あくまで除霊のためだから


 無事にトイレに間に合い、俺の人としての尊厳は守られた。
 今、拓己は扉の外で待ってくれている。花子さんも毎回出てくるわけではないようだし、拓己がいる効果なのか今回は大丈夫そうだ。
 安心しきって洗面台で手を洗っていると、チャイムが鳴った。
「やばい、授業始まる……」
 急いで蛇口を閉めたそのとき、背中がゾクッと震えた。鏡を見れば、自分の背後に人影がある。
 花子さんだ。 
 頭から流れ出た血で赤く染まった顔でニヤリと笑っている。
「ちーかーげーくーん、あそび……」
 すると、その声を遮るように、入り口の扉が勢いよくバンッと開いた。
「千景! 俺といけない遊びしよう」
 謎の宣言をしながら、拓己が突入してきた。俺だけでなく、花子さんまで唖然として拓己に目を奪われている。
「は? 何言って……」
 拓己はずんずんとこちらに近づいてきたかと思うと、俺の腕を引き、個室のひとつに押し込んだ。そのまま拓己も一緒に中に入る。
 扉が閉まる瞬間、花子さんの「え、ちょっと……」と戸惑う声が聞こえた。
 狭い個室に、拓己とふたり。拓己が距離を詰めるから、すぐ近くに端正な顔がある。
「待って、拓己。もう授業始まってるし」
「少しくらい遅れても大丈夫だろ」
 優等生の拓己らしくない発言だと思った。
 俺も真面目に授業に出てはいるものの、サボることがあるとしたら俺のほうで、拓己はそれを止める側だ。
「ああでも、ふたりで一緒に遅れていったら、俺たちの関係がみんなにバレちゃうかもな?」
 一瞬、俺たちの関係を隠そうとしているのは拓己だろと言いそうになる。
 けれど、すぐにそうではないと気づいた。
 除霊をするときの演技はすでに始まっているらしい。
 拓己の口調や雰囲気が普段とは違う。
 しかも、なぜか拓己は活き活きしている。なんだか楽しんでいるようにさえ見えた。
 それに、拓己の演技は絶妙に上手い。花子さんも演技を信じ込んでいるようで、扉の向こうから「そ、そういう関係なの?」と呟く声が聞こえてきた。
「それに、すぐにでも遊んでほしいって言ったのは千景だろ?」
 花子さんに聞かれても問題ないように、どうやら「除霊」のことを「遊び」と言い換えているらしい。
 拓己はここで、除霊を終わらせるつもりのようだ。
「だからって、今じゃなくても」
 除霊できるチャンスだとしても、俺のために拓己を授業に遅れさせるのは気が引ける。
「いや、俺は今すぐやりたい。なあ、いいだろ?」
 これだって除霊のことを言っているはずなのに、顔をぐいっと近づけながら言われると動揺してしまう。
 それでも、頼んだのは俺のほうだし、なにより心置きなくトイレに行ける日常をいち早く取り戻したい。
「……わかった。今やろう」
 拓己は口元を緩め、俺に手を伸ばす。指がそっと首筋に触れたかと思うと、指の背でつうっと素肌を撫でられた。
「――っ」
 自分でも不思議なくらい体がぶるっと震えた。恥ずかしさのあまり、それを隠すように怒りをぶつける。
「ちょっと、どこ触ってるんだよ!」
「別にどこ触ったっていいだろ。ただの遊びなんだし」
 拓己は涼しい顔で、とんでもないことを言い放つ。
 すると、ドン、ドンという音がすぐ近くでした。除霊の効果が現れ始めたのか、花子さんが個室の扉を叩いているみたいだ。苦しみを訴えかけるような音が、立て続けに聞こえてくる。
「ほら、千景も触って」
「えっ」
 拓己は俺の手を取ると、自分の首筋に引き寄せた。指の先が、拓己の肌に触れる。けれど、俺は拓己のようにはできない。
「千景は触ってくれないの?」
「だって……」 
「触られるほうが好き?」
 黙ってうなだれるだけの俺に、拓己は諭すように続ける。
「言って。触れるほうがいいか、触れられるほうがいいか」
 指で肌に触れるだけ。それだけといえば、そうなんだろうけど、俺にはやっぱりできそうにない。だって、それがどんな感覚をもたらすのか、ついさっき知ってしまったから。
「……触って」
 俺は2択から、勇気が要らないほうを選んだ。
 ドンドンドンと扉を叩く音がさらに激しさを増す。
「いいよ。好きなだけ触れてあげる」
 拓己は手を握ったまま、顔を俺の首筋に近づけた。
 唇が肌に触れそうになった瞬間――。
 扉の外からしゅううっという音がした。見れば、トイレの天井と扉の隙間に靄のようなものが漂っている。
 拓己は首筋から顔を離すと、扉を開けた。トイレにはもう花子さんの姿はなかった。
「除霊、成功したみたいだね」
 ほっと胸を撫で下ろしながら俺が言うが、拓己からすぐに返事はなかった。訝しそうに眉を寄せ、何か考え込んでいる。
「拓己、どうしたの?」
「いや……また何があるかわからないから、しばらくは油断しないで」
 どこか神妙な顔の拓己に、俺はただ頷くことしかできなかった。


 次の日は花子さんが現れることもなく、快適な1日を過ごしていた。
 そのおかげもあってか午後の体育はいつも以上に絶好調だった。
 バスケの試合が始まれば、シュートを打つたびにゴールが決まる。スリーポイントのラインから放ったボールは、体勢が少し崩れたにもかかわらず、きれいにリングを通った。
「ナイッシュー、千景!」
 同じチームのみんなが代わるがわるハイタッチを交わしにくる。同じチームは喜んでくれているが、相手のチームからしたら堪ったものではない。
 そのうちに相手のチームのメンバーが全員で俺を囲み始めた。
「おい、千景を抑えるぞ!」
「千景を全力で止めろぉぉぉ」
 それでもフェイントをかけ、隙間を縫うようにしてドリブルで突破する。
 あと少しで試合が終わる頃になると、負けが確定したからかみんな少しふざけ出した。
「千景をなんとかしろ! 少しくらいなら反則使ってもいい」
「おい、いいわけないだろ!」
 ボールをキープしながら反論するが、相手のチームのやつが俺の脇腹をくすぐる。
「うひゃひゃ! おい、脇腹はずるいって」
 半分じゃれ合いながらも、ボールはしっかり守り抜き、不意を突いてしっかり仲間にパスを出す。ボールを受け取った仲間がゴールまで走り、ほぼノーマークで得点を決めた。
 同時に試合終了の笛が鳴り、コートに立つチームが入れ替わる。
 俺はコートの外に出て、隅に座っていた宏太と真人のところへ行った。クラスの人とは基本的に誰とでも話すが、宏太と真人とは特に一緒にいる時間が長い。
「いえーい、千景絶好調~」
 宏太が手を出すので、パチンとハイタッチを交わす。
「見たことない点差で勝ったな。何かいいことでもあった?」
 真人に尋ねられ、「別に」と笑いながら2人の間に腰を下ろす。
 試合開始の笛が鳴り、別の試合が始まった。
 コートを見ると、試合をしているチームの中に拓己の姿がある。
 開始早々、パスを受け取った拓己は少し距離がある場所からあっさりゴールを決めた。
「奥村もすごいな」
 真人が感心したように言う。
 すると、宏太が何気ない感じで「そういえばさ」と切り出す。
「千景って奥村とあんまり話さないよね?」
「え、そうかな」
 どきりとしながら、それがバレないように相槌をうつ。
「そうじゃない? 千景って基本的に誰とでも話すじゃん。クラスだけじゃなくてそれこそ学校中の人と。それに比べたら同じクラスなのに、奥村と話すところほとんどみないもん。なんで?」
「なんでって言われてもな」
 話さないようにしているのは、俺ではなくて拓己なんだけど。
 そう思いつつも、宏太は俺たちの関係や事情を知らないので言えない。
「もしかして、ライバル意識ってやつ~?」
「は?」
「だって、奥村って千景と同じくらい勉強も運動もできるじゃん」
 たしかに宏太の言う通りだ。なんなら俺は勉強では拓己に勝てたことがほぼない。高校に入ってからは、拓己はずっと学年でトップだ。俺もだいたい上位にはいるが、2位から8位あたりを行ったり来たりしている。
 拓己は陸上部だし運動も得意だ。けれど、スポーツだけで言えば、俺のほうが絶対にうまい自信がある。拓己だってそれを認めているし、小さい頃拓己にスポーツを教えていたのは俺だ。
 宏太にも教えたいが、それも話せない。仕方なく俺は「そんなんじゃねえよ」と返して誤魔化した。
「そう? でもさ、奥村って結構謎だよなぁ。どんな生活してるんだろ。やっぱテレビとか観ないのかな。じゃないと、ずっと成績1位とか無理だよね」
 宏太の想像に、真人も「お笑い番組とか観なさそう。てか、家にテレビなさそう」と加わる。
 普通に家にテレビはあるし、お笑い番組を観て俺と一緒に笑ってるよ、と心の中で返す。
 拓己とあまり交流がない2人にとっては、そういうイメージなのだろうかと意外に思う。拓己は拓己でクラスの人たちと交流があるようだが、宏太や真人と話している印象はあまりない。俺と特に仲がいい2人とはあまり関わらないようにしているのだろうか。
 拓己のことを知らない2人に、話してあげたい。拓己は2人が思っいてるほどクールな感じではないし、冗談も言うし可愛いところもある。拓己のいいところも、悪いところも、知ってほしいと思う。
 目の前ではまだ試合が続いている。
 序盤は調子がよかった拓己も、だんだんとシュートが決まらなくなってきた。ボールを持つときに変な癖がついているようだ。
 すぐにでも拓己に伝えてあげたいが、それもできずに焦れったくなる。
 俺は本当はみんなに教えたいのかもしれない。
 俺たち、本当はすごく仲がいいんだよって。