対している。僕を置いて三人はどんどん話を進めていった。
それからまた改めてクラスで話し合うと、文芸部の物書さん、手芸部の糸維さんがメンバーに加わりたいと立候補してくれた。物書さんが翌日、辞書くらいの分厚さがある大量の原稿用紙に小説を書いてきて、衣装のテーマは小説のタイトル「女として育てられた皇子ですが、国のために戦います」となった。その更に翌日、糸維さんがその小説を片手に涙をダラーと流しながら、デザインを何枚か考えてきてくれた。僕はてっきり、市販の服を買って終わりだと思っていたから、皆んながこんなに協力してくれるのが嬉しかった。
「却下だ!一切、露出させんなって言っただろ!」
「うるせぇな、部外者は黙りな!」
夕陽くんと糸維さんは、こんな感じでさっきから喧嘩をしている。やっぱりちょっと、夕陽くんが女の子と仲良く話しているとモヤモヤしてしまう。
肩を叩かれて後ろを振り向くと、ムニっと頬を指で押された。茶津目くんだった。
「暗い顔してる。大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
彼はまじまじと僕の顔を見ると、顎に手を当てて何かを考える素振りをした。
「道ノ世くん、洗顔した後なにも付けてないでしょ」
「うん」
「やっぱり、はいこれ」
カバンから透明なポーチに入った、小さな化粧水や乳液、クリームを渡してくれる。
「一週間使うだけでも、全然違うからこれ使ってね。はい。パックも、こっちが朝で、こっちが夜ね。忘れたら怒るからね」
いつものよう笑顔で言っているのに、どこか威圧感があった。それをお礼を言いながら受け取ると、まじまじと見つめる。
「……これを付けたら、頑張ったら、僕も可愛くなれるかな」
そうしたら夕陽くんも僕を好きになってくれるだろうか。いつの間にか、随分と欲張りになっている。前は少しでも彼のために何か出来たら良いなくらいだったのに、今は僕のことを好きなって欲しい。ポンと頭に手を置かれた。
「道ノ世くん可愛いね。うん、なろうよ。メイク担当、俺なんだよね。一緒にアイツの心掴もう。そうだ、写真撮ってもいい?」
「うん、ありがとう」
少し緊張しながらスマホに向かってピースをした。慣れてなさすぎて笑顔が引き攣っている気がする。パシャっと聞こえたタイミングで、横から腰に手を回されて引き寄せられた。顔を上げると、夕陽くんがまた睨みつけるように茶津目くんを見ていた。
「うわあ、最悪。日色が入ったせいで心霊写真になった」
彼が見せてくれた写真には驚いた顔をしている僕と、カッコいい夕陽くんの後ろに、人が悲鳴を上げているような黒い影が映っていた。ユウちゃんを見ると、イタズラが成功したように笑っていた。
それから文化祭の準備がどんどん進んでいった。日めくりカレンダーがめくられていくのに合わせて、どんどん作業が進んでいく。僕らだけの準備じゃなくて、クラスの喫茶店の準備も進んでいった。みんなのことを手伝いながら、普段のスキンケアやストレッチからステージでの立ち振る舞いまで、たくさん練習した。衣装が完成したのは前日で、皆んなクタクタだったけれど、明日頑張ろうねと笑顔で別れた。
そして迎えた当日。ステンドグラス風の看板に「和風喫茶」と書かれている僕らの喫茶店は、大忙しだった。喫茶店の衣装は大正の女学生ぽく袴を着ていて、僕たちは裏方として注文された駄菓子を用意したり、飲み物を用意したりする。ユウちゃんも僕の隣で一緒に働いていた。何を用意すれば良いのか教えてくれるのだ。
「道ノ世くん、お疲れ様。休憩の時間だよ」
茶津目くんが教えて来てくれた。
「ほら、あそこでずっと待ってる。一緒に周るの?」
仕切りから顔を覗かすと、夕陽くんが席に座って待っていた。よく見ると、他校の女子達に囲まれていて、初めて会った時のような笑顔で彼女達と話している。
「違うよ。今日は友達と約束してるんだ」
やっぱり、少しショックだ。やれることは頑張ったけれど、彼を囲んでいる女の子達を見たら、自信が急に萎んでいってしまう。
「……そっか、じゃ、メイクの時間は十四時くらいからだから遅れないでね。とにかく今は楽しんでおいでよ」
僕は茶津目くんにお礼を言うと、外で待っている藤次くんの元へ向かうう。
「紬凪ぃー、いいの?」
ユウちゃんは夕陽くんの方を見て心配そうに言うが、僕は良いんだよと答えた。約束していないのは本当だったし、良いんだ。これで。
「お待たせ、藤次くん。行こうか」
「あぁ、今日はアイツは良いのか」
「うん、……忙しそうだから」
「おい、何置いてってんだよ」
振り向くと、夕陽くんが立っていた。
「……女の子と話してたんじゃないの」
不機嫌そうな顔から一転して、急に嬉しそうに顔を綻ばせてた。
「なんだよ、嫉妬してたのか。あぁ、そうだ本来なら俺はすげぇモテるんだ。お前が俺を好きなのはよく分かるが本来なら……「紬凪、行こう。コイツとても不愉快だ」
藤次くんが呆れたように言うと歩き出すので、僕も一緒に歩き出した。チラッと隣で浮いているユウちゃんに声を掛ける。
「ユウちゃんが、夕陽くん呼んだの?」
ユウちゃんは、何かを投げる素振りをした。どうやら物を当てて気付かせたらしい。
「どうして?」
「一緒にまわりたかったから。……ねぇ、紬凪。去年も言ったけれど、今日は変なのが紛れ込みやすいから気を付けないとダメだよ。絶対にはぐれないこと。薄暗い所とか、そうゆうのが集まりやすい場所にも行っちゃダメだよ」
「分かった」
「あっ、りんご飴〜」
さっそくユウちゃんとはぐれそうだ。
「もう。藤次くんりんご飴買っても良い?」
「あぁ、あとぶどう飴というものも行こう」
意外にも藤次くんもはしゃいでいるらしく、パンフレットにかなり書き込みがされてあった。甘い物が好きらしく、クレープ、人形焼きなど、ほとんどのお店にチェックが付いている。
「おい、待て、置いて行くなって!」
後ろから夕陽くんが追いかけて来た。僕たちは、たくさんの甘い物を堪能してかは、色々な所を見て回った。夕陽くんは、いたるところで他校の女子に声を掛けれていて、ずっと機嫌が良さそうで、そんな姿をユウちゃんが咎めるように、持っていたクレープのゴミを丸めた物を夕陽くんに投げていた。
最後に僕たちは、美術室に行き藤次くんの絵を観に来た。一番奥に藤次くんの作品が「友達」、高校生絵画コンクール、佳作作品と書かれて展示されてあった。
僕とユウちゃんが藤次くんを応援している絵。自分が絵になっているなんて、照れくさいけれど何だかとても嬉しかった。ユウちゃんも隣で「オレ、中学生みたい!」と学ランを着ている自分の姿に喜んでいる。描かれているのは猫耳のあるオバケの姿じゃなくて、夕陽くんを幼く描いたような姿なんだけれど。
「陽太……」
夕陽くんはそう呟いていた。夕陽くんと、仏壇の写真にあった弟の陽太くんは、よく似ていた。きっと中学生になったらこんな姿だったのかもしれない。
「藤次くん、今更だけどコンクールおめでとう」
「あぁ、君と、不思議な幽霊のおかけだ。こちらこそお礼を言わせてもらう。ありがとう」
ユウちゃんは嬉しそうに、クルッと回った。
「おっと、もうこんな時間か。じゃあ俺は受付を変わるから、君もそろそろ時間なんじゃないのか」
時計を見ると、ちょうど約束の三十分前だった。メイクまで少し余裕はあるけれど急いだ方が良いだろう。
「本当だ。藤次くん、またね」
僕は美術室を出る。後ろでユウちゃんが「走ったら危ないよー」と言い、夕陽くんもバタバタと追いかけてくる音が聞こえた。曲がり角を曲がったところで、誰かにぶつかりそうになって慌てて止まる。小さな子供が座り込んでいた。
「どうしたの、……迷子かな」
その子供は俯いたまま立ち上がると、僕のことをドンっと突き飛ばした。階段へ落っこちていくと、僕はなぜか、ユウちゃんが何かした訳ではないのに幽霊の姿になった。
「やっと見つけたよ、皐月。迷子になっちゃダメだろ。兄ちゃん、探すの大変だったんだから」
よく見ると、その子供は透けていた。幽霊だ。
その幽霊に手を引かれて階段を降りて行く。周りは不自然なくらい誰も人が居なかった。しまった。ユウちゃんにあんなに気をつけろって言われていたのに、僕はおかしな空間に行ってしまったらしい。
「君、名前はなんていうの」
「お前の兄ちゃんだから、兄ちゃんって呼べよ、皐月」
さっきからこの調子で、僕を弟の皐月くんと勘違いしているらしい。
「どこに行くの」
「帰るんだよ」
「どこに」
「下に」
自分よりも大きな僕を弟と呼びながら、彼はずっと階段を降って行く。美術部と音楽室があるのは三階だった。今は二階の階段を降っている。
「…………、お兄ちゃん、疲れたから休みたい」
――上に、上に、だよ。
何度も言われて来たユウちゃんの言葉を思い出す。この子が悪い子には思えないけれど、なんとなく、これ以上階段を降りるのは良くないと思った。
「皐月、ダメだよ。あの方が心配しているでしょう」
「あの方?」
「マチガエタ。皐月は、皐月だよね」
彼はまた階段を降って行こうとする。僕は抵抗して、その場から動こうとしなかった。
「兄ちゃん、僕上に行きたい」
「ダメだよ。皐月。僕たちは上にはいけない」
「どうして」
「悪い子だからだよ」
どういう事だろう。こんな子供が生前なにかしらの罪を犯すとは思えない。悪霊は下に溶けて行き、普通の幽霊は上に光と共に消えて行く。
「何をしたの」
「悪いことだってば」
「どんな悪い事をしたの」
「僕たちは悪い子なんだ」
話は堂々巡りを繰り返すばかりだった。彼はぐいぐいと引っ張って僕を下へ降りて行く。やっぱりおかしい。一階に着いたのに、まだ階段はどこまでも続いていた。僕はもう一度、足を抵抗するように止めさせる。
「悪い事をしたなら、謝りに行こうよ」
「無理だよ、もう出来ない」
「どうして」
「それにチャンスならもう貰ったんだ。こうやって皐月を迎えにこれた。あの人のおかげ」
さっきから、あの方、や、あの人、という。いったい、誰なんだろう。
「あの人って、誰」
「下で待ってる、さ、つ、」
彼は急に苦しそうに言葉を詰まらせると、その場に蹲った。「大丈夫」彼に声を掛けて近付くと、急に手が伸びて来て、首を絞められた。子供と思えない程力強かった。苦しい。苦しい。
「この罪人めっ!罪を継ぐわず新たな生を得た、我を謀ったザイニン、メ、ユルサヌ、モウ、イッショウ、オマエヲ、ダサヌ」
「う、ぐぅ、」
呻き声を出すことしか出来ない。どうしよう。このままじゃ、僕はもう。ユウちゃん。助けて……!
その時、リン、と鈴の音が聞こえた。
「おや、おやめなさい、お前こそ、規則違反というやつではないのか」
「ナゼ、オマエがココに」
そこには、あの神社のおじさんが立っていた。僕たちの前に降り立つようと、首を絞めている子供の手を扇子で軽くパシッと叩く。うゔ、と叫びながら僕から手を離した。急に空気が入って来て苦しくなってゴホゴホと咳き込む。
「ジャマをスルナ」
「規則違反は、規則違反だ。こんな子供を使って、お前はそれ相応の罰を受ける必要があるとは思わないかい」
「ワレ、ハ、ユルサナイ。ソイツヲ、ヨコセ!」
神社のおじさんは、はあと溜息を吐くと、子供のおでこに扇子を当てて強く押した。すると小さな子供の後ろから黒いモヤのものが後ろへ抜けていくのが見えた。
「さあ、ここは私に任せてお行き。代わりにこの子供の未練を果たしてやっておくれ。そして、君の大切な友人と、束の間の平和の中で最期のひとときを過ごすと言い」
「皐月……」
子供が僕を見てそう言うのと同時に「さあ!上に行け!」と神社のおじさんが叫んだ。あの黒いモヤが僕の方を目掛けて追いかけてくる。僕は今、幽霊だった事を思い出して、子供を抱き上げて、上に上に、天井を突き抜けて飛び上がっていた。
*
「うわぁー!」
僕たちが三階に着いたのと同時に、踊り場へ転がり落ちてしまう。子供はなんとか庇いきれた。
「皐月、大丈夫」
「大丈夫だよ。お兄ちゃん」
本当は一回転したせいで背中と肘が痛いのだが、そう言った。
「お兄ちゃん?」
キョトンとした夕陽くんの声が聞こえた。後ろを見ると夕陽くんと、ユウちゃんが心配そうに僕を見ていた。
「紬凪、どこにいたの。何があったの、平気」
「それがね――」
僕はさっきまでの出来事を話した。この隣にいる子供の幽霊に連れられてひたすら階段を降りていたこと。危ない目に遭った時に、神社のおじさんが助けてくれたこと、逃げるように戻って来たこと。どうやら僕は曲がり角で姿を消していたらしい。
「おじさんが、この子の未練を果たしてやってくれって、あと、束の間の平和の中で最期のひとときを過ごすと良いって言ってたよ」
ユウちゃんは落ち込んだ様子で「守れなかった」と呟いた。
「ユウちゃん?」
「僕が紬凪のヒーローなのに、守れなかった!」
「ユウちゃん、泣いてるの?」
ユウちゃんの声が震えていた。そんな事ないのに。
「ユウちゃん、ユウちゃんは僕のヒーローだよ。ユウちゃんがいてくれて、僕を守ってくれて、友達になってくれたから、今の僕は笑って生きられるんだよ。ユウちゃん、いつも助けてくれてありがとう」
僕はユウちゃんを抱きしめながら言うと、ユウちゃんは返事をしない代わりに僕のことをギュッと抱きしめて、肩を揺らして泣いていた。
「ユウちゃん、泣いてんの?」
夕陽くんが僕にそう聞く。頷くと、夕陽くんが僕ごと、ユウちゃんを抱きしめていた。と言っても夕陽くんにはユウちゃんの姿は見えないので、大体の位置で抱きしめているらしく、ユウちゃんは苦しそうにしていた。
「くーるーしーいー!」
「夕陽くん、ユウちゃん苦しいって」
「なんだと!?」
後ろで服を引っ張られる感覚になる。あの幽霊の子供がいてユウちゃんに向かって「僕の弟を返して」と言った。
「オレの友達!」
ユウちゃんはムキになって言い返す。夕陽くんがスマホの待ち受け画面を見せて来た。
「ていうか、時間やばくね」
時間は待ち合わせ時間の五分前を指していた。や、やばい、せっかく皆んなが用意してくれたのに、間に合わなくなっちゃう。
「お兄ちゃん、僕、行かないと行けなくて、と、とりあえず、一緒に行こう!」
僕は彼をもう一回抱き抱えると教室まで全力でダッシュした。
控室という名の僕らの荷物が置かれた予備教室に入る。そこにはメイク道具を広げて、手を振っている茶津目くんがいた。
「ご、ごめ、お待たせ、」
「時間ピッタリだよ。お水飲んで落ち着いてから始めよ。あら、夕陽も来たのガードが固いな〜」
夕陽くんどころか、ユウちゃんと、子供の幽霊までいるんだけど。言われた通り、お水を飲んで、汗をハンカチで拭くと彼の前に用意されている椅子に座った。彼は僕の長い前髪を横にまとめて留める。クリームみたいなのを手に出してから、僕の顔に塗りたくっていく。
「道ノ世くんはさ、女の子の格好をしてみたかったの」
「ううん、そういう訳じゃないんだけれど」
「こんだけ可愛いんだから、似合うよね」
「おい」
夕陽くんが間に入って言う。なんだか不機嫌そうだ。
「俺もさ、メイクとかオシャレとか好きなんだよね。お姉ちゃんがスタイリストやってて、みんな魔法みたいに綺麗なっていくんだよ。それ見るのがすごく好きでさ。俺もずっと、お姉ちゃんみたいなことやってみたかったんだ」
茶津目くんは、慣れた様子で僕にメイクをしていくからてっきり慣れているのかと思っていた。
「今日のためにめっちゃ練習した!お姉ちゃんからも衣装と紬凪くんの肌の色とかからアドバイスもらって、色々研究してさ、毎日すげぇ楽しかった。やっぱり文化祭きっかけで新しいこと出来るの楽しいね」
――文化祭がキッカケで好きなこと出来る子もいても良いじゃんね。
そうか、あの言葉は、自分のメイクのことについても言ってたんだ。
「できた!めちゃくちゃ可愛いよ」
鏡を渡されて驚く。まるで別人のようだった。
「すごい、すごいよ、茶津目くん。魔法みたいだ」
茶津目くんがニコッと笑って言う。
「だろー」
「いや、可愛くすんなって言ったよな!直せ!いや今すぐに化粧を落とせ!」
「もう、他のクラスなんだからアッチ行けよー」
茶津目くんと、夕陽くんが言い争っている様子を、子供の幽霊が眺めていた。
*
体育館にあるステージと、そこから真っ直ぐ伸びる緑のランウェイ。会場ではドッと笑いが起こって、司会者の人もどうやら笑い過ぎて言葉が話せないらしい。僕の緊張はどんどん上がっていく。
大丈夫、美山さんがまとめてくれて、茶津目くんがメイクをしてくれて、物書さんが小説を書いてくれて、糸維さんがデザインしてくれた衣装がある。僕もこの日のために頑張って来た。そして、クラスの皆んなが応援してくれている。
大丈夫、大丈夫。
「紬凪、だいじょーぶ」
ユウちゃんが僕の手を握ってくれた。元気が湧いてくる。彼の顔を見て頷くと、ちょうどドラムロールが鳴る。
「はあ、笑った。では続いては、二年二組、紬凪さんの登場です。テーマは「女として育てられた皇子ですが、国のために戦います」だそうで、またこれは、壮大そうで期待できますね、では、登場してもらいましょう!どうぞ!」
コツ、コツ、とゆっくりとハイヒールを鳴らして歩いて行く。ハイヒールを履いて歩くのだって練習した。真ん中で右足を少し手前に出し手は腰に添えて、ポーズを決めて微笑む。
僕の髪は金髪のウィッグを付けていてるが、夕陽くんがうるさかったから前髪は右から耳にかけて、何本か目に掛かっていて、大きな宝石風の髪飾りが、星座のように散らばっている。糸維さんのデザインから、みんなで協力して作ってくれたものだ。上から下まで長い西洋風の模様があるワンピースぽい服になっているが、胸から下はテーマに合わせて戦いやすいようにソリッドが入っている。中は夕陽くんがうるさかったのでズボンを入っているが、このズボンのおかげで腰から下がふんわり膨らんで見えて、可愛らしいフォルムとなっていた。
こんだけ凝って作ってくれたのだ。僕としてはかなり自信がある。しかし、予想と反して僕が真ん中に立って微笑むと、さっきまで盛り上がっていた会場がシーンと沈黙に包まれた。
え、えぇ、なんで!?
いや、ダメだ。オドオドしてしまったら皆んなが協力してくれたことがダメになっちゃう。僕はもう一度笑顔を作ると、手を振りながらゆっくり歩いていく。物書さんが言っていたのは「いい?主人公は高貴な皇子様なの。ランウェイは民衆が、普段見られない姿をありがたく拝める場所なの。微笑みながら、見下して」
難しかったけれど、とりあえず笑って手を振る。元々人前に出る事が苦手だったからか、誰かと目が合いそうになると、すぐ逸らしてしまった。僕は観客にいた男子生徒達が顔を真っ赤にして、その様子を眺めていたのにも気付かず、ランウェイを歩き終わるとステージまで戻って行った。
司会者の隣に立つが、何も言ってくれない。疑問に思って彼の顔を覗き込むと「あ、え」と狼狽えたようにしていた。やっぱり幽霊が見えるという噂から、怖いのだろうか。その時、誰かがステージ上に上がり、司会者からマイクを奪った。夕陽くんだった。僕の肩を抱き横に立つ。
「おい、いつまでステージに立たせる気だ。早く終わらせろ」そういうと司会者にマイクを返した。夕陽くんが現れたことによって正気を取り戻したようで、司会者が進行を進める。
「あ、あぁ失礼しました。その、改めてクラスとお名前、コンセプトについて教えてください」
「はい、僕は……「貸せ」
横からマイクを奪われた。
「二年二組の道ノ世紬凪だ。コンセプトは物書が書いた小説から来ている。二年二組の喫茶店で売ってるから知りたいやつはそれを読め」
司会者は「なぜ、貴女が答えるんですか」と不機嫌そうに言うが、譲らない様子で「うるさい。受け答えは全部俺がやる」と答えた。さっきまでシンと静まり返っていた会場がブーイングに包まれる。
「部外者はお帰りください。では、質問コーナーという事で、私から一つ。その、恋人とか、す、好きな方はいますか?」
「俺だ」
「貴女には聞いてません!」
「いいか、会場にいるコイツにちょっとでも可愛いとか思った奴ら、耳の穴をかっぽじってよく聞け!コイツが好きなのは俺だ!お前らにはちっとも興味がねぇ!分かったならスリットの隙間を必死に覗き込もうとするな、特にお前!」
ビシッと夕陽くんが指差した方向にいた男の子が気まずそうにしていた。
「もう、夕陽くん。邪魔しないで」
僕がそう言うと、会場が賛同するように湧いた。可愛いーとか、いいぞー!とか、色々と聞こえてくると嬉しくなって笑ってしまう。
「おい、もういいだろ!終わりか!?」
司会者の人が慌てた様子で「では、最後に何か伝えたい事はありますか」と言った。また勝手に話しそうな夕陽くんのマイクを奪うと、僕は緊張を抑えて言う。
「まず、今回のコンテストに協力してくれたクラスの皆んなにお礼を言いたいと思います。まとめてくれた美山さん、物語を作ってくれた物書さん、衣装をデザインしてくれた糸維さん、メイクをしてくれた茶津目くん、そして、応援と協力をしてくれたクラスの皆んな、ありがとうございます!」
応援しに来てくれたクラスメイト達が沸き立つ。
「最後に宣伝しまーす!「音楽たのしもう同好会」設立のメンバーを募集しています。ぜひ、放課後音楽室に遊びに来てくださーい!」
わぁぁあ!という歓声の中で、僕の出番は終わった。
舞台袖にはけると「紬凪ぃー!」と声が聞こえた。
「ユウちゃん!」
向こうから僕の胸に飛び込んできた、僕も強く抱きしめる。
「よく頑張ったね、紬凪!」
「いた!日色!」
声の方を見ると、夕陽くんのクラスTシャツを着た生徒が何人も僕の隣にいた彼のことを指差していた。
「お前!準備もろくにしないし、当日もフラフラと、いい加減にしろ!残りの時間キッチリ働いてもらうからな!」
夕陽くんは羽交締めにされて、文句を言いながら連れて行かれた。そういえば彼は、ずっと僕のクラスにいた。ユウちゃんと顔を見合わせると、肩をすくめて笑い合った。
「……皐月」
そうだ、解決していない問題がまだあった。
「なあに、お兄ちゃん」
「悪い子は、お兄ちゃんだけだったね」
僕はしゃがんで、彼と目を合わせる。
「なんで?」
「兄ちゃん、皐月の好きなこと止めろって言ったから。そうするのが正しいと思ったんだ。皐月を良い子にしないと、お父さんもお母さんも怒るから、そうしなきゃって」
「皐月くん……」
皐月くんは僕の目の前で、大人の姿な変わって行く。
「そうだ、皐月は俺にも自由に生きれば良いって家を飛び出して行ってしまって、それっきり帰って来なかった。俺はそのまま病気になってしまったけれど、最期まであの子の事が気掛かりだった。家にいる時、皐月はずっと苦しそうだった。……皐月、間違えていたのは兄ちゃんだった。両親のことを気にすることなく、皐月の好きなことをいいねと言えていたら、皐月にあんな顔させなくて済んだのだろうか」
「オレの兄ちゃんはね」
ユウちゃんは彼の前に立つ。
「君とは逆で、全部オレのすること良いよって言ってくれたけど、ダメな時はダメって言うよ」
……やっぱり、ユウちゃんは。
「君も、オレの兄ちゃんと同じで、弟のこと大切だったんだよね。ダメって言われたらムカつくって思うことあったけど、ちゃんと分かってるよ」
彼はユウちゃんの顔を見つめて驚いたような顔をしている。
「大切にしてくれてるって分かってるよ。だから、お兄ちゃんに「自由に生きれば良い」って言ったんだと思う。大切な人だから」
その場に崩れ落ちると、彼はボロボロと涙を流した。「ありがとう、ありがとう」と言いながら、ユウちゃんの顔を真っ直ぐと見た。きっと彼の目には、皐月くんとのたくさんの想い出が見えているのだろう。そこには辛い顔した皐月くんだけじゃなくて、彼と笑っている皐月くんがいたはずだ。
しばらくすると、彼は光の粒をまとって空へ消えて行った。
「ねぇ、ユウちゃん」
「……」
「ユウちゃん、君は陽太くんなの」
「……兄ちゃんには、内緒にしてて」
ユウちゃんは後ろを向いたままそう言った。
****
文化祭の熱気も冷めた翌週。夕陽の機嫌は最高に悪かった。あの幽霊になると言った男が彼の前に現れる前は、集まって来るは女ばかりだったが、今はどうだ。
「おい、あの子を紹介してくれ!」「三組のやつら、会わせようとしてくれないんだ」「あの部活はどうやったら入れる!」
右も左も野郎ばかり。しかも目当てはアイツときた。
「だーかーらー、いい加減にしろテメェーら!アイツが好きなのは俺だって言ってんだろ!」
「性格は俺の方がいい、勝てる」
血管がぶちギレる音がする。どいつも、こいつも、ふざけんな!追手を撒きながら、放課後、音楽室に行くと、あのムカつく先生と二人でピアノを練習していた。今度は両手でキラキラ星を弾く練習を始めたらしい。にしても近い。
「おい、ふざけんな」
紬凪ごとピアノの椅子を動かして引き離す。それを見ていた教師がため息をつきた。
「お前な、もう少し素直にならないと横から取られるぞ」
「うるせぇな」
「もう夕陽くん、邪魔しないでよ」
「元はというと、お前がだな!」
教室のドアの方でドタバタと音がする。勢いよく開くと、何人もの生徒が我先にと入ろうとしてきている。
「音楽たのしもう同好会に入部します!」「おれが!」「いや、俺が!」
コンクールの宣伝効果は絶大だったらしく、こうやって馬鹿みたいに盛った奴らがコイツと仲良くなろうと必死で詰め寄って来た。
「いい加減にしろ!テメェら!全員却下だ。んな下心丸出しの奴、ウチの部活にはいらねぇ!」
「お前に言われたくない!」
声を揃えて反論してくる姿にヒクヒクと顔を引き攣らせる。どいつもコイツも、腹が立つ奴らばかりだ。
「はいはい、今日のところはとりあえず退散しろ。部活の申請は後で考えるように。今日はもう音楽室閉めるぞー」
まさに鶴の声というように先生がそう声をかけると、皆んな名残惜しそうに紬凪の顔を見て解散して行った。職員室に音楽室の鍵を返すと「紬凪」と声を掛ける奴がいた。オールバックに丸眼鏡が特徴の藤次。コイツは紬凪の友人なので安全だ。ムカつく時もあるが。
「美術部がメインで、あまりそちらに顔を出せないが、俺も音楽たのしもう同好会とやらに入ろうと思う。部長から兼部しても構わないと許可をもらった」
「いいの!?」
申請書に名前を書いた紙を渡してくる。なるほど、これで変に盛った奴らを入部させなくても、これで紬凪と、コイツと俺で三人。同好会が無事に設立できることとなった。
「ありがとう藤次くん。これであと一人だよ」
紬凪から言うのを待っていたが、どうやら俺が入るとは全く思っていないらしく、誘われる事はなかった。が、今は自然な流れで言うチャンスなのかもしれない。
「おい……」
「あぁ、いたいた、紬凪くん」
「茶津目くん、どうしたの」
「俺も音楽たのしもう同好会に入れてよ」
「はあ?」
まさかの第三からの刺客に驚く。なんでコイツが出てくんだよ。
「俺、ピアノよりメイクの練習したいんだけど良いかな」
「良いよ」
「いや、良くねぇだろ。ダメだ。却下だ。んなの認められねぇ」
紬凪は不満そうに、俺のことを睨みつける。全く怖くない。むしろ可愛らしい。
「もう、最近ずっと夕陽くんが勝手に決めちゃう。部長は僕なんだからね、茶津目くんの入部を許可します」
「はあああ!?」
じゃあ俺はどうなるんだ!
「おい、もっと素直になったらどうだ後悔するぞ」
肩をポンっと叩きながら、言われる。すると、もう片方から手が伸びてきてポンッと肩を叩かれて、今度は茶津目言った。
「俺、頑張るから。奪われないように気をつけてね」
「はあああ!?」
後ろから紙屑が飛んできた。多分、ユウちゃんが俺を咎めて投げて来たのだろう。
何もかもが納得いかない。納得、いかない!
僕の新規部活動申請届けに二重線を引いて上に小さく書いた「部活復帰届け」の紙は、突き返されてしまった。ショックのあまり固まっている僕の横で、「だろうな」と呆れたように夕陽くんは言う。
「桜介のときは特別に認めていたらしいが、俺の力だと難しくてな……悪いがあと二人、集めてきてくれ」
先生はそう言うと、申し訳なさそうに音楽室から出て行った。あと、二人も集めないといけないの。僕には友達が二人いるけれど、一人はオバケで、もう一人は隣の美術部に入っている。
「あのさ、なんか頼みたい事とかないの」
「夕陽くんに?」
僕のことをジッと見て言う。全く思い当たることがない。何だろう。
「健康でいてください」
「お前、本当に俺のこと好きなのかよ!?」
「好きだよ」
当たり前のことを言われて、そう返す。
「いいか、憧れと好きは違ぇからな。俺のこと好き好き言うけど、まさか憧れと勘違いしてるんじゃないだろうな」
「憧れもあるけれど、ちゃんと好きだよ。最初は一目惚れだったけど、幽霊が見えるっていう僕のことも信じてくれたし、ユウちゃんにも甘すぎる気もするけれど優しくしてくれるし、寂しがりやのところも、全部大好き」
「……ふうん」
ガラガラと勢いよく、教室のドアが開かれる。
「イチャイチャしてないで練習しないか!」
「藤次くん!」
現れたのはあの日からこうやって遊びに来てくれる藤次くんだった。ドスドスと音を立てながら僕らの方へ近寄ってくる。
「まったくお前達は、練習もせずにイチャイチャとせっかく僕が認めてやったのに、ダメじゃないか!」
「イチャイチャって、もしかして僕らの会話筒抜けだったの」
さっきの会話が聞かれていたとなると、恥ずかしくて顔を真っ赤にしてしまう。
「ピアノの音が聴こえなかったんだ!」
そう言われるとホッと肩をなでおろす。
「そうだ、同好会でも最低三人必要って言われちゃったんだ。何か良い案はないかな?」
「はあ?アイツには頼るのかよ」
「なんのこと」
藤次くんは、呆れたように溜息を吐くと「もう少し素直になったらどうなんだ」と夕陽くんに言った。「お前に言われたかねぇよ!」と怒って返事をしていた。
「宣伝すれば良いんじゃないのか」
「宣伝?」
「この部活を知ってもらい、入部希望者を募るんだ」
確かにこの部があることは、あまり知られていないだろう。それに、ここは元々怪談話も相まって人があまり近寄らない第二音楽室。知ってもらうこともなかなか難しそうだ。
「宣伝かぁ、ユウちゃんは何かアイディアある?……ってユウちゃん、また寝てるの?」
ユウちゃんは僕の膝に頭を乗せてスヤスヤと眠っていた。
「寝かせてやれよ。とりあえず今日はもう帰ろうぜ。雨、降りそうだし」
窓を見ると曇り空に変わっていたので、僕達は真っ直ぐ帰る事にした。
****
その翌日。
リリリリ……リリリリ……
夕陽は呼吸を荒く目を覚ました。夢見が悪かったのだ。ぼんやりとした様子でカーテンを少し覗くと、昨日の夜から降っている雨は止むことなかったらしく、ザーザーと降っていた。ちょうどその時、部屋のドアがノックされる。
「夕陽、今日は学校お休みするかい?」
「……ううん、行く」
声を掛けた叔父は、驚いたように目を丸くしていた。
****
今日のLHRは文化祭の出し物についての話し合いだった。僕たちの学校は、体育祭を涼しくなる秋に、文化祭は夏休み前に行う。皆の文化祭にかける熱気がすごい。
「絶対にうちのクラスは和風喫茶をやるの!」
「いーや!絶対にオバケ屋敷だ」
言い争う様子を遠巻きに見て苦笑いを浮かべる。僕の横でユウちゃんが「オバケ屋敷はダメ、ただでさえ変なの来やすいのに、もっと来る」と言った。そうなると僕が手をあげるのは必然的に和風喫茶だ。
「はいはい、決まんないから、とりあえず次決めよー。クラス対抗美女美男コンテスト、誰出るー?」
あんなに騒がしかった教室が一気に静まり返る。美女美男コンテスト……という名の、男装女装コンテストだった。男装の方は毎年気合が凄まじく、宝塚のような美男子達がたくさん現れて、女装の方は照れ臭さいからか、あえて似合わないような服を着て笑いを取りにいくのだ。
「美男の方は私が出るわ」
さっき仕切っていた文化祭委員の子が立候補する。すると女子達から拍手が送られた。
「美女の方は誰がやるの?……呆れた、さっきまでの威勢の良さはどうしたのよ」
どうやら皆んなやりたくないらしいく、俯いて下を向いている。
「別にいいじゃない。女装して、好きなことを宣伝すれば。私はSNSフォローしてくださいって言うつもりよ」
――宣伝?
去年のこと思い出してみる。確か今にも弾け飛びそうなセーラー服を着てツインテールをした三年生の先輩が野太い声で「我が空手部では常に部員を募集しています」と叫んでいた記憶がある。これだ。
僕は真っ直ぐ勢いよく手を伸ばす。クラスのみんなも、ユウちゃんも、驚いたように僕の方を一斉に見た。
「ぼ、僕、やりたい……!……です」
放課後、教室の前に夕陽くんがいて待っていた。今日はずっとこうだった。休み時間の度に僕のところに来てはピッタリとくっついて、終わればまた自分の教室に帰っていく。何を喋りかけても「あぁ」とか「うん」とか一言だけしか返事がなくて、心配で先生に今日の練習はお休みしたいとお願いした。
「お待たせ、帰ろうか」と声を掛けると「あぁ」と言って、肩が重なるくらいピッタリとくっついて歩き出す。校門を出たあたりでずっと黙っていた夕陽くんが「今日ウチ来れば」と言ったので、ユウちゃんと顔を見合わせて頷き合うと「うん」と返事をした。
僕たちはずっと無言で歩いた。夕陽くんは歩いている時も僕から離れようとしない。少し歩きにくい。もしかしたら傘も一個で良いのかもしれない。さっきから傘がぶつかってしまって、それが余計に歩きにくさを増しているのかも。
「夕陽くん、傘、閉じても良い?」
僕がそう聞くと、彼は頷いて立ち止まった。傘を閉じた瞬間。猛スピードの車が向こうから来て、水たまりを跳ねた。僕は思いっきり水を掛けられてしまい、驚いて尻餅をつく。
「び、びっくりした」
「紬凪っ!」
その声に、僕は肩を揺らしてまた驚く。顔を真っ青にした夕陽くんが、僕の身体中を怪我がないか確認していった。そのまま制服のズボンを膝の上まで捲り上げると全く怪我していないのに、カバンから消毒液を取り出して吹きかける。
「夕陽、くん?」
彼は僕に答えることなく慣れた手付きで手当をすると、最後にポップな模様が描かれた絆創膏を貼った。
「……夕陽くん、ありが」
言葉の途中で急に勢いよく抱きしめられた。
「冷たい」
僕の背中を必死に温めるように擦り上げていく。何かに怯えているようだった。夕陽くん、ありがとう。と声を掛けても彼には届かないようで、僕の腕を引っ張って、傘も置いて、そのまま彼の家まで連れて行かれた。後ろでユウちゃんが二人分の傘を持ちながら、その様子を眺めていた。
彼の家に連れて行かれると、まず、お風呂場に直行された。「温めないと」とうわごとのように言うと彼はシャワーを捻る。
「ま、まって、制服、せめて制服脱がせて!」
そう言うと彼はピタリと手を止めて、僕の制服を脱がし始めた。ヒッと小さく悲鳴を上げて「自分で脱ぐ、脱ぐから!」と叫ぶと、これだけはどうしても譲れずに自分で脱いだ。
ちゃぽーん
好きな人とお風呂に入ってしまった。ドキドキするものかと思っていたが犬のようにワシワシと洗われて、自分が普段入っているお湯よりも熱いお湯にいられていた。それにしても、熱い。
「夕陽くん。暑くて、その、もう出ても良い?」
「だめ。冷たい」
「暑いよ……ほら僕の顔こんなに暑いでしょ、のぼせて倒れちゃう、よ!?」
僕は引っ張られてお風呂から立たされた。それからまた体を拭く時や着替える時に攻防があり、ようやく解放されたと思ったら、そのまま引っ張られて珍しくリビングまで連れて来られた。ソファにそのまま突き飛ばされると彼はエアコンを着ける。リビングの向こう側をよく見ると、仏壇があって写真には優しそうな女の人と、男の人、そして、夕陽くんに目元が似ている小さな男の子の写真があった。エアコンが付いたようで風を感じる。この季節に合わない生暖かい風だった。も、もしかして、暖房!?半袖で過ごすような日なのに。夕陽くんは僕の心臓に手を当てた。……そうか。
「夕陽くん、僕、生きてるよ。心臓の音、たくさん聞いて」
彼は何も答えないまま、僕の心臓の音を聞くように耳を寄せて横になった。ドク、ドク、と心臓の鼓動をゆっくりと伝わっていく。ユウちゃんも僕たちの近くに寄ると、僕達は三人でソファに横になった。夕陽くんが抱き枕のように僕を抱きしめて、その隙間に入り込むようにユウちゃんが横になって、彼の頭を撫でていた。
どうやら僕達は眠ってしまったらしい。目を覚ましても僕の上には夕陽くんとユウちゃんがいるので身動きできない。すると玄関の方からガチャと音が聞こえてきた。
「夕陽、帰っているのかい?」
リビングのドアが開くと、部屋の暑さに驚いたように固まり、更に僕たちの姿を見て固まる、何度かお会いしたことのある夕陽くんの叔父さんが立っていた。
「お、お邪魔しています。その、夕陽くん、寝ていて、」
叔父さんは何かを察したように困ったように笑うと、エアコンの電源を落として窓を開けた。
「雨は止んだから、起きる頃には落ち着くと思うよ。ごめんね……夕飯はまだかな、なにかとろうか」
「あ、いえ、お構いなく」
そう言ったのと同時に、僕のお腹がぐぅと鳴った。恥ずかしい。
「お肉は好きかな、近くの焼肉屋さんがやっているお弁当が美味しくてね。この時間ならまだ頼めるから頼もうか」
「あ、ありがとうございます」
「お肉!」
「ユ!」
ユウちゃんが大きな声を上げて、飛び上がる。うっかり名前を呼びそうになって「ユ」まで言ってしまった。
「ユ?」
「叔父さん、帰ったの」
夕陽くんも目を覚ましたようで、叔父さんに声をかけていく。さっきよりは落ち着いたのか受け答えがはっきりとしていた。夕陽くんが体を起こしたので僕も一緒に起き上がる。
「あぁ、せっかく夕陽のお友達……かな。が、来ているのだから、焼肉の弁当を頼もうと思ってね」
「まじ、やった。じゃあさ追加でプリンも頼んで良い?」
「プリン!」
ユウちゃんが嬉しそうに言う。
「……そうだね、頼もうか。六人分頼むから、夕陽が食べなさい」
叔父さんは、僕たちに顔を見せずにそう言った。
焼肉弁当が四つ。プリンが六つ。大きなダイニングテーブルには四つ椅子があった。そこに僕たちは三人と一人のオバケで座っている。叔父さんは四つ目のお弁当を三等分にして、二つは仏壇に、もう一つはオバケが座っているの席にプリンと一緒に置いた。もしかしたらユウちゃんが見えているのかと思ったけれど、そうじゃないらしい。
「夕陽、陽太の分はこれで良いかな」
「陽太ここのプリン好きだから、俺の分もあげるよ」
「……夕陽、それは夕陽の分だよ」
夕陽くんはユウちゃんの前にプリンを置く。それは今まで何回も繰り返されてきた行動だった。ユウちゃんは黙ってその様子を見ると、首を振った。
「オレ、要らない」
ユウちゃんの言葉を叔父さんの前で伝える訳にはいかないし、そもそもこれは夕陽くんが陽太くんに渡した物だから、どうしよう。
「夕陽くん、……じゃあ夕陽くんには、僕のあげるよ」
「いや、紬凪は自分の分ちゃんと食えよ。俺は兄ちゃんだから「ぼ、僕!」
勢いよく、椅子から立ち上がる。
「文化祭で美女コンテストに出るんだ。ダイエットしないと……だからあげる!」
「……夕陽のために、ありがとう。しかし、そんなのがあるのかい?」
「はい。うちの文化祭では、女の子が美男に男の子が美女になるコンテストがあるんです。男はギャグ寄りなんですけれどね、あはは、いただきます」
僕の掛け声に合わせて、ユウちゃんも両手を合わせて「いただきます」と箸を使って食べている。その箸は浮くことなく、目の前に置かれているお弁当も減ることもないけれど、ユウちゃんは頬をいっぱいに膨らませて、美味しそうに食べている。僕も一口食べた。
「すごく美味しいです。ありがとうございます、あれ夕陽くん、食べないの?……食欲ない?」
横を見ると、夕陽くんがお弁当に手を付けずに箸を持ったまま動かなかった。やっぱり今日は食欲がないんだろうか。
「いや、いやいやいや」
「どうしたの」
「どうしたの、じゃねぇーよ。なんで美女コンテストなんて出ることになってんだよ」
今度こそ、いつもの調子に戻ったようだ。
「なんか、宣伝して良いんだって、部活の勧誘できると思って」
「部活?部員が足りないのかい?」
「はい。音楽たのしもう同好会っていうのを作ろうと思っているんです。でも最低三人必要みたいで」
「わざわざ宣伝する必要ねぇーよ。取り下げてもらってこい」
「もう決まったから無理だよ」
チラッとユウちゃんの方を見ると、お弁当に乗せてあった野菜を避けていた。今は叔父さんがいるから直接声をかけらないので、アイコンタクトで野菜も食べないとダメだよと念を送る。ユウちゃんは分かっているはずなのに、分からないふりをしてお肉ばかりを食べている。
「おい、待てユウちゃん。野菜残してんだろ、野菜もちゃんと食え」
僕がユウちゃんの方を見ていたのが分かったのか、そう夕陽くんが言った。叔父さんがいるのにアイコンタクトで話した意味がなくなっちゃう。
「ユウちゃん?あぁ、夕陽に憑いているとか言う、女の生霊か」
「なんで叔父さんまで知ってんだよ」
「担任の先生がね、心配して電話してくれたんだよ。変わったことはありませんかって」
「はあ!?そんなくだらない事で電話してくんなよ」
何はともあれ、夕陽くんが元気を取り戻してくれて良かった。ユウちゃんもケラケラと笑っていた。
夜ご飯を食べ終えると、僕たちは夕陽くんの部屋にやってきた。今日は泊まる事になったのだ。いつもの通り、ユウちゃんは「ユーニャ!」のアニメに夢中になって、夕陽くんは僕を後ろから抱きしめて心臓のあたりに手を置きながら話している。彼はさっきからずっと美女コンテストに出るなという話をしていて、あのコンテストはガタイの良い男が出るから面白いのであって、僕が出たら普通の女装だ。とか、前髪をあげたら悪霊が見えてしまうんじゃないか。とか、もっともらしい事を言って、なんとか出させないようにしていた。
「そんなことよりも、夕陽くん」
「そんなことよりも、だと」
「……聞いても、いいかな」
何を聞かれるのか分かったのだろう。先回りするように夕陽くんは言った。
「もうとっくに察していると思うけれど、家族はみんな、俺以外、事故で死んだんだ。母さんと、父さんと、弟の陽太。雨の日のことだった。今は叔父さんがウチに来てくれて一緒に住んでる」
声が震えている。僕は体を捩り、夕陽くんに向き合うと彼を抱きしめて背中に手を回した。ゆっくりと心臓のリズムに合わせるように、優しくその背中を叩く。ごめん、やっぱり無理に話さなくていいよと伝えようと思ったけれど、夕陽くんは言葉を続けた。
「……紬凪、聞いてくれないか。あの日、何があったか。俺が小学六年生の頃だった。来年から俺が中学生になるからって、ウチの家族と、ばあちゃん達とみんなでプラネタリウムに行く事になったんだ――。
あの日、雨が降ってきた。
売店の前で叔父さんに話しかける。
「陽太、大丈夫かな」
「姉さ……お母さんもついてるから大丈夫だよ。それよりも夕陽は、叔父さんとお店をみよう」
さっき陽太が転んでケガをしてしまった。擦り傷だったけれど、絆創膏の絵がいつも使っているユーニャ!の絵柄ではなかったから、陽太は大泣きしてしまって母さんに連れられて車に戻って行った。「大丈夫だよ」と叔父さんはもう一度言うと、背中を押して店の中へ連れて行った。店内に入ると、上まで積み上がった物でいっぱいで、お饅頭とかチョコレートとか、知らないキャラクターのランドグシャ以外は埃をかぶっていた。ズラッと並んであるキーホルダーを眺めてもユーニャ!の物はなく、今流行りのキャラクターが並んでいる。ぬいぐるみを見ても同じで、これでは陽太は喜ばないだろう。
「夕陽が欲しい物はあったかい?」
「んー、どれも微妙かな」
「それは陽太の話だろう。夕陽が欲しい物、叔父さんが買ってあげるよ」
「僕はいいよ。陽太が欲しい物を、……あった」
お店の端にある棚に、無理矢理詰め込まれている商品があった。箱に入った小さなオモチャの車や、十本セットのキャラクター鉛筆、まるでジェンガのように隙間なくびっしりと埋まっている中に、ユーニャ!の絆創膏があった。すっかり古びていて箱の紙が少し剥げている。
「おじさん、俺これ……」
「夕陽行くぞ。陽太泣き疲れて寝ちゃったから、今のうちに行こう」
父親が商品の間から、ひょっこりと顔を出して言う。「あ、でも……」どうしても、これが欲しかった。すると、横から叔父さんが頭に手を優しく置きながら言う。
「夕陽はウチの車に乗せて行くよ。もう少し、お店を見てから行こうと思う。すぐに追いつくから、先に行ってて」
父は何か考える素振りをした後、ありがとうと叔父さんにお礼を言って、俺には迷惑掛けないようにと言ってお店を出て行った。窓からウチの車が出て行くのを見送ると、叔父さんが手を伸ばしてあの棚からユーニャ!の絆創膏を取る。
「なんか、衛生面に不安があるな。……あ、個包装みたい、なら平気か」
「叔父さん、ありがとう!」
「どういたしまして。次は夕陽の分だね」
「俺はもういいよ。父さん達追いかけないと」
叔父さんは、夕陽の頭を優しく撫でる。
「夕陽はいつも陽太のことばかりだろ。たまには、夕陽が欲しい物を買ってもいいと思うんだ。なんでも良いんだよ。おもちゃでも、お菓子でも」
そう言われても何も思い浮かばなかった。いつだって自分の基準は弟だった。弟と半分こできるお菓子を選んで、弟も遊べるオモチャを選んできた。弟が生まれてからずっとこうだったから、好きな物を選んでも良いと言われても分からなかった。
「せっかく来たんだ。もう少しお店をみてから、行こう。まだ時間はたっぷりあるんだから」
そう言われて、お店をたくさん見て回ったけれど自分の欲しい物は見つからなくて、結局叔父さんには陽太と一緒に食べられるようにチョコレートを買ってもらった。叔父さんが運転席に座り、助手席には俺。後部座席には祖父母が乗っていた。車がゆっくり走って行く。さっきまで小降りだった雨が、大降りに変わって、道はさっきよりもデコボコで、ガタガタとお尻が痛くなるほど揺れた。
急に車のブレーキが掛かって、体が前へ飛び出しそうになる。
「どうしたのよ」
おばあちゃんが叔父さんに向かって聞くが、叔父さんは何も答えずに前を見つめたまま、顔を真っ青にして口をぱくぱく動かしていた。前に、何かあるんだろうか。叔父さんが見ている方を見ると……赤い、ウチの、赤い車の破片があっちこっちに散らばっている。よく見ると、車に突っ込まれて前の方がペチャンコに潰れていた。シートベルトを外して飛び出して行く。後ろで叔父さんが「ダメだ!戻りなさい、夕陽!」と叫んでいるのが聞こえた。
父さん、母さん、――陽太!お願い、無事で……
後部座席のドアが開いていた。そこの下から見えた小さな陽太の手。近寄ると水溜りの上に陽太はいた。
「……陽太、陽太!」
駆け寄って彼を抱きしめた。あんなに温かい陽太の体が冷たくなっている。雨にずっと打たれていたんだ。体を摩りながら、さっき買ってもらった絆創膏を取り出す。
「陽太、お願い、お願い、嫌だよ、陽太」
どこに貼れば良いのか分からない絆創膏を、陽太の体に貼っていく。さっき見つけたんだよ。陽太の好きなユーニャ!の絆創膏。お願い、お願い、陽太。もう一度、笑ってよ。もう一度、心臓の音を聞かせて。
「お願い、死なないで、陽太」
その願いは届く事なく、二度と陽太の心臓は動くことなかった。
*
「なんでお前が、泣いてんだよ」
夕陽くんは呆れたように、でも笑いながら言った。僕の涙は止まってくれない。夕陽くんの方が辛いはずなのに、彼は僕を抱きしめると背中を優しく撫でた。
「でも、そうだよな。泣いても良いよな」
彼は僕の肩を濡らして、静かに泣いた。そんな僕達をユウちゃんは優しく撫でる。
「あのね、ユウちゃんが僕達のことを撫でてくれているよ」
「……そうか、ユウちゃんもありがとうな」
ユウちゃんは何も言わずに、僕達の事を撫で続けた。
それから、僕達は少し夜更かしをして三人でユーニャ!のアニメを見ながら、おしゃべりをして過ごした。
*
次の日、僕は文化祭の話し合いで放課後残ることとなったので、部活はお休みすると先生、夕陽くんに伝えた。
ちなみにクラスの出し物は和風喫茶になった。かなりの接戦だったけれど、一票の差で和風喫茶が勝ったのだ。実は、ユウちゃんが「オレも手あげた!」と投票数がクラスの人数合ってなかったんだけれど、皆んな気付かなかったようだ。
今は美女美男コンテストでどんな風に勝負に出るのかという話し合いをしている。美女の方はすんなりと決まって、ついに議題は僕の方へとなった。
「それで、道ノ世くんは、どんな服を着たいの?」
「……なにも考えてなかった。んと、とりあえずミニスカ?履けば良いのかな」
「まあ、ミニスカが一番無難だよねぇ〜」
文化祭委員の茶津目夢人くんが、その細い目を更に細めて笑った。
「じゃあ、ミニスカで……「待った!」
教室の後ろの扉から夕陽くんが現れた。
「ちょっと、違うクラスなんだから入って来ないでよ」
「スパイだ、スパイ!」
茶津目くんと、もう一人の文化祭委員、美山さんが息ぴったりに言う。
「俺はお前達と違って、文化祭なんてものは興味ねぇーんだよ!コイツが変なコンテストに出ようとするから来てやったんだ。今すぐ出す奴を変えろ」
「夕陽くん、無理だって言ったでしょ」
「そうよ、もう申し込みは済んでるんだから」
やめさせようとする夕陽くんと、文化委員会の二人の間には火花が散っているように見える。
「夕陽くん、僕、頑張りたいんだ」
夕陽くんは何か言いたげに僕の事をジッと見てきたが、はあと溜息をついて、頭の後ろをポリポリとかくと「仕方ねぇーな」と言った。どうやら認めてくれたらしい。
「その代わり、服は俺が決める。まず、ミニスカなんて絶対却下だ。スカートの丈は膝下十センチ以上しか認めない」
「うわあ、ウチの校則よりも厳しいじゃん。ダメ。そんなんじゃ勝てない」
「ダメなもんは、ダメだ」
「よし、じゃあ間を取って網タイツのバニーにしよう!」
茶津目くんが目をニッコリ笑って細めて、人差し指を立てながらそう言った。
「どこが間なんだよ(なのよ)!」
夕陽くんと美山さんが声を揃えて言う。どうしよう、仲良さそうで嫉妬してしまいそうだ。
美山さんが黒板にアイディアをまとめて、茶津目くんは僕のことを見ながらニコッと笑っている。どうして、そんな風に見てくるのか不思議に思っていると、後ろからぐいっと引っ張られた。夕陽くんが不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら、僕の隣に椅子を持ってくるとベッタリとくっついて座った。なんだか茶津目くんを睨んでいる気がする。
夕陽くんは二人を無視し、スマホで何かを調べている。
「よし、こんな感じでロングスカートとブラウスに、カーディガンを羽織らせて露出は一切させんな。あと前髪もあげんの禁止」
そこには、清楚系の可愛い女の子の画像が表示されていた。
「うっわ、ウケる。女の趣味変わったんだね、ユウちゃんに憑かれて懲りたの」
「却下よ。そんな普通の格好じゃ優勝出来ないわ」
茶津目くんはクスッと笑うと、僕の前髪に手を伸ばしてきた。「というか、前髪って何……わあ」「……これは、」二人は僕の目を見て固まっている。
「道ノ世くん、ちょっとごめんね」
美山さんは僕のズボンを膝くらいまであげる。
「おい、お前勝手に触んな!」
夕陽くんが怒鳴るのにも耳を貸さずに、茶津目くんの方を振り返ると、わなわなと震えながら言った。
「大変。人選ミスよ。ウチだけガチになるわ。何よ、このクリンとした目!なんで私より背も高くて肩幅もあるのに、私よりも美脚なのよ!」
「なるほどー、それで側に置くわけだ」
美山さんは頭を抱え込み、茶津目くんはまじまじと僕を観察するように見ていた。
「分かったか、よし、今からでも変更……「いいじゃん、俺たちのクラスはガチで勝負しようよ」
茶津目くんが僕の髪をいじりながら言う。
「そもそも、男子はふざけるってお決まりの流れもどうかと思ってたんだよね。文化祭っていうキッカケで好きなこと出来る子がいても良いじゃんね」
ウィンクをしながら言われた。……なにか、勘違いされているような気がする。
「それもそうね。じゃあ決まり。うちはガチで勝負しましょう。」
「ダメだって言ってんだろ!てか、ベタベタ触んな!」
オーと声を合わせる二人に対して、夕陽くんは反対している。僕を置いて三人はどんどん話を進めていった。
それからまた改めてクラスで話し合うと、文芸部の物書さん、手芸部の糸維さんがメンバーに加わりたいと立候補してくれた。物書さんが翌日、辞書くらいの分厚さがある大量の原稿用紙に小説を書いてきて、衣装のテーマは小説のタイトル「女として育てられた皇子ですが、国のために戦います」となった。その更に翌日、糸維さんがその小説を片手に涙をダラーと流しながら、デザインを何枚か考えてきてくれた。僕はてっきり、市販の服を買って終わりだと思っていたから、皆んながこんなに協力してくれるのが嬉しかった。
「却下だ!一切、露出させんなって言っただろ!」
「うるせぇな、部外者は黙りな!」
夕陽くんと糸維さんは、こんな感じでさっきから喧嘩をしている。やっぱりちょっと、夕陽くんが女の子と仲良く話しているとモヤモヤしてしまう。
肩を叩かれて後ろを振り向くと、ムニっと頬を指で押された。茶津目くんだった。
「暗い顔してる。大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
彼はまじまじと僕の顔を見ると、顎に手を当てて何かを考える素振りをした。
「道ノ世くん、洗顔した後なにも付けてないでしょ」
「うん」
「やっぱり、はいこれ」
カバンから透明なポーチに入った、小さな化粧水や乳液、クリームを渡してくれる。
「一週間使うだけでも、全然違うからこれ使ってね。はい。パックも、こっちが朝で、こっちが夜ね。忘れたら怒るからね」
いつものよう笑顔で言っているのに、どこか威圧感があった。それをお礼を言いながら受け取ると、まじまじと見つめる。
「……これを付けたら、頑張ったら、僕も可愛くなれるかな」
そうしたら夕陽くんも僕を好きになってくれるだろうか。いつの間にか、随分と欲張りになっている。前は少しでも彼のために何か出来たら良いなくらいだったのに、今は僕のことを好きなって欲しい。ポンと頭に手を置かれた。
「道ノ世くん可愛いね。うん、なろうよ。メイク担当、俺なんだよね。一緒にアイツの心掴もう。そうだ、写真撮ってもいい?」
「うん、ありがとう」
少し緊張しながらスマホに向かってピースをした。慣れてなさすぎて笑顔が引き攣っている気がする。パシャっと聞こえたタイミングで、横から腰に手を回されて引き寄せられた。顔を上げると、夕陽くんがまた睨みつけるように茶津目くんを見ていた。
「うわあ、最悪。日色が入ったせいで心霊写真になった」
彼が見せてくれた写真には驚いた顔をしている僕と、カッコいい夕陽くんの後ろに、人が悲鳴を上げているような黒い影が映っていた。ユウちゃんを見ると、イタズラが成功したように笑っていた。
それから文化祭の準備がどんどん進んでいった。日めくりカレンダーがめくられていくのに合わせて、どんどん作業が進んでいく。僕らだけの準備じゃなくて、クラスの喫茶店の準備も進んでいった。みんなのことを手伝いながら、普段のスキンケアやストレッチからステージでの立ち振る舞いまで、たくさん練習した。衣装が完成したのは前日で、皆んなクタクタだったけれど、明日頑張ろうねと笑顔で別れた。
そして迎えた当日。ステンドグラス風の看板に「和風喫茶」と書かれている僕らの喫茶店は、大忙しだった。喫茶店の衣装は大正の女学生ぽく袴を着ていて、僕たちは裏方として注文された駄菓子を用意したり、飲み物を用意したりする。ユウちゃんも僕の隣で一緒に働いていた。何を用意すれば良いのか教えてくれるのだ。
「道ノ世くん、お疲れ様。休憩の時間だよ」
茶津目くんが教えて来てくれた。
「ほら、あそこでずっと待ってる。一緒に周るの?」
仕切りから顔を覗かすと、夕陽くんが席に座って待っていた。よく見ると、他校の女子達に囲まれていて、初めて会った時のような笑顔で彼女達と話している。
「違うよ。今日は友達と約束してるんだ」
やっぱり、少しショックだ。やれることは頑張ったけれど、彼を囲んでいる女の子達を見たら、自信が急に萎んでいってしまう。
「……そっか、じゃ、メイクの時間は十四時くらいからだから遅れないでね。とにかく今は楽しんでおいでよ」
僕は茶津目くんにお礼を言うと、外で待っている藤次くんの元へ向かうう。
「紬凪ぃー、いいの?」
ユウちゃんは夕陽くんの方を見て心配そうに言うが、僕は良いんだよと答えた。約束していないのは本当だったし、良いんだ。これで。
「お待たせ、藤次くん。行こうか」
「あぁ、今日はアイツは良いのか」
「うん、……忙しそうだから」
「おい、何置いてってんだよ」
振り向くと、夕陽くんが立っていた。
「……女の子と話してたんじゃないの」
不機嫌そうな顔から一転して、急に嬉しそうに顔を綻ばせてた。
「なんだよ、嫉妬してたのか。あぁ、そうだ本来なら俺はすげぇモテるんだ。お前が俺を好きなのはよく分かるが本来なら……「紬凪、行こう。コイツとても不愉快だ」
藤次くんが呆れたように言うと歩き出すので、僕も一緒に歩き出した。チラッと隣で浮いているユウちゃんに声を掛ける。
「ユウちゃんが、夕陽くん呼んだの?」
ユウちゃんは、何かを投げる素振りをした。どうやら物を当てて気付かせたらしい。
「どうして?」
「一緒にまわりたかったから。……ねぇ、紬凪。去年も言ったけれど、今日は変なのが紛れ込みやすいから気を付けないとダメだよ。絶対にはぐれないこと。薄暗い所とか、そうゆうのが集まりやすい場所にも行っちゃダメだよ」
「分かった」
「あっ、りんご飴〜」
さっそくユウちゃんとはぐれそうだ。
「もう。藤次くんりんご飴買っても良い?」
「あぁ、あとぶどう飴というものも行こう」
意外にも藤次くんもはしゃいでいるらしく、パンフレットにかなり書き込みがされてあった。甘い物が好きらしく、クレープ、人形焼きなど、ほとんどのお店にチェックが付いている。
「おい、待て、置いて行くなって!」
後ろから夕陽くんが追いかけて来た。僕たちは、たくさんの甘い物を堪能してかは、色々な所を見て回った。夕陽くんは、いたるところで他校の女子に声を掛けれていて、ずっと機嫌が良さそうで、そんな姿をユウちゃんが咎めるように、持っていたクレープのゴミを丸めた物を夕陽くんに投げていた。
最後に僕たちは、美術室に行き藤次くんの絵を観に来た。一番奥に藤次くんの作品が「友達」、高校生絵画コンクール、佳作作品と書かれて展示されてあった。
僕とユウちゃんが藤次くんを応援している絵。自分が絵になっているなんて、照れくさいけれど何だかとても嬉しかった。ユウちゃんも隣で「オレ、中学生みたい!」と学ランを着ている自分の姿に喜んでいる。描かれているのは猫耳のあるオバケの姿じゃなくて、夕陽くんを幼く描いたような姿なんだけれど。
「陽太……」
夕陽くんはそう呟いていた。夕陽くんと、仏壇の写真にあった弟の陽太くんは、よく似ていた。きっと中学生になったらこんな姿だったのかもしれない。
「藤次くん、今更だけどコンクールおめでとう」
「あぁ、君と、不思議な幽霊のおかけだ。こちらこそお礼を言わせてもらう。ありがとう」
ユウちゃんは嬉しそうに、クルッと回った。
「おっと、もうこんな時間か。じゃあ俺は受付を変わるから、君もそろそろ時間なんじゃないのか」
時計を見ると、ちょうど約束の三十分前だった。メイクまで少し余裕はあるけれど急いだ方が良いだろう。
「本当だ。藤次くん、またね」
僕は美術室を出る。後ろでユウちゃんが「走ったら危ないよー」と言い、夕陽くんもバタバタと追いかけてくる音が聞こえた。曲がり角を曲がったところで、誰かにぶつかりそうになって慌てて止まる。小さな子供が座り込んでいた。
「どうしたの、……迷子かな」
その子供は俯いたまま立ち上がると、僕のことをドンっと突き飛ばした。階段へ落っこちていくと、僕はなぜか、ユウちゃんが何かした訳ではないのに幽霊の姿になった。
「やっと見つけたよ、皐月。迷子になっちゃダメだろ。兄ちゃん、探すの大変だったんだから」
よく見ると、その子供は透けていた。幽霊だ。
その幽霊に手を引かれて階段を降りて行く。周りは不自然なくらい誰も人が居なかった。しまった。ユウちゃんにあんなに気をつけろって言われていたのに、僕はおかしな空間に行ってしまったらしい。
「君、名前はなんていうの」
「お前の兄ちゃんだから、兄ちゃんって呼べよ、皐月」
さっきからこの調子で、僕を弟の皐月くんと勘違いしているらしい。
「どこに行くの」
「帰るんだよ」
「どこに」
「下に」
自分よりも大きな僕を弟と呼びながら、彼はずっと階段を降って行く。美術部と音楽室があるのは三階だった。今は二階の階段を降っている。
「…………、お兄ちゃん、疲れたから休みたい」
――上に、上に、だよ。
何度も言われて来たユウちゃんの言葉を思い出す。この子が悪い子には思えないけれど、なんとなく、これ以上階段を降りるのは良くないと思った。
「皐月、ダメだよ。あの方が心配しているでしょう」
「あの方?」
「マチガエタ。皐月は、皐月だよね」
彼はまた階段を降って行こうとする。僕は抵抗して、その場から動こうとしなかった。
「兄ちゃん、僕上に行きたい」
「ダメだよ。皐月。僕たちは上にはいけない」
「どうして」
「悪い子だからだよ」
どういう事だろう。こんな子供が生前なにかしらの罪を犯すとは思えない。悪霊は下に溶けて行き、普通の幽霊は上に光と共に消えて行く。
「何をしたの」
「悪いことだってば」
「どんな悪い事をしたの」
「僕たちは悪い子なんだ」
話は堂々巡りを繰り返すばかりだった。彼はぐいぐいと引っ張って僕を下へ降りて行く。やっぱりおかしい。一階に着いたのに、まだ階段はどこまでも続いていた。僕はもう一度、足を抵抗するように止めさせる。
「悪い事をしたなら、謝りに行こうよ」
「無理だよ、もう出来ない」
「どうして」
「それにチャンスならもう貰ったんだ。こうやって皐月を迎えにこれた。あの人のおかげ」
さっきから、あの方、や、あの人、という。いったい、誰なんだろう。
「あの人って、誰」
「下で待ってる、さ、つ、」
彼は急に苦しそうに言葉を詰まらせると、その場に蹲った。「大丈夫」彼に声を掛けて近付くと、急に手が伸びて来て、首を絞められた。子供と思えない程力強かった。苦しい。苦しい。
「この罪人めっ!罪を継ぐわず新たな生を得た、我を謀ったザイニン、メ、ユルサヌ、モウ、イッショウ、オマエヲ、ダサヌ」
「う、ぐぅ、」
呻き声を出すことしか出来ない。どうしよう。このままじゃ、僕はもう。ユウちゃん。助けて……!
その時、リン、と鈴の音が聞こえた。
「おや、おやめなさい、お前こそ、規則違反というやつではないのか」
「ナゼ、オマエがココに」
そこには、あの神社のおじさんが立っていた。僕たちの前に降り立つようと、首を絞めている子供の手を扇子で軽くパシッと叩く。うゔ、と叫びながら僕から手を離した。急に空気が入って来て苦しくなってゴホゴホと咳き込む。
「ジャマをスルナ」
「規則違反は、規則違反だ。こんな子供を使って、お前はそれ相応の罰を受ける必要があるとは思わないかい」
「ワレ、ハ、ユルサナイ。ソイツヲ、ヨコセ!」
神社のおじさんは、はあと溜息を吐くと、子供のおでこに扇子を当てて強く押した。すると小さな子供の後ろから黒いモヤのものが後ろへ抜けていくのが見えた。
「さあ、ここは私に任せてお行き。代わりにこの子供の未練を果たしてやっておくれ。そして、君の大切な友人と、束の間の平和の中で最期のひとときを過ごすと言い」
「皐月……」
子供が僕を見てそう言うのと同時に「さあ!上に行け!」と神社のおじさんが叫んだ。あの黒いモヤが僕の方を目掛けて追いかけてくる。僕は今、幽霊だった事を思い出して、子供を抱き上げて、上に上に、天井を突き抜けて飛び上がっていた。
*
「うわぁー!」
僕たちが三階に着いたのと同時に、踊り場へ転がり落ちてしまう。子供はなんとか庇いきれた。
「皐月、大丈夫」
「大丈夫だよ。お兄ちゃん」
本当は一回転したせいで背中と肘が痛いのだが、そう言った。
「お兄ちゃん?」
キョトンとした夕陽くんの声が聞こえた。後ろを見ると夕陽くんと、ユウちゃんが心配そうに僕を見ていた。
「紬凪、どこにいたの。何があったの、平気」
「それがね――」
僕はさっきまでの出来事を話した。この隣にいる子供の幽霊に連れられてひたすら階段を降りていたこと。危ない目に遭った時に、神社のおじさんが助けてくれたこと、逃げるように戻って来たこと。どうやら僕は曲がり角で姿を消していたらしい。
「おじさんが、この子の未練を果たしてやってくれって、あと、束の間の平和の中で最期のひとときを過ごすと良いって言ってたよ」
ユウちゃんは落ち込んだ様子で「守れなかった」と呟いた。
「ユウちゃん?」
「僕が紬凪のヒーローなのに、守れなかった!」
「ユウちゃん、泣いてるの?」
ユウちゃんの声が震えていた。そんな事ないのに。
「ユウちゃん、ユウちゃんは僕のヒーローだよ。ユウちゃんがいてくれて、僕を守ってくれて、友達になってくれたから、今の僕は笑って生きられるんだよ。ユウちゃん、いつも助けてくれてありがとう」
僕はユウちゃんを抱きしめながら言うと、ユウちゃんは返事をしない代わりに僕のことをギュッと抱きしめて、肩を揺らして泣いていた。
「ユウちゃん、泣いてんの?」
夕陽くんが僕にそう聞く。頷くと、夕陽くんが僕ごと、ユウちゃんを抱きしめていた。と言っても夕陽くんにはユウちゃんの姿は見えないので、大体の位置で抱きしめているらしく、ユウちゃんは苦しそうにしていた。
「くーるーしーいー!」
「夕陽くん、ユウちゃん苦しいって」
「なんだと!?」
後ろで服を引っ張られる感覚になる。あの幽霊の子供がいてユウちゃんに向かって「僕の弟を返して」と言った。
「オレの友達!」
ユウちゃんはムキになって言い返す。夕陽くんがスマホの待ち受け画面を見せて来た。
「ていうか、時間やばくね」
時間は待ち合わせ時間の五分前を指していた。や、やばい、せっかく皆んなが用意してくれたのに、間に合わなくなっちゃう。
「お兄ちゃん、僕、行かないと行けなくて、と、とりあえず、一緒に行こう!」
僕は彼をもう一回抱き抱えると教室まで全力でダッシュした。
控室という名の僕らの荷物が置かれた予備教室に入る。そこにはメイク道具を広げて、手を振っている茶津目くんがいた。
「ご、ごめ、お待たせ、」
「時間ピッタリだよ。お水飲んで落ち着いてから始めよ。あら、夕陽も来たのガードが固いな〜」
夕陽くんどころか、ユウちゃんと、子供の幽霊までいるんだけど。言われた通り、お水を飲んで、汗をハンカチで拭くと彼の前に用意されている椅子に座った。彼は僕の長い前髪を横にまとめて留める。クリームみたいなのを手に出してから、僕の顔に塗りたくっていく。
「道ノ世くんはさ、女の子の格好をしてみたかったの」
「ううん、そういう訳じゃないんだけれど」
「こんだけ可愛いんだから、似合うよね」
「おい」
夕陽くんが間に入って言う。なんだか不機嫌そうだ。
「俺もさ、メイクとかオシャレとか好きなんだよね。お姉ちゃんがスタイリストやってて、みんな魔法みたいに綺麗なっていくんだよ。それ見るのがすごく好きでさ。俺もずっと、お姉ちゃんみたいなことやってみたかったんだ」
茶津目くんは、慣れた様子で僕にメイクをしていくからてっきり慣れているのかと思っていた。
「今日のためにめっちゃ練習した!お姉ちゃんからも衣装と紬凪くんの肌の色とかからアドバイスもらって、色々研究してさ、毎日すげぇ楽しかった。やっぱり文化祭きっかけで新しいこと出来るの楽しいね」
――文化祭がキッカケで好きなこと出来る子もいても良いじゃんね。
そうか、あの言葉は、自分のメイクのことについても言ってたんだ。
「できた!めちゃくちゃ可愛いよ」
鏡を渡されて驚く。まるで別人のようだった。
「すごい、すごいよ、茶津目くん。魔法みたいだ」
茶津目くんがニコッと笑って言う。
「だろー」
「いや、可愛くすんなって言ったよな!直せ!いや今すぐに化粧を落とせ!」
「もう、他のクラスなんだからアッチ行けよー」
茶津目くんと、夕陽くんが言い争っている様子を、子供の幽霊が眺めていた。
*
体育館にあるステージと、そこから真っ直ぐ伸びる緑のランウェイ。会場ではドッと笑いが起こって、司会者の人もどうやら笑い過ぎて言葉が話せないらしい。僕の緊張はどんどん上がっていく。
大丈夫、美山さんがまとめてくれて、茶津目くんがメイクをしてくれて、物書さんが小説を書いてくれて、糸維さんがデザインしてくれた衣装がある。僕もこの日のために頑張って来た。そして、クラスの皆んなが応援してくれている。
大丈夫、大丈夫。
「紬凪、だいじょーぶ」
ユウちゃんが僕の手を握ってくれた。元気が湧いてくる。彼の顔を見て頷くと、ちょうどドラムロールが鳴る。
「はあ、笑った。では続いては、二年二組、紬凪さんの登場です。テーマは「女として育てられた皇子ですが、国のために戦います」だそうで、またこれは、壮大そうで期待できますね、では、登場してもらいましょう!どうぞ!」
コツ、コツ、とゆっくりとハイヒールを鳴らして歩いて行く。ハイヒールを履いて歩くのだって練習した。真ん中で右足を少し手前に出し手は腰に添えて、ポーズを決めて微笑む。
僕の髪は金髪のウィッグを付けていてるが、夕陽くんがうるさかったから前髪は右から耳にかけて、何本か目に掛かっていて、大きな宝石風の髪飾りが、星座のように散らばっている。糸維さんのデザインから、みんなで協力して作ってくれたものだ。上から下まで長い西洋風の模様があるワンピースぽい服になっているが、胸から下はテーマに合わせて戦いやすいようにソリッドが入っている。中は夕陽くんがうるさかったのでズボンを入っているが、このズボンのおかげで腰から下がふんわり膨らんで見えて、可愛らしいフォルムとなっていた。
こんだけ凝って作ってくれたのだ。僕としてはかなり自信がある。しかし、予想と反して僕が真ん中に立って微笑むと、さっきまで盛り上がっていた会場がシーンと沈黙に包まれた。
え、えぇ、なんで!?
いや、ダメだ。オドオドしてしまったら皆んなが協力してくれたことがダメになっちゃう。僕はもう一度笑顔を作ると、手を振りながらゆっくり歩いていく。物書さんが言っていたのは「いい?主人公は高貴な皇子様なの。ランウェイは民衆が、普段見られない姿をありがたく拝める場所なの。微笑みながら、見下して」
難しかったけれど、とりあえず笑って手を振る。元々人前に出る事が苦手だったからか、誰かと目が合いそうになると、すぐ逸らしてしまった。僕は観客にいた男子生徒達が顔を真っ赤にして、その様子を眺めていたのにも気付かず、ランウェイを歩き終わるとステージまで戻って行った。
司会者の隣に立つが、何も言ってくれない。疑問に思って彼の顔を覗き込むと「あ、え」と狼狽えたようにしていた。やっぱり幽霊が見えるという噂から、怖いのだろうか。その時、誰かがステージ上に上がり、司会者からマイクを奪った。夕陽くんだった。僕の肩を抱き横に立つ。
「おい、いつまでステージに立たせる気だ。早く終わらせろ」そういうと司会者にマイクを返した。夕陽くんが現れたことによって正気を取り戻したようで、司会者が進行を進める。
「あ、あぁ失礼しました。その、改めてクラスとお名前、コンセプトについて教えてください」
「はい、僕は……「貸せ」
横からマイクを奪われた。
「二年二組の道ノ世紬凪だ。コンセプトは物書が書いた小説から来ている。二年二組の喫茶店で売ってるから知りたいやつはそれを読め」
司会者は「なぜ、貴女が答えるんですか」と不機嫌そうに言うが、譲らない様子で「うるさい。受け答えは全部俺がやる」と答えた。さっきまでシンと静まり返っていた会場がブーイングに包まれる。
「部外者はお帰りください。では、質問コーナーという事で、私から一つ。その、恋人とか、す、好きな方はいますか?」
「俺だ」
「貴女には聞いてません!」
「いいか、会場にいるコイツにちょっとでも可愛いとか思った奴ら、耳の穴をかっぽじってよく聞け!コイツが好きなのは俺だ!お前らにはちっとも興味がねぇ!分かったならスリットの隙間を必死に覗き込もうとするな、特にお前!」
ビシッと夕陽くんが指差した方向にいた男の子が気まずそうにしていた。
「もう、夕陽くん。邪魔しないで」
僕がそう言うと、会場が賛同するように湧いた。可愛いーとか、いいぞー!とか、色々と聞こえてくると嬉しくなって笑ってしまう。
「おい、もういいだろ!終わりか!?」
司会者の人が慌てた様子で「では、最後に何か伝えたい事はありますか」と言った。また勝手に話しそうな夕陽くんのマイクを奪うと、僕は緊張を抑えて言う。
「まず、今回のコンテストに協力してくれたクラスの皆んなにお礼を言いたいと思います。まとめてくれた美山さん、物語を作ってくれた物書さん、衣装をデザインしてくれた糸維さん、メイクをしてくれた茶津目くん、そして、応援と協力をしてくれたクラスの皆んな、ありがとうございます!」
応援しに来てくれたクラスメイト達が沸き立つ。
「最後に宣伝しまーす!「音楽たのしもう同好会」設立のメンバーを募集しています。ぜひ、放課後音楽室に遊びに来てくださーい!」
わぁぁあ!という歓声の中で、僕の出番は終わった。
舞台袖にはけると「紬凪ぃー!」と声が聞こえた。
「ユウちゃん!」
向こうから僕の胸に飛び込んできた、僕も強く抱きしめる。
「よく頑張ったね、紬凪!」
「いた!日色!」
声の方を見ると、夕陽くんのクラスTシャツを着た生徒が何人も僕の隣にいた彼のことを指差していた。
「お前!準備もろくにしないし、当日もフラフラと、いい加減にしろ!残りの時間キッチリ働いてもらうからな!」
夕陽くんは羽交締めにされて、文句を言いながら連れて行かれた。そういえば彼は、ずっと僕のクラスにいた。ユウちゃんと顔を見合わせると、肩をすくめて笑い合った。
「……皐月」
そうだ、解決していない問題がまだあった。
「なあに、お兄ちゃん」
「悪い子は、お兄ちゃんだけだったね」
僕はしゃがんで、彼と目を合わせる。
「なんで?」
「兄ちゃん、皐月の好きなこと止めろって言ったから。そうするのが正しいと思ったんだ。皐月を良い子にしないと、お父さんもお母さんも怒るから、そうしなきゃって」
「皐月くん……」
皐月くんは僕の目の前で、大人の姿な変わって行く。
「そうだ、皐月は俺にも自由に生きれば良いって家を飛び出して行ってしまって、それっきり帰って来なかった。俺はそのまま病気になってしまったけれど、最期まであの子の事が気掛かりだった。家にいる時、皐月はずっと苦しそうだった。……皐月、間違えていたのは兄ちゃんだった。両親のことを気にすることなく、皐月の好きなことをいいねと言えていたら、皐月にあんな顔させなくて済んだのだろうか」
「オレの兄ちゃんはね」
ユウちゃんは彼の前に立つ。
「君とは逆で、全部オレのすること良いよって言ってくれたけど、ダメな時はダメって言うよ」
……やっぱり、ユウちゃんは。
「君も、オレの兄ちゃんと同じで、弟のこと大切だったんだよね。ダメって言われたらムカつくって思うことあったけど、ちゃんと分かってるよ」
彼はユウちゃんの顔を見つめて驚いたような顔をしている。
「大切にしてくれてるって分かってるよ。だから、お兄ちゃんに「自由に生きれば良い」って言ったんだと思う。大切な人だから」
その場に崩れ落ちると、彼はボロボロと涙を流した。「ありがとう、ありがとう」と言いながら、ユウちゃんの顔を真っ直ぐと見た。きっと彼の目には、皐月くんとのたくさんの想い出が見えているのだろう。そこには辛い顔した皐月くんだけじゃなくて、彼と笑っている皐月くんがいたはずだ。
しばらくすると、彼は光の粒をまとって空へ消えて行った。
「ねぇ、ユウちゃん」
「……」
「ユウちゃん、君は陽太くんなの」
「……兄ちゃんには、内緒にしてて」
ユウちゃんは後ろを向いたままそう言った。
****
文化祭の熱気も冷めた翌週。夕陽の機嫌は最高に悪かった。あの幽霊になると言った男が彼の前に現れる前は、集まって来るは女ばかりだったが、今はどうだ。
「おい、あの子を紹介してくれ!」「三組のやつら、会わせようとしてくれないんだ」「あの部活はどうやったら入れる!」
右も左も野郎ばかり。しかも目当てはアイツときた。
「だーかーらー、いい加減にしろテメェーら!アイツが好きなのは俺だって言ってんだろ!」
「性格は俺の方がいい、勝てる」
血管がぶちギレる音がする。どいつも、こいつも、ふざけんな!追手を撒きながら、放課後、音楽室に行くと、あのムカつく先生と二人でピアノを練習していた。今度は両手でキラキラ星を弾く練習を始めたらしい。にしても近い。
「おい、ふざけんな」
紬凪ごとピアノの椅子を動かして引き離す。それを見ていた教師がため息をつきた。
「お前な、もう少し素直にならないと横から取られるぞ」
「うるせぇな」
「もう夕陽くん、邪魔しないでよ」
「元はというと、お前がだな!」
教室のドアの方でドタバタと音がする。勢いよく開くと、何人もの生徒が我先にと入ろうとしてきている。
「音楽たのしもう同好会に入部します!」「おれが!」「いや、俺が!」
コンクールの宣伝効果は絶大だったらしく、こうやって馬鹿みたいに盛った奴らがコイツと仲良くなろうと必死で詰め寄って来た。
「いい加減にしろ!テメェら!全員却下だ。んな下心丸出しの奴、ウチの部活にはいらねぇ!」
「お前に言われたくない!」
声を揃えて反論してくる姿にヒクヒクと顔を引き攣らせる。どいつもコイツも、腹が立つ奴らばかりだ。
「はいはい、今日のところはとりあえず退散しろ。部活の申請は後で考えるように。今日はもう音楽室閉めるぞー」
まさに鶴の声というように先生がそう声をかけると、皆んな名残惜しそうに紬凪の顔を見て解散して行った。職員室に音楽室の鍵を返すと「紬凪」と声を掛ける奴がいた。オールバックに丸眼鏡が特徴の藤次。コイツは紬凪の友人なので安全だ。ムカつく時もあるが。
「美術部がメインで、あまりそちらに顔を出せないが、俺も音楽たのしもう同好会とやらに入ろうと思う。部長から兼部しても構わないと許可をもらった」
「いいの!?」
申請書に名前を書いた紙を渡してくる。なるほど、これで変に盛った奴らを入部させなくても、これで紬凪と、コイツと俺で三人。同好会が無事に設立できることとなった。
「ありがとう藤次くん。これであと一人だよ」
紬凪から言うのを待っていたが、どうやら俺が入るとは全く思っていないらしく、誘われる事はなかった。が、今は自然な流れで言うチャンスなのかもしれない。
「おい……」
「あぁ、いたいた、紬凪くん」
「茶津目くん、どうしたの」
「俺も音楽たのしもう同好会に入れてよ」
「はあ?」
まさかの第三からの刺客に驚く。なんでコイツが出てくんだよ。
「俺、ピアノよりメイクの練習したいんだけど良いかな」
「良いよ」
「いや、良くねぇだろ。ダメだ。却下だ。んなの認められねぇ」
紬凪は不満そうに、俺のことを睨みつける。全く怖くない。むしろ可愛らしい。
「もう、最近ずっと夕陽くんが勝手に決めちゃう。部長は僕なんだからね、茶津目くんの入部を許可します」
「はあああ!?」
じゃあ俺はどうなるんだ!
「おい、もっと素直になったらどうだ後悔するぞ」
肩をポンっと叩きながら、言われる。すると、もう片方から手が伸びてきてポンッと肩を叩かれて、今度は茶津目言った。
「俺、頑張るから。奪われないように気をつけてね」
「はあああ!?」
後ろから紙屑が飛んできた。多分、ユウちゃんが俺を咎めて投げて来たのだろう。
何もかもが納得いかない。納得、いかない!
