あくまで除霊のためだから



 少しして我に返った俺は、自分の部屋に戻ることにした。
 一度、落ち着いたほうがいい。俺の早とちりの可能性だって全然ある。
 母さんがイギリスと何かを勘違いしているのかもしれないし、イギリスの街を再現した観光地に行くとかそういう話かもしれない。
 とにかく、今はうだうだ考えていても仕方がない。
 俺は気持ちを切り替えて、勉強をすることにした。日本史の参考書を机に広げ、読み上げる。
「えっと、1600年にイギリスのウィリアム・アダムスが日本に漂着し……イギリス……」
 思考が拓巳のことに引き戻され、参考書の内容がすっ飛んでいく。
「日本史はやめて、英語にしよう! いや、英語はよくないな……数学だ、数学!」
 数学の問題集を広げ直し、問題を解いていく。
「この問題、どうやって解くんだろう。拓己ならわかるかな……拓己……イギリス……」
 何の教科にしても拓己のイギリスの話に繋がってしまい、まったく勉強に身が入らない。
「ああ、もうだめだ。せっかくの休みなんだし、気分転換でもしよう」
 腰を上げると、階下に下りていく。家の中が静かだなと思っていると、ダイニングテーブルの上にメモが置かれていた。母さんが残していったようで、『行ってきます! 戸締りだけ気を付けてね!』と書かれている。
 どうやら父さんと母さんも、もう出かけてしまったらしい。
 ひとりきりの家は静かで、やけに広々としている。
 気分がしゅんと沈みこむのを感じ、俺は慌てて庭に出た。
 こういうときは外で軽く体を動かすに限る。久しぶりに庭でもいじろうと、倉庫から花の種とガーデニング用品を運び出す。
 プランターの土に水を撒いて湿らせ、種を置き土を被せていく。
 日が高い位置まで昇り気温が上がっている。汗が頬を伝うほど暑いけれど、時折通り抜ける風が心地よかった。
 無心で黙々と手を動かしていると、頭がすっきりする。
 いつの間にか庭全体に水を撒き、雑草を取り除き、鉢の植え替えまで行っていた。
「久しぶりにやったらめっちゃ楽しいなぁ」
 晴れやかな気分で、花壇に咲き誇る花を覗き込む。すると、目の前の花の上にでかい芋虫がいた。
「……」
 芋虫はこちらに挨拶するように、うにょうにょと体を動かしている。
「うわああああああっ!」
 俺は思いっきり後ろに飛び退きながら、尻餅をついた。
 叫び終わると、聞こえてくるのは木々のざわめきと鳥のさえずりだけで、一気に虚しさに襲われる。
 こんなとき拓己がいたら、と思わず考えてしまう。
 子どもの頃、ピンチのときには必ず拓己が駆け付けてくれた。思えば、拓己はこの家に来た瞬間から、側近として俺を守るという役目を意識していたのかもしれない。
 そういえば昔、庭の木の上に鳥の巣箱を乗せようとして、はしごから落ちたことがある。そのとき拓己は下で俺の体を受け止めようとして、一緒に倒れ込んだのだった。
 今考えても、本当に無茶な話だ。
「はぁ……本当に俺、拓己のことばっかりだな」
 呟いた声は自分でも驚くくらい弱々しかった。
 きっと拓己に守られているのは今も同じなのだろう。
 今も拓己は、俺に何かあったらすぐに飛んできて助けてくれる。
 針女のときも、花子さんのときも、口裂け女のときも。
「拓己、早く帰ってこないかな」
 飽きるほど一緒にいるはずなのに、なんだか今は無性に拓己に会いたくて仕方なかった。


 気が付くと、俺は夢の中にいた。
 子どもの頃の夢で、鳥の木箱を作って木の上に乗せようとしたあの日のことだ。
 俺ははしごに登って、木箱をそっと木の上に置いた。
「やったよ、拓己! ちゃんと置けた!」
 嬉しくて浮かれていると、後ろから拓己の声が聞こえた。
「じゃあ、もう大丈夫だね」
 やけに落ち着いた声に疑問を覚えながら振り返る。
 はしごの下で俺のことを見守っている拓己は今の高校生の姿だった。しかも、なぜか鳥の着ぐるみのようなものを身に着けている。
「なに、その格好」
 そう口にした自分の声はさっきより低い。体を見下ろすと、俺も高校生の姿になっていた。
「千景は俺がいなくても、もう大丈夫だね」
「何言ってるんだよ、拓己……」
「決めたんだ。俺は世界を目指してこの家から巣立とうと思う」
 拓己は冗談みたいな格好で、大真面目に言う。
「俺には立派な翼があるんだよ。世界の空を知りたいんだ。だから千景、さようなら」
 拓己は着ぐるみのまま庭を駆け出す。
「えっ、待ってよ、拓己!」
 急いではしごを降りようとして足を踏み外し、地面に転がり落ちる。
「俺を置いていくなよ!」
 けれど、拓己はこちらを振り返ることなく、庭を突っ走っていく。
 十分な助走をつけたところで、勢いよく地面を蹴り、拓己は空へと飛び上がった。
 どんどん遠ざかっていく姿に、俺は地面から必死に手を伸ばす。 
「拓己ーーー!!」

 ハッとして目を覚ますと、リビングのソファの上だった。
 いつの間にか眠ってしまってからずいぶんと時間が経ったようだ。日はすっかり沈んでいて窓の外は真っ暗だった。
 ゆっくりと体を起こしながら、夢の内容を思い出す。
「バカだな。拓己がどこかに行ったりするはずないのに……」
 苦笑をこぼしてから、本当にそうだろうかと自分に問い直す。
 イギリスの話が頭に浮かび、指先が冷えていった。
「あれ……?」
 俺は今までずっと、拓己がこの先も傍にいてくれるものだと信じて疑わずにここまで来た。
 将来的に俺は会社を継ぎ、拓己は一番近くで俺と働く。それ以外の道を選ぶことなどお互いにないと、そう思っていた。
 大学だって俺と同じところへ行くと、ついこの前まで言っていたはずだ。
 拓己は幼い頃から、将来俺と働くことを常に念頭に置いて生きている。勉強で常に学年トップを走り続けるのも、最初はあまり得意ではなかった運動を克服したのも、すべてそんな未来のためだ。
 そして、俺だって拓己との未来をずっと見据えてきた。
 高校に入学する前に、拓己が俺たちの関係を周りには内緒にしようと言い出したときも、学校ではあまり話せなくて寂しい思いをしたときも、何も文句を言わなかったのは未来のためだと思えたからだ。
 拓己が女子から告白されたとき、強がって見せられたのは、将来一緒にいることが約束されていると信じていたからだ。
 でも、果たして本当に拓己はずっと俺の傍にいてくれるのだろうか。
 すごく今更だけど、俺はそんな疑問を持ち始めた。
 もし拓己がいなくなってしまったら、俺はどうやって生きていくのだろう。拓己がいない生活を想像してみるけれど、うまく思い描けなかった。
「はあ……」
 特大のため息を吐きながら、膝を抱える。
 そのとき、ローテーブルに置いてあったスマホが鳴った。着信音からして電話だ。
「拓己!?」
 食い付く勢いでスマホを手に取るが、画面に映し出されているのは知らない番号だった。
「誰だろう?」
 心当たりはないものの、似たようなことはたまにある。俺の友達から番号を聞き出し、学校の子がたまにかけてくるのだ。稀に他校の生徒からかかってくることもある。
 今回もたぶん学校の誰かだろう。
 大して気にもせず、俺は軽い気持ちで電話に出た。
『わたし、メリーさん』
 出たら、いきなり名前を告げられた。
「メリー?」
 そんな名前の子、学校にいただろうか。思い出せる顔はないけれど、もし話したことがあるのなら相手に失礼だし、覚えられていないとわかれば傷つけてしまう。
 あまり深く突っ込まずに話を進めることにした。
「どうかした?」
『わたし、メリーさん。今、駅前にいるの』
「え、外にいるの? 今日ってこれから雨が降るんじゃなかったっけ」
 たしか天気予報で夜から天候が崩れると言っていた気がする。俺はソファから立ち上がり、窓辺に行った。
 窓の外を見ると、まだ雨は降っていないものの、夜空に分厚い雲が垂れこめている。窓を開け、少し顔を出してみた。雨が降る前特有の土のにおいがする。風も音が鳴るほど強かった。
「やっぱり降るよ。早く中に入ったほうがいいんじゃない?」
『えっ。そ、そうね。そうしようかしら……あなた、優しいのね』
「え? これくらい普通じゃない?」
『あのね、わたしメリーさん』
 何回も名前を言うので、ふっと笑みがこぼれる。
「もう名前は覚えたよ、メリーさんね」
『そう、わたしメリーさん。少しお話しない?』
「うん、いいよ。俺もちょうど誰かと話したいなって思ってたところだし。何か悩みごと?」
『悩みごとってほどのことじゃないんだけど……』
 最初は少し不思議な子だなと思ったものの、話てみると面白くて、思いのほか電話は盛り上がった。
 すっかり話し込んでしまい、気がついたときには電話を始めてから数時間が経過していた。
 電話を切ると、何通ものメッセージと着信履歴が残っていることに気づく。どれも拓己からだった。
 メッセージは、家にいるのかとか、夕飯を食べたかとか、俺のことを心配する内容ばかりだ。拓己は、岐阜でいったい何をしているのだろう。
 わからないけれど、拓己が連絡をくれたことは嬉しかった。
 すぐに俺は拓己に電話をかける。
 2コールも聞かないうちに、拓己は電話に出た。
『もしもし、千景? ずっと電話出ないから心配してたんだけど』
 電話越しでも、拓己の声は落ち着いていて聞き心地がいい。
 妙に胸がくすぐったくなって、口元が緩みそうになる。
「いや、俺のほうこそ、気づかなくてごめん。気がついたらソファで寝てて、起きてからは電話してた」
『メッセージは既読にならないし何回かけてもずっと話中だったから、なんかあったのかと思った。ずいぶん長電話してたんだな』
「なんか話し込んじゃって」
『誰と電話してたの?』
「知らない子」
『は? また誰かよくわからない人からの電話に出たの?』
「どうせまた学校の子だと思ったからさ。そういえば、うちの学校に海外から来た転校生とかっていたっけ?」
『海外から? いや、俺は聞いたことないけど』
「だよな。俺も知らないし」
『なあ、それ本当にうちの学校の子なのか? もしかして……』
 そのとき、電話にノイズが混じった。
『千景、そいつの……出るな……俺が……』
「なに? 聞こえない」
 拓己の声はブツブツと途切れ途切れにしか聞こえない。
 すると、不意に電話の音声がクリアになった。
『千景、俺もう帰らないから』
「え? なに急に。どういうこと?」
『俺のことは待ってなくていい。じゃあな』
 そのまま電話は切れてしまった。
 さすがに意味がわからず、電話をかけ直す。けれど、拓己には繋がらず、『おかけになった電話場号は……』という自動音声が流れるだけだ。何度も試してみるが、同じだった。メッセ―ジを送ってみても、既読にすらならない。
 もう帰らないって、どういうことだろう。そのままの意味だとは思えないけれど、不安が胸を覆う。
 大丈夫、明日になれば拓己は何事もなかったように帰ってくるはずだ。
 そう自分に言い聞かせて、その晩は眠りについた。