ぽんぽこ神社のたぬきと巫女と

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「じゃあ帰ろうか」

 病院を出て、麻美子は「んーっ」と伸びをした。午後の日が明るい。
 今回は化身の術中にあったわけでもないので、うさぎを見送っても神社に転移したりしなかった。なので鳥居から帰ることになる。

「ねえ、ここどこ?」

 亜奈がキョロキョロした。あらためて見回すと初めて来る町並みだ。大きな総合病院。広くて車も多い通り。

「ぽんぽこ鳥居って、わりとどこにでもいけるよね」
「ぽんぽこ鳥居!」

 麻美子は苦笑いだ。妙な言い方をしないでほしい。
 だけどぽんぽこ神社は狭間の場所。一町内におさまっているのではないわけで。

「死者の未練にまつわる所へは、だいたいつながるみたいよ?」
「たぬきの神気が届く場所なら、ですー」
「ほへー。しんき、ねえ?」
「亜奈ちゃんたら、ボヘボヘしたしゃべり方して。たぬきが伝染(うつ)ったんじゃないの。あまり長く神社にいると危なくない?」

 麻美子はたぬきを感染源のように言う。だがたぬき本人からすると、それは氏子が増えるぐらいのもの。むしろめでたい。

「たぬきに感化されるとよいのですー。みんながのんびりポテポテ暮らせば、世の中は平和ですー!」
「ハッ! それは……そう!」

 何故か亜奈が納得する。世知がらい現代に生きた若人として「のんびりポテポテ」は心ひかれるスローガンだ。たぬき教が信者を獲得しそうになったところで麻美子は叱りつけた。

「亜奈ちゃん、いいかげんにしなさいよ。田中さんを見送って、岩崎さんを見送って、うさぎを見送って……亜奈ちゃんの未練はどうなったの?」
「えー? ひいおばあちゃんだって八十何年越しの幽霊なんでしょ? 自分がいちばんヤバいくせにー!」

 言い返してくる亜奈に、麻美子は胸を張る。

「そうよ。私みたいになると大変でしょ、さっさとどうにかしないとね」
「うっわ麻美たん、開き直るし」

 亜奈はケラケラ笑った。
 でも麻美子だって特別何かに執着しているわけじゃない――と思う。今の暮らしがちょっと楽しくなってしまっただけなのだと。

 たぬきを手伝い、からかい。
 死者たちの想いに触れ、自分が生きられなかった大人の世界をのぞき見て。
 ――そんな時間が大切で手放したくない。

「亜奈ちゃんの大事なものってなあに?」

 正面きって訊いてみた。それがわからないことにはどうにもしてあげられない。

「幼なじみラブコメじゃなかったみたいだし、アレルギーはどうしようもないことだったし」
「そんなの Fox:y(フォクシー) に決まってるよ!!」

 力をこめて亜奈は叫んだ。

「ドーム公演に行けなくなったのが、死んだあたしの痛恨の極みなんだから!」
「そ、そう……? えーと、なんだっけ。推し?」
「まあまあ、そういうことにしておきますけどね。推しっていうか神っていうか愛っていうか? まあむしろすべてなんですけどもぉ!」
「どうしていきなり丁寧語なの!?」

 ぽんぽこ神社に亜奈が来た当初から、たまに言われていた Fox:y 。そんなに重要なことならさっさと教えてほしかった。麻美子は眉間に寄りそうになるシワをもみほぐす。

「……んじゃ帰ったら、そのフォクシーの線を考えてみましょうよ」
「わ、いいの? いくらでも語れるよ、おけおけ!」
「……ふぉくしー教を布教されそうな気がするのですー」

 ボソリと懸念を表明するたぬきの勘は、おそらく正しい。でも亜奈だって久々に推しへの愛を全開にしたいのだ!


 鳥居をくぐる前に、亜奈はそっと町を振り向いた。消えていったうさぎと飼い主のことを思い出しながら。

 飼い主が大好きなうさぎ。
 最期の力で娘へ言葉を届けた母親。
 母を、妻を亡くしてしまった、あの父娘。

 ほんの少しだけ目撃した、見知らぬ家族の命をめぐる姿が亜奈の心に刺さっている。

(――先に死んで、ごめんね)

 亜奈は両親を遺して死んだ身だ。
 逆縁の不孝とかの言葉に表せばそれまでだけど、そんなひと言にまとめられたくない想いが亜奈にはあるし、きっと親にだってある。
 両親はこの先に続くはずだった娘の人生を楽しみにしていただろう。その未来を亜奈は見せてあげられなくなった。
 ――そんな悔いを。未練を。どうにかすることなどできるものなのか。


「――亜奈ちゃん、大丈夫?」

 立ちどまった亜奈を、麻美子がそっと気づかう。その向こうにあるのはもう、ぽんぽこ神社の境内だ。亜奈は大きくうなずき返した。

「うん! ぜんぜんへーきだよ?」

 そして亜奈も鳥居をくぐる。
 帰ろう、ぽんぽこ神社へ。
 たぬきと麻美子が暮らしている、時間がゆっくり流れる場所へ。
 いきなり飛び込んできた亜奈のことも、受けとめてくれるやさしい神社へ。