✻ ✻ ✻
遠くサイレンと鐘が響いた。火災現場に駆け付ける、消防関係の車両のものだ。
このぽんぽこ神社には、現世に未練を残した死者が訪れる。そんな時は、死のきっかけになった何かの気配があらかじめ伝わってくるのだった。今回はどこかで火事があったらしい。
たぬきと麻実子が社殿を出ると、暮れなずむ空があった。そろそろ夕刻だ。
「夕飯のしたくとか、火を使う時間だもんね」
「どなたかの美味しいご飯が火事の元に……悲しいことですー」
「なになに、消防車?」
社務所から顔を出したのは亜奈だ。まだ幽霊としてこの神社に居座っている。今日は眠くもないのに昼寝して、お気楽幽霊ライフを満喫していたらしい。
「火事で亡くなった人が来ると思うから、お迎えをね」
「はっはーん、またあの妙な神楽やるんだ」
「妙とは、亜奈さんひどいのですー!」
まあ正式な神楽舞など、たぬきも麻実子も知らない。なのでこれは遊びの踊りでしかなかった。
でも、今死んだばかりの人が神社に来て、ただ「いらっしゃい」ではケジメがつかないような気がする。一度「はあっ?」となる仕掛けがある方が気持ちの切り替えができる――と長年の経験で導き出したやり方なのだ。なので文句は受け付けない。
――ポポンッ!
腹つづみに合わせ、麻実子はおだやかに扇で風をあおいだ。ひらり。
ポポポポ、ポポンッ!
ッポン!
ポ、ポン!
この神社にいる限り、麻実子に苦しみはない。だがぶっちゃけ、娯楽もなかった。舞うのは麻実子にとって楽しみの一つになっている。
そして死者の抱える人生を紐解くのもまた、麻実子の趣味。不謹慎だと怒られるかもしれないが、面白半分ではなかった。
人々の願いを知り、叶える手伝いをするのは実に興味深いことだ。そこに垣間見える人生は多種多様。大人にならなかった麻美子にとってそれは、社会への参画であり――。
「――あら? 誰も来ない?」
「はてさて、なのですー」
ひとしきり神楽をやってみても、死者は現れない。鳥居のあたりでモタモタしているのか――と思ったら。
ガサ。
杜の下草から顔を出したのは、一匹のうさぎだった。「きゃあんっ」と亜奈が目を輝かせる。かわいい。
でもうさぎ。うさぎとは。
麻実子は困惑のつぶやきをもらした。
「……もしかして、未練があって困ってるのはあの子?」
「そうなります、ですー」
「ええぇ……」
つやのある白い毛並みが綺麗な、うさぎ。小さい。
キョトンとした黒目がつぶらで愛らしかった。何が起きたか理解できず、フンフンと空気を匂っているようだ。
「……火事で逃げられなかったのかな」
うさぎは煙と火にまかれて死んだと思われる。なのに気づいたら静かな神社にいて、さぞ驚いたことだろう。
麻実子はそうっと神楽殿を下りた。たぬきがトトッと後に続く。亜奈も寄ってきた。
うさぎは耳をピクリとさせるが逃げなかった。とりあえず捕まえずに、少し間を空けて前にしゃがみ込む。見つめ合ってみた。
「うさぎの未練ってなにかしらね? ねえねえ、うさぎさん。教えてちょうだいな」
「……いえ、待ってくださいです」
たぬきは何故か、麻実子と亜奈の後ろから様子をうかがっていた。発した声は低い。
「……これは、罠かもしれませんです」
「へ?」
たぬきは深刻な顔でつぶやいた。ものすごーく疑う視線をうさぎに飛ばす。
「うさぎといえば……たぬきを懲らしめるものでございますからね」
「はあ?」
麻実子はがっくり膝をついた。
「それカチカチ山のこと? いつの間にこの子の飼い主を殺したの?」
「殺ってませんです!」
「え、なんだっけその話。聞いたことある気がするけど」
亜奈が解説を要求してきた。現代っ子には難しかっただろうか。
――それは昔話。
仲良しだった人間のおばあさんをイタズラたぬきに殺され、うさぎが復讐に立ち上がる物語だ。
うさぎは、たぬきと友だちになる。しかし友人ヅラしつつ、たぬきの背負った柴に火をつけるわ火傷の薬に辛子を混ぜるわ、熾烈な攻撃を繰り出すのだ。あげく土造りの舟にたぬきを乗せて漁に出し、溺死させる。物語の中でうさぎはとんでもない策士だった。
「そんな話だった気がする! うさぎ、めっちゃ戦闘民族だね」
でも亜奈の視線の先に居るうさぎはとてもかわいい。だってカチカチ山のうさぎとたぬきは、ここにいるのとは別人だ。なのにたぬきはブルッと体をふるわせた。
「なんとなく、うさぎ全般に恐怖感がぬぐえませんです」
「……やっぱり悪いことしたんじゃないの?」
「たぬきは善い行いにより、神として祀られたのですよ!?」
「え、あたしそれ知らない。たぬきゅんて、昔はフツーのたぬきだったってこと?」
――それも昔の話。
森から帰ってこない夫を探していた女は祈った。
「どんな神さまでもいい、うちの人に会わせて下さい」
するとヒョッコリ顔を出したたぬきが「ついてくるですー」とばかりに女を見つめ、森へ入っていく。追ってみれば、向かった先には怪我をした夫が! たぬきのお導きで見つかった夫は手当てが間に合い、無事に命が助かりました。めでたしめでたし。
その後、恩ある〈お狸さま〉のために村人は祠を建て、たぬきを祀った――というのが狸穴神社の縁起だ。
しかし麻実子は容赦ない。
「その人、猪に突進されて怪我したんだけど……元はたぬきのせいなのよ」
「え、マジ? ひどっ」
「ぐぬぅ……です……」
「たぬきが飛び出してくる先にいたとか、運がない人だわぁ」
猪に追われたたぬきが道に飛び出したら、そこに人間がいた。猪は人間の方を跳ね飛ばし、興奮状態のまま走り去った。それが真相だ。
たぬきは巻き込んで怪我させた人に申し訳なくてオロオロしていただけ。人間がいたので「あの人を助けてくれませんですかねぇ?」とチラチラしてみたらなんと、たまたま当人の妻だったとは!
ちなみに怪我した男の方は猪に突進されたことに目いっぱいで、たぬきには気づかなかったらしい。
「……いいじゃないですか! 結果、こうして神の端くれになったのですから。たぬきは、たぬきは頑張っているのです!」
涙目で抗議するたぬきのことを、うさぎは無垢な瞳でながめていた。
遠くサイレンと鐘が響いた。火災現場に駆け付ける、消防関係の車両のものだ。
このぽんぽこ神社には、現世に未練を残した死者が訪れる。そんな時は、死のきっかけになった何かの気配があらかじめ伝わってくるのだった。今回はどこかで火事があったらしい。
たぬきと麻実子が社殿を出ると、暮れなずむ空があった。そろそろ夕刻だ。
「夕飯のしたくとか、火を使う時間だもんね」
「どなたかの美味しいご飯が火事の元に……悲しいことですー」
「なになに、消防車?」
社務所から顔を出したのは亜奈だ。まだ幽霊としてこの神社に居座っている。今日は眠くもないのに昼寝して、お気楽幽霊ライフを満喫していたらしい。
「火事で亡くなった人が来ると思うから、お迎えをね」
「はっはーん、またあの妙な神楽やるんだ」
「妙とは、亜奈さんひどいのですー!」
まあ正式な神楽舞など、たぬきも麻実子も知らない。なのでこれは遊びの踊りでしかなかった。
でも、今死んだばかりの人が神社に来て、ただ「いらっしゃい」ではケジメがつかないような気がする。一度「はあっ?」となる仕掛けがある方が気持ちの切り替えができる――と長年の経験で導き出したやり方なのだ。なので文句は受け付けない。
――ポポンッ!
腹つづみに合わせ、麻実子はおだやかに扇で風をあおいだ。ひらり。
ポポポポ、ポポンッ!
ッポン!
ポ、ポン!
この神社にいる限り、麻実子に苦しみはない。だがぶっちゃけ、娯楽もなかった。舞うのは麻実子にとって楽しみの一つになっている。
そして死者の抱える人生を紐解くのもまた、麻実子の趣味。不謹慎だと怒られるかもしれないが、面白半分ではなかった。
人々の願いを知り、叶える手伝いをするのは実に興味深いことだ。そこに垣間見える人生は多種多様。大人にならなかった麻美子にとってそれは、社会への参画であり――。
「――あら? 誰も来ない?」
「はてさて、なのですー」
ひとしきり神楽をやってみても、死者は現れない。鳥居のあたりでモタモタしているのか――と思ったら。
ガサ。
杜の下草から顔を出したのは、一匹のうさぎだった。「きゃあんっ」と亜奈が目を輝かせる。かわいい。
でもうさぎ。うさぎとは。
麻実子は困惑のつぶやきをもらした。
「……もしかして、未練があって困ってるのはあの子?」
「そうなります、ですー」
「ええぇ……」
つやのある白い毛並みが綺麗な、うさぎ。小さい。
キョトンとした黒目がつぶらで愛らしかった。何が起きたか理解できず、フンフンと空気を匂っているようだ。
「……火事で逃げられなかったのかな」
うさぎは煙と火にまかれて死んだと思われる。なのに気づいたら静かな神社にいて、さぞ驚いたことだろう。
麻実子はそうっと神楽殿を下りた。たぬきがトトッと後に続く。亜奈も寄ってきた。
うさぎは耳をピクリとさせるが逃げなかった。とりあえず捕まえずに、少し間を空けて前にしゃがみ込む。見つめ合ってみた。
「うさぎの未練ってなにかしらね? ねえねえ、うさぎさん。教えてちょうだいな」
「……いえ、待ってくださいです」
たぬきは何故か、麻実子と亜奈の後ろから様子をうかがっていた。発した声は低い。
「……これは、罠かもしれませんです」
「へ?」
たぬきは深刻な顔でつぶやいた。ものすごーく疑う視線をうさぎに飛ばす。
「うさぎといえば……たぬきを懲らしめるものでございますからね」
「はあ?」
麻実子はがっくり膝をついた。
「それカチカチ山のこと? いつの間にこの子の飼い主を殺したの?」
「殺ってませんです!」
「え、なんだっけその話。聞いたことある気がするけど」
亜奈が解説を要求してきた。現代っ子には難しかっただろうか。
――それは昔話。
仲良しだった人間のおばあさんをイタズラたぬきに殺され、うさぎが復讐に立ち上がる物語だ。
うさぎは、たぬきと友だちになる。しかし友人ヅラしつつ、たぬきの背負った柴に火をつけるわ火傷の薬に辛子を混ぜるわ、熾烈な攻撃を繰り出すのだ。あげく土造りの舟にたぬきを乗せて漁に出し、溺死させる。物語の中でうさぎはとんでもない策士だった。
「そんな話だった気がする! うさぎ、めっちゃ戦闘民族だね」
でも亜奈の視線の先に居るうさぎはとてもかわいい。だってカチカチ山のうさぎとたぬきは、ここにいるのとは別人だ。なのにたぬきはブルッと体をふるわせた。
「なんとなく、うさぎ全般に恐怖感がぬぐえませんです」
「……やっぱり悪いことしたんじゃないの?」
「たぬきは善い行いにより、神として祀られたのですよ!?」
「え、あたしそれ知らない。たぬきゅんて、昔はフツーのたぬきだったってこと?」
――それも昔の話。
森から帰ってこない夫を探していた女は祈った。
「どんな神さまでもいい、うちの人に会わせて下さい」
するとヒョッコリ顔を出したたぬきが「ついてくるですー」とばかりに女を見つめ、森へ入っていく。追ってみれば、向かった先には怪我をした夫が! たぬきのお導きで見つかった夫は手当てが間に合い、無事に命が助かりました。めでたしめでたし。
その後、恩ある〈お狸さま〉のために村人は祠を建て、たぬきを祀った――というのが狸穴神社の縁起だ。
しかし麻実子は容赦ない。
「その人、猪に突進されて怪我したんだけど……元はたぬきのせいなのよ」
「え、マジ? ひどっ」
「ぐぬぅ……です……」
「たぬきが飛び出してくる先にいたとか、運がない人だわぁ」
猪に追われたたぬきが道に飛び出したら、そこに人間がいた。猪は人間の方を跳ね飛ばし、興奮状態のまま走り去った。それが真相だ。
たぬきは巻き込んで怪我させた人に申し訳なくてオロオロしていただけ。人間がいたので「あの人を助けてくれませんですかねぇ?」とチラチラしてみたらなんと、たまたま当人の妻だったとは!
ちなみに怪我した男の方は猪に突進されたことに目いっぱいで、たぬきには気づかなかったらしい。
「……いいじゃないですか! 結果、こうして神の端くれになったのですから。たぬきは、たぬきは頑張っているのです!」
涙目で抗議するたぬきのことを、うさぎは無垢な瞳でながめていた。



