第4層 メリーさんを除霊するためだから
帰りのホームルームが終わった瞬間、俺は意気揚々と腰を上げた。
「今日カラオケ行く人~?」
俺は挙手を求めるように右手を上げながら、高らかに呼びかける。
すると、すぐに人が集まってきた。「行く行く!」「私も!」「部活終わってから参加してもいい?」と、次々に声が上がった。
昼休みの時点で宏太と真人には話してあるので、当然輪の中には2人の姿もある。
模試の結果もよかったし、しばらく霊に憑かれてもない。まさにカラオケ日和。今日は思いっきり歌いたい気分だった。
久しぶりに羽を伸ばすぞと意気込んでいると、背後から低い声が聞こえた。
「だめだよ、千景。今日はまっすぐ家に帰らないと」
ギクッとして振り返ると、拓己が厳しい目つきで立っていた。
「拓己、お願いだよ。今日くらい見逃してよ」
俺は両手を合わせて懇願するが、拓己は無情にそれを突き返す。
「だめなものはだめ。今日は華道とお茶の稽古があるんだから」
「華道とお茶の稽古って。どこの御曹司だよ!」
「それが本当に御曹司なんだよな」
そんな俺たちのやり取りを、宏太と真人が近くで見守っていた。
「あれで御曹司とか信じれれないよな」と真人が言う横で、宏太が「ねー。ショートコント御曹司って感じ」と揶揄している。
「おい、お前らも拓己を説得してくれよ!」
2人に助けを求めるが、拓己に後ろ襟をつかまれてしまう。
「はいはい、駄々こねてないで行くよ」
拓己はずるずると俺を引きずるようにして教室の出口へ向かう。
宏太と真人は、吞気に手を振っている。
「千景、頑張って~」
「お前の分もカラオケ楽しんでくるからな」
「主催者である俺を置いていくつもりか。この裏切り者~!」
涙ながらに訴えながら、俺は教室を退場した。
俺たちはその足で昇降口へ向かう。拓己も今日は部活がないのでこのまま家に帰るそうだ。同じ家に住んでいるので、当然一緒に帰ることになる。
俺はまだカラオケのことが諦められなくて、 「今日以上に喉の調子がいい日なんてないのに」などと恨み言をぶつぶつ呟いていた。
黙って聴き流していた拓己は、校門を出たところで耐えかねたように口を開いた。
「仕方ないだろ。千景をちゃんと家まで連れてくるようにって、美田園先生に言われてるんだから」
美田園先生というのは、俺に華道やお茶の作法を教えてくれている人だ。
母さんからお願いされたというのならまだわかるが、まさか美田園先生から直々に頼まれていたとは。
「カラオケならまた今度行けるよ。千景が誘えばみんな来るだろうし」
拓己は俺を慰めるように言う。
みんなとカラオケに行きたかったとは言え、俺は自分の生まれた家の事情と自分の務めをある程度は理解している。
それに、拓己だって何も意地悪で俺をカラオケに行かせないわけではない。美田園先生から託された俺を家まで送り届けるという務めを全うしているだけだ。
俺は拗ねるのをやめて、気持ちを切り替えた。
「そのときは、拓己も行こうよ。みんなと一緒に」
「そうだね。たまには行こうかな。でも俺、有名な曲とか人気な曲、あんまり知らないし」
「別に好きな曲歌えばいいんじゃない? 気になるなら俺が一緒に歌うし」
「本当? でも千景が知らない曲ばかっりだと思うよ」
「いや、だいたい知ってるよ。拓己の部屋から漏れてくるやつを聞いているうちに覚えちゃった。最近は、あの曲だろ……」
俺が歌のフレーズを口ずさむと、「本当に覚えてるじゃん」と拓己が笑う。
そのまま話題は音楽や最近ハマっているものに移っていった。
他愛もないことを話し、なんでもない時間が流れていく。いつも通りだ。
口裂け女を除霊したあの夜から数日が経過した。その間特に俺たちの関係が進むことはなかった。むしろ拓己の宣言どおり、元のかたちに戻ろうとしている気がする。
どうして、今さら拓己は元通りにしようと言い出したのだろうか。最初はそう疑問に思ったものの、拓己の気持ちに真剣に向き合おうと俺なりにいろいろ考えた今だからこそ、少しわかることがある。
これまで築いてきた関係を壊すのが怖いのだ。俺たちはずっと一緒にいて、兄弟であり、親友であり、これからそう遠くない未来では社長と側近という関係になる。
だから、これでいいのだろうと思う。
すべて元通り。それでいいんだよな?
すべて元通りに、なったんだよな?
あの夜からそんな自問自答を繰り返しているが、答えは見つかりそうになかった。
穏やかな日常が流れ、迎えた土曜日。
前日遅くまで勉強していたせいもあり、俺は昼前になってようやく目を覚ました。
ぼんやりとした頭であくびをしながら階下に下りていくと、母さんがキッチンで洗い物をしていた。
「あら千景、やっと起きたの。お父さんとお母さん、これから出かけちゃうから」
母さんは慌ただしく家事を片付けている。
そうえいば、仕事でお世話になった人の邸宅へ泊まりがけで遊びにいく予定だと、この前話していた気がする。
「帰ってくるのは週明けになっちゃうから。冷蔵庫に作り置きしておいたわ。それ食べてね」
「うん、わかった」
「明日まで千景ひとりだけど、大丈夫?」
「あれ、拓己は?」
父さんと母さんが出かける予定だとは前から聞いていたけど、拓己までいないとは聞いてない。
「拓己なら、とっくに出かけたわよ」
「へえ、どこに?」
たしか今日は陸上部の練習はなかったはずだ。
すると、母さんから思わぬ答えが返ってきた。
「岐阜よ」
「えっ!? 岐阜?」
「そうよ。聞いていない?」
「聞いていない。てか、なんで岐阜?」
「さあ? 旅行じゃないの? 詳しくは聞いてないけど、大事な用事があるって言ってたわ。向こうに1泊するみたいよ」
「そうなんだ……」
拓己がひとりで岐阜に1泊旅行? 俺に何も言わずに?
不可解すぎる。
すると、母さんがついでに思い出したのか、「ああ、そうだ」と続ける。
「拓己がイギリスに行く話だけど……」
「はあ!? イギリス……!?」
突飛な話に、思わずリビングに反響するほどの大きな声が出た。
岐阜だけでもびっくりなのに、いきなりイギリスなんて遙か遠くの地名を出されてもまるで頭が追いつかない。
「あら、それも聞いてないの?」
母さんはおっとりと聞き返すが、俺はかなりの衝撃を受けて放心していた。
「千景にも話しておくって言ってたのに、拓己ったら」
「拓己が……イギリス……?」
なんとか呑み込もうと言葉にしてみるが、全然理解できない。
すると、ダイニングテーブルに置いてあった母さんのスマホから着信音が鳴った。
「ああ、電話きちゃったわ」
母さんは手をタオルで拭いてダイニングに回ってくると、電話に出た。
どうやら今日会いに行く人からの電話みたいだ。父さんにも話があるようで、母さんは電話を持ったままリビングを出て行った。
「イギリスって、あのイギリスだよな……?」
何が起きているのだろうと考えているうちに、俺は昨日の学校での出来事を思い出した。
あれは、帰り際のことだ。廊下で担任の先生とすれ違うと、呼び止められた。用件は俺にというより拓己への伝言だったのだが、進路希望の提出がまだなので出すように言っておいてほしいと頼まれたのだ。
そんな一連の出来事を思い出し、俺はハッとした。もしかして、拓己は海外への進学を考えているのだろうか。その先がイギリスなのかもしれない。
拓己の頭なら留学だって可能だろうし、先生から勧められていてもおかしくない。
点と点が繋がったような感覚がして、俺はしばらく呆然と立ち尽くしたままでいた。
帰りのホームルームが終わった瞬間、俺は意気揚々と腰を上げた。
「今日カラオケ行く人~?」
俺は挙手を求めるように右手を上げながら、高らかに呼びかける。
すると、すぐに人が集まってきた。「行く行く!」「私も!」「部活終わってから参加してもいい?」と、次々に声が上がった。
昼休みの時点で宏太と真人には話してあるので、当然輪の中には2人の姿もある。
模試の結果もよかったし、しばらく霊に憑かれてもない。まさにカラオケ日和。今日は思いっきり歌いたい気分だった。
久しぶりに羽を伸ばすぞと意気込んでいると、背後から低い声が聞こえた。
「だめだよ、千景。今日はまっすぐ家に帰らないと」
ギクッとして振り返ると、拓己が厳しい目つきで立っていた。
「拓己、お願いだよ。今日くらい見逃してよ」
俺は両手を合わせて懇願するが、拓己は無情にそれを突き返す。
「だめなものはだめ。今日は華道とお茶の稽古があるんだから」
「華道とお茶の稽古って。どこの御曹司だよ!」
「それが本当に御曹司なんだよな」
そんな俺たちのやり取りを、宏太と真人が近くで見守っていた。
「あれで御曹司とか信じれれないよな」と真人が言う横で、宏太が「ねー。ショートコント御曹司って感じ」と揶揄している。
「おい、お前らも拓己を説得してくれよ!」
2人に助けを求めるが、拓己に後ろ襟をつかまれてしまう。
「はいはい、駄々こねてないで行くよ」
拓己はずるずると俺を引きずるようにして教室の出口へ向かう。
宏太と真人は、吞気に手を振っている。
「千景、頑張って~」
「お前の分もカラオケ楽しんでくるからな」
「主催者である俺を置いていくつもりか。この裏切り者~!」
涙ながらに訴えながら、俺は教室を退場した。
俺たちはその足で昇降口へ向かう。拓己も今日は部活がないのでこのまま家に帰るそうだ。同じ家に住んでいるので、当然一緒に帰ることになる。
俺はまだカラオケのことが諦められなくて、 「今日以上に喉の調子がいい日なんてないのに」などと恨み言をぶつぶつ呟いていた。
黙って聴き流していた拓己は、校門を出たところで耐えかねたように口を開いた。
「仕方ないだろ。千景をちゃんと家まで連れてくるようにって、美田園先生に言われてるんだから」
美田園先生というのは、俺に華道やお茶の作法を教えてくれている人だ。
母さんからお願いされたというのならまだわかるが、まさか美田園先生から直々に頼まれていたとは。
「カラオケならまた今度行けるよ。千景が誘えばみんな来るだろうし」
拓己は俺を慰めるように言う。
みんなとカラオケに行きたかったとは言え、俺は自分の生まれた家の事情と自分の務めをある程度は理解している。
それに、拓己だって何も意地悪で俺をカラオケに行かせないわけではない。美田園先生から託された俺を家まで送り届けるという務めを全うしているだけだ。
俺は拗ねるのをやめて、気持ちを切り替えた。
「そのときは、拓己も行こうよ。みんなと一緒に」
「そうだね。たまには行こうかな。でも俺、有名な曲とか人気な曲、あんまり知らないし」
「別に好きな曲歌えばいいんじゃない? 気になるなら俺が一緒に歌うし」
「本当? でも千景が知らない曲ばかっりだと思うよ」
「いや、だいたい知ってるよ。拓己の部屋から漏れてくるやつを聞いているうちに覚えちゃった。最近は、あの曲だろ……」
俺が歌のフレーズを口ずさむと、「本当に覚えてるじゃん」と拓己が笑う。
そのまま話題は音楽や最近ハマっているものに移っていった。
他愛もないことを話し、なんでもない時間が流れていく。いつも通りだ。
口裂け女を除霊したあの夜から数日が経過した。その間特に俺たちの関係が進むことはなかった。むしろ拓己の宣言どおり、元のかたちに戻ろうとしている気がする。
どうして、今さら拓己は元通りにしようと言い出したのだろうか。最初はそう疑問に思ったものの、拓己の気持ちに真剣に向き合おうと俺なりにいろいろ考えた今だからこそ、少しわかることがある。
これまで築いてきた関係を壊すのが怖いのだ。俺たちはずっと一緒にいて、兄弟であり、親友であり、これからそう遠くない未来では社長と側近という関係になる。
だから、これでいいのだろうと思う。
すべて元通り。それでいいんだよな?
すべて元通りに、なったんだよな?
あの夜からそんな自問自答を繰り返しているが、答えは見つかりそうになかった。
穏やかな日常が流れ、迎えた土曜日。
前日遅くまで勉強していたせいもあり、俺は昼前になってようやく目を覚ました。
ぼんやりとした頭であくびをしながら階下に下りていくと、母さんがキッチンで洗い物をしていた。
「あら千景、やっと起きたの。お父さんとお母さん、これから出かけちゃうから」
母さんは慌ただしく家事を片付けている。
そうえいば、仕事でお世話になった人の邸宅へ泊まりがけで遊びにいく予定だと、この前話していた気がする。
「帰ってくるのは週明けになっちゃうから。冷蔵庫に作り置きしておいたわ。それ食べてね」
「うん、わかった」
「明日まで千景ひとりだけど、大丈夫?」
「あれ、拓己は?」
父さんと母さんが出かける予定だとは前から聞いていたけど、拓己までいないとは聞いてない。
「拓己なら、とっくに出かけたわよ」
「へえ、どこに?」
たしか今日は陸上部の練習はなかったはずだ。
すると、母さんから思わぬ答えが返ってきた。
「岐阜よ」
「えっ!? 岐阜?」
「そうよ。聞いていない?」
「聞いていない。てか、なんで岐阜?」
「さあ? 旅行じゃないの? 詳しくは聞いてないけど、大事な用事があるって言ってたわ。向こうに1泊するみたいよ」
「そうなんだ……」
拓己がひとりで岐阜に1泊旅行? 俺に何も言わずに?
不可解すぎる。
すると、母さんがついでに思い出したのか、「ああ、そうだ」と続ける。
「拓己がイギリスに行く話だけど……」
「はあ!? イギリス……!?」
突飛な話に、思わずリビングに反響するほどの大きな声が出た。
岐阜だけでもびっくりなのに、いきなりイギリスなんて遙か遠くの地名を出されてもまるで頭が追いつかない。
「あら、それも聞いてないの?」
母さんはおっとりと聞き返すが、俺はかなりの衝撃を受けて放心していた。
「千景にも話しておくって言ってたのに、拓己ったら」
「拓己が……イギリス……?」
なんとか呑み込もうと言葉にしてみるが、全然理解できない。
すると、ダイニングテーブルに置いてあった母さんのスマホから着信音が鳴った。
「ああ、電話きちゃったわ」
母さんは手をタオルで拭いてダイニングに回ってくると、電話に出た。
どうやら今日会いに行く人からの電話みたいだ。父さんにも話があるようで、母さんは電話を持ったままリビングを出て行った。
「イギリスって、あのイギリスだよな……?」
何が起きているのだろうと考えているうちに、俺は昨日の学校での出来事を思い出した。
あれは、帰り際のことだ。廊下で担任の先生とすれ違うと、呼び止められた。用件は俺にというより拓己への伝言だったのだが、進路希望の提出がまだなので出すように言っておいてほしいと頼まれたのだ。
そんな一連の出来事を思い出し、俺はハッとした。もしかして、拓己は海外への進学を考えているのだろうか。その先がイギリスなのかもしれない。
拓己の頭なら留学だって可能だろうし、先生から勧められていてもおかしくない。
点と点が繋がったような感覚がして、俺はしばらく呆然と立ち尽くしたままでいた。
