ぽんぽこ神社のたぬきと巫女と

 まず亜奈は、自分の教室をのぞいてみた。机の上に花が活けられている。死を実感して胸がギュッとした。強がっておどける。

「いじめじゃなく花を飾られることなんてあるんだね」

 ちなみに遺影は置かれておらず、亜奈の好きなお菓子が積まれていた。友人たちが持ってきてくれたのだろうか。空っぽの席をチラチラ見ている友だちの姿で泣きそうになる。懸命に我慢した。

「ほんとにみんな、あたしのこと見えてないんだ? これって究極の透明感じゃん」
「お肌の美容みたいに言わないの」

 知らん顔でたしなめるが、麻美子も幽霊の孤独をずっと見てきた幽霊だ。みずからの死を確かめていくこの段階は、誰の心も揺れる。


 次に亜奈が向かったのは達彦のクラスだった。
 今日は達彦も登校している。だが沈んだ顔で、開いた教科書を見もせずにぼんやりしていた。亜奈は顔をくしゃっとさせる。

「ちゃんとベンキョーしなよ……」
「これはなんの時間?」

 巫女が口を挟んだ。教室の前方の板――モニターには、わからない記号と数字が書かれている。黒板はあるのに使われていないようだ。最近の学校というのが麻実子にはわからない。

「この授業? 数I」
「すういち……」
「数学の難しいやつ。私もよくわかんないけど」
「待って亜奈ちゃん、あなた英語も数学もダメなの?」

 麻実子は聞きとがめた。これでは本当に学業を心配する「ひいおばあちゃん」のようだけど。亜奈の視線は不自然にそれる。

「えーっとぉ。現国ならそこそこいけるよ」

 現国とは「国語の何か」だそうだ。「ちゃんと勉強しな」と人に言える状態なのか非常に疑わしくなった。

 次の授業は体育だった。生徒たちがジャージを手に更衣室へ向かう。
 達彦も立ち上がったのだが、フラリと机に手をついた。亜奈がビクンとしたが、手を差し伸べても――もう触れられない。

「おい、タツ!」

 友人男子が複数人寄ってくる。が、中に一人だけ女子がいた。

「大丈夫? 具合悪いの?」

 心配そうに声をかける。肩にかからない長めのボブヘアで、真面目な頑張り屋さん、という雰囲気だ。
 達彦は顔をそらす。でもボソッと答えた言葉は正直だった。

「……あんま寝れなくて」
「そっかぁ……体育、見学したら? 危ないよ」
「えーやだよ。カッコわりい」

 ムスッと言い返す達彦の語気は強くない。

「でも、怪我されたら困るもん」
「俺は基本ベンチだぞ」
「何言ってんの。これから主力に成り上がるために故障しちゃいけないんでしょ」

 意味がわからなくて、麻実子は隣に訊いてみた。

「あの子、誰?」
「……マネージャーだと思う。タッちゃんサッカー部なの」

 亜奈はマネージャーと達彦のことを凝視した。
 フワフワした空気感。そこはかとない遠慮。踏み込みつつも踏み込みきれずに進む会話。

(……この二人もしかして両片想い? あたしって完全に外野だったのかも)

 クラスメイトな上に、補欠だが有力な部員とその努力を見守るマネージャーだなんて。ラブコメ界においては隣の家の幼なじみに引けを取らない立ち位置じゃなかろうか。おそらく周囲は二人の背中を押している。みんなが空気を察して着替えに出て行ってしまったのだ。
 なんてことだろう。死んでから気づいた自分の間抜けさに亜奈は打ちひしがれる。
 教室に残される達彦とマネージャー。
 そして誰にも見えていない亜奈と麻実子と、たぬき。

「保健室行こ? ちょっと寝て休まないと」
「眠れねーよ。亜奈のこと死なせたのに」
「……アレルギー、急なやつだっんでしょ。仕方ないじゃない」

 ――――は?

 亜奈はいつの間にかうつむいていた顔を上げた。アレルギーとはなんのこと。

「蕎麦って強い反応が出るんだってね。食物アレルギーって私あまり知らなかったけど、いきなり発症して発作起こすとか怖すぎるよ」
「――俺が!」

 達彦は耐えられなくなったように叫んだ。でも学校内なのを思い出し声を飲み込む。震える呼吸が整うのをマネージャーは黙って待っていた。

「俺が、蕎麦なんて食べさせたからだ……うちの換気扇がアレルゲンを撒き散らしてなきゃ、亜奈はアレルギーなんかにならなかったのに!」
「――えええ。マジ?」

 ぼんやりと亜奈がもらした言葉は、もちろん達彦たちには聞こえない。
 話の流れがわからなかった麻実子とたぬきは、ショックで崩れ落ちそうな亜奈の顔を怪訝そうにのぞき込んだ。


  ✻ ✻ ✻


 結論。亜奈は殺されていなかった。
 毒殺ではなく、蕎麦アレルギーによるアナフィラキシーショックで命を落としたのだ。
 恋敵に嫉妬されたのでも、地上げ業者による陰謀でもなんでもない。ただの――致命的な急性アレルギー症状が死因。なんてことだろう。

「……あたしが蕎麦ダメになってたなんて知らないよー」

 神社に戻った亜奈は、床に転がってウダウダとゴネた。

「のどがイガイガした気がして、すぐにグググッて苦しくなって、目も開けらんなくなったんだよ……毒かと思うじゃん!?」
「お蕎麦、亜奈ちゃんにとっては毒みたいなものだったのね」

 麻実子はアレルギーがどうのという時代に生きていなかったので聞きかじりの知識しかない。花粉症が問題になっているのは知っていたが、死ぬような症状が出る例もあるなんて。ひどい病気だ。

「……殺されるほど憎まれてたんじゃなくて良かったじゃない」

 ゴロゴロして拗ねる亜奈へ、それだけは伝えた。殺人事件という疑惑が晴れたのはめでたい。でも亜奈は落ち込んだままだ。

「そーだねー」
「なあに、シャキッとしないなあ」

 亜奈がぽんぽこ神社へ来たのは未練があるから。でもそれは犯人がわかれば解決という話でもないようで、亜奈は消えていかなかった。
 それにしても死因が判明したというのに亜奈のモヤモヤ感が増しているのはどういうことなのだろう。亜奈は床の上で丸まりながら腕を伸ばした。たぬきをワシっと引き寄せる。そのままモフった。
 モフモフ、ばふばふ。

「はうっ、亜奈さーん? 毛を逆立てるのはやめるのです!」
「……あたしバカみたい」

 たぬきをヘッドロックしてかわいがりながら、亜奈はつぶやいた。

「何あれ。どうせあたしなんか負けヒロインだよ」
「負け……?」

 それは麻実子にわからない用語。でも話が通じないから、亜奈も安心して愚痴を垂れ流すことができるのだ。
 幼なじみは負けヒロイン。
 カッコよくなってきた達彦と、お隣さんラブコメを展開する未来は――生きていても存在しなかった。そう思い知らされてつらい。

「あーあ。学校なんか見に行かなきゃよかった!」
「でも死因はわかったし」
「そんなの家でお父さんお母さんからでも探り出せたじゃん、たぶん」
「たしかに、なのですー」
「むむむ、たぬきのくせに生意気だぞっ」

 腹いせなのか、亜奈はたぬきをモフモフむにむにする。いちおうコレがぽんぽこ神社の神さまなのだが、忘れているのか気にしないのか。

「あーあ、リア恋とか考えたからバチが当たったのかも……ちょー軽率だった」
「ふうん?」
「ぐあーっ! もうあたし、一生〈Fox:y(フォクシー)〉を崇めてやってく! 浮気してスミマセンでしたぁー!!」

 天に向かって手を合わせ、亜奈は贖罪をこめて叫んだ。

「一生て何。もう死んでるんだってば」
「ですですー」
「ねえねーえ、あたし Fox:y を拝みたいんだけど。なんでスマホ使えないのよぅ!」
「ええと何を言ってるの亜奈ちゃん? フォクシーって誰よ。他の神さまをここに持ち込むつもり?」
「いえいえ、たぬきは心が広いですー。別のお社を隣に建てて祀るですか?」
「ちーがーうー、あたしの推し! 推しアイドル! あ゛あ゛あ゛映像みたいー、曲聴きたいー」

 駄々をこね始めた亜奈の言い分は、たぬきにも麻実子にもまったくわからない。
 だがとにかく今日も、亜奈は元気だ――幽霊だけど。