ぽんぽこ神社のたぬきと巫女と

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 その夜、征一はベッドに座り込んでいた。
 通夜には行けなかった。部屋のドアを出ることすら無理だった。
 床には脱いだ制服が放り出されたままになっている。参列のために着替えるところまでは、やったのだ。そこから動けなくなったのだけど。

 手にしたスマホからはゲーム実況動画が流れていた。しかし目も耳も、それをスルーしている。ぼんやりと祖父のことを考えた。
 いかめしくて仕事熱心で怖い人だったと思う。
 でも本当は、褒めてもらいたかった。

「……ごめん」

 こんな孫で。葬式すら行けない弱虫で。

 だけど人間と会うのが、空虚な言葉を口にするのが、誰かに合わせて時間を過ごすのがつらい。
 だって、ぜんぶが嘘のような気分になるんだ。

 ベッドの上で壁に寄りかかっていた征一は、膝にうつむいた。自分が情けなくて顔を上げていられなかった。

「おじいちゃん怒ってるかな……」
「まあ、少し怒っとるぞ」

 あるはずのない返事が聞こえ、征一ははじかれたように頭を上げる。部屋の中、ドアの近くに死んだ祖父・岩崎の姿があった。征一は息を呑む。

「おじいちゃん……!」
「式典なんてものは無駄に思えるかもしれんが、世間ではそれなりに重要なものだ。嫌でも出席せねばならん」
「ちが……っ! 俺、お通夜なんて意味ないとか思ったんじゃないよ。行かなきゃ、てしたんだけど」

 これは幽霊なのだろうか。化けて出たくせに言うことは生きていた時と変わらない小言ばかりで征一は泣きそうになる。

「俺……足が動かなくなっちゃったんだ。ごめんなさい、おじいちゃん」
「そうか……」

 岩崎は散らかりっ放しの制服に目をやる。部屋から出られない自分に苛立って、ブレザーもネクタイも床に叩きつけたままだ。征一は恥ずかしくなった。

「おじいちゃん、俺がこんなだから叱りにきたの? 成仏できないの?」
「……おまえを心配しとるんだ」

 やや眉尻を下げる岩崎。祖父のそんな顔は見た覚えがなくて、征一の肩から力が抜けた。
 弱気を取りつくろうためか、岩崎はグッと厳しい目つきをしてみせた。なのに言葉はいつもより柔らかい。

「おまえは優しい子なんだ……人が成績だの友情だので争うのを見るのは嫌だろう。学校に行けないのはそういうことか?」
「え……何いきなり」

 征一は戸惑う。祖父とはずっと話していなくて、どうせ不登校のことも頭ごなしに怒鳴られると思っていたのに。

「いきなりも何も、おまえが部屋から出てこんから、言いたいことも言えんのだろう!」
「うん……ごめんなさい」

 やはり叱られた。これでこそ祖父だ。
 でも難しい顔の岩崎は、真っ直ぐに征一を見てくれる。征一が感じていることを受け取ろうとしているのだと思えた。

「俺、学校行きたいんだよ、ほんとは」
「うむ。ならそのうち行ける日も来る」
「そうかな……」
「今は何もかもを皆と足並みそろえてやらなくともいい。無理な時もあるというだけだ」

 征一の何倍も生きてきた祖父だ。人生でいろいろなことがあったのかもしれない。もっと話を聞いておけばよかったと征一は後悔した。

「あのさ、おじいちゃんも大変な時があった?」
「当然だろう」
「そっか……」
「誰でもそういうのを乗り越えて生きとるんだ。おまえもいつか踏み出せる――だが征一、家にひとりでいても努力はおこたるなよ。自主自律、自学自習は学校に行くより難しいぞ。できるか?」

 ドキンとした。勉強しなきゃと思うのに、ついゲームや動画に逃げてしまっていたから。

「う、うん。わかった、頑張る」
「……勉強だけじゃない。人と話すこと、関わることも大切だぞ。いいな?」

 言い聞かせる岩崎へ、征一はコクリとうなずく。祖父は一歩だけ後ろに下がった。

「よし、征一はきっと大丈夫だ。私はおまえを信じとるからな――」

 かすかに笑い、岩崎の姿が薄れる。

「おじいちゃん」

 征一はベッドから飛び降り手を伸ばした。でもその指は空を切る。引き留められなかった。
 祖父が消えていく。
 向かい合って立てばいつの間にか、二人の身長はあまり変わらなかった。もう征一は、祖父の脚にまとわりついていた子どもではない。

 自分は――大人になれるのだろうか。体だけでなく、心も。

「ありがとう……さよなら、おじいちゃん」

 いなくなった祖父の気配に、征一は別れを告げた。


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 岩崎の葬儀は盛大なものだった。
 祭壇を埋める花のやさしさに、いかめしい遺影が似合わない。喪服に身を包んだ参列者が焼香の列を作り、岩崎に最後の挨拶を続けていた。

 いちばん前の家族席に、征一はいた。
 中学の制服を着て、母親と姉に挟まれ座っている。焼香客へ一礼を返す背すじはきちんと伸び、立派なものだ。

 自分の葬式。そんなものを眺めて岩崎は無言だった。
 列席する人々に向ける、への字口。気難しさが相変わらずで、たぬきと麻実子とは苦笑いしかできない。亜奈はもっと積極的に、指さして笑った。

「いやあ、自分のお葬式って微妙な気分だよね」
「経験者が語ってるわ……」

 亜奈の葬儀もこの斎場で行われた。死因の真相を知った後の週末だった。普通にケロッとして見にきた亜奈は、さすがに友だちと両親の涙にもらい泣きしていたのだが。

「岩崎さんは泣かなそうだなあ。ずるいぞっ」
「ずるくはないでしょ……」

 麻実子の視線の先で岩崎はずっと無表情だった。だけど公の場に出てくることができた孫息子のことをじっと見ている。厳しい顔だった。

「……たぬきが昨晩代弁した岩崎さんのお気持ち。嘘のような気がしてきましたですー」
「今さら何言ってんの。読み取ったから、化けて征一くんのとこ行ったんでしょ? 嘘なんかじゃないわ」

 幽霊の岩崎が直接話すことはできない。だからたぬきが岩崎に化け、言葉を伝えた。
 後悔と不甲斐なさに沈む征一へ、祖父として言ってやれること。せめてもの励ましを遺してやりたいと岩崎が内心願っているのが伝わったから。

「岩崎さん、まともな人でよかった」
「でも、黄泉へ旅立つことはできますです?」
「……心配いらないと思う。ほら」

 誰からも見えていない岩崎は、みずからの焼香台の前に立つ。遺影の写りが気に食わないのか眉間にシワを寄せ、家族席を振り向いた。
 息子。嫁。孫たち。その後ろに居並ぶ親戚一同。彼らは岩崎が生きてきた証だ。

「……フン」

 その鼻息は、たいして不満そうじゃなかった。
 ニッコリした麻実子と目が合って、嫌そうにする。そして――しっかりと座っている征一のことを見やったのを最後に、岩崎はおぼろな光に包まれていった。

「岩崎さん……お疲れさまでございましたですー」

 たぬきは尻尾をフサフサ振る。
 光はフンと不機嫌に輝くと――消えた。

「ふおおっ! 田中さんの時も思ったけどさ、成仏ってカッコよくない?」

 しめやかな葬儀中にもかかわらず、亜奈が小さく叫ぶ。参列者には聞こえないのだが自由なものだ。麻実子はガックリ肩を落としてたしなめた。

「いちおう静かにして。ていうか成仏は仏教だから」
「そ? ……いやなんでもいいけど、光になって消えていくのキレイだよねぇ……あたしもあんな風になるのかなあ」
「未練を晴らしたら、ね」
「……麻実たんも?」
「……そりゃそうでしょ」

 だって麻実子も幽霊だから。実際どうなるかなんてわからないけど。
 岩崎を見送ったので斎場を出る。よく晴れた空に風が渡っていった。

「中学校……私も行ってみたかったかな」
「おや。麻実子さんの未練、そういうことなのです?」
「ううん、長いこと幽霊やってると未練って増えるんだもの。世の中おもしろいことだらけだから。なかなか消えられなくて困っちゃう」

 そんなわけはない。他の人々は消えていくのだし、麻実子が変わっているだけだ。
 でも時代が変わって、楽しそうなことをたくさん知って。そうするとワクワクしてしまい死出の旅になど向かえなくなる。もっとこの世を見ていたい。
 そう思う程度には生きるっていいものだ――だから岩崎家の征一もきっと、いつか自分から世界へ出て行くことだろう。そうなるといいなと麻実子は思った。

 麻実子が見上げる空は今日もまた、遠く遠くまで続いている。