流れていく窓外の空と海、その境、夜に滲み始めた水平線を眺めながら僕と和明は横並びで座っていた。僕たちはあの後、走ったり止まったりしながら浦見崎の駅へ急ぎ、下り列車に飛び乗ったのだった。
鳴海をまいて飛び出して来なければならなかった和明の目的はなんなのか。和明、彼が何者なのか、確かめなければならない。
しかし僕が何かを言い出す前に、口火を切ったのは和明だった。
「鳴海のことなんだけど」
僕は彼の方を向いて、続く言葉を待った。
「お前、あいつの言うこと全部真に受けてちゃ、ダメだよ」
その言葉を、僕がすぐに理解できたとは言えなかった。ようやく認識できた時、用意していたはずの言葉の一式や、積み重ねていた熟考は転回し、その遠心的荷重に耐えきれず、視界が歪むような感覚があった。
僕と鳴海の和明に対する秘密、もとい鳴海の密告とは別個として、僕は個人としてさえ、和明に秘密を持っている。それは僕が鳴海に対して抱いている幼稚で爛れた執着のことだ。和明はそれを知らないし、鳴海が知ってもいけないことである。
「なんで、そんなこと。俺たち友達だろ」と、全ての秘匿に蓋を閉めるようにかろうじて、僕は返したのだった。その言葉は、僕の混乱した願いの全てだった。まるで和明にそう言って鳴海を認めてほしいと懇願するかのように、同時に和明さえ手放さずにいられるように、そして、僕のこの執着が、ありふれた健康な友情にすぎないという欺瞞を、彼が疑わぬように。
「智紀はあいつのこと本当に何も変じゃないって思うの」
「どういうことだよ」
「分からない。でも水族館に行こうって言い出したのもあいつだし」
「そうだっけ?」
「そうだと思う」
「でも地図を書いたのは僕だし、鳴海が言わなくたって僕が行こうって言ったよ」
「しおさい館に?」
「だって明らかに何かありそうだったじゃん。それがあいつが変だって証拠にならない」
「庇うね」
僕は言葉を飲み込んだ。「なんだそれ。お前が言ってることが分かんないだけだよ」
「手の傷もおかしいよ。智紀の方が俺よりあいつと一緒にいる時間が長いじゃんか、何か思ったことないの?」
「遠回しな言い方だな」
「ぜんぜん。遠回しも何も、何か確かなことがあるわけじゃない」
「じゃ、悪く言うなよ、鳴海のこと……」
口にすると滑稽な響きだった。尻すぼみになった言葉とともに地面に落ちた視線をおもむろに上げると、和明が物言いたげに眉根を寄せ、唇を引き結んでいる。
「なんか文句あんの」そう語気を荒げてしまったのは、恥を隠すためだった。
和明が飲み込んでいた言葉を、僕は知っている。和明はきっと、僕が鳴海を好きなことに気づいている。だからこそこうして忠告をしてくるわけだ。僕の隠蔽の目論見は、もとより全て失敗しているということだ。
和明の言葉が、僕を容易に動揺させることができる程度には、僕は鳴海のことを知らない。しかし本当の場所まで触れ合えないのは和明も同じだ。僕を和明から遠ざけようとする鳴海の言葉を思い出す。和明も、鳴海も、本当は何を考えているのだろう。僕は彼らのことを何ひとつ知らなかったのだ。
僕はいよいよこの世界で一人になってしまったような気分だった。
電車が大きく揺れる。体勢が崩れる。
それが少し、呼び水となったようだった。和明は、座ったまま僕の方に向き直り、ダウンジャケットのジッパーを下げた。僕が唖然としているうちに彼は、さらにその下の学生服のボタンを外し、布の重なりをかき分け、赤黒い体液のような何かで汚れたワイシャツに顔色さえ変えず、僕の胸に耳を埋めてくる。
鼻先にある彼の白いつむじを見つめながら、僕は静かに呼吸をした。ほのかに、彼の髪の匂いがする。彼が必死に探している何か、それがなんなのかは分からなかったが、とにかく、何かを確かめようとする彼に、僕は精一杯、応じようと思ったのだ。
鳴海の言葉と、そこからの一連の推論を、僕は頭の中で激しく捏ね回す。僕は今、無防備にも、脅威に対して柔らかな心臓を許しているのかもしれないということだ。鼓動が速くなるような気がした。それはきっと彼の鼓膜を慌ただしく叩くだろう。僕はそれに恐れのような恥のようなものを抱いて、身体を落ち着けようと試みた。けれどもうまく制御はできなかった。
意思と肉体は遠い。元来、僕はそれをうまく結び合わせることがうまくない。それがこの頃いっそう、遠ざかっている。ような、気がする。
しばらくして顔を上げた和明は、服を元に戻しながら、
「多分、身体が冷えてんだ」
彼の歪んだ眉は、その言葉を空虚にしたが、希薄な光が、僕たちの他に誰もいない車両の中にしんと据わっている。
和明は身体を離して、何か言いたげに拳で僕の胸を叩いたが、彼の瞳が何を訴えているのか分からなかった。彼の行動は何を意味するのだろうか、僕は彼の目に、どのように映っているのか。
自分の胸に手を当ててみる。心臓はもっと深いところにあるようだ。
それを探ろうとした矢先、気配があって、顔を上げる。鳴海が立っている。
彼があまりに唐突に現れたのがいけないのだった。反射的に肩が痙攣した。和明の方を盗み見ると、たったいまああ言ったそばだからか、彼の表情もいささか張り詰めて見えた。鳴海はそのまま僕たちの方に歩み寄ってきた。
「置いて行ったな」
と、鳴海はいつものように、飄々と微笑する。体操服の入ったナップザックをぶら下げている。僕は胸の奥が縛り上げられるような感覚に襲われる。いつからそこに居たのか、とは聞けなかった。彼のその薄ら笑いは、内緒話に紐帯して自分を蔑ろにした僕たちを侮蔑しているようにも見えたし、そうでなくても彼はいつも少なからずそう見える。
今しがた和明の言った言葉が、頭の中に響いている。
鳴海はどこから現れたのだろう?
僕は扉の上の電光掲示を見る。画面はブラックアウトしている。
この列車はいま、僕たちだけのものだ。鳴海は僕たちの対面に腰を降ろした。彼の背を延々と灰色の海が流れていく。僕はほとんど無意識に、少しだけ身体を後ずさり、隣の和明と間を作り、その神経質な横顔を見る。もしこれが誰かの張った網ならば、僕はそれにかかった虫だ。ならば問題は、なぜその「誰か」がそこに巣をかけたのかということだった。そして、それが「誰」かということだった。
睨み合う二人を見つめながら僕は手がかりを探る。綻びとも言う。——
四つの目が正面から僕に視線を注いでいる。僕はそれらを交互に見つめて、瞳の奥を図る。影ばんだ感情が蠕動するように渦巻いている。僕はそのうちの一対をひどく欲していて、それは理屈のない、前意識的な渇望であり、この空虚で脆い一つ一つの細胞の昂りとなって身体を突き動かそうとするが、聡明な打算が僕を繋ぎ止める。最も確実に、効率的に、彼を手に入れることができる方法は他にある。僕はまだその時を待つ必要がある。——
列車のアナウンスが響き、浮遊していた意識が身体に戻ってくる。僕はあたりを見回した。がらんどうの車両。明滅する蛍光灯。機能を取り戻した電光表示。
鳴海と目が合う。精神の底まで覗かれているようで不安になる。
やがてようやく、見慣れた駅のプラットフォームに列車が速度を落としながら入っていく。ゆっくりと車体は停止した。
「着いたよ」
と、妙に明瞭に、鳴海が言う。和明が降りる駅だった。和明はおもむろに腰を上げ、不満げな表情を残しながら、ボタンを押してドアを開け、列車を降りていく。
彼の降車を待っていたかのようにドアは閉まり、再び僕たち二人を乗せた車体が無遠慮に動き出す。
僕は詰まっていた息を吐いた。それと同時に、まるですべて僕の胸の中にあったかのように、車内の大気が緩んだ気配がする。列車が駅を抜けたのを確かめると、正面に座っていた鳴海が僕の隣に移ってくる。
「何かされなかった?」と彼が問いかけてくる。
僕は首を振った。彼のあの行動が、「何か」に該当するのかは、分からなかった目下、それは脅威でもなんでもなかったからだ。しかしそれは僕が鳴海についた嘘だった。
鳴海は僕の肩に頭をもたれながら、僕の腕を抱え込む。それは慰撫のようにも、媚態のようにも見える。
彼は僕を救いに来たのか、あるいは。
僕の半身に預けられた重みの大きな幸福の中で、僕は孤独だった。
