ありがとう、ごめんね、だいすきだよ

 桜介先輩の事件から数日が経った。僕はというと、相変わらず長い前髪で目を隠した地味な姿で、教室の端っこで一人寂しく座っている。もちろん隣にはユウちゃんがいるけれど、教室では喋れないから寂しい。でも一つだけ、変わったことがある。放課後、第二音楽室に向かうと「おう来たか」とピアノの前に座って手をあげる先生がいた。
「先生、早いですね」
「あぁ、まあ元々日課みたいなもんだったしな」
 先生はサッカー部の副顧問だ。部活が始まるまでの時間に、ここに来てピアノを弾いていたらしい。どうやら部活開始直後は、生徒主体で行う準備体操らしく、先生達が集まるのはその後らしい。だから時間に余裕があるんだ。と教えてくれた。先生は僕に楽譜を渡してくれた。幼い文字で色々と書き込まれた、桜介先輩と楓先生が二人で使っていたものらしい。
「鍵盤の位置も覚えてきたからな。まずは簡単な曲から始めよう」
 鍵盤に手を置いたのと同時に、教室のドアが勢いよく開いた。不機嫌そうに眉を寄せた夕陽くんだった。ずんずんとこちらに歩いて来て、そのまま僕を後ろから抱きしめると、同じ椅子に無理矢理座ろうとしてくる。
「日色、邪魔だからあっちに座りなさい」
「うるせぇな。体育教師なんだから、アンタがあっちに行け」
「先生には敬語を使わないとダメだよ」
「大体、お前のせいだろ!」
 はて、と思い首を傾げると、頬を思いっきりつねられた。「痛いよ」と言うと満足したように笑う。
「いいか、俺はオマエらのせいで、女が捕まんなくなったんだ!なんだよ、ユウって女に憑かれてるって!幽霊なんて信じねぇって言ってた奴らが、何で俺が女に憑かれてるって話は簡単に信じんだよ!」
「まあ、説得力があるからな。」
 最近、夕陽くんにはある噂が流れている。どうやら彼は、ユウという捨てた女の生霊に取り憑かれているらしいという噂だ。取っ替え引っ替えしていた夕陽くんは、その見た目からの女の子からの人気は凄いが同時に恨みもかなり集めていたらしい。それが先日の二人からどんどん話が広がって行き、勝手に女の子が寄って来る状態だったのに、ついに誰にも話しかけられなくなったらしい。
「マジダリィわ」
 僕の肩に頭をグリグリと擦り付けながら言っている。彼には悪いけれど、僕は嬉しくなってしまう。
「ていうことは、こういうことするの、今は僕だけなの?」
「調子に乗んなよ。女がいねぇから会ってやってるだけだからな」
 そう言うとお腹をつねって来た。信じられないほど痛い。
「道ノ世、もっと誠実なやつの方が良いんじゃないのか。ウチのサッカー部には真面目な良い奴がいっぱいいるぞ」
「先生のくせに何言ってんだ」
「はい。確かに夕陽くんはダメなところいっぱいですが」
「おい」
「僕は夕陽くんが、大好きなんです」
 僕がそう言うと、夕肩に頭を埋めたまま何も言わなかったけれど、先生は夕陽くんの頭を「よかったな」と言いながら撫でていた。

「ド、ド、ソ、ソ」
「そう上手だ」
 口ずさみながら、五本指を広げて弾いていく。
 桜介先輩が密かに設立したという部「音楽たのしもう同窓会」は、確かに実在したらしい。学校の部活動が記された古い資料の中に、わずか数ヶ月だけ設立された同好会として残っていた。先生は知らなかったようで「知ってたら、入ったんだけどな」と言っていた。その活動を引き継ぎ、僕はこうやって先生にピアノを教わっている。桜介先輩の大切なものを知りたかったのだ。
「よし、じゃあとは自主練頑張れよ。俺は時間だから先に出るけど鍵はちゃんと返すこと。あぁそれと、はい。申請書」
「ありがとうございます」
 それは新規部活設立届と書かれた紙で、しっかりと部活動として音楽たのしもう同窓会を設立しようと思ってもらったのだ。後ろから「なにそれ」と聞こえてきた。
「同好会ちゃんと作ろうと思って、先生からもらったんだよ」
「ふうん」
「新規設立って形は嫌だから、部活を復活って形にしようと思うんだ。部長は僕で、副部長はユウちゃん」
先生が帰ったからか、大人しくしていたユウちゃんはピアノをデタラメに弾く。最後に左から右に流れるように弾くと、決まったと言いたげに手を高く上げてポーズを決めた。
「いや、ユウちゃんは無理だろ。だってユウちゃんオバケじゃん」
「でもなっちゃえば良いよ」
「いやいや、ここの欄どうすんだよ」
 夕陽くんが指差すのは副部長の欄だった。
「空欄で出して、本当はユウちゃんって形にするつもり」
「いや、そもそもおかしいだろ。副部長の欄は空欄で、部長、平部員ってなんだよ」
「え?ユウちゃんはオバケだから、部員の欄には書けないでしょ」
「…………嘘だろ。最近、ほぼ毎日会ってんだぞ……これ俺から言うのか、それは違うだろう……あのさ、……なんか、俺に言うことないの」
 ボソボソと信じられないと言いたげな様子で、彼は質問してきた。言いたいこと?全く何も思い当たらない。強いて言うなら……
「好きです」
「そんなことは、分かってんだよ!」
「オレが副ぶちょー!」
 ユウちゃんがまた、デタラメにピアノを弾く。さすがにうるさいかも。
「ユウちゃん、ちょっと静かに――「うるさいぞ!!!!」
 音楽室のドアをガラッと開けて、大きな声で怒鳴り込むツナギ姿の男が立っていた。オールバックで髪の毛を後ろへカッチリとワックスでまとめていて、丸い眼鏡をかけている。そのツナギはベットりとカラフルな絵の具が付いていて手には筆を持っている。この間ぶつかった美術部の子だった。彼は苛立ったように、ドスドスと足音を立てながら僕らの方へ歩いて来る。
「うるさい、うるさい、うるさーい!この前から我慢の限界だ、こっちはコンクール前なんだぞ!!イチャイチャするなら家でしろ!!どうせキャッキャッしながらピアノを適当に弾いて、へたくそぉ〜いや〜んとか、馬鹿みたいに騒いでんだろ!!お前らの情事に人を巻き込むなあ!!」
 ぜぃ、はぁ、と息を荒くして僕に指差しながら言い切った。
「ごめんなさ……「お前、気持ち悪いな、なにその妄想」
「な!ん!だ!とぉ!だいたい、この間からどうしてこの場所に入り浸るんだ」
「僕、音楽たのしもう同窓会っていう昔あった部活をここでやるんです。美術部はお隣ですね、今後ともよろしくお願いします」
 深くお辞儀をすると、彼は間髪を入れずに怒鳴り込む。
「するわけないだろう!なんだそのふざけた部活!俺はそんなの、一切、認めないからな!だいたい、お前らが入り浸るから、桜介先輩が全然現れなくなったでないか!」
 桜介先輩?もしかして、彼も……。
「桜介先輩が見えていたんですか」
「何を言っている、ピアノの話だ」
「ピアノ?」
「あの低音のリズムのことだ」
 夕陽くんは僕と顔を見合わせると、言い辛そうに言った。
「あー、もう成仏したんだよ。だから、もうここには来ない」
「な、なんだと、適当なことを……いや、元々そんな非科学的な物に頼ろうとした俺が馬鹿だったな……」
 彼はさっきまでの威勢の良さはどこへやら、急に落ち込んだように下を向いて、その場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか、僕で良かったら話を聞きますよ」
「結構……いや、やっぱり聞いてもらおう。誰かに話せば、良い方向に転がるかもしれない」
 一緒に着いて来てくれ。そう言われて僕らは、隣の美術室まで移動した。

 彼の名前は藤次礼央(ふじつぐれお)と言うらしい。同じ学年らしく、敬語はいらないと言われた。美術部の教室をガラッと開けると、何人かはこちらを見てお辞儀をし、何人かは絵に向かったままだった。そのまま歩いて行くと、彼が描いているという大きな絵の前まで来る。そこには禍々しさを感じる暗い色調で、大きな丸が描かれていた。
「どうだ」
「……僕、その、アートには詳しくなくて、「訳わかんねぇ絵だな」
 なんて言おうか言葉を探している僕に、横から夕陽くんは言った。
「お前達に分かってもらおうとは思っていない。俺だって手探りでやってるんだ。コンクールのテーマが「青春のパッション」なんだ」
「青春のパッション?」
 僕たちは二人で聞き返す。これは、青春のパッションと言えるのか。なんというか、青春さはないしパッションというよりかは、闇って感じがする。
「クソっ!青春ってなんだ!パッションってなんだ!全く分からない……!」
 彼は頭を抱えながら言った。青春、パッション……情熱ってことだよね。僕は青春という高校生活とは無縁だったから、アドバイス出来るようなものは何もなかった。きっと僕よりも夕陽くんの方が詳しいかも。期待を込めて隣にいる夕陽くんを見と、興味なさそうに欠伸をしていた。
「僕、友達もいなかったし、青春って言われると分からなくて、えぇと何をイメージして描いたの?」
「桜介先輩のピアノからインスピレーションを受けた」
 なるほど、言われてみると確かにそうかもしれない。
「はあ、もう終わりだ。あと二日しかないのに、この絵は完成しない。桜介先輩のピアノがもう聴けないなら、コンクールは終わりだ」
「いや聴いたとて、これじゃ無理だろ。青春もパッションもねぇーじゃん」
「ここの青と赤が、青春の、パッションだ!」
 青と赤?確かによくみると細く青と赤の線が描かれていた。アートに疎い僕は、この絵がどうなれば完成になるのか分からない。もう完成しているように見えるし、完成していないように見える。例えば人の絵で、顔の輪郭しか描かれていない、とかだったら途中なんだなって分かるけれど、この絵に関しては分からない。
「どうしたら完成するの?」
「え」
「あと何を描けば完成するの?」
「……うるさい」
「え?」
「うるさい!うるさい!あぁ、やっぱり相談するんじゃなかった!もう帰ってくれ、そして二度とデタラメなピアノを弾いて俺の邪魔するなっ!」
 彼は顔をますます真っ赤にして怒った。「もう帰ろうぜ」と夕陽くんは呑気に言う。でも、僕だって引けない。
「何も分からないのに、失礼なこと言ってごめんなさい。……でも、僕も引けないんだ。どうしても、あの部活をやりたいんだよ」
「そんなの認めないって言っているだろう!大体、遊びたいだけなら、わざわざ部活を作らなくても、どこへでも行けば良い!」
「僕は、音楽たのしもう部が良いの、あの場所で、ピアノの楽しさを知っていきたいんだ」
「イチャイチャしているだけの癖に、何を言う!」
「イチャイチャしてない!夕陽くんは、寂しがり屋だから引っ付いてくるだけ!ユウちゃんと一緒!」
「おい、何勝手に寂しがり屋にしてんだよ」
 彼の勢いに乗ってしまい、ついつい僕も大きな声になっていく。
「ユウちゃんだと!?急に知らない奴の名前を出すな……あぁ、日色に憑いてるとかいう女の霊か、はっ馬鹿馬鹿しい幽霊なんている訳ないだろ」
「いるに決まってるでしょ、まさに今、ユウちゃんが僕の隣にいる」
「なに頭のおかしいことを言ってるんだ、俺は目で見た物しか信じない」
「そんなこと言ってるから、青春も、パッションも分からないんだよ!」
「な、なんだと!?」
 彼はヒクヒクと頬を引き攣らせて僕の方を見る。
「良いだろう、幽霊が見えると言うなら俺の願いを聞いたら部活動でも何でも認めてやる!第一校舎三階の踊り場に飾られている、絵の中にいる女性に話を聞いてこい。幽霊が見えると言うなら出来るはずだ」
 僕が「分かった、話してくる!」と勢いよく返事をすると、夕陽くんは「なんで俺の願いじゃなくて、ソイツの言うこと聞いてんだよ」とつぶやいていた。



 とりあえず今日はもう遅いので、僕たちは帰ることにした。幽霊関連ならともかく、絵の中にいる女性の話を聞くとなると、どうすれば良いんだろう。
「どうしたら良いんだろうね」
「んー、友達なればいーんじゃない」
「絵の中にいる女性と?どうやって」
「ちがう、ちがう、あのメガネ」
 ユウちゃんは手で丸を作って眼鏡の形を作る。きっと藤次君のことを言っているのだろう。
「えぇ、友達なんて無理だよ。僕嫌われちゃってるし……幽霊見えるとも言っちゃったし」
 彼は幽霊を信じていないようだから、それ以上は追求してこなかったけど、頭がおかしいとは言われてしまった。今までだってそうだったんだ。友達なんて無理だ。
「友達になれって?アイツと、無理だね。あんな堅物と仲良くなっても息が詰まるだけだ」
 堅物か、藤次くんの姿を思い出してみる。ツナギも一番上までチャックを閉めていたし、髪もキッチリしていて真面目そうな印象だった。そんな彼が絵の女性に話を聞いてこいってどういう事だろう。何を話せばいいんだろう。
 
 そのとき強い風が吹いて僕らの髪を乱した。立ち止まって髪を整えると、ちょうどあの神社の前に立っていた。
「紬凪、お札買ってきて」
 何でだろう。僕が不思議に思ったことが分かったのか、ユウちゃんは続けて「いいから。紬凪、一人で行ってきて」と言った。
「僕一人で?」
「オレ、ユーニャ!の続きみたいから、先に二人で帰る。紬凪は後から来て」
 真剣な様子で言っていたと思っていたのに、まさかの理由にちょっと拍子抜けしてしまう。夕陽くんの方を向くと、彼はもうユウちゃんが何を言っているのか分かっているようだった。
「僕、神社でお札を買わないといけないんだけれど、ユウちゃんは、ユーニャ!の続きが見たいらしくて、この後、お邪魔しても良いかな?」
「あぁ、ユウちゃんと先に帰ればいいんだろ」
 お互いに見えていないはずなのに、二人は同時に歩き出して行った。そんな彼らに手を振ると、僕は鳥居をくぐり神社の階段を上っていく。社務所に着くと、奥から「おや、いらっしゃい」と優しい顔した、神社のおじさんが出てきた。
「こんにちは、お札をください」
「はいよ」
 彼は横に置いてあった筆を取ると、何枚かの紙にすらすらと文字を書いていき、あっという間にお札を作り上げた。
「ドアと窓のところに貼るといいよ」
「ありがとうございます。」
 折れないように慎重にカバンの中に入れる。
「そうだ、はいこれオマケ。皆んなで仲良く食べると良いよ」
 渡されたのは落雁だった。ちょうど三つある。あれ、どうして三つあるんだろう。ユウちゃんと二人で神社にはよく来ていたけれど、夕陽くんと三人でいるところをこの人に見せたことはあったっけ。疑問に思いながら僕はお礼を言う。
「ありがとうございます」
「そうだ、坊やは変わりないかい」
 ユウちゃんのことだ。
「はい、今日は先に帰っちゃたんですけれど、元気ですよ」
「そうだね。早く還った方がいいね」

ありがとうございました。とお辞儀をして神社の階段を降りて行く。ユウちゃんは、きっとこのお菓子を大喜びで食べるだろう。夕陽くんは、ユウちゃんにあげてしまうかもしれない。いいよと言っても、ユウちゃんは子供だからと言って彼は渡してしまうのだ。何故か夕陽くんは、ユウちゃんに、いや小さな子供に甘いらしい。

 僕が夕陽くんの家に着くと、ユウちゃんは相変わらずテレビを見ながら大はしゃぎをしていて、夕陽くんは後ろでベッドに横になりながら、テレビを見ているのか、ユウちゃんによって動く物を見ているのか分からなかった。



 翌日、さっそく僕らは第一校舎三階にある絵の前に来た。第二校舎とは違いメイン校舎になるから、全体的に新しく綺麗で幽霊が出そうな気配はない。この絵がある場所も至って普通で、この絵だってよく見る物だった。
 とても細かく色々なものが描かれている絵。風景画のようで森の中にチラホラ建物がある。よく見ると人がいて、中央にいる制服を着た女性だけこちらを向いている。作者「古谷礼子」タイトルは「想い出の場所」と額縁に彫られていた。
「この真ん中の女性に話を聞けばいいんだよね……夕陽くん?どうしたの」
 夕陽くんは、顔を真っ青にしてその絵を見ていた。こんな表情は初めて見たのかもしれない。
「……いや、なんでもない」
「体調悪そうだよ。保健室に――」
 うわっ、と小さく声をもらす。急に後ろへ引っ張られたからバランスを崩してしまった。夕陽くんは僕を抱きしめると心臓の位置に手を置き、いつものように動くのを確認していた。ドク、ドクと鳴る音を聞いている。これはイチャイチャしたい訳ではなく、不安だからしているのだと思う。さすがの僕も、彼は過去に何かあったのかも知れないという事に気付いていた。
「……ここ多分、近くの観光地にあるプラネタリウムだ。山の上に展望台がある古い建物で、未だにユーニャ!のキャラクター達が星について解説してる」
「あぁ、聞いたことあるかも」
 心臓の音を聞いて少し落ち着きを取り戻したのか、夕陽くんは教えてくれた。小学生の頃、夏休みの間に近くのプラネタリウムに行ったという話が教室のあっちこっちで聞こえてきた。僕はそれを盗み聞きして、どんなプラネタリウムなんだろうと考えていたのを思い出す。
「オレ、ここ行きたい!」
「じゃ今度のお休みに行こうか」
「ダメだ!」
「……夕陽くん?」
 僕を抱きしめている力を更に強くしながら、彼は叫ぶように言った。様子がやっぱりおかしい。
「ダメだ。あんな山道、通っちゃダメだ」
「夕陽くん……」
 彼は体を震わせている。とりあえず、ここから離れた方がいいのかもしれない。
「夕陽くん、大丈夫だよ。とりあえず、移動しよう」
「……ユウちゃーん、チョープ!」
「え?」
 風を切る音と共に、後ろで夕陽くんに強い衝撃が来たのが分かる。「うぅ」という呻き声と一緒に、夕陽くんが力無く僕の方へ倒れ込んでくる。
「ちょ、ユウちゃんなにやったの!?夕陽くん、平気!?」
「ふぅ〜特別な力を使っちまったぜ」
「ダメだよ!夕陽くん、夕陽くん!?ちょ、ユウちゃん、どうするの」
「……しばらくしたら目が覚めるよ。平気。保健室に運んであげて」
 ユウちゃんに言われた通り、僕は夕陽くんの重たい体を引きずって保健室まで連れて行った。先生は優しく彼をベッドまで運んでくれた。しばらく眠っている様子を見てから、また後で迎えに来ますと言って保健室から出る。ユウちゃんは紙とペンを取り出すと「ごめんね」と汚い字で書いて、夕陽くんの上に乗せた。

「もう、ユウちゃんどうして、あんなことしたの」
「だって、しんどそうだったから」
「叩いた方が、しんどいでしょ。手紙だけじゃなくて、ちゃんと後で一緒に謝ろうね」
「……うん」
 僕たちはもう一度、あの絵の前にやって来た。どうすれば良いのか全く分からず首を傾げながら、ひたすらジッと眺めると真ん中にいる女性が、まばたきをした気がした。落ち込んでいたユウちゃんが、僕の前に庇うよう出て来る。
「ユウちゃん?」
 返事をせずに、ずっと警戒するように絵を見ている。僕も一緒に見ていると、その絵の女性がニヤリと笑い始めた。
「驚いた。君たちは私のことが見えるのかい」
 その女性の頬からキャンバスがぷっくりと膨れ上がっていくと、大きな塊が絵から弾けるように飛び出して来た。彼女の顔だけが大きく飛び出していて、体は小さいまま絵画の中にある。僕のおでことくっついてしまいそうなくらい近くで、目をギョロッと動かすと僕を見つめて来た。
「初めまして、あの、お話ししたいことがあるんですけれど」
 僕がそういうと、彼女は目を驚いたようにパチパチと目を何度も瞬かせた。
「驚いた。君は驚きもしないんだね。こっちに慣れすぎている」
 ユウちゃんが僕と彼女の間に入って、また「なに?」と聞いた。
「なんでもないさ。何かあるのは君達だろう。私のことを、さっきからジッと見ている」
「あの、僕たち知り合いに頼まれて貴方の話を聞きにしました」
「私のかい?どんな話をお望みかい」
「……分かりません。とにかく貴方、この絵の中にいる女性の話を聞いてこいって言われたんです。丸い眼鏡をかけた美術部の子に」
 彼女は何かを納得するように、「あぁ、なるほど」と呟くと、ぷっと吹き出して大きな声で笑い始めた。
「アハハ!そうか、そうか、悪いけれどそれは無理だね。絵は絵さ、私の知る限り彼女と話す手段はない」
 今度は紬凪が疑問に思う番だった。だって、今こうやって話しているのに、どうしてそんなことを言うんだろう。
「紬凪、違うよ。この人、あの女性じゃない」
「どういうこと?」
「私は、この絵に取り憑いている、しがない幽霊さ。男のね」
 ウィンクをして手を胸に当てて彼女、いや、彼はそう言った。見た目も、声も、全部女の人なのに、彼?驚きのあまり思わず叫んでしまいそうになったが、その前にユウちゃんが僕の口に手を置いて阻止してくれた。危ない。こんな所で一人で叫んだら、また変な目で見られるところだった。
「絵に憑りつくなんて出来るの?」
「やっているじゃないか。それで丸い眼鏡がよく似合っている、オールバックで制服をカッチリと着こなした子だろう?彼はよくこの絵を見に来るよ」
「そうです、彼に言われて来ました」
「ふむ、なおさら話すことはないな。彼は私の観客、いる場所が違うんだ。そもそも彼女じゃないし、私と彼は話すことは出来ない」
 困る。それは、とても困る。このままだと部を認めてもらうことはできない。
「どうにかなりませんか?」
「ふむ。では、代わりにこの絵の中に案内しよう」
 彼はまるで劇場に立っているかのように、胸に手を当て、もう片方の手はビシッと上に伸ばしながら言った。
「この絵の中を?」
「ダメ」
「ユウちゃん」
「どうしてだい?さっき君は行きたいって言ってたじゃないか」
「この絵は憑りつかれているんだよ。つまり、なんでも彼の思い通りになるってこと。そんな危険な場所行かせられない」
 もし彼が悪い幽霊で僕に危害を与えようとしているなら、絵画の世界は都合の良いようだ。
「でも、ユウちゃん。悪い人には見えないよ」
「いつ悪くなるか分からないでしょ」
「まあまあ、私だって自分の残された時間くらい知っているさ。私の未練ってやつを消化させるために来てくれないか」
「未練?」
「最期の舞台の観客になって欲しい」
 彼は大袈裟にくるっと回ってみせると、口角を片方だけ悪い顔をするとニヤリと笑った。
「そうだな、さもなくば君に掛けられている呪いを私が上乗せしよう」
 僕の胸を指差すと、トントンと二回叩いた。
「僕に、呪い……?」
「あーもう、最悪!分かった、良いよ。君の話に乗ってやる」
「ユウちゃん、呪いってなに?」
「……大丈夫、オレが守るから」
「よーし!決まりだ!それじゃ早速、私の主演舞台へ行こう!」
 どういうこと、と聞く間もなく、彼は僕たちの手を掴むと一気に絵画の世界へ引きずり込んで行く。
「紬凪は、人間なんだから、この姿じゃ入れないよ!」
 ユウちゃんは叫びながら、絵にぶつかる寸前で指をパチンと弾いて僕を幽霊の姿に変えた。



 凄まじい勢いで土の地面まで落ちる。僕が尻餅をついて、その上に乗っかるようにユウちゃんが落ちて来た。彼はというと、可憐に着地しポーズを優雅に決めている。
「さあ、ここに着いたらもう私の舞台は始まりさ。観客達よ、一秒も見逃すことなかれ」
いったいどんな舞台が始まるのだろうか。僕とユウちゃんは固唾をのんだ。彼を先頭にカラフルな木々の中を歩いて行く。しばらく歩くと、大きな道についたが家がポツポツとあるだけで、他は何もなかった。
「なんか、なにもない所だね」
「当たり前じゃないか。あの絵をよく見なかったのかい。人は私を含めて六人しかいないし、てっぺんにプラネタリウム、その下には小さな本屋さんと、そこにあるお土産屋以外は、普通の家が建っているだけの場所さ」
 確かに、あの辺りは森の中にある観光地としては有名だけれど、僕たちの住んでいる所よりも田舎らしい。納得するが、そうするとますます分からない。
「ここで、いったいどんな舞台が始まるの」
「さっき言ったじゃないか。もう舞台は始まっていると」
 彼は僕の方を振り向いてニヤリと笑う。
「私の人生こそが、物語そのもの。私が歩くだけで、この世界は劇場になるのだよ」
「もうオレたち、暇じゃないんだよ。こんなんじゃ、何を観ればいいのか分かんなーい」
「まぁまぁ、そう慌てることな……おっと、さっそくいた。おーいそこの通行人A!」
 道の端で笑いながら大きく手を振っている男に、彼は声を掛ける。その人は笑顔を崩さす、全く動かないまま「おう、今日も来たか」と言った。
「では、さっそく、何か困っていることはないかい」
「はは、昨日も言ったけれど何もある訳ないじゃないか。この絵は平和だし、俺はこうやって楽しく笑っている」
「そうか、では仕方ないな」
 意外とすんなり話を終えるので、僕達は顔を見合わせた。彼の行動がさっぱりと分からない。それからも絵の住民達に次々と声をかけて行く。
「なにか、困っていることはないかい」
「代り映えのない毎日なんだ、今日もないよ」
 今度はお土産屋のおばあさんに聞く。
「なにか、困っていることはないかい」
「ないよ」
 今度は道を歩いている、親子に。
「なにか……「ないよ」
 そんな風に歩いているうちに、僕達はあっという間に頂上にあるプラネタリウムにたどり着いてしまった。「ようこそ!」という吹き出しが付いている、ペンキが剥げたユーニャ!が笑って出迎えてくれて、この絵らしく少し歪んだ可愛らしい建物だったが、ユウちゃんは中に入ると嬉しそうに、あっちこっち見て回っている。僕と彼は自然と二人きりになった。展望台がある屋上の手すりにもたれて、うなだれている彼はさっきまでの明るい様子とはかけ離れていた。
「はぁ、私は、こうダメなんだろう」
「こんな事を言うのも失礼かもしれませんが、僕にはサッパリ分からなくて」
「いや、いい。気を遣わなくても平気だ。私は君たちに何も見せられていない」
 それを聞いて安心した。藤次くんのこともそうだったけれど、芸術に疎い僕は良し悪しどころか、これがどういった舞台なのかとか、そういうところから分からなかったからだ。
「僕達にいったい何を見せてくれるつもりだったんですか」
「主人公さ」
「主人公?」
 彼は姿勢を正すと、一回転して両手を広げた。
「主人公と言うのは、かっこいいものなのさ。誰かを助け、仲間と研磨し、誰かに大きな影響を与えていくもの!いわばヒーローさ!」
「ヒーロー?オレがヒーロー!」
 さっきまで一人で館内を見て回っていたユウちゃんが、僕たちの間にひょいと現れて言う。
「ダメだ、私がヒーローだ」
「オレだってヒーローだよ」
 二人の言い争いが始まってしまいそうで、慌てて間に入る。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。それでさっき、人助けをしようとしていたのですね」
「あぁ、そうだ。しかし、この絵は平和そのもの。全く誰も助けを必要としない」
 確かに、絵の中だとそうかも知れない。うーん、どうすれば良いのか。
「じゃあ、オレと君がヒーローで、紬凪が助けを求める住民ね」
 ユウちゃんは遊びを提案するように、簡単に言ってみせた。
「でも悪者なんていないよ。この絵の中は平和そのものなんだから」
「じゃあ君、悪霊になってよ」
「嫌に決まってるだろう、あんなもの、君が成ればいいじゃないか」
「いや、二人共やめてよ。すごく怖いんだから」
 悪霊に追われた時のことを思い出してゾッとした。なにか、良い案……、そうだ。
「敵は見えなくて良いんじゃないのかな。悪霊なんだし、僕達は見えるけど、普通の人になら見えないでしょう」
 言い争っていた彼らは、僕のことを見ると二人でそろって「それだー!」と叫んだ。

 それから僕たちは街へ行き、悪霊のイメージや、どんな物語にするかを話し合いながら、お土産屋に行って洋服や木刀なんかを買い込んで、またプラネタリウムに戻ってきた。大まかな設定を練りながら舞台の構成を考えて行く。絵の物を勝手に使ってしまうのは、実際の絵が壊れたりしないのかなと疑問に思ってユウちゃんに聞いたら「この絵は憑りつかれている状態だから、彼が成仏したら全て元に戻るよ」と言っていた。衣装に使う布切れや、画用紙に描いた絵。周りに散らばるクレヨンの中で、準備に疲れてしまった僕らは三人でダイノジになって横たわる。
「はは、こんなチープな舞台をするのはいつぶりだろう」
「チープって」
 こんなに頑張って作ったのに、そんな事をいうなんて酷い。
「これでも私は、大きな舞台にも立ったことがある舞台俳優というものだったんだよ。セリフは掛け声くらいの脇役だったけどね」
 学校にいたから、僕はてっきり桜介先輩のように在学中に亡くなった人かと思っていたけれど、そうじゃないらしい。
「あの学校を卒業してから、何十年も経っていたんだ。死んだ時はもう別の場所に住んでいたのに、気付いたら不思議と青春時代を過ごしたあの学校にいた。最初はどうしてこんな場所に来たのか全く分からなかったんだが、一番最初に舞台で演じる楽しさを知った場所だったからと気付いた」
「一番最初の舞台でなにか未練があったんですか」
「いや、違う。演劇そのものに未練があったんだろうね。高校時代も主演というものに成れたことはなかったが、諦める事が出来ず、卒業してからもずっと、周りが夢を諦めても芝居を続けて来た。年を取っていくほど周りから、いい加減現実を見ろと言われたが、そう簡単に諦められずにアルバイトをしながら続けていた。そのせいかな、ある日ぽっくりと逝ってしまったよ」
「ずっと演劇が大切だったのですね」
 あれでも、ならどうしてこの絵に憑りついていたのだろうか。それこそ演劇部の活動場所とか、よく劇が発表される体育館のステージとかに行っても良いはずなのに。僕の顔見ると何かを察したように彼は言った。
「あんなに好きだったのに、演劇を見ているのが辛くなってしまってね。学校中をふらふらと歩いた後に、ちょうどあの絵を見つけてそのまま居座り続けたんだ。長い間。ずっと。何もせずに、あの真ん中にいた女の子を演じて過ごしてた。でも去年、あの子に会ったんだ」
「めがねぇ?」
 ユウちゃんが言うと彼は頷いて、話始めた。



 この絵に憑りついてどれくらいの時間が経ったのだろうか。代り映えのない毎日の繰り返しだった。にこやかに笑い、ただ真っ直ぐと前を見つめている。自分が死んだことには、とっくに気付いていた。ろくな人生ではなかった。夢を追いかけてたと言えばカッコよく聞こえるかもしれないが、親孝行さえもしてあげるやる事が出来なかった、夢を追いかけるだけで現実は見られずに、人に後ろ指をさされるような人生を歩み、気付けば死んでいて、高校生の姿に戻って、この学校に来ていた。この絵の前を通り過ぎる、若い高校生たちがまぶしく思えた。勉強を面倒だと話し、時間を気にせず自分のことに熱中する。まぶしくて居心地が悪いはずなのに、離れることは出来なかった。
 それが去年。入学したばかりの新入生なのだろう。彼はこの絵の前で立ち止まると、じっくりと観察するように眺めていた。珍しいかった。大概の生徒は気にもとめずに過ぎ去っていくのに、彼はジッとこの絵を見つめていた。
「お前は、誰だ」
 一瞬、なにかの間違えかと思った。しかし、あたりを見渡しても彼以外、誰もいなかった。彼は真っ直ぐと私の方を見つめていた。何も答えない私の答えを待つことなく、すぐにその場から去って行った。
 彼はその日から何度もやってきた。
「へたくそ。そんなんじゃ、すぐに分かる」
 ドキリとした。自分の芝居が下手なんだと言われたのだとすぐに分かった。その日も同じように、彼の周りには誰もいなかったが、彼は入部届けと書かれた紙を持っていた。枠いっぱいに綺麗な文字で「美術部」「藤次礼央」と書かれていた。
「どうして、そこに居座る」
 すっかり彼に罵られるのが慣れてきた頃だった。彼は新品のツナギを着ながら、油絵入門、デッサン基礎、デッサンのやり方、などといった指南書を何冊も持っていた。どうやら彼は美術部に入ったらしい。演劇に情熱を注いでいた若い頃を思い出した。基礎、か。ただ、振り向いて笑っている役にセリフはないのだが、私は夜になるとコッソリと、発声練習や筋トレといった基礎練を始めた。
「右に少しズレているぞ」
 美術部に入って観察力がついたのか、目ざとく私の立ち姿を注意してきた。彼のツナギは少しだけ絵の具で汚れていて、脇に本をたくさん抱えていた。元素記号、化学式、誰でも分かる物質学、などといったラインナップに変わっていた。美術をやめて勉強に専念するようになったのかと思ったが、昔、油絵をやっていた友人に()()()()()ホワイト、()()()()()レッド、といった絵の具があることを教えてもらったのを思い出した。「君の方がズレているんじゃないか」思わずそう声をかけてしまったが、絵画の世界からだと声は届くことなく、どこかへ消えて行った。しかし彼は、驚いた表情をしていた。
「俺は非化学的なものは全く信じないし、自分が見た物しか信じない。絵を描くときだってそうだ。いくら自分の好きな物を表現しろと抽象的な意味の分からないことを言われても理解が出来ない。ただ俺は、この絵みたいな風景が描きたかっただけなんだ。絵はさすがに上達してきたが、良い絵が描けているかというと……俺は絵に何を話しているんだ。」
 今日はおしゃべりのようで早口で饒舌に話している。どうやら彼も同じように悩んでいるらしい。不思議と仲間意識のようなものを彼に感じていた。
「だから、俺が言いたいのは、君が動いたのは勘違いで、動くはずがないということだ」
 まるで自分に言い聞かせるように言うから、少しからかってみたくなって親指をグッと立てて彼に見せた。すると彼は驚いたように眼鏡の奥にある小ぶりの目を大きく見開くと、頭をおさえながら「体調が悪いみたいだ」と階段を下りていった。私も負けていられない。前に比べるとウソみたいに色々な事に挑戦したくなった。
 基礎練習を行いながら、絵画の住民達に声をかけていく。自分なりにどう舞台の主演となれば良いのだろうかと考えたが、結果としては上手くいかないことばかりだった。しかし彼からの声掛けは続いていき、代わりに私は届かない返事をしていく。
「今日は左にズレているな」
「今度は数学かい。君こそズレているよ」
「なんか今日は顔の色味が違うな。ちゃんと寝てるのか。絵画に影響が出るだろう」
「君こそ、顔色が悪いんじゃないのかい。人の事が言えるのかい」
「……少しはマシになってきたじゃないか、すごいな君は」
「君だってすごいんだ。他人と比べるなんて絶対にダメだ」
私と彼の居る世界はもう違う。伝えたいのに、伝えられない。そんなもどかしさが続いていく。そして、自分のこの世にいる事が出来る時間もどんどん減っていくのが分かった。私は、私の問題にケリをつけて、この生を終わらせないといけない。だけれど、不器用な彼のことが気掛かりだ。
――プラネタリウムの天井を見つめながら、不思議な少年に声をかける。

「ねぇ、紬凪くん。やっぱり、お願いしてもいいかい」
「なんでしょうか」
「彼に、君は努力の天才だ。自分を卑下せずに絵を描けば、きっと素敵なものが描けるよ。と伝えて欲しい」
「もちろんです」
 それを聞くと肩の力が抜けて行くのが分かった。生者と死者。彼との間に一線を画さなければと思っていたが、どうやら私の未練には彼のこともいつの間にか入っていたらしい。私は片を付けたよ。ちらりと猫のような姿をした子供に目を向けると、彼は目を逸らした。



 あんなに非科学的なことは信じないと言っていた藤次くんからは想像もできない話だった。ちょっと不器用で努力家な彼と僕も仲良くなりたい。僕はさっき言い争っていた時よりも、彼の事が好きになっていた。
「僕も、彼と友達になれるかな」
「なろうよ!」
 ユウちゃんが元気よく返事をする。
「そうだね、彼に何も言ってあげられない私の代わりに、友達になって彼の頑張っていることを応援してあげてよ」
「はい」
「では、そろそろ始めようか。私の最期の舞台を!」

 そして、彼の人生最期の大舞台が幕をあげた。

「きゃー助けてー、悪霊が、僕を追って来るよー」
 僕は森の中を全力で駆けていた。せっかくなら絵画全体を舞台にしようと、最初に着いた一番下の森の中から物語をスタートさせることにした。そうすると、森の中からあの大通りまで全速力で駆け抜けないといけない。運動苦手なのに走ってばかりだ。
「はぁ、はぁ、たす、はぁ、たす、け、て」
「すごい、迫真の演技だよ、紬凪!あとちょっと、ここまでガンバレ!」
 赤いマントを羽織ったユウちゃんが掛け声をかけてくれる。その格好はユーニャ!まんまだった。僕はくらくらしながらも道路の真ん中までやって来る。着いた後に、ふらっとしてその場に倒れ込んでしまいそうになるが、間一髪のところで、同じく赤いマントを付けたあの幽霊に助けられる。
「大丈夫ですか、姫」
「ひ、ひめぇ!?」
「オレたちが助けるから、安心して、とぉ!」
 僕を守るように見えない敵に攻撃をしていく。その間に僕は息を整えて次の場所に移動する準備をしていく。次はプラネタリウム。僕達の様子を見た通行人のオジさんが「楽しそうなことをやってるね、頑張れよヒーロー!」と声をかけると、二人はますますヤル気を出していった。というか待って。僕は今幽霊なんだから、走らなくても良いんじゃないの。
「きゃー、悪霊に捕まってしまったよー」
「なんで、そんなに棒読みなの!」
 ユウちゃんに怒られてしまったが、僕はその場から勢いよく飛びあがり、そのままプラネタリウムまで飛んでいく。「ズルいぞ~」とユウちゃんが叫んでいるが、どうか見逃して欲しい。僕の足はもうクタクタなんだ。それから、しばらくプラネタリウムで待つと、二人がぜぃ、はぁ、と息を切らしながらやってきた。二人の熱気みたなものさえ見えて来る。僕も頑張らないと。
「二人共、助けて!」
 そう言うと、僕はまるで悪霊に連れ去られているかのように振舞いながら、プラネタリウムへ入っていく。中はドアがいっぱいで迷ってしまうが、確かユウちゃんは「全部無視して上に飛んで行って」と言っていた。僕は抵抗するふりをしながら後ろ向きで飛んでいくと、そのまま天井を突き抜けて、屋上の壁にピタッとくっついた。両手を広げて、拘束されてしまったという設定だ。
「紬凪ぃ!絶対に助けるからね」
 ユウちゃんが僕に向かって叫ぶと、いつものような安心感がやってくる。そのとき、二人を囲むように木刀やら、布やら、孫の手やら、ありとあらゆるものが現れた。僕達がさっき作った小道具だ。ユウちゃんの力で浮かせている。それが一斉に彼らに矛先を向かって猛攻撃を繰り広げて行く。
「無理はしないでね」
「大丈夫!」
 飛んでくるものを蹴りや素手で振り落とし、攻撃を避けて行く。彼は脇役だったと言っていたが、すごい演技力で、息が上がっているのを全く感じさせないほどセリフを言っていく。攻撃をする姿もビシッと決まっていてカッコいい。ふいに、気配を感じて前を見ると、一本の木刀が僕の方を向いていた。ちょ、ちょっとユウちゃん、これは聞いてないよ!その木刀は勢いよく僕を目掛けて突進してくる。
「ユーーウちゃーーん!助けて!」
 僕が思いっきりそう叫ぶと、顔に当たる寸前でユウちゃんが木刀を蹴り落とした。後ろに立っていた彼が、僕の拘束を取る素振りをすると、その場に跪いて手を差し伸べる。
「大丈夫ですか、姫」
「はい。二人共助けてくれて、ありがとうございました。僕、……いえ、私は貴方たちに救われました。ありがとう、私のヒーロー達」
 二人は満更でもなさそうに笑う。いつの間にか集まって来ていた絵の住人たちが、パチパチと拍手をしていた。「よかったよ」「素敵な話だったよ」鳴りやまぬ拍手の中、これで彼の最期の舞台は終わりだ。
「アハハ、すごく楽しかったよ」
 彼は清々しい笑顔で大きな声で笑いながら言うと、彼は光の粒をまとって、少しずつ、消えていく。
「子供のお遊戯会のような舞台だった、でも、ここ最近で一番、楽しかった。……これで良かったのにな、ありがとう。ありがとう。とても、楽しかった――

 最後の一粒も消えて行った。

「紬凪、行くよ。崩れる」
「え?」
 お別れの余韻もなく絵の世界が崩れ始めた。ボロボロと空から絵の具が剥がれて崩れ落ちていく。ユウちゃんは僕の手を引っ張ると、そのまま真っ直ぐに、空に向かって勢いよく飛んで行った。
「うわぁぁぁぁ!」
 柔らかい膜みたいなのに体がくっつく感覚を抜けて弾き飛ぶと、ドンッと強い衝撃を受けながら床に落ちた。どうやら無事に帰ってこれたようだ。ホッとしたのもつかの間、後ろから襟元を引っ張られる。後ろを振り向くと、そこにいたのは夕陽くんだった。
 彼は何も言わずに僕を後ろから抱きしめる。その手は震えていた。あぁ、僕はなんてことをしてしまったんだろう。
「ごめんね、一人にして。ここにいるよ。ちゃんと生きて、ここにいるよ」
 彼の手を心臓の位置まで持っていく。目を閉じて耳を澄ますと、ドク、ドクと心臓の音が聞こえてきた。
「ユウちゃん、頼む。もう紬凪を幽霊にしないでくれ」
 弱々しい声で、見えない幽霊に話しかける夕陽くんのことを、ユウちゃんは返事をする代わりに優しく撫でた。

「なぁ、」
 落ち着きを取り戻した夕陽くんが言う。
「ユウちゃん、もしかして俺の頭撫でてんの」
「そうだよ、どうして分かったの」
「なんとなく、そう思っただけ」



 僕達は三人で美術部まで彼に会いに行った。ノックをして入ると、他の部員は帰ったようで、頭を抱えて絵の前に座り込む彼だけがいる。
「なんだ」
「話を聞いて来たよ。正確には、あの絵画の女性じゃなくて、あの絵画に憑りついている幽霊に」
「は、また非科化学的な話を……部活を作りたくって、適当なことを言っているんじゃないのか」
「違う、信じてもらえないかもしれないけれど、彼の最期の言葉を聞いて欲しい」
 藤次くんは、顔を上げると「最後?」と言った。
「彼は成仏したんだ。役者さんだったんだって」
「その割には、演技が下手だったようだが」
「ふふ、やっぱり信じてた」
 彼はカッとなったように「信じていない!」と言い返す。
「それでね、彼から託された君への言葉は「君は努力の天才だ。自分を卑下せずに素直に絵を描けば、きっと素敵な絵を描けるよ。」だって」
 目を大きく見開いて、彼は驚いたようにしていた。
「……なんだそれは、努力だけ出来たって良い絵なんて描けない!」
 彼は立ち上がり目の前にあるキャンバスを睨みつけると、パレットに白い絵の具をありったけ出して、ペインティングナイフで塗りつぶしていく。
「どうして、せっかく描いたのに」
「こんな絵じゃダメなんだ。俺が欲しいのは、そんな気休め程度の言葉じゃない。アイツならきっと、いい言葉をくれるって、仲間だって、思ってたのに……!」
「気休めの言葉じゃない、本当に彼はそう思って……「うるさい!うるさい!うるさい!!」
勢いよく塗りつぶしていた彼の手から、ペインティングナイフが床に滑り落ちていった。彼は拾わずに頭を抱えてしゃがみ込む。
「藤次くん、あの人は本当に君を心配していたんだ。ずっと主演をやりたかったけれど出来なくて、それでも夢を諦めずに追いかけていたけれど、夢の半ばで終わってしまったんだ。死んでしまってから頑張ることが難しくなったとき、君の頑張っている姿から元気をもらえたってんだって」
 僕は落ちてしまったナイフを拾うと、彼に渡す。
「最期に楽しかったって笑ってたよ。きっと藤次君にも、楽しいって思って欲しいと思う。大切な、友達だって言ってたから」
藤次くんは顔を上げると、驚いたような表情で僕を見た。
「アイツは、俺を友達だって言っていたのか」
「うん」
「はは、俺が幽霊なんて非科学的なものと友達とか、笑えるな。……本当は俺も、アイツから勇気をもらっていた。バカな話と思うかもしれないが、なにも言わないアイツは、弱音を吐くのにはちょうど良かったんだ」
 もしかしたら彼らの間には、あの幽霊が語ったことだけじゃなく色々な事があったのかもしれない。僕の知らない二人の会話がきっとそこにはあって、藤次くんにとっても大切な友達だったんだ。

「死んだ後でも、誰かと……」
夕陽くんはボソッとつぶやいた後に、僕が見ていることに気付くと目を逸らして「なんでもない」と言った。僕は疑問に思いながらも藤次くんに言った。

「藤次君、コンクールの絵は明日までなんだよね」
「あぁ、でも塗りつぶしたからもう無理だ。間に合わない。他の部員はもう完成させている」
「明日の朝、僕に時間をくれないかな。応援させて欲しい」
「応援?」
「それでさ、僕と友達になってよ」

***

 ――雨が降っている。
 でこぼこの地面のせいで、車が大きく揺れた。窓から見える景色は新鮮で、雨が葉っぱに落ちる度にキラキラと輝く瞬間が好きだ。陽太は景色よりもアニメに夢中になってそうだな。チラリと運転する叔父さんの顔を見ながら「お父さん達、もう着いてるかな」というと「あぁ、もうとっくに着いてるだろうね」と返ってきた。早く会いたい。膝の上には、さっき買った絆創膏があった。古びたお店の中に埃をかぶって並んでいたユーニャ!の絵柄の絆創膏。きっとこれさえあれば、機嫌も取り戻すだろう。
 キキィー!とブレーキがかかる。
「叔父さん、どうしたの」
 横を見ると叔父さんが、顔を真っ青にして前を見ていた。そこには二台の車があった。片方の車が赤い車にぶつかっていて、ぺたんこに歪んでしまっている。
赤い、俺ん家の――車が。

 ハッと目を覚ます。嫌な汗と一緒に、心臓がバクバク言ってうるさい。隣で眠っていたはずの誰かは、探す間もなく、体をピッタリとくっつけて横にいる見えない子供に話しかけていた。
「ユウちゃん、このキラキラした服を着た猫は誰?」
 ――イバリーノ男爵。きっと、「ユウちゃん」も同じように答えたのだろう。
「男爵?全く世界観が分かんないや、わっ、ちょっ、ユウちゃん暴れないでよ」
 そのユウちゃんが飛び跳ねているのか、机が振動して三つ並んだ麦茶と、お皿に置いてあるお菓子が飛び上がっている。その光景に、はあ、と溜息を吐く。彼と関わるようになってから、ウチは簡単にポルターガイストを起こすようになった。溜息交じりに暴れるオバケに注意する。
「たっく、こら、ユウちゃん。ユーニャを見ている時はニャン太郎将軍に成らないよ」
 昔のことを思い出す。やっぱりコイツらのせいで、最近あんな夢ばかりを見るんだ。今日だって手紙一つだけ残して、どこかへ行ってしまった。いい加減にしろ。帰っている途中にもう一度謝られたが、絶対に許さねぇ。
「夕陽くん起きたの?というか、ニャン太郎将軍ってなに」
 ちょうどテレビから、ダダダーンと壮大な曲が聞こえてきた。大きな効果音と共に太くキリッとした眉毛の猫が現れて、テロップにはニャン太郎将軍と書かれている。
「……ますます分からない。よく登場するのが分かったね、って、ちょ、ユウちゃん、落ち着いって、ニャン太郎将軍になっちゃダメだって」
「まあ、うちは父さんも弟も、みんなで覚える程、見てたからな」
 ポルターガイストは過熱していくので、起き上がり机を端に避ける。麦茶も倒れても良いように飲み干すと、紬凪もそばに来て真似して飲み干した。三つ目の麦茶は、減ることはない。
「もう、ユウちゃんたら」
 呆れたように言う紬凪の前髪に触れて耳にかける。やっぱり顔は悪くない。急に幽霊になったり、無茶したり、散々な目に遭うが、こうやって過ごす時間も、こうやって触れるだけで顔を赤する姿も悪く無いと思い始めている。人の心を掻き乱すのはやめて欲しいが。
「……夕陽くんは、ユウちゃんに甘いよね」
「ん、そうか?」
 思い返してみても、全く心当たりがない。普通のことをしているだけだ。
「さっきだって中学校の制服、なんも躊躇いもなく切っちゃったでしょう」
 どうやら彼の提案から、学ランを着たいと言ったオバケに合わせて中学校の制服を切ったことを言っているらしい。着ているだろう部分以外は、だらんと力無く垂れ下がるので分かりやすかった。
「中学の制服なんて、もう着ねぇし。それに優しくするのは当たり前だろ、ユウちゃんは子供なんだから」
 子供じゃない、とか返したのだろう「そうやってジャンプしてるんだから、子供ですぅ」と大人気なく彼は言う。何を話しているのか分からないが、暫く言い合って楽しそうにケラケラと笑っている。その中に入れないのは、ちょっと面白くない。
 後ろから紬凪の肩に手を回して耳に息を吹きかけると、驚いたのか顔を真っ赤にして急に黙り込んだ。確かな体温を感じ、そのまま手を心臓のあたりまで伸ばす。ドッドッドッと早く打つ鼓動を感じると安心した。ちゃんと生きている。
「何、ユウちゃんに妬いてんの?」
 意地悪くそういうが、彼は黙ったままだった。大好きな俺に引っ付かれてドキドキしているのだろう。悪くない。
「機嫌直せよ、キスしてやるから」
 彼の顔へ自分の顔を近付けると、さっきまでユウちゃん、ユウちゃん、と言っていた口をギュッと閉じてプルプルと体を震わせている。俺はコイツのことをキスしてやっても良いくらいには気に入っていた。付き合うのは面倒だしゴメンだが。あと少しで唇がくっつきそうな時
 ――バシッ!
 俺の頭に何かが直撃した。飛んできた方を見ると、不自然に紬凪のスクールバッグが開いていて、中身が次々と飛んでくる。
「ユ、ユウちゃん……!ありがとう」
 いつもは叱るくせに、何でお礼を言うんだ。
「ふざんけな、おい、止めろって」
「うん、確かにユウちゃんの言う通りだよね、付き合ってもないのに、キスしちゃダメだよね」
「んなわけねぇだろ、付き合ってなくてもキスもセッ「わぁー!ダメだよ、ユウちゃんにはまだ早いです!」
「口を開けば、ユウちゃん、ユウちゃんって、俺とユウちゃんどっちが好きなんだよ!」
 言ってからハッと気付く。俺が、なんでこんな勘違いした女みたいなこと言わなきゃなんねぇんだよ。これも全部俺のこと好き好き言う癖に、キスの一つも要求してこないこの男のせいだ。
「あぶぅっ」
バサ、バサと、ユウちゃんからの猛攻撃が続いていくなか、俺の顔に一枚の紙がへばりついた。それがヒラっと落ちていくと、手の中に自然と掴む。新規部活設立届けと書かれた箇所に二重線が引かれた紙だった。そこに、俺の名前は書かれていない。

あぁマジで、ムカつく!どうして俺が、こんなに心乱されなきゃいけないんだ。

***

 翌朝、僕らは朝のシンとした第二校舎を緊張しながら歩く。大きな旗をはためかせながら、勢いよく美術室のドアを開けた。そこにはもう藤次君が座っていて、僕らの姿に驚いたのか目をこれでもかってくらい丸くしている。中学生の頃に着ていた学ラン姿の僕と、その隣には、きっと学ランが浮いているように見えているだろう。僕は旗を大きく八の字にふると、思いっきり息を吸い込んだ。
「フレー、フレー、藤次君!フレ、フレ、藤次君!」
「フレー、フレー!」
 ユウちゃんも合わせて言うが、被せるように大きな笑い声が聞こえて来た。
「なんだそれは、安直すぎないか。応援するで、応援団って、アハハ」
「俺もそう思った」
「隣に浮かんでいる学ランは、なんなんだ。はぁ、おかしすぎて笑えてくる、なんかもう、悩んでいるのが馬鹿らしくなってきたな。素直にか……」
 彼はパレットに絵の具を出していく。
「動かないでくれ、いや、やっぱり、応援していてくれ」
 そこから彼は筆を軽やかに動かし始めた。
「さすがに、浮いている学ランは描けないからな、おい、日色、隣に並んでくれ」
「なんで、俺まで」
 文句を言いつつも、夕陽くんも隣に立った。彼が絵を描き終えるまで、僕とユウちゃんは喉が枯れるまで応援し続けた。完成された絵は一番最初にみたあの抽象画のようなものではなく、絵の具を引きずったような荒々しいタッチの、乱雑な美術室のなかで応援している僕と、同じく学ラン姿で幼い夕陽くんに似た子供が応援している姿が描かれたものだった。

タイトルは「友達」。コンクールでは佳作に選ばれた。