花子さんのお願いは約束どおり、ちょっとしたことばかりだった。
教室で勉強を教え合ったり、校庭で自転車を2人乗りしたり、そういう些細なことをひとつひとつ叶えていく。
一緒に並んで歩きながら話すだけでも花子さんはとても楽しそうに笑っていた。そんな花子さんを見て、最初は目を光らせていた拓己も少しずつ態度を和らげたようだ。
今週はテスト期間だったことも幸いした。花子さんは俺と拓己にしか見えていない。他の人から見たら会話がかみ合っていないように見えるだろう。
けれど、ほとんどの生徒は学校からの指示に従い、ホームルームのあとすぐ帰宅したようだ。おかげで、校内は俺たちの貸し切り状態で、人目につかずに行動できた。
ひと通り学校内を回ったところで、花子さんは体育館に行きたいと言い出した。
部活は休みだから体育館にも人気はなく、がらんとしていた。バスケをしたいと花子さんが言うので、俺は倉庫からバスケットボールを取ってくる。
「ねえ、あれやってほしいな! 『このシュートが決まったら俺と付き合って』ってやつ」
花子さんはバスケットゴールを指さしながら、そんなお願いをした。
なるほど、どうやってバスケを一緒にやるんだろうと不思議だったけど、こういうことか。
「いいね、少女漫画っぽい」
俺はボールを指の上でくるくると回しながら、花子さんの提案にのっかる。
「じゃあ、拓己くんから」
拓己が指名されたので、俺はボールをパスした。
「え、なんで俺」
「だって、三角関係だもの。こういうのはライバルからじゃない?」
「わかったよ……」
拓己はあまり乗り気ではないものの、意外とあっさり引き受けた。手に馴染ませるように軽くボールをついている。
それから決め台詞を口にした。
「『このシュートが決まったら、俺と付き合って』……これでいい?」
「『これでいい?』はいらない。もっと気持ちを込めて」
棒読みの拓己に、むくれながら花子さんが指摘する。
花子さんは途中から恋愛ごっこそのものを楽しみ始めたらしい。三角関係の設定なんてそっちのけで、ドラマの現場で演技指導する監督のように振る舞っている。
「……『このシュートが決まったら、俺と付き合って』」
さっきよりかは感情の乗った声で拓己が言い直すと、ようやく花子さんもヒロインの設定に戻った。ときめく乙女の表情を作ってシュートを見守る。
拓己はボールを手にゴールを見据える。放ったシュートはきれいな弧を描いて飛んでいった。しかし、リングに当たりゴールとはならなかった。
「ああ、惜しい!」
花子さんは素で残念がっている。
「昔から球技はあんまり得意じゃないんだよな。走るのは得意なんだけど」
拓己ががっかりした様子で呟くので、俺はボールを取りに行きながらつい助言をする。
「ボールに添える手の位置、変えてみなよ。ちょっと、ボール持ってみて」
ボールを渡すと、拓己はシュートを構える直前の姿勢をとる。
「こんな感じ?」
「うーん、もう少し内側に……」
口で伝えるのはどうも難しい。俺は横に立つと、拓己の手に自分の手を重ねて動かしながら微調整する。
「うん、いい感じ」
納得のいく位置にできたところで、手を放す。
すると、後ろから花子さんがぼそっと呟く声が聞こえてきた。
「……あぶなっ。成仏するところだったぁ……」
「花子さん、何か言った?」
うまく聞き取れず、花子さんを振り返る。
「ううん、なんにも」
花子さんは微笑みを浮かべ首を横に振った。
「そう?」
成仏がなんとかって言ってた気がするけど、まあ、いいか。
俺はさほど気にしないで、拓己に向き直る。
すると、ちょうど拓己がシュートを放つところだった。
拓己の手を離れたボールは吸い込まれるようにリングに入り、ネットを揺らした。
「おお、入った!」
思わず歓声を上げる。
「なんか俺より千景のほうが喜んでる」
そう言いながら振り返った拓己も、結構嬉しそうな顔をしている。
そんな拓己を見ていると、不意に懐かしい気持ちが湧き上がった。
「なんかこうしているとさ、昔に戻ったみたいだよな。勉強は拓己が俺に教えてくれて、スポーツは俺が拓巳に教えて」
俺たち2人はそうやって得意なことを教え合い、足りないところを補い合ってきた。今ではそれなりにお互いにできることが増えた分、反対に何かを教え合うようなことは減った。 それは、よく言えば成長の証なのだろう。けれど、やっぱり俺は、学校生活をこんなふうに拓己と過ごしたかったのだと思う。
「たまには、こういうのもいいよな」
つい本音がこぼれて、そんなことを呟く。
「そうだね……」
拓己は短く答えるだけで、遠くを見るような目をしている。その横顔からは、何を考えているかまでは読めなかった。
すると、体育館の入り口のほうから、「おーい!」と呼ぶ声が聞こえた。俺も拓己も花子さんも、そちらを振り返る。声の主は俺たちの担任の先生だった。
「何してるんだ、お前ら。今はテスト期間なんだから、居残りしないで帰るように言われているだろう」
先生はそう話しながら、こちらに歩いてきた。
「すみません、ちょっと勉強の合間に息抜きがしたくなっちゃって」
少しおどけて俺が謝ると、先生も表情を和らげる。
「まあ、お前たちの日頃の成績を見るに、今度のテストもなんら心配ないだろう。むしろ息抜きくらいしたほうがいいと言ってやりたいくらいだが。立場上、特別扱いはできないんだ。わかってくれ」
先生も本気で叱りにきたわけではないようで、頭を掻きながらやんわりした口調で返す。
「はい、すみません」
俺が重ねて謝る横で、拓己も小さく頭を下げる。
「適当に切り上げて帰れよ」
「そうします」
先生は頷いたあとで、「それにしても」と続けた。
「お前たち、意外と仲いいんだな」
先生は俺と拓己が一緒に暮らしていることを把握している。けれど、普段の俺たちを知らないから驚いたのだろう。
俺と拓己がきょとんとしていると、先生が弁明するように付け足した。
「いや、学校で2人が一緒にいるところあんまり見たことがなかったからさ」
先生には、花子さんが見えていない。
先生が悪いわけではないのだけれど、少し寂しそうに俯く花子さんのことが気にかかった。
「そうなんです。俺たち“3人”、仲いいんですよ」
俺はとっさに笑顔で先生にそう返していた。
花子さんがハッとして顔を上げる。
「え、3人……?」
表情から、先生の考えが手に取るようにわかる。一瞬、自分も含まれているのだろかと考え、そんなはずはないと思い直し、俺の言い間違いを疑ったのだろう。
「はい、3人でバスケしてたんです」
花子さんも一緒だと伝えるため、もう一度3人であることを強調すると、先生は怪訝そうに眉を寄せる。なんとか言ってやってくれと、拓己に視線で助けを求めた。
けれど、拓己は先生の期待を裏切って、微笑みを浮かべる。
「3人で一緒にいると、結構楽しくて」
拓己まで話にのっかったことに、俺は少なからず驚き、その何倍も嬉しくなった。
一方の先生は戸惑いを通り越して、少し恐くなってきたようだ。
「お、おう、そうか。まぁ、ほどほどにして早めに帰れよ」
先生はこれ以上踏み込まないほうがいいと判断したのか、そそくさと体育館を後にする。
先生には少し悪い気もしたけれど、花子さんが嬉しそうに笑っているので良しとした。
