ぽんぽこ神社のたぬきと巫女と

 現れたのは間中だった。どうやら田中の姿が見えるらしい。息を飲み、目を丸くしている。

「田中さん……あの、駅で事故に巻き込まれて亡くなったって……私びっくりして」
「そ、そうなんだよ。俺も信じられないんだけど死んだみたいで。え、なんだこれ、夢なのかな」

 田中は自分の頬をつねってみた。痛くない。やはり夢か。いや、社務所で床を叩いた時だって痛くなかった。これはただ、死んでいるだけ。

「もうなんでもいいか……間中さんと話せてるんだもんな」

 はは。嬉し泣きをこらえて田中は小さく笑った。
 たぬきが何か術でも掛けてくれたのかもしれない。ならばこの際、好きだった人にお別れぐらい言おう。

「あのさ俺、かっこ悪くてごめんな。告白したのに返事も聞かずに死ぬなんて、すっごく間抜けだ」
「そんなことないです! 田中さんは……いつも助けてくれたじゃないですか。私すごく尊敬してました」

 そうだった。
 パワハラで男尊女卑な上司から間中に向けられる、嫌みと八つ当たり。そこにやんわり割って入るのが田中の常だった。仕事もなるべく引き受け、間中をかばっていた日々がもはや懐かしい。
 だが――。

「尊敬、か」
「あ、あの」
「いや、いいんだよ。もう俺は死んだんだ。告白の返事なんてしなくていいから」

 決定的にフラれるのを田中は拒否した。だってそうだろう、人生の最後でみじめな気持ちになりたくない。
 だが、田中に向ける間中の瞳はやさしかった。

「私、転職するんです」
「転職?」
「はい。しばらく前からそのつもりで動いていて……だからあの会社では、誰ともお付き合いするつもりはありませんでした」
「そっかぁ……」

 田中はしみじみと笑った。
 これは田中を傷つけないための言い訳なのだろうか。でもできれば本当であってほしい。間中がパワハラ上司から逃げ、どこかでキャリアをつないでくれるなら嬉しいと心底から思えた。

「よかった。間中さんは強い人だ。ここでお別れになっちゃうけど、どうか……幸せになって下さい」
「田中さん……」

 間中が涙をこらえる顔になる。深々と頭を下げてくれるのを見つめていると、田中の体は少しずつ軽くなっていった。

「あ、れ……俺……なんだかすごく、楽に……」

 さっきまで抱えていた不安や苦しさがどこかへ消えるのがわかった。
 体が透きとおる。光が満ちる。
 田中のまわりにあった暗闇はいまや、まばゆくあたたかな白になり――――。



 ――そして唐突に、そこは元のぽんぽこ神社に戻った。田中はもういない。いるのは麻実子と亜奈だけだ。

 ボンッ! くるりんぱ。

 奇妙な音とともに、たぬきが姿をあらわす。麻実子はニッコリと迎えた。

「おかえり、間中さん(・・・・)
「はいー」

 照れ笑いするたぬきは、頭の上にあった葉っぱを手に取った。
 ぽんぽこ神社でゴロゴロ過ごしていても、化身の術は(なま)っていない。麻実子は小さく見得を切り、芝居がかって口上を述べた。

「まさか別れを告げた相手が化けだぬきとは、お釈迦様でも気がつくまい!」
「ええと、お釈迦様は仏教なのですー」

 というかセリフそのものは歌舞伎あたりだが。
 それはともかく、キョトンと目を見開いて叫んだのは亜奈だった。

「ちょ、ちょっと待ってよ! なに、さっきの間中さんって――もしかして、たぬきゅん?」

 田中としみじみ言葉を交わし、告白の返事について誠実な対応を見せてくれた同僚女性。あれが、たぬきだと?
 戸惑う亜奈に向かって、たぬきは胸を張った。

「そうなのですー。たぬきが化身の術を使えば、ざっとこんなものですー」
「ぐっ……げ……それはぁ……ちょっとぉ……」
「亜奈ちゃん、気持ちはわかるけど」

 そんなにドン引きしないでほしい。

 間中は生きた人間だ。霊感もない。
 そうなると田中と間中を直に合わせる方策は、たぬきにもなかった。だから間中に化けた。
 これは死者の未練を晴らすのに、よく使う術。
 先日のバドミントン女子高生の案件でも親友の香澄に化けて莉々を見送っている。大好きな友だちの正体がこの残念たぬきなことは麻美子も心底から申し訳なく思っていたが、仕方なかったのだ。

「でもでもっ、たぬきは嘘は申しておりませんですー。間中さんのお心を読み取り、正直な気持ちでお話をしましたですー」
「うんうん、わかってるよ。だから田中さんも疑わなかったし本音で話せたよね」

 他にどうしようもないとはいえ、本当に本物の相手と会わせられないのは後ろめたい。そんなたぬきの気持ちを知っているから、麻実子は笑ってあげた。でも亜奈はまだ引きつり顔。そりゃ納得いかないだろう。

「はー、そんなことって……」
「飲み込めないかな、亜奈ちゃんには。それも仕方ないと思う」

 麻美子は苦笑いで立ち上がった。社務所の戸を開けて外へ出る。

 ――化身はしょせん嘘だ。偽物だ。
 その人の想いや記憶を読み取って化けたとしても、決して本物にはなれない。
 だけど、死にきれないほどの想いを抱えているなら。せめてやさしい嘘で受けとめてあげるのは――そんなにいけないことだろうか。

「あーん麻美たん! 悪いってんじゃないんだよ。なんていうかさぁ」

 追ってきた亜奈は微妙な顔だった。

「たぬきゅん相手に愛の告白するの、あたしだったら嫌だなって。それだけ!」
「あ、それは私も嫌だと思ってる」

 亜奈が訴えたのは、あまり深刻な拒否感ではなかったようだ。恋愛がらみで化身されたくないのは麻美子も強く同意なのでホッとする。でもたぬきはショックを受けた。

「たぬ、たぬきには……愛が似合わないです……?」
「……え、逆に似合うとでも?」

 麻美子は真顔で問い返す。
 二の句が継げなくなって、たぬきは静かな空を見上げた。たくさんの魂を見送ってきた空――。

「だいじょぶ、たぬきゅんはかわいいよ!」

 亜奈はヒョイとたぬきを抱き上げた。むぎゅ、とする。

「でもたぬきゅんて、彼氏とはジャンルが違うじゃん?」
「じゃんる、です?」
「そ。別物だからさぁ、気にしなくていいんだってば」

 そう言われても、たぬきにはよくわからない。とにかく田中に対してたぬきなりの真心を尽くしたのだと亜奈に訴えた。

「田中さんは誠実に生きましたですー」
「うんうん、そだね」
「周りの人たちに渡してきた田中さんの心や想い出は、消えてなくなることはないのですー。間中さんの中にも、ちゃんと残りますですー」
「うんうん」

 生きた証は受け継がれるのだ。たぬきは世の中を見続けてきたから知っている。
 人は消えていく。でもそれでいい。
 心を後ろへ送り届けていけるから。

「たぬきゅん、えらいえらい」

 亜奈はヨシヨシとたぬきをなで、地面におろす。たぬきは神さまなのに雑にモフられていて麻美子は苦笑いだが、まあいいか。

「とにかく田中さんを無事に送り出せて、よかったよかった!」
「そうなのですー!」

 一件落着。たぬきは腹を叩いた。
 ポーン!
 小気味よい腹つづみが空に響く。それは去りゆく魂へのエール――なのかもしれなかった。