放課後、和明のクラスへ向かい、彼を待った。
和明はいつものリュックサックと一緒に、部活の大仰な荷物を抱えて出てきた。
「朝、商店街の入口のところ、変なのいなかった?」
尋ねると、「いや」と荷物を抱え直しながら彼は首を振る。
僕は少し落胆したような気持ちになって、「いたんだよ。鳴海も見た」
和明は怪訝な顔をして、しかし彼は僕の言葉を疑わないので、納得したように何度か頷いた。
鳴海と合流し、校門を出て石段を降りる。商店街の前で僕たち三人は立ち止まる。案の定、全ての店は閉まっていて、夜が落ちかけて一層暗澹としたその入口には、朝に見たような細長い影が、今度は確かにこちらを覗いていた。
ここを通ってはいけない、と僕の本能は告げた。
「タコ公園に行こう」と和明が言った。
タコ公園とは、この街にある臨海公園で、中央に大きな蛸形をした遊具がある。学校から出て駅とは反対側の方面にあり、しばしば本学生の溜まり場となっている場所だった。どうして和明がそこへ行こうと言ったのか分からないが、僕もその商店街をまた通る気にはなれなかったし、何よりすっかり途方に暮れてしまっていた。
道すがら、ただ目下に青黒い海が広がっている。水仙がいくらか花をつけているのが、たそがれの微光の中にうっすらと光っている。タコ公園に着くと先客はおらず、ただ軟体動物を模した黒ずんだ遊具が鎮座していた。
中央に大きな丸い頭があって、暗い口をこちらに向けて虚ろに開いている。その脇にさまざまな形態に湾曲した脚が方々に広がっていて、ひとつひとつは緩やかな階段になっていたり、滑り台になっていたり、吸盤のようなオウトツの足場で覆われた壁面になっている。風雨に晒されて塗料は剥がれ落ち、ところどころほんのわずかに残された本来の色が、生命の最後の名残のように主張して、その死骸をむしろいっそう死骸たらしめているように見えた。
僕たちはしばし、向こうの波の音を聴きながら息をしていた。この、嵐の前の静けさのようにさざめく海は、果たしていつも通りの海なのか。
「ちょっと整理しよう」
と、隣の和明が遊具の末端、蛸の脚にあたる部分に腰を降ろし、口火を切る。僕と鳴海も思い思いの場所に着いた。
「最初に変だったのは昨日の朝の浦見崎の駅で、いつもは人がいるはずなのに誰もいなくて。そのあと地上に出たら普通で、他の人たちも一緒に出てきた」
「元からいたみたいに。誰もいなかったのに」と、鳴海。
和明は続けた。「で、その日は、商店街が閉まっててなんか変だったから別の道で学校に行った」
「うん」と相槌を打ちながら僕は、その日の夕方に学校で見たことを言うべきか迷った。昨日、二人に言わなかったことだ。少なくとも、あの小窓の話くらいは、今から打ち明けてもいいかもしれないと思った。しかし、僕のその臆病な嘘は大した問題ではないと思った。それよりも重要なのは、今日は確実に自分だけではなく、鳴海も和明も、一緒に異常を検知したのだという事実だ。
それゆえに、和明が「その日はそれだけ」と言った時、僕は何も言わずに頷いたのだ。
すると鳴海が続けた。「それで今日、和明が先に行ったから俺たちだけで電車に乗って、浦見崎に着いたら、商店街がやっぱり閉まってて、入口に細長い何かが二つ立ってた」
「それってどんなやつ?」と和明。
「ボヤッとした黒い靄みたいなやつだよね。智紀?」
「うん」と、少し茫然としていた僕は慌てて応える。「さっきのよりもっと曖昧だった気がするけど、門の両脇にいたんだよ。よく見えなかったっていうか、あんまり見ないようにしてたから、それ以上はあんまり覚えてないけど」
「それでまた別の道を?」
「いや、今日は商店街の方に行ってみた」僕は応えた。和明は眉をひそめ、身を乗り出した。「そのモヤモヤの間を通って、中に入ったんだけど、やっぱり誰もいなくて、生き物の気配は全くなくて、店は全部閉まってた。そこを通り抜けて、おしまい」
「それ以上は何もなかったんだ?」
「なかった」
僕は鳴海の方を見た。鳴海もこちらを見ていて、目が合うと彼は頷いた。
「なるほど。俺は朝、普通に商店街を通って来て、店も開いて人もいて。で、いま帰ろうとしたら、閉まってたし、入口の変なのも見た」
「僕らが朝見たのも、あんなやつ」
僕はそう言って、頭の中で思案を巡らせる。浦見崎の駅、商店街、学校。そして那岐浜の僕の家。並べてみれば、彼らに開示していない部分も多い。しかしそれは今に始まったことではない。鳴海も和明も親友のようなものだと思っているが、実はそれは便宜的な位置付けであって、本来そう呼べるものではないのかもしれない。
「明日、地図を持ってくる」と僕は言った。「とりあえず、どこで何があったのか印をつける」
「つけて、どうする?」と鳴海が言った。事実、彼らがいま要所と捉えているのは駅と商店街だけだ。そこにバッテンをつけたからと言って何が分かるだろう。
「分からない。でもこれから増えるかもしれないし。バツをつけなきゃいけない場所が」
僕は曖昧に答えた。次のことは何も考えていない。けれども何かを進めたかったのだ。
ふと、誰かが僕を見ているような気配がある。鳴海でも和明でもない誰かである。僕は二人に気づかれないように視線を巡らせた。木の葉ひとつそよがず、砂一つ転げない、静まり返った広場に夜は落ちつつある。妙に精巧に作られている、遊具の蛸の目と、視線がぶつかる。それは無論、無機物の作り物だ。しかし、本当だろうか? 尻の下にあるその巨大な身体が、ほんの少しずつ、柔らかく崩れ出したような錯覚があって、僕は慌てて立ち上がった。二人の視線が僕に向いた。それは彼らにはただ、帰る合図だと捉えられたようだった。
ほとんど陽の落ちたタコ公園を後にした僕たちは、また大回りをして浦見崎駅へ向かい、地上の北口改札からプラットフォームへ乗り込む。途中駅で和明と別れ、那岐浜で鳴海と降りる頃にはすっかり暗くなっていて、ただ波の音だけが響いていた。
鳴海の帰路と分岐する歩道橋の上で、
「また明日」
と、立ち止まって、いつものように彼は言った。
壊れかけた街灯の明滅に合わせて、長身痩躯が照らし出される。
鳴海の顔は闇に呑まれて不鮮明だ。なぜだか、地面に張り付く彼の影が、異様に肥大して見える。
これは怪異だろうか。それとも光の作用に過ぎないのだろうか。
「また明日」
僕も彼と同じように片手を挙げて手を振った。
