あくまで除霊のためだから



 その日は学校でも拓己と話すことがないまま、放課後を迎えた。
 学校のあとは塾に行き、いろいろな雑念を振り払うように問題をひたすら解き続けた。
「……よし」
 キリがついたところで顔を上げ、時計を見る。すっかり遅い時間になっていた。
 そろそろ帰ろうと、勉強道具を片付け席を立つ。集中していたおかげで勉強は捗ったし、悶々と悩むこともなかったけれど、なんだか胸に穴が空いたような虚しさがあった。
 自習室を出ながら、スマホを取り出す。すると、メッセージが届いていて、拓己からだった。
『今日も迎えに行くから、塾で待ってて』
 たったそれだけの短い一文だったけど、気持ちがふっと緩む。
 喧嘩してても、気まずくても、俺のことを心配して迎えに来てくれる拓己の律義さと優しさが嬉しかった。
 メッセージを受信したのは30分ほど前だ。きっと塾の前でまた待ってくれているのだろう。そう思い、急ぎ足で外へ出るが、拓己の姿は見当たらない。
 開いていたメッセージアプリから、そのまま拓己へ電話をかけた。
 数回のコール音が聞こえたあと、拓己が出た。
「拓己? 今どこにいる?」
『ごめん、迎えに行くって言ったんだけど……まだそっち行けそうになくて』
「それは別にいいんだけど」
 なんだか拓己の様子がおかしい。息が上がっていて、言葉が途切れ途切れになっている。
「もしかして、何かあった?」
『いや、俺は大丈夫だから――』
 拓己の声に被るように、突然ノイズが混じった。ザーッという雑音のあとに、低い声が電話口から聞こえてくる。
『――ねえ、わたし、きれい?』
 聞き覚えのある声と言葉に、ハッと息をのんだ。
 雑音が徐々に薄れていくのがわかり、拓己に呼びかける。
「拓己! 聞こえる?」
『ああ、ごめん。なんか電話の調子悪いみたい』
「口裂け女が近くにいるんだろ? もしかして、追われてる?」
 息が切れているのも、逃げているのだとしたら納得できる。
 躊躇うような間のあとで、拓己は『実はそうなんだ』と答えた。
『なんとか撒いてそっち行こうかと思ったんだけど、ちょっと無理そう』
「今どこにいるの? すぐそっちに行く!」
『……いや、俺は大丈夫だから、先に家帰ってて』
「何言ってるんだよ。居場所教えろって」
 そう必死に訴えかけるけれど、拓己からの返事はない。
 すると、電話口から救急車のサイレンが聞こえてきた。同時に、自分が実際に今いる場所にもサイレンの音が届いた。塾の右手、かなり離れているようだけど、同じ音だった。
 きっと、拓己はあの音の近くにいるはずだ。
「今そっちに行くから!」
 拓己の返事を聞く前に、電話は切れてしまった。
 俺は、拓己がいるであろう方角に向かって駆け出した。
 いくつも角を曲がっては拓己の姿を捜すが、見つからない。
 息が乱れ、汗が頬を流れる。呼吸が苦しくなってきたけれど、それでも足を止めようとは思わなかった。
 もし、拓己に何かあったらどうしよう。
 不安で胸が押し潰されそうになるのを感じながら、次の角を曲がる。
 すると、ようやく通りの先に拓己を見つけた。
「拓己……!」
 大声で呼ぶと、拓己も俺に気づいた。膝をついて息を整えていたが 体を起こしてこちらを振り返る。
 俺はまっすぐ拓己のところへ走っていくと、そのまま抱きついた。
「無事でよかった! 本当に……」
 安心したのか、急に足に力が入らなくなる。へなへなと腰が砕けそうになっていると、拓己が支えるように抱きとめてくれた。
「先に帰ってろって言ったのに」
 そう不平をこぼしつつも、拓己はどこか嬉しそうだった。
 しかし、喜んだのも束の間、足元に嫌な感じの風が通り抜ける。
 振り返ると、通りの先に口裂け女がいた。また3本先の電柱の陰に立っている。その様子を見て、拓己はため息を吐いた。
「はぁ……よほど千景のことが気に入っているみたいだな。さっき俺のこと追いかけていたときは、あんな大人しくなかったのに。千景にあの姿を見られるのは嫌みたい。相当俺のことが邪魔みたい。俺のこと消したくて、うずうずしてるんだろうな」 
 拓己が言うように、口裂け女は敵意をむき出しにした顔でこちらを睨んでいる。昨夜とは違い、離れていても憎悪がひしひしと伝わってきた。
 すぐに襲い掛かってくる気配はないものの、昨日のように徐々に近づいてくるつもりだろう。そう時間は残されていないはずだ。
「拓己、すぐ除霊しよう!」
 抱きついていた腕を放し、拓己と向き合う。
 拓己に危険が迫っているなら、迷っている暇はない。
「早くキスして」
 まっすぐに目を見てせがむが、拓己は首を縦に振らない。
「待って、千景。その前にお願いがある」
「こんなときになんだよ。時間がないんだから」
「ちゃんと教えて。なんで千景が怒ってるのか」
 いつも俺は拓己に呆れられてばかりだが、今は俺が拓己に呆れる番だった。
「お前なぁ……今、そんなこと言ってる場合かよ」
「だって今聞かないと、一生教えてくれなそうだから」
「だからって……口裂け女がすぐそこにいるんだぞ?」
 そんなことを言い合っている間に、口裂け女が近づいてきた。いつの間にか2本目の電柱の傍に移動している。
 俺の焦りをよそに、拓己は落ち着き払っていた。
「これは、俺の願望みたいなものなんだけど……千景が怒ってるのは、この前俺が思ってたのとは違う理由なんじゃないかなって思って。だから、ちゃんと千景の口から本当のことを教えて?」
「……言えない」
 口裂け女がまた近づいてきた。1本先の電柱のところにいる。
「そんなのいいから、キスしろよ」
 それでも拓己は動かない。
「ああ、もういいよ!」
 こうなったら俺からするしかない。拓己の肩を掴み、顔を寄せてキスをしようとする。
 けれど、拓己に両頬を手で挟むようにして止められてしまった。
「だから、だめだって。教えるまでキスしない」
「……言えないって言ってんじゃん」
「なんで?」
「だって、言えるわけないだろ」
 本当はこんなこと拓己に言いたくなかった。でも、もう言うしかない。
「お前が告白されたところ見て、めちゃくちゃ動揺したなんて……!」
 拓己は戸惑うように目を瞬いているけれど、俺は構わずに続ける。
「俺なんて何百回も告白されてきて、それを拓己はずっと見てきたのに、いっつも冷静だったじゃん。俺が誰に告白されても、どれだけ告白されても、まったく気にしないって感じで」
 あんなに必死で隠そうとしていたのに、一度口を割ったら今度は止まりそうになかった。
「それなのに、俺だけお前の告白聞いてなんかずっとモヤモヤしてるし、告白されて拓己がなんか照れてるのも嫌だったし。でも、そんなこと言えるわけないだろ。だって、そんなの……」
 そんなの俺が嫉妬しているみたいじゃん。
 そんなはずないと思っていたのに、いざ言葉にしてみたら、胸にすとんと落ちた気がした。
「ねえ、千景……それ、どういう意味かわかって言ってんの?」
「えっ――」
 次の瞬間、拓己に唇を塞がれた。
 足の力が抜けていき後ろに下がると、塀に背中がぶつかる。逃げ場を失い、俺は必死で拓己のキスを受け入れた。鼻で息をしようとするが、やっぱりうまくできない。
 すぐに息が上がり、胸が苦しくなった。限界だと伝えるために拓己の肩を押し返すと、唇が解放される。
 息を吸い込んだのも束の間、また唇を重ねられた。
 これまでとは違い、少し強引なくらいにキスが繰り返され、頭がぼんやりとしてくる。拳で肩を叩くと、ようやく顔が離れた。
「ちょっと……やり過ぎ!」
 肩で息を吐きながら、拓己に抗議する。
 拓己は顔を隠すように手の甲を口元に当てたまま、目を逸らすだけだった。その隙間から見える拓己の頬は、暗い夜道でもわかるくらいに赤い。
 そのことに気づき、俺も何も言えなくなって目を伏せた。しんと住宅街に静けさが戻る。
 少しして、拓己が口を開いた。
「除霊、完璧にできたみたいだな」
「うん、そうみたいだね。よかった」
 なんとか平静を装いつつ返事をするけれど、胸が騒がしい。
「帰ろう」 
 すると、拓己は俺の手を取って歩き出した。俺も黙って手を引かれるままに後をついていく。
 会話がないのは昨日の夜と同じだけど、今はもう居心地の悪さのようなものはなかった 
 でも、妙に落ち着かない。しっかり地面を踏んで自分の足で歩いているはずなのに、どこかふわふわとしている。
 拓己がすごく近くに感じるような気もするし、手を放したらどこか遠くへ行ってしまうような気もした。
 だから、外だからとか、誰かに見られたらとか、そんな言い訳をつけて繋がれた手を解こうとは思わない。
 まだ距離があると思っていたのに、気がついたら家の前に着いていた。
 リビングの明かりがカーテンから漏れている。父さんも母さんもまだ起きているようだ。
 門の前で立ち止まると、拓己は俺の手を放した。
 それから同時に「あのさ」と切り出した。
「何? 千景から言って」
 顔を見合わせてから拓己がそう促す。俺は小さく頷いて気持ちを固めた。
「……この前の告白なんだけど。拓己がされた告白のことじゃなくて、学校の屋上でしたほうね」
「うん」
「あれって……」
「本気だよ」
 俺が何か言うより先に、拓己は断言した。
「本気の告白。本当の俺の気持ち」
「……そっか」
 ここに来るまでの間に、もしかしたらと思ったことがちゃんと確信になった。
「冗談だって言って逃げたのは俺だけど、千景も本当に冗談だって信じちゃうんだもんな」
 拓己は空気を和ませようとしているのか、あえて明るく言う。
「てかさ、千景はなんで全人類俺のこと好きだって思ってるくせに、俺の告白だけ冗談だと思うんだよ」
「それは、だって……」
 他の誰でもない拓己だからだ。たぶん拓己が特別だからで、特別だからこそ信じようとしなかった。
「なんでだろうね」
 うまく言葉にできず誤魔化すと、拓己は苦笑をこぼす。
「じゃあ次、俺の番ね。さっき言おうとしてたこと」
 俺を困らせないように、拓己は自分でそう話題を変えた。
「全部、元通りにしよう」
 その瞬間、心臓が嫌な音を立てた。
「千景がもう霊に憑かれないよう、元に戻そう。そうすれば、ちゃんと元通りになる。大丈夫、千景が心配するようなことは何もないから」
 それはつまり、除霊をする前に戻るということで、俺たちの関係も元に戻るということだ。そして、きっと拓己の告白もなかったことになってしまうのだろう。
 何か言わなければと思うのに、俺は拓己を見つめることしかできなかった。
「全部、元通りにするから」
 拓己が繰り返す言葉とは裏腹に、俺は何か取り返しのつかない状態に進んでいるような気がしてならなかった。