ぽんぽこ神社のたぬきと巫女と

  ✻ ✻ ✻


「ねえ、おじいちゃん」
「君の祖父ではないっ」
「歳はちょうどそのぐらいだもの。いいじゃない」

 岩崎が神社へ来てすぐと同じ会話をくり返しながら、三人と一匹は鳥居の外へ出た。岩崎、麻実子、亜奈、たぬきという面子だ。

 今日は岩崎の通夜だった。
 ということは、明日には葬儀もろもろが終わって岩崎の体は荼毘に付される。それを考えると岩崎は落ち着かなかった。自分は煙になり、空へ昇るのか。

 まだ昼なので、とりあえず家の様子を見に行くつもりだ。前と同じ公園で鳥居を出ると商店街を横切っていく。

「この商店街、ずいぶんお店が閉まっちゃったのね。再開発するっておじいちゃんちの会社がやるんでしょ?」

 麻実子の質問で、岩崎は仏頂面になった。
 にぎわっていた通りは今や見る影もなく、一帯を再開発する話が持ち上がっている。しかし岩崎はもう、その仕事に関わることはできない。育ててきたこの町を、まだ諦めたくないのに。

「客がよそへ流れたせだ……大きなショッピングモールの方が便利なんだろう」
「そうなの? すぐそこにお豆腐屋さんがあるとか、楽なのに」
「……若いのに珍しい子だな」

 麻実子の意見が意外で、岩崎の眉間のシワは浅くなった。
 岩崎には、麻実子も幽霊だとは説明していない。本当は岩崎よりも年上なことも言っていなかった。巫女装束のまま軽やかに歩く麻実子が、ふと子どもっぽく岩崎の目に映る。
 孫娘の優美を思い浮かべた。麻実子や亜奈は同じ年頃だろう。ならば征一は、この小娘な二人よりさらに幼いのだ。

「君も――高校に行っとらんのか」

 岩崎はポロリと尋ねた。踏み込んだことだとわかっているのに。だが麻実子は軽く答える。

「うん。学校は、ちょっと事情があって行けなくなっちゃった」
「そうか……悪いことを訊いたな」
「ぜんぜん。征一くんは? いじめられたりしたの?」
「いや……」

 征一に、これといって問題は見当たらないらしい。
 いじめ、教師との衝突、勉強についていけない。そんな理由ではないと本人が主張しているそうだ。

「ただ学校にいることが、キツい。嫁からはそう聞いた」
「キツい……そっか。それはつらいね征一くん」
「なんかわかるー」

 亜奈がうなずいた。めずらしく苦笑いで、茶化す風ではなかった。

「亜奈ちゃん、わかるんだ」
「ん。なんかね。あたしはそんなでもなかったけど」
「そっか……」

 麻実子は今の学校の様子を知らない。尋常小学校しか出ていないからだ。
 でもずっと死者の声を聞いてきた。何十年も。

 中高生の子を遺して死んだ人。
 学生時代の後悔を持ち続け生きてきた人。
 そして人生の途中で命を落とした少年少女本人たち。

 彼らの言葉と、変わりゆく世の中をながめてきた目。それを合わせれば、なんとなく見えてくるものがある。

「征一くんは、甘えて逃げてるわけではないと思う」
「……じゃあなんだと言うんだ」
「うーんとね」

 麻実子は歩きながら空を見上げた。
 きれいな青だ。
 空は麻実子が生きていた頃から青い。でも社会は変わった。

 麻実子は何も選べなかった。
 この町に産まれ、最低限の教育を受け、弟妹の世話をして家の手伝いをして、戦いに向かう世の中で生きた。
 遊びなんて紐が一本あればよかった。あやとりをし、ゴム段をした。
 食べ物は少なくて、いつもお腹がすいていた。
 だけど皆そんなものだった。

 今の子どもたちは恵まれている。高校や大学まで進学するのは当たり前だし、ゲームも動画も面白いコンテンツがあふれている。金を出せば何でも食べられる。
 でも、だからこそ難しい世の中だと思う。
 何もかもを選び取らなくてはならないから。

「疲れたんじゃない?」
「何にだ」
「そう……自分らしくあることに」

 麻実子は考えながら数えあげる。

「たとえばね、〈世界にただ一人のあなた〉とか言われるのに、周りに合わせなきゃいけないこと。夢や目標があって当然で、それに向かって努力できないのはダメ、みたいなところも。あと〈みんな友だち〉みたいな顔して実はクラスの中に序列があったりするっていうのも聞いたし。なんていうか、そういうの上っ面で嫌だわ」

 麻実子の指摘に岩崎は黙り込んだ。亜奈がゲラゲラ笑い出す。

「やーん麻実たん、理解度たかっ! 今の学校知らないのにすごいじゃん」
「だって私これでもね、ずっと皆さんの心の声を聞いてきたんだもの」
「ぽんぽこ神社は、あなたの悩みに寄り添いますなのですー」

 たぬきがうさんくさいキャッチコピーもどきをのたまうが、岩崎は物思いに沈む。征一が控えめで優しい子なのを思い出した。

 十歳を祝う集いとやらの時には「将来は町づくりのお仕事をしたいです」と作文を発表していた。それは親と祖父に気をつかっていたのだろうか。
 そうだ、あの時征一は「会社を継ぎます」なんて言い方はしなかった。家が経営者だなんて言うと「自慢してる」「偉そう」といじめられるのだと嫁が愚痴っていた。岩崎の足が重くなる。

「征一は……無理をしていたのか」
「そうかもね。小学校まで、ずっといい子だったんじゃない?」

 そんな気もする。
 岩崎は成績が良ければ褒め、運動会で二等だったら来年は頑張れと言った。

 征一は、もう頑張っていたのに。

 自分がしてきたことにやっと気づいたところで、岩崎は自宅にたどり着いた。



「征一!」

 敷地内の新しい方の家から男が怒鳴るのが聞こえた。岩崎たちはそちらに向かう。家の外まで響く声は、岩崎の息子のものだ。ずいぶん苛立っているようだった。

「今日は通夜だと言ってるだろう! 支度をしなさい、おじいちゃんにお別れも言えないのか、おまえは!」
「お父さん、怒鳴ったって動けないんだから仕方ないでしょう」

 妻が制止した。おかげで矛先がそちらに逸れる。

「うるさい、甘やかすな! 学校に行けないのだって、閉じこもるのを許してるから駄目なんじゃないのか? 引きずり出して行かせろ!」
「できるわけないでしょう!」

 夫の無茶にキッとなって叫び返す。嫁のこんな声を聞くのは岩崎も初めてだった。
 ――不登校の征一とずっと向き合ってきたのは、家族の中でおそらく母親だけなのだ。夫にも祖父母にも、何も話せずに。だって誰も受けとめてくれないから。それが爆発した。

「あのね、征一だって学校に行こうとしてたの! でも学校に近づくとどうしても足が動かなくなるの! そうやって苦しんでたのを何も見てないくせに、簡単に言わないでよ!」

 聞こえてきた言葉に岩崎は愕然とした。

「征一……」

 努力していたのか。岩崎が見ていないところで。そして父親すらもその頑張りをわかっていなかったのか。
 母親はそんな征一のことを支えていて、どうにかしてやりたくて、でもどうにもならなくて――二人だけで悩んでいたのだ。