ぽんぽこ神社のたぬきと巫女と

 ガチャ。
 隣の那月の部屋の扉が開いた。そしてこちらへやってくる。

「ええっと……余ってるレースあるかな」

 そして波瑠のミシンも確認する。那月はレースの端切れを使って練習するつもりなのだ。今日は日曜日で、まとまった時間がとれる。

「襟は縫い代に薄い裏地をつけて歪まないように。脇の縫い合わせは折り伏せ縫いにして端からほつれてこないように……」

 調べたやり方をぶつぶつ復習する。聞いてもまったく理解できなかった亜奈が天井を見上げた。

「今のって呪文? 那月さん意味わかるんだ?」
「ふふ、那月は頭いいのよ!」
「自慢してる場合じゃないわよ波瑠さん。たぬき出動する? あまり何度も現れるのはおかしいし、練習は黙って見守る手もあるけど」

 麻美子に訊かれて波瑠はふと黙った。
 那月は飲み込みが早い。不器用でもないはず。一度教えてしまえば本番もなんとかするだろう。
 そして――何より波瑠が、那月と話したかった。たぬきの口を借りてでも。

「――お願いします、たぬきさま」

 あらたまって告げた波瑠の願いに、たぬきは嬉々として応えた。

「それでは、たぬきの出番なのですー!」

 ポーンッ!
 軽やかな腹つづみ。
 サッと取り出したつややかな葉っぱを頭に乗せると――ドロン! たぬきは軽やかに宙へ一回転した。
 ――そこに現れたのは波瑠そっくりの姿。

「那月――」

 もういないはずの声に名を呼ばれ、那月は振り返った。

「波瑠――!」

 見開いた目に涙が盛り上がる。姉の反応に波瑠は照れ笑いした。いや、その〈波瑠〉実は、たぬきなのだが。

「すごい……私みたいだ……」

 本物の波瑠が口もとをヒクつかせた。笑ってしまいそうだが微妙に笑えない。化けた相手と並んで化身の術を見ることはあまりなくて、麻美子も恐縮することしきりだ。

「なんだかごめんなさい、うちのたぬきが」
「麻美たん、アレいちおう神さまだってば」
「亜奈ちゃんだって、いちおうとか言うじゃないの」

 そんな外野のささやき合いが聞こえない生者の那月は大まじめ。現れた波瑠(たぬき)に泣き笑いで話しかけた。

「波瑠……もしかして幽霊? 会いにきてくれたの?」
「もう幽霊なのかな……ごめんね那月、今の私はミシンにさわれないみたい。ボレロが仕上げられなくて」
「馬鹿ね、そんなのいいよ。続き、私が自分でやってみようと思うんだ」
「簡単に言うし……」

 波瑠(たぬき)の苦笑に那月は反論した。

「いろいろ調べたの。レースって難しいのね。ねえねえミシンのくせに細い針でとか、押さえは軽くとか書いてあったんだけど。取説ある?」
「平気だよ。私が最後に使ったのがボレロを縫うためだから。この調整のままでいける。糸も掛けてあるし」

 そう言ったのは本物の波瑠だ。波瑠(たぬき)はそのまま伝える。ややタイムラグが生じているが、幽霊のご愛嬌ということで許してほしい。

 波瑠(本物)はそっと那月に近づいた。
 姉妹として育ち、たくさんケンカもしたけれど、それ以上に寄りそってきてくれた人。
 その姉の幸せな一日を彩る服を――力を合わせて仕上げよう。波瑠の指導で、那月が縫うのだ。
 本物の波瑠の姿は那月には見えていない。でも必要があれば、たぬきが指さしたり手ぶりしたりで伝えられるからなんとかなる。

「これが襟の型紙。縫い代に裏地を貼るなら使って」
「あ、そうか。必要よね」
「ゆがみを防ぐだけじゃなく、ほつれ防止にもなるから。いいやり方だと思う。あと、私が縫った肩の部分見てくれる?」
「うん」
「折り伏せ縫いの手本だよ」
「……ほっそ! え、こんなに?」
「ふふ、脇は目立たないから、ここまでしなくても大丈夫」

 波瑠(たぬき)と話せて那月は楽しそうだ。それが見られただけでも波瑠(本物)の胸にはこみあげるものがある。
 当たり前にあると思っていた、家族との時間。
 こんなにあっけなく失われるだなんて。
 そして――こんなに愛おしく感じるなんて。

「じゃあこの端切れ、試しに縫ってみよう」
「え、いきなり?」
「何言ってんの。いつならいきなりじゃなくなるのよ」
「それはそうか」

 那月が笑う。いつものように。
 波瑠はしみじみ見つめる。別れをかみしめて。

「レース高いから、あんまり練習台残ってないんだ。頑張って」
「そっか。経費ケチるんじゃなかった」
「ケチりなよ。新生活に使わなきゃ」

 那月の人生はまだまだ続く。
 波瑠は近くにいられないけど。

「縫い始めの返しとか、わかる?」
「さすがに家庭科のを覚えてる。でも波瑠のミシン、いろんな機能ついてて怖いな」
「これでもプロなんで。変なとこさわらなきゃ平気だよ」

 ゆっくりとレースに針を落とす。
 ひと針、ひと針。祈りをこめてミシンは進む。
 妹との時間を惜しみながら。姉の幸せを願いながら。

 那月の後ろに立ち、本物の波瑠は腕を伸ばした。真剣にレースを押さえる那月の手に、手をそっと重ねる。
 波瑠は幽霊だ。那月には見えないし、わからない。だけどそれでもいいから姉に触れたかった。

「……波瑠?」

 那月はふと顔を上げた。ミシンが止まる。感じてくれたのか。

「波瑠……ここにいるんだね。ほんとにいるんだね」
「……いるよ。今はね」

 その返事に、那月の顔がゆがむ。絞り出した声は悲鳴のようだった。

「いなくなるの……?」
「……那月が幸せになったら」

 波瑠は静かに答えた。なんだか心が平らかだった。

「ちゃんと幸せになるでしょ?」
「……なるよ! あたりまえじゃん!」

 涙をぬぐい、怒ったように叫ぶ那月のふくれつらがおかしい。波瑠は笑いながら――そっと姉の肩を抱きしめた。