✻ ✻ ✻
翌日、岩崎はもらった御朱印を胸ポケットにしまった。
フン、と鼻息荒く立ち上がり、たぬきと麻美子、そして亜奈には黙って神社を出る。鳥居の外は――見慣れた景色だった。
「……いや。こんなところに神社があるわけないだろう! なんだこれは!」
そこは、岩崎が暮らしていた町の公園だった。
地主の家系の者としてすみずみまで把握しているつもりの町内。なのに公園の片隅にちんまりと、見たことのない鳥居が建っている。以前に亜奈が出て来たのと同じ場所だが、もちろん岩崎は初めて見る鳥居だ。
ぽんぽこ神社は遍在するのだ。訪れた死者の未練に近い場所に。
公園があればそこに現れるし、ビルとビルの隙間にぎゅっと詰まりもする。コンビニの駐車場にもつながる。それだけのこと。
「どうして鳥居なんかが……?」
岩崎は納得いかないようだが、ブツブツ言いつつ歩き出した。後ろでは、たぬきと麻美子が鳥居からピョコリと顔を出しついていく。当然の顔の亜奈も一緒だ。
商店街を横切り、住宅地を抜ける。
建ち並ぶ家々は古びており空き家も多かった。すれ違う人はあまりいない。
やや寂れかけた、静かな町。どこかで犬がワワワウ、と吠えていた。
「おお、こりゃ山下さんの奥さん」
岩崎は道端に立ちどまるお婆さんに声をかけた。山下夫妻は長らく共に町内会の役員をやっている仲間だ。ちょうどいいので考えていた用件を切り出す。
「次の町内会報に来年度のイベント、下半期分も載せると言っとったろ。あれはまだ検討せんといかんよ。世帯数が減ったぶんの町内会費減収、見通しが甘いんじゃないかと気になっていてな」
普通に話しかけたのだが、山下夫人は岩崎のことを振り返ってくれなかった。よく見れば山下夫人は道端の掲示板に訃報の紙を貼り付けている。
【 告 岩崎玄一郎 儀 通夜 □月○日
告別式 □月△日
於 ××祭典
享年七十八歳 】
「…………」
岩崎は立ち尽くした。これは自分のことだ。
息子が立派な葬式をしてくれるか確かめる、などと言ってはみたが、まさか本当に話が進んでいるとは。
山下夫人は画びょうで訃報を留め、ため息をつく。ゆっくり立ち去る背中が気落ちしていた。
「わた、私は……」
死んだのか。
迫ってきた事実に、岩崎は愕然となった。
届かない声。見てもらえない姿。
岩崎玄一郎という人間は――もういないのだ。
「おじいちゃんショックだね……神社へ連れて帰ろうか」
「それがいいかもですー」
たぬきと麻美子はささやき合った。自分の死に直面したことでガックリくる死者は多い。
でも、そっと近づこうとしたら岩崎はグッとこぶしを握った。顔を上げ、への字口のままズンズン歩き出す。亜奈が吹き出した。
「……そうくる?」
「なんと、ですー。岩崎さんはお強いでしたー」
「頑固っぽい人だもんねえ」
麻実子もクスクス笑ってしまう。
岩崎を見ていると自分の祖父を思い出す。祖父も似たような頑固者だった。だからなんとなく「おじいちゃん」と呼んでしまうのだ。
次に岩崎が立ちどまったのは、一軒の大きな家の前だった。表札は〈岩崎〉となっている。ここが自宅なのだ。
敷地は広かった。やや昔風の日本家屋がどんと正面に建っているが、その隣に新しめな一戸建てもある。「息子夫婦」と岩崎が言っていたのは敷地内の別家屋で暮らしているらしい。
岩崎は微妙な顔で玄関先に立った。だが咳払いして庭の方へ回る。家には妻がいるかもしれないが、その反応を目の当たりにするのが怖かったのだ。
五十年ほども連れそった妻。その人から認識してもらえない恐ろしさは、友人相手の比ではない。
それにもし――せいせいされていたら。夫の死がまるで堪えていない様子など見たら、地獄に叩きこまれた気分になるはずだ。
しかし庭に足を踏み入れて、岩崎はハッとなった。広縁に置いた籐椅子に妻が身を預けていたのだ。
その椅子は岩崎が愛用していた物だ。日当たりのいいそこで、よく新聞を読んだり煙草を吸ったりしていた。だが妻は陰鬱な顔でぼんやりと座っているだけ。たまに大きなため息をつくが、動かない。
「……」
これは、岩崎の死にショックを受けているのだろうか。なんとなく嬉しくなった自分に性格の悪さを感じて、さらに口がへの字になった。
その時、新しい家の方から中年女性が出てくるのが見えた。嫁だ。広縁の外から窓を開ける。
「お義母さん、大丈夫ですか。お昼食べました?」
「……ああ。まだよ」
「じゃあこっちで一緒に食べましょ」
嫁は妻を手招きし、窓の下に置いてあるつっかけを揃えた。庭におり、とぼとぼ歩く妻の後を岩崎もついていく。
岩崎は息子夫婦の家にはあまり立ち入らないようにしていた。だが実は――そこに住む孫のことをずっと不満に思っている。あいつは今日、どうしているだろうと考えた時、折良く妻が訊いてくれた。
「征一ちゃんは?」
「……すみません、家にいますよ。あまり部屋から出てこないです。優美は学校に行ってます」
征一というのは中学生の孫息子。中一の途中から不登校になり引きこもっている。優美は姉だが、そちらは元気に公立高校へ通っていた。
「お葬式、征一ちゃんは出てくれるかしらね」
「出なさい、って言ってありますけど……お義父さんのお葬式となると、人がいっぱい来るでしょう。たぶん嫌がると思うんですよ」
ため息まじりの嫁は、誤魔化すように微笑んだ。
不登校の征一のことを「甘やかしている」と義父の岩崎からは責められていた。そして義母は夫に逆らわない。
岩崎亡き後、義母の反応は変わるだろうか。嫁は様子をうかがっているのだった。
岩崎は息子の家の玄関をスルリと入り、二階を見上げた。征一は部屋で何をしているのか。そっと階段を上がる。
もちろん後ろからたぬきたちもついていった。麻実子は首をひねった。
「未練って、孫息子くんのことかな……部屋から出ないってどういうこと? 体が弱いの?」
「たぶん不登校だよ。今めっちゃ多いの」
亜奈が教えてくれた。現在の社会を知る人がいるととても助かる。
「不登校。学校に行かないってこと?」
「行かないっていうか、行けなくなるカンジ? なんか学校になじめなかったり、いじめられたり先生が気に入らなかったり、朝起きられなかったり」
岩崎は難しい顔で二階のドアの前に立った。そこが征一の部屋だ。
そっと手を上げてノックするが、音は鳴らなかった。今の岩崎は幽霊だから。目を見張る。むきになって繰り返す。でも中の征一には通じない。
気持ちだけはドンドン、とドアを叩き続ける岩崎を、たぬきと麻美子と亜奈はそっと見守っていた。
翌日、岩崎はもらった御朱印を胸ポケットにしまった。
フン、と鼻息荒く立ち上がり、たぬきと麻美子、そして亜奈には黙って神社を出る。鳥居の外は――見慣れた景色だった。
「……いや。こんなところに神社があるわけないだろう! なんだこれは!」
そこは、岩崎が暮らしていた町の公園だった。
地主の家系の者としてすみずみまで把握しているつもりの町内。なのに公園の片隅にちんまりと、見たことのない鳥居が建っている。以前に亜奈が出て来たのと同じ場所だが、もちろん岩崎は初めて見る鳥居だ。
ぽんぽこ神社は遍在するのだ。訪れた死者の未練に近い場所に。
公園があればそこに現れるし、ビルとビルの隙間にぎゅっと詰まりもする。コンビニの駐車場にもつながる。それだけのこと。
「どうして鳥居なんかが……?」
岩崎は納得いかないようだが、ブツブツ言いつつ歩き出した。後ろでは、たぬきと麻美子が鳥居からピョコリと顔を出しついていく。当然の顔の亜奈も一緒だ。
商店街を横切り、住宅地を抜ける。
建ち並ぶ家々は古びており空き家も多かった。すれ違う人はあまりいない。
やや寂れかけた、静かな町。どこかで犬がワワワウ、と吠えていた。
「おお、こりゃ山下さんの奥さん」
岩崎は道端に立ちどまるお婆さんに声をかけた。山下夫妻は長らく共に町内会の役員をやっている仲間だ。ちょうどいいので考えていた用件を切り出す。
「次の町内会報に来年度のイベント、下半期分も載せると言っとったろ。あれはまだ検討せんといかんよ。世帯数が減ったぶんの町内会費減収、見通しが甘いんじゃないかと気になっていてな」
普通に話しかけたのだが、山下夫人は岩崎のことを振り返ってくれなかった。よく見れば山下夫人は道端の掲示板に訃報の紙を貼り付けている。
【 告 岩崎玄一郎 儀 通夜 □月○日
告別式 □月△日
於 ××祭典
享年七十八歳 】
「…………」
岩崎は立ち尽くした。これは自分のことだ。
息子が立派な葬式をしてくれるか確かめる、などと言ってはみたが、まさか本当に話が進んでいるとは。
山下夫人は画びょうで訃報を留め、ため息をつく。ゆっくり立ち去る背中が気落ちしていた。
「わた、私は……」
死んだのか。
迫ってきた事実に、岩崎は愕然となった。
届かない声。見てもらえない姿。
岩崎玄一郎という人間は――もういないのだ。
「おじいちゃんショックだね……神社へ連れて帰ろうか」
「それがいいかもですー」
たぬきと麻美子はささやき合った。自分の死に直面したことでガックリくる死者は多い。
でも、そっと近づこうとしたら岩崎はグッとこぶしを握った。顔を上げ、への字口のままズンズン歩き出す。亜奈が吹き出した。
「……そうくる?」
「なんと、ですー。岩崎さんはお強いでしたー」
「頑固っぽい人だもんねえ」
麻実子もクスクス笑ってしまう。
岩崎を見ていると自分の祖父を思い出す。祖父も似たような頑固者だった。だからなんとなく「おじいちゃん」と呼んでしまうのだ。
次に岩崎が立ちどまったのは、一軒の大きな家の前だった。表札は〈岩崎〉となっている。ここが自宅なのだ。
敷地は広かった。やや昔風の日本家屋がどんと正面に建っているが、その隣に新しめな一戸建てもある。「息子夫婦」と岩崎が言っていたのは敷地内の別家屋で暮らしているらしい。
岩崎は微妙な顔で玄関先に立った。だが咳払いして庭の方へ回る。家には妻がいるかもしれないが、その反応を目の当たりにするのが怖かったのだ。
五十年ほども連れそった妻。その人から認識してもらえない恐ろしさは、友人相手の比ではない。
それにもし――せいせいされていたら。夫の死がまるで堪えていない様子など見たら、地獄に叩きこまれた気分になるはずだ。
しかし庭に足を踏み入れて、岩崎はハッとなった。広縁に置いた籐椅子に妻が身を預けていたのだ。
その椅子は岩崎が愛用していた物だ。日当たりのいいそこで、よく新聞を読んだり煙草を吸ったりしていた。だが妻は陰鬱な顔でぼんやりと座っているだけ。たまに大きなため息をつくが、動かない。
「……」
これは、岩崎の死にショックを受けているのだろうか。なんとなく嬉しくなった自分に性格の悪さを感じて、さらに口がへの字になった。
その時、新しい家の方から中年女性が出てくるのが見えた。嫁だ。広縁の外から窓を開ける。
「お義母さん、大丈夫ですか。お昼食べました?」
「……ああ。まだよ」
「じゃあこっちで一緒に食べましょ」
嫁は妻を手招きし、窓の下に置いてあるつっかけを揃えた。庭におり、とぼとぼ歩く妻の後を岩崎もついていく。
岩崎は息子夫婦の家にはあまり立ち入らないようにしていた。だが実は――そこに住む孫のことをずっと不満に思っている。あいつは今日、どうしているだろうと考えた時、折良く妻が訊いてくれた。
「征一ちゃんは?」
「……すみません、家にいますよ。あまり部屋から出てこないです。優美は学校に行ってます」
征一というのは中学生の孫息子。中一の途中から不登校になり引きこもっている。優美は姉だが、そちらは元気に公立高校へ通っていた。
「お葬式、征一ちゃんは出てくれるかしらね」
「出なさい、って言ってありますけど……お義父さんのお葬式となると、人がいっぱい来るでしょう。たぶん嫌がると思うんですよ」
ため息まじりの嫁は、誤魔化すように微笑んだ。
不登校の征一のことを「甘やかしている」と義父の岩崎からは責められていた。そして義母は夫に逆らわない。
岩崎亡き後、義母の反応は変わるだろうか。嫁は様子をうかがっているのだった。
岩崎は息子の家の玄関をスルリと入り、二階を見上げた。征一は部屋で何をしているのか。そっと階段を上がる。
もちろん後ろからたぬきたちもついていった。麻実子は首をひねった。
「未練って、孫息子くんのことかな……部屋から出ないってどういうこと? 体が弱いの?」
「たぶん不登校だよ。今めっちゃ多いの」
亜奈が教えてくれた。現在の社会を知る人がいるととても助かる。
「不登校。学校に行かないってこと?」
「行かないっていうか、行けなくなるカンジ? なんか学校になじめなかったり、いじめられたり先生が気に入らなかったり、朝起きられなかったり」
岩崎は難しい顔で二階のドアの前に立った。そこが征一の部屋だ。
そっと手を上げてノックするが、音は鳴らなかった。今の岩崎は幽霊だから。目を見張る。むきになって繰り返す。でも中の征一には通じない。
気持ちだけはドンドン、とドアを叩き続ける岩崎を、たぬきと麻美子と亜奈はそっと見守っていた。



