✻ ✻ ✻
「あーあ、まさか殺されるなんて思わなかったよお」
亜奈はしょんぼりと膝を抱えた。
今はひとりだ。社殿の外で階に座り、ぼう然と境内を見回す。夜を迎えた神域は灯籠のほのかな灯りに照らされ、怖くはなかった。
杜の木の葉を揺らして風が静かに吹く。亜奈をなぐさめるように。空気はやわらかくて、上着もないのにまったく寒くないのが不思議だった。
「はうぅ……あたし、めっちゃドラマチック。でもタッちゃん……犯人じゃないよね? 信じていいよね?」
祈りをこめてつぶやいた。
幼なじみラブコメをやりたかった相手、達彦。
亜奈と達彦はずっと仲良く育ってきた(達彦視点に立つと亜奈に振り回されて困っていたのかもしれないという意見は無視する)。
最近の達彦は背も伸びて、男らしさマシマシ。本気でイイかもしれないと思い始めていた。その人に殺される理由など亜奈には思い当たらない。
「でもなあ、毒を入れるなんて……他に誰ができただろ」
蕎麦屋は定休日だった。だから達彦が厨房を使えたのだ。他の店員は不在。達彦が作った蕎麦に使われた材料に毒があらかじめ入っていたということか。
では何に毒が。
蕎麦は店で仕入れた蕎麦粉と小麦粉で打ったのだと思う。つゆは前の日に店で出していたものの残りだったそう。薬味はネギとワサビ。
いくら考えてもおかしな物などなかった。達彦が作ってくれたのは蕎麦だけで、天ぷらは省略されている。
「壱乃庵の天ざる、好きだったなあ。ずっと食べてなかった」
お隣だからといって、そうそうお邪魔できない。
というか食べてもお金を払わせてくれないので行きにくくなった。可愛がられているのは嬉しいけれど、そこそこの値段だと気づいてからは遠慮している。
「おじさん、おばさんじゃないだろうし……」
仲良しの隣家の娘を殺す意味がわからない。
「うーん……まさか殺し屋のターゲットにされたとか? うおお、おもしろ! 何かの事件を目撃したと誤解された女子高生、命を狙われて幼なじみ男子と共に逃避行しながら謎解きに挑む! みたいなやつだ、きっと!」
いや、それはいちばんありえないセン――。
「……亜奈ちゃんて、真面目に考えていられない子なのね」
社殿の扉の中にいた麻美子は投げやりに寝転がった。亜奈のひとり言は明瞭すぎて筒抜けだ。
死んだばかりで傷心だろうと思いそっとしておけば何を妄想し遊んでいるのか。もう逃避行するどころじゃない幽霊なのに。
「蕎麦を、のどに詰まらせただけかもですー」
たぬきもポテンと床に落ちたまま、ひどいことを言い出した。
「恋する達彦さんのお蕎麦を食べられるのが嬉しくて、ズゾゾッとやりすぎたですよ。息が苦しくなったとは、そういうことなのですー。名推理ですー」
「ええ……? のど詰めたのか毒なのかは、いくら亜奈ちゃんだってわかるんじゃないかな」
「亜奈さんをかばいだてするとは、さすが麻実子さん。ひいおばあちゃんなのです!」
「……そんなにたぬき汁になりたいの?」
「なりたくないです! その手はなんです、やめるのですぅっ!」
「――ぐわああっっ!!」
突然外から大声がして、麻美子のたぬき汁計画は頓挫した。叫んだのはもちろん亜奈だ。
「ちょっ! あたしもしかしてライブ行けないんじゃない!? ドーム当選したのに!」
うわー死んだ……と、うめくのが聞こえる。
「……だからもう死んでるってば」
麻美子は首をかしげた。
なんだかわからないが、亜奈にとっては死に等しい何かがあったようだ。
✻ ✻ ✻
ひとまず亜奈は自宅へ戻ってみることになった。
でないと死の真相にたどり着けないと麻美子が考えたからだ。亜奈本人に未練を解決する気があるのか疑わしいので、必然的に麻美子が世話を焼くことになってしまう。
「現世に出ることはできるけど、誰かと話したり触ったりは無理だからね。いい?」
「そうなの?」
「今の亜奈さんは幽霊なのですー。そういうのが見える人でなければ気づかれませんですー」
「ふうん。おっけーおっけー!」
やはり亜奈は何も考えていなさそう。それでもやらせるしかないので麻美子は立ち上がった。
社務所の棚から一枚の紙片を取り出す。そして用意したのは墨と筆。
「では御朱印を授けまーす」
「へ?」
「まあいわぱ、通行手形よ。見てて」
麻実子は背すじを伸ばし、筆を手にした。
紙の上に堂々とした墨跡で記されるのは「狸穴神社」の文字。
次にたぬきが朱肉へ片手を置く。
むにゅ。
文字の横に、鮮やかな朱色の肉球スタンプ。亜奈は「うっひゃー!」と歓声をあげた。
「めっちゃいい! 激かわ! 御朱印帳フツーに流行ってるもんね、これなら爆売れでしょ。インスタとかXとかやってないの? お客さん行列するよ、きっと」
「お客さまが行列……あまりたくさんの方が亡くなられるのは、よろしくないのですー」
ぽんぽこ神社に来られるのは死者だけだ。可愛い御朱印を目当てに死ぬ人はいなかろうが、公式アカウントなど絶対どこにも作ってはいけない。まあネット環境もないのだけれど。
「破かないようにね。ここに戻れなくなるかもしれないから」
御朱印をヒラヒラさせて乾かすのを注意すると、亜奈の動きが止まった。
「かも? って、どうなるかわかんないんだ?」
「消えるか帰れるか野良幽霊となってさまようか……人により幽霊により、何がどうなるかなんて違うに決まってるでしょ」
「ふーん、なんか深い。さすがひいおばあちゃん!」
やめろと言われた呼び方を、亜奈はわざと口にした。引っぱたこうかと麻美子が振り上げた手をよけてピョンと立ち上がると畳んだ御朱印をポケットに突っ込む。
「んじゃ、うちに帰ってみるね」
「私も行くわ。亜奈ちゃん野放しにするの心配だもの」
麻美子は宣言した。どうせいつも死者の後ろからついていくのだが、こっそり尾行するより隣にいてにらみをきかせる方が安全な気がする。野放し、という言い方は失礼だが亜奈は気にしなかった。
「一緒に? いいけど、どしたん?」
「私の実家みたいなものだしね、問題の蕎麦屋って」
「ああそっか。いえーい里帰り!」
気軽に腕を組んでくる亜奈に引っ張られるようにして、麻美子は表に出た。たぬきもトコトコ後ろを行く。
みんなで鳥居をくぐった外は、商店街の近くの公園だった。すべり台と砂場とベンチ、あとは町内会の物置がある。その隅に忽然と出現した鳥居に亜奈は目をパチクリした。
「あれ、こんなとこに出るんだ。神社なんかあったっけ」
「ないわよ。ぽんぽこ神社はどこにでもつながるの」
「ヤバ、すごく神さまっぽい! だよね、あたしここで普通に遊んでたけど鳥居なんて見たことないし」
亜奈が遊んだのは小学生の頃。五年も経たずに死んで訪れることになるとは考えてもいなかった。さすがにしんみりして見回す。
「こうして見るとちっちゃい公園だね……巫女ちゃんは遊んだことある?」
「私の頃はこんな町並みじゃなかったってば」
「そっかあ。でも再開発どーのこーの言ってるし、ここもなくなるかも」
「再開発?」
「商店街ごと生まれ変わろう、みたいなの。うちの店も巫女ちゃんところのお蕎麦屋さんも古いじゃん。土地ごと買い取るってなったら売りますか、って話が来たんだって」
どうやら低層階がショッピングモールで上はマンション、という開発計画が出たらしい。地元に根付いた不動産会社が企画したのだとか。
「そう……この町も変わるのね。どんなふうになるのかな」
「巫女ちゃんは、そういうのいいんだ?」
「私が知ってるここらは焼け野原だったのよ。変わっていくのが当たり前なの」
「戦争……! 歴史……! やっぱりひいおばあちゃん……!」
麻美子は反射的に頭をはたく。「いてっ」と笑う亜奈はちょっと寂しそうだった。
「……なに。亜奈ちゃんは町が変わるの嫌?」
「ううん。ただね、あたし一人っ子なんだ。店を続けるかどうかってビミョーなところなのよ」
亜奈の両親は真剣に悩んでいたようだ。娘は酒店を継ぐよりもやりたいことが他にあるだろう、と。亜奈が死んでしまった今となっては、店を手放すことにためらいはないかもしれない。
「お待ちくださいです! ならばこれ、地上げにからんだ殺人事件という可能性もあるのでは、ですー」
たぬきの指摘に麻美子と亜奈は目を丸くした。なるほど、地上げ……しかし疑わしい相手が増えてしまうと、素人の手には余るのではなかろうか。
「あーあ、まさか殺されるなんて思わなかったよお」
亜奈はしょんぼりと膝を抱えた。
今はひとりだ。社殿の外で階に座り、ぼう然と境内を見回す。夜を迎えた神域は灯籠のほのかな灯りに照らされ、怖くはなかった。
杜の木の葉を揺らして風が静かに吹く。亜奈をなぐさめるように。空気はやわらかくて、上着もないのにまったく寒くないのが不思議だった。
「はうぅ……あたし、めっちゃドラマチック。でもタッちゃん……犯人じゃないよね? 信じていいよね?」
祈りをこめてつぶやいた。
幼なじみラブコメをやりたかった相手、達彦。
亜奈と達彦はずっと仲良く育ってきた(達彦視点に立つと亜奈に振り回されて困っていたのかもしれないという意見は無視する)。
最近の達彦は背も伸びて、男らしさマシマシ。本気でイイかもしれないと思い始めていた。その人に殺される理由など亜奈には思い当たらない。
「でもなあ、毒を入れるなんて……他に誰ができただろ」
蕎麦屋は定休日だった。だから達彦が厨房を使えたのだ。他の店員は不在。達彦が作った蕎麦に使われた材料に毒があらかじめ入っていたということか。
では何に毒が。
蕎麦は店で仕入れた蕎麦粉と小麦粉で打ったのだと思う。つゆは前の日に店で出していたものの残りだったそう。薬味はネギとワサビ。
いくら考えてもおかしな物などなかった。達彦が作ってくれたのは蕎麦だけで、天ぷらは省略されている。
「壱乃庵の天ざる、好きだったなあ。ずっと食べてなかった」
お隣だからといって、そうそうお邪魔できない。
というか食べてもお金を払わせてくれないので行きにくくなった。可愛がられているのは嬉しいけれど、そこそこの値段だと気づいてからは遠慮している。
「おじさん、おばさんじゃないだろうし……」
仲良しの隣家の娘を殺す意味がわからない。
「うーん……まさか殺し屋のターゲットにされたとか? うおお、おもしろ! 何かの事件を目撃したと誤解された女子高生、命を狙われて幼なじみ男子と共に逃避行しながら謎解きに挑む! みたいなやつだ、きっと!」
いや、それはいちばんありえないセン――。
「……亜奈ちゃんて、真面目に考えていられない子なのね」
社殿の扉の中にいた麻美子は投げやりに寝転がった。亜奈のひとり言は明瞭すぎて筒抜けだ。
死んだばかりで傷心だろうと思いそっとしておけば何を妄想し遊んでいるのか。もう逃避行するどころじゃない幽霊なのに。
「蕎麦を、のどに詰まらせただけかもですー」
たぬきもポテンと床に落ちたまま、ひどいことを言い出した。
「恋する達彦さんのお蕎麦を食べられるのが嬉しくて、ズゾゾッとやりすぎたですよ。息が苦しくなったとは、そういうことなのですー。名推理ですー」
「ええ……? のど詰めたのか毒なのかは、いくら亜奈ちゃんだってわかるんじゃないかな」
「亜奈さんをかばいだてするとは、さすが麻実子さん。ひいおばあちゃんなのです!」
「……そんなにたぬき汁になりたいの?」
「なりたくないです! その手はなんです、やめるのですぅっ!」
「――ぐわああっっ!!」
突然外から大声がして、麻美子のたぬき汁計画は頓挫した。叫んだのはもちろん亜奈だ。
「ちょっ! あたしもしかしてライブ行けないんじゃない!? ドーム当選したのに!」
うわー死んだ……と、うめくのが聞こえる。
「……だからもう死んでるってば」
麻美子は首をかしげた。
なんだかわからないが、亜奈にとっては死に等しい何かがあったようだ。
✻ ✻ ✻
ひとまず亜奈は自宅へ戻ってみることになった。
でないと死の真相にたどり着けないと麻美子が考えたからだ。亜奈本人に未練を解決する気があるのか疑わしいので、必然的に麻美子が世話を焼くことになってしまう。
「現世に出ることはできるけど、誰かと話したり触ったりは無理だからね。いい?」
「そうなの?」
「今の亜奈さんは幽霊なのですー。そういうのが見える人でなければ気づかれませんですー」
「ふうん。おっけーおっけー!」
やはり亜奈は何も考えていなさそう。それでもやらせるしかないので麻美子は立ち上がった。
社務所の棚から一枚の紙片を取り出す。そして用意したのは墨と筆。
「では御朱印を授けまーす」
「へ?」
「まあいわぱ、通行手形よ。見てて」
麻実子は背すじを伸ばし、筆を手にした。
紙の上に堂々とした墨跡で記されるのは「狸穴神社」の文字。
次にたぬきが朱肉へ片手を置く。
むにゅ。
文字の横に、鮮やかな朱色の肉球スタンプ。亜奈は「うっひゃー!」と歓声をあげた。
「めっちゃいい! 激かわ! 御朱印帳フツーに流行ってるもんね、これなら爆売れでしょ。インスタとかXとかやってないの? お客さん行列するよ、きっと」
「お客さまが行列……あまりたくさんの方が亡くなられるのは、よろしくないのですー」
ぽんぽこ神社に来られるのは死者だけだ。可愛い御朱印を目当てに死ぬ人はいなかろうが、公式アカウントなど絶対どこにも作ってはいけない。まあネット環境もないのだけれど。
「破かないようにね。ここに戻れなくなるかもしれないから」
御朱印をヒラヒラさせて乾かすのを注意すると、亜奈の動きが止まった。
「かも? って、どうなるかわかんないんだ?」
「消えるか帰れるか野良幽霊となってさまようか……人により幽霊により、何がどうなるかなんて違うに決まってるでしょ」
「ふーん、なんか深い。さすがひいおばあちゃん!」
やめろと言われた呼び方を、亜奈はわざと口にした。引っぱたこうかと麻美子が振り上げた手をよけてピョンと立ち上がると畳んだ御朱印をポケットに突っ込む。
「んじゃ、うちに帰ってみるね」
「私も行くわ。亜奈ちゃん野放しにするの心配だもの」
麻美子は宣言した。どうせいつも死者の後ろからついていくのだが、こっそり尾行するより隣にいてにらみをきかせる方が安全な気がする。野放し、という言い方は失礼だが亜奈は気にしなかった。
「一緒に? いいけど、どしたん?」
「私の実家みたいなものだしね、問題の蕎麦屋って」
「ああそっか。いえーい里帰り!」
気軽に腕を組んでくる亜奈に引っ張られるようにして、麻美子は表に出た。たぬきもトコトコ後ろを行く。
みんなで鳥居をくぐった外は、商店街の近くの公園だった。すべり台と砂場とベンチ、あとは町内会の物置がある。その隅に忽然と出現した鳥居に亜奈は目をパチクリした。
「あれ、こんなとこに出るんだ。神社なんかあったっけ」
「ないわよ。ぽんぽこ神社はどこにでもつながるの」
「ヤバ、すごく神さまっぽい! だよね、あたしここで普通に遊んでたけど鳥居なんて見たことないし」
亜奈が遊んだのは小学生の頃。五年も経たずに死んで訪れることになるとは考えてもいなかった。さすがにしんみりして見回す。
「こうして見るとちっちゃい公園だね……巫女ちゃんは遊んだことある?」
「私の頃はこんな町並みじゃなかったってば」
「そっかあ。でも再開発どーのこーの言ってるし、ここもなくなるかも」
「再開発?」
「商店街ごと生まれ変わろう、みたいなの。うちの店も巫女ちゃんところのお蕎麦屋さんも古いじゃん。土地ごと買い取るってなったら売りますか、って話が来たんだって」
どうやら低層階がショッピングモールで上はマンション、という開発計画が出たらしい。地元に根付いた不動産会社が企画したのだとか。
「そう……この町も変わるのね。どんなふうになるのかな」
「巫女ちゃんは、そういうのいいんだ?」
「私が知ってるここらは焼け野原だったのよ。変わっていくのが当たり前なの」
「戦争……! 歴史……! やっぱりひいおばあちゃん……!」
麻美子は反射的に頭をはたく。「いてっ」と笑う亜奈はちょっと寂しそうだった。
「……なに。亜奈ちゃんは町が変わるの嫌?」
「ううん。ただね、あたし一人っ子なんだ。店を続けるかどうかってビミョーなところなのよ」
亜奈の両親は真剣に悩んでいたようだ。娘は酒店を継ぐよりもやりたいことが他にあるだろう、と。亜奈が死んでしまった今となっては、店を手放すことにためらいはないかもしれない。
「お待ちくださいです! ならばこれ、地上げにからんだ殺人事件という可能性もあるのでは、ですー」
たぬきの指摘に麻美子と亜奈は目を丸くした。なるほど、地上げ……しかし疑わしい相手が増えてしまうと、素人の手には余るのではなかろうか。



