ぽんぽこ神社のたぬきと巫女と

  ✻ ✻ ✻


「――――なんだ、ここは」

 闇に浮かぶ鳥居の前で、高齢の男性が眉間にしわを寄せていた。
 周囲は暗く沈んでいて何も見えない。赤い鳥居と、その奥に続く参道だけが彼の把握できるすべてだ。

 彼は岩崎という。地元ではそれなりの名士として通っている人物だった。
 だが今の装いはごく普通。だって家にいたのだから。ベージュのスラックス、ネルのチェックシャツ、ラクダ色のカーディガン、黒ブチの眼鏡。
 岩崎の背すじは伸び、かくしゃくとしていた。気難しげに参道の奥の気配を探る。
 その耳に、小つづみの音が聴こえた。

「誰かいるのか――?」

 夜なのに、と首をかしげた。
 祭りにしては他に人が集まっていないし、店も出ていない。

 それにしても自分はこんな場所で何をしているのだろう。たしか頭がガンガンと痛み体がふらついて倒れ、病院に搬送されたはず。白衣の連中に囲まれたのをおぼろげながら覚えている。

 ――ポポンッ!

 ムスッと唇を結んだ岩崎は、軽やかな音が聴こえる方へ歩き出した。鳥居をくぐる。

 ポポポポ、ポポンッ!
 ッポン!
 ポ、ポン!

 杜を抜けると、灯籠のほのかな灯りに浮かび上がる神楽殿で巫女が静かに舞っている。そして腹つづみを叩くたぬきがいた。

「なっ――たぬきだと?」

 ポポンッ!
 舞が終わる。スチャッ! そして麻美子!

「おまかせ下さい! 未練を晴らすお手伝い!」

 でも岩崎は、たぬきの決めゼリフの前に怒鳴った。

「なんなんだ、この茶番は! アルバイトとはいえ神職だろうが! ふざけるな!」

 厳しい声にたぬきが硬直する。麻実子はため息まじりに反論した。

「バイトじゃないわ。まあ本職でもないけど」
「じゃあなんだ、コスプレか」
「おー、おじいちゃんよく知ってるね!」

 神楽殿じゃないところから拍手したのは亜奈だった。救急車の音でお出迎えに出た麻実子たちを、また見学していたのだ。

「ふ、ふん。そのぐらい常識だろう」

 岩崎は褒められたことすらもなんとなく不快だった。孫たちの話についていくためアンテナを張っているのを揶揄されたような気がする。
 八十歳近くにもなると「老害」と言われがちだ。でもこれまで社会を支えてきたのは岩崎たちじゃないか。むしろ若者が老人に合わせるべきではないか?

「あのー、です」

 遠慮がちにたぬきは口をはさんだ。岩崎がぎょっとする。

「しゃべっ……!」
「あ、はいー。たぬきはお話できるのでございますー」
「う、嘘だ。なんだこれは? 麻酔か何かで夢を見てるのか……そうか、うん。そういうことだな」
「違う違う、夢じゃないってば。おじいちゃん救急車で運ばれたんじゃない? で、そのまま死んじゃったの」
「なにを?」

 岩崎はジロリと麻実子をにらむ。

「こうして動いて話しとるだろうが! 適当なことを言うな!」
「わかるー。そういう反応になるよね!」

 亜奈が深い共感を示し、麻実子は苦笑いした。そりゃ自分の死など、あっさり受け入れられるものではない。死の瞬間の記憶がなければ夢だと思われて当然だ。

「まあ。立ち話もなんだし中で話しましょ、おじいちゃん」
「……私は君の祖父ではないぞ」

 麻実子のおじいちゃん呼びが気に入らないのか、岩崎は口をへの字にした。


  ✻


「では岩崎さん、あらためましてようこそなのですー」
「……気の抜けた話し方のたぬきだな」

 社務所の床であぐらをかいた岩崎は、たぬきのことをうさんくさそうにながめた。夢なのか何なのかまだ半信半疑なのだ。普通にジーンズとフーディ姿の亜奈がたぬきの背中をモフっているのもよくわからない。
 ガードの硬い岩崎に対し麻実子はニコリとしてみせた。

「だってたぬきだもの。キリッとしてなくても仕方ないでしょう?」
「ですですー。たぬきはのんびりが好きなのですー」
「『です』は一度でいい」
「あ、おじいちゃん『はい』は一回! とか言っちゃう人なのね」

 名乗ってもなお岩崎を「おじいちゃん」扱いする麻実子。その態度に岩崎は不機嫌になった。

「『はいはい』なんて言い方は不誠実だろう」
「うん、わかる」

 麻実子はあっさりうなずく。

「人の話を適当にいなすのは良くないわ」
「……わかっとるならいい」
「だから、私とたぬきの話もちゃんと聞いて?」
「おお、さすがひいおばあちゃん! 話の持っていき方ね!」

 茶々を入れる亜奈の頭を麻実子ははたく。こういうのは体罰だ、昭和のノリだとこのあいだ抗議されたがかまうものか。麻美子は昭和ヒト桁生まれだ。
 言いくるめられた岩崎が嫌な顔をして麻実子をにらんだ。しかし自分が言ったことを否定はできない。黙り込んだところへ、たぬきはポヤポヤと説明した。

「ぽんぽこ神社にいらっしゃる方は、皆さま何かしらの未練を抱えているのですー。岩崎さんの未練を解消するお手伝いを、たぬきがいたしますのですー」
「未練だと……?」

 死に際して想い残したこと。そう言われても、岩崎はまだ自身が死んだとは思えなかった。まずはそこから確かめなければ気がすまない。

「私の葬式でも見ないことには信じられん。それとも新聞に死亡記事は出とらんか?」
「あ、ここ新聞とか届かないから」
「……そのぐらい読みなさい!」
「今はみんなネットじゃないの? 亜奈ちゃんは読む?」
「あたしは読まないよ。家では新聞とってたけど」

 それは親が商店街の中で必要とした付き合いの関係かもしれない。それに商売をやっていると新聞紙は何かと重宝だった。

「まったく、そんなことだからいかんのだ!」

 イライラと岩崎は声を荒らげた。
 息子夫婦に終活の話をした時もそうだった。死亡広告を新聞に載せなさいと言ったのに、「今どき新聞なんて」と面倒くさそうにする。あげく「葬儀の告知なんかしたら空き巣が入る」と却下された。時流のわからない爺さん扱いした嫁の顔を思い出すと憎たらしくてたまらない。

「私は地元の名士なんだ。きっと盛大な葬儀になるはずなのに連絡もれがあったらどうするつもりなのか……」
「あれ……もしかして地主の? 岩崎さんちのおじいちゃんなの?」

 麻実子が「うわ」と手を叩く。心あたりがあるらしい。亜奈も「岩崎不動産か! 再開発やろうとしてるとこじゃん」とうなずいた。たぬきだけは首をかしげる。

「皆さん知ってるんです?」
「うちの実家の商店街の北側に住宅街あったでしょ。あそこだいたい岩崎さんの土地だったの。昔は広ーい田んぼでね」
「ふおお、それはすごいのですー」
「田畑だったのは戦中までのはずだ。ここらが空襲で焼け野原になってから、住宅地として開発したと聞いた」

 ここら、という言い方は厳密には間違っている。ぽんぽこ神社はわりと広い地域をカバーしていて、そのどこにでもあるといえるから。
 だが岩崎は自分の家が知られていたことに満足を覚えた。あの商店街も住宅地も、岩崎家が開発に関わり育ててきた町だ。たぬきがもらした感嘆の声にグイと頭をそらす。

「うん……本当に死んだのなら、私の葬式を息子がちゃんと出すかどうかは気になる。それを確かめないと死んでも死に切れんが……」
「ははあ。ではまず、お宅に行ってみる感じですかねえ」

 サッと立ち上がった麻実子が紙と筆を出す。御朱印を書くのだ。
 紙に狸穴(まみあな)神社、と墨書する。そして、たぬきが肉球をポン!

「お出掛けする気になりましたら、これをお持ちになってご帰宅くださいー」
「たぶん他の人からは見えないからウロウロしても大丈夫。でも誰かに話しかけたり触ったりもできないからね、おじいちゃん」

 いちいち「おじいちゃん」と呼ぶ麻実子のことを岩崎はにらむ。だけど麻実子にこたえた様子はなくニコニコするばかりだった。