先生から注意を受けてしまったので、俺たちはバスケを切り上げ、屋上に戻ってきた。
ここで花子さんの話を聞いたときにはまだ高い位置にあった太陽も、今は西の空に沈み始めている。
「2人とも今日は付き合ってくれて、ありがとう。本当に楽しかった」
しばらく夕焼けに染まる空を眺めたあとで、花子さんは俺たちに向き直った。
「でも、やっぱりだめだった。本物じゃないと、心は満たされないみたい。恋愛ごっごなんて結局は偽物なんだし、当然なのかもしれないけど……」
花子さんが俯き、光の加減で顔が陰る。
「だから、お願いがあるの。最後に私に本物をちょうだい」
もしかして、悪霊化してしまったのだろうか。そんな不安が過る。
拓己も同じように考えているようで、その場に緊張が走った。
俺と拓己が息をのむ前で、花子さんが顔を上げる。
「本物を私に見せてほしい! お互いを純粋に想い合っている、そういう恋愛を……千景くんと拓己くんの純愛を!」
俺と拓己は同時に「え?」と間の抜けた声を上げた。
「ねえ、2人はそういう関係なんでしょ?」
花子さんはきらきらと目を輝かせ、期待の眼差しを向けてくる。
「隠しても無駄だから。私のトイレであんなことをしておいて」
あんなことと言われて思い出すのは、トイレの個室で拓己に迫られ、首筋を撫でられたことだ。よくよく考えてみれば「触って」などと際どい発言をしていた気もする。あの出来事のせいで、花子さんは俺と拓己が恋人同士だと思い込んでいるらしい。
花子さんを除霊するために俺が拓巳を好きだと思わせるという当初の目的からしたら成功なのだろうけど、扉越しに声だけ聞いていた花子さんに、もしかしたら必要以上のことを想像させてしまったのかもしれない。
「私、あのときにはもう気づいていたんだと思う。ずっと求めていたときめきは、きっとこれなんだって。私に足りなかったのはこれなんだって。ようやくわかったの」
花子さんは、完全に自分の世界に入っていた。
俺と拓己の戸惑いを置き去りにして、恍惚とした表情で続ける。
「私、2人が愛を囁き合っているのを聞いていたら、居ても立ってもいられなくて、気がついたときには個室の扉を思い切り叩いてた。見たいような、見たらいけないような、でもやっぱり見たいような……そんな衝動が胸に走って、自分を抑えられなかったの」
除霊に苦しんで扉をドンドン叩いていたのかと思いきや、まさかそんな気持ちで叩いてたとは。恐怖に震えていた自分が、なんだか馬鹿馬鹿しく思えてくる。
もしかすると、花子さんをきちんと除霊できなかったのも、それが原因なのかもしれない。
「きっとこれが私の本当の願いなんだと思う。これさえ叶えば、ちゃんと成仏できるはず。だからお願い。本物を……2人の純粋な恋を見せてほしい」
「見せてほしいって言われても……」
妙なお願いではあるけれど、花子さんが切実に頼んでいることはわかる。それでも、とても二つ返事では引き受けられなかった。
トイレでの一幕を思い出すだけで気恥ずかしいのに、それを第三者からお願いされたうえでまたやるというのは、どうなのだろう。
何より、花子さんが求めているのは純粋な本物の恋だ。
花子さんは偽物のごっこ遊びでは満たされないのだと言っているけど、俺と拓己だって演技をしているだけだ。あくまで除霊のために好きだと言い合ったり触れ合ったりしているのであって、ごっこ遊びとさほど変わりない。そんなことで、花子さんをきちんと成仏させてあげられるのだろうか。
「見せてほしいって、具体的に何を見たいの?」
口をつぐんでしまった俺に代わり拓己が尋ねる。
花子さんのお願いを最初に聞いたときにも同じような言葉を聞いた気がするが、ずいぶんとニュアンスが違う。今はどちらかと言うと、引き受ける前提で確かめているようだった。
花子さんもそれを感じ取ったのか、前のめりになる。
「やっぱり、告白かな。好きって気持ちをぶつけて、キスをするところが見たい」
キスと聞き、どきりとする。
「わかった」
拓己はあっさり了承した。
「本当にやるの?」
「俺が告白する側をする。それならいいだろ?」
「……うん」
俺は少し躊躇いつつも、頷いた。
これは除霊のためであり、花子さんのためであり、ひいては俺のためだ。
花子さんは悪霊化する前に成仏できるし、俺は日常生活を取り戻せる。拓己は、その手伝いをしてくれているだけだ。
キスだって2回目だし、最初よりかはなんともなくなっているかもしれない。
俺は心を決めて、夕日に染まる空の下、拓己と向かい合う。
目の前の拓己は、真剣な目をしていた。拓己と改まってこんなふうに向き合うことなんてなかなかないから、妙に緊張する。
告白といっても、拓己は一体どんなことを言うつもりなのだろう。
「千景」
名前を呼ばれ、告白が始まったのだと悟った。
「俺たちは、昔からずっと一緒にいたよな。俺の父さんと母さんがいなくなって、千景の家で暮らすようになってからずっと。それこそ、本当の兄弟や幼馴染みたいに」
「……うん、そうだね」
どんな告白かと身構えていたけれど、自分たちの実際にかなり近い話から始まり、肩の力が抜けていく。
「あの頃の俺にとって、千景の存在はすごく大きくて、救いだった。いい日も悪い日も、どんな日にも俺の傍にいてくれたのは千景だし、俺も千景の傍にいようと思った」
拓己が丁寧にひとつひとつ言葉を選んで話しているのがわかり、俺はそのひとつひとつを聞き逃さないようにと耳を傾ける。
「俺はいずれ、千景の傍で働くことになる。でも、それは奥村家の人間だからとか、父さんがそうしていたからとか、そういう理由じゃない。俺がそうしたくて、自分で決めたことだ。でも、きっと簡単なことじゃないってわかってる。だから高校に入るとき、俺は今から将来のために動きだそうって決めた。千景とは友達っていう関係でいたらだめだと思って。俺たちが一緒に暮らしていることをみんなに隠したいって言ったのも、そのためだよ」
「うん、なんとなくそんな理由なんじゃないかなって思ってた……」
どこを切り取っても、拓己の本音だとしか思えない。それくらい拓己の話は真実味を帯びていた。
だからこそ、俺も普段から思っていたことが口から出た。
拓己は俺の言葉を受け取るように頷いてから、続ける。
「望んでそう決めたし、それが正解なんだって信じてた。でも今日、千景と普通の友達みたいに過ごしてみて思ったんだ。本当は俺、みんなと同じようにちゃんと千景の同級生をやりたかったのかもって」
拓己は寂しそうに小さく笑う。
嘘の告白だということも忘れ、俺は思わず本心をぶつけた。
「なら、今からでもやればいいじゃん! 普通の同級生として、一緒に昼ご飯食べたり、校庭でサッカーしたり、休憩時間にくだらない話したりしようよ」
今からだって全然遅くない。高校生活はまだ十分に残っている。
俺も拓己もそうしたいなら、これからは他のみんなと同じように学校でも友達のように遊べばいいし、一緒に暮らしていることだってみんなに打ち明ければいい。
何も問題ないはずだ。
けれど、拓己は悲しそうに微笑んで、首を横に振った。
「ごめん、千景。そう言ってくれるのは嬉しいけど、それはできない」
「なんで? やっぱり将来のことがあるから?」
「そうじゃないよ。俺はきっと、千景が考えているような普通の友達にはなれない。俺は、千景のことが本気で好きだから」
そう告げた拓己の顔がやけに大人びていて、俺は息をのんだ。
「俺がなりたいのも、なれるのも、千景のことが好きな同級生で、他のみんなと同じ友達にはやっぱりなれないんだと思う。ごめんな、千景。俺、やっぱりどうしても千景の特別でいたいみたい」
「拓己、それって……」
戸惑っている間に、拓己が俺に一歩近づいた。
「俺はもう自分の気持ちを隠したりしない」
拓己の手が頬に触れる。
「好きだよ、千景」
最初のときにも聞いたはずの好きという言葉が、今はもっと胸の深い部分に届いた。
拓己はどこまで除霊のために言っているのだろう。
やっぱりすべては除霊のためで、適当に繕った嘘なのだろうか。
けれど、もしどこかに拓己の本音が混じっているとしたら。
もし、すべてが拓巳の本心だとしたら。
拓己がゆっくりと距離を詰めて、顔を傾ける。そっと重ねられる唇を、俺は素直に受け入れた。
触れるような優しいキスだった。
唇が離れたあとで、ようやく自分の鼓動がうるさいくらいに鳴っていることに気づく。
拓己の顔が間近にある。少し遅れてキスをした実感が押し寄せてきて、耳まで熱くなった。
叫び出したくなるのを必死で堪えていると、花子さんの声が耳に届いた。
「……ありがとう」
花子さんの存在を一瞬だけすっかり忘れていた。一部始終を見られていたのだと思うと、さらに恥ずかしさが増す。
「最高だった。これで思い残すことなく、この世とさよならできる」
花子さんは、さっきの告白を見て満足したようで、感動に目を潤ませている。
花子さんの身体から小さな光の粒が次々と浮かび上がった。
「2人とも本当にありがとう。幸せにね」
光の粒子は空に昇るように消えていき、やがて花子さんの姿は見えなくなってしまった。
「ちゃんと成仏できたみたいだな」
拓己が空を見上げて呟く。
「そうだね」
相槌を打ちながら、まだ鼓動が収まらない。
2人きりになった屋上が、妙な緊張感で包まれている気がした。
すると、拓己がそんな空気を打ち消すように口を開いた。
「はぁ、よかった。ここまでやってうまくいかなかったら、どうしようかと思ったよ」
拓己の口調はすっかりいつも通りに戻っていた。
俺も慌てて調子を合わせる。
「そうだよな。でも、びっくりしたよ。拓己って意外と演技うまいよな。本当の告白みたいで、緊張しちゃったよ。あはは……」
「本気だったら、どうする?」
「えっ……?」
目が合うと、拓己は真剣な顔をしていた。
「冗談だよ」
拓己は表情を崩して、ふっと笑う。
「除霊のためだから。本気にしないで」
「そ、そうだよな。わかってるって」
ほっとした気持ちが半分と、少し残念な気持ちが半分。
そのどっちの正体も、きっと俺はまだちゃんと掴みきれていない。
除霊が終われば、俺たちの関係もこれでまた元通り。
だけど、夕日に照らされた拓己は俺がこれまで知らなかった顔をしていた。
