✻ ✻ ✻
夜の街に響き渡る救急車のサイレン。
やじ馬のざわめき。
混雑の中、警察に封鎖された駅――――。
「あ……あれ?」
雑踏から突然切り離されて、一人の男がぼう然とあたりを見回していた。いつの間にか街灯の一つもない暗闇に立っている。
あたりは静まり返っていた。見えるのは鮮やかな赤に塗られた鳥居。そしてその奥に続く参道だけだった。
男は田中という。どこにでもいる会社員だ。三十歳、独身。
今日も残業をなんとか切り上げ、帰る途中だったと思うのだが――田中は記憶を探った。
――会社の最寄り駅は混んでいた。
改札を抜けた田中は、家にあるレトルト食品のストックを思い返しながらホームへの階段を下りていく。腹が減ったのだ。
ところが後ろで悲鳴があがった。続いてゴトガタンという重い音。次の瞬間、衝撃。
「あれは……上の方で誰か転んだんだろうか」
降ってきたのは大きなスーツケースだった。その持ち主なのか巻き込まれたのか、数人が階段を転げ落ちる。
田中も突き飛ばされた。フワリと宙へ。
ヒッ、と息を飲んだが、その後は何がなんだかわからなかった。激痛を感じたような気もする。
でもそこで意識は途切れ――今だ。
田中は自分を確認した。よれたスーツに安物のコート、そして通勤カバンはいつもと同じ。体に怪我はない。
でもおかしいじゃないか。ホームへの階段を落ちたはずなのに、どうして夜道に立っているんだ? しかも鳥居の前とは――。
「まさか俺、死んだの?」
つぶやいたら急に焦りを感じた。そんなセリフを真剣に言う日が来るなんて。
――ポポンッ!
途方に暮れる田中の耳に、いきなり軽やかな小つづみの音が聴こえた。
ポポポポ、ポポンッ!
ッポン!
ポ、ポン!
「神社から……?」
田中は小つづみに誘われるようにフラフラと鳥居をくぐる。
参道の脇はうっそうとしていた。
杜はとろりとした闇に沈み、風はなく、そよという木の葉ずれも聞こえない。
ただただ響く、不思議な小つづみ――。
奥に見えてきたのは、ほのかな灯籠の明かりに照らされるお社だった。
右手前には手水舎と社務所、左に神楽殿。その小さな舞台で若い巫女さんが舞っている――麻美子だ。
白い衣に緋袴。背中に結った髪は長い。
真っ直ぐに空気を切る扇とひるがえる袖が清冽で、田中は目を奪われた。
神楽といっても笛は鳴っていない。舞のお供は小つづみだけだ。だが舞台にいるのは巫女の他、たぬき一匹で――。
「え、腹つづみ!?」
ポポンッ!
今夜もたぬきの腹は絶好調に鳴っている。
しかしどうにも素っ頓狂な状況だった。田中が戸惑っているのにもかまわずに、たぬきと麻美子は決めポーズを取る。
「おまかせ下さい! 未練を晴らすお手伝い!」
「ぽんぽこ神社へようこそ! でございますー!」
そして横合いから拍手。亜奈だ。
「やーん、このあいだはワケわかんなかったけど! たぬきゅんと麻美たん、こんなことやってたんだね! おもろ!」
「え、わからなかったの? ちょっとショック。やり方もう少し考えなきゃだめかしら」
少女二人の会話を聞きながら田中はピクリとも動かない。十秒ほど思考を空転させてから、やっとひと言絞り出した。
「…………異世界転生?」
トラックにはねられたわけではないけれど、それぐらいしか心あたりがない。
でも迎えてくれたのが美しい女神さまじゃないことが、田中は納得できなかった。
✻
残念ながら、ぽんぽこ神社では異世界転生のお世話はしていない。チート能力も付与しない。
でも田中がつぶやいたのが「異世界転移」だったら、ある意味正しかった。ここは狭間の場所。異世界と言えなくもないのだ。
「つまりあの世とこの世のあいだ、なのですー」
「う、うえっ……?」
夜の境内で、たぬきと麻美子は田中へ丁寧な説明を心がけていた。
亜奈はちょっと脇によけている。自分以外の幽霊に会うのは初めてだ。でも田中のことはぜんぜん怖くない。ごく普通の大人だと思った。
神社に来ると、パニックになり暴れる死者もたまにいる。だが言葉をしゃべるたぬきを前にして、田中は事態を受け入れてくれたようだ。
「俺、成仏できなかったってことか……」
「あのね、成仏はお寺でしょ。ここ、神社なので」
麻美子が訂正した。だがすぐに舌を出す。
「まあ、どうでもいいんだけどね」
「いいのかよ!」
田中は崩れ落ちそうになった。死にたてホヤホヤで混乱したセンシティブ・グラスハートが砕け散りそうだ。
「俺、死んだんだよね? 一大事だろ? バイトだからってさあ、真面目にやってくれないかな」
「私、バイトじゃないけど」
「は? そうなの?」
この反応はよくある。見た感じ麻美子は高校生ぐらいなので、まさかベテラン幽霊とは思われないのだ。
ちょこんと香箱座りするたぬきは、困惑する田中にかまわず話を進めた。
「田中さんは、何かが気にかかって黄泉の国へ行けないのですー。それをなんとかしないと、このままさまようことになりかねませんですー」
「さまよ……っ! え、一生幽霊やってるとか、そういう?」
「一生って。だからもう死んでるってば」
麻美子はサクッとツッコむ。このあいだも亜奈が似たようなことを言っていたので。でも田中は無神経な巫女のことをギッとにらんだ。
「うるさいな! ずっと何かしてること『一生』って言うだろ? それに俺、まだ死んだ実感なんてないんだよ! そんな……突然……」
「最近は一生って、そんな使い方するの? ごめんなさい」
顔をゆがめて言葉に詰まる田中へ、麻美子はあっさり謝った。田中はわりとまじめな人のようだ。
「この若さでいきなり死ぬとか考えないものね。今は平和な世の中だし」
「そうだよ……まさか今日死ぬだなんて、おも、思わない、じゃないか……うっ……」
口をへの字にしてこみあげる涙を耐える田中に、たぬきは尻尾をふぁさふぁさして尋ねる。
「お気持ちお察しいたしますー。で、ですね。ご自分の未練。想い残したこと。お心あたりございますです?」
「え……ええっと」
田中は口ごもった。いろいろあるといえば、ある。当然だ。
というか、まだ死にたくないのだが。生き返るのは無理だろうか。訊かれたたぬきはあっさり首を横に振った。
「黄泉返りは、たぬきのお助けできることではない。ですー」
「……はは。だよ、な」
「この世への里帰りは、黄泉に行きましてから交渉していただいて」
「はあ!? できるの!?」
「わかりませんですー」
「ああ駄目よ、たぶん無理だってば。気軽に黄泉から帰ってこられるなんて聞いたことないでしょう。希望を持たせるのは酷だと思うの」
たぬきと麻美子の問答は、これでも真剣だった。彼らも黄泉へ行ったことがないので、本当のところを知らない。
田中はがっくりして社殿の階に座り込んだ。うつむくのを、たぬきが下からのぞき込む。
「明日以降、大切なご予定でもありましたです?」
「……そりゃ、まあ。仕事だって中途半端だし」
「お仕事はだいじですねえ。ご家族とかはいかがですー?」
「今は一人暮らしだけど。両親は田舎に……でも兄貴が結婚して地元にいて孫もできてるから、まあ」
気弱に笑ってみせる田中だったが、そこは麻美子が否定した。
「お兄さんがどうでも、あなたが先に死んじゃったら親御さんはつらいでしょう。息子なんだもの」
長男が生き残っていても、親なら子どもの死にショックを受けるものだと思いたい。麻美子だって母より先に死んだのだ。すると田中もすがりつくような目をした。
「そ、そうかな」
「そこで否定しないあたり、実家とは特に悪い関係じゃなかったのね」
「……わかったような口ききやがって。高校生ぐらいのくせに」
「高校は行ってないわ」
麻美子がさりげなく訂正して、田中はドキッとした。今どき中卒とは何か事情が――実は麻美子の最終学歴は尋常小学校卒なのだが、今どきの人はそんな就学制度を聞いても知るまい。
「……なんか、ごめん」
「ううん別に? じゃあ田中さんの想い残りは家族じゃない、と」
「あ、ああ……たぶん」
「だとしたら、なんでございますかねえ。転落死の原因になった誰かへの恨みというセンはいかがですー?」
「あ、確かに……!」
「って、今それを思いついたなら、別に考えてなかったんじゃないの?」
「ぐっ……」
麻美子の指摘に黙る。そのとおりだ。
たぶんあれは不幸な事故。発端になった誰かは非難されるべきだが、その人を呪い殺したいとかいうバイタリティが田中にはない。
――それに実は田中、自分の未練に心あたりはあった。でも初対面の相手にいきなり相談できることではない。しかもこんな小娘の巫女・麻美子と、のんびりポテポテしたたぬきなど信用しづらくて言えなかった。
「……わからないなら仕方ないけど。早く想い残りを解決しないとね?」
「ゆうよは、五十日ですー」
「は? 猶予? 五十日ってどういうことだ」
当然のように話される内容が意味不明で田中は眉をひそめる。そしてずっと遠慮して黙っていた亜奈も叫んだ。
「待って、それあたし聞いてないよ!」
「あ。ごめん亜奈ちゃん、そうだったっけ」
振り向いた麻美子は記憶を探る。
そうか、亜奈は来るなり「毒殺された」と主張し、そのくせ本人はあっけらかんと明るくてマイペースで、いろいろ説明する隙がなかったのだ。
「じゃあ今まとめて伝えておくわ。それが死者の〈忌〉の期間なの」
死んですぐの頃、死者の魂は宙ぶらりんだ。現世と黄泉、どちらに属するともいえず不安定。でも遺してきた人々からの想いで魂は守られる。
「ご遺族が落ち着いてくるのが、だいたい忌が明ける頃。なのでそれぐらいまでに黄泉へ行った方がいいってこと。だいたいの目安ではあるんだけど……普通の魂は弱いから」
自分自身も迷い続ける死者である麻美子はシレッと告げた。田中には麻美子の来歴など教えなくていい。田中は田中の未練をなんとかしなければならないのだ。
考え込んだ田中はボソッとつぶやいた。
「……五十日って、一日違わないか? 普通は四十九日だよな」
「だからそれはお寺!」
ちゃんとツッコミを入れる麻美子だったが、想いに沈む田中は返事もしなかった。
夜の街に響き渡る救急車のサイレン。
やじ馬のざわめき。
混雑の中、警察に封鎖された駅――――。
「あ……あれ?」
雑踏から突然切り離されて、一人の男がぼう然とあたりを見回していた。いつの間にか街灯の一つもない暗闇に立っている。
あたりは静まり返っていた。見えるのは鮮やかな赤に塗られた鳥居。そしてその奥に続く参道だけだった。
男は田中という。どこにでもいる会社員だ。三十歳、独身。
今日も残業をなんとか切り上げ、帰る途中だったと思うのだが――田中は記憶を探った。
――会社の最寄り駅は混んでいた。
改札を抜けた田中は、家にあるレトルト食品のストックを思い返しながらホームへの階段を下りていく。腹が減ったのだ。
ところが後ろで悲鳴があがった。続いてゴトガタンという重い音。次の瞬間、衝撃。
「あれは……上の方で誰か転んだんだろうか」
降ってきたのは大きなスーツケースだった。その持ち主なのか巻き込まれたのか、数人が階段を転げ落ちる。
田中も突き飛ばされた。フワリと宙へ。
ヒッ、と息を飲んだが、その後は何がなんだかわからなかった。激痛を感じたような気もする。
でもそこで意識は途切れ――今だ。
田中は自分を確認した。よれたスーツに安物のコート、そして通勤カバンはいつもと同じ。体に怪我はない。
でもおかしいじゃないか。ホームへの階段を落ちたはずなのに、どうして夜道に立っているんだ? しかも鳥居の前とは――。
「まさか俺、死んだの?」
つぶやいたら急に焦りを感じた。そんなセリフを真剣に言う日が来るなんて。
――ポポンッ!
途方に暮れる田中の耳に、いきなり軽やかな小つづみの音が聴こえた。
ポポポポ、ポポンッ!
ッポン!
ポ、ポン!
「神社から……?」
田中は小つづみに誘われるようにフラフラと鳥居をくぐる。
参道の脇はうっそうとしていた。
杜はとろりとした闇に沈み、風はなく、そよという木の葉ずれも聞こえない。
ただただ響く、不思議な小つづみ――。
奥に見えてきたのは、ほのかな灯籠の明かりに照らされるお社だった。
右手前には手水舎と社務所、左に神楽殿。その小さな舞台で若い巫女さんが舞っている――麻美子だ。
白い衣に緋袴。背中に結った髪は長い。
真っ直ぐに空気を切る扇とひるがえる袖が清冽で、田中は目を奪われた。
神楽といっても笛は鳴っていない。舞のお供は小つづみだけだ。だが舞台にいるのは巫女の他、たぬき一匹で――。
「え、腹つづみ!?」
ポポンッ!
今夜もたぬきの腹は絶好調に鳴っている。
しかしどうにも素っ頓狂な状況だった。田中が戸惑っているのにもかまわずに、たぬきと麻美子は決めポーズを取る。
「おまかせ下さい! 未練を晴らすお手伝い!」
「ぽんぽこ神社へようこそ! でございますー!」
そして横合いから拍手。亜奈だ。
「やーん、このあいだはワケわかんなかったけど! たぬきゅんと麻美たん、こんなことやってたんだね! おもろ!」
「え、わからなかったの? ちょっとショック。やり方もう少し考えなきゃだめかしら」
少女二人の会話を聞きながら田中はピクリとも動かない。十秒ほど思考を空転させてから、やっとひと言絞り出した。
「…………異世界転生?」
トラックにはねられたわけではないけれど、それぐらいしか心あたりがない。
でも迎えてくれたのが美しい女神さまじゃないことが、田中は納得できなかった。
✻
残念ながら、ぽんぽこ神社では異世界転生のお世話はしていない。チート能力も付与しない。
でも田中がつぶやいたのが「異世界転移」だったら、ある意味正しかった。ここは狭間の場所。異世界と言えなくもないのだ。
「つまりあの世とこの世のあいだ、なのですー」
「う、うえっ……?」
夜の境内で、たぬきと麻美子は田中へ丁寧な説明を心がけていた。
亜奈はちょっと脇によけている。自分以外の幽霊に会うのは初めてだ。でも田中のことはぜんぜん怖くない。ごく普通の大人だと思った。
神社に来ると、パニックになり暴れる死者もたまにいる。だが言葉をしゃべるたぬきを前にして、田中は事態を受け入れてくれたようだ。
「俺、成仏できなかったってことか……」
「あのね、成仏はお寺でしょ。ここ、神社なので」
麻美子が訂正した。だがすぐに舌を出す。
「まあ、どうでもいいんだけどね」
「いいのかよ!」
田中は崩れ落ちそうになった。死にたてホヤホヤで混乱したセンシティブ・グラスハートが砕け散りそうだ。
「俺、死んだんだよね? 一大事だろ? バイトだからってさあ、真面目にやってくれないかな」
「私、バイトじゃないけど」
「は? そうなの?」
この反応はよくある。見た感じ麻美子は高校生ぐらいなので、まさかベテラン幽霊とは思われないのだ。
ちょこんと香箱座りするたぬきは、困惑する田中にかまわず話を進めた。
「田中さんは、何かが気にかかって黄泉の国へ行けないのですー。それをなんとかしないと、このままさまようことになりかねませんですー」
「さまよ……っ! え、一生幽霊やってるとか、そういう?」
「一生って。だからもう死んでるってば」
麻美子はサクッとツッコむ。このあいだも亜奈が似たようなことを言っていたので。でも田中は無神経な巫女のことをギッとにらんだ。
「うるさいな! ずっと何かしてること『一生』って言うだろ? それに俺、まだ死んだ実感なんてないんだよ! そんな……突然……」
「最近は一生って、そんな使い方するの? ごめんなさい」
顔をゆがめて言葉に詰まる田中へ、麻美子はあっさり謝った。田中はわりとまじめな人のようだ。
「この若さでいきなり死ぬとか考えないものね。今は平和な世の中だし」
「そうだよ……まさか今日死ぬだなんて、おも、思わない、じゃないか……うっ……」
口をへの字にしてこみあげる涙を耐える田中に、たぬきは尻尾をふぁさふぁさして尋ねる。
「お気持ちお察しいたしますー。で、ですね。ご自分の未練。想い残したこと。お心あたりございますです?」
「え……ええっと」
田中は口ごもった。いろいろあるといえば、ある。当然だ。
というか、まだ死にたくないのだが。生き返るのは無理だろうか。訊かれたたぬきはあっさり首を横に振った。
「黄泉返りは、たぬきのお助けできることではない。ですー」
「……はは。だよ、な」
「この世への里帰りは、黄泉に行きましてから交渉していただいて」
「はあ!? できるの!?」
「わかりませんですー」
「ああ駄目よ、たぶん無理だってば。気軽に黄泉から帰ってこられるなんて聞いたことないでしょう。希望を持たせるのは酷だと思うの」
たぬきと麻美子の問答は、これでも真剣だった。彼らも黄泉へ行ったことがないので、本当のところを知らない。
田中はがっくりして社殿の階に座り込んだ。うつむくのを、たぬきが下からのぞき込む。
「明日以降、大切なご予定でもありましたです?」
「……そりゃ、まあ。仕事だって中途半端だし」
「お仕事はだいじですねえ。ご家族とかはいかがですー?」
「今は一人暮らしだけど。両親は田舎に……でも兄貴が結婚して地元にいて孫もできてるから、まあ」
気弱に笑ってみせる田中だったが、そこは麻美子が否定した。
「お兄さんがどうでも、あなたが先に死んじゃったら親御さんはつらいでしょう。息子なんだもの」
長男が生き残っていても、親なら子どもの死にショックを受けるものだと思いたい。麻美子だって母より先に死んだのだ。すると田中もすがりつくような目をした。
「そ、そうかな」
「そこで否定しないあたり、実家とは特に悪い関係じゃなかったのね」
「……わかったような口ききやがって。高校生ぐらいのくせに」
「高校は行ってないわ」
麻美子がさりげなく訂正して、田中はドキッとした。今どき中卒とは何か事情が――実は麻美子の最終学歴は尋常小学校卒なのだが、今どきの人はそんな就学制度を聞いても知るまい。
「……なんか、ごめん」
「ううん別に? じゃあ田中さんの想い残りは家族じゃない、と」
「あ、ああ……たぶん」
「だとしたら、なんでございますかねえ。転落死の原因になった誰かへの恨みというセンはいかがですー?」
「あ、確かに……!」
「って、今それを思いついたなら、別に考えてなかったんじゃないの?」
「ぐっ……」
麻美子の指摘に黙る。そのとおりだ。
たぶんあれは不幸な事故。発端になった誰かは非難されるべきだが、その人を呪い殺したいとかいうバイタリティが田中にはない。
――それに実は田中、自分の未練に心あたりはあった。でも初対面の相手にいきなり相談できることではない。しかもこんな小娘の巫女・麻美子と、のんびりポテポテしたたぬきなど信用しづらくて言えなかった。
「……わからないなら仕方ないけど。早く想い残りを解決しないとね?」
「ゆうよは、五十日ですー」
「は? 猶予? 五十日ってどういうことだ」
当然のように話される内容が意味不明で田中は眉をひそめる。そしてずっと遠慮して黙っていた亜奈も叫んだ。
「待って、それあたし聞いてないよ!」
「あ。ごめん亜奈ちゃん、そうだったっけ」
振り向いた麻美子は記憶を探る。
そうか、亜奈は来るなり「毒殺された」と主張し、そのくせ本人はあっけらかんと明るくてマイペースで、いろいろ説明する隙がなかったのだ。
「じゃあ今まとめて伝えておくわ。それが死者の〈忌〉の期間なの」
死んですぐの頃、死者の魂は宙ぶらりんだ。現世と黄泉、どちらに属するともいえず不安定。でも遺してきた人々からの想いで魂は守られる。
「ご遺族が落ち着いてくるのが、だいたい忌が明ける頃。なのでそれぐらいまでに黄泉へ行った方がいいってこと。だいたいの目安ではあるんだけど……普通の魂は弱いから」
自分自身も迷い続ける死者である麻美子はシレッと告げた。田中には麻美子の来歴など教えなくていい。田中は田中の未練をなんとかしなければならないのだ。
考え込んだ田中はボソッとつぶやいた。
「……五十日って、一日違わないか? 普通は四十九日だよな」
「だからそれはお寺!」
ちゃんとツッコミを入れる麻美子だったが、想いに沈む田中は返事もしなかった。



