ぽんぽこ神社のたぬきと巫女と

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 田中はぽんぽこ神社に帰ってきていた。フラフラとおぼつかない足取りで会社を出たところを麻実子に確保されたのだ。
 今は社務所にこもっている。何日か経ったのかもしれないが、よくわからなくなっていた。

 実感として迫った、みずからの「死」。
 誰からも認識されることのない幽霊として町を歩いて、足もとが崩れていくような感覚になった。自分なんて、ほんのちょっとしたことで消えてしまう存在なのだ。

 神社にこもっていても、田中はすでに死んでいる。
 腹は減らない眠くならないトイレも必要ない。
 それにカバンからスマホを取り出しても使うことができなかった。電池が切れたのかと思ったがモバイルバッテリーをつないでも電源が入らない。
 中身にアクセスすることすら無理だなんて、自分のスマホのはずなのにどういうことだ。

「俺はもう、俺じゃないのかよ」

 電話が掛けられるとは思っていなかった。でもカメラフォルダぐらい開けられてもいいじゃないか。
 社内レクリエーションでさりげなく混ざった集合写真。そこに写る人の姿をながめるぐらい。

「間中さん……」

 二年後輩の彼女は、田中と同部署。真っ直ぐな性格で正義感の強い、会社組織ではちょっと危ういところもある人だ。そんなところが気になって好きになった。
 会社に行こうと思ったのは彼女の様子を知りたかったから。
 何故なら――交際を申し込み、返事を待っているところだったので。

「くそ……っ」

 ドン、と床を叩いてみる。手はちっとも痛くなかった。

 田中と間中、名前が似てるねと笑い合ったのが懐かしい。もうそんなこともできなくなった。
 告白の結果どころじゃないのだ。
 田中という存在そのものが、彼女の人生から消えてしまうのだから。


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「あのねあのね、田中さん誰かに恋してるんだよ。なんとかさん……ってつぶやいてた!」

 社務所の外で盗み聞きし、社殿に報告してきたのは亜奈だった。
 ワクワクの顔。キラキラの瞳。プライベートにガンガン突っ込む、その純粋な好奇心は悪意にもなりうる。
 麻美子は大きなため息をつき、亜奈の頭をパシーンとはたいた。

「田中さんの尊厳を考えなさい! 無関係な幽霊のくせに、心へ土足で踏み込まないの!」
「うええーん、ひいおばあちゃん厳しい! てか今のクリーンヒットだったのに痛くなかったよ?」
「でしょうね。だって私たちも幽霊なんだし。もう苦しい目にはあわないものなの」
「へええ、さわった感じはしたのに、すごっ! でも麻実たん、あたし体罰反対! そういうの昭和のノリ! よくない!」
「亜奈さん……これは麻美子さんが正しいと思うのですー」
「そんなあ。麻美たんだって元はおんなじ幽霊じゃん……」

 それはそう。
 だけど麻美子は興味本位で恋バナに食いついたりはしない。なるべく正面きって死者の気持ちを聞き出そうとするし、最終局面ではたぬきの神気に物事をゆだねると決めていた。ひとり言が大声になる亜奈みたいなタイプの場合、盗み聞きしなくても聞こえてしまうのは不可抗力だが。

「でもきっと、その恋愛が田中さんの未練なんじゃん? なんとかしてあげようよー」
「それは田中さんがどうしたいか、決めてくれれば助けるけど――あれ?」

 外で気配が動いて、麻実子は唇をとがらせた。

「田中さん神社を出たわね。勝手なんだから。ちょっと言ってくれればいいのに」
「いえいえ、未練のためにがんばろうとなさっているんですー。えらいでございますよ」

 たぬきはウンウンと後方兄貴ヅラをした。だがどこかへ行く田中をそのままにしておくわけにいかない。

「しゃーない、追っかけよ!」

 ……と言ったのは亜奈で、麻美子じゃなかった。

「こら、どうして亜奈ちゃんがしゃしゃり出るの!?」
「いいじゃん、あたしを置いてかないでよぉ」
「そんな楽しそうにして……」

 とはいえ行かなければ。
 皆そろって鳥居を出ると、そこはごく普通の住宅街だった。見知らぬ町に麻美子も困惑する。

「……この町はどこ? 会社じゃないのね」
「子どもが歩いてますし、週末のようですー。会社はお休みなのですー」
「田中さん、彼女に会いに来たのかも!」

 亜奈はがぜん張り切る。御朱印にこめた力をたどり、皆で小走りに田中の後を追った。でもすぐに、たぬきがゼェハァし始める。

「た、たぬき……たぬきはもうおしま……ぐふっ」
「あーもう! 運動不足!」

 ヒョロヒョロ足をもつれさせるたぬきのことを、麻実子はガシッと抱き上げた。

「神さまだからって甘えないの!」
「も、もうしわけありませんですー」

 謝るたぬきを雑に抱えて麻実子は走る。やっと視界にとらえた田中は思い詰めた顔をして、とあるマンションを見上げていた。

「ここは、何?」
「――なるほどなるほどー。この建物はどうやら、同僚の間中さんのお宅なのですー」
「え、会社で電話を取ってた人よね? お相手、あの人だったんだ」
「――ほうほう。なんと想いを告げて、お返事を待っている局面だったみたいですー!」
「そこで死んじゃったの……さすがにかわいそう」

 たぬきだって神さまだ。すぐそこで強い気持ちを駄々漏らせている田中の念を読むぐらいならお手のもの。「未練を晴らすお手伝い」はここからが本番だった。

「田中さん、お待たせしましたですー」

 足もとからたぬきに声を掛けられて、田中はぎょっと飛び上がった。
 内緒で出てきたことも、ここが間中のマンション前なのも、すべてが後ろめたい。

「あ、あの。その、すみません俺」
「田中さんが想い残したことは、同僚の間中さんなのでございますねえ。承知いたしましたですよ――ええい!」

 気合一閃、たぬきはスイと手を伸ばす。
 ポポン、と軽やかな腹つづみを鳴らすと――田中の周囲が、闇に包まれる。

「うわ、え、ちょっとこれ何?」

 うろたえる田中の前に、ぼんやりと光が降った。それが次第に人の形を取っていく。そして呼びかけてきた。

「――田中さん?」
「え――間中、さん」