第3章 口裂け女を除霊するためだから
花子さんが無事に成仏できた次の日。
俺は寝不足でぼんやりとした頭で、学校へと向かった。
通い慣れた道を歩きながら何度もあくびが出る。昨夜は早めに布団に入ったのだが、拓己の告白が頭から離れずなかなか寝つけなかった。
普段なら拓己にハーブティーでも淹れてもらって、眠気がくるまで少し話し相手になってもらうこともできたが、眠れない原因が拓己なのだからそれもできない。
原因と言っても、拓己が悪いわけではないとわかっている。拓己は冗談だと言い切っていたし、俺が勝手に気にしているだけだ。
結局、布団の中で何度も寝返りを打ち、明け方近くになってようやく眠りにつけたのだった。
今朝、拓己はいつもより早めに学校へ向かったらしい。俺が朝食の席についた時には、拓己はもう家を出た後だった。
顔を合わせづらかったから、正直なところ少しほっとした。同時に拓己も同じだったのかもしれないと思い、すぐに違うだろうと考え直した。
おそらく拓己は針女の除霊のときと同じように、告白もキスも大して気にしていないだろう。
悶々と考えているうちに、学校に着いた。
校舎へと向かう同級生や先輩、後輩と空元気で挨拶を交わし、玄関で靴を履き替える。
すると、廊下のほうから声をかけられた。
「千景先輩!」
呼ばれて振り返ると、1年の女子だった。教室にたまにお菓子を持ってきてくれるので、顔見知りだ。
「おはよう……どうしたの?」
何気なく挨拶を返しつつ、その子が泣き出しそうな顔をしていることに気づく。
「千景先輩、ひどいです……将来的な伴侶がいるなら、そう言ってくれたらよかったのに……!」
「将来的な伴侶?」
なんのことかさっぱりわからず目を瞬いているうちに、女子生徒は踵を返してどこかへ行ってしまった。
「え、ちょっと! なんだったんだ……?」
ぽつんと取り残された俺は、頭に疑問符を浮かべるしかなかった。
しかし、その謎はすぐに解けた。
教室に入った瞬間、クラスメイトが一気に集まってきて、拓己とのことを聞かれたからだ。
「千景くんと拓己くんって一緒に暮らしてるんだって?」
「なんで今まで黙ってたんだよー」
「ねえ、それってつまり家族ってこと? 詳しく教えて!」
クラスメイトは取材陣のように俺を取り囲み、次々と質問や思い思いの言葉を投げかけてくる。
「ちょっと待って。どうしてみんな知ってるの?」
みんなからの質問を一旦せき止めて尋ねると、一番近くにいた男子が教えてくれた。
「拓己から聞いたんだよ」
まさかの本人に聞いたのだという。
俺は拓己に視線を向けた。拓己はすべての仕事を片付け終えたあとの安らかな顔で自席に座っている。
さては拓己のやつ、このために少し早めに家を出たな?
どういうことかと拓己に問い質したかったけれど、担任が教室に入ってきてしまった。
「ん? なんか騒がしいな。座れ、座れ。ホームルーム、始めるぞ~」
先生に促され、みんなは残念そうにしながらも、それぞれの席に戻っていった。
1限の授業が終わり、ようやく休憩時間になると、俺はすぐさま拓己の席に向かった。
「拓己、どういうことだよ?」
不満を全面に出しながら前に立つ俺を、拓己は涼しい顔で見上げる。
「ごめん、みんなに話しちゃった」
「話しちゃった、じゃないだろ。まあ、話すこと自体は別にいいんだけど、なんで急に……」
「千景とちゃんと同級生やるって決めたから」
思い出すのは、昨日屋上で聞いた言葉だ。
同級生をやりたいというのは嘘の告白のために用意しただけかと思っていたが、もしかしたら花子さんとの一件で心変わりがあったのかもしれない。
「でも、言うなら言うって事前に相談しろよ。言ってくれたらみんなに話すとき俺も一緒にいたのに」
「それは、千景がいると、ややこしくなりそうかなと思って」
「どういう意味だよ」
お荷物のような言い方をされ、ムッとして返す。
「人たらしの自分の胸に聞きなよ」
そう言われ、今朝の教室での一幕が頭を過り、俺は口をつぐんだ。質問攻めにはあったものの、拓己が前もって説明していなかったら、軽い騒動になっていたかもしれない。
それに、根回し的なことで言えば拓己のほうが断然得意だ。水面下でこっそり動き、気がついていたら問題が解決していたということがたまにある。
兄弟同然の俺と拓己はクラスは別になりそうなものだが、1年も2年も同じクラスだ。それも拓己の根回しの結果である。1年の2学期になって担任からその話を教えてもらうまで、俺だって知らなかった。
入学前、俺たちを同じクラスにしたほうがいい理由をまとめた数枚に渡るレポートとともに、拓巳が学校側に直談判したらしい。なるべく接点を持たないようにしたいという拓己の話とは矛盾すると思ったが、どうやら何かあったときに俺のことを守れるようにするためという意図があったようだ。めちゃくちゃな話だし、学校側も対応に困っただろう。それでも首席の拓巳に入学式での挨拶を引き合いに出され、要望をのんだのだという。
恐ろしいやつだ。
そんなことを思い返していると、肩を叩かれた。
「千景、びっくりしたぞー」
振り返ると宏太で、隣に真人もいる。
「まさか2人がそういう関係だとはな」
「全然、気づかなかったよなぁ。なんで隠してたの?」
「えっ、それは……」
宏太に聞かれ、どう説明したらいいかと困っていると、拓己が代わりに答えた。
「俺からお願いしたんだよ。将来的に一緒になることを考えて」
拓己は当然のように言ってのけるが、宏太と真人はぽかんとしている。
「将来的に一緒に……」
「それって……」
2人の想像がよからぬ方向に進んでいることを察し、俺は慌てて取り繕った。
「あの、将来的にってのは、一緒に働くって意味だから!」
俺が慌てて補足すると、2人も「ああ、なるほど」と納得したようだった。
そういえば、今朝玄関で声をかけてきた女子も「将来的な伴侶が」とか言っていた気がする。あの子も何か勘違いをして、俺のところにやって来たのかもしれない。本当に拓己に任せてしまって大丈夫だったのだろうか。今さらながら、少し不安になってくる。
けれど、拓己の根回しは大体いつも完璧で抜かりない。こんなふうに誤解を与える余地を残すこと自体、拓己らしくないと思った。
まさか人たらしの俺への当てつけに、わざと誤解を生ませるような言い回しにしている……とかないよな?
確信犯なのでは。そんな猜疑心が首をもたげ、俺は拓己に目を向ける。
拓己は相変らずどこ吹く風という感じで、まるで悪びれた様子もない。
俺は息を吐いて、考えるのを諦めた。
真相はわからないが、済んでしまったことだし、もう遅い。さっきから教室の入り口に生徒たちが集まって、俺たちを興味深そうに見ている。同学年だけでなく、先輩や後輩の顔まであるあたり、すでに学校中に知れ渡っているはずだ。
ちらっと入り口に目を向けると、それだけで教室の前が何やら騒がしくなった。
「おお、すごいね。まるで動物園だ」
宏太が面白半分にからかってくる。
すると、わりと冷静に成り行きを見ていた真人も、俺と拓己を興味深そうに見つめる。
「でも、まあ気持ちはわからなくないよな。俺も、お前たちが家だとどんな感じなのか気になるし」
「どんな感じって言われてもな……」
俺は拓己と顔を見合わせた。
ずいぶん一緒にいるから改めて聞かれると疑問だ。
「なあ、拓己」
「俺たちってどんな感じだっけ?」
拓己も俺と同じく、しっくりくる答えが見つからないようだ。
お互いの顔を見ながら首を傾げる俺たちを見て、宏太が声を上げる。
「なんだよ、そのぼんやりした反応! なんかないのかよ!」
「わりと普通だよ」
俺が受け流そうとすると、宏太は矛先を拓己に向ける。
「いやいや、なんかあるでしょ、奥村! 家にいるやつが同じクラスにいわるわけなんだから」
「うん、まあ、いるなぁと思う」
そんなやり取りをしているうちに、俺は急に鼻がむずむずしてきた。宏太が「なんか思ってたのと違う!」と頭を抱え、真人が「まあまあ」と落ち着かせるのを眺めながら、鼻の頭を掻く。
大丈夫、我慢できそうだ。出そうと思ったけど、くしゃみまでは出ないタイプのむずむずだ。
すると、拓己がカバンからポケットティッシュを取り出した。
「?」
疑問に思った瞬間、鼻のむずむずがぶり返した。
「……くっしゅん!」
大きなくしゃみが出た頃には、拓己が俺の前にティッシュを差し出していた。
「あ、ありがと」
ありがたく拓己からティッシュを受け取り、鼻をかむ。
「えー! 今、くしゃみ出る前にティッシュ出してたよね?」
「なんでわかったんだ?」
宏太と真人が驚いている横で、俺も不思議に思う。
拓己はたまに、俺以上に俺のことを把握している。
「すごいや! さすが一緒に暮らしてるだけある。これだよ、これ! こういうのがほしかったんだ」
宏太は何やら感動した様子で、拓己に迫っている。
「ねえ、なんでなんで? どうしてわかったの?」
「まあ、なんとなく」
そう答えた拓己は、なんだか得意げな顔をしていた。
話が広まってしばらくは周囲が騒がしかったものの、そのうちみんなの関心も薄れたようで、少ししたら落ち着いた。
「将来的な伴侶」について噂に尾ひれがついて広がり始めたので、そのあたりは少しずつ誤解を解いていった。
拓己とは行動を共にするというほどではないが、以前よりは頻繁に話すようになってきている。
これまで関係を隠してきた分、ぎこちなくなるのではと心配したものの、意外とそんなこともなく家と同じ調子で会話をしている。
そうやって、だんだんと周りも俺たち自身も新しい関係に慣れ始めたある日。
昼休みに宏太や真人と購買に行って教室へ戻る途中、2階の渡り廊下を歩いていると宏太が足を止めた。
「ねえ、あれ。拓己じゃない?」
宏太は下の中庭の一角を指さしている。
いつの間に拓己のことを下の名前で呼び始めたのだと思いつつも、中庭を見下ろしてみた。
「本当だ、拓己だ」
木陰に立っているのはたしかに拓己で、その前にはずらりと列ができていた。
並んでいるのはほとんど女子生徒だが、中には男子生徒も混じっている。拓己が列の先頭の生徒から手紙らしき封筒を受け取ると、次に並んでいた生徒が前に出てまた拓己と何か話して封筒を渡す。
「何してるんだ……?」
俺の疑問にすかさず宏太が答える。
「ああ、千景への告白を拓己がさばき始めたみたいだよ」
「は!? どういうこと?」
「千景に直接告白がいく前に、拓己が面談をして話を通すか選別してるんだよ。なに、知らなかったの?」
「聞いていない! 会社の人事かよ。なにやってくれてるんだ、拓己のやつ!」
俺の知らないところで、拓己がなにやらまた動き始めている。
しかし、知らないのは俺だけで、真人にも周知の事実らしい。可哀そうな子を見るような目で説明してくれる。
「手紙や告白は自分を一度通すようにって触れ回ってるらしいよ。千景と一緒に暮らしてる拓己の言うことだから、みんなわりと大人しく聞いてるみたい」
「どおりで最近、告白が減ったはずだよ」
毎日のように下駄箱に入っていたラブレターは数日おきになったし、校舎裏に呼び出されることもここ数日はない。
それもこれも、拓己が裏で動いていたのが理由だったわけだ。
耳を澄ませてみると、風に運ばれて拓己と生徒たちの会話が聞こえてきた。
「1年B組の佐々木愛花です! 千景先輩への愛なら誰にも負けません!」
「千景の誕生日は?」
「えっ! えっと……3月21日!」
「全然違う。出直してくるように」
拓己は女子生徒をあっさり切り捨て、次に待っている生徒を呼ぶ。
そんなやり取りを聞き、頭を抱える俺の横で、宏太がけらけらと笑う。
「拓己、かなり厳しいって評判だよ」
「将来有望だな」と、真人まで真面目な顔で言う。
拓己のことはよく理解しているつもりだったけど、最近の拓己は少しよくわからない。
昔から突拍子もないことを言い出したり、こちらが驚くようなことをしたりすることはたまにある。でも、それは言葉が足りない部分があるから周りがいきなりだと感じるだけで、基本的に拓己はよく考えたうえで行動する。
俺への告白を事前にさばくことに、どんな考えがあるのかはわからないけど。
すると、宏太が「あれ?」と声を上げた。
「なんか様子が変だね」
見れば、手紙を渡そうとする女子生徒に、拓己が困ったように応じている。
「いや、俺は千景に告白したい子の話を聞いているだけだから……」
言いながら、拓己は手紙を受け取れないと拒むように、手を小さく振っている。
拓己が焦っているなんてめずらしい。どうしたのだろうと、俺は少し身を乗り出した。
最初は聞こえなかった相手の女子生徒の声も、だんだんと大きくなっていき、こちらまで届いてきた。
「わかってる。でも、私は奥村くんに手紙を渡したくて来たの」
あっ、と声がこぼれそうになった。
拓己への告白のようだ。
隣で宏太と真人が「おお」と歓声を上げる。
「へえ、やるじゃん、拓己!」
「隣のクラスの子だな」
2人ははしゃいでいるが、俺は同じように盛り上がれなかった。
拓己はこれまでに、どれくらい告白されたことがあるのだろう。きちんと聞いたことがないからわからない。
拓己がこうやって告白されているところを目の当たりにしたのは初めてだ。
拓己がモテることに、俺はなんの異論もない。
拓己は勉強ができるし、入学してからずっと学年トップを維持している。陸上だってかなり良い成績を残しているし、運動神経もいい。陸上以外のスポーツは、まあ俺のほうが得意だけど。
顔も端正だし、スタイルもいい。一見するとクール過ぎる感じもするけれど、しゅっとしていて、かっこいい。まあ、俺もかっこいいけど。
だから、好きになる人がいたとしても、全然おかしくない。むしろ当然だ。
でも、拓己はあまり告白に慣れていないように見えた。
その証拠に、拓己はたぶん結構照れている。そこに、なぜかモヤッとした。
もしかして、拓己もあの子のことが好きなのか。そんな考えが過ったけれど、拓己は手紙を受け取る気配がない。
「ありがとう。でも、ごめん。気持ちは嬉しいけど、俺、好きな人いるから」
拓己は丁重に、でもきっぱりと断った。
宏太と真人は「おお~!」とまた感嘆の声を上げている。ギャリーとしては満点だし、普段なら混じっていたけれど、今は少しだけ鬱陶しい。
相手の女子もさすがに諦めたようで、寂しそうにしながらも列から離れた。
「もう行こう」
これ以上見ていたくなくて、宏太と真人に声をかける。渡り廊下を先に歩き始めると、2人も少し名残惜しそうにしながらその場を離れた。
教室へ戻る道を歩きながらも、頭の中ではさっきの拓巳の言葉が何度も繰り返し再生される。
『俺、好きな人いるから』
拓己って、好きな人いたんだ。
拓己のことなら何でも知っていると思っていたけど、本当は知っている気になっていただけなのだろう。苦い気持ちがせり上がる。
『好きだよ、千景』
突然、昨日の告白の言葉が蘇ってきて、気持ちが騒がしくなる。
拓己の好きな人って、まさか俺?
そんな考えが浮かぶが、すぐに頭から振り払う。
ない、ない。あれは、あくまで除霊のための偽りの告白だ。
拓己はあれから何も言ってこないし、気にしている様子もない。
急に俺への告白をさばき始めたり少し奇妙な行動はあるものの、いたっていつも通りだ。
除霊の間を除けば、拓己は何も変わらない。
こんなふうに気にしたり、あれこれ悩んでいるのは俺だけだ。
もう、やめよう。
考えても無駄だと、俺は無理やり思考を打ち切った。
花子さんが無事に成仏できた次の日。
俺は寝不足でぼんやりとした頭で、学校へと向かった。
通い慣れた道を歩きながら何度もあくびが出る。昨夜は早めに布団に入ったのだが、拓己の告白が頭から離れずなかなか寝つけなかった。
普段なら拓己にハーブティーでも淹れてもらって、眠気がくるまで少し話し相手になってもらうこともできたが、眠れない原因が拓己なのだからそれもできない。
原因と言っても、拓己が悪いわけではないとわかっている。拓己は冗談だと言い切っていたし、俺が勝手に気にしているだけだ。
結局、布団の中で何度も寝返りを打ち、明け方近くになってようやく眠りにつけたのだった。
今朝、拓己はいつもより早めに学校へ向かったらしい。俺が朝食の席についた時には、拓己はもう家を出た後だった。
顔を合わせづらかったから、正直なところ少しほっとした。同時に拓己も同じだったのかもしれないと思い、すぐに違うだろうと考え直した。
おそらく拓己は針女の除霊のときと同じように、告白もキスも大して気にしていないだろう。
悶々と考えているうちに、学校に着いた。
校舎へと向かう同級生や先輩、後輩と空元気で挨拶を交わし、玄関で靴を履き替える。
すると、廊下のほうから声をかけられた。
「千景先輩!」
呼ばれて振り返ると、1年の女子だった。教室にたまにお菓子を持ってきてくれるので、顔見知りだ。
「おはよう……どうしたの?」
何気なく挨拶を返しつつ、その子が泣き出しそうな顔をしていることに気づく。
「千景先輩、ひどいです……将来的な伴侶がいるなら、そう言ってくれたらよかったのに……!」
「将来的な伴侶?」
なんのことかさっぱりわからず目を瞬いているうちに、女子生徒は踵を返してどこかへ行ってしまった。
「え、ちょっと! なんだったんだ……?」
ぽつんと取り残された俺は、頭に疑問符を浮かべるしかなかった。
しかし、その謎はすぐに解けた。
教室に入った瞬間、クラスメイトが一気に集まってきて、拓己とのことを聞かれたからだ。
「千景くんと拓己くんって一緒に暮らしてるんだって?」
「なんで今まで黙ってたんだよー」
「ねえ、それってつまり家族ってこと? 詳しく教えて!」
クラスメイトは取材陣のように俺を取り囲み、次々と質問や思い思いの言葉を投げかけてくる。
「ちょっと待って。どうしてみんな知ってるの?」
みんなからの質問を一旦せき止めて尋ねると、一番近くにいた男子が教えてくれた。
「拓己から聞いたんだよ」
まさかの本人に聞いたのだという。
俺は拓己に視線を向けた。拓己はすべての仕事を片付け終えたあとの安らかな顔で自席に座っている。
さては拓己のやつ、このために少し早めに家を出たな?
どういうことかと拓己に問い質したかったけれど、担任が教室に入ってきてしまった。
「ん? なんか騒がしいな。座れ、座れ。ホームルーム、始めるぞ~」
先生に促され、みんなは残念そうにしながらも、それぞれの席に戻っていった。
1限の授業が終わり、ようやく休憩時間になると、俺はすぐさま拓己の席に向かった。
「拓己、どういうことだよ?」
不満を全面に出しながら前に立つ俺を、拓己は涼しい顔で見上げる。
「ごめん、みんなに話しちゃった」
「話しちゃった、じゃないだろ。まあ、話すこと自体は別にいいんだけど、なんで急に……」
「千景とちゃんと同級生やるって決めたから」
思い出すのは、昨日屋上で聞いた言葉だ。
同級生をやりたいというのは嘘の告白のために用意しただけかと思っていたが、もしかしたら花子さんとの一件で心変わりがあったのかもしれない。
「でも、言うなら言うって事前に相談しろよ。言ってくれたらみんなに話すとき俺も一緒にいたのに」
「それは、千景がいると、ややこしくなりそうかなと思って」
「どういう意味だよ」
お荷物のような言い方をされ、ムッとして返す。
「人たらしの自分の胸に聞きなよ」
そう言われ、今朝の教室での一幕が頭を過り、俺は口をつぐんだ。質問攻めにはあったものの、拓己が前もって説明していなかったら、軽い騒動になっていたかもしれない。
それに、根回し的なことで言えば拓己のほうが断然得意だ。水面下でこっそり動き、気がついていたら問題が解決していたということがたまにある。
兄弟同然の俺と拓己はクラスは別になりそうなものだが、1年も2年も同じクラスだ。それも拓己の根回しの結果である。1年の2学期になって担任からその話を教えてもらうまで、俺だって知らなかった。
入学前、俺たちを同じクラスにしたほうがいい理由をまとめた数枚に渡るレポートとともに、拓巳が学校側に直談判したらしい。なるべく接点を持たないようにしたいという拓己の話とは矛盾すると思ったが、どうやら何かあったときに俺のことを守れるようにするためという意図があったようだ。めちゃくちゃな話だし、学校側も対応に困っただろう。それでも首席の拓巳に入学式での挨拶を引き合いに出され、要望をのんだのだという。
恐ろしいやつだ。
そんなことを思い返していると、肩を叩かれた。
「千景、びっくりしたぞー」
振り返ると宏太で、隣に真人もいる。
「まさか2人がそういう関係だとはな」
「全然、気づかなかったよなぁ。なんで隠してたの?」
「えっ、それは……」
宏太に聞かれ、どう説明したらいいかと困っていると、拓己が代わりに答えた。
「俺からお願いしたんだよ。将来的に一緒になることを考えて」
拓己は当然のように言ってのけるが、宏太と真人はぽかんとしている。
「将来的に一緒に……」
「それって……」
2人の想像がよからぬ方向に進んでいることを察し、俺は慌てて取り繕った。
「あの、将来的にってのは、一緒に働くって意味だから!」
俺が慌てて補足すると、2人も「ああ、なるほど」と納得したようだった。
そういえば、今朝玄関で声をかけてきた女子も「将来的な伴侶が」とか言っていた気がする。あの子も何か勘違いをして、俺のところにやって来たのかもしれない。本当に拓己に任せてしまって大丈夫だったのだろうか。今さらながら、少し不安になってくる。
けれど、拓己の根回しは大体いつも完璧で抜かりない。こんなふうに誤解を与える余地を残すこと自体、拓己らしくないと思った。
まさか人たらしの俺への当てつけに、わざと誤解を生ませるような言い回しにしている……とかないよな?
確信犯なのでは。そんな猜疑心が首をもたげ、俺は拓己に目を向ける。
拓己は相変らずどこ吹く風という感じで、まるで悪びれた様子もない。
俺は息を吐いて、考えるのを諦めた。
真相はわからないが、済んでしまったことだし、もう遅い。さっきから教室の入り口に生徒たちが集まって、俺たちを興味深そうに見ている。同学年だけでなく、先輩や後輩の顔まであるあたり、すでに学校中に知れ渡っているはずだ。
ちらっと入り口に目を向けると、それだけで教室の前が何やら騒がしくなった。
「おお、すごいね。まるで動物園だ」
宏太が面白半分にからかってくる。
すると、わりと冷静に成り行きを見ていた真人も、俺と拓己を興味深そうに見つめる。
「でも、まあ気持ちはわからなくないよな。俺も、お前たちが家だとどんな感じなのか気になるし」
「どんな感じって言われてもな……」
俺は拓己と顔を見合わせた。
ずいぶん一緒にいるから改めて聞かれると疑問だ。
「なあ、拓己」
「俺たちってどんな感じだっけ?」
拓己も俺と同じく、しっくりくる答えが見つからないようだ。
お互いの顔を見ながら首を傾げる俺たちを見て、宏太が声を上げる。
「なんだよ、そのぼんやりした反応! なんかないのかよ!」
「わりと普通だよ」
俺が受け流そうとすると、宏太は矛先を拓己に向ける。
「いやいや、なんかあるでしょ、奥村! 家にいるやつが同じクラスにいわるわけなんだから」
「うん、まあ、いるなぁと思う」
そんなやり取りをしているうちに、俺は急に鼻がむずむずしてきた。宏太が「なんか思ってたのと違う!」と頭を抱え、真人が「まあまあ」と落ち着かせるのを眺めながら、鼻の頭を掻く。
大丈夫、我慢できそうだ。出そうと思ったけど、くしゃみまでは出ないタイプのむずむずだ。
すると、拓己がカバンからポケットティッシュを取り出した。
「?」
疑問に思った瞬間、鼻のむずむずがぶり返した。
「……くっしゅん!」
大きなくしゃみが出た頃には、拓己が俺の前にティッシュを差し出していた。
「あ、ありがと」
ありがたく拓己からティッシュを受け取り、鼻をかむ。
「えー! 今、くしゃみ出る前にティッシュ出してたよね?」
「なんでわかったんだ?」
宏太と真人が驚いている横で、俺も不思議に思う。
拓己はたまに、俺以上に俺のことを把握している。
「すごいや! さすが一緒に暮らしてるだけある。これだよ、これ! こういうのがほしかったんだ」
宏太は何やら感動した様子で、拓己に迫っている。
「ねえ、なんでなんで? どうしてわかったの?」
「まあ、なんとなく」
そう答えた拓己は、なんだか得意げな顔をしていた。
話が広まってしばらくは周囲が騒がしかったものの、そのうちみんなの関心も薄れたようで、少ししたら落ち着いた。
「将来的な伴侶」について噂に尾ひれがついて広がり始めたので、そのあたりは少しずつ誤解を解いていった。
拓己とは行動を共にするというほどではないが、以前よりは頻繁に話すようになってきている。
これまで関係を隠してきた分、ぎこちなくなるのではと心配したものの、意外とそんなこともなく家と同じ調子で会話をしている。
そうやって、だんだんと周りも俺たち自身も新しい関係に慣れ始めたある日。
昼休みに宏太や真人と購買に行って教室へ戻る途中、2階の渡り廊下を歩いていると宏太が足を止めた。
「ねえ、あれ。拓己じゃない?」
宏太は下の中庭の一角を指さしている。
いつの間に拓己のことを下の名前で呼び始めたのだと思いつつも、中庭を見下ろしてみた。
「本当だ、拓己だ」
木陰に立っているのはたしかに拓己で、その前にはずらりと列ができていた。
並んでいるのはほとんど女子生徒だが、中には男子生徒も混じっている。拓己が列の先頭の生徒から手紙らしき封筒を受け取ると、次に並んでいた生徒が前に出てまた拓己と何か話して封筒を渡す。
「何してるんだ……?」
俺の疑問にすかさず宏太が答える。
「ああ、千景への告白を拓己がさばき始めたみたいだよ」
「は!? どういうこと?」
「千景に直接告白がいく前に、拓己が面談をして話を通すか選別してるんだよ。なに、知らなかったの?」
「聞いていない! 会社の人事かよ。なにやってくれてるんだ、拓己のやつ!」
俺の知らないところで、拓己がなにやらまた動き始めている。
しかし、知らないのは俺だけで、真人にも周知の事実らしい。可哀そうな子を見るような目で説明してくれる。
「手紙や告白は自分を一度通すようにって触れ回ってるらしいよ。千景と一緒に暮らしてる拓己の言うことだから、みんなわりと大人しく聞いてるみたい」
「どおりで最近、告白が減ったはずだよ」
毎日のように下駄箱に入っていたラブレターは数日おきになったし、校舎裏に呼び出されることもここ数日はない。
それもこれも、拓己が裏で動いていたのが理由だったわけだ。
耳を澄ませてみると、風に運ばれて拓己と生徒たちの会話が聞こえてきた。
「1年B組の佐々木愛花です! 千景先輩への愛なら誰にも負けません!」
「千景の誕生日は?」
「えっ! えっと……3月21日!」
「全然違う。出直してくるように」
拓己は女子生徒をあっさり切り捨て、次に待っている生徒を呼ぶ。
そんなやり取りを聞き、頭を抱える俺の横で、宏太がけらけらと笑う。
「拓己、かなり厳しいって評判だよ」
「将来有望だな」と、真人まで真面目な顔で言う。
拓己のことはよく理解しているつもりだったけど、最近の拓己は少しよくわからない。
昔から突拍子もないことを言い出したり、こちらが驚くようなことをしたりすることはたまにある。でも、それは言葉が足りない部分があるから周りがいきなりだと感じるだけで、基本的に拓己はよく考えたうえで行動する。
俺への告白を事前にさばくことに、どんな考えがあるのかはわからないけど。
すると、宏太が「あれ?」と声を上げた。
「なんか様子が変だね」
見れば、手紙を渡そうとする女子生徒に、拓己が困ったように応じている。
「いや、俺は千景に告白したい子の話を聞いているだけだから……」
言いながら、拓己は手紙を受け取れないと拒むように、手を小さく振っている。
拓己が焦っているなんてめずらしい。どうしたのだろうと、俺は少し身を乗り出した。
最初は聞こえなかった相手の女子生徒の声も、だんだんと大きくなっていき、こちらまで届いてきた。
「わかってる。でも、私は奥村くんに手紙を渡したくて来たの」
あっ、と声がこぼれそうになった。
拓己への告白のようだ。
隣で宏太と真人が「おお」と歓声を上げる。
「へえ、やるじゃん、拓己!」
「隣のクラスの子だな」
2人ははしゃいでいるが、俺は同じように盛り上がれなかった。
拓己はこれまでに、どれくらい告白されたことがあるのだろう。きちんと聞いたことがないからわからない。
拓己がこうやって告白されているところを目の当たりにしたのは初めてだ。
拓己がモテることに、俺はなんの異論もない。
拓己は勉強ができるし、入学してからずっと学年トップを維持している。陸上だってかなり良い成績を残しているし、運動神経もいい。陸上以外のスポーツは、まあ俺のほうが得意だけど。
顔も端正だし、スタイルもいい。一見するとクール過ぎる感じもするけれど、しゅっとしていて、かっこいい。まあ、俺もかっこいいけど。
だから、好きになる人がいたとしても、全然おかしくない。むしろ当然だ。
でも、拓己はあまり告白に慣れていないように見えた。
その証拠に、拓己はたぶん結構照れている。そこに、なぜかモヤッとした。
もしかして、拓己もあの子のことが好きなのか。そんな考えが過ったけれど、拓己は手紙を受け取る気配がない。
「ありがとう。でも、ごめん。気持ちは嬉しいけど、俺、好きな人いるから」
拓己は丁重に、でもきっぱりと断った。
宏太と真人は「おお~!」とまた感嘆の声を上げている。ギャリーとしては満点だし、普段なら混じっていたけれど、今は少しだけ鬱陶しい。
相手の女子もさすがに諦めたようで、寂しそうにしながらも列から離れた。
「もう行こう」
これ以上見ていたくなくて、宏太と真人に声をかける。渡り廊下を先に歩き始めると、2人も少し名残惜しそうにしながらその場を離れた。
教室へ戻る道を歩きながらも、頭の中ではさっきの拓巳の言葉が何度も繰り返し再生される。
『俺、好きな人いるから』
拓己って、好きな人いたんだ。
拓己のことなら何でも知っていると思っていたけど、本当は知っている気になっていただけなのだろう。苦い気持ちがせり上がる。
『好きだよ、千景』
突然、昨日の告白の言葉が蘇ってきて、気持ちが騒がしくなる。
拓己の好きな人って、まさか俺?
そんな考えが浮かぶが、すぐに頭から振り払う。
ない、ない。あれは、あくまで除霊のための偽りの告白だ。
拓己はあれから何も言ってこないし、気にしている様子もない。
急に俺への告白をさばき始めたり少し奇妙な行動はあるものの、いたっていつも通りだ。
除霊の間を除けば、拓己は何も変わらない。
こんなふうに気にしたり、あれこれ悩んでいるのは俺だけだ。
もう、やめよう。
考えても無駄だと、俺は無理やり思考を打ち切った。
