ぽんぽこ神社のたぬきと巫女と


 麻実子(まみこ)は〈巫女〉ということになっている。
 高校生のような年に見えるが、いつもの服装は白い衣に緋の袴。

 今日も麻美子はその装束で、とある高校を訪れていた。今は体育館の裏から部室棟をうかがっているところ。
 隣には制服姿の女子高生がいた。何かに耐えるように唇をかみ、呼吸がふるえる。物言いたげな目は涙でうるみそう――その視線の先には同じ制服にコートを着た女子生徒がたたずんでいた。

「――あれが、ペアを組んでた子?」

 ささやく麻実子の足もとには、たぬきがチョコンと座っている。もっふりもふもふ。

 高校の中なのに、とても場違いなたぬきと巫女だ。
 彼らは〈ぽんぽこ神社〉と呼ばれる神社からやって来た〈神さまとそのお手伝い〉とでも言えばいいか。

 たぬきと麻美子の本日の目的は――ここにいる女子高生・莉々(りり)の抱える未練を晴らすことだった。

「そう……あの子が香澄(かすみ)。あたしの大切な友だち」

 同級生の香澄は、莉々と一緒にバドミントン部に所属しダブルスを組む親友だ。
 その香澄はバド部の部室前でラケットを抱え、うつむいていた。ドアに手を伸ばしてはためらう。何かの踏ん切りがつかず迷っているようだった。

「香澄、きっと部活やめるつもりなんだ……あたしが死んじゃったから」

 莉々が言葉を絞り出すと、同時に涙もこぼれた。手でグイッとぬぐう。

 死んじゃった――という言葉は嘘ではない。莉々は先日、交通事故で命を落としていた。
 今ここにいる莉々は、いわば幽霊。この世に残した未練にとらわれ、あの世に旅立つことができずにいる魂なのだ。

「やめちゃダメだよ香澄! 香澄は強いんだから、バド続けなきゃ!」

 莉々が叫んだ声は香澄に届かない――幽霊だから。
 実はたぬきや麻美子の姿も他の人の目には見えていなかった。だから巫女装束であちこち歩いてもまったく問題ない。たまに霊感が強い人から悲鳴をあげられたりするけれど。
 でもあいにく香澄には霊感がないようで、莉々の方を気にする様子はない。麻実子はそっと莉々の肩を抱いた。

「莉々ちゃんと香澄ちゃんは中学から組んでたんだっけ。ずっと一緒に頑張ってきたんだもの、莉々ちゃんがいなくなってショックだったのよ」
「わかるけど……あたしがいなくたって、香澄は別の人と組んで上に行ける。あたしなんか放っといて、どこまでも行ってほしいの……!」

 必死に言いつのる莉々の想いを受けとめたように、たぬきが前に進み出る。そしてなんと――しゃべった。たぬきのくせに。

「そろそろ、たぬきの出番なのですー!」

 ポポンッ!
 音高く、腹つづみを鳴らす。するとあたりが夜のように暗くなった。

「え!?」

 何も見えなくなり、莉々が悲鳴をあげる。しかし麻実子は抱いた肩を押さえてささやいた。

「だいじょうぶ。たぬきの力で莉々ちゃんと香澄ちゃんを会わせてあげるから」
「そんなことできるの――?」
「――――莉々?」

 闇から聞こえたのは、莉々を呼ぶ香澄の声だった。
 息を飲む莉々の前に、ぼうっと香澄の姿が浮かび上がる。突然のことに戸惑っているようだが、確かに香澄だ。二人のいる場所だけが淡い光に包まれて互いが見えた。

「香澄……」
「ほんとに莉々なの? ……よかった、死んじゃったなんて嘘だったんだ」

 親友を亡くして悩んでいた香澄は、喜びに泣き笑いした。申し訳なくなって莉々が首を振る。

「ううん……あたし、たぶん死んでるの。ごめんね香澄」

 謝る莉々の言葉に香澄は声を詰まらせる。
 でもそれが真実。莉々は死んだ。大きな音と痛み、そして恐怖をまざまざと覚えているから間違いない。
 ところが目を覚ましたら神社の鳥居の前だった。中に入ると神楽を舞う巫女がいて、たぬきがいて、「ぽんぽこ神社があなたの未練をなんとかする」と宣言されて――今に至る。

「あのね、あたし死んじゃった時、いちばん心配になったのは香澄のことだった」
「私? なんでよ。いっつも莉々の方が危なっかしかったでしょ。しょっちゅう忘れ物するし、階段は踏み外すし、赤点取るし」
「そうだけど!」

 莉々はふくれつらになった。だけど――そういうのを助け続けてくれた優しい親友のこと、今度は自分が救わなきゃならない。

「香澄はちゃんとしてて真面目だから……あたし以外と組むの、迷うんじゃないかなって。もうバドミンやめちゃうかもって思ったの」
「そん……なこと」
「でも今、退部届出そうか迷ってたでしょ」
「……」

 図星だったらしい。香澄は記入済みの届けが入ったカバンを抱いてうつむいた。やれやれ、という顔で莉々が笑う。

「そんなことしたら許さないよ、香澄」
「莉々……」
「香澄はバド続けなきゃ。で、どっかの大会で勝って勝って、金メダル取って、『中学と高校で組んでた今は亡き友だちに、このメダルを捧げます』とかインタビューで言うの。かっこよくない?」
「ちょっと何それ」

 香澄は泣きながら笑い出した。莉々もクスクスと肩を揺らしながら大好きな友だちの顔を見つめる。

「あたし知ってるの。あたしがいなくても、香澄は戦えるんだよ。だから……行けるところまで行ってほしい。あたしのぶんまで」
「莉々……」
「もちろん他に大切なことができたら仕方ないけど。とにかくあたし、香澄が途中であきらめるのが嫌なの。ごめんね、我がまま言って」

 へへ、と笑った莉々は恥ずかしそうに頬をかいた。
 自分の人生が終わったからって、親友に何かを背負わせるのはいけないことかもしれない。でも莉々の願いは、たったひとつ――。

「香澄には、幸せになってほしいから」
「莉々……」

 香澄は親友のことをぎゅっとした。
 もう会えないはずだった莉々。その人から渡された気持ちを、しっかり受け取ったと伝えるために。

「ありがと、莉々。あのね――大好き」
「あたしも大好き――」

 微笑みあったら、莉々の体が光に包まれた。ふわりと心が軽くなる。
 ――もう、いいんだ。そう莉々は思った。

「あ。莉々――!」

 香澄は顔を上げた。莉々が白く透きとおっていく。
 光となりゆく魂はキラキラと輝いて、風のように親友を包む。

「莉々――」

 香澄が差し伸べる手に少しだけ名残を惜しむと、莉々だった光は消えていった。
 そして――暗闇が満ちた。


  ✻


「――よかった、無事にお見送りできて」

 麻実子の声とともに、あたりが明るくなる。するとそこはもう高校の敷地内ではなかった。

 板の間に板壁。そして簡素な祭壇。
 木の香も清々しいここは、ぽんぽこ神社の社殿の中だ。
 巫女姿のままの麻実子が足をくずして楽に座る。目の前にポンッと現れたたぬきもホッとした様子だ。何故か手には葉っぱを持っていて、肉球でほこりを払っていた。

「莉々さん、とってもいい子でしたですー。たぬきももらい泣きですー」
「本当にね……若い子が亡くなるのは、こっちもつらくなるよ」

 麻美子は遠い目をした。たぬきがテシテシ床を叩く。

「若い子、とか言うのは変なのです。麻美子さんも見た目は同い年ぐらいですー」
「あはは、そうね」

 確かに。麻美子だって十六歳だ――享年が。

「麻美子さんがお亡くなりの時も痛々しかったのですー」
「でもねえ。あの時は神社がギュウ詰めになってたのよ?」

 死者で。
 麻美子はその内の一人にすぎなかった。

「小さい子もたくさんいたし、私なんてどうってことなかった」
「……麻美子さんたちは、みんなで死にましたですけども。ひとりひとりが大事な魂なのですー」

 たぬきにたしなめられ、麻美子は「うん」とうなずいた。

 麻美子はさっきの莉々と同じ、幽霊だ。
 未練を抱え、この世に居残っている。
 延々と――八十年以上も。