あくまで除霊のためだから


 次の日は、大人しく勉強をしたり本を読んだりして時間を過ごした。
 そろそろ帰ってくるはずだと拓己の帰りを朝から待ち続け、気がつけば夜になっていた。
「さすがに遅いな」
 自室の机で勉強をしていた俺は、顔を上げて窓の外を見た。
 今夜も天気が荒れているようで、風の音がする。
 今日も拓己に何度か連絡を取ろうとしているが、繋がらない。最寄りの駅まで迎えに行こうかと思っていたけれど、それもできないままだった。
 いつ帰ってくるかわからないけど、駅で待っていようかと考え始めたそのとき。
 スマホから着信音が鳴り響いた。
 見ると、拓己からの電話だった。
「もしもし、拓己!?」
『千景? やっと繋がった』 
「こっちのセリフだよ。昨日から何回も連絡しているのに、全然繋がらないんだもん」
『俺も電話したよ。メッセージも送ったし。届いてない?』
「え? 届いてないけど……」
『まあ、いい。今はそれどころじゃない』
 拓己は少し焦っている様子だった。
『昨日言ってた長電話の相手って、メリーさんだろ?』
「そうだけど。え、拓己の知り合い?」
『違う。そじゃなくて……』
 電話の向こうで拓己が大きなため息を吐いた。見えていなくても、拓己が今どんな顔をしているのかわかる。思いっきり呆れた顔をしているだろう。
『メリーさんだよ! 都市伝説とかで聞いたことない? 電話をかけてくるたびに居場所を告げて、だんだん近づいてくるんだ。それで最後には“今あなたの後ろにいるの”って……』
「えええっ!? なにそれ、めっちゃ怖いじゃん!」
『やっぱり知らなかったのか』
 これまで怖い話や怪談が苦手で避けて生きてきたことが、仇になったようだ。
「え、じゃあなに、昨日俺は幽霊と電話してたってこと?」
『そういうことだ。昨日から電話の調子がおかしいのも、たぶんそのせいだろうな』
「そんな……」
『とにかく、今から帰るから絶対に電話に出るなよ。誰か家に来ても絶対に――』
 拓己の言葉は途中で聞こえなくなり、電話は切れてしまった。
 こちらからかけ直してみるが通じない。
 拓己からまた電話がかかってくるかもしれないが、メリーさんからの電話が来る可能性だってある。
 俺はスマホの電源を切り、ベッドの上に放り投げた。
 霊に狙われているのだと思うと、急に心細くなってきた。どうしてこういう日に限って、誰も家にいないのだろう。
 風が窓を叩く音すら、不安を煽り立てる。
「大丈夫。拓己がすぐに帰ってきてくれるはずだから……」
 すると、再びスマホが鳴った。着信画面には拓己の名前がある。
 思わず手を伸ばしかけてから、ハッとする。
 ついさっき電源を切ったはずだ。
 俺はスマホを枕の下に押し込んで、部屋の隅に身を寄せた。耳を塞いでじっと耐えていると、ようやく着信音が鳴り止んだ。
 ほっとして耳から手を離すと、階下で物音がした。
 音は玄関からで、扉が閉まる音に続いて、慌てた様子で階段を上る足音が聞こえてくる。
 まもなくして部屋の扉が勢いよく開き、拓己が入ってきた。
「千景……!」
 拓己は、部屋の隅で丸くなっている俺のところに駆けつけ膝をついた。
「大丈夫? なんともないか?」
「大丈夫。拓己に言われたとおり、電話に出てないし」
 そのとき、枕の下にあるスマホが鳴った。
「電源を切ったのに、ずっと鳴ってるんだ」
「すぐに除霊しよう」
 拓己は俺の腕を引いて立ち上がらせると、ベッドへ連れていく。拓己は俺をベッドに座らせたかと思うと、肩を掴んでそのまま押し倒した。
「拓己……?」
 拓己は枕の下からスマホを取り出し、通話ボタンを押そうとする。
「待って!」
 俺はとっさに拓己の手を掴んで止めた。
 拓己が怪訝そうな顔で俺を見下ろす。
「どうしたんだよ? 除霊しないとだめだろ?」
「そうなんだけど……」
「除霊、するんだろ? いつもみたいに」
 拓己はスマホをベッドの上に放り投げると、俺に覆いかぶさるようにして顔を寄せる。
「拓己!」
「だから、何? 気になることでもあるの?」
「気になることっていうか、なんか変だから」
 スマホから着信音が鳴り続けている。頭の中の警告音と着信音が重なって響く。
「変って何が?」
 手で押し返そうとするが、拓己は無理やりキスしようとする。
「だから、拓己が、だよ!」
 唇が触れようとした瞬間、思わず叫ぶと拓己が動きを止める。それに合わせるように、着信音もぴたりと止んだ。
「君、拓己じゃないよね?」
「は? 何言ってるの。俺だよ」
「違う。俺にはわかる。本物の拓己じゃない」
 きっぱりと告げると、拓己の顔が歪んだ。悪意に満ちた笑みに、やはり今目の前にいるのは拓己の姿をしただけの偽物だと確信する。
「あーあ。あともう少しだったのになぁ……なんでわかった?」
「俺たちがどれだけ一緒にいると思ってるんだよ」
 俺は偽の拓巳の体を思いっきり押し返すと、逃げ出した。
 扉に駆け寄り、飛びつくようにドアノブを握るが、なぜか扉はびくともしない。鍵はかかっていないはずなのに、いくらドアノブを回しても、体重をかけてみても、いっこうに開かなかった。
 すると、後ろからふっと乾いた笑い声が聞こえた。
 振り返ると、偽の拓己が冷笑を浮かべている。
「残念ながら、開かないよ。君の大切な拓己くんは、この家に入れない」
 外見は拓己そっくりでも、中身はメリーさんなのだろう。
 発せられる声は少しずつノイズが混じって、まるで拓己の声とは異なるものになっていた。目も洞穴のように暗く、生気がない。
 偽の拓己はこちらにゆっくり近づいてくる。俺は逃げ場がなくて、扉に張り付いたまま動けずにいた。
 ついに偽の拓己に捕まり、腕を引かれる。その力は人のものとは思えないほど強く、ほぼ放り投げられるようにしてベッドの上に戻された。
 偽の拓己が俺の上に覆いかぶさる。
「やめろ!」
 抵抗しようとするが、両腕を掴まれ動きを封じられてしまう。それでも、足を使って押し返したり、顔を背けたりして、なんとか抗った。
「いいじゃん、俺とキスしようよ。寂しいもの同士。きっと楽しいよ」
「嫌だ。俺は拓己以外としたくない」
「どうして? キスなんて誰としたってそんなに変わらないよ。顔だって本物と同じじゃない?」
 確かに本物そっくりだけど、全然違う。
 拓己に見つめられたときみたいに鼓動が速くならないし、拓己に手を握られたときみたいに胸が締め付けられるような気持ちにもならない。
「それに君たちは、これまで除霊のためだけにキスしてきたんでしょう? 感情も気持ちもないキス」
 偽物だとはわかっているけれど、拓己の顔でそんなことを言わないでほしかった。
 たしかに、俺も最初はそう思っていたかもしれない。
 あくまで除霊のためで、お互いに気持ちはない、なんでもないキスだって。でも、今はそう思わない。
 あんなに緊張するのも、気持ちを揺さぶれるのも、相手が拓己だからだ。
「それなのに、どうして本物にこだわるの?」
 偽の拓己が、冷ややかに笑いながら言う。
 俺はようやく自分の本当の気持ちに辿り着いた気がした。
「そんなの俺が……俺が本気で拓己のことを好きだからに決まってるだろ!」
 思わず叫んだ瞬間、ガラスが砕けるような大きな音が部屋中に響いた。
 驚いて振り返ると、ベランダに面した窓が割れて破片が飛び散っている。
 そして、窓の外には拓己が立っていた。足元には窓を割るのに使ったらしき、大きな石が転がっている。
 拓己は下から2階までよじ登ってきたようだ。割った窓の隙間から部屋に入ると、偽の拓己に向けて何かを投げつけた。
 それは小さな麻の袋で、偽の拓己にぶつかった瞬間、中から白い粉のようなものが舞い散った。
「なんだこれ……クソッ!」
 白い粉を被った偽の拓己は苦しそうに声を上げ、本物の拓巳を睨んだあとで姿を消した。
 本物の拓己は安堵したようにため息をこぼし、その場に座り込んだ。
「はぁ、焦った……岐阜の塩が効いてよかった」
 どうやら、さっき拓己が投げつけたのは塩だったらしい。
 俺はベッドから体を起こして、拓己のところに駆け寄った。
 そして、勢いのまま拓己に抱きつく。
「拓己……!」
 急に飛び込んできた俺に驚きつつも、拓己はしっかりと抱きとめてくれた。
「拓己? 拓己だよね? 本物の拓己だぁぁぁ!」
「ああ、本当に俺だから。とりあえず落ち着け」
 半泣きになりながら喚く俺を、拓己がなだめる。
「落ち着けるかよ。めっちゃ怖かった! 家にひとりだし、どうしようかと思った」
「そうだよな、遅くなってごめん」
「なんで俺に黙って岐阜行くんだよ。なんで進路迷ってるんだよ。なんでイギリス行くんだよ!」
 ほぼ八つ当たりだとわかっていても、止まらない。
「なんでそんな大事なこと、俺に何にも話さないんだよ」
 だんだん本当に泣きたい気持ちになってきて、目を伏せた。
「なんで、遠くに行くんだよ。どこにも行くなよ……」
 結局、本当に俺が言いたいことはこれだったのだろう。
 拓己と離れ離れになりたくない。
「千景……別に俺、どこにも行かないよ?」
「嘘だ。拓己は世界に巣立っていくんだろ?」
「巣立って……? なんのことかよくわからないけど、とにかく本当にどこにも行かないよ」
 顔を上げると、拓己は困ったように笑っている。
「俺……拓己のことが好きだよ」
 拓己の澄んだ瞳が揺れた。
「……うん、知ってる」
 驚きに言葉を失ったのも一瞬で、拓己は余裕そうに微笑んだ。
 思っていた反応とは少し違い、俺は慌てる。
「なんだよ、その反応。あ、もしかしてさっき俺が言ったこと聞いてた?」
 思い出すのは、偽の拓己に向かって叫んだ言葉だ。勢いに任せて、拓己のことが本気で好きだと叫んでしまったが、あのとき窓の外にいた拓己にも聞こえていただろう。
「ああ、さっきの? もちろん、聞こえたよ」
 予想どおり拓己はあっさり認める。
「でも、それよりも前に気づいてたよ。千景はまだ自覚ないだろうなって思ってたけど。そのうち気づくまでちゃんと待つつもりだった」
「なんで俺より先に、俺の気持ちに気づくんだよ」
「そんなのお互い様だろ? 俺は千景以上に千景のことを知ってるし、千景もたぶん俺ですら知らない俺のことを知ってるんだと思う」
「そうかもな。でも……なんかムカつく」
「えっ?」
「せっかく勇気を出して好きって言ったのに、なんか余裕な顔しちゃってさ。もっと照れたり慌てたりするかと思った」
 それが無性に悔しくて、ぽかぽかと拓己のことを軽く叩きながら不満をこぼす。
 拓己は俺の拳をガードしつつ、可笑しそうにする。
「俺、そんな顔してた?」
「してた」
「そうかな。千景が思ってるより、俺余裕ないよ。めちゃくちゃ嬉しい」
 そう言って笑顔を浮かべる拓己の耳は、たしかに赤く染まっていた。
 拓己の照れている姿を見られた俺は、少し満足して腕を下ろした。 
 そのとき、拓己の腕に赤い筋が走っていることに気づく。
「拓己、腕怪我してる」
「あ、本当だ」
 窓を割ったときに破片が掠めたのだろう。拓己の腕からは血が流れていた。