ところで問題が発生した。亜奈がチケットを取った公演というのは、まだ二ヶ月半も先なのだそう。
「だって最終公演なんだもん!」
「それ、余裕で忌が明けるじゃない」
「ですですー」
忌の五十日が過ぎても黄泉路へ向かわずにいると、普通の幽霊は次第に力を弱める。遺してきた人々からの気持ちが落ち着くことにより、魂の力が薄れるのだ。
寄る辺ない幽霊は基本的に弱い。たとえば盛り塩や、そこらへんの占い師や霊能者もどきのお札ごときで祓われるほどに。
「そっか、消滅するって聞くとなんか嫌だけど……麻実たんだって八十年ものの幽霊じゃん? だいじょぶなの?」
「まあね」
麻美子も同じ身の上ではあるが、少し違う。ぽんぽこ神社に居着いて手伝う麻美子は、たぬきの神気を分け与えられ身にまとっているのだった。
「麻実子さんは、たぬきに守られてるわりに態度が大きいのですー」
「だから走る時は抱っこしてあげてるじゃない」
あれは神気の見返りだったのか。
たぬきに分が悪い取り引きな気もするが、たぬきは神として大らかでありたい。細かいことを主張しようと思わなかった。
「えーと、麻実たんは一匹オオカミ幽霊じゃないってこと? たぬきゅんの子分なんだ」
「子分て言わないで。あと一匹オオカミ幽霊って意味わかんない」
「なんかカッコいいじゃん。孤独でも強い幽霊に、あたしはなる!」
「なろうと思ってなれるものじゃないってば、たぶん」
亜奈の言うことには根拠がないが前向きだ。麻美子もそこはすごいと思う。
麻美子が死んだばかりの頃は、本人も世間も何もかもが混乱していた。出征だのなんだので「死」そのものが身近にあり今とは死生観が違った。
時代を受けとめて生きた麻実子が、死んでから「巫女」としてここに残ってしまったのはきっと――新しく走り出した世の中を見ていたいから。
「……行くはずだった舞台じゃなくても、 Fox:y に会えればいいんじゃないの? もっと前に公演があれば、それに忍び込めばいいわ」
麻美子はズルい提案をした。亜奈がそんなにのめり込んだアイドルとやら、見せてあげたいし麻美子も見てみたい。
「なーる! そっか、あたしは神出鬼没の幽霊だった。チケット代払ってるんだから別の公演観ても許してもらえるよね!」
「うんうん、いいんじゃない?」
「ええとツアーの日程……いやはっきりは覚えてない……ていうか行き方わかんない。全国ツアーって北海道から九州まであるんだけど、ぽんぽこ神社の鳥居ってどこでもつながるんだよね?」
「どこでも……は、無理なのですー」
たぬきの神気はささやかだ。神となったこの場所からあまり離れていては力が及ばない。未練を残しぽんぽこ神社を訪れる人も、近くで亡くなった人だけ。
「たぬきゅん、地域限定品なんだ……」
「お土産物みたいに言われてるわね」
「ならツアーじゃなくてもいいか。この近くで Fox:y に会えるチャンスがあるなら行きたい」
「そんなのあるの?」
「あるでしょ! だって Fox:y はリアルに存在してるグループなんだよ、今日もどこかで人々に幸せを分け与えてるはず!」
やはり神として扱っている。亜奈はポケットのスマホを取り出すと、しみじみ見つめた。
「スマホ使えたらいろいろ調べるのになー」
「それ、実体じゃないから無理なのよね」
「え、このスマホ偽物?」
「亜奈ちゃんだって幽霊でしょ。神社には死んだ時の持ち物もそのまま来てるけど、ぜんぶこの世の物じゃなくなってるの」
言われたことがよくわからずに、亜奈はスマホをひっくり返して検分した。
でも考えてみれば実物のスマホも亜奈が着ている服も、現世ではおそらく遺品として家に保管されているだろう。
「物だけど、幽霊ってこと?」
「……そんな感じなのかな」
麻美子だって適切な表現は知らない。
するとたぬきがテシ、と肉球をかかげた。
「すまほ、神社の物にしてしまえば使えるかもしれませんですー」
「マジ!?」
亜奈はたぬきのお膝元に飛んでいってすがりついた。本当にできるなら超ありがたい。たぬきがこんなに神々しく見えたことがあるだろうか――いや、ない!
亜奈は瞳をうるうるさせて可愛く懇願した。
「お願いやってみて? ねぇたぬきゅん!」
「亜奈ちゃん調子いい……なあに、スマホに神気を流すってこと?」
「そうなのですー。たぬきはこれでも神のはしくれ、たぬきの加護を持ったすまほを爆誕させるのです!」
たぬきは目の前の床にスマホを置いた。
気合一閃、力を集中する。
「ふぬおぉぉぉっ!」
たぬきの毛がぶわりと逆立った。
風がうずまくような気配。亜奈の背中がぞくりとした。
こんな姿を見てみれば、たぬきは確かに神なのか――。
「えいっ。ですー」
ぷに。
肉球がスマホに押しつけられた。それだけ。
「できましたですー」
たぬきは得意げに胸を張った。亜奈が崩れ落ちる。
「……え? 今のなに」
「儀式ですー。どうかしたですか?」
コテンと首をかしげられ、亜奈は脱力する。その肩を麻美子はぽんぽんとなぐさめた。
コレはたぬきだ。偉そうな儀式を期待するのが間違っている。
「御朱印の時と同じなのよ……で、使えるようになった?」
「えっと……おおっ電源入った!」
今まで黒い板だったものが、ふわんと明るく光る。そこに現れたのは、こちらを撃ち抜く姿勢でデンジャラスに笑む男――。
「きゃああぁっ、久しぶりだよぉ! ケ――ン!!」
待ち受けになっていたのは亜奈の推し、 Fox:y のワイルド&セクシー担当(※イメージカラー=赤)のケンだった。



